「パイプオルガン製作家」の「横田宗隆(よこた むねたか)」さんです。
※横田さんは、スウェーデンで、昔ながらのパイプオルガンの製作や、古いパイプオルガンの復元もされている方で、「スウェーデン国立ヨーテボリ大学」の「オルガン芸術センター」に勤務されてるそうです。
Qこの時期の気候はいかがですか?
この時期は乾燥していて比較的過ごしやすい時期です。
Q早速ですが、横田さんの「パイプオルガンの製作」というのは、どのようなお仕事でしょう?
内容はデザインをする人、制作する人に別れていたりします。
デザインは建築家がデザイン感じ、鍵盤などのメカニズムに関するものは機械工学のエンジニアがする感じ、音楽的なものをデザインするの3タイプに別れていたりします。
実際に作る作業は職人的な作業を必要としています。
オルガン独自の工法もあります。
発音も調整します。
子音が最初に入るんです。言葉とまったく同じと考えていただければわかりやすいかもしれません。そういった調整もします。
多岐にわたる作業があって初めてオルガンが出来上がります。
Qオルガンの歴史は?
紀元前500年ほどの時に発明されたとされています。
その後、キリスト教会に取り入れられたのは中世期頃。
オルガンというのは、当時とすれば、今の宇宙開発と同じような開発の仕方をされていたということで、歴史を通してずっと使われてきた楽器です。
17世紀〜18世紀などの音楽家たちが弾いてきた音にも違いがあるんです。
■横田宗隆さんプロフィール■
78−81 オルガン製作修行(見習い) 於:辻オルガン製作所、神奈川、後に岐阜に移転
81−82 独立 東京
小オルガン(レガール)の製作—上野学園大学所蔵
キリスト教音楽学校講師(オルガン建造法—オルガニストの為の)コンサート調律(首都圏のオルガン)
82−86 渡り職人としての修行、J. Brombaugh and Associates (Oregon, USA)
86−86 オルガン制作家として、チェンバロ製作者、Keith Hillとのパートナーシップ (Michigan, USA)
87−92 オルガン制作家として独立。 Artist in Residence としてアメリカ、カリフォルニア州、California State University, Chico, に奉職。
36ストップの大オルガンを大学の講堂の為に設計製作。今世紀初の現場製作。大学教員、職員、学生、その他市のヴォランティアーなどを使っての中世的製作携帯を蘇らせる。
92−94 14ストップのオルガンを、アメリカ、カリフォルニア州、ユバシティ市、 First Lutheran Church の為に設計、製作。 教会員を使っての現場製作。
94−00 スウェーデン国立ヨーテボリ大学音楽学部客員教授(gueststprofessor at the Göteborg University, Sweden), 17世紀北ドイツオルガン製作研究プロジェクトの音響部門、調査、研究、製作の主任として奉職。
00−現在 2000年に設立された、ヨーテボリ大学内の独立したオルガン研究機関(研究専門機関)にて、古いオルガンの調査、研究、コンサルタント、オルガン研究者や製作者の為のセミナーの為の講師、また、新オルガンの設計、製作を担当して現在に至る。
以下は新築オルガンの詳述:
01−03 ポジティフ(小オルガン)の製作。アメリカ、ニューヨーク州、コーネル大学所蔵
04−06 34ストップ北ドイツ様式オルガンを、韓国、ソウル市、韓国国立芸術大学の講堂の為に製作
05−08 33ストップ中部ドイツ、リトアニア様式のオルガンを、アメリカ、ニューヨーク州、ローチェスター市、イーストマン音楽大学(Eastman School of Music)の為に製作(複製)。
09−10 30ストップ、北ドイツ様式のオルガンを、アメリカ、ニューヨーク州、イサカ市、コーネル大学礼拝堂の為に設計、製作中。
また、94年から現在に至るまで、ドイツ、オランダ、ベルギー、スウェーデンなどの歴史的オルガン(アンティーク)の調査、研究を、各地文化庁の依頼などにより行う。またそれに関する講演をヨーロッパ各国、アメリカ、日本、韓国などで行う。執筆活動にも従事。
■横田さんがパイプオルガン建造家になられたきっかけ、理由をお教え下さい。
バッハの音楽、 とりわけ彼のオルガン音楽には、10代の苦しい時期、心から慰められ、また救われたような気がした。 生来の機械好き、数学、美術、音楽好きを全て総合すると、楽器としてのオルガンに興味を持つようになり、またそれが与えた音楽そのものへの影響の大きさに感嘆した。
家の影響もあって(父、祖父とも銀行員)大学では経済学を専攻し、芸術関係は趣味でやるべきものと、大学も半ば頃までは考えていた。
しかし政治運動で社会を立て直す事にも挫折感を味わい、生計を立てる為の堅実な仕事をすることだけではどうにも気が収まらなかった時、自分が最も興味を持ち、また 頑張らなくても子供の頃から他人よりも自然に得意だったものを合わせたような仕事に自分のもっている全てのものを捧げる事こそ、つまるところ自分が願うような社会に自分が貢献できる唯一の道であるような気がした。そのときオルガン製作は、趣味でなく、職業として遂行すべきであると思えたのである。