2009年04月 アーカイブ

2009年04月05日

第19回目

今回OAダイジェストはございません

第18回目

木村>  先週の放送では「寺島実郎が見た日米関係の新局面」という事で、寺島さんがアメリカ東海岸をお歩きになって、色々な人たちとの意見交換も含めてお話を伺いました。そして、「ジャパン・ファーストの裏側」で、私たちが日米関係の新局面を認識出来るのかどうかがいま問われている事を知りました。
 今週は、とても大きな夢のあるお話で地球を離れて宇宙にお話しが行くという事で、「日本の宇宙開発~有人宇宙探索への夢~」がテーマです。

<日本の宇宙開発~有人宇宙探索への夢~>


寺島>  昨年、「宇宙基本法」(註.1)が日本で成立しました。その事をベースにして、内閣府の内閣官房に宇宙開発戦略本部が出来ていて、私は宇宙開発戦略本部が設けている宇宙開発戦略専門調査会という委員会の座長を務めています。これは、「日本の宇宙開発全体を見渡しての基本計画をつくろう」という委員会です。トップは内閣総理大臣で、野田聖子さんが担当大臣として出席しています。この話の重要なポイントは何かと言うと、「宇宙基本法」というものは、超党派の議員立法によって決められていて、自民党だろうが、民主党だろうが、情熱のある人たちが支えた議員立法で超党派によって決議されて内閣にこのような組織が出来ているという事です。現在、日本の政治は選挙含みで動いていますが、どんなに遅くても9月までには総選挙をやるわけです。そういう状態で政権が微妙な状況になっていますが、「どちらが政権をとろうが、日本の政治が混迷して行こうが、宇宙開発に対する基本的な方向づけは超党派でやって行こう」という流れの中にあるからこれは大事な話なのです。そのような中で、私たちは昨年の10月から宇宙開発の基本計画をつくるための議論を積み重ねています。これには大変に色々な論点があるのですが、先日、委員会として、ある種の重要な方向づけが出来たのです。これからはこれが国の政策になって展開して行くのだろうという事を前提にお話ししています。
「有人宇宙飛行」というものが一つの論点です。委員会のメンバーの中には色々な立場の人たちがいて、「宇宙戦艦ヤマト」を描いた漫画家の松本零士さん、宇宙飛行士の毛利衛さん等もいます。産業界からも有力な人たちが大勢いて、勿論、宇宙開発に関わる技術の専門家の先生たちや大学の先生たちもたくさんいます。
そのような中で、みんなの大きな論点の一つに、例えば松本さんや毛利さんたちは「有人である」という事に対して大変な価値を感じています。
  日本の少年の夢を背負って、「日本も有人宇宙飛行をやるべきだ」という議論の先頭にいるわけです。

木村>  いま、ちょうど若田光一さんが飛んでいますね。

寺島>  アジアの国々を見渡せば、中国は有人飛行においてはアメリカと一緒に連携して宇宙ステーションをやるのではなくて、自前の「神舟7号」等で宇宙に人を送るという流れをつくって来ています。インドも「10年以内に月に人を送る」という計画があります。このようなものがどんどん動いて来ると日本人も変なナショナリズムではないですが、「中国やインドが有人飛行をやっているのに日本は一体何をやっているのだ?」という素朴な疑問が湧き上がって来ると思います。そして、日本もやるべきだという議論をする人がより多くなります。このような流れの中で「有人宇宙飛行を日本はどうすべきなのか?」という事が大きな論点の一つだったのです。それを熟慮し、日本としてどのようにまとめていったら一番よいのかという事について委員の人たちは苦労していたと思います。
 そこで、毛利さんと議論をして私自身が感じた流れがあります。それは、毛利さんの発想でもあり、大きな基本計画の方針に盛り込もうとしているのですが、「2020年くらいまでの間に二足歩行ロボットを月に送ろう」という事です。
  例えば、ムカデの様に歩くような機械じかけのものではなくて、あたかも「鉄腕アトム」や「ASIMO(アシモ)」等をイメージした二足歩行の人間の形をしたロボットを月に送る事を基本計画に盛り込む事を先日、委員会で合意形成したのです。これに一体どのような意味があるのかと言うと、まず、「有人」になると当然命がけになり、生命をかけてチャレンジする事になります。
  1969年にアポロ11号によってアメリカが初めて月に立つという事をやっていますが、その関係者の人と私はかつて議論をしていた時に、「あのレベルのコンピュータの技術に支えられて、よくあの時に人間を月に送ってしまった……。本当に命がけの冒険であった」と言っていた事が非常に印象的でした。しかも、国が国威発揚のような事もかけて、中国やインド、そして、かつてのソ連の時代もそうでしたが、最初に宇宙に飛び出して行くのはみんな軍人でした。

木村>  ガガーリン少佐でしたね。

寺島>  要するに、軍人は元々、国家に命を捧げている様な職業なので、「有人宇宙飛行」という時には、まず先行して空に飛び出して行ったのです。しかし、日本の場合には、アメリカの宇宙ステーションの話は別として、「日本の有人宇宙飛行において一体誰が一番先に手を挙げて行くのか?」という時に、人命尊重との兼ね合いにおける問題が横たわっています。ただ、宇宙に行けばよいという問題ではありません。大変なリスクがそれに伴っているという事はどんなに技術が高度化しても存在しているのです。しかも、これには兆円単位のお金がかかります。国威発揚は良いけれども、具体的にどのようなメリットや意味があるのかと問いかけて来る人も当然の事ながら出て来きます。そのような中で、二足歩行のロボットを送るという事は、ロボットの技術において、いかに日本が世界に先行しているのかという事を証明してみせるチャンスでもあります。日本では様々なロボットの技術開発が進んでいて、例えば、愛知万博にトヨタが楽器を吹くロボットを出展したり、「ASIMO」的なホンダのロボット等、色々な研究開発をしています。日本人というものは、「目標集団合理性」と言って、目標がはっきりしているのであれば、それに向けてあらゆる努力、技術を集結してでも立ち向かおうという良い意味での生真面目な性格を持っています。例えば、かつて「零戦」をつくった時にも一年間であらゆる技術を集約して開発に立ち向かったという事もありました。要するに、目的をはっきりとさせて、ロボット技術をより高度にして行く事が日本の将来にとって物凄く大事なのです。何故ならば、少子高齢化が進んで行く日本においては、「問題解決型ロボット」つまり、福祉ロボットや介護ロボット等のような技術が今後はとても大事になります。そして、人型ロボットというものが、このような文脈においてどんどん高度化して来るのであれば、省力化や労働力が減少して行く時代を支えて行くような技術が凄く大事なのです。
私がある意味において非常に心が躍る事は、中国やインド等が命がけで月に有人宇宙飛行を行う事に対して「日本はそのレベルの探査であるのならば先端的高度なロボット技術によって立ち向かう」というように、遥かにアピールする事が出来る事です。何故ならば、既に40年前、実際に有人によって月に人が立っているわけですから、「今さら何だ」という議論もあるわけです。したがって、日本は将来に意味のある形で、ロボットのような技術を集約させ、「二足歩行によって」という事が重要になりますが、そのようなものを月面に送って、将来「ロボット」と「有人」とを噛み合わせて、更に10年くらいかけて有人飛行を行うという計画に意味があるのではないのかというあたりに合意が形成され始めているのです。私はこの事を凄く意味がある流れだと思っています。

木村>  そうなると、人命の問題は勿論大きな意味があるという事を前提としてロボットというものが、テクノロジー、或いは日本の産業、日本の社会にとってどのような意味があるものなのかという事も同時に知っておかなければならないのですね。

寺島>  しかも、ロボットが月面探査等に立ち向かっている姿を実現するためにどのような技術開発が必要なのかというと、そこには当然の事ながらセンサー技術をはじめとして高度な技術を集約しなければならない事も見えて来ます。

木村>  ロボットというものはそのような技術の塊なのですね。

寺島>  やがて、月面探査だけではなくて私たちの至近距離で日本が抱えるであろう、先程申し上げた少子高齢化社会が直面する問題をロボットが代替するなどして、日本がある問題に立ち向かう時代をつくって行く事が凄く重要です。そして、ロボットという人間の形をしたものだけではなくて、ロボット技術は機械をより高度に動かすものであり、自動車や様々な分野においてそのまま使われて行くものであり、これが実現して行くという事が日本の産業に大きなシナジー、つまり、波及効果を生む途方もなく重要なプロジェクトになると予測できます。したがって、このあたりをよく吟味してどのような体制で進めて行くのが良いのかという方向に議論と実行プランが噛み合って来るのであれば大変に良い方向に行くと思います。
「宇宙」と言うと、自分たちの生活とは全く関係のないところで研究開発が進んでいると思いがちですが、そういう考えを至近距離に近づけるという事が非常に重要です。以前、この番組でもお話しをした事がありますが、海洋基本法も議員立法の超党派によって決められました。海洋の資源探査をするためにも「宇宙技術との連環」、例えばGPSのように位置測定の技術の精度を高めないと資源開発においては上手くいかないわけです。
日本の日立が中心となって開発している「準天頂衛星」の技術というものがあります。現在、アメリカのGPSの衛星が地球の上を24個取り巻いていて、その衛星に繋いで私たちが車を運転する場合にはカーナビで自分がいまどこを走っているのかが確認を出来ます。しかし、アメリカの軍事衛星に依存し続けると仰角が浅いので位置の測定が必ずしも正確ではない事が問題になって来ます。より高度で緻密な測定を必要とする時には真上に衛星を打ち上げる必要があって、それを実現するのが、「準天頂」というものです。日本は初めてそれに予算をつけました。これからそれを3発くらい打ち上げて、位置測定を更に高度化しようという方向に踏み込んで来ます。これは凄く大事な事で、GPSの衛星技術をより高度化して詳細な位置測定が出来る事によって海洋資源探査の精度を上げて行く事が出来ます。また、災害時にもGPSの情報は凄く大事です。
宇宙と日本の未来とを繋ぐところに、どれほど説得力のあるシナリオを描く事が出来るのか、そして、国民の支援と理解を得ながら宇宙開発を進める事が鍵であり、その方向に向けて、今日お話しをしたのは月に二足歩行ロボットを立てるとか、準天頂衛星によって位置測定の精度を飛躍的に高めて資源探査をより効果的に展開して行くような戦略シナリオをしっかりと描き出して行く事が日本の将来にとって凄く意味があるという事です。

木村>  それは当然、非常に裾野の広い産業が活発化されて行く事に繋がるのですね。

寺島>  なにやら悲観論が漂っている空気ですが、私たちがいまやらなければならない事は、典型的な例で宇宙や海洋等のところに新しいフロンティアを求めて日本の新しい時代を切り開いて行くところを見せるという事です。そのように目的がはっきりとして来ると生真面目な性格の日本人はそこに力を集結してやって行こうとします。
東大阪は人工衛星の「まいど1号」で有名になりました。このように、私たちは全国の中小企業や町工場等の情熱が一つの目的に向かって集約して行くシナリオを描かなければならないのです。

木村>  これは、もしかすると「鉄腕アトム」が本当に宇宙を飛んで月に行くという事を目指して行く……。夢は宇宙だけではなくて地上にも広がるというお話でした。
<後半>

木村>  続いては「寺島実郎が語る歴史観」です。前回は、「鈴木大拙~禅の思想家~」についてお話を伺いました。今回は、昨年末に亡くなられた加藤周一さん(註.2)についての寺島さんの思いをお伺いします。加藤さんとの接点はどのような事だったのでしょうか?

寺島>  加藤さんという人は戦後と真剣に向き合った真の知識人だと思います。
私はたった一度だけ加藤さんと対談をした事があります。2003年12月だったのですが、ある雑誌の対談でした。実は、正確に言うと突然加藤さんが訪ねて来てくれたのです。初めから対談があったわけではなくて、話の中身が面白いから収録する事にしようという話になったという経緯がありました。その対談で、冒頭に私は、「私が生まれたのは1947年です。加藤さんが『1946・文学的考察』を書いた年に生まれたのです」という事を彼に伝えました。その本は加藤さんの処女作です。そうしたら、加藤さんは「あなたはその時生まれたのだからすぐに私の本をお読みになったわけではないですよね」ときり返したのです。私は冗談にしても80何歳かになった人であるのに頭が柔らかい人だと思いました。
     私を訪ねて来てくれた理由でもありますが、私が当時、「イラク戦争は間違った戦争である」と発言をしていて、「日本の知識人はアメリカについて行くより仕方がないという空気の中に沈没していて、ものを深く考える力を失っている」という類の事に触れた時に、彼は驚くべき事を言いました。それは、「知的活動を先に進める力は、実は知的能力ではないと思います。それは一種の直感と結びついた感情的なものだと思います」と彼が言った事です。つまり、社会科学や時代等に向き合っている人間が持っていなければならない人間の資質は、目の前で不条理が行われていたのであれば、戦慄く(わななく)様な怒りをもってそれに立ち向かわなければならないという事です。このような事を言われた時、私はショックを受けました。それは、このおじいさんから「戦慄くような怒り」という言葉を聞いた事……、これが加藤周一に対する驚きだったのです。彼は「戦争と知識人」という有名な本を書いていて、あの戦争の時に、後になって「自分は何も知らされてなかったのだ」と盛んに弁明した知識人たちが多かった中で、「知ろうとしなかったのだ」と指摘し、それはむしろ道義的な裏切りであるとしました。星やスミレを愛するだけの人という意味で「星菫派」という言葉がありますが、これは、「ただ星やスミレを愛でていれば知識人は良いというものではない」という事を盛んに言おうとしていたのです。私はこれが加藤周一の本質だったと思います。
私にとって加藤周一は、1968年という年と共に非常に大きな意味があります。1968年、私は大学2年生でした。1965年、米国によるベトナム爆撃開始という事態を受けて、ベトナム戦争というものに疑念を感じはじめていた私にとって、1968年8月20日にソ連がチェコスロバキアに侵攻したという事実(註.3)は極めて大きなものでした。その時の事を加藤周一が「言葉と戦車」という有名な本の中で「1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは圧倒的で無力な戦車と無力で圧倒的な言葉だった」と書いています。私は、圧倒的であるけれども力を持ち得ない「戦車」と、無力であるように見えるが圧倒的であるのは「言葉」だという文章を読んだ時に、社会主義か資本主義かという議論が盛んに繰り広げられていた時代にそのような議論を超えて、世の中には不条理もあれば筋道の通った議論もあるのだという事が閃きました。加藤周一という人は、人間としての軸で物事を見極めようとする事を懸命にやったというか、つまり、政治的人間ではなくて自分は政治を嫌い、熱狂を嫌い、非政治的な人間だという事を言い続けた人なのですが、そのような人だからこそ持ち得た途方もないバランス感覚があり、それが加藤周一という人のものの見方を支えたのだと知りました。

木村>  加藤さんが「話の通じ易さは当事者相互の愛憎によるのではなく、愛憎の対象の共通性によるのである」と書いています。つまり、「お互いの問題意識が触れ合う事においてとても楽しいのだ」という意味だと思うのですが、寺島さんが加藤さんと一度だけお会いになって、その時にまさにそのように通じたのだと思いました。同時に、「知識人のあり方」という事の重さを受けとめながらお話を伺いました。

(註1、2008年5月28日公布。内閣に宇宙開発戦略本部を設け、宇宙開発の推進にかかわる基本的な方針、宇宙開発にあたって総合的・計画的に実施すべき施策を宇宙基本計画として策定する。宇宙開発戦略本部長は内閣総理大臣であり、副本部長として、内閣官房長官および宇宙開発担当大臣が宛てられる)
(註2、1947年、中村真一郎・福永武彦との共著『1946・文学的考察』を発表し注目される。また同年、『近代文学』の同人となる。1951年からは医学留学生としてフランスに渡り、パリ大学などで血液学研究に従事する一方、日本の雑誌や新聞に文明批評や文芸評論を発表。帰国後にマルクス主義的唯物史観の立場から「日本文化の雑種性」などの評論を発表し、1956年にはそれらの成果を『雑種文化』にまとめて刊行した。1958年に医業を廃し、以後評論家・作家として独立した)
(註3、1968年8月20日。チェコスロバキアの自由化・民主運動<「プラハの春」>を警戒したソ連がワルシャワ条約機構加盟の5カ国<ソ連、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア>の軍隊60万人以上を動員して同国に侵攻し、全土を占領した事件。ソ連は民主化運動を制圧し、ソ連に忠実な共産党政府を復活させた)

2009年04月12日

第20回目

今回OAダイジェストはございません

2009年04月26日

2009年5月のスケジュール

2009年5月は、FM番組「月間寺島実郎の世界」を後半3週にわたって放送いたします。
5月第3週目は、過去に放送した中から寺島実郎が「歴史観」を語るコーナーを取り上げ、再構成して増刊号としてOAいたします。
 
■2009/5/10(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」
 
■2009/5/15(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー
 
■2009/5/15(金)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」
 
□2009/5/16(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
□2009/5/17(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
□2009/5/23(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
□2009/5/24(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
■2009/5/24(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」
 
□2009/5/30(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
■20095/30(土)08:00~
讀賣テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」
 
□2009/5/31(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

第21回目

木村>  前回の放送では「寺島実郎が見た日米関係の新局面」という事で実際に寺島さんがアメリカをお歩きになって御自分の目で見て、アメリカの知識人と意見交換をされた事を元にお話を伺いました。
 今朝は「G20」(註.1)を軸に置いて、その以降の世界経済、そしてG20から見える世界の動きというもののお話を伺おうと思いますが、このG20は世界の20カ国の地域の首脳会議です。今回で2回目になります。
 
(註1、G8に参加する主要8ヶ国と欧州連合に新興経済国11ヶ国が加わり、1999年より20ヶ国・地域財務大臣・中央銀行総裁会議を開催している。この会議には、国際通貨基金、世界銀行、国際エネルギー機関、欧州中央銀行など、関係する国際機関も参加している。世界金融危機の深刻化を受けて、2008年からは20ヶ国・地域首脳会合も開催されており、この会合は金融サミットとも呼称されている)
 
 
<G20 ロンドン国際会議>
 
 
寺島>  ロンドンで4月に行われたG20は、国際会議という意味では大変に注目すべきものだったと思います。要するに、20カ国の首脳が集まって世界の金融をなんとか安定化させようというところに世界が追い込まれているという事でもあるわけです。
 以前はG8で8つの先進国の首脳が世界を仕切って行くという流れであったのですが、いつの間にか20カ国が参加するという形になって、この仕組みの変化そのものが世界の枠組みの変化の様を示しているのです。
つまり、アメリカ一極で世界を支配している時代でもなければ、8つの先進国と呼ばれる国が仕切れる時代でもなく、中国をはじめとする新興国が参加しなければ世界秩序の流れを形成出来ないような時代になって来ています。この番組でも何回か使って来ましたが、「全員参加型秩序」に近づいている世界が見えて来ている事が、「G20」の非常に大きな本質的な意味だと思います。特に今回の場合はアメリカの大統領が替わって、オバマ大統領にとってみると国際会議の初舞台のようなものでした。そして、「果たしてオバマはどのようにプレーするのか?」という事が一つの注目点でもありました。
 
木村>  新聞の見出し風に言うと、「オバマ外交 始動」ですね。
 
寺島>  無難にスタートして行ったと言うか、ある面では鮮やかに空気を変えたと言ってもいいと思います。本当は世界の金融不安の震源地がアメリカそのものであり、アメリカが激しく問い詰められたり、その責任が問われるべき局面であるにもかかわらず、ブッシュ大統領の時とは違って、「対話と協調路線」で国際社会の新しい秩序づくりに戻って来たアメリカに対する欧州各国の歓迎の空気というものも背景にあって、オバマは巧みにプレーをしました。むしろ、驚いたのはフランス等が「タックス・ヘイブン」を使って税金逃れをしているようなヘッジ・ファンドのようなものも規制しなければならないという流れを出した時の事です。中国のマカオや香港等まで罵倒して非難の目が向けられるような空気をフランスが提議した事に対して、中国は反発するような姿勢を見せてフランスと中国が対立し合い、いがみ合っている間に、オバマが登場して来て、「まあまあ」と言って収めした。つまり、一番糾弾されるべき立場に立っている人間がいつの間にか収める側に回っているというある種の鮮やかさとか、見ようによっては強かな路線転換を見せました。やはり、アメリカの新しい指導者としての力の一端を見せたという受け止め方をされています。ある面では鮮やかなオバマ外交のスタートだったと言ってもいいと思います。
  その後に欧州歴訪も含めて、「新しいアメリカ」を強く印象づけて、アメリカとしては「うまくやったな」という感じがします。
 もう一つの大きなテーマであったのが、結果的にアメリカの思った展開にはならなかったのですが、「財政出動」です。アメリカは思い切った財政出動によって世界景気を上向きにさせようという思惑が腹にあって、そのアジェンダをぶつけたわけです。しかし、ドイツを筆頭にして、欧州各国が財政出動に対して非常に慎重な態度を見せました。それに対して麻生首相がドイツの慎重な姿勢を批判するような文脈のコメントを出して日本とアメリカが財政出動を強く主張している事を印象づけたという感じでした。
ただし、この話には、深く考えなければならない部分があって、アメリカが財政出動と言うのと、欧州の財政に関する考え方は相当違うのです。それは何かと言うと、私はこの数字が物凄く重要だと思っていますが、アメリカのGDPに対する財政支出の規模は欧州に比べると物凄く小さくて積極的な財政に転換したとしてもこれまで30%台だったのです。35~36%だったものが積極財政に転じてもGDPに対してほぼ4割くらいになるかどうかと言われています。そして、欧州は元々、物凄く大きな政府でGDPに対する財政支出の比率が非常に重くて47~48%です。分かり易く言うと、「元々欧州は、財政出動をやっていて、いまさらあなたには言われたくありません」という事です。これが欧州の空気で、欧州はユーロ社民主義の伝統を引き継いで福祉国家という形態をとっているので、GDPに対して財政が持つ比重がアメリカ等と比べると極端に高いというところからスタートしているのが現状です。そのため、ドイツ等からしてみると、「これ以上財政出動しろと言われても私にとってその話は当てはまりません」という本音が出て来ます。
 そして、アメリカはいよいよ4割を超すというところまで来ています。「アメリカの欧州化」と言われていて、小さな政府と言っていたアメリカも、結果としては欧州がとっているような大きな政府の方に向かわざるを得なくなったのではないのかという事が世界の動向であり見方です。
そのような中で、日本は政府の財政規模のGDPに対する比重がアメリカよりも低い数字になっています。しかし、今回の緊急経済対策においては15兆円という額をバーンとぶつけて来ました。
  日本は3段階にわたって財政出動を膨らませて来たと言ってもよいと思います。
そのような意味合いでこの数字にびっくりするのですが、47%まで一気に上げるのです。つまり、来年2010年の経済、GDPの予測値をベースに考えると、ヨーロッパは52%くらいになり、アメリカは44%くらいになります。そして、日本が47%を超すわけです。世界こぞって財政の規模が物凄く大きくなり、しかも世界中が欧州化して行くと言うか、欧州のように大きな政府というものにならざるを得ないという方向に向かっていると言うのが今回見えてきた大きなポイントだと思います。
 
木村>  大部分は分かり易く言うと、借金をして財政出動し、景気を刺激して成長率を上げようという事ですね。
 
寺島>  「瞬間風速にかけよう」という事で、悪い言い方をすると「あとは野となれ……」ともいうもので、国債を発行して金を調達し、とにかく財政出動をして景気を上向かせるけれども、後代負担、つまり、結局は後代になってそれを負担する事になります。いまの段階では責任ある展望はないという状態で進んで行く事になりますから問題を大きく残しているという部分も確かなのです。
 
 
<G20の内に潜むG2という影>
 
 
寺島>  もう一つ、より重要な事で申し上げておかなければならない事があります。G20によって私自身も「世界は全員参加型の秩序に向かっていて、アメリカだけが仕切れるわけでもなく、先進国で仕切れるわけでもない」と盛んに言ってきました。しかし、今回実際にG20の会議に参加をして、陪席していた人たちの報告をじっと聞いていて気がつく事は、「G2」という言葉が出て来たという事です。これは20カ国が参加しているように見えるけれども実際は二つの国、つまり、アメリカと中国が世界の秩序に向けて大変重きを成して来たという事がよりクリアーになったという見方なのです。これはどういう事かと言うと、アメリカがいかに中国に配慮をしているのかという意味なのです。要するに、中国が協力してくれないとアメリカのシナリオが思い通りにならないという状況がだんだん見えて来ているのです。
例えば、アメリカの国債です。アメリカは、財政赤字を支えるためには国債を発行していかなければなりませんが、いま世界でアメリカの国債を持ってくれている国のNo.1が中国で、約7千億ドル持っています。第2位が日本で6千億ドルです。中国は強かなので大量国債発行によってドル安になると、自分たちが持っているアメリカの国債が目減りする事を嫌がって、世の中で言われている「パンダ債」、つまり、中国の通貨である「元」建てによってアメリカの国債を持ち、目減りを防ごうという事をちらつかせ始めています。そのような事でアメリカは物凄く中国に配慮をしていて、IMF改革等でも中国への出資の額を増やすという事が今回決りました。こういう例をとっても中国の発言力がじわりと高まって来ているという事は間違いありません。
このような中で、以前話しましたが、頭の中に次の数字が浮かぶのです。それは、2007年の世界のGDPランキングで、中国のGDPがついにドイツを抜いて世界第3位になったという事実です。そして、いま、日本のすぐ後ろの第3位に中国が来ているという事なのですが、2010年のGDP予測値を前提にすると、来年、中国のGDPが日本のGDPを追い抜く年になるであろうという事はまず間違いありません。以前の予測では、早くても2012年に追い抜かれると言われていたのですが……。そうすると、日本人は「世界第2位のGDP大国」という言葉を枕詞に持っている事に若干の自尊心をくすぐられていたのですが、いよいよ来年は中国のGDPが日本を追い抜いて行く事になると予測されているのです。
もっと正確に言うと、中国と香港と台湾という3つの地域とシンガポールを入れて大中華圏とも言いますが、中国、香港、台湾の3つの地域のGDPで昨年、ついに日本を追い抜きました。したがって、グレーター・チャイナ(大中華圏)のGDPが日本を追い抜いたという事になります。色々な意味合いにおいて、中国の存在感が高まっていて、しかも世界の景気浮揚にとって中国の4兆元の財政出動というものに大変重い意味があって、現実に「中国頼りの景気回復」のようなところが他の先進国にもあるのです。
ここのところに来て、先月あたりの経済の動きを見ていると、日本企業の中国に対する依存が一段と深まっています。それでなくても中国に対する期待感と依存構造が深まっている中で、アメリカは一段と中国に対して配慮をして、G20と言われる仕組みの中で実態的には中国の顔を立てたり、中国に配慮をしたりしようとするアメリカという空気が物凄く滲み出ていました。オバマ大統領の首脳会談においての中国に対する何ともつかない持ち上げた空気、「偉大な文明国だ」というような類の話にまで言及しているような空気が我々にも伝わって来るのです。
私はそのような中で、日本としてはG20という多くの国が世界秩序に参加している流れを見極めると同時に、実際にアメリカと中国との関係が、世界秩序に対して大きな流れを形成しているというところについても、じっくり見抜いておかなければならない重要なポイントだと思っています。
 
木村>  これは政治的な問題もあるのでしょうが、寺島さんは経済人としてご覧になっていて、日本の経済界には日本の内需拡大という時に、これは中国の市場も含めて中国が需要を喚起するという事で日本は共に景気回復を目指す以外にはないというところに来ていますね。
 
寺島>  液晶テレビ等の工場の稼働率がここのところはグーンと上がって来ているのは、ほとんど中国市場向けのためです。それが良いとか悪いとかという事を超えて、現実の問題として中国の景気頼みのようなところが既に出来ているために益々その比重が重くなって来ているのだと思います。
 
木村>  米中首脳会談において、今年の後半にはオバマ大統領が訪中する事も決まりました。そして、経済・政治の戦略対話というものも非常に高いレベルで行って行くのだという確認もされています。このような事も含めて私たちが「G2」というキーワードで世界というものをしっかりと見なければならないという事ですね。
 
 
<後半>
 
 
木村>  後半は、リスナーの方から頂いた質問のメールを一つ御紹介します。前回のお話に関わるのですが、「今朝は寺島さんの宇宙基本法に関わるお話を聞かせて頂きました」。これは、基本法そのもののお話ではありませんが……。「月に人間型ロボットを送り込むのと介護との関係が結び繋がりません。もう少し分かり易く解説を御願いしますよ」と書いてあります。なるほど……。そう言われると前回は月への有人飛行という事を超えて、月にロボットを送るという日本の画期的なプランであるというお話でした。
 
寺島>  間もなく、宇宙基本計画というものが固まってきます。私はその基本計画を議論する委員会の座長をやっていますが、内閣官房に宇宙開発戦略本部というものがあって、そこで有識者や専門家等を集めた会議をやっています。そのような中で、例えば中国やインド等が10年以内に有人、つまり、人間が月探査に行くというような計画を発表している事を受けて、日本も月探査に送るべきだという意見が一方では大変強くあるわけです。しかし、「人命を尊重する」という気風がある日本において、「人間の命までかけてリスクを負って月に行く意味があるのか?」という意見も一方ではあります。それにかかるコスト、つまり、お金がおそらく数兆円はかかると思います。そのような事をやるのであれば、もっと別の事をやった方が良いのではないのかという意見の人もいます。
 また、別の視点で見ると日本のロボット技術の基盤は大変なもので、例えば愛知万博に楽器を吹くロボットや「ASIMO」君的な二足歩行のロボット等が出展され、かなりのレベルまで来ているという事があって、それを誰もが認識し始めていると思います。そして、多くの中小企業の人たちがロボット関連の技術に立ち向かっているのです。例えば、月に二足歩行のロボット、つまり人間の形をしたようなロボットを送るという事はなかなかの技術基盤が必要ですが、日本人は生真面目で目標が定まるとそれを実現する力を持っているのです。
ここで、先程のメールの質問に入るのですが、「波及効果」という意味で、私は先日お話をしたわけです。ロボットが何故重要なのかと言うと、月に送り込むためにロボットが大切なのではなくて、それくらいの高度な技術基盤を確立していったのであればその先に見えて来るものがあると思うのです。例えば、日本は今後少子高齢化社会に向かって行き、人口がどんどん減って行く流れの中にあります。高齢化社会を迎えて行く時に介護の現場や福祉の現場で生身の人間が勿論支えて行ったほうがよい分野はたくさんありますが、例えば、福祉ロボットや介護ロボット等が重要になって来る事も容易に想像されます。イメージとしてはマッサージ機を思い出してもらいたいのですが、そのマッサージ機がいまどれほど高度化しているのかという事なのです。先端的なマッサージ機はセンサー技術が物凄く重要で、つまり、感知して凝っているところを揉んだり、ほぐしたり、叩いたりするような非常に高度なマッサージ機が登場しています。もはや、「マッサージ・ロボット」と言ってもいいようなレベルに近づいているのです。この技術が更に進化して行くと、介護ロボットや福祉ロボット等のように、より高度な人支えをしてくれるようなロボットが開発されて来る可能性が物凄く大きいのです。特に、二足歩行のロボットを月に送るというプロジェクトを実現するプロセスで技術が蓄積されて、それが花開いて行ったのであれば、やがて人間社会を支えて行くという意味において、介護ロボットにまで大きな意味を持って来るという形で説明したかったのです。
 つまり、二足歩行のロボットを月に送るという事を実現して行く過程で、様々な技術が開発されて、裾野が広がって行くと言うか、「波及効果」=「シナジー(synergy)」を生み出すのです。そのようなものの延長に少子高齢化社会を支えてくれるような新しい技術分野を日本が確立して、それが日本の技術なり産業なりになって世界に花開いて行くという事は大変に夢のある話で、日本の進むべき方向の一つを示しているのではないのかという事が私の言いたい事なのです。
 
木村>  ロボットというものはそのような技術の塊であり、その塊を応用する事によって、或いは、それを開発するプロセスで色々な新しい技術が生まれ来るのですね。
 
寺島>  この話は、夢物語ではなくて、いよいよ腹を括って日本がやろうとしている話だというところに大変重要なポイントがあるのです。
 
木村>  メールを頂いたリスナーの方は匿名希望なのでお名前は紹介出来ませんが、佐賀県でお聞きになっているそうです。
いまの寺島さんのお話でまた一つロボットというものの意味が伝わったかと思います。

第22回目

木村>  先週は「G20を経た世界」、そこから見えて来るものという事でお話を伺って、「G2」という事がキーワードになりました。つまり、アメリカと中国の存在というものがこれからの世界を見る時に非常に重要なキーワードだというお話でした。
 
<北朝鮮ミサイル問題と北東アジア非核化を考える>
 
 
寺島>  また、その事に追い打ちをかけるように4月に目撃をした事は、「北朝鮮のミサイル問題」です。私はあの出来事の本質もアメリカがいかに中国に配慮をして動き始めているのかという事を日本人として思い知らされた事だと言ってよいと思います。おそらく、多くの人たちが同じ思いだと思いますが、「あれは一体何だったのか?」と言いたくなるような経験をしたわけです。日本は北朝鮮が人工衛星という名前のミサイルを打ち上げるという事で異様な雰囲気になって、臨戦態勢だとか、迎撃用のミサイルだとか言って大騒ぎをして、岩手や秋田の人たちはハラハラドキドキしてどうなる事やらと、まさに、息を飲む思いで待ち構えていたのに、誤探知をする等とんでもない醜態を晒していました。
 私はこの件が盛んにメディア等で報道されていた時に、自分の意見として「ミサイル騒ぎに右往左往するのではなくて、国連制裁の動きをよく見抜く必要がある」という事を言ってきました。北朝鮮がミサイルを打ち上げた時に、制裁に関して決議をしようとしてもロシアや中国等が拒否権を発動して制裁に協力をしないという動きをするのではないのかという点よりも、アメリカ自身の本音を認識する事が重要でした。アメリカが国連においてどのようなプレーをするのかという事、まさに私はそちらの方を息を飲むように見ていたわけです。
 アメリカと日本は日米連携で「制裁決議」に持ち込もうという事を盛んに言っていたわけです。しかし、「アメリカには、本当に制裁決議にまで持ち込むという本音があるのだろうか?」という事が私の注目点であったという意味なのです。
 案の定と言っていいと思いますが、いつの間にか「日米連携で北朝鮮を制裁する」という流れはスーッと後退して、アメリカと中国の連携、米中の主導によって落とし所を見つけて、むしろ日本は梯子を外されたと言ってもよいような状況になりました。そして、なんとか議長声明という形になりましたが、日本は振り上げた拳が下ろせないために自分たちの主張が盛り込まれた議長声明だとして、「まあ、よかったではないのか」という雰囲気をつくっています。けれども、実際は北朝鮮に対する実行ある制裁も何もないものを議長が「非常にこの事態は遺憾である」と声明として出したというだけであって、本来、日本が主張し、アメリカと共にやろうとした事から見ると、期待外れと言うか思惑違いの方向に動いたと言ってもよいと思います。
この事が一体何を意味しているのかと言うと、まさに、これはG20の時の話もそうでしたが、いかにアメリカが中国に配慮をして、中国の顔を立てる形で北朝鮮問題を制御しようとしているのかという事がはっきりとしたという事です。
したがって、「北朝鮮に対して強いメッセージを送る」と言っていたのにこのような状況になって日本としては一体この先、北朝鮮問題をどのように制御して行くのかという事についてしっかりと考え直さなければならないのです。
北朝鮮はこのような状況に味をしめて、むしろ「テポドン」よりも「ノドン」というもっと射程距離の短いミサイルに小型化した核をも搭載出来るようなシナリオをちらつかせながら、より鋭い恫喝外交を展開して来る可能性が大いにあるわけです。そのような時に、日本としてやらなければならない事は、アメリカに過剰な期待をして、国連によって制裁決議に持ち込み、北朝鮮を追い込もうという発想を一歩前に出して行く事です。
北東アジアの安全保障について、より大きな構想力が問われている局面、分かり易く言うと、潜在的には北朝鮮を支援している中国、更にはロシアと北朝鮮との間にしっかりとした楔を打っておく必要こそが重要だと考えます。そのためには、「北東アジアの非核」というものが日本にとっての最大の利得なのです。つまり、核を廃絶して行く事です。
幸いにしてロシアの今回の事態に対するメッセージの中にも、「朝鮮半島の非核化」というような表現も出て来ています。中国も建て前としては、「朝鮮半島の非核化を目指す」と言っています。つまり、北朝鮮が持っている「核」なるものを実際には使えない兵器にしてしまうという事が日本にとって一番良いわけです。あれほど経済が立ち行かなくなっている国なのに、これだけのミサイル開発を行なうという事は国民に大変な負担を強いている事になるわけですから。
 
木村>  キム・ジョンイル総書記自身がロケットを打ち上げて、「国民にそのような耐乏を強いている事はすまない」と言ったとか……。
 
寺島>  別の冷静な見方をすると、キム・ジョンイル体制がめいっぱいになっていて、間もなく持ちこたえられなくなるだろうという状況に来ている事だけは間違いないのです。
 かつて、東西冷戦の終り頃に軍拡に耐えられなくなって東側が崩れて行ったように、国民に負担を強いて軍拡に出ている体制は持ちこたえられるわけがないのです。したがって、そのような兵器を使えないものにするという事が実現出来るかどうかという話は別にして、日本がひたすら主張すべき事は、北東アジアの非核条約なのです。東南アジアが「非核地帯条約」(註.1)というものを既に実現しているのですが、それと同じように北東アジアも「非核」という原則を確認し合い、中国もロシアも日本も韓国も巻き込んで安全保障の問題において多国間でもっとコミュニケーションを深めて、相互に色々な交流をし合いながら北東アジアの安全保障の仕組みについて信頼感を高めようと呼びかけて、実際問題として北朝鮮がスッポリと孤立して行くような構図をつくる事が日本のとるべき戦略なのです。
 国連を舞台にして制裁決議を目指して、実際には制裁に協力しない国が多く出ているような状況に過剰に興奮しているのではなくて、そのような新しい仕組みをつくって行くという事に頭を転じて踏み込んで行かなければならないのです。日本は外交の面ではまさに、肝試しをされているようなものです。ここは大きな構想力を持って、深呼吸すべきところであり、熱くなってしまって、まなじりをつり上げて迎撃だなんだと言っているその空気の作り方が国際社会の大きな流れを読み間違えているのではないのかと思います。
自分が一番期待しているはずのアメリカが、とっくに向こう岸でプレーしているような状況になっているのだという事を認識し、アメリカを通じてアメリカに過剰期待して世界に関わろうとする前提から、自分の頭で考えるという方向に意識を変えていかなければこの話は流れが見えてこないと私は言わざるを得ません。

木村>  これは、おそらくメディアのあり方もその意味では深く問われるという事なのかもしれませんね。そして、今日はこのお話をより深めて行く時間が無いかもしれませんが、寺島さんのお話を注意深く伺っていると、「朝鮮半島の非核化」という言葉と「北東アジアの非核化」というところで、つまり、日本は日米安保によって「アメリカの核の傘の下にある」。この問題にも我々はどのように向き合うのかという相当大きな問題になって来るという事で、必ずしも朝鮮半島だけの非核化という事ではなくて、寺島さんがおっしゃっているように「北東アジア全体の非核化」を日本がキチンとやっていけるのかという事なのですね。
 
寺島>  それをどこまで主導して行く事が出来るのか……。それには大変な度胸と粘りが必要です。そのような時代が来ているという事なのです。
 
 
<後半>
 
 
木村>  ここで、お話を「寺島実郎が語る歴史観」に転じて行きたいと思います。前回は、戦後の日本の代表する知識人と言える加藤周一さんのお話を伺いました。その知識人との出会いという事も含めて、知識人が歴史や世界とどのように向き合うべきなのか、或いは、人は世界とどのように向き合うのかというところにお話が展開しました。
今朝のテーマは「戦後のメディア環境~テレビが生まれた頃~」です。

寺島>  これは先程まで議論していた話と繋がるのです。「問いかけとしての戦後」というテーマで私は話を続けているつもりなのですが、我々自身が生きて来た「戦後」、約60年を越す時代に、いつの間にか我々自身が身につけてしまっているものの見方や考え方、価値観が、戦後のテレビ草創期の文化状況と言いますか、世界状況でもあるのですけれども、それらからどのように影響を受けたのかを確認したいと思います。
 日本でテレビ放送が始まったのは、敗戦後8年の1953年でした。まず、NHKが2月にテレビ放送を開始して、その年の8月に日本テレビが民放として初めてテレビ放送を開始しました。そこからテレビの時代が始まりました。
 1958年にNHKの受信契約数が100万を越して、100万世帯を越すほどテレビが普及したと言われていました。しかし、わずか2年後にこれが500万になったのです。そして、更に2年後の1962年には1000万を超えたのです。
 
木村>  倍々ゲームですね。
 
寺島>  まさに、2年ごとです。1958年から1962年、つまり1960年前後に日本は一気にテレビの時代に入って行ったのです。
 実は、我が家にテレビが最初にやって来たのは1958年だったので結構早いほうでした。当時、私は北海道の札幌にいました。私はそこから何に衝撃を受けたのかと言うと、テレビで放映されているアメリカの「テレビドラマ」=「テレビ映画」というものにです。
これには色々と背景があって、1956年に最初にNHKが「ハイウエイ・パトロール」というアメリカのテレビ映画を放映して、同じ年に「KRT」(株式会社ラジオ東京テレビ。現在のTBS)で「カウボーイGメン」や「スーパーマン」を放映していました。日本語吹き替えが始まって、スーパーマンが日本語を喋るということで、おばあちゃんが「やけに日本語の上手い外人だ」と言ったという笑い話が伝わるくらいに日本の茶の間にアメリカのテレビ映画が放映され始めたのです。そして、続々とアメリカのホームドラマ、「ビーバーちゃん」、「パパ大好き」等がやって来ました。
それを観て我々はアメリカというのは豊かな国だと思いました。例えば、冷蔵庫から物凄く大きな牛乳瓶を出してガブ飲みにしているとか、高校生なのに車でデートに女の子を迎えに行く等、「こんな国があるのか」という衝撃を受けたのです。そして、カウボーイ映画が続々とやって来て、「ララミー牧場」等が大変なインパクトを与えて、「アメリカ人というのは結構男気があって正義感の強い奴がたくさんいるのだなあ」と物凄く共鳴したりしました。更には「コンバット」のような第二次大戦を舞台にした戦争もののテレビ映画が放映されて、サンダース軍曹等がやけに人気者になって、ついこの間まで敵対国だったアメリカの軍人を一生懸命に応援しているような空気まで出て来ました。
問題はこれらのテレビ映画が日本のテレビ局で放映された背景なのです。調べてみるとびっくりしますが、ほとんどタダ同然で日本のテレビ局に放映させてくれたと言ってもよいような条件でした。1本が200ドルとか300ドル位で滅茶苦茶安かったのです。これは何故かと言うと、まず、アメリカでもテレビ時代が来て、テレビでハリウッド映画を放映する事に対して、はじめは協力しなかったのです。したがって、テレビ会社が自主制作でテレビ映画をつくって、そのテレビ映画はテレビで放映後、二次使用で配給するのは安くてもよいという前提があったわけです。
実はもっと政治的な要素もあって、ちょうど1950年代は「マッカーシー旋風」と呼ばれた、反共主義者運動が展開されました。つまり冷戦の時代に入って行って、1949年に共産中国が成立してソ連という国がまだ光を失っていない時期で、アメリカの共産主義に対する恐怖心が物凄く大きくなっていた時代です。そういう背景があって、マッカーシーという上院議員が、「共産主義者が国務省の中に紛れ込んでいる」という発言をして以来、「反共」や「赤狩り」が吹き荒れました。(註.2)
 
木村>  「非米活動」という言葉がありましたね。
 
寺島>  そのような共産主義者みたいな人たちを血祭りに上げて行くという空気が横溢している1951年、日本はサンフランシスコ講和条約によって独立しました。しかし、1950年に始まった朝鮮戦争という大きな要因もあり、アメリカは共産主義に対する恐怖心から、日本を反共の砦にして行こうという政策をつくって、日本人を親米化しようとしたわけです。日本人のものの見方や考え方の中に「アメリカを好きになるという空気をつくろう」と、物凄く腐心していたのです。ホワイトハウスをはじめ、多くの民間団体までがアジアの共産化を防ぐために、ファンド等をつくって日本に様々な文化キャンペーンを行ないました。アメリカを好きになってもらおうという意図から番組のソフトの提供なども含めて大変な活動をしていたのです。そのような影響で、我々はアメリカの生活に憧れて、アメリカのカウボーイ映画に拍手を送りながら、いつの間にか身につけてしまった価値観として、よく私が言う、「アメリカを通じてしか世界を見ない」という姿勢が出来てしまったのです。私自身も実際にアメリカでその後十数年生活をしてアメリカ人と議論をして、「お前は日本人のくせに何故そんなにアメリカのテレビドラマの事をよく知っているのだ?」と言われました。また、マイアミに行ってもシカゴに行っても、何処かで観た風景と感じ、やたらに知っているわけです。マイアミに行けば、例えば、これは「マイアミ・バイス」に出て来たあの辺りだとか、「ルート66」の類の世界をほとんどアメリカの国民と同じくらいに共有してしまった時代を過ごしています。
  我々はいつの間にか日本人であるのに骨の髄まで戦後のアメリカの文化を吸収して、ある意味では飲み物としてのコーラからTシャツ、ジーンズ等の衣服文化にいたるまで、いつの間にか「アメリカ的なるものはカッコいい」という、世界でもまれに見る民族になってしまったと言ってもよいと思います。その事から、ある意味では抜け出ていないという事が日本の現在の状況なのです。そういう背景から「異様な日本人」というものが登場して来ました。
4月5日以降に我々が体験し、目撃して来た事も結局は自分の頭で考えたりする事をしないで、「お任せ民主主義」という言葉がありますが、総てアメリカにお任せにしていたわけです。つまり、「アメリカのテレビドラマによって洗脳され、アメリカを通じてものや世界を見ていれば間違いない」というような時代を過ごて来てしまったために、いつの間にかそのような日本になっているのだというところをしっかりと踏み固めないと駄目なのだという事です。私の言いたい戦後なるものから今日問いかけてみなければならないという問題意識なのです。
 
木村>  日本人の心の中に深く埋め込まれた「アメリカ」というものを見つめ直す、一つの非常に重要な鍵になるところだと思います。そして、メディアのあり方も含めて改めてアメリカとの関係を我々は見つめ直す必要があり、大変重いお話だと思いました。アメリカのドラマを思い出してうかれているわけにはいかないという気がしました。
 
(註1、東南アジアの非核化を定めた条約。1995年にバンコクで開催されたASEAN首脳会議において、東南アジア10カ国の首脳により署名された。1997年発効。バンコク条約とも称する。核兵器の開発、製造、取得、保有などを禁止している)
(註2、マッカーシー旋風。マッカーシズム。1948年頃から1950年代半ばのアメリカで起こった。反共産主義者運動。メディア、映画産業、政治家、軍隊に所属するさまざまな人々の中で共産主義に共感を持っていると疑われた人たちがパージされた)