2008年11月 アーカイブ

2008年11月23日

第9回目

木村>寺島さん、今朝のテーマは何でしょうか?

寺島>オバマを選び出したアメリカの大統領選挙が行われました。
「Change」と言うことで世界は変わるのかという事も含めてこの話題を取り上げたいと思います。

木村>ちょうどリスナーの方からメールが届いております。東京のラジオネーム、ブーゲンビリアさんからです。「アメリカの次期大統領がオバマさんに決まりました。来年1月20日のオバマさん就任以降、世界の経済はどのように変わるのでしょうか?」。関心は経済のところへ来ています。「オバマさんは米国内で世界の経済を上向きにすることができるのでしょうか? 以前、寺島さんは『アメリカの一極支配は終わった』とおっしゃっていましたが、もしそうならばオバマさんが大統領でもアメリカの影響力は世界に及ばないのではないでしょうか?」という問いもあるのですが、リスナーの皆さんの質問、疑問に答えていくためにも何がオバマさんを大統領に押し上げたのかということですね。

<アメリカ大統領選挙の背景>

寺島>はい。そこからお話を始めたいと思います。結局、つきつめて言うとブッシュ政権8年間の失望を背景にして、ブッシュの8年間から決別したいというアメリカの決断だったと考えたらよいと思います。なにしろ、ここのところアメリカに行って感じることは、「ヘトヘトに疲れ果てるアメリカ」と言いますか、アメリカに対する世界の信頼度や期待が物凄くしぼんでいっているのだなと実感されるのです。
 そして、そういう中でまず二つの大きな要素があります。一つはイラク戦争です。9.11から7年以上が過ぎています。私はこの番組と並行しながら絶えずチェックしている数字に米軍兵士の戦死者の数字があります。イラクとアフガニスタンで亡くなったアメリカの若い青年兵士の数はついに4,800人を越えて、11月6日現在4,808人という数字になっています。
 そして、イラクとアフガニスタンで1兆ドルの戦費の負担を余儀なくされたアメリカは、それに加えて、この番組でも触れたサブプライム問題で更に1兆ドルを越す財政負担を公的資金、つまり国民の税金で対応しないとこの問題には向き合えないという事態になっています。7,000億ドルを準備したスキームの不良資産の買い取りは、買い取りよりもむしろ金融資産に資本注入するという方向を選びそうですが、いずれにしても金融を安定化させるために1兆ドルの財政負担を余儀なくされます。1兆ドルのイラク戦争と1兆ドルのサブプライムの財政負担、つまり2兆ドル=約200兆円の財政負担を余儀なくされることになります。財政赤字、そして経常収支の赤字という「双子の赤字」というものにこれから苦しみ抜いていかなければならないアメリカがその苛立ちの中でどうしてこんな事になったのか? その理由の一つはブッシュ政権が選択したテロに対応する政策、「これは犯罪ではなくて戦争だ」というカードでテロの問題を解決できるであろうという思い込みの中からアフガン、イラクへと突っ込んでいった事です。

寺島>もう一つはサブプライム問題ですが、これも結局ブッシュ政権が懸命に旗を振った市場における「新自由主義」というものに原因があります。要するに、規制を緩和して競争主義、自由主義を徹底すれば経済は向上して行くという思い込みのようなものでした。それが結果的には金融資本主義を肥大化させて歪んだ金融ビジネスモデルさえ跋扈させる時代をつくってしまったということです。

寺島>その二つの問題が明るみに出て、アメリカ人そのものも深いため息をつく状況です。そして世界のアメリカを見る目線が物凄く厳しくなって来ていて、世界の指導国であり、冷戦が終わった後の一極支配の中心にいるアメリカというイメージが急速に崩れて来ていることがいまの世界の状況だと言えます。
 そういう状況下でオバマという大統領を選んだ事がアメリカの再生にとっては必要だったと思います。私が何回も使って来ている表現に「時代が呼んでいるのは誰だ?」というのがあります。この表現を使って大統領選挙を見る必要があると言って来ました。ヒラリーとオバマがまだ民主党の大統領候補の座をめぐって競い合っていた時から「歴史・時代が呼んでいるのはオバマだろう」という表現をして来ました。それは何故かと言うと、結局アメリカの再生にとってオバマというカードは最も有効なカードだと考えられるからです。要するに世界のアメリカを見る目を分析したらわかりますが、「アメリカという国は凄いよな。なんだかんだ言っても黒人の大統領を選んだではないか」ということで、「機会を平等に与える国、チャンスの国=アメリカ」というアメリカのプラス・イメージを示し、それをまさに実証してみせたと思います。私は学生等に話す時はそういう言い方をします。
最近、日本にマラソン選手を目指してケニアからの留学生が結構来ています。仮にそういうケニアからの留学生が日本の女性と親しくなって家庭を持って子供が産まれて、その子供が日本の首相になる可能性がどれだけあるでしょうか? という事を考えたら社会の柔らかさとか、可能性を考えるとやはりアメリカはなんだかんだ言ったって凄いじゃないかという事になります。
 フランシス・フクシマ(註.1)という有名なネオコンの思想家がいます。むしろ、共和党の右派、ライト・ウイングのような思想家です。彼が最後の段階でなんと、オバマ支持という事を言い出しました。その理由は、私がここで語りかけているように、まさにアメリカの威信とかアメリカに対する期待を回復して行くうえではオバマというカードが物凄く有効でありアピールするというロジックだからです。

木村>それがやはりこの圧勝という事になった・・・・・・。

(註1、アメリカの政治学者。父親が日系二世、母親が日本人という日系アメリカ人。 ジョンズ・ホプキンス大学政治経済学教授。関西大学政策創造学部客員教授。ネオコン政治思想家の代表的人物)

<時代が呼んだ黒人大統領>

寺島>はい。そう思いますね。そして、「黒人初の大統領」という言い方がありますが、厳密に言うとオバマは黒人なのかどうかと言うと実は微妙なのです。オバマは、黒人性ということを絶えず問いかけられて来た人物でもあります。大統領選挙のプロセスの中で本当に黒人運動を戦ってきた人がオバマに詰め寄っているシーンがテレビで放映された事もありますが、「あなたはいままで黒人のために本気で戦った事があるのか?」という質問をされていたのが非常に印象的でした。それはオバマという人の肌の色は黒いけれどもいわゆるアメリカにおける黒人の出自を見ると、アフリカから非常に不条理な形で連れて来られた人の子孫というわけではないのです。あくまでもケニアからの留学生と白人の女性との間にできた子供で、しかもその留学生だったお父さんは離婚して祖国に帰ってしまったのです。彼は「白人のコミュニティーの中で育った肌の色の黒い人物」という位置づけが非常に的確な表現だと思います。したがって、エリート教育を受けていて、それがハーバード大学だなんだという事になってくるわけです。彼のお母さんが再婚した相手がインドネシア人でインドネシアのジャカルタで少年時代を過ごしたり、高校は人種の坩堝と言われているハワイで過ごしました。そこでオバマなる人物の黒人性については甚だ議論を要する部分がある微妙な存在なのです。
 しかし、彼の存在そのものに人種の多様性とか、文明・文化の多様性に柔らかく向き合うというイメージが非常に強いのです。つまり、彼の存在そのものがそれを証明しているようなものだからです。したがって、これからアメリカがまさに世界に向けていかなければならない表情、例えば「対話と協調」です。アメリカだけが一極支配していて、「俺は俺のやり方でやらせてもらう」というのではなくて粘り強く世界と対話したり強調していかなければならないアメリカのリーダーとしてこの人物の存在は、例えば育ったプロセスでそれだけ多くの人種の多様性を身体で感じ取らざるを得ない人生を過ごして来たことからまさに時代と適合していると言えます。私は、彼がディベートで見せた粘り強さや年齢のわりには相手がどんなに自分を罵倒して来ても決して怒らずに冷静に逆に問い返していくようなスタイルを見ていて、それは、彼が育ってきたプロセスの中で身につけてきた事なのだろうと思います。そして、それはこれからのアメリカにとってとても大事なことなのです。つまり、俺は俺なのだから世界のルールで縛るな、というこれまでの「一極支配とか自国利害中心主義というものからアメリカが変わって行くのだろうか?」という事を考えるときに、オバマという存在そのものが発信しているメッセージが重いという事を私は、彼が選ばれたプロセスの中で感じ取っていた、大変大きなポイントだと思います。
木村>そうすると「Change!」というオバマさんが掲げたこの言葉はそれを生み出す必然性がアメリカ社会というものにあったということなのでしょうか。
寺島>はい。この夏から秋にかけて我々が目撃して来た世界の金融不安やあらゆる意味で世界秩序が一極支配から多極化を通り越して無極化しているという話をしてきましたが、まさにそういうプロセスの中の極めつけのこの11月というタイミングにアメリカが次のリーダーにこの人物を選んできたという事が2008年という年のある性格を決定的に見せたわけです。ただし、この大統領が背負っていかなければならない十字架は大変に重いのです。先程、リスナーの方のお話にもありましたように「経済再生ができるのだろうか?」という瀬戸際のところに来ています。まさに1929年の世界大恐慌に近いような状況にいま世界がなっていて、大統領としてこの世界恐慌を打開する事が出来るのかというところが非常に重大なポイントになると思います。1929年の大恐慌が始まったあと、1932年にアメリカ大統領選挙があって「大きな政府」を原則とする民主党のフランクリン・ルーズベルトが選ばれています。まさしくオバマはルーズベルトと同じ役割を求められているのです。

<オバマ大統領の課題>

寺島>フランクリン・ルーズベルトとオバマが背負っている十字架に私は均質なものを感じます。ルーズベルトはニューディール政策(註.2)を掲げて登場して来たという事は歴史の本を読んでいる人はよく目にすると思います。したがって私はそういう言葉が使われる事は別にして、オバマがやらなければならない事は新しいニューディール政策だと思います。彼は必ずそれをやって来るだろうと思います。事実、彼が発信しているメッセージの中にその予兆があります。

木村>それはどんなものですか?

寺島>例えば、金融システムの安定のために1932年にフランクリン・ルーズベルトは、「銀行と証券の分離」を決めました。その理由は、やはり1920年代の資本主義があまりにもマネーゲーム化し、株の投機が物凄く行われた事にあります。それに対して制御をかけなければならないという事から銀行という業態と証券会社という業態を分けたのです。しかし、それを1999年に銀行と証券の垣根を取り除いて統合してしまったという事が今回の出来事の背景にもなっています。現実に投資銀行という業態が消えていこうとしているようです。もっと監督のきつい、いわゆる銀行持株会社という業態に転換していかざるを得ない状況になっているようにアメリカはなんらかの形で金融というシステムのマネーゲーム化にブレーキをかける仕組みというものをぶち込んで来るだろうと容易に想像できます。

木村>それはある意味では政府というものの役割がこれまでよりもより強く大きくならざるを得ないということですね。

寺島>はい。市場は市場に任せておけばいいというのではなく、公的管理と言うか、制御された資本主義という方向に持って行くという事が一つ見えて来るだろうと思います。
 もう一つは産業政策です。新たな産業を興して経済に活力を取り戻さなければならない必然から様々な形で新しい産業復興庁というようなものをつくって政府主導の産業政策を展開した時代がありますが、今回、オバマは、そのように対応して来ると思います。オバマが言っているキーワードに環境・エネルギーに関して相当思い切った産業創生というか新しい産業を生み出して行くような「グリーン・リカバリー」というものがあります。つまり環境問題を梃に新しい産業をつくっていこうという挑戦をして来るだろうということです。それは例えば、環境に優しい車の開発であったり、そういう類の新しい産業を「グリーン」というキーワードで甦らせようとする流れです。更には、教科書に出て来るTVA(註.3)を設立して、巨大なダムをつくる等の公共投資によって景気を上向かせようとするチャレンジをしたというのがニューディール政策の一つの柱でもあったと思いますが、そのような事を考えていると思います。

木村>それによって雇用も拡大して確保していくことになりましたね。

寺島>はい。そうです。いまの時代における公共投資は大型のダムをつくるというインフラではなく、もっと社会政策的な意味を持った、まさに先程申し上げた環境などと結びつけた公共投資という類のものを構想して来ると思います。いずれにしても、オバマは世界に向けてアメリカの立場を確保するためにニューディール政策をやらなければならなくなるという事と世界が挑戦しようとしている世界金融システムの再生に取り組まざるを得ないという事です。事実、新しい「ブレトン・ウッズ」(註.4)という言葉が欧州あたりから使われ始めています。

(註2、世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策。政府による経済への積極的介入を行う『社会民主主義』的な政策であり、第二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた)

(註3、『TVA』=『Tennessee Valley Authority』=『テネシー川流域開発会社』の略。F.ルーズベルトが行った『ニューディール政策』の象徴であり、テネシー川に32個の多目的ダム建設を中心とした公共事業)

(註4、1944年にアメリカのブレトン・ウッズで連合国側が集まり1945年に協定が発行された。『ブレトン・ウッズ協定』とGATT=General Agreement on Tariffs and Trade『関税及び貿易に関する一般協定』)

<ニュー・ブレトン・ウッズ>

木村>「ブレトン・ウッズ体制」というのは、世界の国が集まって、1945年、端的に言うと、第二次世界大戦後のドル基軸の世界が成立したということでしょうか。

寺島>はい。よく我々は「ワシントン・コンセンサス」と呼んでいますが、世界銀行とIMF(International Monetary Fund=国際通貨基金)を中心にした世界金融秩序というものを打ち立てていこうという体制が世に言う「ブレトン・ウッズ体制」なのです。そのワシントン・コンセンサスを別の言い方をすると「ワシントンの意向」になります。つまり、アメリカの意向が強く反映した金融システムだったのです。これからは例えば、中国をはじめとする途上国もIMFとか世界銀行により大きく参画できるような仕組みとか世界の金融システムを安定化させるための投機的な活動をどうやって規制していくのか等の新しいルールづくりが「ニュー・ブレトン・ウッズ」という言葉のもとに構築されて行くでしょう。つまり「ブレトン・ウッズ2」と欧州は言っていますが、この構想の知恵袋は英国のブラウン首相で、プロモーターはフランスのサルコジ首相という形になっています。やはりここへきて広い意味で欧州が世界の金融秩序の再生に向けて物凄く重要になって来ています。
 当然のことながら本当は日本にとっても日本の発言力を高め、世界における存在感を高める大変大きな機会がめぐって来ていると言っても過言ではないと思います。問題は日本にガバナンスがあるかどうか・・・・・・。つまり、それだけの発信力を持って世界のシステムの再構築に対して発言していけるだけの知恵と構想力を持っている状況であればという事なのですが、これは必ずしも楽観できません。したがって世界が大きくうねりを上げて変わっていこうとしている時に、日本自身の知恵とかそういうものが問われて来ているのだという事だけはこの段階で言っておきたいと思います。

木村>はい。あと一つ寺島さんにこの時点での質問があります。オバマさんはイラクから原則的に確か16ヶ月以内に撤収しようと言っています。しかし、アフガニスタンについては非常に強硬な態度ですが、これは一体何を意味しているのでしょうか?

寺島>これは分かり易く言うと、アフガニスタンの攻撃までは「9.11」との因果関係、つまりテロとの戦いの結びつきにおいてアフガニスタンのテロの巣窟=タリバンなどの勢力を叩き潰すのは正当だという事に関してアメリカの国民はある種の合意が現在でもまだ強くあると思います。ところが、イラク戦争は「9.11」との因果関係から言っても、テロとの戦いから言っても、「間違った戦争であり誤った判断のもとに踏み込んだ戦争だった」とアメリカ人の間にも非常に広く認識されている違いだと思います。
 しかも、これはアメリカにとっては悩ましいのですが、イラクも強かで我々から見ればイラクのマリキ政権はアメリカの傀儡政権のように見えますが、結構アメリカに対して強く色々な事を要求しています。先日、アメリカがイラクの基地を使ってシリアを攻撃しましたが、イラクとシリアの関係は非常に微妙なので、「もし、自分の国の基地を使ってシリアを攻撃するのだったらアメリカの軍は即刻出て行ってくれ」という類の事を言い始めています。しかも、基地をどのように使うかという地位協定についてイラクとアメリカとの間の協定を結ぶ作業が進んでいて、2009年の11月までには撤退していく事を地位協定においてコミットしています。したがって、全くそれを無視するわけにはいかないというところにあるという事は間違いないのです。

木村>なるほど。寺島さんのお話を伺っていると、言葉を変えると「アメリカでいま何が終わって何が始まろうとしているのか」これをある意味では世界史的な視野で私たちが捉えておくことがいまの時期にとても重要であることが見えて来ました。

2008年11月30日

2008年12月のスケジュール

■2008/12/06(土)08:00~
読売テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」

■2008/12/14(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2008/12/21(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2008/12/26(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー

■2008/12/27(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2008/12/28(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2008/12/28(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

第10回目

木村>寺島さん、先月の放送では国際連帯税構想というテーマで日本が2007年以降、オブザーバーで参加していた開発資金のための連帯税に関するリーディンググループに9月26日に正式に参加することを表明したというこの動きを捉えて国際連帯税の仕組みと重要性についてお話をうかがいました。そこで今回なのですが・・・・・・。

<ご託宣を仰ぐ日米関係>

寺島>日本にとってオバマ大統領なるものがもつ意味、つまりオバマが大統領になることによって日米関係が果たしてどのようになって行くのか? あるいは日本はどうすべきなのか? というこのあたりの話を深めておきたいと思います。

木村>日米関係、日米同盟にどうこれから我々が向き合うべきか・・・・・・。

寺島>オバマ政権になり民主党政権になることによって、日本のメディアが「果たして今後、日米関係はどうなっていくのだろうか?」という記事だとか報道だとかをする際に、必ず登場して来るパターンというのは、民主党政権は労働組合の支持を背景に出来上がっているので、どうしても産業の保護主義的な動向に踏み込みやすい傾向があるのでまた日米の通商摩擦や、アメリカの保護貿易主義にぶち当たっていくのではないかという事に不安が高まったり、あるいはクリントン政権の時の日本にとってはちょっとドキッとするような悪夢だったのですが、中国中心のアジア外交、つまり「ジャパン・パッシング」というものが再び始まるのではないか等ということが話に上ります。つまり、日本が無視されて中国に関心が向かって行くような外交になるのではないかという不安材料ばかりがよく議論されて、日米同盟は大丈夫なのか? という話がよくされがちなのです。
 事実、ここのところの報道を見ると、やはり論調はそういうものですから、ここをやはり日本人が越えていかなければいけないのだという気持ちが非常に強いためにそういう切り口からお話をしておきましょう。
 要するに、そういう不安感を抱えると日本人の指導者もメディアの人もご託宣を受けにインタビューに行くのです。つまり、それはアメリカが保護貿易主義になるのではないかとかジャパン・パッシングになるのでないのかという問題意識を背負って、ワシントンで日米関係で飯を食っている人のところにインタビューに行くのです。

木村>テレビの番組でも、このあとの日米関係のキーマンは誰だろうかと色々な人にインタビューするシーンがありましたね。

寺島>はい。例えば、日米関係というと必ず登場して来る人物の代表格はアーミテージ(註.1)で、事実、何社ものテレビ局がインタビューを録っていました。その他、ケント・カルダー(註.2)は日本問題でいうとジャパノロジストと呼ばれています。CSIS(註.3)にいるマイケル・グリーン(註.4)だとか、マイケル・グリーンのボスだったカート・キャンベル(註.5)だとかが日本通として知られている人たちです。私はワシントンに6年以上もいましたし、東海岸に10年以上生活してきた人間ですから日米関係で飯を食っている人とは必然的に親しくなって、そういう人たちとのエールや意見の交換によって日米関係を議論しようという傾向が必然的に深まってしまいます。そこで忘れてはいけない事があります。例えば、イラク戦争で緊張感が高まっている頃、あるいは「9.11」が起こったという時に必ずインタビューを録りに行く人がアーミテージだったのです。アーミテージのインタビューを録りに行った時にアーミテージが「Show the flag」と言いました。「9.11」が起こった直後にインタビューに行ったときの事です。それは湾岸戦争の時に日本は130億ドルのお金を出したけれどもちっとも感謝もされなかったという日本人のフラストレーションがよくわかっていて日米関係で飯を食っている人だから「Show the flag」=「旗を立てろ」というご託宣を下すわけなのです。インド洋にいち早く自衛隊を送って補給活動しなければいけないという焦りによってわずか1カ月もかからないうちに国会でテロ特措法を成立させて「遅れてはならない」ということでアーミテージのご託宣を受けて、「Show the flag」にいち早く呼応するという行動パターンをとったのです。
 そして、今度はイラク戦争が迫っている頃にまたアーミテージにインタビューに行ったら今度は「Boots on the ground」と言いました。要するに、「土に足をつけてやれ」と言ったのです。これは「金だけ出したのではダメだ。イラクに陸上自衛隊を送って汗を流さなければダメだ。アメリカはそれを期待しているのだ」という事を先回りして捉えました。そして日本は憲法の改正さえしないでイラクという海外に軍隊を送るという事にまで解釈改憲という形で踏み込んで行ってしまったのです。つまり、日米関係で飯を食っている人は日本サイドにもいるわけです。そういう人たちとのエールの交換で日米関係が組み立てられていることの限界を突き破っていかないと新しい日米関係は築けないという事です。

(註1、ロナルド・レーガン政権の国防次官補。政策コンサルティング会社『アーミテージ・アソシエイツ』代表。ジョージ・ブッシュ政権で国務副長官を務める。知日派として知られる)
(註2、ジョン・ホプキンス大学院教授。『CSIS=ワシントン戦略国際問題研究所』日本部長。『エドウィン・O・ライシャワー東アジア研究センター』所長兼務。著書『米軍再編の政治学』『自民党長期政権の研究』他)
(註3、Center for Strategic and International Studies=戦略国際問題研究所)
(註4、政治学者。専門は日本政治、特に日本の安全保障政策。現在はジョージタウン大学外交政策学部教授。CSIS上級顧問)
(註5、CSISの諮問委員会メンバー。アジア問題、国際安全保障の専門家。国際関係学者として博士号を受ける。元米国防省東アジア太平洋副次官補。現米国新安保センター所長)

<新しい日米関係構築に向けて>

寺島>  そこで何が言いたいかというと、日米関係を日米関係の利害で飯を食っている人の関係から越えて、本当にワシントンでアメリカ全体の外交戦略だとかアメリカ全体の世界戦略を議論している上院の外交委員会とか、そういうレベルの政治家や政策立案に参加しているシンクタンクのアメリカの外交戦略、アジア戦略の専門家たちに日本とアメリカとの関係の重要性を正しく認識させて次のもっと生産的な関係というものに話を引っ張っていくという事をしなければなりません。そうしないといつまでたっても日米関係というものは、特殊な利害で飯を食っている人たちだけがつくり上げて行く関係から脱することが出来ないまま、トラウマのように、「保護貿易主義は大丈夫なのでしょうか?」、「我々はパッシングされないでしょうか?」というような不安の目線で問いかけていく事になって日本の心の中を読みきっている日米関係で飯を食っている人に「心配しなさんな。私がいるかぎり日米関係は安泰だ」というところのみに話が落ち着いてしまうわけです。
そこで問題はそれを越えて客観的に言うとアメリカが保護貿易主義というものを展開していかざるを得ないような背景にあろうが、クリントン政権の時のように中国を戦略的パートナーだと位置づけてアジア外交を組み立てて行く方向に行こうが、肝心なのは「日米関係がどうなるのか?」ということを予想したり、不安を抱いたりすることではなくて、「どうしていかなければいけないのか?」という事について、むしろ我々の側に、つまり日本の側に強い戦略意思や構想があるのかという方が物凄く重要になって来るわけです。「自分がどうしたいのかという事をしっかり持っていない存在が相手にとって尊敬されるわけがない」という事が物凄く重要で日米関係をそういう位置関係のものにしていかなければならないのです。
そういう意味で、私はいま凄いチャンスだと思います。いよいよアメリカ自身もオバマというリーダーを選んで世界との対話とか協調とかというものを図っていかなければならない時代に入って来て、誰が本当に信頼できる同盟国であり、本当の友人なのかを真剣に考えなければならないわけですから、日本がアメリカにとって重要であると認識させるためには、アジアに影響力を持った日本でなければダメなわけです。アメリカの言う事をなんでも聞いてくれる「便利屋さん」ではなくて、アメリカにとって日本が大切であると思わざるを得ない日本の存在を示す必要があります。つまり、アジアを束ねてアジアに対して大変な影響力と発言力を持っている日本を確立することが、アメリカにとって重要なのです。アメリカにとってのアジアの力学は、「日本も大事であるが中国も大事」だという事は明らかですから、日本は、そういう大きな流れを先取りして行かなければなりません。日本がパッシングされるのではなくて、日本は日本として同盟関係は大事だけれども中国の存在も重いという事を見据えた上で、中国とのいわゆるステークホルダー(Stake Holder=掛け金の保管人)の役割を果したり、中国も一角の存在として認識して、多角的な関係によってアジアというものを見ていかなければならない局面にある事だけは間違いないのです。そういう時に本当に役に立つ日本なのかという事です。
また、経済の問題で言えばオバマ政権がスタートする前に我々の目の前に突きつけられて来るテーマは、「GMはどうなるのか?」という事です。GM(ゼネラル・モーターズ)という、ビッグ・スリーの一角を占めていた、我々からすれば見上げるような自動車メーカーがまさにいま風前の灯になっています。このGMを、1月20日の政権の発足よりも前にオバマはなんらかの形で手を差し伸べなければならないような状況になっています。

<日米産業協力という関係>

この間、オバマが初めてホワイトハウスに行ってブッシュ大統領と面談した時に、彼はブッシュに「自分の政権がスタートする前にGMの事は頼みますね」という形の発言をしています。それぐらい切羽詰って来ているのです。しかし、微妙なのはトヨタがもしもGMを買うとか、GMを救済するという事になったとしたらどうだろうか? という事を少し考えてみました。もう、切羽詰まっているからそれでも「サンキュー・ベリー・マッチ」と感謝してくれるだろうと言う人もいます。しかし、やはりアメリカ人の深層心理を考えてみると、例えば韓国のヒュンダイという自動車メーカーがトヨタを買うというような事態が将来起こったとしたら日本人のプライドは大きく傷つくでしょう。そのように、物凄く歪んだナショナリズムに火をつけて「GMさえも買収する日本」みたいな事になってしまうと、それこそかつて「アメリカを買い占める日本」ということで対日批判が起こったようなアメリカ人の神経を逆なでするような話のきっかけになってしまうかもしれません。

木村>昔、日本は有名なビルをたくさん買いに行きましたよね。

寺島>そうです。そこで、私は本当の意味での日米産業協力というか、つまり日本のメーカーがアメリカの、いわゆる虎の子産業とも言える自動車メーカーさえも買い占めてしまったという寒々とした物語にするのではなくて、GMを自動車メーカーとして再生させる協力をするという物語にしなければなりません。GMという会社は自動車をつくる機械のメーカー企業のように見えるけれども、何故こんなに急速にダメになったのかと言うと、利益の半分近くをついこの間まで金融で上げていたからです。つまり、業態はいかにもメーカー企業のように見えるけれども実際は金融子会社で上げた利益によって支えられていたわけです。それを切り離して本当の自動車メーカーとして生き延びられるのかどうかという正念場に立たされているわけですから、ハイブリッド・カーに象徴されるような環境に優しい車が出て来るときに、日本のメーカー企業がアメリカの自動車会社を買収するという仕組みではなくて、産業協力という大きな仕組みの中で次世代の自動車の共同開発だとか、そういう類の仕組みをつくる事によって、要するに、政治的な紛争を避けて産業協力の実績を上げて行くという仕組みをむしろ日本サイドから積極的に語りかけるべき局面に来ていることを認識しなければなりません。
 つまり、ここで最後に確認しておきたい事は、日米同盟を戦後60年以上も続けて来ていると言いますが、「軍事片肺同盟」で日米安保という同盟関係はしっかりした条約でもっているけれども、経済の関係については「自由貿易協定」の一つも出来上がっていないのですから、日米関係において経済協定は物凄く弱いのです。だからそういう意味合いにおいて日米の関係を経済における、あるいは産業における協同プロジェクトというものを仕組んで行く本当の意味での同盟関係を構築して、防衛安保における関係というものを21世紀のアジアの秩序の中で相対化して行くというか・・・・・・。多分、こういう関係を日本はしっかり構想しなければいけない段階が来ているのだろうと思います。

木村>寺島さんがおっしゃったように、「軍事片肺同盟」に60年間慣らされて来た、あるいは慣れて来ているわけですからこれを本当に脱却して何かを構想して行くという事は大変な努力とあるいは何かやはり日本の国内で認識が広く共有されないと出来ないのではないかと・・・・・・。

寺島>インド洋での補給問題も「いままで通りでいいのではないか」というのが日本にとっては、一番楽なのです。それを変えて行くという事になるといま語って来ているような構造そのものを大きく転換していく力仕事が必要です。自分の頭で深く考え抜く力が必要です。そういう力が無くて、「お任せ民主主義」という言葉の通り、お任せで生きて来ている人間にとって「自分の力で政策を考えてみろ」というのは非常に苦痛な事なのですが、それに立ち向かっていかなければ21世紀の日本は開けないのだという事が私が一番言いたい問題意識です。

木村>つまり、オバマさんが「Change!」という言葉を掲げたその変革というものは、まさしくアメリカに新しいオバマ政権が生まれる時に日本も変われるかどうか? という意味で重要なところに今日本は立っていると言えるでしょう。

<ペリー来航とは何だったのか>

木村>「寺島実郎が語る歴史観」です。このコーナーでは寺島さんのものを見る、ものを考える基礎になっている歴史観というものについてお話をうかがっているのですが、前回は「キャプテン・クーパー」という事で1853年にペリーが浦賀に来る8年も前に日本人はアメリカと出会っていたという大変興味深いお話でした。

寺島>そうなのです。しかもそれが世に言う「砲艦外交」ではなくて、捕鯨船の船長が日本人の難破した船の乗組員を助けて連れて来てくれたという事から日米関係は始まったという話でした。
 今日は歴史意識を深めるために日米外交の原点である「ペリーが浦賀に来た」という事実を少し掘り下げてみようと思います。
アメリカは1848年、ペリーが浦賀に来る5年前に「米墨戦争」といってメキシコとの戦争に勝利して、ついに西海岸まで領土を拡大して来るわけです。メキシコからニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアという州を割譲させて手に入れたことによって、アメリカ合衆国は、西海岸に辿り着いたわけです。西部開拓史に幕が下りたのです。そして、西海岸に辿り着いて初めて目の前に太平洋が見えて来たのです。
その頃のアメリカに、まさに「キャプテン・クーパーは何故、日本の周りをうろうろしていたのか?」という捕鯨船が日本近海に来ていた話をしましたが、それは灯りに使用する鯨油が必要だったからです。ペンシルバニア州で石油が発掘されたのは1859年ですからペリーの浦賀来航よりも5、6年後です。1870年に「スタンダード・オイル」という会社が設立されて、石油というものの時代が到来する以前は、アメリカの灯りはほとんど鯨からとった脂だったという話を前回しました。したがって、米墨戦争で太平洋に辿り着いたという背景の中で、それでもなおかつペリーが浦賀に来た頃は捕鯨というものがいかに重要だったかが分かります。まさに捕鯨船が日本の周りにやって来て鯨をとっていたわけです。
そして、そこで「ペリーが何故、日本に来たのか?」と言うと、捕鯨船の、薪とか水を確保する補給基地としての必要性、さらには太平洋を越えた中国との貿易を睨み始めたアメリカが日本に中継点としての役割を担わせようと考えたからです。つまり、中国というキーワードと捕鯨船の寄港地としての日本を期待したという問題意識が日米外交の原点にあったという事は非常に興味深い事実なのです。そういう背景があって、1853年にペリーが浦賀にやって来ました。しかし、ここには途方もなく奇怪な史実が横たわっているのです。私はこれを物凄く詳しく調べました。ペリー来航とは何だったのかという歴史的事実です。自作自演の芝居がかったドラマを見せられたような面もあります。何故かと言うと、ペリーは、フィルモア大統領の国書を持って開国を迫ったということになっているのですが、厳密に調べてみると、国務長官が海軍長官に宛てた1852年11月5日付の訓令を持ってやって来ています。大統領が国書と呼んでいたものがまた不思議で、その書類には1852年11月13日付のフィルモア大統領の署名がありますが、ペリーがバージニア州ノーフォーク港を出港した時、既に大統領選が終わっており、大統領はフィルモアから民主党のピアースに交代することが判明した後での出港です。ですからペリーが浦賀に現れた1853年7月8日の段階では、フィルモアは大統領ではなかったのです。したがって、日本に開国と交易を求める国書とされたものは、厳密には前大統領による添え書きのような性格のものであり、ペリー自身がそれを承知していたとされています。仮にその受け取りが拒否され交渉が決裂しても、日本と交戦するために艦船がアメリカから派遣されて来ることは期待できないような状況の中で、いわばハッタリで演技しきったようなものなのです。

木村>フィルモアはもう大統領でもなんでもないということですね。

寺島>はい。そしてそういうものが恭しく差し出されて、日本人は権威に弱いという事をペリーは聞いていて、もし開国しなければ攻撃をしてでも日本を開国するぞと脅したという事になっていますけれども実際は、後ろ盾などは全く無くてハッタリだったわけです。このように日米関係が揺さぶられるという構図は番組で話題にして来た話にいつも通ずるものがあって絶えず、賽の河原の石塚のように繰り返されている構図なのです。そこでこの話を少し集約しておくと、私の本の中に「脅威のアメリカ、希望のアメリカ」があります(岩波書店)。私のアメリカ論なのですが、絶えずアメリカという存在は日本にとって「脅威」であり、「希望」であるという二重構造になっています。それは、ペリーの来航の時から恫喝して砲艦外交で力で押さえつける抑圧というロジックと日本を開放し平和をもたらし開国をもたらす使者としてのイメージがあって、この番組でも話題にしてきたマッカーサーの存在感と全く同じで、やはり二重構造になっているというわけです。つまり、アメリカという国の存在そのものが日本にとって「脅威」であり、「希望」であるという構図は、実はこのペリー来航の時から今日に至るまで引きずっているのだという事を申し上げておきたいのです。
この二重構造をしっかり理解した上で建設的な関係をどうつくっていくのかという方向にしっかり腹をくくらないと次なる日米関係が見えて来ないと思っているのです。

木村>なるほど。どうもありがとうございました。