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3月29日(火)のフラワーレポーターは中国・四川省にから大川健三さんです。

◆日本では、今、東日本大震災で大変な事態となっていますが、四川省では、2008年に「四川大地震」が発生しましたね。大きな被害となりましたが、あの時、大川さんは、何をされていましたか?


四川大地震が発生した2008年5月12日は朝に成都を発って震源となった場所を60km位通り過ぎてから被災しました。その時私は四姑娘山近くの急な渓谷を自動車で走っていたため揺れは感じませんで、道路際の急斜面から次々に落ちてくる石と向う岸で起きた土砂崩れの土煙を見て初めて地震に気付きました。四姑娘山山麓に住む村の人の話では、揺れが強くて立ってられなかったそうです。不幸中の幸いですが、地震の発生時刻が昼食の後で村の人は家の外で仕事をしていたため皆無事でした。
実は東北大地震が発生した時は、朝に成田を発って成都へ向かう飛行機の中でして、成都に着いてタクシーに乗った時に現地のニュースで地震を知り、また運良く地震から逃れたと思いました。


◆あの四川大地震から3年が経ちましたが、復興への道のりはどのようなものでしたか? 


四姑娘山山麓に住むチベット族の民家の殆どは泥で固めながら石材を積んで建てていますので、震源から60km位離れていますが、壁が崩れたりひびが入って、村の数100軒の家を立て直しました。この復旧には国内外の政府と個人からの多額の援助資金が注ぎ込まれましたので、地震から2年後の昨年までに殆どの民家が建て直されました。


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この時村の人は地震の苦い経験から、従来の泥ではなくセメントで固めながら石材を積んだり鉄骨を入れた柱を使ったりしました。


日本からの民間援助も有りました。地震直後には町田市の市民グループの「わんりー」から沢山の電気毛布が贈られて、村の人が冬を越すのに大変役立ちました。NPOの「Earth Work Society」からは村の診療所に医療器材の購入資金が贈られて、村人から大変感謝されています。
なおこの山麓に住む村人は昔から半農半牧の生活をしていて水にも恵まれていますので、一時的に電気や物資の補給が不十分になりましたが、基本的な生活は維持できました。政府や援助団体からの食糧や衣料の配給も有りました。私自身も屋外のテントで寝泊まりしたり、トイレを使えなくて畑の中で用を足したり、或いは単調な食べ物に不便を感じたりしましたが、慣れてしまって苦にはなりませんでした。


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一方、地震のために道路が彼方此方で通れなくなりましたが、幹線道路は昨年までにほぼ復旧しました。しかし地震の日に私が通ったローカルな道は未だ完全復旧していません。この道は成都からの最短ルートなのですが、深くて急な渓谷に沿っているため、震源近くは山崩れで塞がれてしまい、岩や土砂を取り除いた後も斜面の崩壊や落石が有るため安心して通れません。多額の援助資金が注ぎ込まれていますが復旧工事が難航していて、完全復旧までに後2~3年掛かると言われています。


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◆四川大地震が起きてからの政府やボランティアの対応に関しては、振り返ってみていかがですか?


3年前の四川大地震の時は、政府の大掛かりな援助が素早く始まりました。問題点が幾つか指摘されましたが、全体として見れば驚くほど素晴らしい事だと思います。また被害の少なかった成都などに住む人達が沢山震源地へ出かけてボランティアで救済活動しました。四姑娘山山麓の村の人も、数は少ないですが震源地へ出かけて医療援助活動などをしました。


◆今回、日本で起きた東日本大震災に関しては、どのように報じられていますか?


東北大震災が起きた時は、先ず東京での災害が大きく報道され、それに続いて津波の災害が報道されました。その後原発による災害と経済混乱が大きく取り上げられました。四川は3年前の大地震の記憶が新しく、やっと復興が一段落した所でしたので、一際関心が高いようです。私を知っている多くの当地の人達が日本の人達の安否を気遣ってくれました。これからの復旧にも強い関心を持っています。