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2月18日(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポーター、佐藤めぐみさんからの報告です!

ニューヨークで輝いている女性、思い浮かべる人いますか?

アメリカでは今アニメやマンガが大人気、という話は何度もしていますが、
マンガファンの若者たちにとって、「マンガ家」は日本でもアメリカでも憧れの存在。
そんな中、日本人でたった一人、ニューヨーク在住のマンガ家がいます。

その名は、ミサコ・ロックス
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彼女の作品、ディズニーの出版部門からもう3冊出ています。
アニメコンベンションなどでも、全米でひっぱりだこの人気。

最近は日本でもテレビで紹介されたり、
先日は、雑誌「日経ウーマン」のWOMAN OF THE YEARの一人にも選ばれました。


アメリカ人の中にいてもひときわ目立つ、元気いっぱいのすてきな女性。
先日ゆっくり話すチャンスがあったので色々聞いてみると、
これがまた波瀾万丈の人生!
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今日はニューヨーク在住のマンガ家、ミサコ・ロックスさんのインタビューです。

ディズニーの出版会社ハイペリオンから、アメリカのティーン向けに3冊のコミックス
BIKER GIRL, ROCK AND ROLL LOVE, DETECTIVE JERMAIN を出しています。
もちろん全部英語。

でもミサコさんがマンガ家になるまでは、大変な紆余曲折があったんです。

東京育ちのミサコさんがアメリカに来たきっかけをまず聞いてみました。

「12才の時ハリウッド映画のBACK TO THE FUTUREをみて
マイケル J フォックスに本当に人目惚れしたんですよね。
こんなかっこいい人見た事ない!みたいな。
だから10代の時からアメリカのロックとかヒップホップばかりきいてたんですよ。
どうやってアメリカに行けばいいんだろう?と考えていた時に、
法政大学に行くと奨学金留学制度があって、うかるとただで、
しかもお金をもらって2年間くらいアメリカに行けるということがわかったんです。
この大学だったら私の将来開けるかもしれないと思って。それからはコツコツ勉強して、
いやー悪ガキだったんですけど、学校だといい子ぶってやってました。」

ミサコさん努力のかいあってアメリカ、ミズーリ州に2年間留学決定したのですが。。

「あんなに何にもないところに飛ばされるなんて。アジア人なんてまったくいないし、
何ここ!?‘みたいな。もともとシャイではないので、もうアメリカ人の子と会話したくて行くんですけど、何いってるかわからいので。「ONE MORE TIME PLEASE」みたいな感じで。私目立ってたんですよね。その頃すごいショートで、髪の毛緑とかピンクとか虹色に変えてたんですよね。
それでライブに行って、モヒカンでタトゥーで見た目こわい男の子たちと出会って、
その子たちと遊ぶようになってからもっとアメリカが好きになっちゃって。」

その時は2年で帰国、でもパンク少女は何とかしてアメリカに戻る方法を考えていました。
そんな時に偶然見たのが、ブロードウェイ・ミュージカルの「ライオンキング」

「もうホントに、こんなに素晴らしいアートがあるという事に感化されて、
私はミュー時カルのパペット=人形を作りたい!ってなっちゃったんですね。
人形師ですかね、日本語だと。だけどまた大学に行く金なんてないし。
その時ミズーリの時の友達がインターンをやっていたので、きっと劇団のインターンもあるだろう、
と思ったんですよ。NYの劇団を調べていて、小さな劇団にいきついて、
どうにか自分でインターンビザをゲットしました。」
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人形師のインターンとして今度はニューヨークで修行。
でもその道は厳しすぎました。
挫折を感じていたある日、
MISAKOさんに運命の出会いが起りました。

「ウィスコンシンからツアーに来ているミュ−ジシャンと出会って、人目惚れして。
人間って絶対期待しない時に、そういう運命の出合いって起るんですよね。
好きになっちゃったんですけど、ビザが切れるんで、日本に帰らなくちゃ行けないっていう。
で日本で派遣をやりながら、3ヶ月たってお金がたまったらウィスコンシンの彼に会いに行く、
というのを繰り返してたんですよ。それでプロポーズされていっしょになったんですけど。」

ついに彼と結婚、今度は中西部のウィスコンシンで新婚生活、
でもそれも長くは続きませんでした。

「私があまりにも“恋は盲目”だったんで。彼しか見てなくて、大好きで大好きで。
しかも真剣に交際した初めてのアメリカ人の男性だったんです。だから余計盛り上がっちゃって。
すごくかっこよかったし、やさしかったし。でも性格の不一致というか。
二人ともアーティストなので、良いときはいいんですけど、悪い時はもうグチャグチャで。
もう大変でした。
それで精神的に本当にやられちゃって、不眠症になって、
もう日本に帰るしか無いんじゃないかというところまでいったんですよ。
誰も相談できる友達もいなかたし。」

たった一人ニューヨークに戻った彼女は、生活のためにさまざまな仕事をかけもちしながら、
人生のどん底を味わっていました。

「チルドレンズ・ミュージアムでバイトしてたんですけど。私が日本人なものだから、
子供達が“ポケモン見た事ある?”とか“ドラゴンボールとかセーラムーン知ってる?”って
聞いて来たんですね。アメリカで日本のアニメやってるのか、と思ってたら、
“図書館に行くとマンガもあるよ”と言われて、マンガまであるんだ、ってびっくりして。
あたしその時に一筋の光と言うか、これじゃないか?と思ったんです。
これにチャレンジして夢をかなえることができれば、
アメリカに居続けることができるんじゃないかと思ったんですね。その時です。
いきなり180度世界が変わっちゃったというのは。」

マンガ家になる! と決心してからは早かったんです。
ディズニーの出版社が気に入り、2005年に処女作を出版。
ついに大好きなアメリカで、アーティストとしての才能を花開かせた彼女は、
こんなふうに言います。

「自分でがんばればどうにか夢が開ける、というのがこの国の良さだと思うんです。
自分で人生切り開ければモノにはなる、年齢も関係なく。
私はそれを実行した一人の人間だと思うんです。でもそれもすべてどん底まで落ちたから。
挫折を知らなかったら価値観とか世界感とか変らないと思うんです。
そのまま、すごいセンシティブなまま育って、石橋たたきすぎて、
怖いから渡らなくていいや、ってなる。でも落ちるところまで落ちるともう怖いものはないんです。
あとは上がるだけしかないんで。今はあれもいい経験だったかな、と思える。
そうなるまで時間はかかりましたけど。」

キッパリと言い切るミサコさん、ホントにかっこいい女性です。
ミサコ・ロックス、この名前覚えておいてください!
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佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers