2009年02月 アーカイブ

2009年02月15日

第15回目

木村>  前回の放送では、「2008年で学んだこと」をベースにして2009年への展望を伺いました。その中でもアメリカに端を発した世界的な金融危機と言われるものを振り返りながら世界の秩序が大きく変わって行き、寺島さんが「全員参加型秩序」という言葉を使ってお話になりました。そのような中で私たちがどのように考えて行く必要があるのか、とりわけ日米関係のあり方についてもお話を伺いました。
今朝のテーマは「オバマのグリーン・ニューディール」というものを軸に据えてお話を伺いたいと思います。世界が興奮し、メディアが熱狂した就任式からもう少しで1ヶ月になります。アメリカがいまどのようなところにいるのかというところからお話を伺ってここに転じていきたいと思います。

<アメリカの経済・財政の実状>

寺島>  オバマ政権がスタートして1ヶ月近くが経とうとしていますが、世界中の過剰なまでの期待を背負ってオバマ政権はスタートして行ったと言えます。ここで、改めてオバマ政権が背負っている十字架の重さがいかに大変かという事を確認したいと思います。
彼はアメリカの再生どころか世界の再生をも背負って動き始めています。まず、私はこの政権が背負っていかなければならない赤字について言っておきたいのです。
以前、この番組でお話したように、アメリカはイラク戦争で既に1兆ドルの戦費の負担を余儀なくされています。この先、最終的には3兆ドルかかるのではないかと言われ始めています。そういう事情を抱えている上、金融不安をなんとか解消し持ちこたえるためにアメリカは公的資金を突っ込んででも金融セクターを安定化させなければならない状況にあります。というのは、コミットした保障や融資等のような、あらゆる仕組みの金融セクターをも安定させなければならないわけですから、やがて財政赤字にのし上がっていくであろうというリスクの総額は8兆ドルと言われています。そして、グリーン・ニューディールも含めて「アメリカの再生のため」=「景気浮揚のため」に財政出動をしてアメリカの経済を蘇らせなければならないのです。その主軸のひとつが「減税」であり、「グリーン・ニューディール」のような新しい産業のために政府が金を支出するという事になります。その総額が8千億ドルを超し、それを上下両院が違った案で最終的に調整しなければなりませんでした。最終的な数字は確定できませんが、少なくとも8千数百億ドルの財政出動をしてでも持ちこたえなければならない事になるのです。

木村>  日本円で80兆円を越えるという事ですね?

寺島>  はい。これは単純に足し合わせても12兆ドル・・・・・・。日本のGDPの2年分を越えるような額が、財政負担にのしかかるものを背負ってこれから動き始めようとしているのです。そして、事実、昨年のアメリカの財政赤字は4,548億ドルでしたが、2009年度は1兆6千億ドルを越す見通しです。つまり、1兆ドルを超す財政赤字を今後、数年間余儀なくされるだろうと言うわけです。そうなると、財政赤字を埋め合わせる方法が必要で、当然の事ながら国債を発行しなければならないわけです。実際に、2009年度も丁度その財政赤字に相当するような1兆6千億ドル規模の国債の発行が予定されていると言われています。
アメリカという国はご存知のように国内の貯蓄が殆ど無い国です。そうすると、「誰が国債を買うのか?」という話になりますが、国債を買う余力が国内で無いために、それを海外に依存しなくてはならないのです。事実、アメリカの国債を一番持っているのは中国と日本です。今まではオイルマネーであったけれども、そのオイルマネーの分がドーンと縮んでしまっていて、国債の発行の受け皿を日本や中国等に求めざるを得ないのです。間もなくヒラリー国務長官が最初の訪問国として日本にやって来ますが、それと言うのも、腹の中には、日本及び中国に国債を依存しなければならない事情があるからです。中国はアメリカの国債を支える事はいかがなものかとためらっていますので、アメリカとしては、最も期待をしたい相手先として日本というものが見えて来るわけです。
そこで、国債の発行がどんどん大量になって来ると、当然の事ながら国債の値下がりがあります。既に、国債が大量に発行されるであろうという事を想定してアメリカの長期金利がスーッと上がって来てしまっています。そして、長期金利が上がると景気を抑制する事になるであろうし、更にはそれが利払いとなって負担となり、アメリカ経済にのしかかるという事も充分に想定出来るのです。したがって、そのような事になると、ドルの下落をもたらしてアメリカにとって、国債に依存してまで景気を浮揚する事が、果たして長期的に見て正しいのかどうかという微妙な問題をも孕みながらも、「そんな事は言っていられない」というのがアメリカの状況なのです。いまは財政出動、つまりニューディールで公的資金を突っ込んでも景気を浮揚しなければならないというところに来ています。そして、世界中はむしろ、それを待ち望んで歓迎しているかのような空気で走っているけれども、「進むも地獄」という部分があって、果たして、国債を発行してまで、巨大な財政赤字に耐えて進んで行くという事でよいのだろうか? という問題意識が依然として強く残ります。しかし、そうまでしてでもアメリカは景気の浮上、アメリカ経済のパラダイム転換を図らなければならないという強い想いが「グリーン・ニューディール」という言葉に込められているのであろうと思います。

<グリーン・ニューディール政策について>

寺島>  そこで、「グリーン・ニューディール」の中身は何かと言うと、再生可能エネルギーによって、アメリカのエネルギーの供給構造を転換するという事が大きな柱になっています。したがって、環境に優しいエネルギーという意味で「グリーン」なのです。具体的には、「太陽光や風力やバイオマス(註.1)等にアメリカのエネルギーの供給力を持って行こう」という構想が見えて来ています。オバマは何回もその言葉を使っています。しかし、ここで確認しておかなければならない事は、現在、2007年の数字が出ていますが、アメリカの一次エネルギー供給は、石炭と天然ガスと石油で78.8%。つまり8割が化石燃料に依存しています。そして、原子力が11.7%ですから、合計して9割近くが化石燃料と原子力によって、アメリカという国は回っているという事になります。
一方、再生可能エネルギーは、水力が3.4%、地熱が0.5%あります。太陽に至っては0.1%、風力に至っては0.4%です。そして、バイオはご存知だと思いますが、アメリカが「バイオマス・エタノール」という、とうもろこしから取ったエタノールをガソリンに混入して車を走らせていて、カリフォルニア州では10%以上も混入しており、かなりバイオの比率が大きくなっていますが、それでも総じて5.0%なのです。したがって、太陽と風力とバイオを合わせて、わずか5.5%なのです。その5.5%の話を悪い言いかたになりますが、「針小棒大にアメリカが再生して行くための大きな鍵なのだ」と表現するのはいかがなものかとエネルギー問題に深く関わっている専門家ほど考えます。バランスのとれた判断をするならば、5%の比重しか占めていない再生可能エネルギーをこの先、死に物狂いで研究開発したとしても、アメリカのエネルギーの2割くらいまで持って行くとなると、とんでもなく大変な話である事は、当然のことながら見えてくるわけです。
私は国家エネルギー戦略の策定に2年前まで参画していて、日本の再生可能エネルギーと省エネルギーによって、例えば、10年、20年先の日本の一次エネルギー供給を5%なり、10%まで持って行く事がどれほど難しい事か、色々とシミュレーションをした数字を見て来ましたから、オバマが「グリーン・ニューディール」と言って、アメリカを変えて行く一つの目玉として、再生可能エネルギーに懸けるのだと言う話は、冷静に言うと、「本当にそのようなものが大きな意味を持つのだろうか?」と疑問を持つのが常識的な考えかただと思います。
しかし、私は「待てよ」と考え直したいのです。何故かと言うと、これは意外に大きな世界史の転換点になるのかもしれないという視点が一方にあるからなのです。どういう意味かと言うと、「20世紀はアメリカの世紀」という言いかたがあるのですが、アメリカは世界の中心に産業力を以って躍り出て来ました。その中心になったのは、例えば、T型フォードという車を生み出して、「内燃機関」=「ガソリンを焚いて走る車」をつくりました。しかも、それを大量生産、大量消費をする事でアメリカが世界の産業の中心に躍り上がって来たのです。アメリカでは、「アメリカ国家の花はカーネーションだ」という言葉があるくらいです。つまり、「車の国」=「car nation」だと言うジョークですね。要するにそれほどまでに車社会をリードして来たアメリカであったわけです。
そのアメリカの虎の子産業でもあった車産業が立ち行かなくなって来ているのです。それと言うのは、内燃機関をベースにした自動車社会の仕組みが大きな転換期を迎えているのではないのかという見方があるからです。そこで、ビッグスリーも日本のメーカーも、いまは内燃機関でガソリンを燃やして走る車ではない、電気によって走る仕組みの自動車にするというように、自動車という社会も大きく変わろうとしているのかもしれないのです。電気自動車に太陽や風力等の小型分散型発電でエネルギー全体を賄うのは不可能だと考えがちなのですが、そこで、「ネットワーク」が大変重要なキーワードになります。つまり、ITのような技術を駆使しながら、小型分散に見えるものを繋いで、新しい電気自動車等に供給する仕組みをつくって行くと、アメリカの20世紀を創り出して来た、内燃機関によって自動車を走らせて大きな産業の柱にして行くというものを方向転換させてしまうのかもしれないという予感を感じさせるのです。そこで、私がここで申し上げたい一番大きな問題意識は、私たちは「IT革命」という言葉を繰り返し使って来ましたが、それをもう一度思い出なければならないという事です。
「グリーン・ニューディールがIT革命に相当するような、歴史的、技術的なマグニチュードを持ち得るような話なのか」という事です。

<グリーン・ニューディール政策の可能性>

寺島>  1975年にサイゴンが陥落して、アメリカは、70年代の後半から80年代にかけて、いわゆる「ベトナム・シンドローム」でのたうち回っていました。そして、あの頃も実はアメリカの再生が言われていて、「もうアメリカはダメだ」という議論が満ち溢れていました。80年代後半はアメリカの衰亡論一色だったのです。あの頃は、「アメリカは衰亡していくだろうか」と見ていた人たちが多かったのですが、現実に、1990年代に入って我々が目撃したのは「蘇るアメリカ」だったわけです。そして、アメリカを蘇らせた大きな鍵が、「技術パラダイムの転換」であり、それが「IT革命」だったのです。つまり、今日で言う、「インターネット」の登場に象徴されるような情報技術革命です。
情報技術革命には深い意味があって、アメリカが軍事技術として開発したインターネットの基盤技術を、冷戦が終わって民生で活用して行こうという流れが興って、軍事技術の民生転換のシンボルのような話として進行した事が、実は「IT革命」だったのです。インターネットの基盤技術は、何のために出来たのかと言うと、中央制御の大型コンピューターによって防衛システムを管理していたのならば、仮にそこにソ連から核攻撃を受けると、中央コンピューターが壊れてしまって総ての防衛システムが全く機能しなくなってしまうので、「分散系開放系」と言って、一つの回路が遮断されてしまっても柔らかく情報が伝わるような仕組みをつくる事からインターネットの基盤技術であるパケット交換方式交換情報ネットワーク技術の研究開発が進んでいったのです。それが1969年にペンタゴンのアーパネット(註.2)というシステムになって完成し、80年代末になって、これからは冷戦が終わって民生用で活用して行くことになり、1993年、いまから15、6年前に、いわゆる商業ネットワークとペンタゴンのアーパネットワークがリンクする形になりました。つまり、ITを梃子にした様々な産業やプロジェクト等が生まれて、そこで世界中のお金を新しい魅力的な投資機会があるという物語が「IT」という言葉によって生まれて、アメリカにお金を引き寄せる事になりました。そして、90年代には「衰亡するアメリカ」ではなくて、「蘇るアメリカ」というシナリオをつくって行ったのです。何故、私がこのような話をしているのかと言うと、いまそれに相当するような「マグニチュード」=「起爆力」が「グリーン・ニューディール」という言葉の中にあるのだろうか? と、私自身が自問自答しているからです。
90年代のアメリカを蘇らせる起爆力になったIT革命は我々の生活をすべて変えたと言ってもいいような流れ、うねりのようなものをつくりました。それと同じようなマグニチュードがある話に「グリーン・ニューディール」が繋がるのだろうかという事が私の自問自答です。つまり、アメリカの一次エネルギー供給のわずか5%に過ぎないような話を、逆立ちしてもそれを20%に持って行く事は難しいだろうというのが、プロフェッショナルな人たちのクールな見方なのですが、「そうでもないかもしれない」という想いがあるのは、IT革命がスタートして行った頃に、クリントン政権の第一期のゴア副大統領は環境問題に大変熱心で、彼が「情報スーパーハイウェイ構想」というものをぶち上げた時に、あれは日本の情報ハイウェイ構想を真似している程度の話で、大した話ではないと考えていた人が大半だったと思います。しかし、その後、情報スーパーハイウェイという情報のインフラ部分のプロジェクトとネットワーク情報技術革命という新しい技術パラダイムの転換が繋がった時に世界が変わったのです。わずか15年の間に、「ユビキタス」(註.3)という言葉も登場して、いまや、「クラウド・コンピューティング」(註.4)と言って、まさに何処でも、誰でも、いつでもネットワーク環境に繋げるような大きなパラダイム転換が起こったわけです。その周りに様々な事業モデルが生まれて、「ITバブル」というような事があり、様々なプロジェクトが動いたのですが、果たして、「グリーン・ニューディールがそのような引き金を引く事になるのだろうか?」という微妙な判断の問題があります。しかし、「ひょっとしたら」という予感があるのは、つまり、20世紀のアメリカを支えた自動車産業が、環境問題等を背景にして電気自動車のようなものに大きく変わらざるを得なくなって来ている状況を踏まえて、小型分散的仕組みに過ぎないと見られがちであるけれども、それをネットワーク技術によって繋ぎ合わせて、再生可能エネルギーによって電気自動車を走らせるという仕組みにアメリカが変わり、世界を変えて行ったのならば、いま我々が見ている世界とは全く違った産業や技術等が繰り広げられる時代が来る可能性は十分にあるのです。
したがって、ここで私が確認したい事は、冷静、客観的に現実というものを直視しておく目線と、もしかしたら物事の大きな転換の始まりはこのような事から始まるのかもしれないと言う、しなやかな見方の両方を持っていなければならないという事です。しかも、一旦決意すると、アメリカは研究開発費に突っ込む数字の額が日本と比べると一桁違います。現在、太陽光でも風力でもバイオでもアメリカには技術基盤がそれほどないのです。むしろ、日本のほうに技術基盤があります。この分野に真剣に蓄積して来たものがあるからです。例えば、風力発電と言ってもプロペラを回すカーボン・ファイバーの技術は、日本がずば抜けて持っているし、バイオマス・エタノールにおいては、とうもろこしやサトウキビから抽出するナノ・テクロジー等、日本の持っている技術基盤は本当に大変なものがあります。
太陽電池や太陽コレクター等も日本がドイツと共にですが、前に出ている部分があるわけです。そこで、技術だとか産業だとかという分野において、また、国債の負担を買い支えていたという事も含めて、日本こそがアメリカを支えていた部分があり、これから、オバマが「グリーン・ニューディール」をやろうとすればする程、日本に依存せざるを得なくなるという構図の中にあるという事実が重要なポイントであり、認識しておく必要がある点なのです。

木村>  大統領が「グリーン・ニューディール」と言うけれども、自然のエネルギーによって発電した電気を送電するためのネットワークをつくるために桁が違うようなお金をかかるのに、そのような事も考えられていないという議論にばかりなっているのだけれども、もっと大きなところで「世界史的な転換」という視点で考えると、また違った議論のフィールドが開かれていくという事で、そこで日本がどのような役割を果たしていくのかというところに可能性が見えて来るのですね。
 

(註1、枯渇性資源ではない、現生生物体構成物質起源の産業資源をバイオマスと呼ぶ。国が定めたバイオマス・ニッポン総合戦略では「再生可能な、生物由来の有機性資源で化石資源を除いたもの」と定義されている)
(註2、ARPANET<アーパネット>は、1969年にアメリカ国防総省の行動科学研究部門IPTO <Information Processing Techniques Office:情報処理技術室>による指揮の下に構築された研究および調査を目的として設けられたコンピュータネットワークである。今日のインターネットの原型として知られている)
(註3、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。 ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い)
(註4、クラウド・コンピューティング <cloud computing> とは、インターネットを基本にした新しいコンピューターの利用形態である。ユーザーはコンピューター処理を、ネットワーク<通常はインターネット>経由で、サービスとして利用できる)

2009年02月22日

2009年3月のスケジュール

■2009/3/8(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2009/3/14(土)08:00~
讀賣テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」

■2009/03/19(木)19:30~
NHK総合「オバマはアメリカをどう変える」

■2009/3/20(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー

■2009/3/21(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/3/22(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/3/22(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2009/3/27(金)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」

■2009/3/28(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/3/29(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

第16回目

木村>  先週の放送では、「オバマのグリーン・ニューディール」はいったいどのようなものなのか、そこで冷静な評価、或いは可能性についてという視点からお話を伺いました。
 そこで、リスナーの方から、このようなメールが届いています。ラジオネーム「マツハマダイガク」さんからです。「オバマ大統領が就任しましたが、まずは日本もアメリカも年度末の資金繰りがひとつのターニングポイントになると思います。少し冷めた目で見ると、アメリカは大きなビジョンを示した一方、目先の対応を含めたロード・マップは明らかにされていません。
寺島さんはアメリカのロード・マップをどう見立てておられますか?」。これは、先週のお話でも、冷静に見るとともにその可能性という視点からグリーン・ニューディールについて伺いました。そうなってくると、アメリカの行き方について、さて、そのロード・マップとはいったいどんなものでしょうか?

<オバマ政権のロード・マップ>

寺島>  私は、ロード・マップの中で比較的に見えて来ているものは「泥沼地獄のイラクから次にどのように切り拓いて行くのか?」つまり、「外交をどのように立て直して行くのか?」という事が物凄く気になります。オバマ大統領は、イラクとアメリカとの間の基地の地位協定で決められているよりも早いタイミングでイラクからアメリカ軍が全面的に引き揚げると言っています。但し、アフガニスタンには3万人くらいを増派するという事でテロとの戦いなるものの、いわば、主戦場をアフガニスタンに替えるというロード・マップを見せようとしています。しかし、まさに、時を合わせるかの如く、アメリカにとっては、大変に衝撃だったと思いますが、キルギスタンがキルギスタンにおける米軍基地を引き揚げてくれと要求をした事を明らかにしました。

木村>  中央アジアのですね?

寺島>  これには背景があって、9・11同時多発テロという事件が起こって、アフガニスタン攻撃やタリバンやアルカイダ等を攻撃しようとしたアメリカは中央アジアに軍事基地を持つ必要を感じて、事実、キルギスタンとウズベキスタンに基地を持ちました。これが、大変にアフガン攻撃に対しては有効に機能しました。中央アジアにアメリカが軍事基地を持つという事は、冷戦の時代と言われた頃には考えられないような話で、ソ連や中国等はそんな話を許容するわけがないのです。しかし、9月11日の事件が起こった直後はロシアも中国も、アメリカが中央アジアに基地を持つ事を容認したのです。その理由は、中国はご存じの通り、「新疆ウイグル問題」、ロシアは「チェチェン問題」を抱えていて、ユーラシア大陸の南側からひたひたと突き上げて来るような、イスラム原理主義の脅威というものに対して向き合わなければならない状況にあるからです。したがって、米国とロシアと中国の共通の利害を背景にして、その当時「反イスラム神聖同盟」という言葉を使っていた人もいますが、つまり、イスラムの脅威に対して協同の利益によって向き合おうという時代の空気があの頃はまだあったわけです。そこで、諸刃の剣になりますが、中国にしてもロシアにしてもアメリカが軍事基地を持つ事を許しました。
しかし、その後の展開の中で、ウズベキスタンの基地を引き揚げ、最後に、アメリカは年間1億5千万ドルの金を払ってまで1200人の空軍兵力をキルギスタンの基地に展開しました。これが今後、アフガニスタンに増派して行く時にアフガニスタンの周りにアメリカがオペレーションする時の大変重要な基地になるからです。それを今度はロシアが圧力をかける形でキルギスタンから引き揚げてくれと要求をして、いよいよその基地を失う事になってしまったのです。今後、アフガニスタンに展開して行かざるを得ないアメリカは、政権のスタート直後にくらった足蹴りのようなもので、かなりの衝撃だと思います。そこで、そのような状況下でアフガニスタンに突っ込んで行った時に、イラクで展開した事と同じような「泥沼地獄のシナリオ」が様々な意味において待っているのでないかという予感があるわけです。
 そして、いま世界情勢はアメリカがイラクで失敗をして、その状況を見て、ベトナムで敗退した時のアメリカも同じような事を言われたのですが、「非対称戦争」という言葉が盛んに使われ始めています。つまり、「国家対国家」や「正規軍と正規軍」の戦いではなくて、目に見えないような、いつ、何処から湧き出てくるかわからないような相手、例えばゲリラやテロリスト等からの攻撃に対しても戦わなければならない戦争の事です。非対称戦争が世界的に繰り広げられている状況になったという意味で、最近、佐藤優さんが出版した「第三次世界大戦」というタイトルの本がありますが、その中の「国家と国家が戦い合うのではなくて、非対称戦争としての新しい戦争の時代が来た」という文脈においては、鋭い切り口でそのような見方が十分に成り立つ部分があるわけです。但し、ここで私が申し上げておかなければならない事は、またぞろ「戦争の時代」というものに我々は向き合わなければならないのかという時に、もう一つの視点として、確かにそのような大きな流れも世界を突き動かしている要素であるけれども、9月11日以降に学んだ事も我々はよく考えなければならないという事です。

<力の論理から相互依存へ>

寺島>  それは何だったかと言うと、やはり、9月11日の事件が起こって、アメリカは「これは犯罪ではなくて、戦争だ」と叫んで、戦争というカードで非対称戦争に勝てると思って突っ込んで行ったのですが、結果的には泥沼地獄になったのです。そして、我々もそれを客観的に見ながら学んだ事は、要するに「戦争というカード」=「力の論理で相手を叩き潰す」というものでは問題は解決しないという事だったはずです。例えば、ゲリラやテロリスト等が孤立した存在である限りは、それを叩き潰すのは楽であるけれども、むしろ民衆から支持されていたり、民衆の中に沈み込んでいる場合には、ガン細胞が体中に回っているような状態になっているわけで、その一つ一つの細胞を叩き潰そうとしても、とても戦いきれないのです。
  それは、やがて地球を破滅させてしまう事になるかもしれないというイマジネーションを働かさなければならない問題なのです。むしろ、体中にそのようなものが染み渡っている事をもたらした構造とは何なのか? という事を問い返していかなければならないような局面になっています。したがって、力の論理で問題を解決してはならないと言うか、21世紀の初頭は、「力の論理では解決出来ないと学んだ」プロセスでもあったわけです。ロシアもアメリカが学んでいると同時に、昨年8月に、グルジア侵攻において学んだはずです。つまり、力で南進して、再び冷戦の時代のようにロシア対アメリカも含めて戦いあう時代が来たのかと世界は見たけれども、ロシア自身がいまのたうち回っています。何故かと言うと、世界中のロシアに対する信頼や信用が引いて、西側の投資がロシアに向かわなくなってルーブルが極端な形で下落するという事態を引き起こしているのですから・・・・・・。
今月は日露の首脳会議が開かれましたが、ロシア側が日本との関係を積極的に打開して行こうという動きを見せて来ている理由は、アメリカや西欧との関係が非常にまずくなって来ている状況を背景に、ロシアもアジア等の東に彼らの新しいもう一つの軸足を置かなければならないと思い始めているからです。いま、ロシアは日本や韓国との関係を非常に気にし始めています。したがって、日露関係に関しても大きな教訓を得て、新しい展開が生まれて来ている事に気がつかなければならないのです。
そして、私がここで申し上げたい事は、要するに、世界というものは相互依存の時代の中で、戦争の出来ない世界と言うか、戦争をしてはならない世界というのが本当の意味でのグローバル化という事です。そして、私が思い出す事は
木村さんがNHKのラジオ番組で司会をされていた時に、小田実さんと議論をした事です。私は小田さんが亡くなる前に、私の目の前で、「世界は戦争が出来ない時代になった」と言いました。これは、彼が最後に叫んで行った言葉だと思うのです。私は、彼がその言葉を何故くどいほど言っているのだろうと思いましたが、つまり、これは彼の遺言だと私は受けとめていました。ある意味では鋭く時代を見抜いていたというか、彼が言いたかった事は、相互依存が深まれば深まるほど「世界は戦争をしてはならないし、戦争が出来ない時代に近づいているのだ」というイマジネーションがないと世界は成り立っていかないという事でした。憎しみを駆り立てて、憎しみを連鎖させてはダメだという事が、実は21世紀に入って9・11が起こり、更にイラク戦争という泥沼地獄に喘ぎ、しかも、不用意に日本はイラク戦争に吸い込まれるようにアメリカを支援する形で関わりましたが、力の論理ではなく相互依存という中から世界の仕組みを変えて行くという事に気がつかなければならないのです。
したがって、一つは、我々は力と力がぶつかり合っている新しい「パワー・ゲームの時代」が来ているというイマジネーションを冷静に持つという部分と、そのような事では問題は解決しないので次の時代の知恵が必要なのだという部分で教訓を得ているというイマジネーションを働かせるというこの二つの視座が大切なのだと思います。

木村>  これは、茶化す話ではなくて、先週のお話も、いま伺ったお話も、オバマ大統領にこの事を本当に伝えなければならない・・・・・・。つまり、「あなたはグリーン・ニューディールにおいて、そこまで考える事が必要ですよ」というメッセージが必要だと思います。そして、昨年の秋にこの番組で、オバマ大統領が有力になって来ていた時に、「イラクからの撤退は言っているけれども、アフガンには力を入れるという矛盾をどう考えるべきなのか?」と
寺島さんに伺いました。つまり、そのようにして「我々は2001年の9・11から学んだはずだ」というメッセージも、もしかしたら日米関係を考える時に、「協力する」という事は「アフガンにどのように協力するのか?」というコンセプトだけで語られるのですが、このメッセージを発して行く力を持たなければならないのではないでしょうか。

寺島>  日本側も、アメリカが日本の役割に期待をするというエネルギーを間違いなく、どんどん高めて行くと思います。その時に、思わせぶりな話ではなくて、真の友情を込めて世界の次なる秩序形成において、我々がやらなければならない事は、いま私が話して来たような「力の論理を超えた、新しい新世界秩序というものではないのか」と、しっかり語る視点を日本が持つべきだと本当に思います。

木村>  それと共に、アメリカは国内でいまオバマ大統領を誕生させた力の中から、9・11以降の世界に深く学んで、そこから教訓を学びとって行くべきだという力が湧き出だして来るのでしょうか?

寺島>  私は本当にそれを期待するのですが、現実には、アメリカというものは真っ二つに割れていると考えたほうがよいのです。何故かと言うと、「オバマ圧勝」と見ますが、投票の総数からは依然として共和党と民主党は半分ずつです。なにも民主党が平和志向だと一概に決める意味ではありませんけれども、やはり、内向きのアメリカと言いますか、アメリカの自国利害中心で世界を築いて行こうという人たちも半分くらいはいると思っていなければならないのです。そして、そのような力の論理に対する信奉も物凄く篤くて、全能の幻像と言うか、力さえ持っていれば何でも出来るという発想の人たちも多いのです。
結局のところ、オバマ大統領も何故、アフガンには力を入れるという事を言わざるを得ないのかと言うと、それは彼の思慮が足りないからだという意味ではなくて、むしろ、「弱腰外交」を批判される事に対する先回りした布石と言うか、大統領は全軍を率いている総司令官ですから、そこにある種のナショナリズムに配慮しているというところを見せなければならない苦しみがあると思います。彼が、多分、その事の持つ限界も把握していたとしても、結局、「虚弱な外交である」=「弱腰である」と批判する勢力がいるので、そのようなものに配慮していかなければならないのです。そして、日本でも、戦前の歴史を見ているとわかりますが、どうしてもそこのところが軍に対する配慮や、「弱腰に見られたくない」という事から、言葉が動き始めて時代を動かして行き、国策を誤らせるという事が起こるものなのです。
 そのような面で本当に期待したいと同時に、アメリカが再び、「イラクPart2」のような泥沼地獄にならないように、ベトナムで学び、イラクで学んだはずなのだから「次なる英知」なるものを期待したのですけれども、どこまでその話が通じるのか・・・・・・。私は今月末からアメリカの東海岸に行きますが、またその話を報告したいと思います。

木村>  その意味でも、
寺島さんの「オバマ大統領は大変に重い十字架を背負って、いま歩んでいる」という言葉の深い意味を考えさせられるお話でした。

<後半> 

木村>  続いては、「
寺島実郎が語る歴史観」です。このコーナーは
寺島さんのお考え、或いは世界を見る眼の基礎になっている歴史認識について、私たちもお話を伺いながら共に考えていきます。
 今朝のテーマは「鈴木大拙とは何か?~西洋と日本への見方~」です(註.1)。人名事典風に言うと、「鈴木大拙」は「禅」の精神を世界に伝えた人という事になります。

寺島>  私はいま、世界中を動いていて、その中で本屋に行く事が趣味みたいな人間ですから、至るところで本屋に行きますが、日本についてのコーナーに鈴木大拙の本が無いことはないというくらいです。大拙には、「禅と日本文化」という有名な本があります。彼の発信力は凄いものなのですが、英語で日本や東洋というものを発信したまれに見る人です。私はこの人物に非常に興味があって、色々といまでも調べ続けています。鎌倉の東慶寺に「松ヶ岡文庫」という文庫を残して、鈴木大拙は亡くなっています。私はその文庫の、理事もやっていて、鈴木大拙との縁が一段と深まっています。
 そこで、何故この人物に興味があるのかと言うと、彼は51歳で本格的に大学で禅の研究に打ち込むまでは「洋行帰りの英語教師」=「教養課程の英語教師」で、あくまでも禅の研究者の一人に過ぎなかったのです。

寺島>  英語の先生を51歳までやっていた人が、50歳を過ぎてから96歳で亡くなられるまでの45年間の間に、まさに、鈴木大拙の存在が輝いて来て、世界に向けて「禅と日本」というものを発信した大変な存在になってしまったわけです。鈴木大拙の思想を言葉でどのように説明するかというのは難しい事なのですが、私なりの理解では、彼の言葉の中で、「外は広く、内は深い」というものがあります。つまり、「世界は広くて独りよがりになってはならない」という自分を客観的に見る目線を持たなければならないという事です。そして、「内が深い」というのは、「国内という事だけではなくて、心の中という問題も含めて「内の深さを問い詰めて行く事の大切さ」を彼は教えて行ったのだと思います。
 そのような中で、私が一番大事だと思う大拙の研究は、ずっと議論して来た「オバマ政権をどのように見るか?」という話にも繋がりますが、西洋と東洋の違いを真剣に考え抜いたという事ではないかと思います。つまり、西洋思想や西洋文化の特色は「Divide&Rule」=「分断統治」で分けて制するという事です。例えば、
木村さんと私がいて、「あなたと私」、「主と客」、「自分と世界」、「心と物」、「天と地」、「陰と陽」等、つまり、二つに分けて、全てを分けるという事から知性が始まって、「主と客」を分けるという事から知識がスタートして行き、それを組み立て、積み上げて行ったのが西洋的思考様式であり、常に「相手と私」を分けて「主と客」を分ける事によって物事を描き出して行くのです。したがって、このアプローチというものは、議論を一般化したり、抽象化したり、概念化する上で物凄く適していて、そのような論理的なパターンの思考から工業化や産業化等が生まれて進展したわけです。西洋社会において、産業革命が発展して来たプロセスも、このようなものの見方や考え方が背景にあるのだという事を彼は見抜いていました。
 しかし、西洋の思想は論理的であると同時に欠点もあります。普遍化したり、標準化するという事を大事にするけれども、それが必ず個々の個性を減らしてしまったり、創造性を統制してしまうのです。西洋思想というものについて大拙は、創造力というものを制約してしまうという欠点があるのだという事を書いています。一方、東洋的な思想は、「主と客」を分けないままに、人間は自然の中に生かされている一部であり、円融自在、つまり、リサイクルのように回っている中で物事は成り立っているのだという思考様式、自然観、時代観というものを持っている考え方だと書いています。要するに、彼は「開かれた心で独りよがりになってはならない」という事を盛んに言っていました。
笑い話のようですが、彼の弟子たちがある時、大拙に「西洋人に禅の心を語っても分かりますか?」聞いたそうです。彼はどのように答えたかと言うと、「君には分かるのかね?」だったそうです。その答えが、彼の持つしなやかさで、彼の頭のやわらかさというもので、私は非常に心を揺さぶられる事があるのです。いずれにしても、鈴木大拙の心も含めて、順次、この番組で我々の先達として生きた人たちが、西洋と向き合って何を考えたのか・・・・・・。私はそのような事が凄く大事な事だと思っています。「独りよがりになってはならない」のです。彼が言い続けた「外は広く、内は深い」という言葉を噛み締めなければならないといつも思っています。

木村>  「外は広く、内は深い」・・・・・・。この言葉を噛み締めて、感じながら考えてみたいと思いました。

(註1、仏教学者。1870年~1966年。
禅について著作を英語で著し、日本、東洋の禅文化を海外に広く知らしめた。主著は「禅思想史研究」、「仏教の大意」、「禅と日本文化」など多数。日本と欧米を頻繁に往来し、仏教や禅思想の研究、普及につとめた)