第39回

<戦後なる時代~赤胴鈴之助と月光仮面と団塊の世代~>

木村>  先週の放送では「平成維新、外交と内政~日米同盟と東アジア共同体~」というテーマで、我々がいまどのような大きな転換点に立っているのかという事と、そこでものを考える時にどのような視点が必要なのかというお話を伺いました。
 今週の前半は、「寺島実郎が語る歴史観」をお送りします。テーマは「戦後なる時代~赤胴鈴之助と月光仮面と団塊の世代~」で、なかなか楽しみな設定です。私は赤胴鈴之助と月光仮面はテレビで放送された時のテーマソングは歌えますし、まさにこの世代です。今朝はどのようなお話になるのでしょうか?

寺島>  毎日新聞が1957年に行なった全国の少年の意識調査の中で、「一番好きな存在」として第1位だったのが、赤胴鈴之助だったというくらい、我々の世代はある種の影響を受けています。

木村>  まさに、団塊の世代ですね。

寺島>  実は、私は「赤胴鈴之助」の全巻を手に入れて週末に読み返しました。赤胴鈴之助は、戦後なる時代を考える上で我々自身の体の中に相当な影響を与えている事があるために敢えて話題にしていきます。
マニアックな話になりますが、赤胴鈴之助は、我々の世代ならば知っている人もいると思いますが、「イガグリくん」という漫画で大ヒットした福井英一さんが作者です。当初、広島の学習雑誌に単発ものの作品として掲載されました。信じられない話なのですが「泣きむし鈴之助」という名前で描いた作品を素材にして、「赤胴鈴之助」を「少年画報」という少年雑誌で連載を開始しました。第1回目は福井さんが描いたのですが、その直後、33歳で過労によって亡くなってしまったのです。そして、第2回目から急遽、福井さんが始めた連載を引き継いでくれと白羽の矢が立って、武内つなよしさんが引き継いで描いたのです。第2回目から赤胴鈴之助は作者が変わったという形でスタートしたのです。赤胴鈴之助の主題歌で、「剣をとっては日本一」というフレーズで有名な歌は誰もが知っていると思いますが、赤胴鈴之助こそ、様々な意味で我々のヒーローであり、アイドルだった時代がありました。
 赤胴鈴之助はお父さんを亡くした孤児なのですが、江戸=東京に出てきて、神田お玉ヶ池の千葉周作の道場に入って、そこから育っていくという物語です。赤胴鈴之助を思い出して頂くと「真空斬り」という技の事が浮かぶと思います。剣を使って人を殺すのではなくて、手で空気の渦捲きをつくって人を倒して失神させるという、真面目に考えるとそんな事はあり得なくて科学的な話ではないという事になりますが、真空斬りが彼の勝負手だったのです。

木村>  決して命を殺めないでやっつけてしまうわけですね。

寺島>  それがどのような事から成り立っていたのかと言うと、一種の平和主義と言いますか、いかにもいかにもの戦後と言いますか、つまり、武力をもって問題を解決しないという戦後憲法のようなものが日本に登場して、1951年サンフランシスコ講和条約が結ばれて日本がようやく独立国に入ったけれども、まだまだ戦後なる時代をひたすら生きていた時代の事です。その時に、真空斬りこそ、大げさに言うと平和憲法の象徴のようなものだと言えるでしょう。つまり、人を殺めない、武器をもって倒すのではなくて、真空斬りで人を気絶させるという事を勝負手にした少年剣士が登場してきたという発想と、「親はいないが元気な笑顔」という歌のフレーズがありましたが、「親はいないが」という事こそ、その時代を生きた少年にとってはとてもしびれました。我々の周りには親のいない子はたくさんいたのです。何故かと言うと戦争によってお父さんを亡くした子供たちが我々の先輩の世代にはたくさんいたからです。
 つまり、凄く冷静に考えてみると、親はいないが元気な笑顔で戦争を引きずった時代の日本において、そのメッセージが非常によくわかり、更には、真空斬りに象徴されるような、平和主義のようなものがそこに横たわっているわけです。しかも、この時代に「少年画報」という月刊漫画雑誌が一大ブームで、みんな貧乏だったためにこのような雑誌が買う事ができる子供が周りには滅多にいなかったのですが、ピーク時には80万部を発行していました。みんな回し読みをしていたので、読んでいる人は発行部数の10倍くらいはいたと言われていて、ほとんどの少年たちが「少年画報」や「少年」等の月刊誌を読んでいて、1960年代に入って少し日本が豊かになってきてから、週刊漫画雑誌の「サンデー」、「マガジン」等の時代に入っていくのです。その一つ前の団塊の世代の文化をつくり上げたものとしてこのメディアは非常に面白いのです。
 余談になりますが、先程、申し上げましたが、赤胴鈴之助を全部読みなおしてみて、自分との不思議な因縁と言いますか、赤胴鈴之助との縁を感じました。それは何故かと言うと、私はいま若い人たちの研修の場にするために、世田谷にあった3万冊の書籍を神田のすぐ近くの九段に移して、今年の春から「寺島文庫」をスタートさせました。私はいま力を入れていて、若い人たちの色々な研究会ができてきています。その場こそ、まさに先程申し上げた、神田お玉ヶ池の千葉道場の近くにあるのです。
 次に、真空斬りの不思議な話なのですが、この技は箱根山に赤胴鈴之助が修行に行って、出会った大鳥赤心斎という先生に教えてもらった技でした。その場所が強羅なのですが、その強羅こそ私の箱根においての物書きの場のすぐそばなのです。私がふと思った事は不思議だなあという感覚で、赤胴鈴之助の道場が私の寺島文庫のところにあり、真空斬りを身につけた修行の場が私の物書きの場である箱根の強羅であったわけです。
 この話の面白さは、現代の漫画としてはちっとも面白くないだろうなあと思っていたら、登場人物のネーミング自体が爆笑ものだったのです。横車押之助(よこぐるまおしのすけ)というキャラクターもいましたが、このように名前を見ればキャラクターがわかるのです。また、真空斬りを教えてくれた大鳥赤心斎先生をやみ討して殺したのは火京物大夫(ひきょうものだゆう)です。これは誰がみても卑怯者にみえるわけです。要するに、名は体を表すではないのですが、人の名前に物凄く特色づけていると言いますか、私はこれに影響を受けたのだと思いますが、人にやたらと変なあだ名をつける傾向があって、赤胴鈴之助を読み過ぎたたせいなのかと今頃になって気がつきました。
 いずれにせよ、それほどまでに赤胴鈴之助は我々の世代の少年たちに大きな影響を与えました。その後、吉永小百合さんの主演で、赤胴鈴之助のラジオ・ドラマ番組がラジオ東京、いまのTBSラジオですが、昭和32年、1957年の1月からラジオ放送が始まり、その後、テレビドラマにもなりましたが、その時に、千葉周作先生の娘役で登場してきたのが、「さゆり」という名前の役名で彼女が演じました。吉永小百合が大女優になったきっかけとなった作品が赤胴鈴之助のさゆり役で自分と同じ名前の役名というのも不思議な話だと思います。
 続いて、「月光仮面」です。どこの誰かは知らないけれど……、月光仮面は誰でしょう」という歌(註.1)のフレーズが耳に残っていると思いますが、誰だって月光仮面が誰だかわかっているというストーリーでした。いきなり登場して来る白装束の月光仮面は、コンセプトとして明らかにアメリカの「スーパーマン」の影響を受けている事がわかります。アメリカの影響を受けながら、何やら不思議な奴が登場して来るのですが、アメリカのスーパーマンが空を飛ぶような超人的な能力を身につけている事に対して、月光仮面は超人でも何でもなくて、ごく普通の人がオートバイに乗っているという、今にしてみれば少しもたついたような話だったのですが、ある意味において不思議な違和感、つまり、オートバイに乗って現われる等身大の悪を懲らしめるヒーローだったのです。極端に特技を身につけているわけでもない人が少年の心を揺さぶったという事は、いかにも日本の戦後らしいのです。
 したがって、団塊世代の戦後の先頭を走ってきた人たちのある種の心象風景の中に、日本のテレビ文化の最初の時期を少年少女として過ごしてきた人たちの頭の中の残影として、赤胴鈴之助や月光仮面等が残っているわけです。
 ここからは少し真面目な話になりますが、先程申し上げたように赤胴鈴之助という存在自体が戦後の日本の陰の部分であり、お父さんのいない子供たちが健気に生きていき、しかも、真空斬りが人を殺めたりしないで空気を動かして人を失神させていくという技に象徴された平和主義のようなものを身につけていました。それはどこか爽やかで貧しい時代ではあったけれどもそのようなものをヒーローにしてきた少年時代を背負っていたのです。であるが故に、良いところばかりではなくて、若干綺麗事に走ると言いますか、自分たちが本当に泥まみれになって不条理のようなものを体験した事がない世代でもあるわけです。
これはどのような意味かと言うと、私が中東問題に巻き込まれ、イスラエル等を訪れた時期の事ですが、イスラエルが戦争になるかもしれない状況になった時に国外に退去してくれと言われて、その時に私と同じ世代の人間で日本からある情報活動のためにイスラエルに来ていた人が、国外に脱出せずにレバノン侵攻作戦で動くイスラエル軍の動きをフォローする等と言って国道1号線のところで物凄い爆音を立てて動く軍隊や砂煙を上げる戦車の動き等を見ているうちに、これは冗談ではなくて失禁し、気を失って放心状態になってしまいました。更には、精神的におかしくなってしまって日本に送り返された人に私は会った事があります。私は彼と話をして思った事は、「彼だけではない」という事です。戦後を生きてきた日本人には、銃口を突き付けられて「お前は自分の思想を変えろ」と言われたり、或いは、銃口を突き付けられた恐怖の中で生きた事がない。例えば、兵隊検査によって並ばされて全裸で張り倒されて、こんな不条理がこの世の中にあってよいのかというような軍隊生活を幸いな事に体験した事がないのです。圧倒的にぶちのめされるような不条理という状況になった事がない世代という事です。
心象風景の中に月光仮面と赤胴鈴之助という世界を背負ってきた世代、つまり、団塊の世代がいよいよ高齢化社会を支える中核世代になっていく時代が迫っています。昭和20年生まれがいよいよ来年に65歳になるわけです。戦後に生まれた人間が65歳に到達するという時に、65歳から60歳にかけての世代が、言わば団塊の世代だと言ってもよいと思いますが、これらの人たちが背負ってきた戦後なるものを試されると言ってもよいと言いますか、それが単なる綺麗事の世代で終わるのか、それとも、いよいよ責任を背負って戦後なるものに新しいけじめと方向づけを与えなければならないという事に向かっていくのか、いま凄く大事なところにきているのだと思いながら赤胴鈴之助を読んでいたのです。

木村>  言葉がうまくあたっているかわかりませんが、爽やかさと同時に持たなければならない苛酷なタフさというのでしょうか、問われると少し言葉がよどんでしまうという思いがあります。私も同じ団塊の世代を生きてきて、もう一度あらためて足元を考えてみるきっかけにしたいと思います。

寺島>  また、「鉄腕アトム」等についても議論をしてみたいと思います。

<後半>

木村>  後半はリスナーの方からのメールを元にお話を伺いたいと思います。福岡のラジオネーム「森林おじさん」さん、50歳台後半の方からです。
 「事業仕分けのニュースを観て感じた事ですが、今回の税金の使い方を考え直すというスタートは大事なことで、いずれは手掛けなければならない大手術の幕開けだと思います。問題なのは収入、歳入が少ないのに借金をしてまで使おうとするバブルな考え方ではないでしょうか。日本全体が財政的に破産状態にあるのに全く気にせず予算を要求する姿勢は納得いきません。やはり、歳入に見合った支出にまず戻し、借金を返せる強い体質をつくりあげる必要があるはずです。そこからが本当の日本再建のスタートではないでしょうか」というメールです。
 もう1通メールをご紹介します。東京のラジオネーム「カナリヤ」さん、社会人1年生の方からです。
 「このような番組が将来に役立つはずだと確信して勉強のつもりで聴いています。行政刷新会議の事業仕分けは来年度予算の概算要求から無駄遣いを洗い出すそうですね。そもそも概算要求でおよそ95兆円を計上した事自体、今年度の政府の予算をかなり上回っているのですが、何故なのでしょうか。一体、この国の財政は今後、持ち堪えられるのでしょうか。僕たちの世代にとっては今のような状況ですと将来が不安になります」。
 寺島さんは事業仕分けと日本の予算のあり方をどのようにお考えでしょうか。

寺島>  リスナーの方たちの問題意識の鋭さと的確さは本当にその通りです。何故このような事になってしまっているのかというと、要するに、いま行なおうとしている事の正しさと共に、しっかりと確認しなければならない事は、官僚が思いついたような事業にお金をつけて、どんどん肥大化してきたものを一旦、ここで精算しようという事で、前政権がコミットしたような話を全部テーブルに載せて、本当にそれらが必要なのかどうかを見直すという作業の重要性を我々はしっかりと理解しなければならないし、事実、そのような形によって無駄遣いがなされてきたという事も明らかになってきている部分もあるわけだからです。
 しかし、このような種類の予算の無駄を排除しようという事だけで政治のエネルギーが使われていくと、本当の意味においての未来志向の構想も削られていくという事になります。変な言い方になりますが、このようなやり方だけを行なうと後藤新平が出てこないと言いますか、政治がリーダーシップをとって体を張ってでもやらなければならない事があるはずなのです。それは、例えば、東京が関東大震災に襲われた後、後藤新平は昭和通りという幅の広い通りをつくったのです。その時にみんなは大反対をして、こんなものに金を使うのはとんでもないという話だったのですが、東京の将来を見据えたのであれば、これくらいの幅の広い道路を災害対策等のためにつくっておかなければばらなかったので、珍しいようなまともな道ができたわけです。
 無駄を排除しようとすると、日本がちまちまとした国となって、大きな構想に向かわなくなってしまいます。しかも、恐れるべきはポピュリズムというもので、要するに、みんなから拍手がおこるような政策にお金をつけていこうとする迎合主義です。これはどのような意味かと言うと、例えば、前政権が給付金によって1人、12,000円を配布していました。これは瞬間風速的には12,000円を貰わないよりは貰ったほうがよいだろうと拍手がおこります。子供手当についても生活が苦しい中で、子供手当の26,000円を貰えたのであれば、それは大変結構だという話になりがちです。しかし、家計にそのような形で税金によって集めた金を直接投入して景気に刺激を与えようとか、少子高齢化対策だという色々な名前の下に、そのような形によってお金を使っていく事でどんどん財政を肥大化させていったのであれば、先程のリスナーの方の質問にもあったように、バランスがとれなくなると言いますか、それはやったほうがよいのかもしれないけれども、どうしてもやらなければならない事なのかというものにどんどん拍手がおこるために金がついていってしまう結果を生みます。我々はどこかでけじめをつけなければならないのです。そして、ポピュリズムをしっかりと抑えきっていかなければならないと思います。誘惑は感ずるけれども、つまり、それは票に繋がるから、このような制度の下にはそちら側の方向に引っ張られる可能性があります。しかも、無駄を排除するという議論に何ひとつ反対する必要がないという事で与しがちなのです。しかし、その前提に大きな日本の未来を見据えた政治のリーダーシップと言いますか、未来に対する構想力をしっかりもっていないと本当にエネルギーが無駄遣いになっていく国になってしまうという事なのです。

木村>  私たちが何をしなければならないのかという事で、キチンとした議論ができるかどうか、これからの番組の中においても是非、寺島さんにそのような視点からもお話を伺っていきたいと思います。

(註1、原作者は森進一の歌唱で有名な「おふくろさん」の作詞者として知られる、川内康範)