第15回目

木村>  前回の放送では、「2008年で学んだこと」をベースにして2009年への展望を伺いました。その中でもアメリカに端を発した世界的な金融危機と言われるものを振り返りながら世界の秩序が大きく変わって行き、寺島さんが「全員参加型秩序」という言葉を使ってお話になりました。そのような中で私たちがどのように考えて行く必要があるのか、とりわけ日米関係のあり方についてもお話を伺いました。
今朝のテーマは「オバマのグリーン・ニューディール」というものを軸に据えてお話を伺いたいと思います。世界が興奮し、メディアが熱狂した就任式からもう少しで1ヶ月になります。アメリカがいまどのようなところにいるのかというところからお話を伺ってここに転じていきたいと思います。

<アメリカの経済・財政の実状>

寺島>  オバマ政権がスタートして1ヶ月近くが経とうとしていますが、世界中の過剰なまでの期待を背負ってオバマ政権はスタートして行ったと言えます。ここで、改めてオバマ政権が背負っている十字架の重さがいかに大変かという事を確認したいと思います。
彼はアメリカの再生どころか世界の再生をも背負って動き始めています。まず、私はこの政権が背負っていかなければならない赤字について言っておきたいのです。
以前、この番組でお話したように、アメリカはイラク戦争で既に1兆ドルの戦費の負担を余儀なくされています。この先、最終的には3兆ドルかかるのではないかと言われ始めています。そういう事情を抱えている上、金融不安をなんとか解消し持ちこたえるためにアメリカは公的資金を突っ込んででも金融セクターを安定化させなければならない状況にあります。というのは、コミットした保障や融資等のような、あらゆる仕組みの金融セクターをも安定させなければならないわけですから、やがて財政赤字にのし上がっていくであろうというリスクの総額は8兆ドルと言われています。そして、グリーン・ニューディールも含めて「アメリカの再生のため」=「景気浮揚のため」に財政出動をしてアメリカの経済を蘇らせなければならないのです。その主軸のひとつが「減税」であり、「グリーン・ニューディール」のような新しい産業のために政府が金を支出するという事になります。その総額が8千億ドルを超し、それを上下両院が違った案で最終的に調整しなければなりませんでした。最終的な数字は確定できませんが、少なくとも8千数百億ドルの財政出動をしてでも持ちこたえなければならない事になるのです。

木村>  日本円で80兆円を越えるという事ですね?

寺島>  はい。これは単純に足し合わせても12兆ドル・・・・・・。日本のGDPの2年分を越えるような額が、財政負担にのしかかるものを背負ってこれから動き始めようとしているのです。そして、事実、昨年のアメリカの財政赤字は4,548億ドルでしたが、2009年度は1兆6千億ドルを越す見通しです。つまり、1兆ドルを超す財政赤字を今後、数年間余儀なくされるだろうと言うわけです。そうなると、財政赤字を埋め合わせる方法が必要で、当然の事ながら国債を発行しなければならないわけです。実際に、2009年度も丁度その財政赤字に相当するような1兆6千億ドル規模の国債の発行が予定されていると言われています。
アメリカという国はご存知のように国内の貯蓄が殆ど無い国です。そうすると、「誰が国債を買うのか?」という話になりますが、国債を買う余力が国内で無いために、それを海外に依存しなくてはならないのです。事実、アメリカの国債を一番持っているのは中国と日本です。今まではオイルマネーであったけれども、そのオイルマネーの分がドーンと縮んでしまっていて、国債の発行の受け皿を日本や中国等に求めざるを得ないのです。間もなくヒラリー国務長官が最初の訪問国として日本にやって来ますが、それと言うのも、腹の中には、日本及び中国に国債を依存しなければならない事情があるからです。中国はアメリカの国債を支える事はいかがなものかとためらっていますので、アメリカとしては、最も期待をしたい相手先として日本というものが見えて来るわけです。
そこで、国債の発行がどんどん大量になって来ると、当然の事ながら国債の値下がりがあります。既に、国債が大量に発行されるであろうという事を想定してアメリカの長期金利がスーッと上がって来てしまっています。そして、長期金利が上がると景気を抑制する事になるであろうし、更にはそれが利払いとなって負担となり、アメリカ経済にのしかかるという事も充分に想定出来るのです。したがって、そのような事になると、ドルの下落をもたらしてアメリカにとって、国債に依存してまで景気を浮揚する事が、果たして長期的に見て正しいのかどうかという微妙な問題をも孕みながらも、「そんな事は言っていられない」というのがアメリカの状況なのです。いまは財政出動、つまりニューディールで公的資金を突っ込んでも景気を浮揚しなければならないというところに来ています。そして、世界中はむしろ、それを待ち望んで歓迎しているかのような空気で走っているけれども、「進むも地獄」という部分があって、果たして、国債を発行してまで、巨大な財政赤字に耐えて進んで行くという事でよいのだろうか? という問題意識が依然として強く残ります。しかし、そうまでしてでもアメリカは景気の浮上、アメリカ経済のパラダイム転換を図らなければならないという強い想いが「グリーン・ニューディール」という言葉に込められているのであろうと思います。

<グリーン・ニューディール政策について>

寺島>  そこで、「グリーン・ニューディール」の中身は何かと言うと、再生可能エネルギーによって、アメリカのエネルギーの供給構造を転換するという事が大きな柱になっています。したがって、環境に優しいエネルギーという意味で「グリーン」なのです。具体的には、「太陽光や風力やバイオマス(註.1)等にアメリカのエネルギーの供給力を持って行こう」という構想が見えて来ています。オバマは何回もその言葉を使っています。しかし、ここで確認しておかなければならない事は、現在、2007年の数字が出ていますが、アメリカの一次エネルギー供給は、石炭と天然ガスと石油で78.8%。つまり8割が化石燃料に依存しています。そして、原子力が11.7%ですから、合計して9割近くが化石燃料と原子力によって、アメリカという国は回っているという事になります。
一方、再生可能エネルギーは、水力が3.4%、地熱が0.5%あります。太陽に至っては0.1%、風力に至っては0.4%です。そして、バイオはご存知だと思いますが、アメリカが「バイオマス・エタノール」という、とうもろこしから取ったエタノールをガソリンに混入して車を走らせていて、カリフォルニア州では10%以上も混入しており、かなりバイオの比率が大きくなっていますが、それでも総じて5.0%なのです。したがって、太陽と風力とバイオを合わせて、わずか5.5%なのです。その5.5%の話を悪い言いかたになりますが、「針小棒大にアメリカが再生して行くための大きな鍵なのだ」と表現するのはいかがなものかとエネルギー問題に深く関わっている専門家ほど考えます。バランスのとれた判断をするならば、5%の比重しか占めていない再生可能エネルギーをこの先、死に物狂いで研究開発したとしても、アメリカのエネルギーの2割くらいまで持って行くとなると、とんでもなく大変な話である事は、当然のことながら見えてくるわけです。
私は国家エネルギー戦略の策定に2年前まで参画していて、日本の再生可能エネルギーと省エネルギーによって、例えば、10年、20年先の日本の一次エネルギー供給を5%なり、10%まで持って行く事がどれほど難しい事か、色々とシミュレーションをした数字を見て来ましたから、オバマが「グリーン・ニューディール」と言って、アメリカを変えて行く一つの目玉として、再生可能エネルギーに懸けるのだと言う話は、冷静に言うと、「本当にそのようなものが大きな意味を持つのだろうか?」と疑問を持つのが常識的な考えかただと思います。
しかし、私は「待てよ」と考え直したいのです。何故かと言うと、これは意外に大きな世界史の転換点になるのかもしれないという視点が一方にあるからなのです。どういう意味かと言うと、「20世紀はアメリカの世紀」という言いかたがあるのですが、アメリカは世界の中心に産業力を以って躍り出て来ました。その中心になったのは、例えば、T型フォードという車を生み出して、「内燃機関」=「ガソリンを焚いて走る車」をつくりました。しかも、それを大量生産、大量消費をする事でアメリカが世界の産業の中心に躍り上がって来たのです。アメリカでは、「アメリカ国家の花はカーネーションだ」という言葉があるくらいです。つまり、「車の国」=「car nation」だと言うジョークですね。要するにそれほどまでに車社会をリードして来たアメリカであったわけです。
そのアメリカの虎の子産業でもあった車産業が立ち行かなくなって来ているのです。それと言うのは、内燃機関をベースにした自動車社会の仕組みが大きな転換期を迎えているのではないのかという見方があるからです。そこで、ビッグスリーも日本のメーカーも、いまは内燃機関でガソリンを燃やして走る車ではない、電気によって走る仕組みの自動車にするというように、自動車という社会も大きく変わろうとしているのかもしれないのです。電気自動車に太陽や風力等の小型分散型発電でエネルギー全体を賄うのは不可能だと考えがちなのですが、そこで、「ネットワーク」が大変重要なキーワードになります。つまり、ITのような技術を駆使しながら、小型分散に見えるものを繋いで、新しい電気自動車等に供給する仕組みをつくって行くと、アメリカの20世紀を創り出して来た、内燃機関によって自動車を走らせて大きな産業の柱にして行くというものを方向転換させてしまうのかもしれないという予感を感じさせるのです。そこで、私がここで申し上げたい一番大きな問題意識は、私たちは「IT革命」という言葉を繰り返し使って来ましたが、それをもう一度思い出なければならないという事です。
「グリーン・ニューディールがIT革命に相当するような、歴史的、技術的なマグニチュードを持ち得るような話なのか」という事です。

<グリーン・ニューディール政策の可能性>

寺島>  1975年にサイゴンが陥落して、アメリカは、70年代の後半から80年代にかけて、いわゆる「ベトナム・シンドローム」でのたうち回っていました。そして、あの頃も実はアメリカの再生が言われていて、「もうアメリカはダメだ」という議論が満ち溢れていました。80年代後半はアメリカの衰亡論一色だったのです。あの頃は、「アメリカは衰亡していくだろうか」と見ていた人たちが多かったのですが、現実に、1990年代に入って我々が目撃したのは「蘇るアメリカ」だったわけです。そして、アメリカを蘇らせた大きな鍵が、「技術パラダイムの転換」であり、それが「IT革命」だったのです。つまり、今日で言う、「インターネット」の登場に象徴されるような情報技術革命です。
情報技術革命には深い意味があって、アメリカが軍事技術として開発したインターネットの基盤技術を、冷戦が終わって民生で活用して行こうという流れが興って、軍事技術の民生転換のシンボルのような話として進行した事が、実は「IT革命」だったのです。インターネットの基盤技術は、何のために出来たのかと言うと、中央制御の大型コンピューターによって防衛システムを管理していたのならば、仮にそこにソ連から核攻撃を受けると、中央コンピューターが壊れてしまって総ての防衛システムが全く機能しなくなってしまうので、「分散系開放系」と言って、一つの回路が遮断されてしまっても柔らかく情報が伝わるような仕組みをつくる事からインターネットの基盤技術であるパケット交換方式交換情報ネットワーク技術の研究開発が進んでいったのです。それが1969年にペンタゴンのアーパネット(註.2)というシステムになって完成し、80年代末になって、これからは冷戦が終わって民生用で活用して行くことになり、1993年、いまから15、6年前に、いわゆる商業ネットワークとペンタゴンのアーパネットワークがリンクする形になりました。つまり、ITを梃子にした様々な産業やプロジェクト等が生まれて、そこで世界中のお金を新しい魅力的な投資機会があるという物語が「IT」という言葉によって生まれて、アメリカにお金を引き寄せる事になりました。そして、90年代には「衰亡するアメリカ」ではなくて、「蘇るアメリカ」というシナリオをつくって行ったのです。何故、私がこのような話をしているのかと言うと、いまそれに相当するような「マグニチュード」=「起爆力」が「グリーン・ニューディール」という言葉の中にあるのだろうか? と、私自身が自問自答しているからです。
90年代のアメリカを蘇らせる起爆力になったIT革命は我々の生活をすべて変えたと言ってもいいような流れ、うねりのようなものをつくりました。それと同じようなマグニチュードがある話に「グリーン・ニューディール」が繋がるのだろうかという事が私の自問自答です。つまり、アメリカの一次エネルギー供給のわずか5%に過ぎないような話を、逆立ちしてもそれを20%に持って行く事は難しいだろうというのが、プロフェッショナルな人たちのクールな見方なのですが、「そうでもないかもしれない」という想いがあるのは、IT革命がスタートして行った頃に、クリントン政権の第一期のゴア副大統領は環境問題に大変熱心で、彼が「情報スーパーハイウェイ構想」というものをぶち上げた時に、あれは日本の情報ハイウェイ構想を真似している程度の話で、大した話ではないと考えていた人が大半だったと思います。しかし、その後、情報スーパーハイウェイという情報のインフラ部分のプロジェクトとネットワーク情報技術革命という新しい技術パラダイムの転換が繋がった時に世界が変わったのです。わずか15年の間に、「ユビキタス」(註.3)という言葉も登場して、いまや、「クラウド・コンピューティング」(註.4)と言って、まさに何処でも、誰でも、いつでもネットワーク環境に繋げるような大きなパラダイム転換が起こったわけです。その周りに様々な事業モデルが生まれて、「ITバブル」というような事があり、様々なプロジェクトが動いたのですが、果たして、「グリーン・ニューディールがそのような引き金を引く事になるのだろうか?」という微妙な判断の問題があります。しかし、「ひょっとしたら」という予感があるのは、つまり、20世紀のアメリカを支えた自動車産業が、環境問題等を背景にして電気自動車のようなものに大きく変わらざるを得なくなって来ている状況を踏まえて、小型分散的仕組みに過ぎないと見られがちであるけれども、それをネットワーク技術によって繋ぎ合わせて、再生可能エネルギーによって電気自動車を走らせるという仕組みにアメリカが変わり、世界を変えて行ったのならば、いま我々が見ている世界とは全く違った産業や技術等が繰り広げられる時代が来る可能性は十分にあるのです。
したがって、ここで私が確認したい事は、冷静、客観的に現実というものを直視しておく目線と、もしかしたら物事の大きな転換の始まりはこのような事から始まるのかもしれないと言う、しなやかな見方の両方を持っていなければならないという事です。しかも、一旦決意すると、アメリカは研究開発費に突っ込む数字の額が日本と比べると一桁違います。現在、太陽光でも風力でもバイオでもアメリカには技術基盤がそれほどないのです。むしろ、日本のほうに技術基盤があります。この分野に真剣に蓄積して来たものがあるからです。例えば、風力発電と言ってもプロペラを回すカーボン・ファイバーの技術は、日本がずば抜けて持っているし、バイオマス・エタノールにおいては、とうもろこしやサトウキビから抽出するナノ・テクロジー等、日本の持っている技術基盤は本当に大変なものがあります。
太陽電池や太陽コレクター等も日本がドイツと共にですが、前に出ている部分があるわけです。そこで、技術だとか産業だとかという分野において、また、国債の負担を買い支えていたという事も含めて、日本こそがアメリカを支えていた部分があり、これから、オバマが「グリーン・ニューディール」をやろうとすればする程、日本に依存せざるを得なくなるという構図の中にあるという事実が重要なポイントであり、認識しておく必要がある点なのです。

木村>  大統領が「グリーン・ニューディール」と言うけれども、自然のエネルギーによって発電した電気を送電するためのネットワークをつくるために桁が違うようなお金をかかるのに、そのような事も考えられていないという議論にばかりなっているのだけれども、もっと大きなところで「世界史的な転換」という視点で考えると、また違った議論のフィールドが開かれていくという事で、そこで日本がどのような役割を果たしていくのかというところに可能性が見えて来るのですね。
 

(註1、枯渇性資源ではない、現生生物体構成物質起源の産業資源をバイオマスと呼ぶ。国が定めたバイオマス・ニッポン総合戦略では「再生可能な、生物由来の有機性資源で化石資源を除いたもの」と定義されている)
(註2、ARPANET<アーパネット>は、1969年にアメリカ国防総省の行動科学研究部門IPTO <Information Processing Techniques Office:情報処理技術室>による指揮の下に構築された研究および調査を目的として設けられたコンピュータネットワークである。今日のインターネットの原型として知られている)
(註3、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。 ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い)
(註4、クラウド・コンピューティング <cloud computing> とは、インターネットを基本にした新しいコンピューターの利用形態である。ユーザーはコンピューター処理を、ネットワーク<通常はインターネット>経由で、サービスとして利用できる)