第50回

―東アジア共同体への視界―

寺島>  演題は「東アジア共同体への視界」です。いま、日本を取り巻くアジア、そして、世界が一体どうなっているのかということから確認をしていくような議論に踏み込んでみたいと思います。
 まず、いま、日本くらい時代認識が非常にグルーミーと言いますか、悲観論が漂っている国は少ないということが私の印象です。ここのところが国の外と内との大きなギャップなのだというところから話をしていきたいと思います。
 2010年、今年の世界経済見通しについてですが、世界のエコノミストが出している平均的な予測値を毎月出している機関=「コンセンサス・エコノミックス」の予測なので若干の政治的な思惑が出ている数字ではなくて、エコノミストの平均的な予測値だというところに意味があるのです。
 まず、見ていただきたいことは、実質GDP世界全体という部分で、これは地球全体のGDPが昨年マイナス2.2%だったというところから少し考えて頂きたいと思います。
2009年、それまでは今世紀に入って世界経済は異様なほど順調に拡大して、「人類の歴史始まって以来の『高成長の同時化』なのではないのか」という表現がなされていましたが、サブプライム問題が2007年に露呈して、2008年秋にリーマン・ショックが起こって、ついに昨年、地球全体のGDPの実質成長率がマイナスに転ずることになってマイナス2.2%となりました。しかし、この段階で確認しておかなければならないことは2010年に3.1%成長という数字が地球全体のGDPに関する展望として出てきています。この数字は2月の予測値なのですが、1月の時には3.0%だったのです。更に、12月の時には2.9%、11月の時は2.8%でした。つまり、1ヵ月進むごとに0.1%ずつ上方修正されてきているというトレンドは、1年過ぎて振り返る時がきたら、まず間違いなく3%台の実質成長を世界経済は遂げるだろうと認識してよいと思います。
次に、見ておきたいことは2010年、上から下までマイナス成長ゾーンがないと異様な高成長の同時化サイクルに再び戻ったと気がつくはずです。つまり、日本も2年連続マイナス成長を続けていましたが、さすがに世界のエコノミストも今年の日本の経済は昨年のマイナス5.3%よりは、プラスの1.5%くらいの実質成長だろうとみているということです。EUが苦しみ抜いていますが、それでも水面上に出て1.1%です。
問題はアジアですが、昨年、BRICsが2つに割れました。世界の成長エンジンと言われている中国、インド、ブラジル、ロシアが2つに割れて中国8.7%、インド7.0%という数字で好調を持続したことに比べて、ブラジルはマイナス0.2%、ロシアはマイナス7.9%というようにマイナス成長に転じました。
そこで注目したいのはインドネシアで、いま物凄く好調です。昨年、世界経済がマイナスに落ち込んでいたにもかかわらずインドネシアは4.5%のプラス成長だったのです。インドネシアは日本の人口の倍で2億3千万人です。世界最大のイスラム国家という表現もありますが、大中華圏との相関が大きくてインドネシアは1千万人くらいの中華系の人をも抱え込んでいます。それらの人たちはビジネスの世界で大変な力をみせていて、イスラム系の人とのぎくしゃくが10数年前の虐殺暴動のような事件を起こしたりもしているわけです。いずれにせよ、インドネシアが今年は既に6%近い成長軌道を走るだろうと言われています。
OECD(経済協力開発機構)がここのところ言い始めている表現なのですが、「BRICs(ブリックス)という表現は捨てよう。BRIICS(ブリークス)と呼ぼう」というものがあります。これは、間に「I」が1つ入って、この「I」が「インドネシア」の「I」です。つまり、G20にも入ってきたインドネシアなのです。最後の「s」が複数の「s」ではなくて、サウスアフリカの「S」だと言われているくらいで、世界の成長エンジンが多角化してきていることを表現しているのです。
エマージング諸国(註.1)の経済見通しですが、まず、近隣の韓国、台湾についてお話しますと、韓国は凄まじいことになっています。昨年の年初に間違いなくマイナス成長であろうという予測値が出ていたのですが、後半にV字型に回復してきて、結果的にはプラス0.2%、わずかながらもプラス成長ゾーンに出たのです。今年は韓国は5%台の成長を実現するであろうという予測値が出てきています。
台湾も昨年のマイナス2.9%からプラス4.9%で、香港もマイナス3.0%から4.8%にプラス成長軌道になってくるであろうと予測されています。シンガポールも6%近い成長を実現するのではないかとエコノミストの平均的予測値が出てきています。
いま、日本の経済界、および、経産省の産業構造審議会の成長力に関する新しい委員会ができてきて、日本の成長戦略をまとめようという段階に入っています。私もそのメンバーに入っていますが、そこでの「日本は何故韓国に押し負けているのか」ということが議論の論点になってきています。これは韓国が何故V字型回復をしたのかということでもあり、これは本題にも関わることなので踏み込んでおこうと思います。
韓国経済はひっくり返して言うと「底が浅い」とも言えます。ジェットコースターのような軌道を辿ります。1997年にIMFクライシス、アジア通貨危機が起こった時に、韓国経済はドーンと落ちて、そこから半導体等の産業を基軸にしてめきめきと盛り返してきて、またリーマン・ショックによって谷底に落ちて、ジグザク行進のように動いていきました。そして、いま、V字型回復の局面にあると言ってよいと思います。
何故このようなことになるのかというと、まず、財閥経済で極端な構造になっていて、ヒュンダイ、LG、サムスンという3つの世界に冠たるブランドとして認知されている企業を育てています。しかし、この3つの企業の売上高を合計すると韓国GDPの35%になるという極端な構造になっているのです。要するに、3つの会社が浮上すれば韓国も浮上して、3つの会社が沈めば韓国も沈むということで、ある意味においては非常に危うい構造になっているということです。財閥経済は意思決定のスピードも早くて、ガバナンスが効いているために進む方向が定まって進み始めると大きな成果を上げるというものなのです。
いま、日本の産業界が物凄く話題にしていることは、UAEの原子力のプロジェクトで、韓国に敗れてしまったことです。それと、いま、日本の地上デジタル方式が南米の国々で続々と採用されるようになったことです。ブラジルもベネズエラも日本の地デジ方式を採用してくれました。これは日本にしてみれば珍しい話で、グローバル・スタンダードを握るとか、ディファクトスタンダード(註.2)を一歩前に出る等と言い続けている日本にとっては、滅多にないほどの成果だったわけです。しかし、先日、私はワシントンの米州会議に出席して議論をしていたのですが、なるほど、そのような力学なのだなあと思ったことがありました。それは、アメリカも切なくて、御膝元の中南米の反米感情が物凄く強くて、とにかくアメリカの技術だけは採用したくないというベネスエラのチャベスやブラジルのルーラによる漁夫の利が日本の地デジ方式の採用に向かわせているという力学を感じるのです。しかし、これは日本にとっては、めでたし、めでたし、では終わらないために話が複雑で、せっかく名誉としての日本方式を採用して頂いているのに肝心のテレビ受像機は南米で韓国企業に席捲されているのです。
したがって、技術では勝っているのにプロジェクトやビジネスでは後塵を拝す日本に対する焦燥感が、韓国に対する目線になって、いま問題意識を駆り立てています。韓国が財閥経済だということなのですが、何故、韓国がV字型回復をしたのかというところがポイントで、間違いなく言えることは「迷いがない」ということです。つまり、日本の経済人の議論の中で、一番愚かな議論は「内需が大事か、外需が大事か」というもので、韓国に迷いがない理由は、そもそも内需がないからです。人口は日本の半分ですから外需で生きるしかないと腹を括っていて徹底的な外需思考なのです。しかも、ターゲット・オリエンテッドでBRICsの南米ブラジルや中国等の市場に照準を合わせて勝負をかけてきます。
更に、もう一点とてつもなく重要なことは、非常に表現が悪いのですが、悪口を言う人は「コバンザメ経済」という言い方をします。これは、背中に張りついてくるということで、例えば、先端的な技術によって他の国をリードしようとか、グローバル・スタンダードを自らの国のスタンダードとしてリードして確立しようということを考えません。日本の先端的な技術や日本のスタンダード、アメリカのスタンダード等のうち、これだと思うものの背中に張りつくのです。そして、そのスタンダードと先端技術を受け入れて、二番手方式というもので、二番手で張りついてきて、ゴールが近づいた瞬間に刺し返すような、スケートでいうと最後の瞬間に足を出すということです。考えようによっては苛立つというのはわからなくもありませんが、要するに、そのようなことで韓国は思いもかけない勢いでV字型回復になってきているわけです。そのような東アジアの情勢を視界に入れながら、どうしても確認しておきたい話に結びつけていきたいと思います。
昨年、2009年の貿易統計が出てきました。日本の貿易構造に占める比重についてですが、日本がどのような生業の国になってきているのかということを示す重要な数字なので、私はたえずこの数字を確認しながら進んでいます。つまり、昨年の日本の輸出と輸入を足した貿易総額の相手先の比重という意味で、米国との貿易の比重が13.5%まで落ちました。日本経済に関わってきた人ならば、おそらく、「本当なのか」と言いたくなるくらい、この数字が小さくなっていることに驚くと思います。それに比べ中国との貿易比重は20.5%で、中国との貿易が日本の貿易の2割を超えるようになったということです。つまり、いかに、日本が中国との貿易に支えられて景気を回復しようとしているのかという数字があぶり出されてくるのです。大中華圏が30.7%という数字で、私がこれまで何度も触れてきたグレーター・チャイナ=大中華圏との貿易が3割を超しました。
そこで、少し踏み込んでおきたいのは、「グレーター・チャイナとは何か」ということです。私がこの1年間くらいの間に、自分の思考を深め、進化させ、悩みながら様々な人たちと議論をして手応えを感じている論点が大中華圏という切り口なのです。
大中華圏とは、中国を本土単体の中国とだけ考えないという考え方です。中華人民共和国という単体の中国として捉えずに、中国と香港と華僑国家といわれている人口の76%が中華系の人によって占められているシンガポールと台湾を包括する捉え方です。シンガポール、台湾は政治的イデオロギー体制の壁があるけれども、つまり、シンガポールも台湾も反共国家のために、政治的には大きな壁があるということですが、産業的には一段と連携を深めているゾーンだという捉え方がグレーター・チャイナという捉え方なのです。
私が言おうとしている「中国はネットワーク型によって発展を遂げている」という切り口は、誠に正鵠を得ているという反応が返ってきます。これは、どういうことかというと、私が約3ヶ月前に出した新書で、『世界を知る力』(PHP新書出版)が若い人から女性にまで読まれ始めている状況で感じることがあって、何がポイントかというと、それは、ネットワーク型によって世界の状況を考えるという見方に対する反応なのです。
そこで、このように考えて頂けたら段々とわかってくると思います。1989年にベルリンの壁が崩れました。そして、1991年にはソ連が崩壊しました。つまり、社会主義対資本主義の図式であらゆることが議論されていたものが大きく変わり始めたということです。冷戦が終わってから約20年経って、ソ連崩壊後のロシアは今日に至るまで、いろいろな意味において苦しみ抜いています。東欧圏といわれた国々も苦闘しています。しかし、中国だけが天安門事件から20数年、やけにコンスタントに成長軌道を走っていることに違和感を感じる人も多いと思います。何故、中国だけが成功しているのでしょうか。
それをどのように説明するのかというと、まず香港についてです。1997年に香港返還があり、昨年、2009年、中国からの海外渡航者は4,766万人になりました。それに対して、日本の海外渡航者数は1,545万人だったのです。つまり、日本の海外に出ていった人の数の3倍以上も上回るくらいで、中国人が海外に出ていく時代が来たということです。しかし、中身に一歩踏み込むと、その約半分は香港、マカオだと推定されていて、香港、マカオに行った人も海外渡航者に数えているということです。つまり、香港と本土の中国との関係がそのようなものになってきつつあるということなのです。
次に台湾についてです。陳水扁の政権ができて8年間続きました。そして、台湾独立かと言われた時期があって、台湾海峡にさざ波も立ちました。しかし、砲弾は飛び交わなかったのです。それどころか、台湾、香港の資本と技術を中国本土に取り込み始めたのです。台湾人が生産立地のために中国本土に100万人以上が移住して住み始めました。それくらい中国本土の生産力を支える形で台湾企業が動いているのです。要するに、台湾のエネルギーを本土に取り込み始めたということです。中国の大きな支えになっている力はその相関なのです。
加えて、シンガポールです。シンガポールは淡路島の面積もない小さな島です。この存在自体が謎めいています。それは何故かというと、工業生産力もない、人口もない、土地もないために資源産出力もないような国にもかかわらず、1人当たりGDP、購買力平価ベースにおいては、日本を1万ドルも凌駕するような繁栄する国になっているのです。シンガポールのほうが日本よりも上回っているという感覚は日本人にはわからないと思います。何故、どのようにして、シンガポールがこのような状況になったのかというと、まず、「シンガポールは大中華圏の南端として中国の10%成長力をASEAN諸国につなぐ基点になりつつある」という表現があります。つまり、シンガポールが華僑圏の国として、中国の発展エネルギーをASEAN=東南アジア諸国連合につなぐベースキャンプの役割を果たしているということです。更に、「シンガポールは大中華圏の研究開発センターだ」という表現があって、経産省で日本の成長戦略に関する議論が行なわれた際に、「医療ツーリズム」という言葉が重要だということで提起されているという報告が出ていましたが、これは、いわゆるメディカル・ツーリズムで、中国本土から昨年45万人の金持ちになった中国人がシンガポールに行って、検診を受けたり、病院に入院したりしています。何故かというと、シンガポールはバイオの研究に物凄くインセンティブをつけていて、バイオ研究を梃に、医薬品、つまり、薬剤の研究開発を進めているからです。そのために、シンガポールに入院しに行こうと中国から病気になった人を惹きつけているのです。そのことを医療ツーリズムという言い方をされて、医療を梃に人を惹きつける観光であると表現され始めています。

(註1、EMERING諸国。高度経済成長を見込める新興国家群の事)
(註2、De Facto Standard.国際機関が定めたものではなく、結果として「事実上標準化した基準」の事。⇔De Jure Standard)