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7月5日(火)のフラワーレポーターは、オマーンにお住まいになって30年「砂漠に創った 世界一の学校」の校長先生として有名なスワーダ・アル・ムダファーラさんです。

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★スワーダ・アル・ムダファーラ さん


1990年アザン・ビン・ケイスプライベートスクール創立、2010年3月まで21年間校長として活躍、その後引退、現在はLife Coach。
Blog :http://ameblo.jp/suad/
著書:
『校長先生、大好き!』~アラビアのオマーン王国に学校を創った日本人女性の物語~
『砂漠に創った世界一の学校』


◆スワーダさんは、「砂漠に創った 世界一の学校」の校長先生として、世界的に有名ですが、現在のお仕事について教えていただけますか?


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現在は校長職を離れましたが、退職時の生徒数は666名でした。勿論毎日生徒と握手をし、言葉を交わし、生徒を教室に送り込みました。(心のつながり、誰かが自分のことを見守っていてくれると言う、学校と言う集団の中では簡単なようでなかなか、育てにくい心のつながりを大切にしました)

◆「アザン・ビン・ケイス・プライベートスクール」という名前になにか由来はあるんでしょうか?


アザン・ビン・ケイスと言う名前のビンは息子と言う意味でアラブ人の名前には必ずだれだれの息子の(娘のビント)と言うことでケイスの息子のアザンと言う名前です。この名前は19世紀オマーンの首都マスカットの首領の名前です。アザン・ビン・ケイスは非常にイスラムを慕い力強い首領だったそうです。残念かどうか判りませんが、私の提出した名前は却下され、文部省から頂きました。でも素晴らしい歴史に残る現国王の先祖にも当たる方のお名前でお陰さまで、オマーン人で無いスワーダの学校名としては大変イメージが良く、光栄でした。


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◆スワーダさんが、オマーンに住むことになった経緯はなんだったのでしょう?
その前は、どちらにお住いになってたんでしょうか?


1979年オマーンの建国式典に日本から友好の目的で訪ねる使節団に参加し、帰国前日
に皇室担当大臣の方のご自宅で送迎パーティーが行われ、事前に大臣のお子さんと時
間を過ごして欲しいと依頼され、たまたま素晴らしいお手洗いに驚き、しかし温かみ
の無い寂しさを感じ、庭にある草花でお皿に花を生け、その大臣が心を打たれたので
しょうか??? それがきっかけでその後、オマーンの女性に日本の心を教えて欲しい
と再度招待されたのが、オマーンに長居をする結果になりました(笑)


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◆オマーンで、学校を創ろうと思われたきっかけはなんだったのでしょうか?


その後、日本でバツ一のスワーダでしたが結婚の申し込みをされ83年正式に国際結婚の許可が下りオマーンに住みだしましたが、毎日主婦の幸せすぎる生活は自分だけのものではいけないと、幸せを社会に返すことをしなければいけないと思い出した。。。日本は戦時中、植民地を多く作りましたが、日本人は現地の人々に教育と技術を指導、その国々の国宝を奪うことはしなかったとオマーンの人々に言われ、スワーダがいいえ、日本人がオマーンに何か残せること其れは当時、建国10年足らずのオマーンの教育と、私が日本で受けた教育のよさはは比較できるものではありませんでした。“教育”私は日本の教育の良さをオマーンの文化に合わせた教育をしたいと考えたのです。
オマーン文部省の許可、そして資金の調達、5年ほどその下準備をしました。


◆学校を発展させるのに、大事なことはなんでしたか?


良い教育には資金がかかります。オマーンは教育の教育は小学校から大学まで政府の
学校は全て無料で勉強できます。私立学校は、政府の援助は一切無く、両親は月謝を
払います。しかし高い月謝にすることは限られた家庭の子どもたちだけがくることが
出来ます。教育は太くて多数の未来の子どもたち、と言うスワーダの考えで、経費の
かかる学校を如何に維持するか。。。経済的なことが一番大変でした。


◆苦労した点は、どんなところでしょう?


ビジネスはゼロから成り立たせることが出来る。。。これは大きな勉強でした。。。
そこで◎Nothing is impossible 人生に不可能が無い がモットーのスワーダなのです。


◆「日本にも学校を作りたい」とうかがいましたが・・・ 


残念なことにスワーダはオマーン国籍ですので、日本で学校創立はまず難しいことです。しかし日本でどなたかが不登校、その他、子ども達の心の病を解決したい、そんな教育を考えられる方がおられたら是非お力になりたいと思います。子どもたちは未来が有り、多くの可能性を持っていますがとかく大人たちが、その可能性を摘んでしまう傾向が有るように思います。Nothing is impossible ダウシンドロームの生徒や、問題を持った生徒が驚くべき卒業結果を出しました。かたちどった、箱に入った接し方から抜け出した教育環境を作ることがスワーダの経験から非常に大切だと信念を持っています。