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11月8日(火)のフラワーレポーターはロンドンにお住まいになって、24年。「イギリス公認ガイド」をされている「塩田まみ」 さんに伺います。

ロンドンの街中も、11月に入るとクリスマスの飾りつけが目立ってきます。家族へのプレゼントや、買い物準備など、皆、そろそろ具体的に考え始める頃でしょうか。気候も、今年は数十年ぶりの冷夏とかで、夏中20度そこそこだったのですが、秋になってからは、穏やかな日が多く、今週も日中13度と例年より少し高めの気温です。


近頃は、来年2月6日に即位60周年を迎えられるエリザベス二世女王陛下のお祝いのイベント,ダイヤモンドジュビリーの内容がだんだん明らかになってきて、7月のオリンピックを前に、国民はもうひとつ、世紀のイベントを体験できることで、この4月のウイリアム王子の結婚式に続いて盛り上がりを見せています。英国では、19世紀のビクトリア女王のほかには、在位60年を迎えた君主はおりません。主なイベントは、5月末から6月はじめになりますが、それは大掛かりな祝典になることは間違いなく、ハイライトのひとつに6月2日、テームズ河を大小千隻ものボートや船が進む一代ページェントが挙げられます。その頃には、7月27日に開会式を迎えるオリンピックの聖火リレーも、英国最南西のランズエンドを皮切りに、全国1018市町村を70日間をかけて巡っていますね。


ところで、オリンピックに関する旅行情報ですが、一般向けの競技イベントの切符販売は、この春にいったん終了していますが、また新たにスポンサーなど各方面からの切符入手が可能になるでしょう。東京からロンドンへの直行便航空券は、もう予約も一杯でしょうが、ロンドンは世界の航空便のハブですから、経由便なら、まだ大丈夫では?ホテルが通常宿泊代金の何倍もするなどど噂では聞きましたが、調べても実際には30%増し程度のところが多いようです。夏の最盛期、ピーク料金期に当たるので、普段からホテル代が高いロンドン、びっくりする値段かも。ただし、中心部の、特に一流ホテルは、2005年、オリンピック開催決定発表とほぼ同時に、ほとんど関係者で予約が埋まったと聞いています。


◆開催地について


オリンピック開催メイン競技場のある場所は、ロンドン中心部から5kmほど東です。繁華街で有名な、ピカデリーサーカスあたりからですと、地下鉄で30分程度のところです。もっとも、競技の多くが、ハイドパークはじめ、中心部の美しい王立公園を使います。サッカーはウエンブリースタジアムや、マンUのホームでお馴染みのオールドトラッフォードなど、国内各地で開催されます。テニスはもちろん、ウインブルドンで行われます。世界文化遺産のグリニッジも舞台になります。


この、メイン会場となる競技場、オリンピックパークと選手村は、大ロンドン県33区のひとつ、Newhamという区にあります。ロンドン橋から東のテームズ河下流域は昔から貿易船が世界中からの貨物をドックの倉庫におろしては、また出てゆくところでした。運ばれてきた資材をもとに、ありとあらゆる工場が立ち並び、煙はたちこめ、臭いもの、汚いものが吐き出された下町でした。余談ですが、サッカーのアーセナルというチーム、今でこそ豪華なスタジアムが中心部にありますが、16世紀に国王が開設した、武器、爆薬の工場が起源で、その名も軍需工場の意。大砲のマークです。ロンドンの河港は、19世紀末には世界で最も貨物量の多い港でしたが、第二次大戦で、ドイツ軍のV1、V2ロケット弾などの標的となり、全くの瓦礫の山と化してしまいました。以来、土壌自体の汚染の問題もあり、だれも本格的には手をつけられなかったのです。戦後、60年代に英国にやってきた、元大英帝国領からの移民たちが、ここにも住み着きます。さて、人口25万人のNewham区ですが、まさに人種のるつぼ、という言葉がふさわしく、白人、黒人、インド系、中国人など、宗教も言語も様々です。区内では105種の言葉が使われています。この区は、実は、英国中でも最も貧しい地区に必ず挙げられます。子沢山や平均寿命の短さもあり、人口の40%が25歳以下(24%が16歳以下、60歳以上は9%)です。若者の多いこと、でも、子供たちの30%以上が“貧困“という指定を受けています。
そこにオリンピックがきてくれたら、、それは80年代に、この地に赴任してきた、ひとりの牧師のアイデアから始まった、と聞いています。貧しいからこそ希望を、と、この運動はジワジワと時間をかけて広がりました。
いつの時代も、本当のエネルギーは、困難の中から生まれてくるようですね。


◆2012年ロンドンオリンピックの特徴と、建造物


2012年ロンドン五輪を一言で表現すると、Sustainabilityです。持続可能性、それは、後の世代に伝えることのできる遺産、レガシーを生み出すこと。もうひとつのキーワードは、Greenです。地球環境を考え、再生可能なエネルギーを使用し、建物の将来的な利用を考える。エコロジーのエコであって、決して一国の経済大国たるエゴであってはならないという、新しいオリンピックのトレンドを作ろうとしているのです。


オリンピックの後にはクイーンエリザベスパークと呼ばれる、メイン会場のみの面積は2.5平方km。周囲に整えられた自然保護公園と、住宅、オフィス、商業地区を加えると、再開発総面積は7平方kmに及びます。
メインスタジアムはこの地を古来から流れるリー河の水を使って島状に囲まれています。8万人収容ですが、だだし、白い鉄骨製の上部5万5千席は、競技終了後に取り外すことが可能です。下部の2万5千席は、実は80万トンもの土を8ヶ月もかけて掘った、ボウル状になっており、後々、陸上競技やサッカーにも使えるそうです。風の影響をうけないため好記録が期待されているとか。建築、建設は、PopulusとMcAlpine。前述、サッカーのアーセナル、エミレーツスタジアムや、シドニー五輪のスタジアムで有名です。


会場で最も印象的な建物は、おそらくアクアティックセンターではないでしょうか。プール3つが入った、この水泳競技会場は、Stingray(マンタ、エイ)のように優雅な曲線屋根で構成された建築で、実は、この建物の下が、オリンピック来場者の80%が利用するとされるStratford駅からの玄関口となります。建築家は、イラク、英国を中心に世界で活躍する女性建築家、ザーハ・ハディードと、北京の‘鳥の巣’や、ウォーターキューブも手がけた、Arupです。


他に、ポテトチップスの形状を思わせるので、‘Pringle’プリングルとあだ名される自転車競技VelodoromeとBMX競技場。そして雨水の利用などで40%に使用をおさえられる、ハンドボールアリーナなどがあります。会場のシンボルとなる、赤い鉄骨を不思議なバランスで組み上げた、Arcelor  Mittal Orbit(オービット)と呼ばれる114mの塔など、会場内に期間中のみの建築とあわせて全部で8つの建物となります。これら全てが完成しており、もう2011年8月から、London Preparesという呼称で、試験的に競技を行っています。11月17日には、来年年明けに行われる、ダイビングや自転車のテスト競技の切符が売り出されますよ。楽しみです。


◆会場への交通、設備、環境について


Stratford 駅は会場目の前で、地下鉄のほか、地上列車、DLRという電動レールなどが便利です。9月には、この駅にWestfieldというヨーロッパ最大規模のショッピングセンターが華々しくオープンしました。近ちか300店舗が出揃う予定ですが、地域の多民族性を反映して、フードコートも、それはいろいろな食べ物がそろっていて、ここだけでも、すっかりお祭り気分です。来年には、会場内部に入り込んだ位置にある、Stratford International駅に、英国、フランス、ベルギーを繋ぐ海峡列車ユーロスターと同じ線路を, 英国内だけ平行して走る高速列車が、Javlinジャブリン(槍投げ)という呼称で,乗客をユーロスターからリレーして会場内に運びます。市内のセントパンクラス駅からは会場まで7分。乗り換え用のEbbs Fleet 駅からですと18分です。


会場近くには、80年代から再開発が始まって、今ではシティーと並ぶビジネスの中心地となっている副都心、カナリーワーフの高層ビル街や、主に格闘技に使われる世界最大規模の見本市・イベント会場ExCel(エクセル)、ロンドン周辺5つめの飛行場、シティーエアポートもあります。テームズ河南岸グリニッジにあるO2アリーナは、大物アーティストのコンサートで有名ですが、会期中は、‘グリニッジアリーナ‘と名を替えて、体操競技やバスケットボール決勝戦に使われます。


◆選手村について


選手村は、メイン会場、オリンピックパークに隣接し、16500名の選手、審判団らに利用されます。英国伝統のスクエアと呼ばれる広い中庭を囲んで、5から7棟の建物が集まり、それが全部で11造られました。オリンピック後は、すぐ一般家庭用に改築が始められ、2800戸のうち、半数は低価格の住宅として住宅斡旋組織に売却されます。学校も2013年には開校します。


◆オリンピックとパラリンピックの歴史あれこれ


ご存知のように、近代オリンピックは、紀元前776年から紀元393年まで、1200年間も途絶えずに293回も続いた、古代ギリシャの神々に捧げられた競技に由来します。ゼウス神を祭ったオリンピック競技会で有名なオリンピア平原のある古代都市国家エリスをはじめ、アテナ女神を祭ったアテネのパナテナイア競技会など、複数の古代ギリシャ都市で開催されたイベントは、スポーツでけでなく、文化的な祭典でもあったそうです。近代オリンピック憲章にも、文化とスポーツの融合、との一節があります。ロンドンも、それを意識して、文化面でのイベントが、もう3年来続いていますが、いよいよ盛り上がりをみせて、来年6月の夏至をピークに、全国で、いろいろなイベントが開催されます。


1898年アテネ大会から始まる、近代オリンピックの創始者、フランスのクーベルタン男爵は、そもそも1850年から英国中西部の小さな町で、今も開催され続けているMuch WenlockOlympiadウェンロック・オリンピックという競技会を訪問して、国際競技会開催を決意したのだそうです。


また、現在では、オリンピックの二週間後に開催される、パラリンピックも、英国発祥です。今では、オリンピックに次ぐ世界第二のスポーツの祭典は、もともとロンドン西方の、Stoke Mandevilleストークマンデビルという小さな町の病院で、第二次大戦後の負傷兵のリハビリのために始まり、第二回からオランダ兵が加わったのだとか。これを誇りに思う英国では、パラリンピックに対する期待も大きく、テレビも全試合放送権を
めぐって、BBCと民放チャンネル4が争奪戦をし、民放が権利を獲得しました。元来、バリアフリーの徹底した国、英国。人権を謳った最古の書類マグナカルタ、議会政治、民主主義、奴隷解放など、いつも新しい、人にとって大切なものを考えてきた英国が、近代オリンピック第三十回目にして新しいオリンピックの指標を提案しています。


30回開催のうち、3回も開催するのは、実はロンドンだけで、ずるい、と言われそうですが、第4回にあたる1908年は、ベスビオ火山の噴火で開催不可能になったローマのピンチヒッター役。この時、古代オリンピックにはなかった種目であるマラソンで、それまで毎回異なっていた走行距離に、26・2マイル、42・195kmという半端な距離が採用され、その後1924年以来定着します。理由は、出発地点のウインザー城で、東庭園にスタートラインが設定されたのですが、直前になって城内の構造に関る問題が浮上し、結局ゴールのホワイトシティーのスタンド正面まで、おまけの距離が増えてしまったのだそうです。その次は、1948年。大戦直後の食料すらままならない頃です。既存のウェンブリーが会場として改築されました。今は、新しいサッカースタジアムに生まれ変わっています。三度目の正直?今回、やっと準備して、ちゃんと行えるわけですね。


2012年ロンドン五輪のマスコット、ご存知ですか? 2匹の目玉親父みたいな。彼らの名は、ウェンロックとマンデビル。前述の、オリンピック、パラリンピック創設に関った町の名です。ロンドン東部下町の、鉄鋼所や工場が多かった歴史にちなんで選ばれた、これらのキャラは、実は、鉄鋼の破片なのです。いかにも、イギリス人らしいなあ、と笑ってしまいました。


今回、ロンドンにいながら、オリンピックに関するお話を、日本の皆様にご紹介させていただく機会をいただけましたことを、大変喜ばしく思っております。ここ英国では、在英日本人、日本に関心を寄せるたくさんの方がたが、3月11日の東日本大震災発生以来、被災された皆様に、何とかお力になれるよう、組織や、個人レベルで様々な努力を続けてまいりました。ささやかながら、私も、先ずは日本語ガイドとしてできる事として、これまで数回チャリティーガイドツアーを行ってきました。美術館の解説や、歴史ある地区のウォーキングツアーなどです。この冬には、古今のオリンピックにまつわる話を披露しながら、関連地域をご案内する、
オリンピック、チャリティーウォーキングツアーを企画しています。