第44回

<世界を知る力―余談 発売後の余波―>


木村>  寺島さんが昨年12月にPHP新書からお出しになった『世界を知る力』がいま大変話題になっているということを取り上げて、今朝のテーマは「世界を知る力―余談発売後の余波―」です。
 寺島さんにとってはおそらくこれまであまり馴染みのないイベントかと思いますが、この本において、サイン会が大きな書店では催されて、ある意味においては生の形で読者と接するということになったと思います。そのことを通じて、いまどのように感じられていますでしょうか。

寺島>  私自身、手ごたえがありました。元々、この本は若い人に「いま自分は世界をどのように見ているのか」、また、見るだけではなくて「どのようにすべきなのか」ということを語りかけるために、私にとっては初めての試みなのですが、語り言葉で書きました。
 今までのように講演会というよりもサイン会という形にしたことで少し熱い思いにもなりました。普通に語りかけるように話をしてみましたし、読者カードや手紙を下さる人たちの反応を見ていてこの本には意味があったと思います。よく「目からウロコでした」という表現によってレスポンスが返ってきます。いままで我々が、特に、社会科学等を学んできた人間が、いつの間にか陥りがちな世界に対する見方は、日本人が冷戦型の世界観を持ち続けているということです。それは一種の地政学的見方というもので、言わば、東と西が角を突き合わせてKGB対CIAの戦いのような、または、「007」、「ゴルゴ13」等のようなイメージで世界を見ているとだんだんものが見えなくなってきてしまうのです。世界がネットワ-ク型によって動いているということを色々な事例で語ったことがこの本だったわけです。
1つのポイントが「大中華圏」です。中国を中国本土の中華人民共和国としてだけで捉えずに、中国と香港とシンガポールと台湾といういわゆる華僑圏の海の中国と、本土の陸の中国との相関のネットワークの中で捉えると、どのように世界が見えてくるのかということをこの本の中で語ろうとしたのです。

木村>  「華人ネットワーク」という言葉でも語られていましたね。

寺島>  私はそこを大中華圏という言葉によって表現して見せました。
 そこで、私がここのところ1カ月の間に体験してきたことを皆さんにお話することによって、よりネットワーク型で世界を考えるということの意味がわかって貰えるのではないのかと思っていて、そのような話題について触れてみます。
 先日、私は台湾と香港と駆け抜けてきて、ちょうど旧正月の時とぶつかりました。物凄く中華系の人たちが動いているのだなあと実感しました。そこで、今日のボトムラインで大事に踏まえたい数字があります。それは、昨年、中国人の海外渡航者、つまり、中国から外に訪ねた人の数がついに5,000万人を超したということです。それに対して、日本人が海外に出国した人は1,545万人なので3倍を大きく超えるような人が中国から外に出ていくようになったというわけです。実は、その内の約半分くらいが香港、マカオだと言われているので、実際にそれ以外のところに出ていった人たちは2,500、600万人くらいというイメージになりますが、それでも、日本において海外に出ていった1,500万人よりも1,000万人以上多いということになります。
 私が台湾で講演をしていた時に、ある質問者から「日本人はその覚悟がありますか?」と質問を受けてドキッとなりました。これはどういうことかというと、5年くらいの間に中国人が海外に出ていく渡航者が約1億人になると推定されていて、その内の10%が日本に来ると言われています。つまり、観光立国日本を目指す日本が、中国からの旅行者を海外出国者の10%=1,000万人を惹きつけようとしているからなのです。もし、日本に中国の観光客が1,000万人来るようになったのならば、昨年、中国の人が日本にやって来た数は101万人だったものが10倍になるということになります。しかも、昨年、日本にやって来た外国人の数字が出てきましたが、1番多かったのは韓国人で159万人でした。しかし、これはウォンの貨幣の価値が弱くなっていて、ウォンが安くなって日本にやって来ることが大変苦しくなっていたためで、前年と比べると33.4%減ってしまいました。それでも1位は韓国からの渡航者だったのです。
 日本に昨年やって来た外国人の第2位は台湾で、102万人でした。つまり、中国の101万人がほぼ肩を並べてきたということになります。中国から日本に来るためには、まだビザの規制等があって、段階的には緩和はされてきていますが、それなりの規制があって、来日する中国人の数はおさえられています。にもかかわらず、101万人だったのです。もし、ビザ規制が緩和されて、全く自由になったのであれば、本当に1,000万人の中国人が日本に渡航することになるでしょう。それプラス、台湾、香港、シンガポール等の人たちがやって来ることになると、先程の「覚悟があるのか?」という意味は、数字の上では1,000万人を超す中国及び中華系の人たちが日本を訪れてくれて、めでたし、めでたしと聞こえるかもしれないけれども、非常にネガティブな見方をする人からすると、観光はそれを支える基盤がないと大変な混乱が生じて、観光地においての治安等の様々な問題が想定されるということです。
 マナー等の問題も含めて様々な悩ましい問題があります。ここで、もう一度整理をしてお話をすると、大中華圏と中国本土と台湾と香港とシンガポール、つまり、中華系の人によって1つの磁場が形成されている地域、その相関の中において発展が展開されている地域から昨年263万人の人が日本にやって来ました。そして、韓国からやって来た人が159万人です。観光立国日本は結構だけれども、これらの人たちが、その方向にバーンと向かっていくと、日本という国のあり方そのものが問われなければならないような様々な問題が起こる可能性があり、実はそれは既に目の前にきているのです。
 いま、銀座に行っても、秋葉原に行っても、地方の温泉に行っても、旧正月組の中華系の人たちで溢れかえっています。ある意味においてはこれが日本の需要、消費を支えてくれているとも言えます。
 それが既に事実になってきているわけです。そのようなポジティブな日本を支えてくれているという現実と、それを迎えて更に発展させて、日本に対してよりよい印象をもって帰っていく観光客となっていく流れをつくることの間には、まだまだ大きな壁が横たわっているという部分があります。
 いずれにせよ、中国と香港とシンガポールと台湾と一口に言っても、イデオロギー体制も異なっている別々の国で、シンガポールも台湾も反共国家で本土の中国に対しては壁があって、そこの相関が非常に見えにくいけれども、現実の人の動きやものの動きや資本の動き等において、この一群のグレーターチャイナ=大中華圏の相関関係が深まっているために、やたらにダイナミズムが中国を中心にして吹き荒れているように我々が感じられるという真っ只中にあります。
 そこで、もう1つの話題として触れておきたいことがあります。それは、東京に駐在しているシンガポールの大使が私のところに訪ねてきてくれたことです。私の中国という存在を単に本土の中国が、今年GDPで日本を追い抜いていくという視点を超えて、香港問題をうまくマネージメントして、台湾のエネルギーを本土に取り込んで発展しているという見方が非常に興味深いというところから色々と彼と議論をしていったのです。
 私はシンガポール大使の目線が非常に参考にもなりましたし、あらためて私が言うところの「ネットワーク型によってアジアを見る」ということの意味を彼がうまくフォローしてくれたという感じがしました。私は「シンガポールという国は、淡路島の面積もない小さな国で工業生産力もなくて人口も少なくて、はたまた資源もない。しかし、このような国が世界に冠たる経済国家になって、日本の1人当たりGDPを凌駕しようかというくらいの国になっています」と申し上げました。その理由はというと、シンガポールは目に見えない財を創出しているからなのです。つまり、技術、サービス、システム、ソフトウエア等の目に見えない財をつくることによって国家が国家として繁栄する時代がきているということです。これがバーチャル国家というものの見方であると私の本で強調したわけです。ここのあたりに共鳴していて、しかも、シンガポールの存在が右に本土の中国の湧きかえる様なエネルギーをASEAN、東南アジアに繋ぐ基点になるという役割を果たして、左にインドを睨んで、インドのエネルギー、人口の8%くらいが印僑というインド系の人によって占められているのがシンガポールの特色でもあります。しかも、本の中にユーラシア大陸の図が書いてあって、イギリスのロンドンと中東の金融センターのドバイと、IT大国のインドのシンボルともいえるバンガロールと、シンガポールと、オーストラリアのシドニーを線で結ぶと一直線になるという「ユニオンジャックの矢」の議論をしています。英語圏であり、イギリスの法制度を共有して、イギリスの文化も共有しているという連携軸が物凄く意味があるのだという話をしています。私はそれと中国との相関がシンガポールをして世界に冠たる経済国家にしている大きな要素だということを書いています。
 それについて、シンガポール大使が言った言葉が面白かったのですが、「寺島さん、そもそもシンガポールは大英帝国がインドと中国との貿易の基点としてつくった町だったのです。当然のことながら、歴史的に中国とインドを結びつけて生きてきました。それがDNAのようなものです。したがって、大英帝国がある時にはアヘンをインドから中国に送り込み、それを返す刀で買ってきた中国の産品をまたロンドンに持っていくための中継基点だったわけです。別の言い方をすると、実はその埋め込み装置がいまでも生きているということです。いまでもそのままワークしているのが、あなたのおっしゃる『ユニオンジャックの矢』なのではないでしょうか」という話をしました。この話は面白いというか、その通りだと思いました。
 この段階で私が申し上げておきたいことは、実は中国の台頭を解く謎は、中国とグレーターチャイナの相関が中国をして安定的成長軌道を走らせているという説明は極めて説得力があり、その通りであるという反応が台湾の人たちの議論の中からも湧き上がってきていて、シンガポールのそのような人たちと話をしていても同じで、本土の中国の人たちも自分たちが20年前の天安門事件以降20年間、香港返還や、台湾の独立問題という時期を経て、ギリギリ、香港、台湾のエネルギーを取り込んで中国という存在が世界に向けて躍動しているという見方は、「ああ、その通りなのだなあ」と感じるように、逆に、彼らも目からウロコであったと思います。よくわからなくない、説得力があると感じるわけです。
 したがって、この本が1つの刺激剤となって、私が台湾に行って講演しました。昨年の北京大学の講演あたりが1つの閃きとなってこの本をまとめるための背景になっているわけですが、このように、まさに、大中華圏の人たちによって、この本が1つの素材となって、メルティング・ポット(=melting pot)という言い方がありますが、ちょうどチョコレートがポットの中で溶けていっているように、グレーターチャイナという議論がだんだんと成熟してきて、色々な示唆を受けて面白いと思いました。
 更に申し上げると、私が知らなかったことで、本土の中国がもつ脅威に対して微妙な心理をシンガポールも台湾も持っているということがありました。私は全く知らなかったのですが、1971年に本土の中国が国連においての代表権を取って、台湾が追放されて国際社会の中で立場が逆転してしまいました。その時にアメリカが台湾を切り捨てて出ていった時に、残された基地にシンガポールの軍隊がやって来て、訓練をしていました。シンガポールの若者は必ず一度は台湾に行ったことがあります。それは何故かというと、必ずシンガポールから台湾に行って訓練を受けているからなのです。私はその説明を受けて、あらためて不思議な感慨を覚えました。

木村>  驚きの話もありましたが、もう少しこのお話について後半で深めたいと思います。

<後半>

木村>  寺島さんはこの本の「異国に乗り込んだ『場違いな青年』」という項目で、「情報は教養の道具ではない」という非常に興味深いイスラエルのシロア研究所の体験を踏まえながら、つまり、世界を見るということはどのような意味のあることなのかということを最後に述べていらっしゃいます。

寺島>  たしかに、「世界を知る力」というと、何か世界に目を見開いて教養を高めましょうというようなイメージのタイトルに捉えられがちですが、私は教養を高めるために世界認識を深めましょうということを言っているのではなくて、極端にいうのであれば、世界が抱える課題や不条理等に対する怒りや問題意識をもって、それらの解決ために向き合っていく力でなければ世界を知る必要さえないかもしれないというくらいの気持ちでいます。
 そこでまさに、私が自分で見てきたものが何だったのだろうかということを問題意識の中に据えていますから、溢れ返る世界における貧困や差別、様々な不条理等に対して、世界を議論しなければならないというように思っていて、安楽椅子に座って「時にこれから世界はどうなりますか?」等とコーヒーを飲みながら議論をしている話ではないのです。
要するに、そのような中で、自分にとってこれだけは許せない、或いは、これは自分も背負っていかなければならない問題だということをどのように感じ取るのかということが物凄く重要だということです。
私が中東において、特にイスラエルで目撃したこと等は、民族、宗教が複雑に入り乱れている地域に大国が関わって、いかにその地域を血まみれにし、不条理なものにしてしまったのだろうかということに対する怒り、日本がこの地域に関わるべきスタンスはどうなのだろうかというように、自分のこの地域に対する見方はどのようにあるべきなのかということにまで跳ね返ってきます。これは、なにも中東だけではなくてアジアにおいてもいえることです。更に、日本の歴史そのものも様々な意味において、日本自身が不条理な存在であると世界から見られていた時期もあります。そのようなものを超えてつくってきた戦後というものは一体何だったのかということを考え直さなければなりません。
私は今回特に台湾に滞在していた時にその思いがしましたが、おそらく我々はその感覚を失ってしまったのだと感じたことは、台湾と韓国はかつて歴史の事実として、それが良いとか悪いとかという意味で申し上げるのではなくて、いまから65年前まで、ある期間日本のテリトリーでした。そして、これらの国の人たちは日本人として生きた時代があって、兵隊にまで徴兵されて、極端にいうと、日本人として戦ったといってもよい時期がありました。少なくともこの近隣地域の問題を考える時に、複雑な思いを込めて、かつてこの地域は日本が日本のテリトリーとしていた時代があったということを忘れてはならないと思います。それは、いわゆる覇権主義的な意味ではなくて、先程、大中華圏と申し上げましたが、大中華圏はイメージとして、中国が支配力を強めている地域ではなくて、ネットワークの中にあるのです。日本が韓国や台湾問題に関して日本の政治的な意図で何かができるような時代ではなくて、勿論、領土的野心などというものを一欠けらも持ってよい時代ではないけれども、かつて、植民地主義が吹き荒れた時代の中で日本自身もそのような地域を大きく巻き込んだ、政治的な展開をしていた時期がありました。そのことによって、過去の思い出話ではなくて、今現在も台湾や韓国でそのことを背負って、悶々として生きている人たちにも現実に出会うことがあるのです。しかも、台湾と韓国の温度差があって、台湾は比較的に日本が統治をしていましたが、韓国がそうではなかったという言い方をする人もいますし、統治していた期間の問題もあります。しかし、たしかに、韓国は日本に対して深いわだかまりを共有しながら、例えば、日本の企業が韓国の企業とジョイントを組んで、戦略的提携をしてうまくいっているというケースは滅多にありません。一方、台湾はどちらかというと日本にとっては戦略的パートナーとして、一緒に手を携えてジョイント・プロジェクトをもって中国に乗り込んで成功しているというケースが多いのです。
そのような意味において、覇権主義的な発想とは一切違う意味で日本もネットワーク型によって日本の次なる展開を考えていかなければならないと思います。私は、このあたりが「世界を知る力」の次の問題意識であるという気持ちでいるのです。

木村>  このことを通して、ものの見方、世界の見方において、我々がどのようにあるべきか、ということを共に考えようではないかということですね。
 寺島さんのお話を伺って、若い世代の人も含め、これだけ多くの読者がこの『世界を知る力』を手にしているということをふまえると、これから日本に色々な期待、希望というものを持てるという思いも感じました。