第52回

寺島>  近隣の日・中・韓3ヶ国の連携あたりから、東アジア共同体の構想への段階的接近の議論が主流なのですが、ここで1つ、我々はASEAN動向に物凄く強い問題意識をもっておかなければならないという話をしておきたいと思います。
 ASEAN=東南アジア諸国連合は、今年1月にインドとの自由貿易協定を発効させました。中国との自由貿易協定も同じく今年の1月に発効させています。いま日本企業は、ASEANに対する関心を異様なほど高め始めているからです。何故かというと、これから日本企業における大きなターゲット・マーケットは、当然のことながら、インド、中国になっていくからです。日本の産業人は、インド、中国を狙った時に日本国内に生産立地していることに対する息苦しさを次第に感じ始めています。一時のドイツがそのような空気で、東ヨーロッパに進出していった時期がありますが、いまは特に素材型の産業を中心に、例えば、政権が変わって、CO2の25%削減という何やら合理性、科学性のないような目標に向かって立ち向かおうとしています。それは産業にとって物凄いプレッシャーだという判断があります。更には、やたらに法人税が高いだのなんだのと言い始めている理由は、日本に産業立地をしているよりも、インド、中国を狙った生産基点に移したほうがよいという問題意識が高まってきているからです。
そこで、私は、いまインドネシア再評価が非常に行なわれているのだなあと、つい先日の訪問で実感したことがありました。それは、ASEANに生産拠点をもつことによって、自由貿易協定があるのでインドと中国に対して関税上のメリットがある生産を展開できるということがとてつもなく大きいということで、しかも、2015年にASEANはASEAN共同体に踏み切ることに合意して、動き始めています。つまり、5年以内にASEAN共同体ができるということです。したがって、日本が東アジア共同体と言おうが言うまいが、先行してASEAN共同体が5年以内にできてくると思わなければならないのです。勿論、ASEANの中には色々な事情を抱えた、段差のある国々があるわけですから、単純にはいかないという話もありますが、いずれにしても、ASEAN共同体がリアリティーを帯びてきていることに変わりはありません。そうすると、「ASEANの中で」と考えた時、一時期日本企業がタイに物凄く肩入れをしていて、何千という物凄い数の日本企業がタイに進出しました。しかし、ここのところにきて、タクシンがどうしたこうしたという政治の混乱の中で、タイに対して「この先どうなるのかわからない」という失望感が漂っています。
ついこの間までベトナム・ブームだったのですが、ベトナム人は非常にクレバーで、オペレーションしてみると非常に信頼度が高いのですが、社会主義国であるという壁があったりして、ここのところにきてベトナムに対する熱が少し冷めています。
これからのASEANにとって、いまベトナムとシンガポールとの連携が物凄く重いのです。シンガポールは頭脳国家で、頭脳だけで生きているような国で身体がないのです。その身体を肩代わりするかのようにベトナムがシンガポールとの連携を深めていっているのです。この軸の動き方が非常に興味深いのですが、そのような中でフィリピンがまだまだだという状況を踏まえて、インドネシアは、世界最大のイスラム国家ですが、インドネシアの安定感がここにきて際立ってきています。そして、日本産業の問題意識の中で、インドネシアに生産立地をという1つの流れがスッと浮かびあがってきます。
ASEANと日本の自由貿易協定を順次、国別に発効していっている状況なのですが、これからの日本おいて、ASEANにどのように踏み込むのかということが凄く重要になってきます。日本の戦略としては珍しく戦略的だといわれているのは、「ERIA構想」で、要するに、経産省が年間10億円の予算をASEANに提供して、ASEANのシンクタンクをスタートさせたのです。これは既に動き始めてから1年半くらい経っています。経産省の西村さんが事務局長としてワークしています。ERIAではなく、ASEANの方の事務局の事務局長として動いているのはタイのスリンさんという人です。彼は先日、日本にやって来ていました。その前の週には中国に呼ばれて大歓待を受けていたようです。中国もASEANに物凄い秋波を送り始めています。
そのような流れの中で、日本は、ASEANの事務局のブレーンタンクとして、或いは、シンクタンクとして、ASEAN共同プロジェクト等を企画・推進していくということです。ASEAN共同プロジェクトは、例えば、メコン川のデルタ開発や、ベトナムからタイに繋がる回廊等の大型のインフラ・プロジェクトを中心に、ASEANバックアップで日本が展開しようとするようなものをERIAというシンクタンクで共同研究をしてASEANに力を貸そうということで、そのシンクタンクの設立を計ったのです。これは、ある意味においては、有効に機能し始めているとも言えます。事実、アジア総合開発計画が、つい数カ月前に、ERIAが提起する形によって動いて、日本の思惑の中でASEANをサポートしていくという狙いにおいて、ERIAは有効だという部分を見せてきています。
しかし、ERIAが、ASEANの事務局、そもそも、ERIAを何処につくるのかということで揉めました。マレーシアだ、タイだ、シンガポールだという綱引きの挙句に、ジャカルタに落ち着きました。何故、ジャカルタになったのかというと、ASEANの事務局がジャカルタにあるからなのです。ASEAN事務局と並走する形でERIAが動いています。そのERIAに役割期待が高まれば高まるほど、中国がERIAの役割に注目し始めて、中国も日本と同額くらいのお金を出してでもERIAを取り込もうという動きに出てきています。
したがって、何も中国と綱引きをしていけばよいというような話ではなくて、ERIAが次第に日本の思惑通りに動くようなシンクタンクとして有り続けるかどうかというと、むしろ、ASEANの戦略目的の中で、どんどん国際機関化して、中国のみならずオーストラリア等も出資しようとしているために、やがて、これがアジア開発銀行のような国際機関としての性格に近づいていくと思います。そうすると、日本のアジアとの接点において、例えば、力を合わせて研究開発すべき共同プロジェクト等が受け皿となって研究開発していく部隊が必要になってきます。そこが、これからお話をしようとしている大阪のアジア太平洋研究所構想の話に近づいていきます。
元々の話は、「大阪駅北地区先行開発区域プロジェクト」が始まりで、これは分かり易くいうと東京の汐留のようなものです。
いま、巨大な大阪駅で、かつて、JRがもっていた土地の再開発プロジェクトが進んでいます。問題は、最初に私自身がこの構想に巻き込まれたのは、「一体そこに何をつくるべきなのかという話について、知恵を貸して下さい」という話から始まったのです。私は、「大阪は、ひととおりの器物といいますか、ハードの物はありますよね。商業施設をどうするのか、ホテルをどうするのか、という発想ではダメでしょうね」と言いました。瞬時に言ったのは、フランスのパリにアラブ世界研究所という機関があって、これは1973年の石油危機の年に構想を発表して、20年かかりましたが、この研究所を設立しました。アラブ22ヶ国に根回しして、4割はアラブ22ヶ国が出資、6割はフランスが出資するという形になっています。アラブ世界研究所は9階建てで、凄く面白い形のビルなので御存知のかたもいると思います。
そのことによって、フランスのパリの情報力といいますか、分かり易くいうと、中東やアラブ、石油等に関心を持ち、利害を持つ関係者ならば、パリに行かざるを得ないという情報の磁場をつくってしまったのです。エッフェル塔の下にOECDの本部があって、そこにIEA=国際エネルギー機関が併設されています。私はパリに年に2、3回、足を運んでいますが、観光に行っているわけではなくて、やはり、行かざるを得ないという情報の磁場があるためなのです。それはIEAやアラブ世界研究所等があるためで、つまり、パリが人を惹きつける装置をもっているからなのです。勿論、OECDがあるように他の国際機関もあります。
しかし、大阪のみならず、日本、東京もそうですが、そこに行かなければしょうがないと思うような、情報の磁力線のようなものが何か1つでもあるのかという話になります。したがって、まず、パリのアラブ世界研究所にアナロジーを取って、更に、ジュネーブ・モデルという言い方がありますが、いま日本を観光立国化しようという話が進んでいて、中国人の海外出国者が5千万人に迫っている状況で、10年以内に1億人を超すと言われています。日本は、いまその1割を日本に惹きつけようという観光立国論を絵に描いた餅のように描いています。観光客を惹きつけることによって日本に活力を与えようということです。1割といっても1千万人で、それに、台湾、香港、シンガポール等の中華系の人たちの観光客の数を加えて、1千数百万人の人たちがやってくることをもって、観光立国、観光立国と言っているけれども、現実問題として、具体的に何処から来ているのかというと、大中華圏の1千数百万人と韓国の来訪者を当てにして、観光立国論を描いているのです。
先日、私が台湾で講演した時に、このような文脈で話をしていたら、新聞記者がバッと手をあげて「日本人に覚悟はおありですか?」と、質問をしてきました。私はそれを聞いてギョッとなりましたが、これは、どのような意味かというと、1千数百万人の中華系の人間を受けいれるだけ度量があるのかという問題意識のことなのです。たしかに、これは凄まじいことで、それだけのことを行なうとしたら、文化に対するインパクトまで出てくると思います。
もし、本気でそれらの人たちを惹きつけていくことになると、2泊3日で3万5千円等というツアーで客をかき集めても観光立国は成り立ちません。世界中の観光立国で成り立っている国々を調べるとわかりますが、お金をもって情報に対する強い欲求があって、質、量ともにそのような人たちをターゲットにして観光立国論を組み立てなければならず、安手の観光ツアー客をたくさん増やすことによって観光立国が成り立つというものではないのです。
そこで、先程申し上げたジュネーブ・モデルの話になりますが、ジュネーブは15の国連機関があります。かつて、国際連盟の時代の本部があったこともあります。結局、WTO=「世界貿易機関」もジュネーブにいきました。そして、ILO=「国際労働機関」もジュネーブにあります。私がワシントンにいた頃、GATT=「関税および貿易に関する一般協定」が進化して、いよいよWTOができるとなった頃、日本は通商国家なので、WTOの本部こそ日本に引っ張ってくるべきで、私は、ワシントンから出張して、「大阪か東京にWTOの本部を実現するべきだ」と、当時の日本の最高指導者にブリーフィングした思い出があります。しかし、「WTOって何の話ですか?」という反応が返ってきて、こちらのほうが驚いてしまいました。
つまり、あっという間にベルリンとジュネーブが綱引きを始めてジュネーブに落ち着いていったということです。ジュネーブに15の国連機関があるために、年間40万人の国連関係者がジュネーブを訪れます。その少なくとも数倍のジャーナリスト、大学の先生、専門家等の人たちが、例えば、ILOやWTOがあるために、また、国際会議やシンクタンクがあるために、しかたなしに、ジュネーブを訪れます。したがって、ジュネーブでは、1泊500ドル以上もするホテルがいつも満杯になっているという状況におかれています。つまり、それが観光立国である1つの基軸なのだということです。そのような惹きつける磁場がなければツアー客をかき集めて、その数を増やしても観光立国にはならないのです。
そこで、例えば、大阪の北ヤードで国際的な人たちを惹きつけるといっていますが、質、量ともに高いレベルを狙わないとダメなのです。何故ならば、情報の磁場が必要だからです。その1つの基本構想がアジア太平洋研究所なのです。
まず、アジア太平洋研究所が何を行なうところかというと、株式会社シンクタンクでもなくて、財団法人シンクタンクでもないタイプのシンクタンクで、日本では殆どないタイプのシンクタンクです。第3のシンクタンクと言ってよいと思います。要するに、中立系で、企業も、個人も、学会も、大学も、行政も、みんなで力を合わせて支えているというタイプのシンクタンクがないのです。つまり、私が「第3のシンクタンク」と申し上げた意味は、日本に中立系の国際情報を発信できる磁場をつくろうということが大きな狙いで、国際的な共同研究、リージョナル・スタディ(Regional Study)=地域研究を中軸にしながらも、共同研究、つまり、アジアの共同の利益になるようなプロジェクトを積み上げていくのです。これは、明らかに共通の利益になるようなプロジェクトを積み上げていくということです。例えば、エネルギーに関する共同備蓄構想や日本の環境技術をより広いアジアにおいて活用していくようなスキームをつくる共同研究等は日本の利害に関わるだけではなくて、アジアの共通利害にもなるために、段階的にそのようなものを積み上げていく流れをつくっていくことが大事なのです。明らかにプラスになるようなものを積み上げていくということにするのが、段階的接近法としては大事なのだということを共同プロジェクト研究においてのヘソです。私はアジア太平洋研究所構想のフィージビリティ・スタディ(Feasibility Study)(註.1)を行なってきて、ここに大きなニーズがあるのだと気がつき始めていることは、例えば、「留学生30万人計画」というものがあって、日本に30万人の留学生を惹きつけようとしていますが、惹きつけて量を増やせばよいというものではなくて、「出口プラン」、つまり、それらの人たちが卒業してその後どのようにするのかという話が重要なのです。
アメリカに何故、中国の留学生の一流の人間が行きたがるのかというと、アメリカという国はその点でとても優れていて、中国人の留学生を企業が雇って、シリンコンバレー等で育てて、自分たちが進出していく中国の先頭を切って走るポジションにつけていきます。日本企業は中国をはじめとするアジアからの留学生に対してそのような視点で向き合っているところは、ないとは言い切れませんが、まだまだ少ないのです。したがって、今後、本当にアジアからの留学生を育てる気持ちがあるならば、出口のところに工夫が必要なのです。
いま、アジア太平洋研所構想の大変な力になってくれているのは、立命館大学の坂本和一先生で、彼は別府につくった立命館アジア太平洋大学の学長を務めたかたです。2千数百人のアジアからの留学生が別府で勉強をしています。それらの人たちが、例えば、日本に残って研究を深めたいという場合に、止まり木として使えるような磁場が必要なのです。そのことを日本企業で働くためのチャンスを拡大する基点にしていくためにも大きく狙っていかなければならないと思います。そのような狙いが共同研究と共に大変に重いのです。それと同時に情報発信、できれば、かつての『論座』や『フォーサイト』、『世界週報』、かつての東洋経済が出版していた『オリエンタル・エコノミスト』等の類の情報発信を英文と日文によって行なっていくようなメディア、月刊誌にするのか、季刊誌にするのかは別にして、発信力があるメディアをこの研究所が握ることが日本にとっても世の中にとっても、大変に意味があることであると思います。
要するに、これから日本が東アジア共同体と言おうが、アジア太平洋に向けて、しかもダイナミズムを取り込んでいくためには、ベースになる情報の基盤がなければ発言などはできないのです。日本で、「堂々とものを申したらよい」という類のことをぶち上げる人がいますが、堂々ともの申そうにも発言する中身を支える情報もないような発言がどれほどのインパクトを与えるのかということをよく考えなければならないのです。
したがって、アジア太平洋研究所構想に総ての思いを込めるわけではないですが、日本の将来にとって非常に重要な装置なのだと思っています。日本の知的セクターの磁場を広げていかなければインテリジェントな職業がこの国からなくなってしまいます。
そのようなことをしっかりと考えていきたいという意味で、皆さんにお話を聞いて頂いたのです。ありがとうございました。

(註1、Feasibility Study。実現の可能性を検証するという意。費用対効果調査。費用便益調査)