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2009年03月01日

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090208「佐高信特集」概要

 「オンザウェイ・ジャーナル」、今週のテーマは「新自由主義」。
 先週の「派遣切り」の背景にはアメリカ的発想の「新自由主義」があったといったお話から、そもそも「新自由主義」とは何か? 現在の世界的な金融危機のなか日本は、どのような政策を打ち出すべきなのか? について伺います。

2009年02月08日

090208「佐高信特集」要旨

2009年2月8日OA分 
佐高信

湯野>  先週のお話を受けて、今朝はどんなテーマでお話をしていただけますでしょうか?

佐高>  アメリカに端を発して、世界に荒れ狂った「新自由主義」というものを日本との絡みでお話して行きたいと思います。

湯野>  「新自由主義」をご説明していただけますでしょうか?

<新自由主義は旧自由主義>


佐高>  私は「新自由主義」の「新」を極めて疑問に思っていますが、これは、「色々な規制緩和をする」と「国営の企業を私営にする」という二本柱で始まったものです。しかし、競争というものは、そもそも大学生と幼稚園児が同じスタートラインからよーいドンとスタートしてもこれは競争にはならないわけです。せめて、中学生と高校生くらいの競争にしなければなりません。そのためには、ある程度の規制が必要なわけです。大きくなった会社は悪い事をして大きくなったのではないとしても、大きくなった事で分割しなければならないのです。何故ならば、そうしないと競争にならないからです。
     資本主義の憲法として、独占禁止法があります。これは、巨大になった企業は巨大になったが故に、分割をする・・・・・・、アメリカで言うと、IBMやAT&T等の大きな会社は「独占禁止法の分割の規定」の脅威にいつもさらされているわけです。日本もトヨタ等の大きくなった企業は大きくなったが故に、分割しなければならないのです。これは競争を成らしめるために必要です。それを全部、取っ払えという事になると、大きくなった企業はどんどん大きくなり、小さい企業はその大きな企業に太刀打ちができなくなります。まさに大人と赤ん坊の競争になるわけです。したがって、私は「新自由主義」ではなくて、「旧自由主義」だと思います。つまり、ジャングルの自由に戻すという事なのです。これは、まさに弱肉強食の自由です。このような中で中央と地方、大きな企業と小さな企業の格差がどんどん広がってしまい、彼らの言い分としては、「大きくなった企業が小さな企業に雫が垂れるように利益をもたらす」。しかし、そのような事はあり得ません。したがって、地方に行くと商店街等は「シャッター通り」と呼ばれるように、寂れてしまっているのです。これも、まさに新自由主義にならぬ、旧自由主義がもたらしたものだと思います。
     そして、規制緩和というものは一方では、「安全緩和」なのです。分かり易い例で言うと、規制緩和によって東京ではタクシーが物凄く増えました。ある種、パイが限られている所にタクシーの台数だけがどんどん増えて、水揚げは下がります。更に、それを補うためにかなり無謀な運転でスピードを上げたり・・・・・・、水揚げは減るし、事故は増えるという問題が現在出て来ています。しかし、ある一定の規制は当然、必要になりますが、全部取っ払ってしまったのです。これは物凄く安易な形をとったのです。小泉さんを見ていれば分かりますが、「ぶっ壊す」と言いながら結局、自民党は壊れていません。このような壊し屋を私は「信号機を壊したのだ」と言っています。信号機が壊れた状態で車が走っている・・・・・・。これはどういう意味かと言うと、例えば、マンションの耐震偽装の事件の時に、不動産業者のヒューザー社長で小嶋進という人が逮捕されました。私はこの人と話をした事があって、彼には彼の言い分があって、彼は「自分は審査が通らなかったものを売ったのではない」と言いました。これは、カンニングをしたのかもしれませんが、確かに審査は通っているのです。何故、審査が通ったのかと言うと、審査機関にまで民営化という名の会社化をしてしまったわけです。したがって、会社化すると公正というものは下に来て、利益が一番上に来てしまって、審査が緩くなってしまったのです。そして、ヒューザーのような会社が出て来て、「小嶋という奴は悪い奴だ」と言う話になり、審査を通してしまった審査機関の責任や国土交通省の責任等は何処かへ行ってしまいます。やはり、審査やチェックは必要なのです。しかし、そのようなものも全部飛ばしてしまったわけです。
     私は、国鉄の会社化、分割には反対でした。実は、田原総一朗という人がいて、彼は20年くらい前には国鉄の分割・民営化に反対していました。そして、彼が当時、北海道のある町の町長と話をした時に「国鉄が赤字だ、赤字だと言うけれども、消防署や警察が赤字だと言いますか?」と言われたそうです。その頃の田原総一朗はその通りだと思ったのです。いまは違いますが・・・・・・。
     つまり、赤字、黒字で計ってはならないものがあるのです。消防署は赤字、黒字では計りません。「赤字、黒字では計ってならないもの」=「公のもの(public)」も全部、赤字、黒字で計るように竹中平蔵等がしてしまったわけです。

湯野>  それを民営化と呼んだのでしょうか?

佐高>  民営化という名の会社化です。私は民営化とは言っていません。会社化なのです。
     国鉄はJRになって、JR東日本、JR西日本で大事故が起こりました。
    そして、「郵政民営化」=「郵政会社化」です。郵便局を会社にした事によって、会社にすると不採算部門は切り捨てられます。つまり、山奥の郵便局はどんどんなくなって、過疎を物凄く進めたわけです。田舎のお爺さん、お婆さんにとって郵便局はライフラインです。政治というものはそこに光を当てなければならないにも関わらず、民営化という名の会社化にしてしまって、「黒字でなければダメだ」と言うわけです。そして、いま、政治の手が及ばない地域というものを日本の中にどんどん増やしているのです。私はそれが最大の問題だと思っています。
     私は「民営化」= 「privatization」は、民営化ではなくて会社化だと言っていますが、津田塾大学の准教授、萱野稔人さんは「私物化」と訳しています。つまり、公のものだった国鉄等をまさに、一部の人間の私物にするという事です。これは、いま、問題になっている「かんぽの宿」に繋がって行きます。「かんぽの宿」をオリックス・グループの不動産屋が買うのです。オリックスのリーダーの宮内義彦は小泉内閣で規制緩和の旗振りをしていた人です。そして、宮内が民営化ならぬ会社化の結果の「かんぽの宿」を自分のところで買うのはおかしいのではないのか? と鳩山邦夫総務大臣が待ったをかけたのです。これは、政治において珍しくまともな指摘だったと思います。
     結局、自分のところに転がり込むわけなので、改革でも何でもないわけです。小泉純一郎の正体は、自分の息子に後を継がせるという事なので彼も改革者ではなく、化けの皮が剥がれました。そして、宮内義彦も同じです。自分のところで貰うのでは全く改革ではなく、私物化の象徴です。

湯野>  いま、お話を頂いただけでも小泉構造改革、小泉・竹中路線が出て来ました。それを振り返る時期ではないかと昨年あたりからずっと言われてきていますが、やはり、
佐高さんは間違いだったと思われていますか?

佐高>  はい。完全に間違いだったと思っています。そして、メディアの責任は大きいのです。私が小泉批判をやっていた頃は、メディアへの登場回数は確実に減りました。全部が小泉万歳でしたから・・・・・・。そして、今度の金融危機でアメリカの「FRB」=「連邦準備制度理事会(註)」前議長のグリーン・スパンが議会に呼ばれて、過ちだったと謝りました。しかし、日本で国会に小泉や竹中らを呼んで謝らせるという事はないのです。また、あの二人も謝らないのです。そして、小泉、竹中の最悪の間違いは「新自由主義」の元凶である、「アメリカに近寄り過ぎた」という事です。
     私は「ドルは軍票だ」と言っています。軍票は戦争をしていて、例えば、日本軍が旧満州の中国や南方に色々と侵略した時に、自分たちがいるところに通用するお札を発行したもので、軍事力を背景にして使わせるのです。つまり、アメリカも軍事力を背景にしてドルを使わせるわけです。ドルは「基軸通貨」=「Key currency」で世界の何処に行っても通用するものです。したがって、日本であれば、円との換算、およそ100円で1ドルと言うように、円の力はドルを鏡として分かるわけです。しかし、ドルはドルなので、鏡がないのです。つまり、お金が足りなくなればいくらでもお札を刷れるわけです。そうすると、自分のドルの力がどのくらいあるのか分からずにどんどん刷っているのです。つまり、為替というものがアメリカ人には分からないわけです。これが、サブプライムローンの大きな元となっているのです。軍事力を背景にして、自分のところのドルを相対化、客観化が出来ません。アメリカが出す国債を世界で一番買っているのは中国で、その次くらいが日本です。ドルの力が落ちるという事は、アメリカ国債の値段が下がるという事です。
     面白い話があって、国として日本がアメリカ国債を買っている例があり、各民間銀行が買っている例もあります。これを合わせるとどれくらいの金額になるのか財務省はなかなか発表をしませんが、一説では、300兆円と言われています。日本の国家予算が約80兆円、つまり、4倍弱になるのです。
     橋本龍太郎が首相だった頃、「売りたい誘惑に駆られる」とアメリカに乗り込んだ時に言いました。その一言だけでアメリカ経済がガタガタになりました。実際は日米同盟が基軸だと言っているので売る事は出来ませんが、「売りたい誘惑に駆られる」と発言したのです。果たして、これでいいのか? 「アメリカが日本に依存している」のかもしれません。そして、よく言われるのは「日本がアメリカに依存している」です。もし300兆円を売るとアメリカ経済はガタガタになるので売れませんが、これは買ったものなので、理論的にはこの300兆円を売ると言う事が出来ます。つまり、日本の官僚たちは、「そんなにアメリカべったりでいいのか?」とは考えないという事です。日本の官僚の中の官僚である大蔵官僚、財務官僚は消費税を上げる事ばかり考えています。消費税を上げてまたアメリカ国債を買われてしまったのならば堪りません。そして、都合の悪い事は発表しないわけです。このように300兆円のアメリカ国債を買っているという事を国民は知らな過ぎます。

(註、連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board) 。1913年の連邦準備法(Federal Reserve Act)を根拠法として設立された、アメリカの中央銀行である連邦準備制度 (日本における日銀に相当) の最高意志決定機関。議長、副議長各1名を含む7名の理事で構成される。議長・副議長・理事は大統領が上院の助言と同意に基づいて任命する)

<バラク・オバマと麻生太郎>


湯野>  いま、お話に何度も出て来たアメリカですが、1月にオバマ大統領が就任しました。
佐高さんはこのタイミングで日本としてはアメリカとどのような関係を築いて行くべきだと思いますか?

佐高>  オバマという人は差別というハンディキャップを負いながらそれを克服して出て来ました。それをアメリカ国民は推し出したのです。日本の首相の麻生太郎という人は逆に様々な差別発言をして来ましたから、オバマと比べると力量が違い過ぎるのです。
     オバマがこれからリーダーシップを発揮すると思いますが、アメリカには様々な問題があります。イラクからは撤兵しますが、アフガニスタンは増派します。このように様々な矛盾を抱えていますが、差別を追っている人を大統領にするような難局突破の意気込みを桁違いに見せるわけです。
     私は日本の外交は基本的に経済外交を含めてアメリカと中国であると思います。「日米関係は日中関係である」という言葉もあるくらいです。つまり、日本はアメリカと仲良くする事によって中国を牽制し、中国と仲良くする事によってアメリカを牽制するようにこれが基軸となっているのです。小泉という人はアメリカばっかりだったのです。つまり、小泉はアメリカと中国という二次方程式を解けなかったという事です。そして、安倍晋三は一次方程式ですら解けなかったのです。福田康夫に至っては方程式を解く気がありませんでした。麻生太郎は方程式を読めないと私は思います。これでは全然話にならないのです。

湯野>  今年は総選挙が必ずある年です。
佐高さんの言葉を借りると、日本政府は頼りないにつきるという内容のお話だと思いますが、私たち有権者側はどのように日本の政治を見て、つきあって行けばよいでしょうか?

佐高>  政権交代させるという事が一つの腐敗を取り除く大きな方法なので必要だと思います。しかし、民主党というものも、「第二自民党」と言われるくらいに体質が似通っています。ただし、その中に野党へ渡るのであれば、共産党や社民党等の豆腐の苦汁のようなものをカッチリと入れておかないと政権交代の意味がないわけです。
     私が二大政党制というものが眉唾物だと思うのは、小選挙区制という名の「一人区制」だからです。1つの選挙区から1人しか出て来ない事を改めなければ信念を持った政治家は出て来ないと思います。これはどういう事かと言うと、小選挙区制という名の「一人区制」では、51%を取らなければなりません。それは、70%とか80%を目指して歩留まり51%となるわけです。そうすると、例えば保守の政治家が、「自分はイラクに自衛隊を派遣する事は反対だ」と思っていても、それが8割ではないために、言えないわけです。中選挙区制においては、一選挙区から3人とか4人出て来るので分割をすれば15%の支持の人でも出て来られるのです。そして、色々な声が国会に反映されます。しかし、一人区制では49%の声は切られてしまいます。

湯野>  小選挙区制は一人しか当選が出来ないという事ですね。

佐高>  そのような声が反映される選挙制度にもう一度戻さなければ、まともな政治家は出て来ないと思うのです。

湯野>  今年は大きな転換点になると思いますが、最後に、私たちは今後の政局をどのように見ていくべきかアドバイスを頂けますか?

佐高>  その前段として、繰り返しになりますが、「政権交代」と「官僚」です。やはり、長く政権与党にいたところは官僚との癒着が激しいわけです。官僚が物凄い力を持っています。一方では「役人天国」です。私は役人の「役」は厄介者の「厄」であると思っています。これを打ち破るためには政権交代しかないのです。

090201「佐高信特集」概要

 「オンザウェイ・ジャーナル」今週と来週は、経済評論家の佐高信さんをお迎えしてお届け致します。
 今回は、数々の問題が山積する「雇用問題」についてお話を伺ってまいります。昨年末の「年越し派遣村」に端を発した製造業中心の「派遣切り」。その背景には、小泉元首相・竹中元経済財政政策担当大臣が行ったアメリカ的発想の「新自由主義」がありそれが間違っていた、といったお話を伺います。

090201「佐高信特集」番組を聴く

番組を聞く※携帯での再生はできません

2009年02月01日

090201「佐高信特集」要旨

2009年2月1日OA分 佐高信

湯野>   今朝はどのようなお話をお聞かせ頂けますでしょうか?

佐高>   年越し派遣村が話題になりましたが、「日本の貧困と格差」の話をさせて頂きたいと思います。
 
<飢える自由>

湯野>   年末から今年にかけて今もまだ雇用、貧困、格差等が大きな問題となっていますね。

佐高>   「派遣切り」と最近はよく言いますが、「派遣切り」は経営者側から見た言葉です。放り出されるほうから見れば「派遣切られ」なのです。
 派遣はそもそも、ある特殊な専門分野の人にそのような形態での労働をさせるという事で始まったものですが、製造業にまでそれを及ぼしてしまい経営者にとっては非常にやり易い形になってしまったのです。普通、人件費というものは固定費として考えます。これだけは確保しておかなければなりません。しかし、流動費になって行くわけです。つまり、苦しい時には切られる。そして、忙しい時には増やせるというように自由自在に経営者にとってだけ凄く都合の良い方法を小泉、竹中の「規制緩和」という話の中で製造業にまで派遣を認める事を通してしまったのです。派遣は「いつ切られるか分からない」という非常に不安な状況に働く人間を追い込むわけです。
 例えば、秋葉原の無差別殺人事件がありました。あの時に、「派遣はそもそも、あまり働きたくない人間がフラフラやっているのだろう」というような発言を総務省の中の政務官がしました。しかし、それは違います。派遣というものを望んではいなくて正社員として雇ってもらいたいけれども、経営者側の都合で派遣にするのです。派遣にされた人たちは常にいつ切られるか分からないという物凄く不安な状況の中で日々働いているという事です。
秋葉原の事件はとんでもない事件ですが、犯人の加藤という人も、正社員、或いは、派遣と正社員の間にある期間工になりたいと言っていました。そして、この事件の新聞の取材で「派遣が切られるという話があったが、実はそうではなかった」と出ていました。しかし、派遣というものはいつ切られるか分からないという不安な状態なのです。したがって、それは嘘だったとしても次にまた来るわけです。そういうものを日本の社会として広げてしまった。つまり、経営者にとっての自由を物凄く拡大した分が働く人間にとっては非常に不自由な、「飢える自由」「餓死する自由」「貧乏になる自由」とういうものだけが増えていくのです。これを小泉と竹中は生み出してしまったのです。

湯野>   飢える自由ですか・・・・・・。

佐高>   そうです。飢える自由はあるのです。しかし、働く自由はないのです。

湯野>   働いているけれども飢えてしまうという事ですか。

佐高>   働いているけれども、それが続かないわけです。経営者にとっては首を切る自由が常にあります。つまり、経営者の自由を規制緩和の名のもとで拡大してしまい、このような不安定な状況をつくってしまったという事です。したがって、小泉、竹中、特に小泉さんに「何かやってくれるのではないだろうか?」と言ってしまった人たち・・・・・・、ある種、若い人たちに多かったのだと思います。自分で自分の首を絞めたという事です。

湯野>   先ほどのお話にもありましたように、小泉政権の下で製造業への派遣労働者の派遣が法律改正で解禁になったわけですが、いまはその政策は間違いだったのではないのかという声も出始めています。佐高さんは、どのようにこの派遣切りの問題を解決していけばよいとお考えですか?

佐高>   やはり、製造業には認めるべきではなかったと思います。あくまでも特殊な専門的な分野だけに認めるべきです。簡単に言えば、経済は誰も物を買わなければストップします。それぞれが「物を買う力」=「購買力」、個人消費が大きくならなければ経済は回って行きません。しかし、派遣のように年収200万未満の派遣の人たちがどんどん増えると、そのような人たちは物を自由に買う力がないのです。そうすると、個人の購買力が大きくならなくて経済は活性化しなくなります。竹中が特に会社の自由、経営者の自由を拡大したけれども一番根本の「購買力」、つまり、いろはの「い」を忘れた改革だったのです。それが、日本社会を物凄く荒れ果てさせたという事だと思います。

湯野>   いまの佐高さんのお話を伺っていると、失礼な言い方かもしれませんが、それほど難しい事をおっしゃっているわけではないと思いました。凄くシンプルで経済を知らない私たちにも分かるようなお話でした。一方で、製造業では派遣労働者を解禁した結果、企業が発展して儲かったという面もあり、これは成長で間違ってはいないのではないかという意見もありますが、この辺りはいかがでしょうか?

<経営者とは>

佐高>   つまり、「会社が儲かる事」と「働く者が潤う事」が全くズレて来たのです。例えば、自動車会社の派遣切りが大きな問題となっていますが、その自動車会社は内部留保があって、まだ余裕がたくさんあるのです。ついこの間まで物凄く儲かってしようがないと言われていました。その内部留保を抱えたままで派遣切りをやるわけです。そうすると、「何のために内部留保をとっておくのか?」「このような時のためにとっておくのではないのか?」という話になります。一方では、株主に対する配当が増えているのです。そして、経営者が受け取る報酬も減っていません。それでは一体、どこへ厚くなっているのか・・・・・・。働く者に対して割り当てる分を会社をリードするものと言うか、株主として会社に関わっているものにだけ厚くしてしまっているのです。それが物凄くはっきりしています。私は経済記者を長くやっていますが、以前は首切りをする場合には社長は自分の首も切るのが当然だったのです。しかし、いまは自分の首は切らないで派遣切りや正社員の首を切る事が優秀な経営者であるというように評価が安易になって来たのです。私はその転換点が日産のカルロス・ゴーンだったと思います。彼を物凄く持ち上げていましたが、本当は持ち上げてはならない人だったのです。経営者にとって、首切りは最低な事で以前は恥とされていました。「雇用を守ってなんぼ」という話なのです。首を切ったら利益が上がるというのは簡単な話です。

湯野>   首を切ればそれだけ人件費が減るからですね。

佐高>   「首切りはやってはいけない」という話だったのが、「首切り」=リストラによって、ゴーンのような経営者がメディアに持て囃されました。これはメディアの方もおかしいのです。したがって、その辺が経営者に対する評価が変わって来たという事と逆に経営者天国、株主天国になっているわけです。

湯野>   個人の経営者が自由に出来ると言いますか・・・・・・。

佐高>   それは、先ほど申し上げたように個人の購買力を痩せさせたわけですから今度は自分の首を絞め、物が売れないというようになって行くわけです。
 そして、竹中などは「会社がなんとかすればなんとかなる」という物凄く安易な考え方なのです。

湯野>   「会社が潤えば働く者も潤う」という考え方ですね。

佐高>   しかし、それはそうではないのです。つまり、一番基礎の「個人の購買力」が大きくならなければダメなのだという事です。
 例えば、作家の城山三郎さんや内橋克人さん、そして私などは個人の購買力が一番大事だと思っていますが、それに対して長谷川慶太郎や堺屋太一や竹中平蔵などは「会社がなんとかすればなんとかなる」という非常にバブル的な考え方で、そのような考え方は王道では全くなかったのですが、メディアがカルロス・ゴーンや竹中を持ち上げてしまったからこんな変な事になってしまったのです。
 私は小泉とは同じ大学で同じ年に卒業をしました。彼が首相になる前には何度か食事もしましたが、「小泉単純一郎」と言われるくらい、ほとんど何も考えていない人です。彼は竹中に丸投げをしたわけです。そして、竹中という人は大学の先生であったため、机上の空論のようなもので現実を何も分かっていなかったのです。私は竹中平蔵の「竹中教授のみんなの経済学」という本を読んで吹き出してしまいました。その本には「総会屋をなくせば問題は解決する」という内容が書かれていたのです。しかし、何故、総会屋がいるのかと言うと、会社が変な事、つまり、粉飾決算や派閥抗争等をやっているから総会屋がいるわけです。それをやめれば総会屋に金を渡さなくてもよいのです。したがって、問題は総会屋よりも会社側にあるのです。しかし、竹中は「総会屋が問題だ」と言うのです。総会屋をなくしても会社が同じ事をやっていると第二、第三の総会屋が出てきます。
 総会屋を蝿に例えてみると、蝿は汚いところがあると出て来るから、「蝿の発生源」=「会社」を綺麗にする事が必要なのです。つまり、問題は会社にあるわけです。しかし、竹中は現実を知らないために総会屋は悪い奴だと思ってしまうのです。したがって、竹中は本当に何も知らないで経済政策をいじくっていたのだと思います。

<小泉・竹中時代は政治不在だった>

湯野>   佐高さんは以前から批判、提言と言いますか・・・・・・、アドバイスをなさって来ていたわけですが、結果としてはいま、派遣切りも含めて色々と雇用が社会問題化している状況になってしまっています。佐高さんが対策を一つ打つとしたらならば雇用問題についてどのように対処されますか?

佐高>   まず、第一歩としては製造業には派遣を認めない。つまり、派遣業法を根本的に改める事です。そして経営者には、首切りは最後の最低の手段であるという事を世論と共に巻き起こし、訴える事です。政治はそのためにあるわけです。
 経済は競争がエネルギーになっています。競争の結果は勝者と敗者、強者と弱者が出てきます。その格差を少なくする事が政治なのです。小泉と竹中は経済の格差と競争を更に推し進めるという政策を行なったわけですから、彼らの時代には「政治はなかった」=「政治不在」という事です。フィーバーの中で政治があったように錯覚されたけれどもあれは「不在」だったのです。格差は経済の競争を命としている限りでは生じるけれども、それをなだらかにしてせめて格差をなくす方向へ持って行く事が政治なのです。しかし、それを推し進めたために、あの時代に政治はなかったわけです。

湯野>   政治が本来、成すべき事を出来ていなかったのですね。

佐高>   年越し派遣村の人たちに対して、少なくとも色々な批判をあびたとしても麻生首相は派遣村に行くべきだったでしょう。いまの貧困・・・・・・、貧困というものはまさに政治の貧困です。それを象徴したところに出掛けていくべきだったのです。

湯野>   野党は行きましたね。

佐高>   はい。政治家たるものは与野党を超えて行くべきだと思います。私は派遣村に「政治の不在」が象徴的に出ていたと思います。

<雇用される側の心構え>

湯野>   最後になりますが・・・・・・・、今年は景気の状況も厳しいだろうと言われています。そのような中で、雇用される側の人たちはどのような心構えで行けばよいのでしょうか?

佐高>   ある意味で心構えだけで解決するレベルは超えていますが、一人一人の問題であると同時に、一人一人の問題ではありません。派遣村の話においては、寄り集まって訴える、そして、いま働いている人間、これから働こうとしている人間も含めて、労働組合を自分たちがしっかりとものにするという事です。
 それから、政治の力、政治に訴える事が必要です。私は派遣の問題で雨宮処凛さんと一緒に色々な活動をしていますが、仲間と集う事の必要性とか考え方とかが重要です。そして自己責任だと思わない事です。社会の責任もあるのです。つまり、社会の責任を自己責任だと思わされるわけです。まさに政治の貧困でそれを誤魔化すために自己責任だと言うのです。そして、総務政務官が「本当に働く気持ちはあるのか?」というような発言もありました。彼らの考えている事は、自分たちの責任を「自己責任」という言葉でカムフラージュをしているのです。したがって、自己責任だと言われたならば、「お前たちの責任は果たしているのか?」と逆に突き付けて行くのです。
 そして、自分と考えがそぐわないとしても手をつないで何かを訴えて行く事です。いまは一人一人の訴えだけでは既に解決出来なくなっている状況です。いまの若い人たちは引きこもりになってしまったりもしますが、それでは問題は解決しません。

湯野>   自分一人でなんとかしよう、逆になんとか一人で出来なければダメなのだという意識があるように思うのですが、そうではないという事ですね?

佐高>   いまの首相や前首相の安倍さんのように首相になってから勝手に放り出す人から自己責任とは言われたくありません。このような人たちが首相になっているのに自分だけが自己責任を感じる必要はないという事です。

湯野>   今朝は、小泉と竹中路線の批判も出ましたが、来週も引き続き色々な批判も交えてお話を伺いたいと思います。来週はどのようなテーマでお話いただけますか?

佐高>   「日本の後ろにはアメリカがある」とよく言われますが、アメリカとの絡み、そして、竹中もよく言っている「新自由主義」とは何なのか? その破綻があらわになっている現状についてもお話をしてみたいと思います。