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2月9日(水)のフラワーリポーターは、チュニジアに住んで2年、現地で旅行会社に勤めていらっしゃいます遠藤美雪さんです。

◎現地の言葉

基本はチュニジア語を話しますが、たいていの人はフランス語も話せます。
フランス語は小学校3年生から勉強しますが、中学校になると、数学、理科の授業はフランス語で受けます。
最近は小学校6年生あたりから英語も導入されているようですが、フランス語は母語に近く、英語は外国語という感じです。
また、フスハ-のアラビア語はテレビや新聞等で使われています。
学校で学習するので、話せるし、書けると思いますが、日常会話はチュニジア語です。


◎チュニジアについて
北アフリカにあり、地中海をはさんでイタリアと向かい合っている国です。
西は、アルジェリア、モロッコ、東はリビア、エジプトと続いております。

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◎チュニジアの歴史について

チュニジアは、実は世界で6番目に建国した国で、地中海文明を築いたカルタゴが前身です。
そのため、チュニジアには、遺跡がたくさんあります。
紀元前814年、フェニキアの女王エリッサにより町が建設されました。これが、現在のカルタゴ遺跡になります。カルタゴは紀元前8世紀から2世紀まで、海上貿易や農業を中心にして栄え、シチリアやモロッコ、スペイン南部も植民地にしていたことがあったみたいです。
    
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その後の、紀元前4世紀から3世紀のポエニ時代の遺跡としては、ケルクアン、ドゥッガ、ブラ・レジアの遺跡があります。カルタゴ遺跡、ケルクアン遺跡、ドゥッガ遺跡はどれも世界遺産です。

他にも遺跡はありますよ。
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〔ケルクアン、ドゥッガ、ブラ・レジア。
 ドゥッガとブラ・レジア遺跡はロ―マ都市遺跡〕

残念ながら、その後、カルタゴはローマに滅ぼされてしまいます。

また、チュニジアはイスラム教の国です。
650年ごろアラブ軍がチュニジアを襲撃します。北アフリカのイスラム中心地になるようカイロアンにモスクを建てたりします。その後も戦争が続きますが、チュニジアはイスラム教の国になりました。

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ただ、チュニジアは比較的緩やかなイスラム教の国ですね。
全てのレストランのメニュ-にあるわけではありませんが、ワインやビ―ルも飲めますし、女性もスカ―フを頭に巻いている人もいれば、そうでない人もいます。
しかしながら、夏は暑いですが、あまり露出の激しい服装の人はほとんどいません。ご注意ください。

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話は飛びますが、19世紀になると、産業革命により安くていい製品が出回るようになって、チュニジアの製品が売れなくなります。また、海賊がヨ―ロッパ諸国によってつぶされたこともあり、収入が減ります。
結果として、ヨ-ロッパ諸国に多額の借金をすることになり、フランスがチュニジアを保護領とします。現在チュニジアでフランス語が話されているのも、フランスの保護領だったためです。
また、現在でもフランスは輸出入ともに高い割合で取引をしており、チュニジア最大の援助国です。

もちろん、第2次世界大戦後の1956年にフランスから独立しています。

しかしながら、このような歴史があったおかげで、現在のチュニジアはイスラムの文化とヨ-ロッパの文化が入り混じっています。これがチュニジアの魅力だと思います。


◎チュニジアの地理について

南部はサハラ砂漠の一部になっております。
砂漠というと、一面の砂丘をイメ―ジされると思いますが、砂丘もございますが、非常に乾燥した大地や石、岩がたくさんある場所も多いです。
チュニジアの南部では、スタ―ウォ―ズの撮影場所になったところが数多くあります。実際にゴルファ〔穀倉倉庫〕がおいてある場所や穴居ホテル、
北アフリカ最大の塩の湖、ショット・エル・ジェリドなど観光で訪れることもできます。
もちろん、ラクダに乗られる場所もあります。

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一方、先ほども申し上げましたように、地中海にも面しています。
北部は地中海式気候です。
シディ・ブ・サイドでは、白い壁にコバルトブル―の窓枠のうちが多くきれいです。
また、シディ・ブ・サイドやチュニス市街地メディナでは、大きなドア〔実際には一部の小さいドアを開けて出入りします〕があり、その模様も素敵です。

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私の知人が作っているウエブサイトがあります。
彼は、日本に住んでいますが、何度もチュニジアを訪れていて、多方面でチュニジアの紹介でご活躍されている方です。
このウエブサイトには写真も豊富ですので、ぜひご覧ください。
チュニジアのイメ―ジがわくと思います。
ウエブサイト名は チュニジアの素顔です。
http://www12.ocn.ne.jp/~tunisia/  


◎チュニジアの料理

チュニジアでは、牛肉、羊肉、鶏肉、七面鳥の肉を食べますが、海が近いことから、魚介も多く食べられます。
蛸のサラダもおいしいですよ。イカやえびも食べます。

チュニジアの代表的な料理はクスクス、ブリック、タジン、オジャ、カムニアなどです。
クスクスは他の国でも知られていると思いますが、世界最小のパスタでお米の1/3~1/4くらいですね。私もよく作ります。下の鍋でソ―スをつくります。クスクスはソ―スの湯気で蒸しますが、2時間くらいかかります。日本人の口に合うと思いますよ。とてもおいしいです。
ブリックは春巻きの皮のようなものに、卵、ツナなどを入れて油で揚げたもの、タジンはモロッコのものとは全く異なっていて、肉、野菜、チ―ズなどを細かくしたものに溶き卵を混ぜてオーブンで焼いたものです。チュニジア式のオムレツですね。オジャはピ―マンをトマトソ―スとハリッサで煮込み、卵でとじたものです。えび入りやメルゲーズ入りものあります。カムニアは牛肉、または羊肉と内臓をクミンとトマトソ-スで煮込んだものです。
どれも日本人の口に合うと思いますよ。
また、オジャやクスクスにも入れますが、ハリッサという唐辛子ぺ―ストを使った料理も多いです。辛いものが好きな方は特に楽しめるかもしれません。

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◎最近のチュニジアについて
12月17日。チュニジア中部のシディ・ブ・ジィドでムハンマド・ブアジジさんが路上で野菜などを販売していました。しかし、無許可だったので、警察官が没収しました。その後、抗議しましたが、訴えを聞いてもらえず、市役所前で焼身自殺をしました。
フェイスブックやツイッタ-で情報が広がり、各地で高失業率や生活苦に対する抗議、暴動が発生しました。

市民の力を抑えきれず、1月14日に前ベンアリ大統領がサウジアラビアへ亡命しました。
1月17日、首相が新内閣を発表しました。しかし、前大統領と同じ政党の官僚が内閣にいたこともあり、抗議のデモが続きました。
1月22日政府が内閣改造を発表しました。
選挙は6ヵ月後に行われる予定です。

また、1月20日に外出禁止が午後8時から午前5時になったことから、多くの会社では通常通り勤務しています。現在は外出禁止が午前0時から午前4時になっています。
学校は1月21日から再開されています。

以前は政治についての言論が制限されていたが、今は自由に発言できるようになりました。
国民が自分たちの手で自分たちの国を守る。という意識が強かったと思います。革命後、テレビを通して自分の意見を言う人が多くいます。一般の人が電話で意見を言ったり、コメンテ-タ―が政治について話したりしています。今までにはなかったことです。

また、今回の革命では、イスラム原理の指導者が導いたのもではなく、一般の市民が起こした行動が元で起きました。現在他のアラビア諸国でも革命が起きていますが、チュニジア人の、市民の力でも国を変えられるという意識が強く働いていると思います。

現在でもデモやストライキが完全になくなったわけではありません。
例えば、1月29日に女性で現在仕事をもっている人たちがデモを行いました。今後、もし、イスラム主義の国になった場合、男性を優先に職を与え、現在働いている女性が職を失わないようにするためです。前大統領は宗教と政治を分離しており、テロリストに対しても厳しく警戒していました。今後もそれを望む国民も多いです。

また、1月末には警察官がストライキを行いました。理由は警察の官僚の交代を求めていたからです。実際に、ほとんどの幹部が交代しました。

しかしながら、革命後の抗議では、暴動にはなっていません。また、一般の市民に危害が加えられることもありません。

今までは前大統領が国民への支援よりも権力をつかって莫大な私財を手に入れてきたことがわかっています。そのために、暴力的な行為で鎮圧してきたことも話されています。

 
2月6日には多くの人がシディ・ブ・ジィドを訪れました。革命をおこした ムハンマド・ブアジジさんやその町の住民に感謝の気持ちを伝えたり、お花を供えたり、食料などを差し上げたりしました。

現在では、ほぼ通常通りの生活をしています。しかしながら、国の仕組みを変えるには、まだ時間がかかると思いますが、より民主的な国になっていくと思います。


◎役に立つ言葉
アイシック 〔ありがとう〕