第18回目

木村>  先週の放送では「寺島実郎が見た日米関係の新局面」という事で、寺島さんがアメリカ東海岸をお歩きになって、色々な人たちとの意見交換も含めてお話を伺いました。そして、「ジャパン・ファーストの裏側」で、私たちが日米関係の新局面を認識出来るのかどうかがいま問われている事を知りました。
 今週は、とても大きな夢のあるお話で地球を離れて宇宙にお話しが行くという事で、「日本の宇宙開発~有人宇宙探索への夢~」がテーマです。

<日本の宇宙開発~有人宇宙探索への夢~>


寺島>  昨年、「宇宙基本法」(註.1)が日本で成立しました。その事をベースにして、内閣府の内閣官房に宇宙開発戦略本部が出来ていて、私は宇宙開発戦略本部が設けている宇宙開発戦略専門調査会という委員会の座長を務めています。これは、「日本の宇宙開発全体を見渡しての基本計画をつくろう」という委員会です。トップは内閣総理大臣で、野田聖子さんが担当大臣として出席しています。この話の重要なポイントは何かと言うと、「宇宙基本法」というものは、超党派の議員立法によって決められていて、自民党だろうが、民主党だろうが、情熱のある人たちが支えた議員立法で超党派によって決議されて内閣にこのような組織が出来ているという事です。現在、日本の政治は選挙含みで動いていますが、どんなに遅くても9月までには総選挙をやるわけです。そういう状態で政権が微妙な状況になっていますが、「どちらが政権をとろうが、日本の政治が混迷して行こうが、宇宙開発に対する基本的な方向づけは超党派でやって行こう」という流れの中にあるからこれは大事な話なのです。そのような中で、私たちは昨年の10月から宇宙開発の基本計画をつくるための議論を積み重ねています。これには大変に色々な論点があるのですが、先日、委員会として、ある種の重要な方向づけが出来たのです。これからはこれが国の政策になって展開して行くのだろうという事を前提にお話ししています。
「有人宇宙飛行」というものが一つの論点です。委員会のメンバーの中には色々な立場の人たちがいて、「宇宙戦艦ヤマト」を描いた漫画家の松本零士さん、宇宙飛行士の毛利衛さん等もいます。産業界からも有力な人たちが大勢いて、勿論、宇宙開発に関わる技術の専門家の先生たちや大学の先生たちもたくさんいます。
そのような中で、みんなの大きな論点の一つに、例えば松本さんや毛利さんたちは「有人である」という事に対して大変な価値を感じています。
  日本の少年の夢を背負って、「日本も有人宇宙飛行をやるべきだ」という議論の先頭にいるわけです。

木村>  いま、ちょうど若田光一さんが飛んでいますね。

寺島>  アジアの国々を見渡せば、中国は有人飛行においてはアメリカと一緒に連携して宇宙ステーションをやるのではなくて、自前の「神舟7号」等で宇宙に人を送るという流れをつくって来ています。インドも「10年以内に月に人を送る」という計画があります。このようなものがどんどん動いて来ると日本人も変なナショナリズムではないですが、「中国やインドが有人飛行をやっているのに日本は一体何をやっているのだ?」という素朴な疑問が湧き上がって来ると思います。そして、日本もやるべきだという議論をする人がより多くなります。このような流れの中で「有人宇宙飛行を日本はどうすべきなのか?」という事が大きな論点の一つだったのです。それを熟慮し、日本としてどのようにまとめていったら一番よいのかという事について委員の人たちは苦労していたと思います。
 そこで、毛利さんと議論をして私自身が感じた流れがあります。それは、毛利さんの発想でもあり、大きな基本計画の方針に盛り込もうとしているのですが、「2020年くらいまでの間に二足歩行ロボットを月に送ろう」という事です。
  例えば、ムカデの様に歩くような機械じかけのものではなくて、あたかも「鉄腕アトム」や「ASIMO(アシモ)」等をイメージした二足歩行の人間の形をしたロボットを月に送る事を基本計画に盛り込む事を先日、委員会で合意形成したのです。これに一体どのような意味があるのかと言うと、まず、「有人」になると当然命がけになり、生命をかけてチャレンジする事になります。
  1969年にアポロ11号によってアメリカが初めて月に立つという事をやっていますが、その関係者の人と私はかつて議論をしていた時に、「あのレベルのコンピュータの技術に支えられて、よくあの時に人間を月に送ってしまった……。本当に命がけの冒険であった」と言っていた事が非常に印象的でした。しかも、国が国威発揚のような事もかけて、中国やインド、そして、かつてのソ連の時代もそうでしたが、最初に宇宙に飛び出して行くのはみんな軍人でした。

木村>  ガガーリン少佐でしたね。

寺島>  要するに、軍人は元々、国家に命を捧げている様な職業なので、「有人宇宙飛行」という時には、まず先行して空に飛び出して行ったのです。しかし、日本の場合には、アメリカの宇宙ステーションの話は別として、「日本の有人宇宙飛行において一体誰が一番先に手を挙げて行くのか?」という時に、人命尊重との兼ね合いにおける問題が横たわっています。ただ、宇宙に行けばよいという問題ではありません。大変なリスクがそれに伴っているという事はどんなに技術が高度化しても存在しているのです。しかも、これには兆円単位のお金がかかります。国威発揚は良いけれども、具体的にどのようなメリットや意味があるのかと問いかけて来る人も当然の事ながら出て来きます。そのような中で、二足歩行のロボットを送るという事は、ロボットの技術において、いかに日本が世界に先行しているのかという事を証明してみせるチャンスでもあります。日本では様々なロボットの技術開発が進んでいて、例えば、愛知万博にトヨタが楽器を吹くロボットを出展したり、「ASIMO」的なホンダのロボット等、色々な研究開発をしています。日本人というものは、「目標集団合理性」と言って、目標がはっきりしているのであれば、それに向けてあらゆる努力、技術を集結してでも立ち向かおうという良い意味での生真面目な性格を持っています。例えば、かつて「零戦」をつくった時にも一年間であらゆる技術を集約して開発に立ち向かったという事もありました。要するに、目的をはっきりとさせて、ロボット技術をより高度にして行く事が日本の将来にとって物凄く大事なのです。何故ならば、少子高齢化が進んで行く日本においては、「問題解決型ロボット」つまり、福祉ロボットや介護ロボット等のような技術が今後はとても大事になります。そして、人型ロボットというものが、このような文脈においてどんどん高度化して来るのであれば、省力化や労働力が減少して行く時代を支えて行くような技術が凄く大事なのです。
私がある意味において非常に心が躍る事は、中国やインド等が命がけで月に有人宇宙飛行を行う事に対して「日本はそのレベルの探査であるのならば先端的高度なロボット技術によって立ち向かう」というように、遥かにアピールする事が出来る事です。何故ならば、既に40年前、実際に有人によって月に人が立っているわけですから、「今さら何だ」という議論もあるわけです。したがって、日本は将来に意味のある形で、ロボットのような技術を集約させ、「二足歩行によって」という事が重要になりますが、そのようなものを月面に送って、将来「ロボット」と「有人」とを噛み合わせて、更に10年くらいかけて有人飛行を行うという計画に意味があるのではないのかというあたりに合意が形成され始めているのです。私はこの事を凄く意味がある流れだと思っています。

木村>  そうなると、人命の問題は勿論大きな意味があるという事を前提としてロボットというものが、テクノロジー、或いは日本の産業、日本の社会にとってどのような意味があるものなのかという事も同時に知っておかなければならないのですね。

寺島>  しかも、ロボットが月面探査等に立ち向かっている姿を実現するためにどのような技術開発が必要なのかというと、そこには当然の事ながらセンサー技術をはじめとして高度な技術を集約しなければならない事も見えて来ます。

木村>  ロボットというものはそのような技術の塊なのですね。

寺島>  やがて、月面探査だけではなくて私たちの至近距離で日本が抱えるであろう、先程申し上げた少子高齢化社会が直面する問題をロボットが代替するなどして、日本がある問題に立ち向かう時代をつくって行く事が凄く重要です。そして、ロボットという人間の形をしたものだけではなくて、ロボット技術は機械をより高度に動かすものであり、自動車や様々な分野においてそのまま使われて行くものであり、これが実現して行くという事が日本の産業に大きなシナジー、つまり、波及効果を生む途方もなく重要なプロジェクトになると予測できます。したがって、このあたりをよく吟味してどのような体制で進めて行くのが良いのかという方向に議論と実行プランが噛み合って来るのであれば大変に良い方向に行くと思います。
「宇宙」と言うと、自分たちの生活とは全く関係のないところで研究開発が進んでいると思いがちですが、そういう考えを至近距離に近づけるという事が非常に重要です。以前、この番組でもお話しをした事がありますが、海洋基本法も議員立法の超党派によって決められました。海洋の資源探査をするためにも「宇宙技術との連環」、例えばGPSのように位置測定の技術の精度を高めないと資源開発においては上手くいかないわけです。
日本の日立が中心となって開発している「準天頂衛星」の技術というものがあります。現在、アメリカのGPSの衛星が地球の上を24個取り巻いていて、その衛星に繋いで私たちが車を運転する場合にはカーナビで自分がいまどこを走っているのかが確認を出来ます。しかし、アメリカの軍事衛星に依存し続けると仰角が浅いので位置の測定が必ずしも正確ではない事が問題になって来ます。より高度で緻密な測定を必要とする時には真上に衛星を打ち上げる必要があって、それを実現するのが、「準天頂」というものです。日本は初めてそれに予算をつけました。これからそれを3発くらい打ち上げて、位置測定を更に高度化しようという方向に踏み込んで来ます。これは凄く大事な事で、GPSの衛星技術をより高度化して詳細な位置測定が出来る事によって海洋資源探査の精度を上げて行く事が出来ます。また、災害時にもGPSの情報は凄く大事です。
宇宙と日本の未来とを繋ぐところに、どれほど説得力のあるシナリオを描く事が出来るのか、そして、国民の支援と理解を得ながら宇宙開発を進める事が鍵であり、その方向に向けて、今日お話しをしたのは月に二足歩行ロボットを立てるとか、準天頂衛星によって位置測定の精度を飛躍的に高めて資源探査をより効果的に展開して行くような戦略シナリオをしっかりと描き出して行く事が日本の将来にとって凄く意味があるという事です。

木村>  それは当然、非常に裾野の広い産業が活発化されて行く事に繋がるのですね。

寺島>  なにやら悲観論が漂っている空気ですが、私たちがいまやらなければならない事は、典型的な例で宇宙や海洋等のところに新しいフロンティアを求めて日本の新しい時代を切り開いて行くところを見せるという事です。そのように目的がはっきりとして来ると生真面目な性格の日本人はそこに力を集結してやって行こうとします。
東大阪は人工衛星の「まいど1号」で有名になりました。このように、私たちは全国の中小企業や町工場等の情熱が一つの目的に向かって集約して行くシナリオを描かなければならないのです。

木村>  これは、もしかすると「鉄腕アトム」が本当に宇宙を飛んで月に行くという事を目指して行く……。夢は宇宙だけではなくて地上にも広がるというお話でした。
<後半>

木村>  続いては「寺島実郎が語る歴史観」です。前回は、「鈴木大拙~禅の思想家~」についてお話を伺いました。今回は、昨年末に亡くなられた加藤周一さん(註.2)についての寺島さんの思いをお伺いします。加藤さんとの接点はどのような事だったのでしょうか?

寺島>  加藤さんという人は戦後と真剣に向き合った真の知識人だと思います。
私はたった一度だけ加藤さんと対談をした事があります。2003年12月だったのですが、ある雑誌の対談でした。実は、正確に言うと突然加藤さんが訪ねて来てくれたのです。初めから対談があったわけではなくて、話の中身が面白いから収録する事にしようという話になったという経緯がありました。その対談で、冒頭に私は、「私が生まれたのは1947年です。加藤さんが『1946・文学的考察』を書いた年に生まれたのです」という事を彼に伝えました。その本は加藤さんの処女作です。そうしたら、加藤さんは「あなたはその時生まれたのだからすぐに私の本をお読みになったわけではないですよね」ときり返したのです。私は冗談にしても80何歳かになった人であるのに頭が柔らかい人だと思いました。
     私を訪ねて来てくれた理由でもありますが、私が当時、「イラク戦争は間違った戦争である」と発言をしていて、「日本の知識人はアメリカについて行くより仕方がないという空気の中に沈没していて、ものを深く考える力を失っている」という類の事に触れた時に、彼は驚くべき事を言いました。それは、「知的活動を先に進める力は、実は知的能力ではないと思います。それは一種の直感と結びついた感情的なものだと思います」と彼が言った事です。つまり、社会科学や時代等に向き合っている人間が持っていなければならない人間の資質は、目の前で不条理が行われていたのであれば、戦慄く(わななく)様な怒りをもってそれに立ち向かわなければならないという事です。このような事を言われた時、私はショックを受けました。それは、このおじいさんから「戦慄くような怒り」という言葉を聞いた事……、これが加藤周一に対する驚きだったのです。彼は「戦争と知識人」という有名な本を書いていて、あの戦争の時に、後になって「自分は何も知らされてなかったのだ」と盛んに弁明した知識人たちが多かった中で、「知ろうとしなかったのだ」と指摘し、それはむしろ道義的な裏切りであるとしました。星やスミレを愛するだけの人という意味で「星菫派」という言葉がありますが、これは、「ただ星やスミレを愛でていれば知識人は良いというものではない」という事を盛んに言おうとしていたのです。私はこれが加藤周一の本質だったと思います。
私にとって加藤周一は、1968年という年と共に非常に大きな意味があります。1968年、私は大学2年生でした。1965年、米国によるベトナム爆撃開始という事態を受けて、ベトナム戦争というものに疑念を感じはじめていた私にとって、1968年8月20日にソ連がチェコスロバキアに侵攻したという事実(註.3)は極めて大きなものでした。その時の事を加藤周一が「言葉と戦車」という有名な本の中で「1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは圧倒的で無力な戦車と無力で圧倒的な言葉だった」と書いています。私は、圧倒的であるけれども力を持ち得ない「戦車」と、無力であるように見えるが圧倒的であるのは「言葉」だという文章を読んだ時に、社会主義か資本主義かという議論が盛んに繰り広げられていた時代にそのような議論を超えて、世の中には不条理もあれば筋道の通った議論もあるのだという事が閃きました。加藤周一という人は、人間としての軸で物事を見極めようとする事を懸命にやったというか、つまり、政治的人間ではなくて自分は政治を嫌い、熱狂を嫌い、非政治的な人間だという事を言い続けた人なのですが、そのような人だからこそ持ち得た途方もないバランス感覚があり、それが加藤周一という人のものの見方を支えたのだと知りました。

木村>  加藤さんが「話の通じ易さは当事者相互の愛憎によるのではなく、愛憎の対象の共通性によるのである」と書いています。つまり、「お互いの問題意識が触れ合う事においてとても楽しいのだ」という意味だと思うのですが、寺島さんが加藤さんと一度だけお会いになって、その時にまさにそのように通じたのだと思いました。同時に、「知識人のあり方」という事の重さを受けとめながらお話を伺いました。

(註1、2008年5月28日公布。内閣に宇宙開発戦略本部を設け、宇宙開発の推進にかかわる基本的な方針、宇宙開発にあたって総合的・計画的に実施すべき施策を宇宙基本計画として策定する。宇宙開発戦略本部長は内閣総理大臣であり、副本部長として、内閣官房長官および宇宙開発担当大臣が宛てられる)
(註2、1947年、中村真一郎・福永武彦との共著『1946・文学的考察』を発表し注目される。また同年、『近代文学』の同人となる。1951年からは医学留学生としてフランスに渡り、パリ大学などで血液学研究に従事する一方、日本の雑誌や新聞に文明批評や文芸評論を発表。帰国後にマルクス主義的唯物史観の立場から「日本文化の雑種性」などの評論を発表し、1956年にはそれらの成果を『雑種文化』にまとめて刊行した。1958年に医業を廃し、以後評論家・作家として独立した)
(註3、1968年8月20日。チェコスロバキアの自由化・民主運動<「プラハの春」>を警戒したソ連がワルシャワ条約機構加盟の5カ国<ソ連、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア>の軍隊60万人以上を動員して同国に侵攻し、全土を占領した事件。ソ連は民主化運動を制圧し、ソ連に忠実な共産党政府を復活させた)