2011年04月 アーカイブ

2011年04月28日

【Webラジオ】4月28日(木)アメリカ ニューヨーク

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4/28(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポータ、佐藤めぐみさんからの報告です!

毎週さまざまなイベントや話題でつきないニューヨーク、
今夜はオバマ大統領のための資金集めパーティが3カ所で行われました。
オバマ大統領はそれをはしご。
おかげで今日のマンハッタンは午後から交通規制で大渋滞でした。

そして昨日は、やはりセレブが大集合したパーティがありました。
TIME MAGAZINE、世界で最も影響力がある100人、を記念したパーティです。
その100人に選ばれた、STING,マーク・ウォルバーグ、
ブルーノ・マーズなんかがぞろぞろ。。その中に、1人の日本人の姿がありました。
テレビで見た人も多いでしょう?

東日本大震災で被災した、宮城県南三陸町の志津川病院で、
献身的な活躍をしたドクター、菅野武さん。

福島県南相馬市長の桜井勝延さんとともに、タイム誌の100人に選ばれました。
この100人の中には、オバマ大統領も入っているんですよ!

昨日のパーティに招待されてニューヨークに二日間だけいらしていた、
ドクター菅野にお会いする事ができました!
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まだ31歳、
ニューヨーク初めてだけど、ジャズが大好きという
若くてかっこいいお医者さんです。

でも菅野先生はただ招待されたからニューヨークに来ただけではありません。
地元の多くの人から思いを携えてやってきたんです。
今日はその思いを菅野先生にお聞きしたインタビュー、お届けします。

「自分がやったことは究極的には普段の仕事の延長
目の前のことを一生懸命やり続けただけ。
世界的にとりあげあられた事にまだ実感がわかない。
きっと、がんばっている日本人がいっぱいいたところ
僕と言う形ははっきり見える形だったので、代表になったのでは?」

あくまで自分は被災者の代表、象徴のようなもの、というドクター菅野ですが、
あの日の体験は、「普段」とはかけ離れたものでした。
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「大きな揺れがあって少ししてから、無線で大津波警報が出まして、
高台に上がってください。高い建物ではより上のフロアに上がってください、
というのが出ましたので、少しずつ病院の中の方、外からの人達を上のフロア、
最上階は5階なんですけれど、誘導して行ったんですね。
地震から30分くらい、津波警報から20分くらいしかなかったんですけれど、
大きな津波が来まして、上がりきれなかった方々が
波に持って行かれてしまったんですね。自分たちも死を感じたんですけれども、
その中で思ったこととしては、「これ以上後悔したくない、
既に多くの人が死んでしまっていたので、これ以上誰にも死んでほしくない」
という気持ちが強くありまして、みなさんいっしょにやってくれた
スタッフの人達と、気持ちをひとつにして、助けが来るまでがんばりましょう、
ということで二晩過ごしたんですね。」

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電気も点滴もない二晩は本当につらかった、という菅野先生。
3日目にヘリで救出されて、ようやく家に帰った数日後に奥さんが
二人目の子どもを出産。
またその数日後には病院に戻り、仮設の診療所と多くの
医療支援チームのリーダーとして、被災者の診療にあたってきました。
そこに飛び込んで来たのが、タイム誌からの招待状でした。

「インビテーションが来て、周りの人たちにいうと、
被災した人の言葉を直接聞きたいひとはたくさんいる。
そうでないと伝えられない事はたくさんあるから、言って来なさいと
後押ししてくれる人が多くて。応援してくれた
自治医大のメンバーもそうですし、今所属している東北大の教授も、
「ぜひ言って来なさいと、あなたにしかできない体験があったのだから、
それを伝えることで何か変るかもしれないから」と応援をいただいて、
こっちに来ようと思いました。」
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ニューヨーク、という世界に発信するメディアの中心地で、
世界の人に伝えたい思いがあります。

「まだ災害は終わってないです、ということですね。
ニュースに乗らなくなってきちゃっているんですけど、
ダメージは残っていますので、まだまだ見ていてほしいというのが一番、
もうひとつは、僕らは自立に向けて一生懸命前を向いています。
ただ心の休憩も必要ですし、援助もまだまだこれから必要ですので、
そういう意味でご協力をお願いします、という2点かなと思います。」

菅野先生の気持ち、ニューヨーク、そして世界の人に届いたと思います。
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菅野さんは実は志津川病院での勤務契約を終え、
現在は東北大学病院消化器内科大学院博士課程所属。
でも、心のつながりがある志津川病院にはこれからも通い続けると言います。

そんな菅野さん、ニューヨークに来てとてもよかったとおっしゃっていました。
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「大きく癒されました。ひとつは当たり前に生活しているところそのものですね。
人間が人間として普通の生活をしているところが。これが普通なんだな。
これを目指していかなければいけないんじゃないかなば、と思いましたし、
芸術があって音楽があって、私たちの心がリラックスする時と
緊張することがあるというのが、人間の生活なんだな、とすごく感じます。
緊張ばっかり続いてて、不安ばっかり続くのはやはりイレギュラーなんですよね。
とてもそういう状況は続かないですし、やがて疲れが出て来てしまうので、
日本人全体、どこかでもう一回一息つきたいし、笑顔を取り戻せる時間が、
復興ということが達成される日まででは長過ぎるので、
一回笑顔をとりもどしながら、笑いながら。。。笑いながらというのは
難しいですけれども、少しリラックスも交えながら
少し前にでるというのが必要だと思いますし、
僕も音楽が大好きなんですね。ジャズ大好きですし。
ジャズバンド大学でもやってたんですけれど。
涙でますよ、被災地でずっと音のない中、人の咳の音ととか
苦しがって休んでいるところに、ピアノの音が流れて来たりとか、
人の歌う声が流れて来たりとかすると、感動します本当に。
被災者の皆さんの中に入った時には、
みんなもう少し休んでいいんじゃないとか、音楽聞いてる? 
テレビ見てる、新聞どう? 
もっとこう、いろんなことを感じていいんだよ、と。
それこそラジオもそうですし、音楽を聞いていっしょに歌って、
心やすらぐ時間をもちながらもう一回自立に向かって一歩すすめるといいね、
という話ができるかもしれないですね。今までの僕にはなかった余裕です。
ここに来てよかったと思います。」


菅野先生は、ニューヨークでたくさん行われているチャリティーコンサートも、
募金のためだけでなく、被災地にも音楽をもってきてほしい、と
おっしゃっていました。
先週インタビューした ジャズピアニストの秋吉敏子さんが、
夏に東北ツアーに行かれるそうですよ、とお伝えしたら、
「僕、秋吉さんも大好きなんですよ」とうれしそうに答えてくれました。

菅野先生の言葉と気持ちが、今度は被災地のみなさんに届くように、
そして、被災地のみなさんが少しでも休んで、いやされるように、
心から願っています。
そのために、私達も今できる事を続けていきましょう!

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Takeshi Kanno, M.D.
©2011 GION for SAVE JAPAN BENEFITS

佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers

2011年04月27日

4月27日(水)イギリス

今日は英国政府観光局公認ガイドをされているライト裕子(らいとひろこ)さんのレポートです。

個人旅行をメール(hiroko@tourguide.org.uk)で承っています。

バッキンガム宮殿、大英博物館、ナショナル・ギャラリー、ロンドン塔、ウエストミンスター寺院などを案内をされていらっしゃいます。

他に、映画のエキストラで、ハリウッド映画(ロンドンロケ)で、

ダスティン・ホフマンや渡辺謙と競演したことがあります。

テレビ番組スカパー旅チャンネルヨーロッパの歩き方ロンドン裏道探訪のナビゲーター。

英国王室絵画コレクションについての本を出版予定です。

ブログ
http://hirokowright.blogspot.com/ 
HP www.tourguide.org.uk


4月29日金曜日、ウイリアム王子とケイト・ミドルトンさんのロイヤル・ウエディングが行われます。
ロンドンのウェストミンスター寺院で行われる結婚式には、
家族や友人、海外の首脳や外交官、兵士、慈善事業の関係者など約1900人が招待されています。
そして、世界で20億人、世界人口の3分の1の人がテレビを通して、この結婚式を見ると見込まれているのだそうです。

2人のことをちょっと復習しておきますと、

ウイリアム王子は1982年6月21日に、チャールズ皇太子とダイアナ妃の長男として生まれました。
公式の称号は“His Royal Highness Prince William of Wales”(ウェールズ大公息ウィリアム王子殿下)。
王族であるため姓は持ちません。学校などで必要がある場合は「マウントバッテン・ウィンザー」を姓として使用します。


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ロンドン西部にある保育所や幼稚園に通い、小学校はバークシャーのルドグローブ小学校に通いました。
ウィリアムは小学校に通学した最初のイギリス王子なのだそうです。
中学・高校は、イートン校で学び、大学はスコットランドのセント・アンドリュース大学に入学しました。

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ケイトこと、キャサリン・エリザベス・ミドルトンは、1982年1月9日、パーティグッズの販売会社経営の父と元客室乗務員の母との間にバークシャーで生まれました。
父方の家系はヨークシャーで商業的に成功ていましたが、母方の家族はダラムの炭鉱労働者でした。
「ケイト」は「キャサリン」の愛称ですが、彼女の場合、王室との絡みでマスコミに登場するまで、周囲から「ケイト」と呼ばれた事はありません。
中学・高校はマールボロ・カレッジに通い、セント・アンドリューズ大学に進学しました。

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大学在学中、学友としてウィリアム王子と知り合います。
大学で開催されたチャリティー・ファッション・ショーでこのドレスを着たケイトにウイリアムが一目惚れし、交際が始まりました。
このドレスは今年3月にオークションにかけられ、7万8000ポンド(約1000万円)で落札されました。
2人の関係が公になったのは、2004年ごろで、ウィンザー家毎年恒例のスキー旅行にケイトが同行したことで、「未来のプリンセス」として取り上げられました。

大学卒業後、2006年にウイリアム王子はサンドハースト陸軍士官学校に入学し、訓練の後、空軍の救難ヘリコプターのパイロットになりました。
ケイトは大学で美術史の学位を取得後、ファッションブランド「ジグソー」のアクセサリー部門のバイヤーをしていましたが、
翌年には退職し、以降は両親の経営するオンラインのパーティー・グッズ販売会社を手伝うなどしていました。

2007年4月、英大衆紙がウィリアムとケイトが破局したと報じました。
破局の一因として、中流階級であるケイトおよびケイトの母親の言動を挙げ、階級差を指摘し王室に相応しくないと報じるマスコミがありました。
別の英大衆紙は、エリザベス女王が「結婚の意思がないのなら急ぐべきでない。ダイアナ妃の二の舞になる事を望んでいない。」とウィリアムに忠告したと報じています。

同年7月1日に行われたウィリアムとヘンリー王子主催の故ダイアナ妃の追悼コンサートに姿を見せますが、公式には復縁の発表はありませんでした。

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昨年10月、二人は旅行先のケニアで婚約し、11月16日、王室より正式に公表されます。
婚約指輪は故ダイアナ元妃のもので14個のダイヤモンドに縁どられたサファイアでした。

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婚約時のドレス(Issa London)のレプリカは、スーパー大手のテスコがオンラインで販売(16ポンド)。販売開始1時間で完売しました。

また、婚約指輪に使われているサファイア人気が沸騰、様々なレプリカが国内外で飛ぶように売れました。


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ダイアナ妃の指輪を実際に作成したガラード(http://www.garrard.com/home/)でも、同じ指輪を買うことができます。

指輪の値段は、チャールズが購入した当時が£28,500
で、当時の為替は400円以上でしたから換算すると推定
JPY13,000,000くらいでは? 現代のお値段は、£250,000と
報道されているようですね。今は円高で132円くらいだから、33百万円くらいでしょうか。

これ、Daily Mailの記事ですが、このレプリカが£6で
爆発的な売れ行きのようです。デパートの売り上げ記録
更新中とのことです。
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1378800/Royal-Wedding-2011-Kate-Middletons-6-ring-replica-boosts-record-sales.html

さて、明日、ケイトさんがどんなウエディングドレスを着るかは、当日まで秘密です

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ケイトは健康的で上品なファッションで、世界各国のメディアで話題なっています。
婚約発表後は、英国発を基本に、Burberry、Issa London、Reiss、Whistlesなどの高級ブランドから
誰もが手の届くハイストリート・ブランドまで、英国ブランドPR大使として英国ファッションの普及に貢献しています。

ケイトが公の場で着た服のブランド名が数時間後にはインターネット上で判明し、売上は急上昇という状況が続いています。
このバーバリー・コートも翌日完売しました。


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ケイトは、結婚式の前夜、バッキンガム宮殿に近い5つ星ホテルのゴーリング・ホテルで家族と一緒に過ごします。
最上階にあるスイートルームは、ケイト一家の宿泊に先がけ、ホテルは15万ポンド(約2000万円)をかけて改装されたのだそうです。

ウエディング・ドレスは、英国人デザイナー、ジャスパー・コンランやAlexander McQueenのサラ・バートンなど様々な憶測がなされていますが、当日まで秘密。
結婚指輪はウェールズにあるClogau Gold社のセント・デービッド鉱山から採掘されたゴールドを使用したリングの予定。


結婚式当日のスケジュールは、

挙式が行われるウェストミンスター寺院で午前8時15分から招待客の受け付けを始め、11時から式を開始。

新郎側の付き添い代表であるベスト・マン
ウィリアム王子の弟、ヘンリー王子

新婦側の付き添い代表であるメイド・オブ・オーナー
ケイトの妹、ピッパ

新婦の付き添いブライズメイド
ルイーズ・ウィンザー(7歳、エリザベス女王の三男、ウェセックス伯爵の娘)
マルガリータ・アームストロング=ジョーンズ(8歳、リンリー子爵の娘)
グレース・バン・カッツェン(3歳、ウィリアム王子の友人 ヒュー・バン・カッツェンの娘)
エリザ・ロペス(3歳、カミラ夫人の娘 ローラさんの娘)

教会内で聖書を祭壇まで運ぶページ・ボーイ
ウィリアム・ロウザー=ピンカートン(10歳、ウィリアム、ヘンリー両王子の個人秘書 ジェイミー・ロウザー=ピンカートンの息子)
トム・ペティファー(8歳、ウィリアム、ヘンリー両王子の乳母ティギー・ペティファーの息子)

式を終えたウィリアム王子とケイトは馬車に乗ってバッキンガム宮殿へと向かい、
午後1時25分にエリザベス女王や他のロイヤルファミリーと共にバルコニーに立つ予定になっています。.

バッキンガム宮殿で、祖母エリザベス女王主催のパーティー(出席者600人)が開かれ、
夜はチャールズ皇太子主催のディナー(出席者300人)も予定されています。

ウエディング・ケーキはレスターシャ―の菓子職人、フィオナ・ケアンズさんが制作する伝統的なフルーツ・ケーキ。
マクビティ社のチョコレート・ビスケット・ケーキも制作される予定です。

総額は1000万ポンド(約13億6400万円)に及ぶとも言われる結婚式の主な費用は、王室及びミドルトン家が持つとされています。
しかし、当日の警備や道路封鎖、道路清掃などにかかる費用は国や地方自治体持ちで、
ロンドン警視庁筋によると、警備費用は昨年のローマ法王渡英時とほぼ同じ、500万ポンド前後になるとみられます。

【webラジオ】4月27日(水)イギリス

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2011年04月26日

【webラジオ】4月26日(火)ロシア・モスクワ

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2011年04月25日

【webラジオ】4月25日(月)イタリア・トリノ

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2011年04月23日

4月25日(月)イタリア・トリノから野村智子さんのレポートです。

今日はイースターの月曜日ということで、こちらでは休日です。

復活祭のあとの月曜日は、通常みなお休みなので、一般的に庭や川、山などに行ってバーベキュー、ピクニックをするのがお決まりです。

この時期は風も強いので、山火事には注意です。私たちなど多くのパティッスリーは今日もイースター当日もお店を開いています。

みながバーベキューをし、デザートにお菓子を食べるので、お肉屋さんとパティッスリーはフル回転です。


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150周年祭については、始めの年ということもあり、地域でかなり温度差があるようです。テレビではゴールデンアワーで有名人が集まって生番組を構成していたようです。

私の住む村でも国旗があちこちではためき、村の企画による歴史についての講話などがいくつも催されていましたが、まだお祭り自体浸透していない感があります。


サッカーのワールドカップの盛り上がりにはまだまだ追いつけませんね。

近くにあるトリノはこの歴史に大きな一役をかっていますので、街の飾りつけも結構凝っているようでしたが…。

イースターはそもそもイエス・キリストの復活を祝う宗教行事なので、イースターそのものとイタリアの国家行事である150周年祭が結び付けられることはありません。

ただ商業的にはイースターと150年祭が同時期なので、結び付けてしまう店もあるかもしれません。現に、チョコレート製のイースターエッグをトリコロールで飾って売っている菓子店もあるようです。ちなみに当店では、イタリア国旗のを出してはいましたが、そのあたりは別物と考えています。各パティッスリーは毎年イースターのカラーを決めて、お菓子などの包装をその色で行います。チョコレートエッグを包む布、飾りのリボンなど。当店では今年はピンク、昨年は黄色とオレンジでした。

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ちなみに国旗といえば、募金箱の横に日の丸も置いてます。


卵 イースターはキリスト教の復活祭ですが、卵は墓とそこから出て復活する命の象徴とされています。

ウサギがイースターと結び付けられることについては宗教とは関係なく昔から多産の象徴、つまり命の象徴だったということと、他にはドイツの民話からきているようですね。あるおばあさんが子供たちが探して楽しむようにと庭にイースターエッグをあちこち隠しておいて、ちょうど子供たちが来たところに野生のウサギが通りかかったため、子供たちはウサギが卵をもってくるんだと信じるようになったというお話。イタリアではウサギはメインキャラクターとしてはでてきませんが、イースター、また春を彩るキャラクターとしては他の商品と一緒にそこここの店先に並べられています。


北イタリアのスイーツは、すぐ近くに国境のあるのフランスとはかなり違っています。フランス菓子は日本に馴染みのある、大きなケーキを切り売りしているものですが、こちらはプチシュークリームがメインです。シューの中に、カスタードクリーム、チョコレートクリーム、ザバイオーネクリーム、ピスタチオやノッチョーラなどなど、あらゆる味のクリームを詰め、いろいろなデコレーションを施してあります。パティシエの腕の見せ所は、このシュー側。いかに小さく、美しく、おいしく焼き上げるか。大きさでは、ちゃんと味わえるように小さすぎず、でもいろいろな味が楽しめるようにできるだけ小さく。そのサイズを常に保っていなくてはいけません。

もちろん手作りですので、多い日には5000個以上焼き上げなくてはなりません。
イースターのスイーツについては、様々に彩られたチョコレート製の玉子、これの多くは
子供にプレゼントするために中にサプライズのおもちゃなどが入っています。

恋人などにプレゼントするために中に入れるプレゼントを持参なさる方もいらっしゃいま
す。味はビターが主流です。卵は砂糖でできた花や鳥などでデコレーションしたものもあります。お菓子屋さんによってデッサンも違ってくるので、見ていておもしろいところだと思います。また、コロンバという鳩の形をしたお菓子があります。

生菓子ではない日持ちするパウンドケーキのようなもので、中にオレンジの皮の砂糖漬けが
入っているものが伝統的です。
クリスマスにも似たようなお菓子がありますが、それにはレーズンを加えたり、またチョコレートチップの種類があったりと様々です。


味自慢です。主人はかなり若いころから修行を始め、職人気質というか完璧主義というか、イタリアには似合わないどちらかというと日本人の仕事ぶりで、美味でないなら作らないほうがまし。という感じで毎日味を守っています。最近ジェラートも始めましたが、こちらのレシピも確認に確認を重ねて、喜ばれています。近隣の村だけではなくトリノ方面からきてくださる方々もいらっしゃいます。


最後に大震災の後、店で募金活動を始めました。小さい店ですし、一月に合間をぬって何とか帰省したばかりで、日本に帰る余裕がいろいろな意味でなくて、何もできない・・・と自分を責めているところへお客様がお悔やみや勇気づけの言葉を下さいました。小さい村なので私が日本人ということも知れ渡っていますので、日本について心配してたくさんの人たちが駆けつけてくださいました。せめてこれらの言葉を届くべきところへ届けなければと、こぶたの貯金箱の横にノートを置いて、日本へ届けとメッセージを書いていただいています。


野村さんのお店のブログです。
http://pasticceriaget.side-story.net/

2011年04月21日

【Webラジオ】4月21日(木)アメリカ ニューヨーク

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4/21(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポータ、佐藤めぐみさんからの報告です!

NY街路樹にも緑が萌え始めました。

日本はGWが近づいていますね、NYも今週はホリデー気分、
週末日曜がキリスト教のイースターサンデー
ユダヤ系のニューヨーカーは、パスオーバーというホリデーがありました。

そんな中でもニューヨーカーの日本への愛はとまりません!
日本のためのチャリティーイベント、今週もたくさん行われています。
毎週お伝えして来たSAVE JAPANの動き、今日はそのフィナーレ。

ニューヨークといえば、ジャズ!
ニューヨークのダウンタウンにあるライブハウス、「ブルーノート」ご存知ですよね?

このブルーノートがジャズで日本を支援しようと呼びかけたところ、
もう大御所から若手までが次々に手を挙げました。すごいメンバーです。
マッコイ・タイナー、ロン・カーター、ジョン・スコフィールド、マデリン・ペイルー、
ロイ・ハーグローブ、パキード・デ・リベラ。。。(まだまだ続く)
そして国宝級の日本人ジャズピアニスト、秋吉敏子さんまで全部で15組が,
ハイライン・ボールルームで4時間にわたって次々に演奏。

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これだけのメンバーが一度に見られるライブなんてまずありません。
まさにジャズの紅白?にニューヨーク中の音楽ファンが押し寄せました。

なぜこれだけのメンバーが日本のために集まってくれたのか、
実はそれには理由があります。
今日は「BLUE NOTE JAZZ BENEFIT」をレポートします。

めったに見られない大御所と若手のジャズのトップスターが大集合した
超ぜいたくなライブはもちろんソールドアウト。開演前、会場の前には長い列ができました。

「こんなに豪華なラインアップで、しかも日本のために何かできるなんて、
素晴しいイベントだ。見に来ない方がおかしいね」

お客さんにとっては、大好きなジャズミュージシャンの演奏を一度に見られる
まさにドリームコンサート。

ハイラインボールルームは、広いホールでテーブルでお酒や食事を楽しみながら
ライブが楽しめるんですが、カップル、グループ、家族づれ、
若者から年配、人種国籍もさまざま、日本人お客さんもけっこう見かけました。

ドリームコンサートという点では実はミュージシャン同士も同じ、
めったに顔をあわせない同士「ひさしぶり」と抱き合ったり
「子供たちは元気?」なんて会話が飛び交って、まるで同窓会のような暖かい雰囲気。

その様子をピアニストのマイケル・カミロはこんなふうに語ってくれました。
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「今夜は伝説に残る夜になるだろう。このメンバーが同時にニューヨークにいて、
同じステージに立つなんて、とても珍しいことだからね。
何より会場のバイブが素晴しい。みんなが「シェアする」気持ちになっているからだよ。
誰も自分の事を考えていない。日本のため、という事を考えている。
だから僕も参加したいと思ったんだ。これから心をこめて演奏してくるよ。

そういって楽屋を去っていったマイケル・カミロは、感動的なピアノソロを聴かせてくれました。

そのマイケルのちょっと前にステージに立ったのは、
秋吉敏子さんとハズバンド、ルー・タバキンのカルテット。
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1956年に26歳で渡米してから、ずっとアメリカのジャズの第一線で活躍して来た
秋吉さんも、いつものパワフルなソロにいっそう力がこもっているように聞こえました。

秋吉さんともお話する機会がありました。
長いキャリアの中で、東北をツアーしてまわる機会も多かった秋吉さん、
震災の知らせを聞いた時には

「仙台には自動車の部品を作る工場があって、
その中にコンサートホールがあるんですね社長さんが非常に音楽がお好きで。
社員のみなさんが大丈夫だったということだったので、それを聞いてほっとしました。」

実は秋吉さんは、この夏、チャリティコンサートで東北を訪れることを決めています。

「ルーと二人で8月に、岩手で、北海道でライブをやる予定だったのですが、
それがもし中止にならずやるなら、出演料は全部さしあげますから
何かの役に立ててください、と連絡したんです。
そうしたら陸前高田でもチャリティーコンサートをやることになり、
もうどうぞどうぞ、と言うお話をしました。」

もうひとつ、秋吉さんの曲「HOPE」は今この災害を受けて、
日本の様々な場所で演奏されたり歌われたりしています。

「東京の知り合いの方からも連絡があり、HOPEを演奏してよろしいですか? 
と聞かれたので、光栄です、どうぞどうぞ、とお返事しました。
あれは「ヒロシマ、そして終焉から」というとても長い曲のエピローグなんです。
そこだけ独立したようになっていて、谷川俊太郎さんが詩をおつけになったので。
こういう時に他の人が演奏してくださるのは本当にうれしいですね。」

秋吉さんが曲にこめた思い、今多くの日本人がシェアしているのかもしれませんね。
秋吉さんはこの夜だけでなく、ニューヨーク近郊でもいくつもの日本のための
チャリティコンサートに招待されています。
自分の音楽でお客さんが集められるなら、とすべて受けていると言っていました。
どれもアメリカ人が主催するイベントで、アメリカ人の気持ちの暖かさ、改めて感じました。
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そして、何よりニューヨークのジャズミュージシャン、ジャズコミュニティは、
日本に特別な思いがある、と語ってくれたのは
ラテンジャズのサックス、そしてクラリネットプレイヤーのパキート・デ・リベラ
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「私の名前はパキート・デ・リべラ。
日本には何度も招待されていて、日本が大好きだ。
今夜ここにマッコイ・タイナーやマイケル・カミロ、ロバータ・ガンバリーニ、
これだけのミュージシャンが集まり、すごい数のお客さんが集まったけれど、
私は全然驚いていないんだ。
だって日本のためだろう、当たり前だよ。
日本はこれまで長い間、ジャズという音楽を愛し、どこよりもサポートしてくれた国だ。
その日本が我々の助けを必要としているんだから、助けるのは当たり前だと思っている。
日本人はとても勇敢で強い国民だ。
世界の人の助けをかりて、きっと再生すると信じているよ。」


パキートだけでなく、自分たちの音楽を愛してくれる日本人に対し、
今自分たちが何かできることがうれしい、
他のミュージシャンたちも口々にそう言ってくれました。

日本とニューヨーク、ジャズという音楽を通じて、こんなに深くつながっていたのか、と
改めて知る事ができた一夜でした。

< photo by Kosuke Furukawa >

佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers

4月20日(水)のフラワーリポーターは、ポルトガルに住んで11年の、菅知子さんです。

●ご職業
占星術家。その他、ファド歌手、通訳、翻訳、取材コーディネーターなどもされていらっしゃいます。

                        
●ポルトガル・アヴェイロ、どんな町?
アヴェイロ(ポルトガル語でAveiro)は、ポルトガル中部地方にある都市で、
アヴェイロ県の県都である。大西洋岸に位置し、ポルトガルにおける重要な漁港がある。
また、小さな魚や貝殻の形をした白い皮の中に、黄金色の卵黄クリームが詰まった
オヴォシュ・モーレシュでも有名である。
また、アヴェイロの歴史は、イタリアの海港都市ヴェネツィアと同様に、
海を克服してきた「潟」の街でもあることから、しばしば、「ポルトガルのヴェニス」とも呼ばれる。

                                 
●ポルトガルの経済破たんの問題・・最新状況は?
一時ストなどもありましたが現在は落ち着いてます。

                           
●新聞やニュースの報道では、その深刻さが伝えられていますが、
実際のところどうなのでしょうか。現地のメディアの伝え方、
ポルトガルにいる、生活者の方々様子は?                                    
破綻に至ったことは大ニュースですので当然大きく報道されていますが、
経済自体はここ何年か悪化する一方で、ひどい閉塞状態が続いていましたので、
むしろやっとこれを契機に立ち直れるのではないかと思います。
生活者の様子はいつもと変わりません。
                      
                              
●「この時期に経済破綻・・・。この国の庶民は本当にお金がなく、生活は大変。
けれども人々は大らかで優しく、互いに助け合い、抱きしめ合い、笑顔で暮らしている。
こんな経済でも世知辛さはかけらも漂っていない。」とは、知子さんの<ツイート>の言葉、
どの様な時そのように感じますか?                                                       
たとえば、バスや電車の乗り降りなどのとき、身体の不自由な方、
荷物をもったお年寄りなどに対して、周りにいる人がごく当たり前に手を貸します。
公共の場で赤ちゃんが泣けば、迷惑がるどころか、周りにいる人が一緒にあやしてくれます。
                             
街を歩いていて、知らないおばあさんに呼び止められ、
『足が悪くて不安だからあの薬局まで一緒に付き合ってくれないか』
『この荷物をあの家まで運ぶの手伝ってくれないか』と言われたこともあります。
手伝って差し上げると、お礼にコーヒーをご馳走してくれたり、畑のキャベツをくれたり。
困っている人が遠慮なく助けを求められること、助け合い、与え合うことが、
福祉やボランティアという制度ではなく、日常であることの豊かさ。
                                
                                  
●24日はイースター!ポルトガルの皆さんはどのように過ごすのですか?
御休みの計画は立てていらっしゃいますか?
                                
家族親戚が集まり、イースターの伝統的な料理やお菓子を食べます。
そんななか、地域の教会の神父さんがキリスト像をもって各家庭を訪問し、
祝福の儀式をしてくださいます。
教会離れが進む現代では、バカンスに出かける人も多いですが、
最近は不況なのでそれも減っているようです。
私自身は特に予定なく家にいます。
                     
                     
●占星術家・知子さんのご視点?!で今後のポルトガルの展望を・・・
                             
ポルトガルという国は星座でいうと魚座なんですね。
EUへの支援要請が公表されたのは、魚座の守護星である海王星が、
4月4日に150年ぶりに魚座に戻った二日後でした。
6月には木星が経済を司る牡牛座に入り、この海王星と良い角度に。
海洋国家としての本来のアイデンティティを取り戻し、
経済的にも発展してゆくのではないでしょうか。

2011年04月20日

【webラジオ】4月20日(水) ポルトガル

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2011年04月19日

【Webラジオ】4月19日(火)モロッコ マラケッシュ

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2011年04月18日

【webラジオ】4月18日(月)メキシコ

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2011年04月14日

4/14(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポータ、佐藤めぐみさんからの報告です!

ニューヨークもようやく花の季節、
毎年お伝えしている、マンハッタンの街路樹の桜にちょっと似た白い花、
DOGWOOD ハナミズキが満開になっています。
気温も少しずつ上がってきました。

そんな中、ニューヨークでは日本が震災から1ヶ月を迎えたその日に、
大きな余震があった事なども伝えられました。

このところ、ずっとニューヨーカーが日本を助けようとがんばっている活動、お伝えしていますが、
ニューヨーク市でも独自の募金をやっているのご存知でしたか?
この募金、既に1000万円以上を集めました。
そしてこれに加え、今回は市の職員で希望した人の給与から、
希望の金額を自動で引き落として、日本の被災地に寄付するプログラムが実行されます。
これと同じシステムで去年はハイチの地震被災者に2億円が送られたんですね。

ニューヨーカーに日本を思う気持ち。。。どんなにお伝えしたも足りない気持ちです。
同じ思いを音楽で届けるイベント、
Concert for Japanも 先週末に5回公演を終えました。

オノヨーコ、坂本龍一、ノラジョーンズ、フィリップ・グラス、ルーリード、
そうそうたるメンバーが数十組も出たConcert for Japanシリーズ。
ニュースで知った人も多いと思いますが、
私もこのコンサートを取材しました。

Norah_%C2%A92011%20GION%20for%20SAVE%20JAPAN%20BENEFITS.jpg(©2011 GION for SAVE JAPAN BENEFITS)

実はこのコンサートは、この日本人女性アーティストの強い思いがなかったら、
もしかすると実現しなかったかも。

仙台出身のアーティスト、にしな あやさん。
ご家族は今も被災地で生活されています。

Aya_Nishina.jpg

あやさんと、コンサートの直後お話する機会がありました。
今日はそのインタビューを中心にお届けしたいと思います。

まずConcert for Japanについてお伝えしましょう。
3月27日(日)の初日はオノヨーコ、ショーン・レノン、矢野顕子、チボマットらが出演して
コロンビア大学のミラーシアターで開催。
先週末8日(金)の2つのコンサートは、エイブロンズ・アーツセンター。
ノラ・ジョーンズはじめ、コンサート主催者でニューヨークの音楽シーンのキーパーソンである
前衛アーティストで発起人であるジョン・ゾーンと、仙台出身のにしな あや、
オルタナロックのソニック・ユースら、ニューヨークならではのジャンルを超えた
個性豊かな22組が次々に登場。
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続く9日(土)の最終日は2回のコンサートがジャパン・ソサエティで開催、
フィリップ・グラス、ローリー・アンダーソン、ルー・リード、ビル・ラズウェルなどの
ニューヨーク・レジェンドらが出演。
坂本龍一氏のセットは能の舞とバイオリン、ピアノ、ターンテーブルという
シンプルなセットで観衆を魅了しました。
Sakamoto.jpg


このシリーズほとんどがソールドアウト
そしてニューヨークの音楽関係者を驚かせたのは、
震災からおよそ2週間後に初日というスピードです。
異例の早さで大物が集まった舞台裏には、この人がいました。


仙台出身のアーティスト(作曲家)、にしな あやさん。
このコンサートが企画されたきっかけは彼女自身の言葉だったんです。

あやさんは高校からアメリカに留学、所属レーベル「TZADIK」のオーナーでもある
ジョン・ゾーンとは家族のような関係です。
実はあやさんのお母さんは仙台ではよく知られたピアニストの仁科篤子さん、
障害を持つ子供達を音楽で癒すNPO法人「ミューズの夢」を主催しています。
そのお母さん、そして同じく音楽家のお父さんがこの震災で被災しました。

地震が起ったのはニューヨーク時間の真夜中でした。
「多くの友人からの電話が鳴り続けたため、重大さに気付きました。
家に電話してもまったく通じず、生まれて初めて母と電話が通じないことが不安で。
ひたすらかけなおしました。」

あやさんはあまりの事に呆然としながらも、何かできないかと必死に考えました。

「今何ができるのか考えた時「コンサート」だと思いました。
上司のジョン・ゾーンに電話して、「私は今精神的にいっぱいいっぱいだけど、
とにかくコンサートを開きたい」と言ったらい、ジョンが
「わかった。僕が全部やるから。とにかく演奏してくれる友達のリストを作りなさい」と
言ってくれたんです。」

実はジョンは911の直後や、去年のハイチ大震災の時もいち早く
チャリティコンサートを開いて収益金を寄付しているんですね。

「マネージメントなどは一切通さずミュージシャン同士が結束した結果、
3日ですべてが決まりました。でもミュージシャンだけで宣伝をどうしようか、という時に
日本人のボランティアが結束してくれて、
SAVE JAPAN BENEFITというプロジェクトがたちあがったんです。」

その結果こんなにすばらしいコンサートになり、
お金も、およそ1000万円が集まり、ジャパンソサエティを通じて寄付されます。

「多くのアーティストが参加してくれた、という事自体がメッセージだと思ってい明日。
心細いんですけどその事が支えになっています」


あやさんがコンサートのために書き下ろし、演奏した作品「NOZOMI」は
女性の声をフィーチャーした作品でした。

「「NOZOMI」という曲のタイトルには二つの意味があります。
ひとつは「望み」という言葉の持つ意味そのもの、
もうひとつは、のぞみさんという中学時代からの同級生。
彼女は自分が被災者で、6歳の娘を1人で育てているにもかかわらず、
沿岸地方にセーターを届けるなどの活動をしています。」

故郷と親友を思う気持ちがこもった曲、「NOZOMI」で共演したのは
クラシック、ジャズなど12人のプロ歌手の有志たち。
真っ赤なワンピースに身を包んだ女性たちがステージに並び、
にしなさんの指揮。。。。心をいやすハーモニーが会場に響きました。
Aya_%C2%A92011%20GION%20for%20SAVE%20JAPAN%20BENEFITS.jpg(©2011 GION for SAVE JAPAN BENEFITS)

こうしてコンサートは終わりましたが、あやさんの仕事はまだ続いています。
次のコンサートシリーズも企画しているし、
地元の仙台に、ニューヨーカーたちの気持ちやお金を、
もっとダイレクトに届ける方法を日夜模索しています。

あやさんは最後に、こう語ってくれました。


「被災地の人たちに“がんばって”とは絶対言いたくないんです。
今は一回休んで甘える事が大事だと思うから。
日本人はできるだけ人に迷惑をかけないようにという気持ちが強いけれど、
今回だけは本当に甘えてほしいと思います。
甘えてもらえるように、がんばるのは私たちの方だと思っています。」


時には涙を浮かべながら、一生懸命話してくれたあやさん、

被災地のみなさんに少しでも甘えてもらえるよう、私たちもNYで がんばります!


佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers

【Webラジオ】4月14日(木)アメリカ ニューヨーク

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2011年04月13日

【webラジオ】4月13日(水)のフラワー・リポーターは、タイ・バンコクから、現地に住んで9年、ラジオ番組制作会社代表を務めていらっしゃる石田久巳さんです!

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2011年04月12日

4月12日(火)のフラワーレポーターは、ニューヨークにお住まいになって13年、スポーツ・ジャーナリストをされている「真田薫」さんです!

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スポーツ・ジャーナリストの真田薫さん。
今回はメジャーリーグ、今季の見どころなど伺いました。
●真田薫さんOFFICIAL HP●


4月12日(火)アメリカ NY

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2011年04月11日

【webラジオ】4月11日(月)アメリカ・ピッツバーグ

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2011年04月07日

4/7(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポータ、佐藤めぐみさんからの報告です!

ニューヨークも4月になりました!

このところニューヨークから日本のみなさんを応援するレポートを
毎週お送りしてきましたが、ニューヨークではまだまだ日本を支援する募金、
イベント、毎日のように行われています。

今週月曜日の夜には、
ニューヨークのランドマーク、エンパイアステートビルディングが
赤と白にライトアップされました。

Empire_Japan_1.jpg

日本とニューヨークの友好のしるし。
そして被災した日本の状況をもっと知ってもらいたい、
メッセージもこめられています。
このライトアップはニューヨークだけでなく、
世界7カ国の高層ビルやタワーが参加しました。

一方で、4月になって世界は新しいフェーズに入っています。
メジャーリーグが開幕! (ここでもヤンキースをはじめ
開幕戦では日本のために黙祷も捧げられました)

そして今週、オバマ大統領が二期目への出馬を発表。
次の大統領選まであと1年半。

世界は動き続けています。

そんな中で、今日はそんな世界の動きに連動する
アメリカの子供たちの活動を紹介します。

アメリカの子供たちが今やっていること。
子供たちが折り鶴を折っているんです。
しかも、これはただの折り鶴ではありません。
鶴を折ることで日本のためのチャリティー募金にもなっているんです。

いったいどんなふうにやっているのか? 今日はそれをレポートします。


チャリティやボランティア、言葉の定義は色々ですが、
要するに、助ける、時には助けられる。その動きを通して、
コミュニティが結びつき、人が成長する、
また自分が成功したら感謝をこめてコミュニティに返す、
というフィロソフィーが、アメリカには強くあります。

そして例えば地域のためのイベントを開きたい、
でもお金が足りないからどうしよう!なんていう時に、
お母さんや子供たちがいっしょにクッキーやケーキを焼いて売る、
「ベークセール」はとても人気があります。

クッキー1枚でも、誰かの役にたつことができる。
同じように、折り鶴一個でも、日本を助ける事ができる、という運動がこれです。

折り鶴を折って、それをあるオーガニゼーションに送るだけで、
1個につき2ドルが日本の被災地のために寄付出来るんです。

このプロジェクトをたちあげたのは、
DO SOMETHINGというノンプロフィットのオーガニゼーションで、
その目的は、青少年のボランティア活動をもっと盛んにする事。
全米の青少年のボランティアをコーディネートしたり、
必要な資金を調達したり、時にはその調達の仕方を教えたり、
という、まるでボランティアの学校みたいなオーガニゼーションなんです。
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1993年のたちあげから、これまでに200万人以上の若者が、
DO SOMETHINGを通じてボランティアにかかわってきました。
大企業やセレブも活動を応援しています。
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そして今回、震災直後に立ち上がったプロジェクトが
「PAPER CRANES FOR JAPAN」
日本のために折り鶴を折ろう、というもの。

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プロジェクトを立ち上げた、ベッツィー・ファーストさんに聞いてみました。


<災害の情報が入って来た時、私たちで何ができるか考えました。
子供たちの日本を助けたい、という願いを
どうやって世界の子どもたちとシェアし、同時に形にできるかを考えたのです。
そこで、「千羽鶴」を思いついて、すぐにフェースブックで募集しました。>

その呼びかけに、すぐに全米の、そして世界の子どもたちや学校、
生が反応してきました。

<今の時点でアメリカのほとんどすべての州の学校や子どもたち、
外国ではルーマニアやアフリカ、去年地震で大変な被害を受けた
ハイチからも7つの学校が参加しています。日本から参加している学校もあります。>

フェースブックのページには、見事な千羽鶴がたくさんアップされています。
先週の時点で2万個以上が集まって、まだまだ続々と集まってきているそうです。
目標は千羽鶴100個、10万個の折り鶴で、目標額は20万ドル、
およそ1800万円です。
お金を出すのは、BOZO’S FAMILY FOUNDATIONという基金。
このお金、実際にどんなふうに使われるのか聞いてみました。

<ARCHTECTURE FOR HUMANITYという
ノンプロフィットオーガニゼーションを通じ、
災害地の復興、建物の建築に役立てられます。
建物が完成した後には、作った千羽鶴をそこに飾ってもらいたいと思っています。>
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このARCHITECTURE FOR HUMANITYというのは、
災害や戦争などの被災地の再建で、家や学校などの建築に必要な
「建築家」を派遣しようというノンプロフィットオーガニゼーション。
1999年コソボの戦争難民の仮設住宅の建築のためにスタートしました。
彼らの働きで作られた住宅には、今世界で70万人の人達が住んでいます。

子どもたちは今、再建された建物と、そこで暮らす日本人の姿を思い浮かべながら、
慣れない手つきで一生懸命折り鶴を折っているんです。

papercranes1.jpg


ところで折り鶴の折り方はサイトにいくとのっていますが、
それにしてもこんなに折り紙や折り鶴、千羽鶴の事をアメリカ人が
よく知っているなんて、驚きです。何か理由があるんでしょうか?
papercranes5.jpg


<アメリカの小学校で多くの子どもたちが読む本に、
「SADAKO AND THE THOUSAND PAPER CRANES」という作品があります。
これを読んで私も含めアメリカの子どもたちは折り紙と千羽鶴について学びました>


この作品は広島に実在した被爆者の少女、佐々木禎子さんが、
白血病で亡くなるまで祈りをこめて折り鶴を折り続けた、
そのストーリーをアメリカ人の作家エレノア・コアが
1975年に出版した物語が、今でも広く読まれています。

アメリカ人と日本人の気持ち、ここでも強くつながっていました。


ところでこのDO SOMETHING、他にもさまざまな活動をしています。
たとえば、「読み終わった本を集めて、ハリケーンカトリーナで被災した
図書館の復興に役立てよう。」「使い古したテニスボールを、
アニマルシェルターにいる犬たちのおもちゃとして寄付しよう」


彼らのウェブサイト、DO SOMETHING.ORGに行くと、
こうしたプロジェクトやボランティアが膨大な数アップされていて、
自分の興味のある分野でどんな事ができるのか一目でわかり、
アイデアを提案することもできます。

プロジェクトリーダーのベッツィーさんと話していて痛感したのは、
世界で起こっているどんな災害も戦争も貧困も、助けを必要としている人達がいる、
という意味では同じということ。

ベッツィーさんは

<今の時代、世界で起こっている事はメディアやネットを通じてリアルタイムに、
生々しく伝わってくる、子どもたちはそれを前向きな気持ちで受け止め、
そして何かしたいと思っていて、ネットなどのツールを使って大きな動きに広げて
行く。私はそんな若者を信じている。彼らは何かしたいと思っているのです。>


今の日本はもちろん、世界中で人の助けを必要としている人が本当にたくさんいる、
そういう人達の事を常に考えて行動して行く、新しい世代を育てる事も今とても大切。

そしてこうしたつらい出来事が起きるたびに、
世界中の私たちが少しずつ、お互いにつながっていく、
そしてつながる事で、少しでも苦しんでいる人々が癒され、
世界中の戦争や争いが減っていく事を、若者たちは信じて行動している。
私たちもそれを信じていきたいと思います。

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(折り鶴と子供たちの写真はDo Somethingからお借りしました)

Do Something
http://www.dosomething.org/
http://www.facebook.com/papercranesforjapan?sk=wall


佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers

【Webラジオ】4月7日(木)アメリカ ニューヨーク

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2011年04月06日

4月6日(水)のフラワーリポーターは、アメリカに住んで計25年、金融機関・慈善プログラムマネージャーの福田蘭子さんです!

●恒例のワシントンDCの桜のライブレポート!●
                    
                     
●ワシントンDCの桜は今年も満開になりました。
                    
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National Cherry Blossom Festivalは3月下旬から大規模にワシントンDCで行われます。
3週間に渡って150以上もの催しが続き、多くは日本の文化がテーマとなっています。
今年で日本から桜を贈呈されてから99年がたちますが、
今回は東北大震災のこともあり、いつもと違う意味でこの桜祭りは注目を浴びています。
今年の桜は早めに開花し始めたのですが、開花した後に急に寒くなり雪の降る日もありました。
雨も続き悪天候でしたが、お陰で葉がなかなか出ず開花時期が長引いたような気もします。
催しの多くで日本へのサポートの基金集めが行われていますが、
正式な桜祭りの開会前の24日にワシントンモニュメントのふもとのステージで
Stand with Japanという式もありました。
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24日にワシントンモニュメントのふもとのステージでStand with Japanという式もありました。
       
            
●チェリーブロッサムフェスティバル:イベント詳細
                      
                  
●役に立つ一言
                  
"Stand with..."
…普段、意見が分かれた時にどっちのサイドにつくか示す言葉でもあり、
また、今回みたいな使い方は「支援する」という意味にもなります。

【webラジオ】アメリカ・ワシントンDC

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2011年04月05日

4月5日(火)のフラワーレポーターはアメリカ・ニューヨークから宮本やこさんです。

オフブロードウェイでロングランを続けているミュージカル「STOMP」に、主役の一人としてご出演されている「宮本やこ」さん。
「STOMP」は、デッキブラシやドラム缶などありとあらゆる道具を打楽器にしてしまう日本でも人気のエンターテイメント!あの「STOMP」に、およそ600人の中から選ばれた日本人初のパフォーマーさんが、「宮本やこ」さんです。
また、宮本さんは、TAPと和太鼓を融合させた「鼓舞」というパフォーマンス・グループもやってらっしゃり、現在ハリウッドで「COBU 3D」という映画を制作されていらっしゃるそうです!


COBUの義援金活動の様子です。

【webラジオ】4月5日(火)NY

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2011年04月04日

4月4日(月)アフリカから山田達也さんの情報です。

今日はアフリカから世界を旅する「山田達也」さんです!

残念ながら電話が不通の為、通じませんでした。

※山田さんは、今年の1月から、バイクで、単独・無帰国の世界一周の旅に出られているというスゴイ方なんですね。

※15ヶ月をかけて、世界を周るそうです。

今はアフリカのマリに滞在中だそうです。


「何故、たった一人で世界一周なのか?」と、旅先での企画 

「夢の実現」

この言葉を座 右に一生懸命生きてきた結果、本当に生きていて良かったと言える人生になりました。
全て、オートバイを通じて活動してきたこと、出会った方々のお 陰であり“感謝”の二文字以外に言葉が見つかりません。
レースを引退した後、私自身が社会のため、この地球のために出来ることはなん だろうと自問自答した結果、出した答えがこの「世界一周ツーリングをたった一人で行う」ことでした。
 この経験を通じて、様々な方法で社会にアウトプットして いくことにより、「子供のころの夢」「希望に満ちた人生」という失われつつある現代人の心に、わずかでも光をともしたい、誰もが持つ夢の種火にハイオクガソリ ンを注ぐことが出来たら・・と思っています。


<山田達也さんプロフィール>
■1988年 オートバイレース本格始動(城西フリーウェイ→チームチャウチャウ)
■城西大学卒業後、商社(岡田商事㈱)入社するも 4ヶ月で退社
■オートバイレースが原因で父親(ハゲ頭)から勘当され天蓋孤独に
■バイク便ライダーに転職しオートバイレース活動を行う (KENTレーシング)
■1991年 全日本国内A級ランキング10位(ブルーライトニングRT)
■1992年 全日本選手権参戦・鈴鹿8耐参戦 予選落ち(スポーツライダー)
■1993年 全日本選手権参戦・鈴鹿8耐はメカニックで参加ww(スポーツライダー)
■1993年 個人事業開業・レース休止
■1996年 ティーアールピージャパン(株)設立・レース再開・自分のレーシングチームを結成
(「チームHBD」「TRPチーム YAMADA」)
※事故・大怪我によりレース引退を一時決意
→リハビリ後サーキットへ戻る(1998年冬)
■1999年 全日本選手権参戦/鈴鹿8耐参戦:クラス2位(カワサキ)
■2000年 全日本選手権参戦/鈴鹿8耐参 戦:リタイア(カワサキ)
鈴鹿イベントレース:コースレコード・ポールtoフィニッシュ優勝(ビモータ)
■2001年  鈴鹿イベントレース:コースレコード・ポールtoフィニッシュ優勝(アプリリア)
■2002年 全日本選手権参戦/鈴鹿8耐参戦:リタイア(アプ リリア)
■2003年 長年の怪我の悪化により、オートバイレース引退

<世界ツーリング出発までの経緯>
2004年・レース引退から約1年後、世界ツーリングを発案
・当初は、6年後の2010年(45歳前に)出発の予定を立てる。
・家族に発表(びっくりするも反対なし・ あきらめ?(笑))。友人・知人にも発表する 
2005年・後に引けないように、出来るだけ多くの人にコミットメントする
2006年・情報 収集開始。バイク雑誌・ウェブ等で世界ツーリング経験者の手記などを読む
・経営する会社の事業の多忙にかこつけて出発を一年延期。(2011年1月出発に変更)
2007年・情報収集によいと、知人からインターネットSNS「MIXI」を教えてもらう
2008 年・MIXIで出会った方にから伝えられ、海外ツーリング者を支援する団体WTN-J
(ワールドツーリングネットワークジャパン)の 存在を知る
2009年・WTN-Jの会合で海外ツーリング旅行コーディネーター「道祖神」㈱菊池社長と名刺交換。
・体力作 り開始:ジム・ウォーキング
・12月 道祖神オフィスで第一回目のミーティング
2010年・1月体力作り:ジョギング(週 1~4)
・2月使用マシンをBMWに決定
・BMWモトラッド東京の青木店長と相談しながら世界ツーリング仕様マシ ンの製作を開始
・それまで乗っていたBMW R1200STを下取りに出す
・4月加圧トレーニング開始
・6月納車。シェークダウン・各部テストのため東京~北海道2200Kmツーリングを敢行
・7月当サイトオープン
・10月チャリティプラットホームのジャストギビングに登録。セカンドハーベストと提携。
・10月マシンの船積み(ケニア・ナイロビへ送る)
・12月全国講演会ツアー(福岡・大阪・岐阜・浜松・東京)
・2011年1月1日成田空港22:00発エミレーツ航空EK319便にてドバイ経由でケニアへ!