Program -2020-

2020年12月25日〜12月30日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第217回

写真:坂崎幸之助 “ねずみ”年にさようなら〜。

坂崎さんから:

よくコピーしたなぁ。S&G時代は特に。
でもソロになってからも最初の頃のアルバム曲は、よく聞いたものです。
ワールドミュージックに傾倒して行ってからは、あまりハマらなかったかな。
でも僕のギターの先生です!

今回は「ホ」で始まるアーティストの15回目。Paul Simon特集です!

『ポール・サイモン(Paul Simon)』
★1941年10月13日、アメリカ・ニュージャージー州ニューワーク出身(79歳)。
1957年(高校生の時)に、小学校時代からの友人アート・ガーファンクルとデュオグループ【トム&ジェリー】を結成。
「ヘイ・スクールガール」(1958年・全米49位)でレコードデビュー。
その後、ポール・サイモンは“ジェリー・ランディス(Jerry Landis)”という名前でソロ活動をしたり、【ティコ&ザ・トライアンフス(Tico & The Triumohs)】 というバンドを組みシングルをリリース。
しかし、ヒットに恵まれないポール・サイモンは、1963年〜1964年にイギリス・ロンドンに拠点を移します。
そんな中イギリスに向かう前にレコーディングした【サイモン&ガーファンクル】としてのデビューアルバム『水曜の朝、午前3時』収録曲の 「サウンド・オブ・サイレンス」が全米のFM局で大量オンエアされ話題に。
この好機を逃すまいと、所属レコード会社は(ポール・サイモンには内緒で) 勝手にエレキギターとドラムをオーバーダビングしたバージョンを作成しシングルとして発売(1966年・全米1位)。
これを境に【サイモン&ガーファンクル】は次々と大ヒットを放ちます。
1970年、S&Gは最後のオリジナルアルバム『明日に架ける橋』発表後、志向する音楽の違いなどから、音楽活動を停止。それぞれソロ活動をスタート。
ポール・サイモンは、1972年『ポール・サイモン(Paul Simon)』をリリース。
 ♪母と子の絆(Mother and Child Reunion)
  *アルバム『ポール・サイモン』からのヒットシングル。
   ジャマイカで録音された(レゲエを取り入れた)曲。
  *1972年・全米4位のヒット。
  *同アルバムからは「僕とフリオと校庭で」「ダンカンの歌」もシングルカット。
★1973年には『ひとりごと(There Goes Rhymin' Simon)』をリリース。
このアルバムからの1stシングル「僕のコダクローム」は全米2位の大ヒットに。
さらにディキシー・ハミングバーズを迎えたゴスペルナンバー「母からの愛のように(Loves Me Like A Rock)」も全米2位を記録。
 ♪アメリカの歌(American Tune)
  *アルバム『ひとりごと』からのシングル曲。1974年・全米35位。
  *この曲の前半部分ではバッハの「マタイ受難曲」を引用。
★1975年には大ヒットアルバム『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』を発表。
このアルバムには、S&G活動停止から5年を経てシングルリリースされた「マイ・リトル・タウン」も収録。
        ♪マイ・リトル・タウン(My Little Town)/サイモン&ガーファンクル
  *1975年・全米9位のヒット。
  *この曲は、アート・ガーファンクルのソロ2枚目のアルバム『愛への旅立ち(Breakaway)』にも収録。
★アルバム『時の流れに』からはフィービー・スノウをフィーチャーした「哀しみにさようなら(Gone at Last)」に続き、 「恋人と別れる50の方法(50 Ways to Leave Your Lover)」がシングルリリース。
この曲は、ポール・サイモンのソロとして初の全米ナンバーワン・シングルとなりました。
 ♪恋人と別れる50の方法(50 Ways to Leave Your Lover)
  *スティーヴ・ガッドの独特のリズムパターンが印象的。
  *1976年に全米1位を獲得。
  *アルバム『時の流れに』はグラミー賞≪最優秀アルバム賞≫受賞。
★その後ポール・サイモンはジェイムス・テイラーと共に、1977年にリリースされたアート・ガーファンクルの3枚目となるソロアルバム 『ウォーターマーク(Watermark)』に参加。
 ♪ワンダフル・ワールド((What A)Wonderful World)
      /アート・ガーファンクル with ジェイムス・テイラー&ポール・サイモン
  *サム・クックの名曲をカバー。
  *1978年・全米17位を記録。
★1980年発表の5枚目のソロアルバムはポール・サイモンが主演・脚本を担当した同名映画のサウンドトラック盤にもなっている 『ワン・トリック・ポニー(One-Trick Pony)』。
 ♪追憶の夜(Late in the Evening)
  *1980年・全米6位を記録。スティーヴ・ガッドのドラムも圧巻!
★翌1981年には、活動停止から11年ぶりに【サイモン&ガーファンクル】としてN.Y.のセントラルパークに約53万人を集めたフリーコンサートを行ない大成功。
1982年には、当時の後楽園スタジアムでの野外コンサートのため来日しています。
そしてポール・サイモンは1986年発表のアルバム『グレイスランド』を皮切りに、アフリカ音楽をはじめ、ワールドミュージックへと傾倒して行きました。

2020年12月18日〜12月23日放送

『坂崎音楽堂』

グレッグ・レイクの集大成アルバム「アンソロジー」特集

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

よくコピーしたなぁ。
プログレバンドってあまり聞かなかったけど、高見沢と知り合ってから聴き始めて、意外とアコギが多用されているのを知ってコピーし始めたのです。
グレッグ・レイクさんのギブソンのJ-200に憧れて、亡くなった年に買っちゃったさ。

今週は、4年前に亡くなったエマーソン・レイク&パーマーのボーカル兼ベーシスト“グレッグ・レイク”の集大成的アルバムアルバム 『アンソロジー:ミュージカル・ジャーニー(The Anthology:A Musical Journey")』を特集。

“グレッグ・レイク”とは、プログレッシブ・ロック・シーンにおける偉大なるバンド【キング・クリムゾン】【エマーソン・レイク&パーマー】の創設メンバー。
そんな“グレッグ・レイク”が最初に参加してシングル発売された曲から、【キング・クリムゾン】【エマーソン・レイク&パーマー】 そしてソロに至るまでの貴重な楽曲から代表曲までを収めた2枚組アルバムが『アンソロジー:ミュージカル・ジャーニー』。

今回、このアルバムからご紹介した曲は・・・
 ♪Don't Go 'Way Little Girl/ザ・シェイム
  *1967年(グレッグ・レイクが20歳の時)ボーカルとして参加した【ザ・シェイム(The Shame)】のデビューシングル。
  *この曲の作者はジャニス・イアン。
  *ザ・シェイムのローディには、短い間、のちにキング・クリムゾンを結成するロバート・フリップがいたとか・・。
 ♪クリムゾン・キングの宮殿(The Court of the Crimson King)/King Crimson
  *1969年発表のデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』からのシングル。
   1969年にサンフランシスコのフィルモア・ウエストで行なわれたライヴバージョン。
 ♪ラッキー・マン(Lucky Man) /エマーソン・レイク&パーマー
  *1970年に【キング・クリムゾン】を脱退したグレッグ・レイクがキース・エマーソン(Kd)、カール・パーマー(Ds)と共に結成した
   【エマーソン・レイク&パーマー】。
  *デビューアルバム『Emerson,Lake&Palmer』(全英4位/全米18位)収録曲。
   グレッグ・レイクの作品で、ボーカルもグレッグ・レイク。
   1971年にシングルとして全米48位を記録。
 ♪フロム・ザ・ビギニング(From The Beginning)/エマーソン・レイク&パーマー
  *1971年には2ndアルバム『タルカス』(全英1位/全米9位)をリリース。
   1971年の暮れにリリースしたはライヴ盤『展覧会の絵』(全英3位/全米10位)も全世界で大ヒット。
   そして1972年リリースされた3枚目のスタジオアルバム『トリロジー』(全英2位/全米5位)からシングルヒットされたのが
   「フロム・ザ・ビギニング」。
  *シングルとしては全米39位を記録。
 ♪タッチ&ゴー(Touch & Go)/エマーソン・レイク&パウエル
  *【エマーソン・レイク&パーマー】は結成から10年、1980年に解散を発表。
  *1980年代半ば、グレッグ・レイクとキース・エマーソンは
   【エイジア】に参加したカール・パーマーの代わりに【ジェフ・ベック・グループ】やリッチー・ブラックモア率いる
   【レインボー】で活躍したコージー・パウエルをドラマーに加え【エマーソン・レイク&パウエル】を結成。
  *1986年に唯一のスタジオアルバム『エマーソン・レイク&パウエル』を発表。
   ここからシングルカットされた曲が「タッチ&ゴー」。全米60位を記録。
★その後、グレッグ・レイクはソロ活動を行ないつつ、1990年代に入ってELP再結成したり、 2000年代にはリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加したり・・・と活躍。
2016年3月のキース・エマーソン急死に続いて、その年の暮れ、癌の闘病の末69歳という若さで亡くなっています。

今回の特集の最後に、季節柄グレッグ・レイクが1975年に発表しイギリスで大ヒットしたクリスマスソングをご紹介しました。
 ♪夢見るクリスマス(I Believe In Father Christmas)
  *全英2位まで上昇。

2020年12月11日〜12月16日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第216回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

今でもポール・アンカとニール・セダカが混乱してしまう時があります。
どっちがどっちだったかなぁ〜って。
でも意外とお若いのですね。
ジョン・レノンよりも年下だったとは(笑)。

今回は「ホ」で始まるアーティストの14回目。ラインナップは・・・

『ポール・アンカ(Paul Anka)』
★1941年7月30日にカナダ・オタワで生まれ、幼い頃から音楽に秀でた才能を発揮。
12歳の時からシンガーソングライターとして活動をスタート。
1957年、自ら作詞作曲した「ダイアナ」でレコードデビュー。この曲は全米・カナダのラジオ局で大量にオンエアされ、 全米1位を獲得!売り上げ枚数も900万枚以上となる爆発的な大ヒットを記録しています。
 ♪ダイアナ(Diana)
  *諸説ありますが、ポール・アンカの弟のベビーシッターへの片思いを歌にしたものとか。
  *日本では山下敬二郎さんがカバーし大ヒット。
★アメリカだけでなく、日本でも若い女性を中心に大人気となり次々とシングルヒットを放ちます。
 ♪君はわが運命(さだめ)(You Are My Destiny)
  *1958年・全米7位を記録。
 ♪ロンリー・ボーイ(Lonely Boy)
  *1959年・全米1位を獲得。
 ♪あなたの肩に頬うめて(Put Your Head On My Shoulder)
  *1959年・全米2位を記録。
★デビューから、1960年代半ばまで大ヒットを飛ばし続けたポール・アンカですが、1960年代中頃からヒット曲に恵まれず低迷しはじめます。
しかしソングライターとして、バディ・ホリーへ「It Doesn't Matter Anymore」、トム・ジョーンズへ「She's A Lady」といった楽曲を提供。
そしてフランク・シナトラに、元々シャンソンだった曲に英語の詞をつけた「マイ・ウェイ」を提供。
ソングライターとしての地位を確立していきます。
また、自らのTVショーや映画俳優として大活躍し1970年代に入るとシンガーソングライターとしての活動を本格的に再開。
1974年に「オー・ハッピー・デイ」でおなじみのエドウィン・ホーキンス・シンガーズのメンバーとして活躍していた女性シンガー、 オディア・コーツ(Odia Coates) をデュエットに迎えた曲で全米1位を獲得しています。
 ♪二人のきずな((You're)Having My Baby)
★カナダ生まれのポール・アンカは、多くのカナダ出身のミュージシャン達のために尽力をつくしています。
例えば、デヴィッド・フォスターのアメリカ進出、マイケル・ブーブレのアメリカデビュー、最近ではヒップホップ界のスーパースター、 ドレイクに楽曲を提供したりと活躍中です。

『ポール・キャラック(Paul Carrack)』
★1951年4月22日、イギリス・ヨークシャー州シェフィールド生まれのシンガーソングライター。
誰もが認める卓越した歌唱力&独特の声質でソロアーティストと平行して数々のバンドのリードシンガーとして活躍。
 ♪涙に別れを(Don't Shed A Tear)
 *ソロアーティストとして1987年に発表した3枚目のアルバム『One Good Reason』からのヒット曲。
   1988年・全米シングルチャートで最高9位まで上昇。
★ソロアーティスト活動と平行して、数々のグループにリードシンガーやキーボード奏者で参加していますが有名なところでは「ハウ・ロング」の大ヒットを放った 【エース(Ace)】のリード・ボーカルとして、また【スクイーズ】【ロキシー・ミュージック】や ニック・ロウのバンド ではキーボード奏者として活躍。
そして【ジェネシス】のマイク・ラザフォードによるプロジェクト【マイク&ザ・メカニックス】には、リードシンガーとして参加し、 1989年に全米1位となるヒット曲を放っています。
 ♪リヴィング・イヤーズ(The Living Years)/マイク&ザ・メカニックス
★ここ数年、毎年のようにアルバムをリリースしているポール・キャラック。
今年発表したアルバム『アナザー・サイド・オブ・ポール・キャラック』ではオーケストラを迎え自分がリードシンガーとしてヒットさせた「ハウ・ロング」や 「リヴィング・イヤーズ」そして大好きなスタンダードナンバーをカバーし、渋いのどを披露しています。

2020年12月04日〜12月09日放送

『坂崎音楽堂』

イーグルス「ライヴ・フロム・ザ・フォーラム2018」特集(後編)

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

やっぱり上手いなぁ、唄もギターも。
ホテル・カリフォルニアは永遠の名曲ですね。
ギターのアンサンブルも完ペキだし、コーラスもスゴいや。
よくコピーして三人で唄ったものです。

先週に引き続き【イーグルス】の最新ライヴ『ライヴ・フロム・ザ・フォーラム2018』を特集!

この『ライヴ・フロム・ザ・フォーラム2018』(2枚組CD)は、2018年に開催された北米ツアーの中から3日間に渡って行われたロサンゼルスの有名なインドアアリーナ ≪ザ・フォーラム≫(収容人員17505人)の音源、26曲を厳選したライヴアルバム。

2016年にグレン・フライが亡くなって、今やドン・ヘンリーが唯一のオリジナルメンバーとなったイーグルス。
現在のラインナップは、途中から加入したジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミット、 そして自ら「61歳の新人」と自己紹介するカントリー界のスター、ヴィンス・ギル。
さらに、今は亡きグレン・フライの息子(長男)のディーコン・フライ(ライヴ時には25歳)の5人となっています。

2回目となる今回は、イーグルス後期のヒット曲をピックアップしました。
 ♪ニュー・キッド・イン・タウン(New Kid In Town)
  *1976年発表、通算5枚目の『ホテル・カリフォルニア(Hotel California)』からの先行シングル曲。
   1977年はじめに全米1位を獲得。(アルバムは全世界で3200万枚以上のセールスを記録)
  *リードボーカルは、カントリー界を代表するシンガーソングライターで新メンバーのヴィンス・ギル。
 ♪ホテル・カリフォルニア(Hotel California)
  *1977年に全米1位を獲得。翌年のグラミー賞で「最優秀レコード賞(Record of the Year)」受賞。
  *リードボーカルはドン・ヘンリー。
 ♪ハートエイク・トゥナイト(Heartache Tonight)
  *1979年発表、通算6作目となるアルバム『ロング・ラン(The Long Run)』収録曲で1979年に全米1位を記録。
  *作者はドン・ヘンリー、グレン・フライ、ボブ・シーガーとJ.D.サウザー4人の共作。
  *今回のLIVEでのリードボーカルはヴィンス・ギル。
 ♪ロング・ラン(The Long Run)
  *1980年に全米8位を記録。
  *LIVEでのリードボーカルは、もちろんドン・ヘンリー。
 ♪言いだせなくて(I Can't Tell You Why)
  *ランディ・マイズナーに変わって加入したティモシー・B・シュミットのリードボーカルでヒット。
  *1980年に全米8位を記録。
  *ドン・ヘンリー&グレン・フライ、そしてティモシー・B・シュミットによる共作。

2020年11月27日〜12月02日放送

『坂崎音楽堂』

イーグルス「ライヴ・フロム・ザ・フォーラム2018」特集(前編)

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

ライブの歌と演奏のクオリティは、おそらくナンバーワンに入るバンド。
そんなイーグルスのライブ盤。
亡くなったグレン・フライのカバーをしてくれるのがムスコさんというのも泣ける!!
やはり声は似てますね。
ギターとコーラスは相変わらず絶品!!

今週・来週と2週に渡って【イーグルス】の最新ライヴ『ライヴ・フロム・ザ・フォーラム2018』を特集!

この『ライヴ・フロム・ザ・フォーラム2018』(2枚組CD)は、2018年に開催された北米ツアーの中から3日間に渡って行われたロサンゼルスの有名なインドアアリーナ ≪ザ・フォーラム≫(収容人員17505人)の音源、26曲を厳選したライヴアルバム。

2016年にグレン・フライが亡くなって、今やドン・ヘンリーが唯一のオリジナルメンバーとなったイーグルス。
現在のラインナップは、途中から加入したジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミット、 そして自ら「61歳の新人」と自己紹介するカントリー界のスター、ヴィンス・ギル。
さらに、今は亡きグレン・フライの息子(長男)のディーコン・フライ(ライヴ時には25歳)の5人となっています。

今週はこのアルバムから、イーグルスの初期から中期にかけてのヒット曲をピックアップしました。
 ♪セヴン・ブリッジズ・ロード(Seven Bridges Road)
  *1980年発表のイーグルス最初のライヴ盤『イーグルス・ライヴ』でも披露された曲。
  *カントリーシンガー“スティーヴ・ヤング”の作品で、イーグルスが昔からライヴ前のウォームアップ用に歌唱・演奏していた曲。
 ♪テイク・イット・イージー(Take It Easy)
  *グレン・フライのボーカルでおなじみだった初期のナンバー。
   オリジナルは1972年『イーグルス・ファースト(Eagles)』に収録。
   グレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作で1972年に全米12位を記録。
 ♪ピースフル・イージー・フィーリング(Peaceful Easy Feeling)
  *1973年に全米22位を記録。作者はファンキー・キングスのジャック・テンプチン。
  *今回のLIVEでこの曲をディーコン・フライが歌い終えると、バックの巨大スクリーンには
   父グレン・フライの写真が映し出されるという演出で会場は大歓声に。
 ♪テキーラ・サンライズ(Tequila Sunrise)
  *オリジナルは1973年発表の2ndアルバム『ならず者(Desperado)』に収録。
   グレン・フライがリードボーカルでしたが、今回のLIVEでは「61歳の新人」ヴィンス・ギルが担当。
 ♪ならず者(Desperado)
  *オリジナルは1973年発表の2ndアルバム『ならず者(Desperado)』に収録。
  *LIVEでは、オリジナルと同じドン・ヘンリーのボーカル。
 ♪呪われた夜(One Of These Nights)
  *イーグルスの人気を決定づけた1975年のアルバム『呪われた夜(One Of These Nights)』に収録。
   このアルバムは当時、全米アルバムチャートで初の1位を獲得、シングル曲としても1位を獲得。
  *このLIVEでも、リードボーカルはもちろんドン・ヘンリー。

2020年11月20日〜11月27日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第215回

写真:坂崎幸之助 Instagram用の写真を撮っている坂崎さんを撮ってみました。

坂崎さんから:

最強の3ピースバンド、ポリスですね。
やっぱりスティングさんの歌は良いですなぁ。
3ピースのバンドって、若い頃はあんまり好みではなかったのですが、今はその良さがわかってまいりました。
シンプル is BEST!

今回は「ホ」で始まるアーティストの13回目。THE POLICE特集です!

『ポリス(The Police)』 ★1977年、イギリス・ロンドンで結成されたロックバンド。
メンバーは、ジャズバンドで活躍していた“スティング(b,vocal)”、プログレバンドでドラムを叩いていた“スチュワート・コープランド(ds)”、 そしてギタリストの“ヘンリー・パドゥパーニ”の3人でスタート。
その後すぐに、後期【アニマルズ】のギタリスト“アンディ・サマーズ”が加入し4人編成となりましたが、 “ヘンリー・パドゥパーニ”が結成7ヶ月で脱退。再びトリオとして再出発。
3人組という最小のバンド形態でしたが【ポリス】は抜群のテクニックで注目。
1978年にアルバム『アウトランドス・ダムール』でデビュー。
 ♪ロクサーヌ(Roxanne)
  *1978年・全英12位、翌1979年に全米32位を記録。
★1979年に2枚目となるアルバム『白いレガッタ』を発表。本国イギリスではアルバムチャート1位を記録。
アメリカでのアルバムチャートは25位が最高位。
 ♪孤独のメッセージ(Message In A Bottle)
  *『白いレガッタ』からのシングル曲。全英シングルチャートでは1位を獲得。
   全米では74位が最高位(1979年)
★1980年に通算3枚目となるアルバム『ゼニヤッタ・モンダッタ』(全英1位/全米5位)を発表。
このアルバムからは2曲の大ヒットシングルが生まれています。
 ♪ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ(De Do Do Do,De Da Da Da)(日本語バージョン)
  *オリジナルの英語バージョン以外に≪スパニッシュ・バージョン≫と≪日本語バージョン≫が作られました。
   日本語詞は“湯川れい子”さん。
  *1981年に全米シングルチャート10位を記録、全英では5位を獲得。
 ♪高校教師(Don't Stand So Close To Me)
  *1981年・全米10位、全英1位を獲得。
★1981年に4枚目のアルバム『ゴースト・イン・ザ・マシーン』(全英1位/全米2位)をリリース。
ここからの1stシングルは初の全米トップ3入りを果たしました。
 ♪マジック(Every Little Thing She Does Is Magic)
  *1983年・全米3位、全英1位を獲得。
★1983年に通算5枚目となるアルバム『シンクロニシティ』発表。
何と17週連続(約4ヶ月に渡って)全米アルバムチャート1位を獲得!
このアルバムの先行シングル曲は【ポリス】にとって初の全米ナンバーワンに輝いています。
 ♪見つめていたい(Every Breath You Take)
  *1983年・全米シングルチャート8週連続の1位。(全英でももちろん1位)
  *グラミー賞では「最優秀楽曲賞(Song of the Year)」を受賞。
★全世界で売り上げ1000万枚という大ヒットを記録したアルバム『シンクロニシティ』発売から7ヵ月後、 1984年1月に【ポリス】は活動停止を宣言。それにともないスティングはソロ活動をスタート。
ちなみに、その後何度か再結成していますが、
2007年には1年に渡り、サポートメンバーなしの完全3ピースで80本以上のワールドツアーを行なっています。

2020年11月13日〜11月18日放送

『坂崎音楽堂』

10ccのグレアム・グールドマンの音楽人生を振り返りつつ最新ソロアルバムをご紹介

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

10ccのグレアム・グールドマンですが…。
10ccの1stアルバムはよ〜く聞いたねぇ。
その後の10ccは、サウンドも歌も変わってきて、あんまり聞かなくなっちゃったけど名曲もたくさんあります。
ビートルズ好きだったんだろうなぁ。

先週の『坂番洋楽データファイル(SYDF)』で【ホリーズ】の代表曲「バス・ストップ」の作者として名前が出た【10cc】“グレアム・グールドマン” の最新アルバム『Modesty FORBIDS』を、これまでの音楽人生を振り返りつつご紹介しました。

“グレアム・グールドマン”は、1946年5月10日生まれ、イギリス・ランカシャー出身(74歳)。
1960年代、ソングライターとして【ホリーズ】の「バス・ストップ」をはじめ【ヤードバーズ】【ハーマンズ・ハーミッツ】【ジェフ・ベック】 など多くのアーティスト達に曲を提供しています。

彼がシンガーソングライターとして、1968年にリリースした初のソロアルバム『The Graham Gouldman Thing』に収録かれたセルフカバー曲としてご紹介したのは・・・
 ♪バス・ストップ(Bus Stop)
  *ホリーズのバージョンとは違い、室内楽風のアレンジ。
 ♪フォー・ユア・ラヴ(For Your Love)
  *1965年に【ヤードバーズ】に提供した曲。
   ヤードバーズの「フォー・ユア・ラヴ」は1965年に全米6位を記録。

グレアム・グールドマンは1972年に“エリック・スチュワート”“ロル・クレーム”“ケヴィン・ゴドレイ”と共に【10cc】を結成。
10年ちかくソングライター、スタジオミュージシャンなどの仕事をしていて、音楽的な技術、ソングライティングなどを熟知した4人は、 最初パロディ、ユーモアに富んだアルバム&楽曲を発表。
音楽通の間では評判が良かったものの、ヒットが出ないことには先行き不安。
そこで1975年にアルバム全体を架空の映画のサントラ盤に仕立てた『The Original Soundtrack』をリリース。
このアルバムからシングルカットされた曲が大ヒット。
 ♪アイム・ノット・イン・ラヴ(I'm Not In Love)/10cc
  *1975年・全米2位を記録。
  *リードボーカルはエリック・スチュワート。
   グレアム・グールドマン&エリック・スチュワート作。

1976年に4枚目のアルバム『びっくり電話(How Dare You!)』を発表のあと、ヒット曲をのぞむグールドマンとスチュワート組に対して、 ギターアタッチメントの開発に専念したいゴドレイ&クレーム組が脱退。
【10cc】はグルールドマンとスチュワート の2人を中心にメンバーを補充しつつ活動を続けます。
 ♪愛ゆえに(The Things We Do For Love)/10cc
  *グールドマン&スチュワート作による2曲目の大ヒット。1977年・全米5位。
  *リードボーカルはエリック・スチュワート。

現在も【10cc】の活動を続けているグレアム・グールドマンは2018年に【リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド】にベースで参加。
その縁もあって、リンゴがドラムで特別参加した8年ぶりとなるソロアルバム『Modesty FORBIDS』を発表。
 ♪スタンディング・ネクスト・トゥ・ミー(Standing Next To Me)
  *リンゴ・スターがドラムで参加。
  *詞の内容は「ある日『リンゴ・スターのバンドにベースで参加してくれないか?』という電話がかかってきて・・・」
   といった驚きを隠せないグールドマンの心情が歌になっています。
 ♪ザッツ・ラヴ・ライト・ゼア(That's Love Right There)
 ♪ウェイテッド・オール・マイ・ライフ・フォー・ユー(Waited All My Life For You)

2020年11月06日〜11月11日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第214回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

「ヘイ・ポーラ」子供の頃は、あんまり好きじゃなかったなぁ。
何だか恥ずかしくて、照れちゃって聞くのがイヤだったことを思い出しました。名曲なのにね。
ホリーズは大好き。グラハム・ナッシュの声は宝物です。
CSN&Yになってからも彼のパートは、なかなか日本人で歌える奴はいなかったなぁ。
高見沢が、そのパートを歌えると知った時は嬉しかったなぁ。

今回は「ホ」で始まるアーティストの12回目。ラインナップは・・・

『ポール&ポーラ(Paul & Paula)』 ★1962年、当時 大学生だった“レイ・ヒルデブランド”が大学の音楽サークルで一緒だった “ジル・ジャクソン”と即席のデュエットを組んで地元ラジオ局による、全米ガン協会のための楽曲コンテストに自作曲「ヘイ・ポーラ」で応募。
地元のレコード会社(今でいうインディーズ)が、その曲を気に入り本名名義の【レイ&ジル】として発表。
その後、この曲のヒット性を確信したメジャーのレコード会社から本格メジャーデビュー。
楽曲名「ヘイ・ポーラ」に合わせてデュエット名も【ポール&ポーラ】に変更。
翌1963年、見事、全米ナンバーワンに輝いています。
 ♪ヘイ・ポーラ(Hey Paula)
  *1963年・全米1位を記録。
  *日本では田辺靖雄さんと梓みちよさんのデュエットによるカバーが大ヒット。

『ポーラ・アブドゥル(Paula Abdul)』
★1962年6月19日、カリフォルニア州サンフェルナンド生まれ。
元々NBAのチアリーダーだった“ポーラ・アブドゥル”は1980年代に入って“ジャネット・ジャクソン”の振り付けで一躍注目を集め、 その後【ZZトップ】や【デュラン・デュラン】などのビデオクリップや映画作品の劇中のダンスシーンの振付師として活躍。
1988年にアルバム『あいつにノックアウト(Forever Your Girl) 』で歌手デビュー。
最初のシングルカットこそ全米41位とふるいませんでしたが、その後のシングル5曲が大ヒット。
このデビューアルバムは全米1位、売り上げ枚数700万枚以上のセールスを記録しました。
 ♪ストレイト・アップ(Straight Up)
 ♪フォーエバー・ユア・ガール(Forever Your Girl)
  *どちらも『あいつにノックアウト』からのシングル曲で1989年に全米シングルチャート1位を獲得。
★『あいつにノックアウト』からは「冷たいハート(Cold Hearted)」「甘い誘惑(Opposites Attract)」もシングルカットされ、4曲連続で1位を獲得しています。
さらに1991年リリースの2ndアルバム『スペルパウンド(Spellbound)』からの1stシングルと2ndシングルも全米1位を獲得。 6曲連続ナンバーワンという大ヒットを記録しています。

『ホリーズ(The Hollies)』 ★1962年にイギリス・マンチェスターで小学校時代からの同級生で親友の“アラン・クラーク”と“グラハム・ナッシュ”が中心になって結成。
バンド名の由来は“バディ・ホリー”が好きだったことから【ホリーズ(The Hollies)】に・・・とか、 バンドの名前をつけたのがクリスマスシーズンだったのでヒイラギ(Holly)が由来・・・といった諸説あります。
1963年、EMIのオーディションに合格しレコードデビュー。
 ♪ジャスト・ワン・ルック(Just One Look)
  *本国イギリスで1964年に4枚目のシングルとしてリリースされ全英シングルチャート2位を獲得。全米では98位。
  *1963年にアメリカの女性R&Bシンガー“ドリス・トロイ”が大ヒットさせた曲のカバー。
 ♪バス・ストップ(Bus Stop)
  *元々ソングライターで、のちに【10cc】の中心人物となる“グレアム・グールドマン”が作った曲。
  *1966年・全英&全米、共に5位まで上昇。
★その後、1968年にオリジナルメンバーだった“グラハム・ナッシュ”が脱退。
ちなみに“グラハム・ナッシュ”は、その年の終わりに【バーズ】を脱退した“デヴィッド・クロスビー”と、【バッファロー・スプリングフィールド】 が解散したばかりの“スティーヴン・スティルス”と共に【クロスビー・スティルス&ナッシュ】を結成しています。
そんなグラハム・ナッシュ脱退後、最初の大ヒット曲にはピアノで“エルトン・ジョン”が参加していました。
 ♪兄弟の誓い(He Ain't Heavy,He's My Brother)
  *1969年・全英3位。翌1970年・全米7位。
★【ホリーズ】にとって、全米で最大のシングルヒットとなった曲は、作者でリードボーカルの“アラン・クラーク”曰く 『クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の大ヒット「グリーン・リバー」をベースに作った曲』とのこと。
 ♪ロング・クール・ウーマン(喪服の女)(Long Cool Woman(In A Black Dress))
  *1972年・全米2位。本国イギリスでは32位。
★【ホリーズ】は、デビュー前後に参加した2人のメンバー(アラン・クラークとグラハム・ナッシュ以外)が中心となって活動を続けています。

2020年10月30日〜11月04日放送

『坂崎音楽堂』

“歴代最高アルバム500選”のTOP 10

写真:坂崎幸之助 ↑Terry's Terryのサンバースト。材はハカランダー。いま育てています。

坂崎さんから:

2012年にもアルバム500選をやっていたようなのですが、8年でずいぶんとランキングが変わって行くものですね。
選ぶのがプロのアーティストというのが面白いです。
日本でもやってほしいですね。どんなアルバムが選ばれるのかなぁ。

今回はアメリカの有名な音楽雑誌『ローリング・ストーン誌』が今年(2020年)発表した≪歴代最高アルバム500選(500 Greatest Albums of All Time)≫ から上位10位に選ばれたアルバムを紹介していきます。

前回の≪最も偉大なギタリスト100人≫同様に、この投票に参加したのは読者の皆さんではなく、 プロの方々、ミュージシャンやプロデューサー、ジャーナリストなど約300人。
ちなみに、この≪歴代最高アルバム 500選≫は2003年と2012年(改訂版)に発表されていましたが、今年(2020年)その最新版が発表。

10位はローリン・ヒル『ミスエデュケーション(The Miseducation of Lauryn Hill)』
 ♪ドゥー・ワップ(Doo Wop)
  *シングル曲同様、アルバムも全米1位を記録した『ミスエデュケーション』。
   翌年発表されたグラミー賞では≪最優秀アルバム賞≫≪最優秀新人賞≫≪最優秀女性R&B歌手賞≫
   ≪最優秀R&Bソング≫≪最優秀R&Bアルバム賞≫を受賞。

9位はボブ・ディラン『血の轍(Blood on the Tracks)』
 ♪ブルーにこんがらがって(Tangled Up in Blue)
  *1975年発表のアルバム

8位はプリンス&ザ・レヴォリューション『パープル・レイン(Purple Rain)』
 ♪ビートに抱かれて(When Doves Cry)
  *1984年発表のアルバム。「ビートに抱かれて」は全米シングルチャート1位を獲得。

7位はフリートウッド・マック『噂(Rumours)』
 ♪ドリームス(Dreams)
  *1977年発表のアルバム。
   半年以上も全米チャート1位を独占し、全世界で4000万枚を超えるセールスを記録。
   1978年グラミー賞の≪最優秀アルバム賞≫を獲得。

6位はニルヴァーナ『ネヴァーマインド(Nevermind)』
 ♪スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)
  *1991年発表のアルバム。
   1990年代の世界的なグランジロックの中心的バンドだった【ニルヴァーナ】。
   バンドの中心だったカート・コバーンが亡くなり解散した後も、このアルバムは売れ続けています。

5位はザ・ビートルズ『アビイ・ロード』
 ♪カム・トゥゲザー(Come Together)
  *1969年発表のアルバム。「カム・トゥゲザー」は全米シングルチャート1位を獲得。

4位はスティーヴィー・ワンダー『キー・オブ・ライフ(Songs in the Key of Life)』
 ♪可愛いアイシャ(Isn't She Lovely)
  *1976年発表のアルバム。全米アルバムチャート14週1位となる大ヒットになり、グラミー賞の≪最優秀アルバム賞≫も受賞。

3位はジョニ・ミッチェル『ブルー(Blue)』
 ♪リヴァー(River)
  *1971年発表のアルバム。

2位はザ・ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』
 ♪素敵じゃないか(Woudn't It Be Nice)
  *1966年発表のアルバム。前回(2012年)の≪歴代最高アルバム 500選≫でも2位でした。

1位はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン』
 ♪ホワッツ・ゴーイン・オン(What's Going On)
  *1971年発表のアルバム。前回(2012年)の≪歴代最高アルバム 500選≫では6位でした。

2020年10月23日〜10月28日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第213回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

ほどんどディランの回でしたが、まだまだ聞いてもらいたい曲がたくさんありますねぇ。
今回かけられなかった曲で「I want you」という曲も大好きなのです。
ライブは行かなかったけど、アコギでやってくれるなら見てみたいなぁ。

今回は「ホ」で始まるアーティストの11回目。ラインナップは・・・

『ボーイズ・タウン・ギャング(Boys Town Gang)』
★1980年、アメリカ・サンフランシスコで結成されたディスコユニット。
音楽は「オリジナルより、過去のヒット曲をディスコアレンジ」というスタイル。
その最たるものが【フォー・シーズンズ】のフランキー・ヴァリが1967年に(全米2位)大ヒットさせた曲のカバー。
 ♪君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You)
  *1982年リリース。
  *イギリス、ヨーロッパ、日本で大ヒット。(日本の洋楽シングルチャートでは3週連続のNo.1を記録)

『ボブ・ディラン(Bob Dylan)』
★1941年5月24日、ミネソタ州ダルース生まれ(現在79歳)。
生まれた時に付けられた名前は、ロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)でしたが、のちに自ら、法律上の本名を≪ボブ・ディラン≫に改名。
幼い頃からピアノを独学で学び、ハンク・ウィリアムス、エルヴィス・プレスリー、ウディ・ガスリーといった、カントリー、ロカビリー、フォーク、ジャズ、 ブルースなどあらゆる音楽を聴き1959年にミネソタ大学に入った頃には本格的にフォークシンガーとしての活動をスタート。
1961年に大学を中退してN.Y.へ拠点を移し、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のクラブやコーヒーハウスでの弾き語りが話題になり翌1962年アルバム 『ボブ・ディラン』でレコードデビュー。
そして1963年に2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』をリリース。
アルバム収録曲「風に吹かれて」を【ピーター・ポール&マリー】がカバーし全米2位を記録する大ヒットとなり作者のボブ・ディランは一躍、注目を集めました。
 ♪風に吹かれて(Blowin' In The Wind)
  *全米シングルチャートTOP 100圏外でした。
★1964年、プロテストソングを中心とした3rdアルバム『時代は変る(The Times They Are A-Changin')』を発表。
 ♪時代は変る(The Times They Are A-Changin')
  *1964年のアルバム『時代は変る』からのシングル。
  *全米シングルチャートTOP 100圏外でした。
★「プロテストソングの旗手」という世間が思うイメージに違和感を覚えていったディランは【ザ・ビートルズ】をはじめとするブリティッシュ・インヴェイジョンに刺激を受け、 1965年から66年にかけて発表したアルバムでは、それまでとは一転アコギからエレキに持ち替えエレキサウンドを取り入れた作品を次々にリリース。
 ♪サブタレニアン・ホームシック・ブルース(Subterranean Homesick Blues)
  *1965年のアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』からのシングル。
  *全米シングルチャート39位(ディラン初のシングルチャート・イン曲)
★アコギからエレキに持ち替えた『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』に続くアルバム『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』(1965)、 そして『ブロンド・オン・ブロンド(Blonde On Blonde)』(1966)はフォークファンたちの失望とは裏腹に、 多くの音楽ファンから支持を集めセールス的にもチャート的にも大成功を収めています。
 ♪ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)
  *名盤の誉れも高いアルバム『追憶のハイウェイ61』からのシングル曲。
  *全米2位を記録。
★1973年、ディランはビリー・ザ・キッドを題材にした映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』に出演し音楽も担当。
通算12作目のアルバムとなるそのサントラ盤『ビリー・ザ・キッド』からは、のちに多くのアーティストたちからカバーされる名曲が誕生。
 ♪天国への扉(Knockin' On Heaven's Door)
  *1973年・全米12位。
★その後も休むことなくアルバムをリリースし、ツアーも続けているボブ・ディラン。
ご存じのように、2016年「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」が評価され、歌手としては初めての≪ノーベル文学賞≫を受賞しています。

2020年10月16日〜10月21日放送

『坂崎音楽堂』

最も偉大なギタリスト100人〜後編

写真:坂崎幸之助 ↑↑スタジオにあるオフィスグリコの冷凍庫から・・。

坂崎さんから:

やはりTOP5あたりからは、一般の人が選ぶのと、あまり変わらなかったですね。
今度100人全部見てみようかな。
知らないギタリストもいるかもしれないし。
普通の人気投票はだいたい偏ることが多いので、あまり面白くないけど、これはなかなか面白かった。

今回はアメリカの有名な音楽雑誌『ローリング・ストーン誌』が2011年に発表した≪最も偉大なギタリスト100人 (100 Greatest Guitarists)≫を元に、 気になるギタリストのテクニックを楽曲と共に紹介していこう!という企画の後編。

「読者の投票ではなく、現役のミュージシャン達が中心になって人気や技術力だけではなく後世にも語り継がれる 魅力を持ったギタリストを投票」という選定基準でランキングされたもの。

今回はこのランキングの10位〜1位を中心にピックアップ。
 第10位【ピート・タウンゼント】(ザ・フー)
 第9位【デュアン・オールマン】(オールマン・ブラザーズ・バンド)
 第8位【エドワード(エディ)・ヴァン・ヘイレン】(ヴァン・ヘイレン)
 第7位【チャック・ベリー】
 第6位【BBキング】
 第5位【ジェフ・ベック】
 第4位【キース・リチャーズ】(ローリング・ストーンズ)
 第3位【ジミー・ペイジ】(レッド・ツェッペリン)
 第2位【エリック・クラプトン】
 第1位【ジミ・ヘンドリックス】

そんなミュージシャンによって選ばれたギタリストTOP10の中から楽曲をご紹介したのは・・・
 10位【ピート・タウンゼント】
    右手をグルグルまわしながらのギター奏法やギターを破壊するパフォーマンスでおなじみ
  ♪マイ・ジェネレーション(My Generation) /ザ・フー
 8位【エドワード(エディ)・ヴァン・ヘイレン】
    指でのハンマリングやプリングにより音を出す「ライトハンド奏法(タッピング)」を駆使した独特のギターサウンドを広めました。
  ♪Eruption〜You Really Got Me/ヴァン・ヘイレン
   *先日亡くなられたエディ・ヴァンへイレン。
    当時はエディではなくエドワードと表記されていました。
 5位【ジェフ・ベック】
    三大ロックギタリストの1人。「ヤードバーズ」にも在籍。
  ♪蒼き風(Blue Wind)
 4位【キース・リチャーズ】
    2003年のランキングでは10位。2022年に結成60周年を迎えます。
  ♪ギミー・シェルター(Gimme Shelter) /ローリング・ストーンズ
 3位【ジミー・ペイジ】
    三大ロックギタリストの1人。「ヤードバーズ」にも在籍。
  ♪ハートブレイカー(Heartbreaker)/レッド・ツェッペリン
 2位【エリック・クラプトン】
    三大ロックギタリストの1人。「ヤードバーズ」にも在籍。
    ちなみに…クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの順で「ヤードバーズ」のギタリストを担当。
  ♪クロスロード(Crossroads)/クリーム
 1位【ジミ・ヘンドリックス】
    ジェフ・ベック、エリック・クラプトンからも「ジミにはかなわない…」といった賛辞が送られるギタリスト。
  ♪パープル・ヘイズ(紫の炎)/ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス

そしてちょっとTOP10から離れピックアップしたのは第93位にランキングされた【ポール・サイモン】
  ♪アンジー(Anji)/サイモン&ガーファンクル

2020年10月09日〜10月14日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第212回

写真:坂崎幸之助 ↑↑音楽を聞きながらノッているところをお見せするためワザとブレブレの写真にしています。

坂崎さんから:

ブリトラのニューアルバム、絶対良いだろうな。
アコギいっぱいで、相変わらずの伊藤君の世界と、細根君のハモ。じっくり聞くね。
それと、ボブさん2人。
あまりレゲエは聞かないのですが、ハマるとヤバそうですな。
まだボブさん、続くかな。

今回は「ホ」で始まるアーティストの10回目。ラインナップは・・・

『ボブ・マーリー(Bob Marley)』
★1945年2月6日ジャマイカ生まれ。(1981年に脳腫瘍のため36歳という若さで亡くなっています)
ジャマイカ独特の音楽、レゲエのパイオニアとして世界中のミュージシャンに影響を与えました。
10代半ばから音楽活動をスタート。
幼馴染みを中心にグループ【ザ・ウェイラーズ】を結成しアルバムを次々に発表。
当初は国内での人気にとどまっていましたが、彼らの人気は次第に世界へと広がっていきます。
 ♪アイ・ショット・ザ・シェリフ(I Shot The Seriff)/ザ・ウェイラーズ
  *1973年発売のアルバム『バーニン(Burnin')』収録。
  *この曲を聴いたエリック・クラプトンは、すぐにカバー。
   1974年、クラプトンにとって初の全米1位を獲得しています。
   このクラプトンの影響でボブ・マーリーは一気に世界中のロックファンの注目を集めます。
 ♪ノー・ウーマン、ノー・クライ(No Woman,No Cry)/ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
  *1974年発表のアルバム『ナッティ・ドレッド』収録。
 ♪エクソダス(Exsodus) /ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
  *1977年発表のアルバム『エクソダス』収録。
  *アルバム『エクソダス』は全米だけで1300万枚以上のセールスを記録。
★1981年に脳腫瘍のため36歳という若さで亡くなったボブ・マーリー。
オリジナルアルバム、ライヴ盤、ベスト盤、そして亡くなった後に次々にリリースされた作品集など、 全世界での売り上げは7,500万枚以上!

『ボブ・シーガー(Bob Seger)』
★1945年、アメリカ・デトロイト生まれのシンガーソングライター(75歳)。
「リトル・リチャードとエルヴィス・プレスリーが大好きだった」ボブ少年は高校時代から音楽活動をスタート。
1964年にアメリカ上陸を果たしたザ・ビートルズに衝撃を受け、地元のバンドでリードボーカルを担当。
その後、自分のバンドを結成。
何度かのメンバーチェンジ、それと共にバンド名も変えてヒットを夢見る日々を過ごします。
そして1974年に【ボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレット・バンド】を結成。
1976年に発表されたアルバム『炎の叫び(Night Moves)』からシングルカットされたアルバムタイトル曲が全米のラジオ局で大量にオンエアされシングルチャート初のトップ5入り (最高4位)を記録。
 ♪ナイト・ムーヴス(Night Moves)/ボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレット・バンド
  *アルバム『炎の叫び(Night Moves)』からのシングルカット。
 ♪裏切りのゲーム(Still The Same)/ボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレット・バンド
  *1978年発表のアルバム『見知らぬ街(Stranger in Town)』から。
   全米シングルチャート4位を記録。
  *アルバム『見知らぬ街(Stranger in Town)』は全米だけで500万枚以上のセールスを記録。
★シンガーソングライターとしては、イーグルスの「ハートエイク・トゥナイト」にドン・ヘンリー、グレン・フライ、 J.D.サウザーとの共作者として名前を連ねているボブ・シーガー。
数々のシングルヒットがありますが【ボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレット・バンド】名義のシングルは最高2位止まり。 そんなボブ・シーガーが、1987年にエディ・マーフィー主演の映画『ビバリーヒルズ・コップ2』 の主題歌をグレン・フライの代わりに歌うことに。その曲は映画の大ヒットもあって全米1位を記録しました。
 ♪シェイクダウン(Shakedown) /ボブ・シーガー

■『坂番』史上最多ゲスト出演を誇るブリーフ&トランクスの3年ぶりとなるオリジナルアルバム 『パペピプペロペロ』が9月23日に発売されました。
今回はコンピュータプログラミングをあえて封印し、 初の試みとしてアコースティックギターにこだわったアンプラグド的なアルバムに仕上がっています。
坂番では『パペピプペロペロ』から「いい意味で」をご紹介しましたが、 収録曲を見ていると全部聞いてみたくなる!そんなアルバム『パペピプペロペロ』ぜひチェックしてみて下さい。
http://briefandtrunks.com

2020年10月02日〜10月09日放送

『坂崎音楽堂』

最も偉大なギタリスト100人〜前編

写真:坂崎幸之助 ↑↑高見沢先生曰く“高いギター”。Martin 68年製 D-45

坂崎さんから:

ギタリストが選んだ、というのがミソ。
一般の人が選ぶのと違って同業者が認めるギタリストですから、なかなか興味深いです。
日本でもやってみましょうよ。もうやってるのかな?

今回はアメリカの有名な音楽雑誌『ローリング・ストーン誌』が2011年に発表した≪最も偉大なギタリスト100人("100 Greatest Guitarists")≫を元に、 気になるギタリストのテクニックを楽曲と共に紹介していこう!という企画の前編。

ランキング形式になっている、この≪最も偉大なギタリスト100人≫の選定は「読者の投票ではなく、現役のミュージシャン達が中心になって人気や技術力だけではなく、 後世にも語り継がれる魅力を持ったギタリストを投票して決定した」もの。

今回投票に参加した現役ミュージシャンの中にも100位内にランクインした人がいます。例えば・・・・
 第85位【アンディ・サマーズ】(ポリス)
 第84位【ジョー・ペリー】(エアロスミス)
 第54位【ジョー・ウォルシュ】(イーグルス)などなど・・・。

そんなミュージシャンによって選ばれたギタリストとして、今回ご紹介したのは・・・
 ♪ブラック・マジック・ウーマン(Black Magic Woman) /サンタナ
  *20位にランキングされたギタリストが【カルロス・サンタナ】
 ♪ダウン・バイ・ザ・リヴァー(Down By The River)/ニール・ヤング with クレイジー・ホース
  *17位はランキングされたのは、ロックファンの間では「轟音ギター」ともいわれている
   【ニール・ヤング】
 ♪ハイウェイ・スター(Highway Star)/ディープ・パープル
  *今回の投票メンバーでもあり50位にランクインしたのが【リッチー・ブラックモア】
 ♪キープ・ユアセルフ・アライヴ(Keep Yourself Alive) /クイーン
  *現役ミュージシャンとして投票もしつつ26位にランクインしたのが【ブライアン・メイ】
 ♪キャリー・オン(Carry On)/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング
  *47位にランクインしたのが【スティーヴン・スティルス】
 ♪ヤー・ブルース(Yer Blues) /ザ・ビートルズ
  *55位にランクインしたのが【ジョン・レノン】
 ♪サムシング(Something) /ザ・ビートルズ
  *11位にランキングされたのが【ジョージ・ハリスン】

ちなみに≪最も偉大なギタリスト100人≫の20位〜11位は・・・
 第20位【カルロス・サンタナ】
 第19位【ジェイムズ・バートン】→長年エルヴィス・プレスリーのレコーディングやツアーに参加。
 第18位【レス・ポール】→ギタリストであり発明家で、自らのシグニチャーモデルも開発。
 第17位【ニール・ヤング】
 第16位【デレク・トラックス】→新しくなったオールマン・ブラザーズ・バンドに参加した
     スライドギターの名手。
 第15位【フレディ・キング】→BBキング、アルバート・キングと共に「3大キング」を構成。
     ブルースギター。
 第14位【デヴィッド・ギルモア】(ピンク・フロイド)
 第13位【アルバート・キング】→「3大キング」の1人
 第12位【スティーヴィー・レイ・ヴォーン】
 第11位【ジョージ・ハリスン】

≪最も偉大なギタリスト100人≫の後編では10位〜1位を紹介する予定です♪

2020年09月25日〜09月30日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第211回

写真:坂崎幸之助 Sigmaのfpに、新しいレンズ85mm f1.4です。
コンパクトで高性能はさすが!!

坂崎さんから:

ボビーさん続いていますが、ほとんど皆さん年上ですね(笑)
今日はそのボビーさんが終わり、ボブさんに移りました。
ディランさんも、もうすぐですね。

今回は「ホ」で始まるアーティストの8回目。ラインナップは・・・

『ボビー・フラー・フォー(Bobby Fuller Four)』
★1942年、テキサス州ベイタウン生まれのボビー・フラーを中心に結成された4人組のロックバンド。
当時、人気だったバディ・ホリーに強い影響を受けています。
彼らの代表曲といえば、のちに【ザ・クラッシュ】がカバーした曲。
 ♪アイ・フォート・ザ・ロウ(I Fought The Law)
  *1966年・全米9位。
  *このシングルを発表して約半年後、23歳という若さでボビー・フラーは亡くなっています。

『ボビー・フリーマン(Bobby Freeman)』
★1940年6月13日、サンフランシスコ生まれのR&Bシンガー。
14歳でボーカルグループ【ザ・ロマンサーズ】のリードボーカル担当。
その後ソロアーティストになって最初のシングルが全米5位を記録する大ヒット。
 ♪踊ろよベイビー(Do You Want To Dance)
  *1958年・全米5位。
  *ボビー・フリーマン自身が作詞&作曲したこの曲は、
   後にクリフ・リチャード、フォー・シーズンズ、ビーチ・ボーイズ、ジョン・レノンなど、多くのミュージシャン達がカバーしています。

『ボビー・ブルーム(Bobby Bloom)』
★1945年、ニューヨーク生まれのシンガーソングライター。
元々セッションシンガーをしつつ、ソングライターとしても数々のヒット曲を作っています。
ソロアーティストとしては“ジャマイカ第2の都市”を歌った曲がヒット。
 ♪モンテゴ・ベイ(Montego Bay)
  *1970年・全米8位。

『ボビー・ヘブ(Bobby Hebb)』
★1938年、テネシー州ナッシュビル生まれのR&Bアーティスト。
3歳の時から歌やダンスの芸能活動をスタート。
1963年、幼い頃から一緒に活動していた兄“ハロルド”が亡くなり、悲しみを何とか乗り越えようと作った曲が大ヒットしました。
 ♪サニー(Sunny)
  *1966年・全米2位を記録。
  *この曲は、これまで300以上のカバーが録音されているそうです。

『ボビー・マクファーリン(Bobby McFerrin)』
★1950年、N.Y.マンハッタン生まれのジャズ歌手。アル・ジャロウを彷彿させる楽器的歌唱法で、 トム・クルーズ主演の大ヒット映画『カクテル』に使われた曲が全米ナンバーワンに輝いています。
 ♪ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー(Don't Worry Be Happy)
  *1988年・全米1位を記録。
  *リズムやベース、ボーカルなど全て自分の声だけで多重録音。
   全米チャート史上、伴奏に一切楽器を使わない曲として初の全米No.1となっています。

『ボビー・ライデル(Bobby Rydell)』
★1942年、ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれのポップシンガー。
幼い頃からTVに出演、その後アイドルとして活動。
1959年から1965年までの約6年間で33曲がチャートイン(トップテンヒットは6曲)。
 ♪ボラーレ(Volare)
  *イタリアのドメニコ・モドゥーニョが歌った名曲のカバーで1960年に全米4位の大ヒット。
  *ちなみにドメニコ・モドゥーニョが1958年に歌ったオリジナルは、
   史上初の英語以外の全米1位に。第1回グラミー賞で「最優秀レコード賞」「最優秀楽曲賞」を受賞。

『ボブ・ウェルチ(Bob Welch)』
★1946年ロサンゼルス生まれ。父は有名な映画プロデューサー、母は歌手で女優という芸能一家で育ち10代の終わりからギタリストとして音楽活動をスタート。
1971年にピーター・グリーンなどギタリストが脱退した【フリートウッド・マック】に参加。
【フリートウッド・マック】脱退後、3人組の【パリス】を結成し解散後、1977年にソロ活動をスタート。
第1弾アルバム『フレンチ・キッス』からの1stシングルは【フリートウッド・マック】在籍時代に書いた曲のセルフカバーでした。
 ♪センチメンタル・レディ(Sentimental Lady)
  *1978年・全米8位。
  *【フリートウッド・マック】のクリスティン・マクビーとリンジー・バッキンガムがコーラスで参加。
  *ソロ・デビューアルバム『フレンチ・キッス』は全米だけで200万枚以上のセールスを記録。

2020年09月18日〜09月23日放送

『坂崎音楽堂』

ルーツ・オブ・坂崎幸之助〜メジャーGSシングルヒットコレクション

番外編 GSが教えてくれた洋楽 第2弾

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

当時の日本は、まだまだ洋楽の影響が大きいのです。
カバーをやるにも実力があるか、ないかがハッキリしてしまうので、なかなか大変。
選曲もそのバンドのセンスになるし、そんな競争をしていたのでしょうね。

坂崎少年が小学校から高校にかけて、TVやラジオ、レコードで聴いていた邦楽・洋楽にスポットを当てていく
≪ルーツ・オブ・坂崎幸之助≫シリーズ。
今回は【メジャーGSシングルヒットコレクション】番外編の第2弾!
4枚組のコンピレーションアルバム『GSが教えてくれた洋楽100』を特集しました。

 ♪今日を生きよう(Let's Live For Today)/リビング・デイライツ(1967年)
  *ザ・テンプターズがデビューシングル「忘れ得ぬ君」のB面にカップリングした曲のオリジナル。
  *グラス・ルーツが世界的にヒットさせた曲ですが、
   今回のコンピにはテンプターズと同じ日本のレコード会社に発売権があった英国のバンド、
   リビング・デイライツのバージョンが収録されています。
 ♪自由になりたい(I Wanna Be Free) /ザ・モンキーズ(1966年)
  *モンキーズの日本盤シングルでは「モンキーズのテーマ」のB面にカップリングさていた曲。
  *『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』にも収録。
   ライブでは、ドラムの大口広司さんのボーカルでファンにはおなじみだった曲。
 ♪愛しておくれ(Gimme Some Lovin')/ザ・スペンサー・デイヴィス・グループ(1966年)
  *ボーカルはスティーヴ・ウィンウッド。
  *ザ・スパイダースがカバー。ムッシュがリードボーカルを担当。
 ♪ハンキー・パンキー(Hanky Panky)/トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズ(1966年)
  *元々はボーカリストとしてスパイダースに参加した井上堯之さんのボーカルでカバー。
 ♪ルイ・ルイ(Louie Louie) /ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ(1963年)
  *ジャッキー吉川とブルー・コメッツがカバーしていた曲。
 ♪ストップ・ザ・ミュージック(Stop The Music)/レーン&ザ・リー・キングス(1965年)
  *本国スウェーデンをはじめ、ノルウェー、フィンランドで1位を記録。
  *ロカビリー・バンドとして1957年に堀威夫さん(「ホリプロ」の創業者)を中心に結成された
   スウィング・ウエストが、1968年「雨のバラード」の前にカバーしてシングル発売。
 ♪あなただけを(Somebody To Love)/ジェファーソン・エアプレイン(1967年)
  *ザ・モップスがカバー。ボーカルは鈴木ヒロミツさん。
 ♪シーズ・ア・レインボウ(She's A Rainbow) /ザ・ローリング・ストーンズ(1967年)
  *この曲のピアノはニッキー・ホプキンス、
   ストリングス部分の編曲はジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)。
  *1967年に「初恋の丘」でデビューしたザ・ビーバーズがカバー。
   ピアノやストリングス部分をすべてギターの石間秀樹さんが再現。

2020年09月11日〜09月16日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第210回

写真:坂崎幸之助 2位を頂きました。ありがとうございます!!

坂崎さんから:

またまたボビーさん特集ですね(笑)。
日本だと太郎とか大輔とか、よくある名前なのかなぁ。
まだまだ「ホ」の字、続きますよォ。

今回は「ホ」で始まるアーティストの8回目。ラインナップは・・・

『ボビー・シャーマン(Bobby Sherman)』
★1943年7月22日、アメリカ・カリフォルニア州サンタモニカ生まれ(77歳)。
【モンキーズ】の人気が下火になった頃、TV番組から登場し、一躍ティーンエイジアイドルとなった歌手 兼 俳優。
さわやかな笑顔と清潔感溢れるルックスで、日本でも若い女の子の間で大人気に。
ちなみに、日本ではガムのTVCMに自らのヒット曲をバックに出演。
1970年の11月には日本武道館でのコンサートも行なっています。
 ♪リトル・ウーマン(Little Woman)
  *1969年・全米3位を記録。
★この曲に続き「ラ・ラ・ラ」「イージー・カム、イージー・ゴー」、そして日本ではガムのCMソングにも使われた「いとしのジュリー」等のシングルヒットを放っています。

『ボビー・ダーリン(Bobby Darin)』
★1936年5月14日、ニューヨーク・ブロンクス生まれ。
幼い頃から音楽に親しみ、13歳までにピアノ、ギター、ドラムスなどの楽器を演奏。
その後、俳優、ソングライターと多彩な才能を発揮。
1958年(22歳の時)、わずか1時間で作曲し歌った「スプリッシュ・スプラッシュ」が全米3位を獲得。
翌1959年には作曲だけでなく作詞も担当した「ドリーム・ラバー」が全米2位という大ヒットを記録。
いずれも売り上げ100万枚以上となっています。
 ♪スプリッシュ・スプラッシュ(Splish Splash)
 ♪ドリーム・ラバー(Dream Lover)
★この2曲の大ヒットで、シンガーソングライターとしての地位を獲得したと思ったところ所属のレコード会社から、 より多くの音楽ファンにアピールするため、ブレヒトの戯曲で、ドイツの有名な音楽家“クルト・ワイル”が音楽を担当した音楽劇『三文オペラ』 の中の名曲「マック・ザ・ナイフ」のカバーを依頼されます。
この曲がシングルとして発売されると全米シングルチャートで9週連続のナンバーワンを記録する大ヒットに!
 ♪マック・ザ・ナイフ(Mack The Knife)
  *全米だけで売り上げ200万枚以上を記録。
  *グラミー賞では「最優秀レコード賞(Record of the Year)」「最優秀新人賞」を受賞。
★その後もロック、ポップス、フォーク、R&B、カントリーなど数々のジャンルの作品をヒットさせ、 子供の頃からの夢だった俳優業も成功していますが、1973年、わずか37歳という若さでこの世を去っています。

『ボビー・ブラウン(Bobby Brown)』
★1969年2月5日、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン出身(現在51歳)のR&Bシンガー。
1983年にボーイズグループ【ニュー・エディション】に参加。1986年にはグループを脱退しソロ活動をスタート。
ソロデビュー曲「ガールフレンド」は、全米ダンスチャートで1位を獲得しますが、一般チャートでは57位止まり。
約2年後の1988年には、当時ソウル界を席巻していた売れっ子プロデューサーたち(ベイビーフェイス&L.A.リード、 テディ・ライリー)を迎えた2ndアルバム『ドント・ビー・クルエル(Don't Be Cruel)』を発表。
その頃、大流行だった独特のリズムの“ニュー・ジャック・スウィング”の代表的アルバムとして世界中で大ヒット。
全米アルバムチャートで初の1位を獲得し、売り上げも世界で1,000万枚以上を記録。
このアルバムからは、11曲中5曲がシングルカットされ、いずれも大ヒットしています。
 ♪ドント・ビー・クルエル(Don't Be Cruel)
  *1988年・全米8位を記録。
 ♪マイ・プリロガティブ(My Prerogative)
  *1989年・全米1位を記録。
 ♪エヴリ・リトル・ステップ(Every Little Step)
  *1989年・全米3位を記録。
  *日本ではTVCMに使われボビー自身も超絶的なダンスパフォーマンスで出演。
   踊りだけではなく、髪型・ファッション等ボビーのスタイルを真似した通称“ボビ男くん”ブームも起こりました。
★この大ヒットのあと、1992年にホイットニー・ヒューストンと結婚し、順風満帆と思われましたが、 ホイットニーに対するDV(ドメスティックバイオレンス)や様々な不祥事が重なり、2006年に離婚しています。

2020年09月04日〜09月09日放送

『坂崎音楽堂』

ルーツ・オブ・坂崎幸之助〜メジャーGSシングルヒットコレクション 第3弾

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

名曲の多いシングルヒットです。
どうしてもオリジナルではなく作家陣の先生方が作った曲が多いので本人達は当時歌いたがらなかった曲も多いのですが、今聞いても、ほとんど良い曲だなぁ。 って改めて思いますね。
あの時代感も、とても良い。

坂崎少年が小学校から高校にかけて、TVやラジオ、レコードで聴いていた邦楽・洋楽にスポットを当てていく
≪ルーツ・オブ・坂崎幸之助≫シリーズの【メジャーGSシングルヒットコレクション】第3弾。
今回は今までご紹介してきたスパイダース、ブルコメ、タイガース、テンプターズ以外のGSの代表的ヒット曲をピックアップ。

 ♪想い出の渚/ザ・ワイルド・ワンズ(1966)(デビュー曲)
  *作詞/鳥塚茂樹、作曲/加瀬邦彦。
   1966年〜1971年/1981年から活動再開。
   加瀬邦彦(リーダー&ギター)2015年74歳没。
   鳥塚しげき(ボーカル&ギター)
   植田芳暁(ボーカル&ドラムス)
   島英二(ベース)
   渡辺茂樹(チャッピー)(キーボード&ボーカル)1968年加入/2014年63歳没。
   【ザ・スパイダース】に約3ヶ月、そして【寺内タケシとブルージーンズ】などにも在籍した
   加瀬邦彦さんが「平凡パンチ」でメンバー募集し結成。
   「想い出の渚」以外に「青空のある限り」「愛するアニタ」「バラの恋人」などのヒットがあります。

 ♪いつまでもいつまでも/ザ・サベージ(1966)
  *作詞・作曲/佐々木勉。
   寺尾聡さんが在籍していたグループ【ザ・サベージ】の代表曲。
   デビュー当時は「カレッジフォーク」に対抗して「カレッジポップス」というキャッチフレーズも付き、
   ファッションも真面目な感じでした。

 ♪バラ色の雲/ヴィレッジ・シンガーズ(1967)(3rdシングル)
  *作詞/橋本淳、作曲/筒美京平。
   リードボーカルの清水道夫さんをはじめアイビーファッションで真面目なお嬢様方やそのお母様たちにも人気を集めました。
   他にも「好きだから」「亜麻色の髪の乙女」などのヒット曲があります。

 ♪好きさ好きさ好きさ/ザ・カーナビーツ(1967)(デビュー曲)
  *作詞・作曲/クリス・ホワイト 訳詞/漣健児。
   長髪&カラフルなファッションで大人気だったグループ。
   アイ高野さんが、ドラムを叩きながら独特のポーズでシャウトする「好きさ好きさ好きさ」
   のヒットに続き、「恋をしようよジェニー」「オーケイ!」「オブラディ・オブラダ」などもヒット。

 ♪君に会いたい/ザ・ジャガーズ(1967)(デビュー曲)
  *作詞・作曲/瀬川正一。
   メンバー全員そろってのミニタリールックが印象的だったグループ。
   「ダンシング・ロンリー・ナイト」「マドモアゼル・ブルース」「キサナドゥーの伝説」などもヒット。

 ♪ガール・フレンド/オックス(1968)(デビュー曲)
  *作詞/橋本淳、作曲/筒美京平
   「失神バンド」とも言われ、この“失神”が1968年の流行語にもなったそうです。
   「ダンシング・セブンティーン」「スワンの涙」などもヒット。

 ♪長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス(1968)(3rdシングル)
  *作詞/橋本淳、作曲/鈴木邦彦
   元々イギリスのロックやR&Bをベースに、横浜で活動していた実力派バンドでしたがGSとしてデビュー。
   ソウルフルなデイヴ平尾さんのボーカルと名うてのミュージシャンたちによるプロ受けするサウンドが注目されましたが、
   レコード会社などの“若い女の子たちに受けないとレコードが売れない”という思惑もあり、
   ドラム担当のイケメン、マモル・マヌーにリードボーカルをとらせた歌謡曲路線の曲が大ヒット。

2020年08月28日〜09月02日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第209回

写真:坂崎幸之助 この暑さでダラけてます。。。

坂崎さんから:

今日はボビーさん特集でしたね。
まだボビーさんはいそうですねぇ。
ボビー・ヴィントンの「ミスター・ロンリー」好きだなぁ。
どうしてもFMの番組が思い出されてしまいますが、僕は映画「グローイング・アップ」のシーンが好きだったなぁ。

今回は「ホ」で始まるアーティストの7回目。ラインナップは・・・

『ボビー・ヴィー(Bobby Vee)』
★1943年4月30日、アメリカ・ノースダコタ州生まれのポップシンガー(2016年10月24日・73歳で死去)。
幼い頃から歌が上手かったボビー・ヴィーは、1959年の夏に16歳で歌手デビュー。
1960年代には43曲のシングルヒットを放っています。
(全米トップ20ヒットが10曲、トップ10ヒットが6曲、トップ3入りが4曲)
 ♪サヨナラ・ベイビー(Take Good Care Of My Baby)
  *1961年、彼にとって唯一の全米ナンバーワンに輝いた曲。
★ボビー・ヴィーがデビューした頃のバックバンドに“エルストン・ガン”という2歳年上のピアノ弾きが短期間参加していましたが、 この“エルストン・ガン”が実は“ボブ・ディラン”だったというエピソードがあります。

『ボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)』
★1935年4月16日生まれ。アメリカ・ペンシルベニア州キャノンハリスバーグ出身(現在85歳)。
父親がバンドリーダーだったこともあり、幼い頃から様々な楽器の演奏に親しみ高校時代にはバンドを結成。
そして大学で作曲学を学び、1960年に父親同様バンドリーダーとしてレコード会社と契約。
1961年には【ボビー・ヴィントン&ヒズ・オーケストラ】として2枚のアルバムをリリース。
しかし全く売れず翌1962年には歌手として再スタート。
その歌手としてのデビュー曲が、本人自らの全米各地でのプロモーションも実って全米1位となる大ヒット!
 ♪涙の紅バラ(Roses Are Red)
  *1962年、デビュー曲にして全米1位を獲得。
 ♪ブルー・ベルベット(Blue Velvet)
  *1963年に放った2曲目の全米1位となった曲。
★「ブルー・ベルベット」以外に「ブルー・オン・ブルー」が全米3位、「ブルー・ファイア」が全米1位、「ブルー・ハート」が全米9位・・等のヒットで日本においては ≪ミスター・ブルー≫という愛称で大人気でした。
 ♪ミスター・ロンリー(Mr.Lonely)
  *1964年に放った4曲目の全米1位獲得曲。

『ボビー・ゴールズボロ(Bobby Goldsboro)』
★1941年1月18日、アメリカ・フロリダ州マリアンナ生まれ(現在79歳)。
ポップカントリー系のシンガーソングライター兼ギタリスト。
1962年に歌手デビューしましたが、すぐにはは売れず2年ほど“ロイ・オービソン”のバックでギターを弾いて生計を立てていました。しかし1964年に自作曲(「ひとりぼっちのクラウン」)の大ヒットもあって、 ポップチャートとカントリーチャートを股にかけ活躍。
1968年には初となる全米ナンバーワンが誕生しています。
 ♪ハニー(Honey)
  *この曲のサブタイトルは“I Miss You”。「若い妻を失くした男の切ない気持ち」が歌われています。

『ボビー・コールドウェル(Bobby Caldwell)』
★1951年8月15日、ニューヨーク・マンハッタン生まれ(69歳)。
マルチインストゥルメンタリスト(数々の楽器に精通)にしてシンガーソングライター。
デビュー曲がリリースされ、全米のラジオ局で大量にオンエアーされた時には声質が似ていたためか、 「スティービー・ワンダーの新曲?」とも言われたりしたそうです。
 ♪風のシルエット(What You Won't Do For Love)
  *当時大流行していたAORの新星としても注目を集めたデビュー曲。
   1979年に全米9位の大ヒット。
★デビューアルバム『イヴニング・スキャンダル(原題"Bobby Caldwell")』のジャケットのデザインは、 “トレードマークのハットをかぶり、小高い丘のベンチに腰掛けたボビー・コールドウェルのシルエット”。
これをイメージして、シングル曲の邦題が「風のシルエット」となった…とか。
「風のシルエット」の原題は“What You Won't Do For Love”。
訳は「君がしないようなことでも、愛のためなら僕はしてあげられる」といった感じでしょうか。

『ボビー・ジェントリー(Bobbie Gentry)』
★1944年7月27日、ミシシッピ州チカソー・カウンティ生まれ(76歳)。
ギター・ピアノ・ベース・バンジョーなどを演奏するマルチプレイヤーのカントリー系シンガーソングライター。
 ♪ビリー・ジョーの唄(Ode To Billie Joe)
  *1967年発表、全米シングルチャート1位を記録。
  *グラミー賞「最優秀新人賞」「最優秀女性ポップボーカル賞」「最優秀女性カントリーボーカル賞」受賞。
  *ちなみに、この曲に1位の座を奪われたのはザ・ビートルズ「All You Need Is Love」でした。
  *1976年には、この曲をテーマにした映画『ビリー・ジョーの唄』も公開、主題歌としてニューバージョンとなった
   「ビリー・ジョーの唄」もリリースされています。

2020年08月21日〜08月26日放送

『坂崎音楽堂』

ルーツ・オブ・坂崎幸之助〜ニッポン洋楽ヒッツ 第2弾

写真:坂崎幸之助 ↑坂崎さん専用(笑)ティシュペーパー

坂崎さんから:

当時の洋楽でも日本だけでヒットした曲は、やはり日本人が好きそうなメロディーであると。
これは当時のレコード会社のディレクターが、選曲したりしていたのであれば、それはやりがいのある仕事だったのでしょうね。
それだけ責任もあったでしょうが。

坂崎少年が小学校から高校にかけて、TVやラジオ、レコードで聴いていた邦楽・洋楽にスポットを当てていく
≪ルーツ・オブ・坂崎幸之助≫シリーズ。
今回は、本国ではヒットしていない曲、日本だけでシングルリリースされた曲など、日本だけでヒットした洋楽特集の第2弾。

 ♪しあわせの朝/クリフ・リチャード(1969)
  *来日記念盤として日本でのみシングルとなった曲。
 ♪雪が降る(日本語ver.)/アダモ(1969)
  *イタリア・シシリー島出身ベルギー育ち。フランスを中心にヨーロッパで大活躍。
   日本のシングルチャートで5位まで上昇。
 ♪ハートブレイカー/グランド・ファンク・レイルロード(1970)
  *1970年・全米では72位。
   1971年に後楽園球場で行なわれた激しい雷雨の中でのライヴは日本での大規模な野外ロックの伝説となっています。
 ♪ミスター・マンディ/オリジナル・キャスト(1970)
  *カナダの5人組。全米チャートでは最高 119位でしたが、日本での洋楽チャートでは1位。
   週間総合チャートでは最高位7位を記録。
 ♪ガラスの部屋/ペピーノ・ガリアルディ(1970)
  *レイモンド・ラブロック主演のイタリア映画『ガラスの部屋』(1969)の主題歌。
   日本では1970年に公開され映画も主題歌も大ヒット。
 ♪シェリーに口づけ/ミッシェル・ポルナレフ(1971)
  *1970年代に日本で大人気となったフランス人シンガーソングライター。
   日本の洋楽チャートで8週連続の1位(週間総合チャートでも最高位6位)を記録。
 ♪愛の休日/ミッシェル・ポルナレフ(1972)
  *日本の洋楽チャートで12週連続の1位(週間総合チャートでも最高位6位)を記録。
 ♪あまい囁き/ダリダ&アラン・ドロン
  *日本で大人気だったアラン・ドロンとダリダによる語りと歌というデュエット曲。
   中村晃子さんと細川俊之さんによるカバーもヒットしました。
   他にも金井克子さんとアラン・ドロンの吹替えをやっていた野沢那智さんのバージョンも話題に。

2020年08月14日〜08月19日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第208回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

「ホ」続いております。 ボ・ドナルドソンさんの「ボ」は姓名で言うところの名字でなく名前なのかなぁ。気になるなぁ。
例えば日本で言うと「坂崎ぼ」になるってこと?

今回は「ホ」で始まるアーティストの6回目。ラインナップは・・・

『ボ・ドナルドソン&ザ・ヘイウッズ(Bo Donaldson & The Heywoods)』
★1965年にアメリカ・オハイオ州シンシナティで結成された男性7人組のポップロックバンド。
デビュー当時は【ザ・ヘイウッズ】と名乗っていましたが、1974年のレコード会社移籍をきっかけに、リーダーでキーボード奏者の “ボ・ドナルドソン”の名前をアタマに付けた【ボ・ドナルドソン&ザ・ヘイウッズ】に改名。
グループ名を変えた最初のシングルが全米1位となる大ヒットとなっています。
 ♪哀しみのヒーロー(Billy,Don't Be A Hero)
  *1974年・全米1位
  *イギリスの【ペイパー・レース(Paper Lace)】というグループが全英1位にした曲のカバー。

『ホット・バター(Hot Butter)』
★【モンキーズ】や【ジョン・デンバー】などのアルバムで、キーボードを担当したスタジオミュージシャン“スタン・フリー”が、スタジオ仲間と結成したグループ。
当時流行のキーボード≪モーグ・シンセサイザー≫を駆使したインストルメンタルの曲は、1972年に本国アメリカをはじめ世界中で大ヒットを記録しています。
 ♪ポップコーン(Popcorn)
  *1972年・全米9位

『ボニー・タイラー(Bonnie Tyler)』
★1951年6月8日、ウェールズ生まれのポップロックシンガー。
デビュー当初から、独特のハスキーボイスで「女性版ロッド・スチュワート」と言われていました。
彼女がデビュー2年目に放った5枚目のシングルは全米3位をはじめ、イギリス、ヨーロッパでも大ヒットを記録。
 ♪愛は哀しくて(It's A Heartache)
  *1978年・全米3位
 ♪愛のかげり(Total Eclipse Of The Heart)
  *1983年・全米1位
 ♪ヒーロー(Holding Out For A Hero)
  *映画『フットルース』のサントラに収録され1984年・全米では34位。
  *日本では葛城ユキさんや麻倉未希さんがカバー。
   特に麻倉さんがカバーした「ヒーロー」は、TVドラマ「スクール☆ウォーズ」の主題歌となり大ヒット。

『ボニーM(Boney M)』
★1976年にドイツで結成されたディスコグループ。男女混合の4人組(男性1人・女性3人)。
世界的なディスコ全盛の1970年代終わりから1980年代中頃までヨーロッパを中心に数々のヒットを放っています。
 ♪バビロンの河(Rivers Of Babylon)
  *1978年・全米では30位。イギリスをはじめヨーロッパ各国では1位を記録。
 ♪バハマ・ママ(Bahama Mama)
  *1979年・本国ドイツで7位を記録した「I'm Born Again」の両A面シングル。
  *この曲には大阪の中島多美子さんから昨年3月に『「ホ」の付くアーティストの時に是非!』と
   リクエストをもらっていました。
   現在、日本各地で盆踊りの曲として使われていて場所によっては「バハマ音頭」と言われているとか。

2020年08月07日〜08月12日放送

『坂崎音楽堂』

ルーツ・オブ・坂崎幸之助〜メジャーGSシングルヒットコレクション

番外編 GSが教えてくれた洋楽

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

GSって、かなり洋楽のカバーをやっていたので、こんなアルバムはありがたいですね。
意外と本家ではヒットしていない曲だったりで、なかなか面白いです。
歌謡曲みたいなシングルってイヤだったんだろうなぁ。

坂崎少年が小学校から高校にかけて、TVやラジオ、レコードで聴いていた邦楽・洋楽にスポットを当てていく
≪ルーツ・オブ・坂崎幸之助≫シリーズ。
今回は【メジャーGSシングルヒットコレクション】の番外編です。

今年の春リリースされた4枚組のコンピレーションアルバム『GSが教えてくれた洋楽100』を特集!
 ♪ I Love You(好きさ好きさ好きさ)/ザ・ゾンビーズ
  *1965年リリースの「お好きな時に(Whenever You're Ready)」のB面だった曲。
  *カーナビーツがカバーし、1967年のデビューシングルとしてリリース。
   日本語詞は漣健児さん。
 ♪オーケイ!(OKAY!) /デイヴ・ディー・グループ
  *1967にデイヴ・ディー・グループが発表した曲をカーナビーツが3枚目のシングル曲としてカバー。
  *日本語詞は『ミュージック・ライフ』の編集長だった星加ルミ子さん。
 ♪バラ・バラ(Balla Balla) /レインボウズ
  *ドイツのレインボウズが1965年に放ったヒットシングル。
  *1967年にザ・スパイダースがカバー。
   10枚目のシングルとしてウォーカー・ブラザースの「ダンス天国」のカバーとカップリングで発表。
 ♪ブーン・ブーン(Boom Boom)/アニマルズ
  *ザ・スパイタースは、この曲のカバーを「なんとなく なんとなく」(1966)のB面に収録。
  *1964年のアニマルズ来日公演の前座となったスパイタースが本家に先駆けて披露してしまい、
   すごく叱られた!という逸話がある曲です。
 ♪デイ・トリッパー(Day Tripper)/オーティス・レディング
  *ビートルズが1965年に発表した11枚目のシングルをオーティス・レディングが1966年にカバー。
   そのオーティスver.のアレンジでスパイダースはカバー。
   1968年の『ザ・スパイダース・アルバムNO.5』に収録されています。
 ♪スキニー・ミニー(Skinny Minnie) /ジミー&ザ・ラケッツ
  *イギリスのグループ、ジミー&ザ・ラケッツが1964年にリリースした曲。
   印象的なギターのカッティングが、ザ・タイガースの「シー・シー・シー」の元になったかもしれない…
   と言われている曲です。
 ♪ヘンリー8世君(I'm Henry [ I Am)/ハーマンズ・ハーミッツ
  *1965年に発表された曲。
  *タイガースの瞳みのる(ピー)さんが、ステージで持ち歌として歌っていた曲。
 ♪ホリディ(Holiday)/ザ・ビー・ジーズ
  *1967年に発表された曲。
  *タイガースのトッポこと加橋かつみさんの持ち歌だった曲。
  *テンプターズ、オックス、ワイルド・ワンズ、フィンガーズ、ハプニングス・フォーも
   それぞれのアルバム内でカバーしています。
 ♪テル・ミー(Tell Me)/ザ・ローリング・ストーンズ 
  *1964年に発表された曲。
  *オックスが、失神曲(?!)としてステージで演奏していた曲。

2020年07月31日〜08月04日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第207回

写真:坂崎幸之助 「坂崎さん、膝やぶれています!」 「いけね!!縫わないと・・・」

坂崎さんから:

急に懐かしくなった。と言うのは昔ライブハウス時代になぜかボズ・スキャッグスの曲をカバーしたことがあったのです。
久しぶりに聞きました。
高見沢がやろうって言ったんだったかなぁ。
暗中模索時代の話だね。色々やったなぁ〜。しみじみ。

今回は「ホ」で始まるアーティストの5回目。ラインナップは・・・

『ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)』
★1944年6月8日、オハイオ州カントン生まれ(76歳)。
12歳でギターを始め、高校時代に“スティーヴ・ミラー”と出会いバンド活動をスタート。
1965年にイギリスをはじめヨーロッパを放浪中、スウェーデンのレコード会社の目にとまりデビューアルバム『ボズ(Boz)』をリリース。
帰国後サンフランシスコを拠点に活動。
旧友スティーヴ・ミラーのバンド【スティーヴ・ミラー・バンド】の1st&2ndアルバムにギタリスト&ボーカルで参加。
1969年にアトランティックレコードからアルバムをリリースするも数年間、不遇の時代が続きます。
そして1976年、“デヴィッド・ペイチ”“ジェフ・ポーカロ”といった、のちの【TOTO】メンバー達が参加したアルバム『シルク・ディグリーズ』を発表。
ファンキーでフュージョンに精通したスタジオミュージシャンによる演奏と独特なR&B風のボズのボーカルが注目され、 全米アルバムチャート2位(500万枚以上のセールス)を記録する大ヒットに。
 ♪ロウダウン(Lowdown)
  *1976年・全米3位。
  *翌年のグラミー賞では「最優秀R&Bソング賞」を受賞。
★アルバム『シルク・ディグリーズ』からは「ロウダウン」の他に「イッツ・オーヴァー」「何て言えばいいんだろう」「リド・シャッフル」もシングルカットされています。
日本では、元々「リド・シャッフル」のB面にカップリングされていた「ウィアー・オール・アローン」が、 “リタ・クーリッジ”によるカバーで大ヒットしたこともありラジオを中心に人気が出てB面からA面になりました。
 ♪ウィアー・オール・アローン(We're All Alone)
★1977年リリースのアルバム『ダウン・トゥー・ゼン・レフト(Down To Then Left)』には、前作にも参加していた
“デヴィッド・ペイチ”“ジェフ・ポーカロ”“デヴィッド・ハンゲイト”に加え“スティーヴ・ルカサー”も参加。
1978年の【TOTO】のデビューに繋がっています。
 ♪ハード・タイムス(Hard Times)
  *アルバム『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』からのシングルで全米58位。
★1980年のアルバム『ミドル・マン(Middle Man)』には、ボーカルの“ボビー・キンボール”以外、“デヴィッド・ペイチ”“ジェフ・ポーカロ”“デヴィッド・ハンゲイト”“スティーヴ・ルカサー” “スティーヴ・ボーカロ”という【TOTO】の結成時のメンバーが全員参加しています。
 ♪ジョジョ(Jojo)
  *アルバム『ミドル・マン』からのシングルで全米17位。
★最近のボズは、昔好きだったジャズやスタンダード、自らの音楽のルーツでもあるブルースやR&Bをカバーしたアルバムを発売しています。

『ホセ・フェリシアーノ(Jose Feliciano)』
★1945年9月10日プエルトリコはラレス生まれ、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム育ち。
盲目のシンガーで、スパニッシュギターの名手。
1964年にデビュー。
1968年にドアーズの「ハートに火をつけて」をカバーし世界的に注目を集めました。
 ♪ハートに火をつけて(Light My Fire)
  *1968年・3週連続全米3位を記録。
 ♪雨のささやき(Rain)
  *1969年・全米76位。日本では大ヒット。
★1971年に初来日を果たしたホセ・フェリシアーノ。
2014年から昨年(2019年)までは毎年のように来日しライヴを披露しています。

『ボックス・トップス(The Box Tops)』
★1966年、テネシー州メンフィスで結成された男性5人組のロックバンド。
プロデューサーはアレサ・フランクリンやジャニス・ジョプリン等に曲を提供して有名になった“ダン・ペン”。
ハスキーで渋いボーカルの“アレックス・チルトン”を中心に1967年に発表したデビュー曲は全米ナンバーワンに!
 ♪あの娘のレター(The Letter)
  *1967年・全米1位を獲得。
★このヒットから3年ほどで解散しましたが、1996年にオリジナルメンバーで復活。
2010年にリードボーカルのアレックス・チルトンが亡くなりましたが現在もメンバーを補充して活動を続けています。

2020年07月24日〜07月29日放送

『坂崎音楽堂』

ルーツ・オブ・坂崎幸之助〜メジャーGSシングルヒットコレクション

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

坂崎のルーツのひとつGSですが、これはフォークとは真逆でアイドル的な要素が多く、バンドに憧れを持ったものです。
平行して同時期にフォークを聞き、その歌詞やメッセージに、とても影響を受けたものです。

坂崎少年が小学校から高校にかけて、TVやラジオ、レコードで聴いていた邦楽・洋楽にスポットを当てていく
≪ルーツ・オブ・坂崎幸之助≫シリーズ。
今回は【メジャーGSシングルヒットコレクション】の第2弾。
坂崎少年が当時何に夢中になり、何を思っていたか…など思い出話を披露しつつ、【ザ・テンプターズ】と【ザ・タイカース】の代表曲をご紹介しました。

 ♪忘れ得ぬ君/ザ・テンプターズ(1967)
  *ザ・テンプターズのデビュー曲
  *リードボーカルは“ショーケン”ではなくリーダーの松崎さん(ヨッチン)でした。
 ♪僕のマリー/ザ・タイガース(1967)
  *ザ・タイガースのデビュー曲

【ザ・テンプターズ】のメンバーは
  松崎由治さん(リーダー、ギター&ボーカル)
  萩原健一(ショーケン)さん(ボーカル、ハーモニカ)2019年68歳没
  田中俊夫さん(ギター、キーボード)1997年50歳没
  高久昇さん(ベース)
  大口広司さん(ドラムス)2009年58歳没
彼らがモデルにしたのは【ザ・ローリング・ストーンズ】や【ヤードバーズ】【アニマルズ】。
当時は、スパイタースの田辺昭知さんが設立した事務所≪スパイダクション≫にスカウトされ「ザ・スパイダースの弟バンド」として売り出されました。
 ♪神様お願い!/ザ・テンプターズ(1968)
  *2ndシングル。シングルチャートでは2位を記録。
 ♪エメラルドの伝説/ザ・テンプターズ(1968)
  *3rd シングル。シングルチャート1位。グループ最大の売り上げ枚数(約46万枚)を記録。

【ザ・タイガース】のメンバーは
  沢田研二さん(ジュリー)(ボーカル、タンバリン)
  岸部修三さん(サリー、現在は俳優で大活躍の岸部一徳さん)(ベース、コーラス)
  加橋かつみさん(トッポ)(リードギター、コーラス、ボーカル)
  森本太郎さん(タロー)(リズムギター、加橋かつみさん脱退後はリードギター、コーラス)
  瞳みのるさん(ピー)(ドラムス)
メンバー全員にニックネームが付いていて、ファン以外の人もその愛称で呼んでいました。
 ♪モナリザの微笑/ザ・タイガース(1967)
  *3rdシングル。
 ♪君だけに愛を/ザ・タイガース(1968)
  *4枚目のシングル。売り上げ公称100万枚以上。
 ♪花の首飾り/ザ・タイガース(1968)
  *1968年の映画『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』の挿入歌。
この後、シングル「シー・シー・シー」「廃墟の鳩」「青い鳥」をリリースした後、加橋かつみさんが脱退。
岸部修三さんの弟・岸部シローさんが加入するも1971年に日本武道館でのコンサートを最後に解散。

2020年07月17日〜07月22日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第206回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

久々のスタジオでの収録でした。
早く日常が戻ってくれると嬉しいのですが、だからと言って無理してもいけません。
ところで、ボストンはやはり良いですなぁ。

約2ヶ月ぶりとなるSYDF。「ホ」で始まるアーティストの4回目。ラインナップは・・・

『ポインター・シスターズ(Pointer Sisters)』
★カリフォルニア州オークランドで1971年に結成された、ルース,アニタ,ボニー,ジューンの“ポインター姉妹”からなるコーラスグループ。
幼い頃からゴスペルに親しみ、聖歌隊で歌い始めた彼女達は1973年に発表された実質的なデビューシングルで、 その卓越したコーラスワークを披露し多くの音楽ファンに衝撃を与えました。
 ♪イエス・ウィ・キャン・キャン(Yes We Can Can)
  *1973年・全米11位を記録。
★その後、1977年に三女のボニーが脱退し3人組になります。
翌1978年には、名プロデューサー、リチャード・ペリーを迎えアルバム『エナジー(Energy)』を発表。その中には、 【ブルース・スプリングスティーン】や【スティーリー・ダン】【ロギンス&メッシーナ】などのカバーも収録。
ジャンルにこだわらない幅広い選曲で構成されたアルバムはプラチナアルバム(全米で100万枚以上のセールス)となっています。
そして1979年には、ロック系のアーティスト達による楽曲を集めたアルバム『プライオリティ(Priority)』を。
1980年には、ポップス系ソングライター達の曲を集めた『スペシャル・シングス(Special Things)』と立て続けにアルバムを発表。
 ♪内気なボーイ(He's So Shy)
  *1980年・全米3位を記録。
  *アルバム『スペシャル・シングス(Special Things)』からのシングル曲。
★この流れで、次々にポップス系のアルバムを発表。
翌1981年のアルバム『ブラック&ホワイト(Black & White)』からも大ヒットが誕生しています。
 ♪スロー・ハンド(Slow Hand)
  *1981年・全米2位を記録。
★1983年にはアルバム『ブレイク・アウト(Break Out)』を発表。
 ♪ジャンプ(Jump)
  *1984年・全米3位を記録。さらにグラミー賞「最優秀女性ポップボーカルグループ賞」受賞。
★2006年に四女ジューンが癌のため亡くなりグループの存続が危ぶまれましたが、2009年に長女ルースの孫サダコが参加。(本名:Sadako Ruth Pointer Johnson 1984年生まれで母親が日本人) 3人組の【ポインター・シスターズ】は現在も活動中です。

『ボストン(Boston)』
★創始者の“トム・ショルツ”は7歳からピアノを始め、アメリカの名門大学「マサチューセッツ工科大学」在学中に独学でギターを習得。
卒業後、エンジニアとなり会社に務めながら自宅アパートに多重録音可能なスタジオを作り、デモテープを制作。
そのテープが≪CBSレコード≫に認められ契約。
このデモテープは、ボーカルの“ブラッド・デルプ”以外、全てのパートをトム・ショルツが演奏し録音したもの。
しかしレコードデビューにあたり、プロモーションを含むライヴツアーをレコード会社が要望したため、ギター、ベース、ドラムスの3人をオーディションで決定。
そして1976年に発表された1stアルバム『幻想飛行(Boston)』からシングルカットされた曲は大ヒット!
 ♪宇宙の彼方へ(More Than A Feeling)
  *1976年・全米5位を記録。
★デビュー作『幻想飛行(Boston)』は全米アルバムチャート3位を記録。売り上げも全米だけで2000万枚以上!
全世界で2500万枚以上と大ヒット!
これに続いて1978年に発表された2ndアルバム『ドント・ルック・バック(Don't Look Back)』からのシングルも大ヒットを記録しています。
 ♪ドント・ルック・バック(Don't Look Back)
  *1978年・全米4位を記録。
★アルバム『ドント・ルック・バック(Don't Look Back)』は全米アルバムチャート1位を記録。
レコード会社はすぐにでも3rdアルバムの発表を望みましたが、完璧主義者の“トム・ショルツ”は1人、 自分のスタジオにこもりレコーディング作業を繰り返す日々。
そんな“トム”に業を煮やした≪CBSレコード≫は契約不履行で彼を訴え長期間に及ぶ法廷闘争に突入。
1986年(前作から実に8年!)法廷闘争も決着し≪MCAレコード≫に移籍。
そこでリリースされた3rdアルバム『サード・ステージ(Third Stage)』は全米アルバムチャート1位を獲得。
ここからの1stシングルは【ボストン】にとって初となる全米シングルチャートナンバーワンに輝いています。
 ♪アマンダ(Amanda)
★2007年、リードボーカルの“ブラッド・デルプ”が亡くなりましたが、その後ボーカルを変えつつ【ボストン】は活動を続けています。

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2020年07月10日〜07月15日放送

『坂崎音楽堂』

ルーツ・オブ・坂崎幸之助〜ニッポン洋楽ヒッツ

写真:坂崎幸之助 プロデューサー巻きの坂崎さん でもポーズはディレクターっぽい?

坂崎さんから:

日本独自のヒット曲というのがけっこうあったのです。
母国ではあまり売れなかったり、アルバムの一曲だったり、ご本人としてはビミョウだとは思いますが嬉しいでしょうね。
そんなヒット曲を生み出すレコード会社のディレクターも仕事のしがいがあったことでしょう。

坂崎少年が小学校から高校にかけて、TVやラジオ、レコードで聴いていた邦楽・洋楽にスポットを当てていく
≪ルーツ・オブ・坂崎幸之助≫シリーズ。

今回は、本国ではヒットしていない曲、日本だけでシングルリリースされた曲など、日本だけでヒットした洋楽を特集しました。

 ♪男の世界/ジェリー・ウォレス(1970)
  *某男性化粧品のCMソングとして大ヒット。
   週間総合チャートでは最高1位を記録。
   日本のレコード会社からアメリカのカントリー歌手、ジェリー・ウォレスに依頼し実現した1曲。
 ♪ナオミの夢/ヘドバとダビデ(1971)
  *1970年開催の『東京国際歌謡音楽祭』の第1回グランプリに輝いたイスラエル出身の男女デュオ。
   音楽祭では、母国のヘブライ語で歌いましたが
   東京に滞在していた1週間の間で日本語の訳詞を付けレコーディング。
   翌1971年にリリースして大ヒット。週間総合チャートで1位を記録。
 ♪雨/ジリオラ・チンクェッティ(1969)
  *1969年の『サンレモ音楽祭』での入賞曲。
 ♪あなたのとりこ/シルヴィ・バルタン(1969)
  *元祖フレンチ・アイドル。
 ♪愛の聖書/クリス・モンテス(1969)
  *本国アメリカでは「レッツ・ダンス」をはじめ何曲かシングルヒットがありますが、
   日本ではアルバムの1曲だった、この曲を独自にシングルカット。
 ♪魔法/ルー・クリスティ(1970)
  *日本独自のシングルヒット。
   本国アメリカでは「恋のひらめき」で全米1位を獲得しています。
 ♪太陽は燃えている/エンゲルベルト・フンパーディンク(1970)
  *週間総合チャートで最高21位。
 ♪霧の中の二人/マッシュマッカーン(1970)
  *全米チャートでは最高31位、日本の週間総合チャートでは1位を記録。
   伝説となっている1971年のグランド・ファンク・レイルロード後楽園球場公演の前座を務めています。
 ♪マンチェスターとリヴァプール/ピンキーとフェラス(1968)
  *女性1人と男性5人からなるイギリスのグループ【フェラス】が放った
   日本だけでヒットした曲。
   当時、日本で大人気だった【ピンキーとキラーズ】にあやかって
   日本でのグループ名を【ピンキーとファラス】としています。

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2020年07月02日〜07月08日放送

『坂崎音楽堂』

ルーツ・オブ・坂崎幸之助〜メジャーGSシングルヒットコレクション

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

大ベテランGSを2組お送り致しましたが、当時のバンドリーダーって会社の社長さんのような存在だったのです。
あまり、なれ合い的な感じではなく、Theプロ!ってな感じだったのですね。
いづれにせよ曲が良い!!

今週から始まった≪ルーツ・オブ・坂崎幸之助≫シリーズ。
坂崎少年が小学校から高校にかけて、TVやラジオ、レコードで聴いていた邦楽・洋楽にスポットを当ててお届けしていきます。

第1弾としてお送りしたのは【メジャーGSシングルヒットコレクション】。
坂崎少年が当時何に夢中になり、何を思っていたか…など思い出話を披露しつつ、【ザ・スパイダース】と【ジャッキー吉川とブルー・コメッツ】の代表曲をご紹介しました。

 ♪フリフリ/田辺昭知とザ・スパイダース
  *1965年5月リリースのデビュー曲。
 ♪青い瞳/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1966年)
  *最初のヒット曲。
   この曲の前にリリースされたデビュー曲は映画『007/サンダーボール作戦』のテーマ曲のカバー、
   インスト曲でした。

【ジャッキー吉川とブルー・コメッツ】のメンバーは、
  ジャッキー吉川さん(ドラムス)
  高橋健二さん(ベース、ボーカル)
  三原綱木さん(ギター、ボーカル)
  井上忠夫さん(フルート、サックス、ボーカル)
  小田啓義さん(オルガン、キーボード、ボーカル)

 ♪ブルー・シャトウ/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1967年)
  *1967年の日本レコード大賞で大賞に輝いた曲。
 ♪マリアの泉/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1967)
 ♪さよならのあとで/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1968)
  *「脱GS宣言」を行ない三原綱木さんをメインボーカルに歌謡曲路線に転向した最初のヒット曲。

【ザ・スパイダース】のメンバーは、
  田辺昭知さん(リーダー、ドラムス)
  加藤充さん(ベース)
  かまやつひろしさん(ギター、ボーカル)
  大野克夫さん(オルガン、スティールギター)
  井上孝之さん(ギター、ボーカル)
  堺正章さん(ボーカル、タンバリン、フルート)
  井上順さん(ボーカル、タンバリン、パーカッション)

 ♪夕日が泣いている/ザ・スパイダース(1966)
  *1965年にデビューした【ザ・スパイダース】の最初の大ヒット曲。
 ♪バン・バン・バン/ザ・スパイダース(1967)
  *「いつまでも どこまでも」のB面。かまやつさんの代表曲の1つ。
 ♪あの時君は若かった/ザ・スパイダース(1968)
  *堺正章さんと井上順さんのツインボーカル。

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2020年06月25日〜07月01日放送

BEAT BOYSの歴史を改めてお勉強!

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

ビート・ボーイズのツアーは1989年、35才の時でした。
すでにあの時でもダンスでクタクタ。
もう出来ないかなぁ。やってみたいなぁ。
ムリだろうなぁ。

前回の放送でちょっと話題になったグループ「BEAT BOYS」。
この坂番をお聴きの方の中にはBEAT BOYS初心者もいるのでは・・・?!ということで今回は、2007年の4月に放送したBEAT BOYS特集を再OAしてみました。

現在、坂番ではSYDF(坂番洋楽データファイル)というシリーズをお送りしていますが、2008年夏までは、SADF(坂番アーティストデータファイル)と題し、邦楽アーティストをピックアップしていました。
その時、「ヒ」で始まるグループとしてピックアップした音源です。

坂崎さんの解説多めで、グループの成り立ちから変化の様子などタ?ップリ語っていましたのでBEAT BOYS初心者の方も、 その歴史はご理解頂けたのではないかと思います。
それにしても88年リリースのアルバム『BEAT BOYS TOJO !!』、89年のアルバム『GO! GO! BEAT BOYS !!』は参加ミュージシャンがスゴイ!
超一流ミュージシャンの名前がずらり!音もいい!曲もいい!
生で聴けない・観られないのは残念ですよね。
あのダンスはムリかもしれませんが、また活動を再開して欲しい!

1981年のシングル
 ♪スターズ★オン23(ショック!!TAKURO23)
1988年のアルバム『BEAT BOYS TOJO !!』から
 ♪HARD FUNKY NIGHT
 ♪BAD MORNING
 ♪SHADE OF LADY
1989年のアルバム『GO! GO! BEAT BOYS !!』から
 ♪Great Vacation?Go!Go!BEAT BOYS
 ♪Let's Break Dance!!
 ♪Happy泥棒?Who's That Girl??
 ♪迷宮のモンテカルロ
 ♪やさしい黄昏
 ♪夏のTAWAGOTO
 ♪I'hiverの追憶
1990年シングル「ふたりだけの夜」のカップリング
 ♪恋のマラカス・ブラザーズ
1996年のシングル
 ♪エピキュリアン
1997年のシングル
 ♪May Be

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2020年06月18日〜06月24日放送

坂番25年目に突入!

1996年坂番2回放送の音源を聴きつつ25年前を振り返ってみます。

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

全く変らない人達ですな。(笑)
ただ、少しだけ大人になった高見沢大先生は、消したい過去のデビュー曲を、今やステージでも歌ってくれるようになりました。
ありがたや。

この「坂崎さんの番組」という番組、今年で25年目に突入!
1996年の4月にスタートした時、坂崎さんは42歳直前、まだ41歳でした!
今の坂崎さんと25年前の坂崎さん、何か変わった?変わってない?
ということで今週は先週に引き続き25年前の放送音源である「坂番」2回目を聞きつつ25年前を振り返ってみました。

2回目放送は、BEAT BOYSが新曲をリリースしたばかり!ということで、その新曲からスタート!
そしてゲストに高見沢大先生登場!
アルバム『LOVE』がリリースされたばかりなので、そのアルバムの話を…のはずだったのに、なぜか、デビューの頃、坂崎さんが住んでいた人形町のアパートの話へ。
「このテーマで」と話をスタートしたのにまったく違う話になって行く2人。
なんだか…今も全然変らないですよね!?

そしてデビュー同期だったグループの話からデビュー曲「夏しぐれ」の話へなっていくのですが、あのデビューに関して高見沢さんは「キツかった」とか「消したい過去」とか仰ってましたが・・・坂崎さん曰く「高見沢も大人になった」。

今回番組内でOAした曲
 ♪エピキュリアン(BEAT BOYS、1996年4月3日リリースのシングル曲)
 ♪雨の肖像(1996年3月21日リリースのアルバム『LOVE』から)
 ♪夏しぐれ(1974年リリース、アルフィーのデビューシングル曲)
 ♪CAN'T STOP LOVE!(1996年3月21日リリースのアルバム『LOVE』から)
 ♪ふたりのGraduation(アルバム『DNA Communication』から)

さて坂番も25年目に突入しましたが「まだまだ!」と思っておりますので番組をお聴きくださっている皆さま。今後も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

次回もちょっと過去の坂番をPLAYBACK!
今回名前が出てきたBEAT BOYS特集をお送りします。お楽しみに。

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エフエム秋田をお聴きの皆さまへ。
  6月28日(日)25時(29日の午前1時)からの放送はJFN緊急情報提供システム訓練のため休止となります。
ご了承下さい。
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2020年06月11日〜06月17日放送

坂番25年目に突入!

1996年坂番初回放送の音源を聴きつつ25年前を振り返ってみます。

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

いや〜、若い若い。42才直前の声ですかぁ。
ライブも仕事もバリバリですが、基本的には今と全く変わってないですね。
進歩してないってことです。
次は2回目。あの人の登場、楽しみだぁ。

この「坂崎さんの番組」という番組、今年で25年目に突入!
1996年の4月にスタートした時、坂崎さんは42歳直前、まだ41歳でした!
今の坂崎さんと25年前の坂崎さん、何か変わった?変わってない?
ということで「坂番」1回目の放送音源を聞きつつ25年前を振り返ってみました。

1回目ということで坂崎さんによる番組に対する意気込み…というのでしょうか?!
こんなことをやって行きたい!という話からスタートしています。
そして1974年にALFEEと同時期にデビューしたグループにスポットを当てていく…といった話の流れから桜井さんをゲストにお迎えしアルフィーがデビューした頃のお話で盛り上がりつつ、 坂崎さんの交友関係の広さから桜井さんの限られた交友関係のお話にまで発展。
二人の会話は40代でも、60代の今でも、あまり変らなかったですね。

坂崎さんも仰っていましたが、ただただ毎週番組を収録していたらアッという間に月日が経っていた…といった感じがする坂番。
ですが、気づけば25年目!まで続いたのは番組をお聴きくださっている皆さまのお陰です。
本当に感謝です。
今後も引き続きよろしくお願いいたします。

今回番組内でOAした曲は、坂番がスタートする直前にリリースされたTHE ALFEEのアルバム『LOVE』から。
 ♪LOVE
 ♪危険なリンゴ(こちらはデビュー曲「夏しぐれ」のB面、桜井さんボーカル曲)
 ♪Everybody Needs Love Generation
 ♪ALWAYS
 ♪星空のRENDEZVOUS

次回は坂番2回目の放送音源を聴きつつ25年前を降りかっていきます。
ゲストは・・・ あの大先生です。お楽しみに。

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2020年06月04日〜06月10日放送

ストレスがたまった時にこそ聴きたい

ALFEEソング Part3

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

今回は、1曲につき2?3人か、又は1人からいただいたリクエストにお応えしました。
アルフィーリクエストは、いつもスタッフ泣かせ。
とにかく曲数が多いのです。またやろうね。

今週も、春のツアー延期で“ALFEEが不足”している皆さんから、番組HPとJFN PARKで募集しました『ストレスがたまった時にこそ聴きたいALFEEソング』リクエストをお送りしました。
Part3はリクエストしてくださった人が少なかった楽曲を中心に選曲してみました。
曲の雰囲気もバラエティに富んだ形になったと思いますが、いかがだったでしょうか?
 ♪Victory
 ♪愛をとりもどせ
 ♪ひとりぼっちのPretender
 ♪幻夜祭
 ♪Musician
 ♪Orionからの招待状
 ♪BEAT POP GENERATION
 ♪ロンサム・シティ
 ♪春の嵐
 ♪LIBERTY BELL

今回の企画、急な募集だったにも関わらず本当にたくさんのリクエストありがとうございました。
番組内で募集のお知らせが出来なかったためリクエスト出来なかった…という方も多かったかと思います。
そんな皆さん、次回のリクエスト大会をぜひ楽しみにしていて下さい。


番組内で坂崎さんからお話があったように、今回リクエストを送って下さった方でお名前&住所が記載してあり、さらに「ステッカー希望」と書かれていた方に番組ステッカーをお送りします。
広島の蜜柑さん、東京の牡丹さん、神奈川のまさこさん、東京のジンりっきーさん、愛知のなっちーさん、東京の文京区みみさん、石川のかじこさん、東京のそらさんさん、神奈川の月野るなさん、兵庫のりらさん、香川のりきまるさん、京都のまやさん、千葉のむくさんさん、富山のさかにゃんさん、群馬のまいちゃんさん
ステッカー希望と書いてあっても、お名前(本名)や住所の記載がない方が多いです。
お名前・住所、どちらかが不明ですとお送りすることが出来ませんのでステッカー希望の方はご注意下さい。

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2020年05月28日〜06月03日放送

ストレスがたまった時にこそ聴きたい

ALFEEソング Part2

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

さっ、リクエストの2週目ですが、今回はもっと色んなアルフィーサウンドを聞いてもらおうかと思ったら、やはりアップテンポが多かったかな。
まだまだリクエストがたくさん来ているので来週もやるよォ。

今週も、春のツアー延期で“ALFEEが不足”している皆さんから、番組HPとJFN PARKで募集しました『ストレスがたまった時にこそ聴きたいALFEEソング』リクエストをお送りしました。
Part1とは雰囲気を変え、アップテンポじゃないものを中心に!と選曲を始めたのですが・・・。
いかがだったでしょうか?
 ♪人間だから悲しいんだ
 ♪風の翼
 ♪英雄の詩
 ♪Neo Universe PART I
 ♪もう一度ここから始めよう
 ♪天河の舟
 ♪風を追いかけて
 ♪冬将軍
 ♪タンポポの詩
 ♪Arcadia

来週も引き続き『ストレスがたまった時にこそ聴きたいALFEEソング』でお送りいたします。
どうぞお楽しみに♪

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2020年05月21日?05月27日放送

ストレスがたまった時にこそ聴きたい

ALFEEソング Part1

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

スミマセン。急遽募集したので間に合わなかった人もいると思いますが、そこはまたの機会に、と言うことでヨロシクです。
今日はハードな曲が多かったですが、来週はどうかな?(笑)

今週の『坂番』は、春のツアー延期で“ALFEEが不足”している皆さんから、番組HPとJFN PARKで募集しました『ストレスがたまった時にこそ聴きたいALFEEソング』リクエストをお送りしました。
急遽の募集でしたが、想像以上に多数のリクエストを頂きました。本当にありがとうございます。

今回は、とにかくリクエストが多かった曲を中心にピックアップしてみました。
やはり“ストレスがたまった時にこそ”ということで、ハードな曲が多かったです。
 ♪悲劇受胎
 ♪トラベリング・バンド
 ♪Shout
 ♪ジェネレーション・ダイナマイト(ALFEE GET REQUESTSから)
 ♪鋼鉄の巨人
 ♪Juliet
 ♪恋人になりたい(ALFEE GET REQUESTSから)
 ♪D.D.D ! ?Happy 65th Anniversary for Donald Duck?
 ♪FLOWER REVOLUTION
 ♪SWEAT&TEARS(30th ANNIVERSARY HIT SINGLE COLLECTION37から)

来週も引き続き『ストレスがたまった時にこそ聴きたいALFEEソング』でお送りいたします。
どうぞお楽しみに♪

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2020年05月13日?05月20日放送

『坂崎音楽堂』

ジョン・フォガティ(CCR)の音楽活動50周年を記念した LIVE ALBUM特集

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

CCR、やはりストレートなアメリカンサウンド良いです。
バンド時代も、このジョン・フォガティさんが中心でしたが、今でも彼の声、ギターは変わらず現役で素晴らしいです。
テレキャスター欲しくなるなぁ。ヤバイ、ヤバイ。

今週は、1960年代終わりから70年代初めにかけて一世を風靡した【クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)】の中心人物、 ジョン・フォガティの音楽活動50周年を記念したライヴアルバム『50 YEAR TRIP?LIVE AT RED ROCKS』特集。
≪ジョン・フォガティ≫
1945年5月28日、カリフォルニア州バークレー生まれ(もうじき75歳)。
幼い頃からブルースに親しみ、ベンチャーズの影響でギターを始める。
1959年、中学の同級生達とCCRの前身【ザ・ブルー・ベルベッツ】を結成。
その後、1967年にファンタジーレコードと契約し翌1968年に「スージーQ」でレコードデビュー。
「プラウド・メアリー」をはじめ、1972年のバンド解散までの4年間で数々のヒットを放っています。

そして昨年6月に“コロラド州モリソン”にある有名な「レッド・ロックス円形野外劇場」で行なわれた音楽活動50周年記念ライヴの音源を収録したアルバムが『50 YEAR TRIP?LIVE AT RED ROCKS』。
全19曲のうち、CCR時代の曲が16曲収録されています。

 ♪ボーン・オン・ザ・バイヲー(Born On The Bayou)
  *1969年に大ヒットしたシングル「プラウド・メアリー」のB面曲でした。
 ♪グリーン・リヴァー(Green River)
  *1969年に全米2位を獲得した曲。
 ♪フール・ストップ・ザ・レイン(Who'll Stop The Rain)
  *1970年に発表されたシングル「トラヴェリン・バンド」(全米2位獲得)のB面曲でした。
 ♪雨を見たかい(Have You Ever Seen The Rain)
  *1971年・全米8位となった曲。
 ♪ダウン・オン・ザ・コーナー(Down On The Corner)
  *1969年・全米3位を獲得した曲。
 ♪ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア(Lookin' Out My Back Door)
  *1970年に全米2位を獲得した曲。
 ♪バッド・ムーン・ライジング(Bad Moon Rising)
  *1969年に発表され全米2位を獲得した曲。
 ♪プラウド・メアリー(Proud Mary)
  *CCR最初(1969年)の大ヒット曲、全米2位を獲得。

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2020年05月07日〜05月13日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第205回

写真:坂崎幸之助 久しぶりにマスクなしの写真です。ともこさんからの“振り向きショットをぜひ”というリクエストを受け3月に撮っていた写真です。

坂崎さんから:

女性ボーカルのアルバムとかは以前からあまり聞かない僕ですが、 こうやって改めてホイットニーさんの歌声を聞くと、さすが!としか言いようがないですね。
僕より皆さんの方が詳しい人もいると思いますが、本当にまだまだ詠い続けていって欲しかったと改めて思いました。

「ホ」で始まるアーティストの3回目はホイットニー・ヒューストン特集です。

『ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)』
★1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。(2012年2月11日に死去)
母親は60年代からエルヴィス・プレスリーやアレサ・フランクリンのバックコーラスを担当したシシー・ヒューストン。
そして、ディオンヌ・ワーウィックを従姉妹に持つホイットニー・ヒューストン。
幼い頃は聖歌隊で活躍。スタイル抜群の彼女は、10代の頃モデルとして活躍。
チャカ・カーンなどのバックボーカルを務めるうちに頭角を現し、1983年にレコード会社と契約。
翌84年にテディ・ペンダーグラスとのデュエット曲がヒット。
そして、1985年発表のデビューアルバム『そよ風の贈りもの(Whitney Houston)』からのシングルが大ヒット。
 ♪すべてをあなたに(Saving All My Love For You)
  *1985年・初の全米1位を獲得。
  *グラミー賞「最優秀女性ポップボーカル賞」を受賞。
 ♪恋は手さぐり(How Will I Know)
  *「すべてをあなたに」に続くシングル。シシー・ヒューストンがバックコーラスで参加。
  *1986年に全米1位を獲得。
  *シンガーソングライターチーム【ボーイ・ミーツ・ガール】の提供曲。
 ♪グレイテスト・ラヴ・オブ・オール(Greatest Love Of All)
  *彼女にとって3曲目となる全米1位を獲得。
  *1977年公開のモハメド・アリの伝記映画の主題歌でジョージ・ベンソンが歌った曲をカバー。
★1987年、2枚目のアルバム『ホイットニーII(Whitney)』をリリース。
ここからシングルカットされた曲もすべて大ヒット!
 ♪すてきなSomebody(I Wanna Dance with Somebody)
  *彼女にとって4曲目となる全米1位を獲得。
  *この曲も【ボーイ・ミーツ・ガール】の提供曲。
  *グラミー賞「最優秀女性ポップボーカル賞」を受賞。
 ♪恋のアドバイス(Didn't We Almost Have It All)
  *5曲目となる全米1位を獲得。
 ♪やさしくエモーション(So Emotional)
  *6曲目となる全米1位獲得曲。
 ♪ブロークン・ハーツ(Where Do Broken Hearts Go)
  *7曲目となる全米1位獲得曲。
★これまでビートルズが持っていた「6曲連続全米ナンバーワン」という記録を塗り替えたホイットニー・ヒューストン。
次に世界的な大ヒットとなるアルバムとなったのが、1992年にケビン・コスナーと共演した初の主演映画『ボディガード』のサウンドトラック盤。
この映画の主題歌となった曲は全米シングルチャート14週連続1位となりました。
 ♪オールウェイズ・ラヴ・ユー(I Will Always Love You)
  *ドリー・パートンが1973年に放ったヒット曲のカバー。
  *グラミー賞「最優秀レコード賞(Record of the Year)」「最優秀女性ポップボーカル賞」受賞。
★この『ボディガード』が大ヒットした1992年にボビー・ブラウンと結婚。
その後、アーティスト活動と平行して、1995年に映画『ため息つかせて』、1996年に『天使の贈り物』に主演。
2000年代に入ると、ボビー・ブラウンとの離婚をはじめ、大麻やコカイン等の不法所持、アルコールや薬物依存症等のトラブルがあり、 2012年のグラミー賞授賞式の前日2月11日カリフォルニアのビバリーヒルトン・ホテルで不慮の死を遂げています。享年48歳でした。

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2020年04月30日〜05月06日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第204回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

ポイズンはCDのジャケット写真に比べて、ポップで気持ちの良いメタルですね。
改めて聞かせてもらいましたが、良かったです。
「ホ」の字、まだまだ続きますよォ。

今回は「ホ」で始まるアーティスト。2回目のラインナップは・・・

『ボーイ・ミーツ・ガール(Boy Meets Girl)』
★1980年代初めから、ソングライターチームとして音楽活動をスタートしたジョージ・メリル(男)とシャノン・ルビカム(女)。
1985年にユニット名【ボーイ・ミーツ・ガール】としてアルバムをリリース。
その時はあまり話題になりませんでしたが、ホイットニー・ヒューストンに提供した曲が立て続けに大ヒット。
※「恋は手さぐり(How Will I Know)」(1986年・全米1位) 「すてきなSomebody(I Wanna Dance with Somebody)」(1987年・全米1位) このヒットを受け1988年にリリースした2枚目のアルバム『リール・ライフ(Reel Life)』からのシングル曲は大ヒットしました。
 ♪スター・トゥ・フォール(Waiting For A Star To Fall)
  *1988年・全米5位を記録。
  *元々ホイットニー・ヒューストンのために2人が作った曲ですが、
   「もうちょっとアップテンポのダンスナンバーがいい」と言われ、
   「すてきなSomebody」を急遽作り、提供したそうです。

『ザ・ボーイズ(The Boys)』
★1988年に9歳、11歳、12歳、そして14歳の男の子4人で結成されたグループ。
当時、大人気だった【ニュー・エディション】や【ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック】などに続くボーイズグループとして、モータウンがデビューさせたグループ。
1989年に“ベイビーフェイス”をソングライター&プロデューサーに迎えて放った曲が大ヒット。
 ♪ダイアル・マイ・ハート(Dial My Heart)
   *1989年・全米13位。R&Bシングルチャートでは見事1位を記録。

『ボーイズ・クラブ(Boys Club)』
★1988年、ファミリーグループ【ザ・ジェッツ】のメンバーだったユージーン・ウルフグラムがジョー・パスカールと結成したボーイズ・デュオ。
当時世界的な人気デュオとして大活躍だった【ワム!】風のアイドル路線を狙いデビュー曲として選んだのが、 【ワム!】の「ケアレス・ウィスパー」風のスパニッシュギターとサックスが印象的な哀愁のバラードでした。
 ♪アイ・リメンバー・ホールディング・ユー(I Remember Holding You)
  *1989年・全米8位。 
★この曲が大ヒットしたものの、ユージーン・ウルフグラムが古巣の【ザ・ジェッツ】に復帰したこともあり、ボーイズ・クラブ】は活動期間1年ほどで解散しています。

『ポイズン(Poison)』
★1983年、ペンシルベニア州ハリスバーグで結成された男性4人組のロックバンド。
(アメリカの音楽専門書には「グラム・メタル・バンド」と紹介されています。)
1986年にアルバム『ボイズン・ダメージ(Look What the Cat Dragged In)』でデビュー。
全米アルバムチャート最高3位(全米だけで300万枚以上のセールス)と幸先のいいスタートを切っています。
 ♪トーク・ダーティー・トゥ・ミー(私にもっと汚い言葉を吐いて)
  *アルバム『ボイズン・ダメージ』からのシングルカット。
  *1987年・全米9位。
★1988年に2ndアルバム『初めての***AHH!(Open Up and Say...Ahh!)』をリリース。
この時期は【ヴァン・ヘイレン】の“デヴィッド・リー・ロス”の全米ツアーの前座に抜擢され人気も急上昇。
そしてアルバムは全米チャート2位(全米だけで500万枚、全世界で800万枚以上のセールス)。
 ♪エヴリ・ローズ・ハズ・イッツ・ソーン(Every Rose Has Its Thorn)
  *アルバム『初めての***AHH!』からのシングルカット。
  *1988年・全米1位を獲得。
 ♪ユア・ママ・ドント・ダンス(Your Mama Don't Dance)
  *1973年に【ロギンス& メッシーナ】が放ったヒット曲のカバー。
  *1989年・全米10位。
★1990年に3rdアルバム『フレッシュ&ブラッド?今夜ケモノのように(Flesh & Blood)』をリリース。
前作に続き、全米アルバムチャートでは最高2位を記録。
 ♪アンスキニー・ボップ(Unskinny Bop)
  *3rdアルバムからの1stシングル。全米シングルチャート3位を記録。

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2020年04月23日〜04月29日放送

『坂崎音楽堂』

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース19年ぶりのオリジナルアルバム特集

写真:坂崎幸之助 手指の消毒・除菌中です。

坂崎さんから:

メニエール病は辛そうですよね。
それでなくとも目まいとか立ちくらみで気持ち悪くなるのに、目が回るなんて、とても、とても…。
ヒューイ・ルイスさんは、その病を押してレコーディングをしてニューアルバムを出されました。
相変わらずの声量と美声。
あの頃と同じで嬉しくなりました。ご自愛下さい。

≪緊急募集≫
坂番では『ストレスがたまった時にこそ聴きたいALFEEソング』を緊急募集中!
ALFEEさんのツアーも延期となっている状況で「ALFEEが足りない」と思っている皆様!
ぜひ坂番のメールフォームから『ストレスがたまった時にこそ聴きたいALFEEソング』を“1曲だけ”送って下さい。
もちろん、その曲を選ばれた理由も一緒に書いて送ってくださいね。
〆切りは5月4日(月)24時です。
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今週は、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのオリジナルアルバム『ウェザー(Weather)』特集。

2018年に発祥したメニエール病による聴覚障害と戦いながら、音楽活動を続けているヒューイ・ルイスが長年の仲間であるザ・ニュースと作った19年ぶりの作品です。

その最新作特集の前に【ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース】のプロフィールをヒット曲と共に簡単にご紹介。
1950年7月5日にニューヨークで生まれたヒューイ・ルイス(今年70歳、古希を迎えます)が、 1979年に失業中のミュージシャン達を集めて【ヒューイ・ルイス&ジ・アメリカン・エキスプレス】を結成。
1980年にグループ名を【ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース】と変え、グループ名と同じタイトルのアルバム『ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース』でデビュー。 しかし、そのデビュー作は不発。
そして1982年、満を持してリリースした2ndアルバム『ベイエリアの風(Picture This)』からの1stシングル「ビリーヴ・イン・ラヴ(Do You Believe In Love)」が大ヒット。
 ♪ビリーヴ・イン・ラヴ(Do You Believe In Love)
  *1982年・全米7位を記録。
このヒットから1980年代半ば?1990年代前半にかけ【ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース】の快進撃が続きます。
 ♪パワー・オブ・ラヴ(The Power Of Love)
  *1985年、彼らにとって初の全米ナンバーワンを獲得。
  *映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌でした。
 ♪スタック・ウィズ・ユー(Stuck With You)
  *1986年リリース通算4枚目となるアルバム『フォア(FORE!)』から。
  *『フォア(FORE!)』は全米アルバムチャートで初の1位を獲得。
   この「スタック・ウィズ・ユー」と「ジェイコブズ・ラダー(Jacob's Ladder)」は
   全米シングルチャートで1位を獲得。
その後も、元気にライヴを中心に活動していた【ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース】ですが、2018年にヒューイ・ルイスが、耳の奥にある内耳に障害が起こるメニエール病を発症。
予定されていたツアーも全てキャンセルし治療に専念。
そして、その時々の体調を考慮しつつ仲間のザ・ニュースと共に作ったのがアルバム『ウェザー(Weather)』。
ヒューイの体調がいい時に録音したものなので全7曲収録で収録時間も30分弱。
 ♪ホワイル・ウィーアー・ヤング(While We're Young)
 ♪ハー・ラヴ・イズ・キリン・ミー(Her Love Is Killin' Me)
 ♪プリティ・ガールズ・エヴリホエア(Pretty Girls Everywhere)
  *「ユージン・チャーチ&ザ・フェローズ」1958年のヒット曲のカヴァー。
 ♪アイ・アム・ゼア・フォー・ユー(I Am There For You)
 ♪ワン・オブ・ザ・ボーイズ(One Of The Boys)
  *元々“ウィリー・ネルソン”のために作った曲。

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2020年04月16日〜04月22日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第203回

写真:坂崎幸之助 最近、換気のためにブースの扉も開けています。

坂崎さんから:

14週とか16週も1位が続く曲を3曲も出していたなんてボーイズUメンさん、スゴいですねぇ。
でも僕は90年代や平成の曲はあんまり歌えないのだ!! ヤバっ!!

今回は「ヘ」8回目から「ホ」で始まるアーティストに突入!ラインナップは・・・

『ヘンリー・マンシーニ楽団(Henry Mancini & His Orchestra)』
★1924年4月16日、オハイオ州クリーブランド生まれのイタリア系アメリカ人。
本名はエンリコ・ニコラ・マンチーニ。(1994年6/14死去。享年70歳)
幼い頃からフルート奏者の父親により音楽の英才教育を受け、ベニー・グッドマンの勧めでニューヨークへ移住、名門ジュリアード音楽院に進学し作曲法を学ぶ。
第二次世界大戦では空軍に所属し、マーチングバンドで活躍。
その才能が認められ、グレン・ミラー楽団にアレンジャー兼ピアニストとして参加。
1950年代に入ると映画会社に入社。『グレン・ミラー物語』などの劇場音楽を手がけ頭角を現します。
1960年代に入ると、TVドラマや映画『ティファニーで朝食を』『シャレード』『酒とバラの日々』などの音楽監督を務め注目を集めています。
 ♪ムーン・リヴァー(Moon River)
  *1961年・全米11位。
  *映画の音楽監督としての出世作となった曲。
 ♪ピンクの豹 (The Pink Panther Theme)
  *1964年・全米31位。
  *このテーマ曲でお馴染の映画『ピンク・パンサー』は
   1963年の1作目『ピンクの豹(原題The Pink Panther)』をはじめ、
   1993年までの30年間で8作品が製作されています。
 ♪ロミオとジュリエット(Love Theme from Romeo & Juliet)
  *曲はアラン・ドロンの『太陽がいっぱい』や『ゴッドファザー』などでお馴染の
   イタリア映画音楽の巨匠ニーノ・ロータ。
  *映画『ロミオとジュリエット』の“愛のテーマ”を楽団で演奏したシングルが
   1969年に全米ナンバーワンを記録。
  *映画音楽の作曲家でもあるヘンリー・マンシーニが唯一の全米1位を獲得したのは
   自分の作った曲ではなくヘンリー・マンシーニ楽団として演奏したこの曲でした。

『ボーイズUメン(Boyz U Men)』
★SYDF201回目でご紹介した【ベル・ビヴ・デヴォー】の“ビヴ”ことマイケル・ビヴンズが発掘したグループ。
1989年、高校時代の仲間4人が【ニュー・エディション】の曲名からとったグループ名【ボーイズUメン】を結成。
彼らは、たまたま近くにライヴに来ていた【ベル・ビヴ・デヴォー】の楽屋に潜り込みアカペラを披露。
それを気に入った“マイケル・ビヴンズ”がデビューさせたということです。
 ♪モータウンフィリー(Motownphilly)
  *【ボーイズUメン】のデビュー曲。1991年・全米3位を記録。
  *彼らを発掘したマイケル・ビヴンズがラップで特別参加。
★デビュー曲を含むデビューアルバム『クーリーハイハーモニー(Cooleyhighharmony)』(1991)は全米アルバムチャート3位。
売り上げもアメリカだけで900万枚以上を記録。
翌1992年に発表した5枚目のシングルは“ベイビーフェイス”がプロデュースし大ヒット。
 ♪エンド・オブ・ザ・ロード(End Of The Road)
  *1992年、全米チャート13週連続のナンバーワンを記録。
★クリスマスアルバムを出せば、全米だけで200万枚以上のセールスを記録。
1994年にリリースした通算2枚目のオリジナルアルバム『U(ツー)』は全米だけで1200万枚以上のセールス。
その中からカットされたシングルも次々に大ヒット。
 ♪メイク・ラヴ・トゥ・ユー(I'll Make Love To You)
  *1994年、14週連続の全米ナンバーワン!
★そして1995年、当時ヒットを連発していた女性シンガー“マライア・キャリー”とコラボ。
これが予想を超える大ヒット!それまでのボーイズUメンが「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」で作った全米シングルチャート14週連続1位を破る、 16週連続の全米ナンバーワンを記録!
 ♪ワン・スウィート・デイ(One Sweet Day)/マライア・キャリー&ボーイズUメン
  *この16週連続1位という記録は24年後となる昨年、
   ラッパーの【リル・ナズ・エックス】によって破られています。
★1990年代、次々にヒットを連発した【ボーイズUメン】ですが、その後はレコード会社ともめたり、 メンバーが脱退して3人組になったり色々とありつつもライヴを中心に現在も活動しています。

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2020年04月09日〜04月15日放送

『気になるあの曲スペシャル』

第6回目

写真:坂崎幸之助 手元の除菌は大切です!!

坂崎さんから:

みんなの聞きたい曲を集めてみるのも、なかなか楽しいですねぇ。
レアなものも出来るだけ探しておかけしますので、また、リクエストよろしくです。

みなさんからお寄せいただいた“気になるあの曲”をまとめてお送りする『気になるあの曲スペシャル』。
6回目のスペシャルとなる今回は・・・・

★ガーベラさんからのリクエスト
 ♪マタンゴ / 筋肉少女帯

★ひろみさんからのリクエスト
 ♪恋のうた / 太田裕美

★とおとさんからのリクエスト
 ♪悲しくてやりきれない / ザ・フォーク・クルセダーズ

★マベパールさんからのリクエスト
 ♪And Your Bird Can Sing / ジョーミー・ウィルソン

★ゆきなさんからのリクエスト
 ♪ビートルズはもう聞かない / ガロ

★Chakoponさんからのリクエスト
 ♪ひとかけらの純情 / 南沙織

★シュガハピさんからのリクエスト
 ♪夏しぐれ / 南沙織

◆ひろみさん、とおとさん、ゆきなさん、Chakoponさん、シュガハピさん、“気になるアレ”をお送りしますので、メールフォームからお名前・住所を送って下さい。
よろしくお願いいたします。

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2020年04月02日〜04月08日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第202回

写真:坂崎幸之助 坂崎さん、それ紙コップです。

坂崎さんから:

ベン・E・キングさんは、子供の頃から何となく耳にしていた曲が多かったですね。
ベンチャーズは、もう言わずもがな。
小学生の頃、学校から帰るとポータブルプレイヤーでシングル盤を毎日のように聞いておりました。
エレキバンド組みたかったなぁ〜。

今回も「ヘ」で始まるアーティスト。7回目のラインナップは・・・

『ベン・E・キング(Ben E.King)』
★1938年9月28日、ノースカロライナ州ヘンダーソン生まれ(2015年4月30日 76歳没)。
1958年にR&Bグループ【ドリフターズ】に加入。1960年に全米1位を記録した「ラストダンスは私に」のヒット後、グループを脱退、ソロ活動をスタート。
1960年の終わりに発表したソロ最初のシングルは、翌1961年に全米10位を記録するヒットとなりました。
 ♪スパニッシュ・ハーレム(Spanish Harlem)
★この「スパニッシュ・ハーレム」に続いてリリースしたシングルは、のちにジョン・レノンをはじめ、 数多くのアーティスト達にカバーされるスタンダードナンバーとなっています。
 ♪スタンド・バイ・ミー(Stand By Me)
  *1961年・全米4位。
  *1986年の映画『スタンド・バイ・ミー』の主題歌としてリバイバルヒットとなり全米9位を記録。

『ベンチャーズ(The Ventures)』
★1959年、ワシントン州シアトルでドン・ウィルソンとボブ・ボーグルが結成したインストゥルメンタル・ロックンロール・バンド。
当初は【ジ・インパクツ(The Inpacts)】その後【ザ・ヴァーサトーンズ(The Versatones)】と名乗っていましたがすでに同じ名前のグループ (ドゥーワップグループのVersatone)がいたためドン・ウィルソンの母親ジョシーが提案したバンド名【ベンチャーズ(The Ventures)】に変更。
最初、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルというギタリスト2人のギターデュオだった【ベンチャーズ】。
その後、ベーシストに(のちにリードギターを担当する)ノーキー・エドワーズを、ドラマーにジョージ・バビット、 ホーウィー・ジョンソンなどを迎え入れレコードデビュー。
そして1960年にリリースした2ndシングルは地元シアトルのラジオ局のニュース番組でテーマ曲に起用され大ヒットしています。
 ♪ウォーク・ドント・ラン(Walk Don't Run)
  *1960年・全米2位。
★この「ウォーク・ドント・ラン」ではノーキー・エドワーズがベース、ドラムはスキップ・ムーアというクラブミュージシャンが担当。
その後、1964年に「ウォーク・ドント・ラン」はメジャーデビューを記念した「ウォーク・ドント・ラン'64」としてニューバージョンで再発、 全米チャートで8位を記録する大ヒットとなっています。
ちなみに、その「'64」バージョンには、1962年に交通事故で脱退したドラマーのホーウィー・ジョンソンの後任としてメル・テイラーが参加。
これで、1960年代のベンチャーズ黄金時代を支えた4人、ドン・ウィルソン、ボブ・ボーグル、ノーキー・エドワーズ、メル・テイラーが揃いました。
 ♪ダイアモンド・ヘッド(Diamond Head)
  *日本でのベンチャーズ人気を決定的にした曲。
  *1965年・全米70位。
 ♪パイプライン(Pipeline)
  *本国アメリカではシングルカットされていませんが日本では大ヒット!

★1960年代、日本での人気が凄まじかった【ベンチャーズ】。
「彼らが作った曲に歌詞を付けたヒット曲」(ベンチャーズ歌謡)も大ヒットしています。
 ♪二人の銀座/和泉雅子・山内賢
  *ベンチャーズが銀座の夜景をテーマに日本用に作った「ギンザ・ライツ(Ginza Lights)」に
   永六輔さん歌詞を付けた楽曲。
  *1966年。当時シングルが100万枚以上のセールスを記録。
  *2人を主人公にした映画『二人の銀座』も作られヒットしています。
 ♪京都の恋(Kyoto Doll)/渚ゆう子  
  *1970年に8週連続の1位。売り上げは85万枚以上。
 ♪雨の御堂筋(Stranger In Midosuji)/欧陽菲菲
  *1971年に9週連続の1位。売り上げは136万枚以上。
★昨年、結成60周年を迎えた【ベンチャーズ】。
1962年の初来日から昨年まで73回のジャパンツアー(公演回数2850回以上)を開催。
最後のオリジナルメンバーだったドン・ウィルソンは2015年に引退。
昨年(2019年)来日ツアーのメンバーは
リオン・テイラー(メル・テイラーの息子)/5代目ドラム
ボブ・スポルディング/4代目ベースで現在リードギター
イアン・スポルディング(ボブ・スポルディングの息子)/5代目ベースで現在リズムギター
ルーク・グリフィン/6代目ベース
今年74回目となるジャパンツアーも、この4人で開催予定。

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2020年03月26日〜04月01日放送

気になるあの曲スペシャル』

第5回目

写真:坂崎幸之助 跳ね上げ式サングラス跳ね上がっております。

坂崎さんから:

かなりの振り幅があった今回のスペシャルでしたが、なかなか、こんなのも面白いですね。
けっこう沢山のリクエストも溜まっておりますのでまた近々やりましょう。お楽しみに!!

今回は約7ヶ月ぶりとなる『気になるあの曲スペシャル』。5回目のスペシャルとなる今回は・・・・

★本能寺の恋さん、岩手のかっちゃんさんからのリクエスト
 ♪TSUGARU / 吉幾三

★裕ちゃんさんからのリクエスト
 ♪道化師のソネット / さだまさし

★マリイズさんからのリクエスト
 ♪愛しのバービー・ガール / AQUA

★かねるさんからのリクエスト
 ♪夜 / 四人囃子
 ♪煙草(夜 Part2) / 四人囃子

★みぃままさんからのリクエスト
 ♪ふり向くな君は美しい / ザ・バーズ

★みるくパパさんからのリクエスト
 ♪ムーン・リバー / オードリー・ヘプバーン

★デニムさんからのリクエスト
 ♪Yes-No / 根本要(スターダスト☆レビュー)

★青ガラスさん、イオリさんからのリクエスト
 ♪ショック!! TAKURO23 / BEAT BOYS

◆マリイズさん、みぃままさん、青ガラスさん、“気になるアレ”をお送りしますので、メールフォームからお名前・住所を送って下さい。
よろしくお願いいたします。

2020年03月19日?03月25日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第201回

写真:坂崎幸之助 リクエストが多かったサングラスで…。

坂崎さんから:

ペレス・プラードさんかぁ。あのマンボの「ウ〜ウッ」。
日本ではパラダイス山元さんが得意ですねぇ。
教えてもらったこともあったわ。
マンボって、演奏だけでも楽しいサウンドですなぁ。
なじみもあるし、良いです。

今回も「ヘ」で始まるアーティスト。6回目のラインナップは・・・

『ベルト・ケンプフェルト(Bert Kaempfert)』
★1923年10月16日、ドイツ・ハンブルク生まれ(1980年6月21日 56歳没)。
1950年代からレコード会社のプロデューサーを務めるかたわら、自らの楽団を率いての音楽活動をスタート。
楽団で発表した数々の楽曲は次々にヒット。
中でも1960年にリリースした曲は本国ドイツをはじめ、ヨーロッパ、日本でも大ヒット。
アメリカでも翌1961年にシングルチャート1位を記録しています。
 ♪星空のブルース(Wonderland By Night)
  *日本では、往年のラジオ番組『P盤アワー』のテーマ曲として使われていました。
★ちなみにベルト・ケンプフェルトは、プロデューサー時代に【ビートルズ】の1961年〜62年にかけてのハンブルク時代のセッション(アルバムとシングル) 通称≪ポリドール・セッション≫のレコーディング・制作を担当。

『ベル・ビヴ・デヴォー(Bell Biv DeVoe)』
★1990年、大人気ボーイズグループ【ニュー・エディション】のメンバーだったリッキー・ベル、マイケル・ビヴンス、 ロニー・デヴォーの3人が結成したヒップホップユニット。
当時、最先端だったブラックミュージックの音楽スタイル≪ニュージャック・スウィング≫の代表格として、 デビューアルバム『ポイズン』をリリース。アルバム、シングル共に大ヒットしました。
 ♪ポイズン(Poison)
  *1990年・全米3位を記録。
  *この曲を含むアルバム『ポイズン(Poison)』は全米だけでも400万枚以上のセールスを記録。

『ペレス・プラード(Perez Prado)』
★1916年12月11日、キューバ・マタンサス生まれ(1989年 73歳没)。
バンドリーダー、作曲家、ピアニスト、そして世界的な「マンボの王様(Mambo King)」。
1940年代にキューバの首都ハバナで流行していたルンバに、ジャズの要素を取り入れた新しいリズム“マンボ”。
この“マンボ”に魅了されたペレス・プラードはキューバで普及させようとしますが受け入れられず、1948年メキシコへ移住。そこで自らの名前を冠した 【ペレス・プラード楽団】を結成。
メキシコを中心に実績を重ね人気を博し、その勢いをかってアメリカへ進出。
1955年に発表した楽曲は、映画『海底の黄金』のテーマ曲になったこともあって大ヒット。
何と、全米シングルチャートで10週連続の1位という快挙を達成しています。
 ♪セレソローサ(チェリー・ピンク・チャチャ)
  *Cerezo Rosa=「桜のピンク色」
   オリジナルは「バラ色のサクランボの木と白いリンゴの木」というシャンソン。
★“ペレス・プラード”は「指揮をしながらステージの上で所狭しと踊り、飛び跳ね、独特の掛け声を発して楽団を盛り上げる」 というバンドリーダーとしてのスタイルで日本でも大人気に。
1956年の初来日以来、17回も日本公演を行なっています。
 ♪タブー(Tabu)
  *1957年に発表。
  *1970年代はじめ、日本の超人気バラエティ番組『8時だヨ!全員集合』で加藤茶さんが
   「ちょっとだけよ?」と言って子供達に大受けだったコーナーで使用されたのは、
   今回ご紹介したアレンジ版(72年ver.)。
   このアレンジ版の邦題は「ちょっとだけよ…タブー」。

『ヘレン・レディ(Helen Reddy)』
★1941年10月25日、オーストラリア・メルボルン生まれ(現在78歳)の歌手、女優、活動家。
1960年代末に、オーストラリアからアメリカ・ロサンゼルスに拠点を移し、1970年代に入ると次々に大ヒットを放っています。
 ♪私は女(I Am Woman)
  *1972年・全米1位。のちに世界的な「フェミニズム運動」の賛歌となっています。
 ♪デルタの夜明け(Delta Dawn)
  *1973年・全米1位。
 ♪アンジー・ベイビー(Angie Baby)
  *1974年・全米1位。
★歌手としてだけではなく女優としても活躍しているヘレン・レディはテレビ界で史上初となるオーストラリア人司会者として、 アメリカのネットワークでバラエティ番組の司会も務めています。
女性の地位の向上を訴える「女性運動家」としての顔も持つヘレン・レディは、現在も「フェミニストのアイコン」として多くの女性達から支持を集めています。

2020年03月12日〜03月18日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第200回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

「ヘ」が続いております(笑)。
ペリー・コモさんの声を聞くと加山雄三さんをどうしても思い出してしまうのです。
今はこういった落ち着いた声の人の歌って少ないですね。
子供の頃はあんまり…って感じだったけど、そういう歌も聞いてみたいですな。

今回も「ヘ」で始まるアーティスト。5回目のラインナップは・・・

『ベラミー・ブラザーズ(Bellamy Brothers)』
★1968年、アメリカ・フロリダ州サン・アントニオで活動をスタートさせたカントリー系の兄弟デュオ。(ハワードとデヴィッド)。結成当初は全くの鳴かず飛ばずでした。
そのうちレコード会社のプロデューサーが弟デヴィッドをソロシンガーソングライターとして再デビューさせようとしますが、用意した勝負曲はデヴィッドの声質には合わない。
そこで、たまたま居合わせた兄ハワードに勝負曲を歌ってもらったところピッタリ!
すぐに兄ハワードをリードボーカルとしてレコーディング。
その曲が彼らにとって初の全米ナンバーワンとなります。
 ♪愛はそよかぜ(Let Your Love Flow)
  *1976年・全米1位を獲得。
★アメリカのカントリー界では約50曲ものヒットを放ち、結成52年目を迎えても全米各地でのライヴを中心に今も精力的に活動中。

『ペリー・コモ(Perry Como)』
★1912年5月18日ペンシルベニア州キャノンズバーグ生まれのイタリア系アメリカ人。
理髪店の見習いをしていた時に出場した町の歌声コンクールで優勝しデビュー。
ビング・クロスビー、フランク・シナトラと並び本格派ポピュラーシンガーとして数々のヒットを放っています。
 ♪パパはマンボがお好き(Papa Loves Mambo)
  *1954年・全米4位。ペリー・コモにとって最初に全米チャートインしたシングルヒット。
★ソフトな歌声と紳士的な物腰、正統派ハンサムな“ペリー・コモ”。
1953年からはテレビで『ペリー・コモ・ショー』がスタートし、まさに国民的な人気を博しています。
 ♪マジック・モーメンツ(Magic Moments)
  *1958年のバート・バカラックが作った大ヒット曲。全米4位を記録。
★「ペリー・コモが歌うと、それがスタンダードナンバーになる」と言われたぐらい、彼が歌うと世界の名曲も生まれ変わります。
 ♪イッツ・インポッシブル(It's Impossible)
  *1968年にメキシコのシンガーソングライター“アルマンド・マンサネーロ”が作り
   南米・ラテン系の国々でヒットした曲。
   これに英語の歌詞をつけカバー。1971年に全米チャート10位の大ヒット。
 ♪アンド・アイ・ラヴ・ユー・ソー(And I Love You So)
  *1973年のヒット曲。
  *オリジナルは「アメリカン・パイ」でおなじみのドン・マクリーン。
★フランク・シナトラとは対極にスキャンダルが全くないクリーンな歌手“ペリー・コモ”。
1999年に故郷のペンシルベニア州キャノンズバーグには、これまでの功績を讃えた等身大の彫像が設置。2001年にフロリダの自宅で88年の生涯を終えています。

『ベリンダ・カーライル(Belinda Carlisle)』
★1958年8月17日生まれ、ロサンゼルス・ハリウッド出身。10代の頃からパンクバンドに参加。
1978年に女性だけのバンド【ゴーゴーズ】を結成し1980年にメジャーデビュー。
そして1985年にグループは解散、翌1986年にアルバム『ベリンダ(Belinda) 』でソロデビュー。
翌年1987年にリリースした2ndアルバム『ヘヴン・オン・アース』からの1stシングルが大ヒット!
 ♪ヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース(Heaven Is A Place On Earth)
  *1987年・全米1位を獲得。
  *最近は音楽と共にスピリチュアルなヨガ活動を続けています。

『ベルリン(Berlin)』
★1982年、ロサンゼルスで結成されたエレクトロ・ポップバンド。
当初はボーカルのテリー・ナンを中心とした6人組でしたがデビューと共に女性1人・男性2人からなる3人組に。
1983年のデビューシングル「Sex (I'm A...)」は過激な内容で全米のラジオ局のほとんどで放送禁止。
それから3年後の1986年、映画『トップガン』のサントラ盤に収録されシングルカットされた曲が映画の世界的な大ヒットと共に大ヒット。
 ♪愛は吐息のように?トップガンLOVEテーマ(Take My Breath Away)
  *1986年・全米1位を獲得。
★この大ヒットの翌年1987年に解散するも10年後の1997年に再結成。
そして昨年(2019年)35年ぶりとなるニューアルバム『トランセンダンス(Transcendance)』をリリース。

2020年03月05日〜03月11日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第199回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

今回は女性ばかりでしたね。
女性シンガーのアルバムはほとんど持っていないし聞くことも少ないので、なかなか新鮮でした。
オバサマ達の声は、いくつになっても癒されますねぇ。

今回は「ヘ」で始まるアーティストの4回目。ラインナップは・・・

『ベット・ミドラー(Bette Midler)』
★1945年12月1日生まれ、アメリカ・ハワイ州ホノルル出身の歌手&女優(74歳)。
ハワイ大学で演劇を専攻するも大学を中退し、舞台女優を目指しニューヨークへ。
努力の結果ブロードウェイの舞台に立つようになり『屋根の上のバイオリン弾き』などに出演。
舞台女優として認められたものの、それだけでは生計が立てられずN.Y.の有名なゲイクラブでも歌っていました。
そんな彼女の歌の才能を認めたアトランティック・レコードがアーティスト契約を。
デビューアルバム『ザ・ディヴァイン・ミス・M(The Divine Miss M) 』からの2ndシングルとなったのは、アンドリュー・シスターズ” の名曲を圧倒的な歌唱力&舞台で鍛えた抜群のリズム感でカバーされた曲。
全米チャートでは8位を記録する大ヒットとなりました。
 ♪ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ(Boogie Oogie Bugle Boy)
  *1973年・全米8位を記録。
  *デビューアルバム『ザ・ディヴァイン・ミス・M(The Divine Miss M)』は
   プラチナディスク(100万枚以上)に輝き、1974年のグラミー賞で「最優秀新人賞」を受賞。
★生計を立てるため歌手としてデビューしたベット・ミドラー。
元々、女優になりたかった本人の意思とは裏腹にアルバムは大ヒット、 さらにミュージカルで鍛えたボーカルとダンスを生かしたステージも大受けしツアーも大成功。
そんなベット・ミドラーですが、1979年に夢が実現します。
ロックの伝説的歌手【ジャニス・ジョプリン】をモデルにした映画『ローズ』の主人公に抜擢、大ヒットを記録。
その映画の主題歌も歌って、こちらは全米3位となる大ヒットとなりました。
 ♪ローズ(The Rose)
  *1980年・全米3位を記録。
  *この曲でグラミー賞「最優秀女性歌手賞」を獲得。
★その後、女優としても数々の仕事が舞い込むようになり、1988年公開の映画『フォーエバー・フレンズ』に主演、映画は大ヒット、もちろん主題歌も大ヒット、 彼女にとって初の全米ナンバーワンとなっています。
 ♪愛は翼にのって(フォーエバー・フレンズ ?愛のテーマ)
  *1989年・全米1位を獲得。
  *グラミー賞「最優秀レコード賞(Record of the Year)」「最優秀楽曲賞(Song of the Year)」受賞。
★映画も曲も大ヒットのベット・ミドラー。
1990年に通算7枚目のオリジナルアルバム『サム・ピープルズ・ライヴス(Some People's Lives)』をリリース。
このアルバムは全米だけで200万枚以上のセールスを記録しています。
 ♪ディスタンス(From A Distance)
  *アルバム『サム・ピープルズ・ライヴス』からのシングル曲。
   全米1位を獲得しています。
★最近では、2017年にブロードウェイで上演されたミュージカル『ハロー・ドーリー』に主演。
初日のチケット売り上げがブロードウェイ記録を樹立。
彼女自身もミュージカル界最高峰トニー賞で「最優秀主演女優賞」を受賞しています。

『ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)』
★1932年11月15日生まれ、イギリス・サリー州エプソム出身の歌手 兼 女優(87歳)。
1960年代のイギリスを代表する女性シンガーの1人。
子供の頃から注目を集め、10歳の時にはBBCラジオに出演し、12歳で映画デビュー。
10代中頃には『ペトゥラ・クラーク』という自身の名前がタイトルに付いたTV番組を持つほどの大人気スターに!
そして1949年にレコードデビュー。
当時まだイギリスではチャートが存在しなかったので、どれだけ売れたのか判りませんが、 ヒットチャートが出来てからは次々にヒットを放っていたことがわかります。
 ♪ダウンタウン(Downtown)
  *1964年・全米では1位を獲得。全英ではThe Beatlesの「I Feel Fine」に阻止され2位に。
 ♪マイ・ラブ(My Love)
  *1965年・全米1位、全英では最高4位を記録。
  *初めてアメリカで録音されたシングル曲。
   バックは【レッキング・クルー】。
★1968年にはフレッド・アステアと共演した映画『フィニアンの虹』でハリウッド映画にも進出しています。

『ペブルス(Pebbles)』
★1964年4月29日、アメリカ・カリフォルニア州オークランド生まれのR&Bシンガー。
1987年に歌手デビュー。アルバム『ペブルス』は全米アルバムチャート5位、R&Bチャートでは1位を獲得。
このアルバムからの1stシングル「ガールフレンド」は全米5位を記録し、2ndシングルは2位の大ヒット。
 ♪メルセデス・ボーイ(Mercedes Boy)
  *1988年・全米2位となったシングル曲。
  *人気プロデューサーチーム『L.A.リード&ベイビーフェイス』が手がけた曲。
★のちに【ペブルス】はL.A.リードと結婚。
シンガーとしてだけではなく、ソングライター、プロデューサーとしても才能を発揮し、数々のアーティストを発掘、育成。
中でも女性R&Bグループの【TLC】は、彼女と夫L.A.リードにとって最大のヒットとなっています。

2020年02月27日〜03月04日放送

『坂崎音楽堂』

ジェイムス・テイラーのスタンダードカバーアルバム

写真:坂崎幸之助 坂崎さん!それも違いますよ!

坂崎さんから:

J.T.ことジェイムス・テイラーさんですが、彼のギターテクにのめりこんだ人も多くて独特の奏法は、なかなかコピーも難しいものでした。
僕はどちらかと言えばポール・サイモンの方がしっくり来ていたので、あまりJ.T.はコピーしなかったなぁ。
でも彼のギブソンJ-45は、あこがれのギターでした。

今週はジェイムス・テイラーにとって初となるスタンダードカバーアルバム『アメリカン・スタンダード』特集。

【ジェイムス・テイラー(James Taylor)】
1948年3月12日、マサチューセッツ州ボストン生まれ。もうじき72歳!
1968年にビートルズが設立したアップル・レコードからデビュー。
しかし自身の交通事故やアップル内のゴタゴタで契約を打ち切られる。
1969年、ワーナー・ブラザーズ・レコードと契約。
翌1970年に移籍第1弾のアルバム『スウィート・ベイビー・ジェイムス』がヒット。
 ♪ファイアー・アンド・レイン(Fire And Rain)
  *1stアルバムからシングルカットされたこの曲は全米3位を記録。
 ♪きみの友だち(You've Got A Friend)
  *ギタリストとしての腕前を見込まれて、1971年にキャロル・キングが発表した
   アルバム『つづれおり』に参加。その縁で『つづれおり』収録曲の
   「きみの友だち」をカバー。1971年に全米1位を記録しています。
ちなみに【ジェイムス・テイラー】はシンガーソングライターですが、マーヴィン・ゲイの「ハウ・スウィート・イット・イズ」やバディ・ホリーの「エヴリディ」など、 人が作った曲を歌ってヒットさせています。
そういったカヴァー曲を集めたアルバム『カヴァーズ』を2008年に発表。
彼が好きなソウル、カントリー、ロックンロールなどのカヴァー曲が収録されました。

そんな【ジェイムス・テイラー】がデビュー52年目にして発表したのが、ジャズや古き良き時代のアメリカンミュージック、 いわゆるスタンダードナンバーのカバーアルバム『アメリカン・スタンダード(American Standard)』。
 ♪ティーチ・ミー・トゥナイト(Teach Me Tonight)
  *1953年、アメリカの伝説的なソングライターコンビ“サミー・カーン&ジーン・デポール”
   が作り、ジョー・スタフォードが歌って大ヒットさせた曲。
   フランク・シナトラをはじめ、多くのアーティストたちもカバーしています。
 ♪マイ・ブルー・ヘヴン(My Blue Heaven)
  *日本でも昭和初期「私の青空」として、二村定一さんをはじめエノケンこと榎本健一さんが歌い
   ヒットさせ、その後、高田渡さん、大瀧詠一さんなどもカバーしています。
   アメリカでは、ファッツ・ドミノが大ヒットさせています。
 ♪ムーン・リヴァー(Moon River)
  *オードリー・ヘップバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』の主題歌としておなじみの曲。
 ♪ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド(God Bless The Child)
  *ビリー・ホリディの代表曲の1つ。
 ♪オール・マン・リバー(Ol' Man River)
  *1927年のブロードウェイミュージカル『ショー・ボート』のために書かれた曲。
   作曲はジェローム・カーン、作詞はオスカー・ハマースタイン二世。
 ♪イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン(It's Only A Paper Moon)
  *1933年にハロルド・アーレンが作った曲。
   その後1973年にアカデミー賞を受賞した映画『ペーパー・ムーン』でも使われた曲。
  *ハロルド・アーレンは「虹の彼方に(Over The Rainbow)」を作ったことでも有名です。
★【ジェイムス・テイラー】は、今年4月14日のカナダを皮切りに北米ツアーをスタート(?7/10までの予定)。
前半の日程ではボニー・レイット、後半はジャクソン・ブラウンがゲスト出演の予定だそうです。

2020年02月20日?02月26日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第198回

写真:坂崎幸之助 坂崎さん!それ違いますよ!

坂崎さんから:

あんまりちゃんと聞いたことのない人達ばっかりでした。
ペットショップボーイズのニールさんが同い年だったとは。ちょいビックリ。
まだまだ「ヘ」のアーティストは続きそうですな。

今回は「ヘ」で始まるアーティストの3回目。ラインナップは・・・

『ヘヴィ・D(Heavy D.)』
★1967年5月24日ジャマイカ生まれ、ニューヨーク育ちの【ヘヴィ・D】ことドゥワイト・アーリントン・マイアーズ。
幼少の頃からストリートでラップを始め、幼なじみと【ヘヴィ・D&ザ・ボーイズ】を結成。
ちょっと小太り&愛嬌溢れるキャラクターでラップ・アーティストとしてだけではなく、俳優としても数々の映画に出演し人気を博しています。
 ♪ナウ・ザット・ウィ・ファウンド・ラヴ(Now That We Found Love)/ヘヴィ・D&ザ・ボーイズ
  *日本では『元気が出るテレビ』の人気企画「ダンス甲子園」のテーマ曲として使われ
   話題になりました。
  *1991年・全米11位。
★マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソンなど多くのアーティスト達から共演を依頼された【ヘヴィ・D】。
2011年にロサンゼルスの自宅で突然体調不良を訴え、緊急搬送されたものの1時間後に亡くなっています。

『ペギー・リー(Peggy Lee)』
★1920年5月26日、アメリカ・ノースダコタ州ジェームズタウン生まれ。本名ノーマ・デロリス・エグストローム。
歌手を志し17歳でロサンゼルスへ。
ベニー・グッドマン楽団専属歌手を皮切りに、歌手活動を中心に作曲家、ラジオの音楽番組の司会者、そして女優など幅広いジャンルで活躍。
 ♪フィーバー(Fever)
  *歌手として最も知られるのが1958年に全米チャート8位を記録したこの曲。
★「ソフト・アンド・クール」と称された歌声で知られたペギー・リーですが、約50年に渡る音楽活動の末、2002年1月21日、 糖尿病と心臓発作の合併症のため亡くなっています。(享年81歳)

『ベック(Beck)』
★1970年7月8日生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルス出身(49歳)のシンガーソングライター。
本名はベック・ハンセン。
父親は、キャロル・キングの名盤『つづれおり』のアレンジャーをはじめ、イーグルス、マイケル・ジャクソン、 エルトン・ジョンなどのアルバムでアレンジやオーケストラの指揮を担当した有名な音楽家デヴィッド・キャンベル。
子供の時からカシオ製の電卓で作曲をしたり天才ぶりを発揮。
1980年代半ば高校を中退。ヨーロッパを放浪し街角で演奏しながらミュージシャンとしての音楽性を確立。
1993年インディーズレーベルからアルバム『ゴールデン・フィーリングス(Golden Feelings)』でデビュー。
その中からのシングル「ルーザー」がオルタナ系のラジオ局を中心に大評判になり、これをキッカケにメジャーと契約。
1994年、メジャー第1弾のアルバム『メロウ・ゴールド(Mellow Gold)』を発表。
このアルバムの1曲目に“改めて”収録された「ルーザー」が全米のラジオ局でヘヴィローテーションの大ヒット。
アルバムもロングセラー(全米だけで100万枚以上のセールス)を記録しています。
 ♪ルーザー(Loser)
★この大ヒット以降コンスタントに様々な音楽要素を取り入れたアルバムを発表。
2015年にはアルバム『モーニング・フェイズ』が第57回グラミー賞で「最優秀アルバム賞」を受賞。
そして昨年末には最新アルバム『ハイパースペース』をリリースしています。

『ペット・ショップ・ボーイズ(Pet Shop Boys)』
★1981年、ミュージシャンで音楽雑誌の記者をやっていたニール・テナント(1954年7/10生まれ)と音楽好きの学生だったクリス・ロウ(1959年10/4生まれ) がロンドンで結成した男性2人組。
1984年に「ウェスト・エンド・ガールズ」でデビュー。
しかし、その時は全く売れず、その後レコード会社を移籍。
1985年に、デビュー曲として出した「ウェスト・エンド・ガールズ」をポップにアレンジし直したバージョンが全英1位。
翌年(1986年)全米でも見事ナンバーワンに輝いています。
 ♪ウェスト・エンド・ガールズ(West End Girls)
★この大ヒットをきっかけに次々にシングル、アルバムをヒットさせている【ペット・ショップ・ボーイズ】。
1987年、ニール・テナントが大ファンである“ダスティ・スプリングフィールド”をデュエットに迎えた曲が大ヒット。
 ♪とどかぬ想い(What Have I Done To Deserve This?)
  *1987年・全英2位。1988年・全米2位を記録。
★この「とどかぬ想い」に続いて彼らがシングルとして選んだのが、エルヴィス・プレスリーでおなじみの曲。
 ♪オールウェイズ・オン・マイ・マインド(Always On My Mind)
  *プレスリーが1972年にヒットさせた曲をカバー。
  *1988年・全英1位。全米4位まで上昇。
★そして、ヴィレッジ・ピープル「ゴー・ウェスト」のカバーバージョンは2006年のFIFAワールドカップ(ドイツ大会)の試合終了と同時に流されたことで、 今でも数々のスポーツイベントで使われています。
 ♪ゴー・ウェスト(Go West)
  *1993年リリース。
  *ドイツで1位、イギリス、フランス、オーストリア、スイスでは2位を記録。
★昨年4月に約19年ぶりとなる単独の日本公演を行ない、今年1月24日には通算14作目となるオリジナルアルバム『ホットスポット(Hotspot)』が全世界同時発売されています。

2020年02月13日〜02月19日放送

『坂崎音楽堂』

ハリー・ニルソンのNEW ALBUM特集

写真:坂崎幸之助 バレンタイン・デーということでスタッフからの恒例“駄菓子系”チョコレート詰め合わせ。

坂崎さんから:

久々のニルソンさんです。
もう亡くなられて26年も経っただなんてビックリです。
「without you」は、実はオリジナルではないのですが今聞いてもグッとくる声。名曲ですな。
没後ですが約40年ぶりのオリジナルアルバムとは嬉しい限りです。

今週は、約40年ぶりにリリースされた【ニルソン(Harry Nilsson)】のオリジナルアルバム『ロスト・アンド・ファウンド(Losst and Founnd)』を特集。

※Losst and Founnd は、ニルソンの名前のスペルをシャレたもので「Lost」を「Losst」、「Found」を「Founnd」と表記。

この40年ぶりとなるNEW ALBUMですが・・・
実は、ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)は、1994年1月15日に52歳という若さで亡くなっています。
今回のアルバム『Losst and Founnd』は生前、復活をかけて制作していたアルバムをヴァン・ダイク・パークス、ジム・ケルトナー、ジミー・ウェブ、 そして息子のキーフォ・ニルソンなどが手を加えて完成させたもの。
ニルソンのオリジナル作品としては1980年の『フラッシュ・ハリー』以来、約40年ぶりとなっています。

そして【ニルソン】はどんな人だったのか・・・
ビートルズ・ファンの間で、ジョン・レノンと一番親しい友達ということでも知られています。
ニルソンの実質的なデビューアルバム『パンディモニウム・シャドウ・ショウ』を一日ぶっ通しで聴いたジョンが、すぐにニルソンに電話し「ジョン・レノンだけど、 君は素晴らしい!」と絶賛した…というエピソードがあります。
また、のちにジョンはニルソンをビートルズのメンバーにしようとしていた…なんて話もありました。
 ♪ユー・キャント・ドゥ・ザット(You Can't Do That)
  *ニルソンの実質的なデビューシングル。
   ビートルズ(ジョンが作った曲)のカバー、20曲以上のビートルズの曲名や歌詞の一部が
   盛込まれています。
   ニルソンにとって初のシングルヒットとなったのが、1969年に公開された
   ダスティン・ホフマン主演の映画『真夜中のカーボーイ』の主題歌
   「うわさの男(Everybody's Talkin')」。
   1969年に全米6位を記録したこの曲はシンガーソングライター:フレッド・ニールのカバー。
   元々シンガーソングライターのニルソンですが、ヒットするのは何故か他人の曲のカバー。
   そして彼のヒット曲として最も有名なのがバッドフィンガーの「ウィズアウト・ユー」のカバーでしょうか。
 ♪ウィズアウト・ユー(Without You)
  *1972年・全米1位を記録。

NEW ALBUM『Losst and Founnd』からご紹介した曲は・・・
 ♪トライ(Try)
  *ビートルズの「All You Need Is Love」を思わせる曲。
 ♪ロスト・アンド・ファウンド(Lost and Found)
  *アルバムは『Losst and Founnd』ですがこの曲名は正しいスペルでの表記。
 ♪リッスン、ザ・スノウ・イズ・フォーリング(Listen,The Snow Is Falling)
  *生前いちばん仲の良かったジョン・レノンの奥さん、ヨーコさんの曲のカバー。
 ♪ラヴ・イズ・ジ・アンサー(Love Is The Answer)
  *一部ではジョン・レノン「マインド・ゲームス」へのアンサーソング?とも言われている曲。
 ♪U.C.L.A.
  *歌詞にPenny Laneが出てくるとビートルズの「ペニーレイン」のメロディが、
   "Yesterday"という歌詞のあとには「イエスタディ」のストリングスが、
   "Ringo Starr"の歌詞のあとには「Come Together」のリンゴ独特のドラミングが流れるというアレンジ。

2020年02月06日?02月12日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第197回

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

ベイ・シティ・ローラーズかぁ。
流行ったねぇ。ものすんごく。
タータンチェックの衣装が印象的で、あんまり曲は知らなかったなぁ。2〜3曲くらいしか。
まぁ時代っちゃあ時代だね。今見るとう〜ん・・・。
今のアイドルの方がカッコ良い気がするわ。

今回は「ヘ」で始まるアーティストの2回目。ベイ・シティ・ローラーズ特集です。

『ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)』
★1965年、英国・スコットランドのエディンバラで、アラン(b)&デレク(ds)のロングミュアー兄弟を中心に、 4人の友人で結成したバンド【サクソンズ(The Saxons)】として地元のパブなどで活動スタート。
1968年グループ名を「アメリカ的な名前しよう」と【ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)】に変更。
この名前はメンバーの1人がアメリカの地図にダーツを投げたところミシガン州のベイ・シティに矢が刺さったことに由来。
1971年 夏にリリースされたデビューシングル「朝まで踊ろう(Keep On Dancing)」は全英9位を記録するヒットに。
 ♪朝まで踊ろう(Keep On Dancing)
  *このデビュー曲のリードボーカルは“ノビー・クラーク”。
   “レスリー・マッコーエン”はこのヒットから2年後、ノビー・クラーク脱退後に加入。
★何度かのメンバーチェンジを重ね、1974年にレスリー・マッコーエン、エリック・フォークナー、スチュアート・ウッディ・ウッド、 そしてオリジナルメンバーのアラン&デレクのロングミュアー兄弟という5人組に。
そんな彼らの元にイギリスBBCの人気番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』への出演依頼が舞い込みます。
ティーン向けの雑誌で披露していたタータンチェックを貴重としたファッションで登場した彼らはアッという間に大人気アイドルグループに。
すぐに彼らのレギュラー番組『シャング・ア・ラング(Shang-A-Lang)』が作られ人気に拍車がかかりました。
 ♪ベイ・シティ・ローラーズのテーマ(Shang-A-Lang)
  *1974年・全英2位まで上昇。
  *番組『シャング・ア・ラング(Shang-A-Lang)』のテーマにもなった曲。
★イギリス、ヨーロッパ、日本の若い女の子達から熱狂的な支持を集めた【ベイ・シティ・ローラーズ】は、 1975年に【フォー・シーズンズ】の「バイ・バイ・ベイビー」をカバー。全英シングルチャートで初のナンバーワンに輝きました。
 ♪バイ・バイ・ベイビー(Bye,Bye,Baby)
★1976年、ついに、アメリカ進出を決行。
それまでイギリス、ヨーロッパなどでシングルリリースされた曲の中から、 1973年にリリースされたものの全くヒットしなかった曲をアメリカでの本格的なデビューシングルに決定。
(73年はノビー・クラークが歌っていましたが、それをレスリー・マッコーエンが歌い直したバージョン)そして、後に人気番組になる『サタデー・ナイト・ライブ』 で衛星放送を通じ曲を披露。
一気に全米のティーンエイジャーを虜にして、全米シングルチャート1位を獲得!
 ♪サタデー・ナイト(Saturday Night)
  *1976年・全米1位を獲得。
★続くシングル曲も大ヒットしています。
 ♪マネー・ハニー(Money Honey)
  *1976年・全米9位。全英3位。
 ♪ロックン・ロール・ラブレター(Rock And Roll Love Letter)
  *1976年・全米28位。
 ♪二人だけのデート(I Only Want To Be With You)
  *ダスティ・スプリングフィールドが1963年に大ヒットさせた曲のカバー。
  *1976年・全米12位。全英4位。
★1977年、結成当時からのオリジナルメンバーだった最年長のアラン・ロングミュアーが脱退(当時28歳)。
そのあと、18歳だったイアン・ミッチェルが参加するも1年足らずで脱退。即座に19歳のパット・マグリンが加入。
しかし、パットも脱退・・と、激しいメンバーチェンジが繰り返されています。
 ♪夢の中の恋(You Made Me Belive In Magic)
  *アルバム『恋のゲーム(It's A Game)』(1977)に収録され、
   シングルとしては最後の全米トップテンヒットとなった曲。
★このあと、人気も売り上げも下降し1978年にはリードボーカルのレスリー・マッコーエンが脱退。
新しいボーカリストにダンカン・フォールを迎え、グループ名も【ザ・ローラーズ】と変え活動を続行しましたが、残念ながら1981年に解散しています。
ちなみに、その後レスリーは【レス・マッコーエンズ・レジェンダリー・ベイ・シティ・ローラーズ】、イアン・ミッチェルが 【イアン・ミッチェルズ・ベイ・シティ・ローラーズ】というグループ名で活動。
また、日本の熱心なローラーズファンのためにレスリーは【ベイ・シティ・ローラーズstarringレスリー・マッコーエン】名義で、 グループ在籍時、人気の高かったウッディが【ベイ・シティ・ローラーズfeaturingウッディ】名義で来日しています。

2020年01月30日〜02月05日放送

『坂崎音楽堂』

コンピレーションアルバム「Power To The Pop」特集

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

世界中にビートルズ好きはたっくさんいます。
で、ミュージシャンになった人もたっくさん。
そんな人達はついついビートルズっぽい曲を作って歌いたくなってしまうんですね。
そんな人達の曲を集めた2枚組。車で聞くのに最適だぁね。

今回は2枚組のコンピレーションアルバム『パワー・トゥ・ザ・ポップ(Power To The Pop)』を特集。

こちらは“カバーでもない、コピーでもない。誰もが納得の超名曲から隠れた名曲まで『BEATLEDNA(ビートル DNA)』(ビートルズの遺伝子)を受け継ぐ楽曲の数々を、 世界中からレーベルを越えて集めた全てのポップ・ファンに贈る究極のCD”。
(レーベル:SONY 品番:SICP-31336/7)

≪DISC-1≫は、一般的に有名なアーティストやグループの曲が収録。
エルヴィス・コステロ、10cc、ラズベリーズ、ELO、ビリー・ジョエル、ザ・ナック、チープ・トリック等
≪DISC-2≫は、ビートルズの遺伝子を受け継いだ、いわゆる隠れた名曲が収められています。

この『Power To The Pop』から番組内でご紹介した楽曲は・・・
≪DISC-1≫から
 ♪抱きしめたいぜ(I Just Want To Touch You)/ユートピア
  *トッド・ラングレンが結成したバンド【ユートピア】。
   ビートルズの丸ごとパロディアルバム『ミート・ザ・ユートピア(Deface The Music)』
   (1980)収録曲。
 ♪誰も知らない(Know One Knows)/バッドフィンガー
  *ビートルズの弟分的グループとしてデビューした【バッドフィンガー】。
   この曲は1974年発表のアルバム『素敵な君(Wish You Were Here)』収録。
 ♪チーズ・アンド・オニオンズ(Cheese and Onions) /ザ・ラトルズ
  *ビートルズのパロディバンド【ザ・ラトルズ】。
   この曲は1978年に全米で放映されたテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』の
   サントラ盤『ラトルズがやって来た オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ(4人もアイドル)』に収録。

≪DISC-2≫から
 ♪ザ・ブランダーバス(The Blunderbuss) /ブラッド・ジョーンズ
  *米国ナッシュビルを拠点に活動する【ブラッド・ジョーンズ】。
   この曲は1995年発表のアルバム『ザ・ブランダーバス』収録。
 ♪ホエン・アイ・ホールド・ユー・イン・マイ・アームズ(When I Hold You In My Arms) /マイク・ヴァイオラ
  *米国マサチューセッツ州出身のミュージシャン。
   2007年のアルバム『ラーチ』に収録された曲。
 ♪グッバイ・イノセンス(Goodbye Innocence)/L.E.O.
  *米国ボストン出身のシンガーソングライター、ブルウ(Bleu)が中心となったユニット。
   ユニット名は大好きな【E.L.O.】を真似て付けたそうです。
 ♪インサニティ(Insanity)/ザ・ナインズ
  *カナダ・オンタリオ出身のグループ【ザ・ナインズ】。
   この曲は2007年リリースのアルバム『Gran Junkle's Field』に収録。
 ♪ドント・ルック・バック・イン・アンガー(Don't Look Back In Anger)/オアシス
  *1995年発表のアルバム『モーニング・グローリー』収録曲。
  *もちろん【オアシス】のこの曲は“隠れた名曲”ではなく超有名曲。
≪DISC-1≫が【ユートピア】でスタートした『Power To The Pop』のシメ(≪DISC-2≫のラスト曲)が、この【オアシス】で終わる形になっています。

2020年01月23日〜01月29日放送

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』

第196回

写真:坂崎幸之助 ビートルズもの2つ。ギターCEO-7(映画「イエスタデイ」の主役が弾いていた)ポールの娘のステラ・マッカートニーのセーター。

坂崎さんから:

やっとこさ「フ」が終わりました。
そして「ヘ」が始まりました。
「ヘ」が出ました。
さぁみんなでステキな「ヘ」の音楽を聞きましょう。

今回は「フ」で始まるアーティストの24回目から「へ」で始まるアーティストの1回目。ラインナップは・・・

『フロック・オブ・シーガルズ(A Flock Of Seagulls)』
★1980年、英国リヴァプールで結成された男性4人組のニューウェイヴ系のバンド。
1981年にレコードデビュー。当初はクラブで注目を集めたましたが、1982年リリースの4枚目のシングル「アイ・ラン」は、本国イギリスでのチャートで43位といまひとつ。
でも“第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン”の影響もあってか全米チャートでは見事トップテン入り。
 ♪アイ・ラン(I Ran(So Far Away)
  *1982年・全米9位を記録。
★この曲の大ヒット以降、わずか3年ほどでグループは解散状態におちいりますが1988年に再結成。
メンバー交代を繰り返しながらも、現在も活動を続けています。

『ブロンディ(Blondie)』
★1974年、ニューヨークで結成された女性1人、男性4人からなるニューウェイヴバンド。
1976年にデビューアルバム『妖女ブロンディ(Blondie)』発表。
当時は、数多くのパンクバンドの1つという感じでしたが、1978年の3rdアルバム『恋の平行線(Parallel Lines)』かららシングルカットされた曲は、 当時のディスコブームに合わせたシンセによる“ピコピコ”と“ドラム”を強調したサウンドでグループにとって初の全米ナンバーワンとなっています。
 ♪ハート・オブ・グラス(Heart Of Glass)
  *1979年・全米ナンバーワンを獲得。
★この後、ボーカルで紅一点のデボラ・ハリーは、いわゆる“セックス・シンボル”としても注目を集めます。
そして1980年、映画『アメリカン・ジゴロ』(主演:リチャード・ギア)の主題歌を、 ドナ・サマーをディスコクイーンにした名プロデューサー:ジョルジオ・モロダーと共同で作詞・作曲。
 ♪コール・ミー(Call Me)
  *1980年・ブロンディにとって2曲目となる全米1位を記録。
★ディスコもので売れた後にリリースしたのが、なんとレゲエグループ【パラゴンズ】が1967年に発表した曲のカバー。 この曲も全米1位(1981年)を獲得しています。
 ♪夢見るNo.1(The Tide Is High)
★さらに「夢見るNo.1」の次にリリースした曲も全米ナンバーワンを獲得!
ブロンディにとって4曲目となる全米ナンバーワン(1981年)となります。
 ♪ラプチュア(Rapture)
★このヒットのあと、1982年に公私ともにパートナーであるクリス・シュタイン(Chris Stein)の病気の看護のためグループは解散。 デボラ・ハリーはソロ活動や女優業に。
そして1997年、クリスの病気も癒え【ブロンディ】は再結成を果たしています。

『ベイビーズ(The Babys)』
★1976年、英国ロンドンで結成された男性4人組のポップロックバンド。
リードボーカルは、のちにソロアーティストとして1984年に「ミッシング・ユー」で全米1位を獲得したジョン・ウェイト。
 ♪イズント・イット・タイム(Isn't It Time)
 *1977年・全米13位。
★1977年にレコードデビューしたベイビーズ。
1980年にキーボードのジョナサン・ケインが参加します。
が、何と翌1981年にジョナサン・ケインが【ジャーニー】に引き抜かれたことによりグループは解散。
その後1988年、ジョン・ウェイトは、ジョナサン・ケインや【ジャーニー】のニール・ショーン等と【バッド・イングリッシュ】を結成しています。

『ベイビーフェイス(Babyface)』
★1958年4月10日生まれ、アメリカ・インディアナポリス出身。
本名「ケネス・ブライアン・エドモンズ」。
1970年代?1980年代半ば【ザ・ディール】などのリードボーカルとして活躍。
その後、ソングライター&プロデューサーとして、ボビー・ブラウンをはじめ、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリー、 マドンナなどをプロデュースし大ヒットを連発。
ベイビーフェイス本人も1980年代後半からソロアーティストとして活動。
シングル、アルバム共にヒットさせています。
今回は、ベイビーフェイスがプロデュースし1996年に大ヒットしたエリック・クラプトンの曲を、 ベイビーフェイスが1997年に行なったアンプラグド・ライヴでカバーした時の曲をご紹介。
 ♪チェンジ・ザ・ワールド(Change The World)feat. エリック・クラプトン
  *クラプトンがギターとボーカルで客演。
   1番をベイビーフェイス、2番をクラプトンが歌っています。

2020年01月16日〜01月22日放送

ゲスト:やまもとひかる さん

写真:坂崎幸之助+やまもとひかる

坂崎さんから:

YouTubeで発見したベースガール、ひかるちゃんですが、まだまだデビューしたて(?)なのでラジオもあまり慣れていないようでキンチョーしてたようですが、 ベースの腕前は、とても男前でカッコイイし、何でもイケる。
先々が楽しみなひかるちゃんを今後も応援していきまっせ。

今週は、坂崎さんが動画サイトで見かけたことをキッカケにフジテレビCS NEXTの『お台場フォーク村NEXT』に≪ダウンタウンしおこうじバンド≫ のベーシストとしてレギュラー出演をしている“やまもとひかる”さんをスタジオにお迎えしました。

≪やまもとひかるさんの簡単なプロフィール≫
2018年より動画サイトにて、「ストレイテナー」や「椎名林檎」「キタニタツヤ」などのベース演奏動画をアップ。
その他、「フー・ファイターズ」のデイブ・グロール主催のプレイヤー養成推進プロジェクト?"Play"の日本開催コンテストに参加し、見事「ベース部門特別賞」受賞。
その後、自身でも歌い始め人気ボカロPの“みきとP”や“ヨルシカ”などの楽曲でベースに加え、歌唱した動画をアップ。
国内だけでなく海外からもフォローが相次ぎ、現在はフジテレビCS NEXTで放映中の「お台場フォーク村NEXT」で≪ダウンタウンしおこうじバンド≫ のベーシストとしてレギュラー出演中。
昨年11月にはリスペクトするクリエイター、キタニタツヤ書き下ろしの楽曲「DOGMA」で配信デビュー。
現在20歳。

今回は、これまでに動画サイトにアップしたベース演奏曲の中から、1曲スタジオで生演奏して頂きました。
 ♪サリシノハラ
  (みきとP作のボカロ曲。オケを使用しベース&歌をスタジオで披露していただきました。)
そして、やまもとさん&坂崎さんとのセッション曲は
 ♪天国のでたらめ
  (ももいろクローバーZの楽曲)

最後に昨年11月にリリースされた配信デビュー曲
 ♪DOGMA
  (iTunes/Apple Music/Spotify/amazon music等で配信中です)

【やまもとひかる】さんのYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCRHEAGn2rLYaykb6RNtiWIQ
  Twitter → @RUMVERworld
  Instagram →@rumverworld

2020年01月09日〜01月15日放送

ゲスト:doa

写真:坂崎幸之助+doa

坂崎さんから:

久々のdoaでした。
改めて、彼らのハーモニーは美しく、強く、優しくて好きだなぁ。
ガロ→アルフィー→doaの三声のコーラスバンド。
これからも応援して行きますぞ。
15周年おめでとう!がんばって!!

昨年2019年7月にデビュー15周年を迎えた【doa】の3人、吉本大樹さん、大田紳一郎さん、徳永暁人さんを約1年半ぶりにお迎えしました。

【doa】は昨年デビュー15周年記念のベストアルバムを3枚リリース。
 『doa Best Selection "ROCK COAST"』(昨年7月10日リリース)
 『doa Best Selection "MIDDLE COAST"』(昨年9月11日リリース)
 『doa Best Selection "BALLAD COAST"』(昨年11月6日リリース)
ファンの方からのリクエストで作ったベスト盤で、それぞれ新曲も1曲ずつ収録。

番組内でご紹介した楽曲は・・・
 ♪WINDOW(doa Best Selection "ROCK COAST"収録の新曲)
 ♪野の花(doa Best Selection "BALLAD COAST"収録の新曲)
  ※こちらの2曲と『doa Best Selection "MIDDLE COAST"』収録の新曲「CATCH」は
   ダウンロード配信&サブスクリプション配信されています。

そしてスタジオでの【doa】+坂崎さんによるセッションは・・・
 ♪Top of The World(カーペンターズの曲をカヴァー)
とっても気持ちよい4人のコーラスでした。

【doa】の15周年としての活動は2020年も続き、ライヴはもちろん、NEW ALBUMも制作したい…と仰っていました。
しかも“NEW”を目指す!とも仰っていたので、どんな作品になるか楽しみです。

【doa】公式サイト http://d-o-a.jp
※こちらで新曲「WINDOW」「野の花」「CATCH」のMusic Videoを観ることができます。
【doa】公式Twitter @doa_official_jp
 吉本大樹さん @YoshimotoHiroki
 徳永暁人さん @AkihitoTokunaga
【doa】オフィシャルブログ https://ameblo.jp/doa-blog

2020年01月02日〜01月08日放送

『坂崎音楽堂』

ビートルズ・スペシャル その2

写真:坂崎幸之助

坂崎さんから:

ビートルズの完コピのCDとか、ライブを聞いたり見たりすると、ヤバいですね。
ライバル心がムラムラと(笑)。
でもドイツのシルバービートルズは、きっとライブは楽しいんだろうなぁ。
リッキーさんのいたBAD BOYSも面白かったもんなぁ。
夢があって。

この時期恒例の坂番名物企画「ビートルズ・スペシャル」2週目となる今回は昨年(2019年に)入手したビートルズ関連のアルバムや楽曲の中から“なかなかなモノ”をご紹介。

★1953年ニューヨーク郊外のクィーンズ生まれ、ビリーとボビーの双子の兄弟による【アレッシー】。
彼らが【アレッシー】を結成する前にやっていたバンド【バーナビー・バイ(BARNABY BYE)】が1973年に発表したアルバム『ルーム・トゥ・グロウ(ROOM TO GROW)』 に収録されたカバー曲。
 ♪シーズ・リーヴィング・ホーム(She's Leaving Home)/バーナビー・バイ

★1995年、ジョンのボーカルを元にポール、ジョージ、リンゴが参加して完成させた「フリー・アズ・ア・バード」をタイトルにしたビートルズ・カバー・アルバム 『フリー・アズ・ア・バード?ア・パン・パイプ・トリビュート・トゥ・ザ・ビートルズ』から。
“パン・パイプ”はパンフルートとも言われ、パイプオルガンやハーモニカの原型ともいわれている楽器。
この“パン・パイプ”でビートルズの曲をカバー。
 ♪フリー・アズ・ア・バード/a pan pipe tribute to the beatles

★ドイツのビートルズ・コピー・バンド【ザ・シルヴァー・ビートルズ】。
彼らの唯一のアルバム『The Silver Beatles-Perform A Tribute To The Beatles-』から。
 ♪I Want To Hold Your Hand
 ♪Can't Buy Me Love
 ♪A Hard Days Night
 ♪I Feel Fine
 ♪Eight Days A Week
 ♪Paperback Writer
 ♪Hello, Goodbye
 ♪The Ballad Of John And Yoko

【ザ・シルヴァー・ビートルズ】のメンバーは、
 John Lennon Vocals by Johnny Silver
 Paul McCartney Vocals by Ian Watts
 George Harrison Vocals by Michael Doering
 Ringo Starr役はいなくて、数人のドラマーがそのたびに参加。
グループはドイツのライヴハウスを中心に活動中。
2019年は『アビイ・ロード』を記念したツアーを行い、2020年には『レット・イット・ビー』発表50周年を(勝手に)記念したライヴ・ツアーを予定。

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