第16回目

木村>  先週の放送では、「オバマのグリーン・ニューディール」はいったいどのようなものなのか、そこで冷静な評価、或いは可能性についてという視点からお話を伺いました。
 そこで、リスナーの方から、このようなメールが届いています。ラジオネーム「マツハマダイガク」さんからです。「オバマ大統領が就任しましたが、まずは日本もアメリカも年度末の資金繰りがひとつのターニングポイントになると思います。少し冷めた目で見ると、アメリカは大きなビジョンを示した一方、目先の対応を含めたロード・マップは明らかにされていません。
寺島さんはアメリカのロード・マップをどう見立てておられますか?」。これは、先週のお話でも、冷静に見るとともにその可能性という視点からグリーン・ニューディールについて伺いました。そうなってくると、アメリカの行き方について、さて、そのロード・マップとはいったいどんなものでしょうか?

<オバマ政権のロード・マップ>

寺島>  私は、ロード・マップの中で比較的に見えて来ているものは「泥沼地獄のイラクから次にどのように切り拓いて行くのか?」つまり、「外交をどのように立て直して行くのか?」という事が物凄く気になります。オバマ大統領は、イラクとアメリカとの間の基地の地位協定で決められているよりも早いタイミングでイラクからアメリカ軍が全面的に引き揚げると言っています。但し、アフガニスタンには3万人くらいを増派するという事でテロとの戦いなるものの、いわば、主戦場をアフガニスタンに替えるというロード・マップを見せようとしています。しかし、まさに、時を合わせるかの如く、アメリカにとっては、大変に衝撃だったと思いますが、キルギスタンがキルギスタンにおける米軍基地を引き揚げてくれと要求をした事を明らかにしました。

木村>  中央アジアのですね?

寺島>  これには背景があって、9・11同時多発テロという事件が起こって、アフガニスタン攻撃やタリバンやアルカイダ等を攻撃しようとしたアメリカは中央アジアに軍事基地を持つ必要を感じて、事実、キルギスタンとウズベキスタンに基地を持ちました。これが、大変にアフガン攻撃に対しては有効に機能しました。中央アジアにアメリカが軍事基地を持つという事は、冷戦の時代と言われた頃には考えられないような話で、ソ連や中国等はそんな話を許容するわけがないのです。しかし、9月11日の事件が起こった直後はロシアも中国も、アメリカが中央アジアに基地を持つ事を容認したのです。その理由は、中国はご存じの通り、「新疆ウイグル問題」、ロシアは「チェチェン問題」を抱えていて、ユーラシア大陸の南側からひたひたと突き上げて来るような、イスラム原理主義の脅威というものに対して向き合わなければならない状況にあるからです。したがって、米国とロシアと中国の共通の利害を背景にして、その当時「反イスラム神聖同盟」という言葉を使っていた人もいますが、つまり、イスラムの脅威に対して協同の利益によって向き合おうという時代の空気があの頃はまだあったわけです。そこで、諸刃の剣になりますが、中国にしてもロシアにしてもアメリカが軍事基地を持つ事を許しました。
しかし、その後の展開の中で、ウズベキスタンの基地を引き揚げ、最後に、アメリカは年間1億5千万ドルの金を払ってまで1200人の空軍兵力をキルギスタンの基地に展開しました。これが今後、アフガニスタンに増派して行く時にアフガニスタンの周りにアメリカがオペレーションする時の大変重要な基地になるからです。それを今度はロシアが圧力をかける形でキルギスタンから引き揚げてくれと要求をして、いよいよその基地を失う事になってしまったのです。今後、アフガニスタンに展開して行かざるを得ないアメリカは、政権のスタート直後にくらった足蹴りのようなもので、かなりの衝撃だと思います。そこで、そのような状況下でアフガニスタンに突っ込んで行った時に、イラクで展開した事と同じような「泥沼地獄のシナリオ」が様々な意味において待っているのでないかという予感があるわけです。
 そして、いま世界情勢はアメリカがイラクで失敗をして、その状況を見て、ベトナムで敗退した時のアメリカも同じような事を言われたのですが、「非対称戦争」という言葉が盛んに使われ始めています。つまり、「国家対国家」や「正規軍と正規軍」の戦いではなくて、目に見えないような、いつ、何処から湧き出てくるかわからないような相手、例えばゲリラやテロリスト等からの攻撃に対しても戦わなければならない戦争の事です。非対称戦争が世界的に繰り広げられている状況になったという意味で、最近、佐藤優さんが出版した「第三次世界大戦」というタイトルの本がありますが、その中の「国家と国家が戦い合うのではなくて、非対称戦争としての新しい戦争の時代が来た」という文脈においては、鋭い切り口でそのような見方が十分に成り立つ部分があるわけです。但し、ここで私が申し上げておかなければならない事は、またぞろ「戦争の時代」というものに我々は向き合わなければならないのかという時に、もう一つの視点として、確かにそのような大きな流れも世界を突き動かしている要素であるけれども、9月11日以降に学んだ事も我々はよく考えなければならないという事です。

<力の論理から相互依存へ>

寺島>  それは何だったかと言うと、やはり、9月11日の事件が起こって、アメリカは「これは犯罪ではなくて、戦争だ」と叫んで、戦争というカードで非対称戦争に勝てると思って突っ込んで行ったのですが、結果的には泥沼地獄になったのです。そして、我々もそれを客観的に見ながら学んだ事は、要するに「戦争というカード」=「力の論理で相手を叩き潰す」というものでは問題は解決しないという事だったはずです。例えば、ゲリラやテロリスト等が孤立した存在である限りは、それを叩き潰すのは楽であるけれども、むしろ民衆から支持されていたり、民衆の中に沈み込んでいる場合には、ガン細胞が体中に回っているような状態になっているわけで、その一つ一つの細胞を叩き潰そうとしても、とても戦いきれないのです。
  それは、やがて地球を破滅させてしまう事になるかもしれないというイマジネーションを働かさなければならない問題なのです。むしろ、体中にそのようなものが染み渡っている事をもたらした構造とは何なのか? という事を問い返していかなければならないような局面になっています。したがって、力の論理で問題を解決してはならないと言うか、21世紀の初頭は、「力の論理では解決出来ないと学んだ」プロセスでもあったわけです。ロシアもアメリカが学んでいると同時に、昨年8月に、グルジア侵攻において学んだはずです。つまり、力で南進して、再び冷戦の時代のようにロシア対アメリカも含めて戦いあう時代が来たのかと世界は見たけれども、ロシア自身がいまのたうち回っています。何故かと言うと、世界中のロシアに対する信頼や信用が引いて、西側の投資がロシアに向かわなくなってルーブルが極端な形で下落するという事態を引き起こしているのですから・・・・・・。
今月は日露の首脳会議が開かれましたが、ロシア側が日本との関係を積極的に打開して行こうという動きを見せて来ている理由は、アメリカや西欧との関係が非常にまずくなって来ている状況を背景に、ロシアもアジア等の東に彼らの新しいもう一つの軸足を置かなければならないと思い始めているからです。いま、ロシアは日本や韓国との関係を非常に気にし始めています。したがって、日露関係に関しても大きな教訓を得て、新しい展開が生まれて来ている事に気がつかなければならないのです。
そして、私がここで申し上げたい事は、要するに、世界というものは相互依存の時代の中で、戦争の出来ない世界と言うか、戦争をしてはならない世界というのが本当の意味でのグローバル化という事です。そして、私が思い出す事は
木村さんがNHKのラジオ番組で司会をされていた時に、小田実さんと議論をした事です。私は小田さんが亡くなる前に、私の目の前で、「世界は戦争が出来ない時代になった」と言いました。これは、彼が最後に叫んで行った言葉だと思うのです。私は、彼がその言葉を何故くどいほど言っているのだろうと思いましたが、つまり、これは彼の遺言だと私は受けとめていました。ある意味では鋭く時代を見抜いていたというか、彼が言いたかった事は、相互依存が深まれば深まるほど「世界は戦争をしてはならないし、戦争が出来ない時代に近づいているのだ」というイマジネーションがないと世界は成り立っていかないという事でした。憎しみを駆り立てて、憎しみを連鎖させてはダメだという事が、実は21世紀に入って9・11が起こり、更にイラク戦争という泥沼地獄に喘ぎ、しかも、不用意に日本はイラク戦争に吸い込まれるようにアメリカを支援する形で関わりましたが、力の論理ではなく相互依存という中から世界の仕組みを変えて行くという事に気がつかなければならないのです。
したがって、一つは、我々は力と力がぶつかり合っている新しい「パワー・ゲームの時代」が来ているというイマジネーションを冷静に持つという部分と、そのような事では問題は解決しないので次の時代の知恵が必要なのだという部分で教訓を得ているというイマジネーションを働かせるというこの二つの視座が大切なのだと思います。

木村>  これは、茶化す話ではなくて、先週のお話も、いま伺ったお話も、オバマ大統領にこの事を本当に伝えなければならない・・・・・・。つまり、「あなたはグリーン・ニューディールにおいて、そこまで考える事が必要ですよ」というメッセージが必要だと思います。そして、昨年の秋にこの番組で、オバマ大統領が有力になって来ていた時に、「イラクからの撤退は言っているけれども、アフガンには力を入れるという矛盾をどう考えるべきなのか?」と
寺島さんに伺いました。つまり、そのようにして「我々は2001年の9・11から学んだはずだ」というメッセージも、もしかしたら日米関係を考える時に、「協力する」という事は「アフガンにどのように協力するのか?」というコンセプトだけで語られるのですが、このメッセージを発して行く力を持たなければならないのではないでしょうか。

寺島>  日本側も、アメリカが日本の役割に期待をするというエネルギーを間違いなく、どんどん高めて行くと思います。その時に、思わせぶりな話ではなくて、真の友情を込めて世界の次なる秩序形成において、我々がやらなければならない事は、いま私が話して来たような「力の論理を超えた、新しい新世界秩序というものではないのか」と、しっかり語る視点を日本が持つべきだと本当に思います。

木村>  それと共に、アメリカは国内でいまオバマ大統領を誕生させた力の中から、9・11以降の世界に深く学んで、そこから教訓を学びとって行くべきだという力が湧き出だして来るのでしょうか?

寺島>  私は本当にそれを期待するのですが、現実には、アメリカというものは真っ二つに割れていると考えたほうがよいのです。何故かと言うと、「オバマ圧勝」と見ますが、投票の総数からは依然として共和党と民主党は半分ずつです。なにも民主党が平和志向だと一概に決める意味ではありませんけれども、やはり、内向きのアメリカと言いますか、アメリカの自国利害中心で世界を築いて行こうという人たちも半分くらいはいると思っていなければならないのです。そして、そのような力の論理に対する信奉も物凄く篤くて、全能の幻像と言うか、力さえ持っていれば何でも出来るという発想の人たちも多いのです。
結局のところ、オバマ大統領も何故、アフガンには力を入れるという事を言わざるを得ないのかと言うと、それは彼の思慮が足りないからだという意味ではなくて、むしろ、「弱腰外交」を批判される事に対する先回りした布石と言うか、大統領は全軍を率いている総司令官ですから、そこにある種のナショナリズムに配慮しているというところを見せなければならない苦しみがあると思います。彼が、多分、その事の持つ限界も把握していたとしても、結局、「虚弱な外交である」=「弱腰である」と批判する勢力がいるので、そのようなものに配慮していかなければならないのです。そして、日本でも、戦前の歴史を見ているとわかりますが、どうしてもそこのところが軍に対する配慮や、「弱腰に見られたくない」という事から、言葉が動き始めて時代を動かして行き、国策を誤らせるという事が起こるものなのです。
 そのような面で本当に期待したいと同時に、アメリカが再び、「イラクPart2」のような泥沼地獄にならないように、ベトナムで学び、イラクで学んだはずなのだから「次なる英知」なるものを期待したのですけれども、どこまでその話が通じるのか・・・・・・。私は今月末からアメリカの東海岸に行きますが、またその話を報告したいと思います。

木村>  その意味でも、
寺島さんの「オバマ大統領は大変に重い十字架を背負って、いま歩んでいる」という言葉の深い意味を考えさせられるお話でした。

<後半> 

木村>  続いては、「
寺島実郎が語る歴史観」です。このコーナーは
寺島さんのお考え、或いは世界を見る眼の基礎になっている歴史認識について、私たちもお話を伺いながら共に考えていきます。
 今朝のテーマは「鈴木大拙とは何か?~西洋と日本への見方~」です(註.1)。人名事典風に言うと、「鈴木大拙」は「禅」の精神を世界に伝えた人という事になります。

寺島>  私はいま、世界中を動いていて、その中で本屋に行く事が趣味みたいな人間ですから、至るところで本屋に行きますが、日本についてのコーナーに鈴木大拙の本が無いことはないというくらいです。大拙には、「禅と日本文化」という有名な本があります。彼の発信力は凄いものなのですが、英語で日本や東洋というものを発信したまれに見る人です。私はこの人物に非常に興味があって、色々といまでも調べ続けています。鎌倉の東慶寺に「松ヶ岡文庫」という文庫を残して、鈴木大拙は亡くなっています。私はその文庫の、理事もやっていて、鈴木大拙との縁が一段と深まっています。
 そこで、何故この人物に興味があるのかと言うと、彼は51歳で本格的に大学で禅の研究に打ち込むまでは「洋行帰りの英語教師」=「教養課程の英語教師」で、あくまでも禅の研究者の一人に過ぎなかったのです。

寺島>  英語の先生を51歳までやっていた人が、50歳を過ぎてから96歳で亡くなられるまでの45年間の間に、まさに、鈴木大拙の存在が輝いて来て、世界に向けて「禅と日本」というものを発信した大変な存在になってしまったわけです。鈴木大拙の思想を言葉でどのように説明するかというのは難しい事なのですが、私なりの理解では、彼の言葉の中で、「外は広く、内は深い」というものがあります。つまり、「世界は広くて独りよがりになってはならない」という自分を客観的に見る目線を持たなければならないという事です。そして、「内が深い」というのは、「国内という事だけではなくて、心の中という問題も含めて「内の深さを問い詰めて行く事の大切さ」を彼は教えて行ったのだと思います。
 そのような中で、私が一番大事だと思う大拙の研究は、ずっと議論して来た「オバマ政権をどのように見るか?」という話にも繋がりますが、西洋と東洋の違いを真剣に考え抜いたという事ではないかと思います。つまり、西洋思想や西洋文化の特色は「Divide&Rule」=「分断統治」で分けて制するという事です。例えば、
木村さんと私がいて、「あなたと私」、「主と客」、「自分と世界」、「心と物」、「天と地」、「陰と陽」等、つまり、二つに分けて、全てを分けるという事から知性が始まって、「主と客」を分けるという事から知識がスタートして行き、それを組み立て、積み上げて行ったのが西洋的思考様式であり、常に「相手と私」を分けて「主と客」を分ける事によって物事を描き出して行くのです。したがって、このアプローチというものは、議論を一般化したり、抽象化したり、概念化する上で物凄く適していて、そのような論理的なパターンの思考から工業化や産業化等が生まれて進展したわけです。西洋社会において、産業革命が発展して来たプロセスも、このようなものの見方や考え方が背景にあるのだという事を彼は見抜いていました。
 しかし、西洋の思想は論理的であると同時に欠点もあります。普遍化したり、標準化するという事を大事にするけれども、それが必ず個々の個性を減らしてしまったり、創造性を統制してしまうのです。西洋思想というものについて大拙は、創造力というものを制約してしまうという欠点があるのだという事を書いています。一方、東洋的な思想は、「主と客」を分けないままに、人間は自然の中に生かされている一部であり、円融自在、つまり、リサイクルのように回っている中で物事は成り立っているのだという思考様式、自然観、時代観というものを持っている考え方だと書いています。要するに、彼は「開かれた心で独りよがりになってはならない」という事を盛んに言っていました。
笑い話のようですが、彼の弟子たちがある時、大拙に「西洋人に禅の心を語っても分かりますか?」聞いたそうです。彼はどのように答えたかと言うと、「君には分かるのかね?」だったそうです。その答えが、彼の持つしなやかさで、彼の頭のやわらかさというもので、私は非常に心を揺さぶられる事があるのです。いずれにしても、鈴木大拙の心も含めて、順次、この番組で我々の先達として生きた人たちが、西洋と向き合って何を考えたのか・・・・・・。私はそのような事が凄く大事な事だと思っています。「独りよがりになってはならない」のです。彼が言い続けた「外は広く、内は深い」という言葉を噛み締めなければならないといつも思っています。

木村>  「外は広く、内は深い」・・・・・・。この言葉を噛み締めて、感じながら考えてみたいと思いました。

(註1、仏教学者。1870年~1966年。
禅について著作を英語で著し、日本、東洋の禅文化を海外に広く知らしめた。主著は「禅思想史研究」、「仏教の大意」、「禅と日本文化」など多数。日本と欧米を頻繁に往来し、仏教や禅思想の研究、普及につとめた)