2020年12月25日〜12月30日放送
『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』
第217回
坂崎さんから:
よくコピーしたなぁ。S&G時代は特に。
でもソロになってからも最初の頃のアルバム曲は、よく聞いたものです。
ワールドミュージックに傾倒して行ってからは、あまりハマらなかったかな。
でも僕のギターの先生です!
今回は「ホ」で始まるアーティストの15回目。Paul Simon特集です!
『ポール・サイモン(Paul Simon)』
★1941年10月13日、アメリカ・ニュージャージー州ニューワーク出身(79歳)。
1957年(高校生の時)に、小学校時代からの友人アート・ガーファンクルとデュオグループ【トム&ジェリー】を結成。
「ヘイ・スクールガール」(1958年・全米49位)でレコードデビュー。
その後、ポール・サイモンは“ジェリー・ランディス(Jerry Landis)”という名前でソロ活動をしたり、【ティコ&ザ・トライアンフス(Tico & The Triumohs)】
というバンドを組みシングルをリリース。
しかし、ヒットに恵まれないポール・サイモンは、1963年〜1964年にイギリス・ロンドンに拠点を移します。
そんな中イギリスに向かう前にレコーディングした【サイモン&ガーファンクル】としてのデビューアルバム『水曜の朝、午前3時』収録曲の
「サウンド・オブ・サイレンス」が全米のFM局で大量オンエアされ話題に。
この好機を逃すまいと、所属レコード会社は(ポール・サイモンには内緒で)
勝手にエレキギターとドラムをオーバーダビングしたバージョンを作成しシングルとして発売(1966年・全米1位)。
これを境に【サイモン&ガーファンクル】は次々と大ヒットを放ちます。
1970年、S&Gは最後のオリジナルアルバム『明日に架ける橋』発表後、志向する音楽の違いなどから、音楽活動を停止。それぞれソロ活動をスタート。
ポール・サイモンは、1972年『ポール・サイモン(Paul Simon)』をリリース。
♪母と子の絆(Mother and Child Reunion)
*アルバム『ポール・サイモン』からのヒットシングル。
ジャマイカで録音された(レゲエを取り入れた)曲。
*1972年・全米4位のヒット。
*同アルバムからは「僕とフリオと校庭で」「ダンカンの歌」もシングルカット。
★1973年には『ひとりごと(There Goes Rhymin' Simon)』をリリース。
このアルバムからの1stシングル「僕のコダクローム」は全米2位の大ヒットに。
さらにディキシー・ハミングバーズを迎えたゴスペルナンバー「母からの愛のように(Loves Me Like A Rock)」も全米2位を記録。
♪アメリカの歌(American Tune)
*アルバム『ひとりごと』からのシングル曲。1974年・全米35位。
*この曲の前半部分ではバッハの「マタイ受難曲」を引用。
★1975年には大ヒットアルバム『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』を発表。
このアルバムには、S&G活動停止から5年を経てシングルリリースされた「マイ・リトル・タウン」も収録。
♪マイ・リトル・タウン(My Little Town)/サイモン&ガーファンクル
*1975年・全米9位のヒット。
*この曲は、アート・ガーファンクルのソロ2枚目のアルバム『愛への旅立ち(Breakaway)』にも収録。
★アルバム『時の流れに』からはフィービー・スノウをフィーチャーした「哀しみにさようなら(Gone at Last)」に続き、
「恋人と別れる50の方法(50 Ways to Leave Your Lover)」がシングルリリース。
この曲は、ポール・サイモンのソロとして初の全米ナンバーワン・シングルとなりました。
♪恋人と別れる50の方法(50 Ways to Leave Your Lover)
*スティーヴ・ガッドの独特のリズムパターンが印象的。
*1976年に全米1位を獲得。
*アルバム『時の流れに』はグラミー賞≪最優秀アルバム賞≫受賞。
★その後ポール・サイモンはジェイムス・テイラーと共に、1977年にリリースされたアート・ガーファンクルの3枚目となるソロアルバム
『ウォーターマーク(Watermark)』に参加。
♪ワンダフル・ワールド((What A)Wonderful World)
/アート・ガーファンクル with ジェイムス・テイラー&ポール・サイモン
*サム・クックの名曲をカバー。
*1978年・全米17位を記録。
★1980年発表の5枚目のソロアルバムはポール・サイモンが主演・脚本を担当した同名映画のサウンドトラック盤にもなっている
『ワン・トリック・ポニー(One-Trick Pony)』。
♪追憶の夜(Late in the Evening)
*1980年・全米6位を記録。スティーヴ・ガッドのドラムも圧巻!
★翌1981年には、活動停止から11年ぶりに【サイモン&ガーファンクル】としてN.Y.のセントラルパークに約53万人を集めたフリーコンサートを行ない大成功。
1982年には、当時の後楽園スタジアムでの野外コンサートのため来日しています。
そしてポール・サイモンは1986年発表のアルバム『グレイスランド』を皮切りに、アフリカ音楽をはじめ、ワールドミュージックへと傾倒して行きました。