第38回

<平成維新、外交と内政~日米同盟と東アジア共同体>

木村>  今月13日にアメリカのオバマ大統領が大統領に就任して初めて日本を訪れて、鳩山総理大臣と日米首脳会談に臨みました。注目されたテーマの日米同盟については「深化を目指して来年に向けて日米間で協議を始める事になった」と伝えられています。
 今朝のテーマは「平成維新、外交と内政~日米同盟と東アジア共同体」です。この平成維新は政権交代の事を意味するのだろうとイメージできますが、これはおそらくお話の最後にどのような意味があるのかという事が見えると思います。そこで、日米同盟と東アジア共同体なのですが、この東アジア共同体は鳩山首相が雑誌に論文をお書きになって、ニューヨークで中国の胡錦濤国家主席との首脳会談においても触れられました。このような事で一挙に議論が百花斉放と言いますか、様々に取りざたされています。
 しかし、考えてみると20年位の非常に長い間の議論が背景にあって、いま、日米同盟と共にこれが何故議論されるのかというところに我々は注目する必要があると思います。

寺島>  東アジア共同体がいま語られなければならない理由は、その前提として日米同盟をどのようにしていくのかという事が絡みついてくるからです。その辺りからお話をしていきたいと思います。
 9月に鳩山さんが首相に就任して初めてオバマさんと会った時に、「未来志向の日米関係」という言葉を使って、「方向性としては未来志向で行きましょう」という事だけが議論になりました。今回は2回目の面談で、未来志向の中身に半歩前進して新しい姿が見えてきました。
 私が大事だと思った事は普天間基地をどのようにするのかというプロジェクト・チームの話は別として、今後1年間かけて日米同盟の中身をじっくりと協議するという事がテーブルの上に載ってきた事です。それは何故かと言うと、21世紀の日米関係というものを問題提起すると、「何か日米間にきしみが起こっているのではないのか?」、「懸案事項でもあるのではないのか?」という形で、今まで通りの日米関係であればよいという人たちから強烈な疑問視と反発を受ける構図になっているからなのです。
冷戦が終わったと言われてから今年で20年になり、再三この番組でも申し上げてきたようにベルリンの壁が崩れてちょうど20年になるわけです。そして、日米安保改定と言って日本が戦後の政治の季節で一番荒れ狂っていた1960年安保の時から来年でいよいよ50年となります。しかも、冷戦が終わってから1990年代に、世界史的には冷戦型のシステムについて大きな見直しが行なわれました。特に、欧州においてドイツやイタリアに駐留している米軍基地のステイタスや基地施設が存在している目的等を真剣に検討をして、基地を縮小していこうとか、ドイツとイタリアが地位協定上のステイタスの主権を取り戻していこうという流れが起こりました。
しかし、日本はとても不思議な事に、1993年に宮澤内閣が倒れて自民党単独政権が終わって社会党と自民党の連立さえも含めて、短命政権が物凄い勢いで変わるというように、政治が物凄く不安定な1990年代を過ごしました。本当ならば腰を据えて冷戦が終わった後の日米関係を考えなければならかったのです。何故ならば日米安保条約は冷戦の時代を前提として成り立っていた条約であり、ソ連を中心とする東側に対して西側としてどのように力を合わせて安全保障を確保するのかという事で「核の傘論」も含めて、まさに冷戦型の構造だったわけです。しかし、冷戦が終わってからも見直さないままに、敢えて言うならば小手先の見直しですませてきました。1990年代にガイドラインの見直しを行いましたが、この時に日本が非常に大きく踏み込んだ事は、日米安保極東条項を緩めて、条約の適用範囲をアジア・太平洋地域に拡大した事です。つまり、極東という地域だけの安全保障の事が対象だったのにもかかわらず、事態の性格で危機を認定するという事になったために、極端に言うのであれば、中東で何か事が起ころうが、中央アジアで事が起ころうが、米軍がそれに対して対応して動く事を日本にとっても共通の利害に関わるという形で無制限に極東という縛りが拡大していってしまう方向に日米安保の体制を見直したという事がガイドライン見直しだったと思います。(註.1)

寺島>  そして、21世紀に入って9・11が起こりました。アメリカは衝撃を受けて、アフガニスタン、イラクへと進軍していきました。我々の認識として、アメリカはテロとの戦いにまなじりを決して向き合わなければならないのですが、アメリカにとって物凄く利害のあるテロとの戦いで「不安定の孤」という言葉が出てきて、イスラム原理主義が力をつけてきている不安定の孤、つまり、中東から中央アジアまでのびる孤のような地域に対して、米軍を再編してしてでも立ち向かわなければならない動きが起こって、2003年11月に米軍再編というテーマが現実化してきて、それに呼応する形で日本も米軍再編と並走するように走ってきました。
 しかし、冷静になれば分かることなのですが、テロとの戦い、9・11後の言わば、脳震盪状態で思考停止になってアメリカについて行くしか仕方がないだろうと言っていた時とは違って、中央アジアで事が起こった時に、~我々は昨年、グルジアにおいての紛争を目撃しましたが~、日本がどこまで日本の国益としてそれを受けとめるべきなのかという事についてキチンとした方針を定めなければならないのです。つまり、日本がアメリカの戦争にすべてついていける程の覚悟と体制があるのかと言うと、そのような事は全くないわけですから……。むしろ、日本の国益をもう一度しっかりと見直してアメリカと連携して動くべき事とそうではない事をキチンと決めておかなければ、無制限にアメリカと行動を共にする事になってしまいます。
 イラク戦争の最大の教訓は、同盟国であり友人であるアメリカでも間違える事があるという事です。アメリカは間違ったという事を前提にしてイラク戦争に反対したオバマさんまで大統領にして、チェンジを図ったわけです。これはアメリカ国民の選択としてイラク戦争は間違った展開であったというところから成り立っています。しかし、不思議なことに日本はイラク戦争を支持して、イラク戦争と並走した選択をとったにもかかわらず、「アメリカの無謬性」という言い方がありますが、アメリカは決して間違いをおかさないという事について根底から考え直すことをしませんでした。しかし、日本はアメリカとどのような適切な位置関係をとっていけばよいのかという事を考えないままに、日米同盟という名前の下に限りなくアメリカについていく事、そして、日米安保の枠組みを守っていく事がこの国の安全と安定のためには大切なのだという固定観念の中に今でも嵌り込んでいると言っても誇張ではありません。そこで、これは本当に誤解をなきように何回も繰り返し申し上げておかなければならないのは、反米や反安保、反基地等という昔の革新勢力の人たちが言っていたような三題噺を繰り返しているわけではなくて、未来志向の視点においてアメリカとの関係を今後も大事にしていきたいと思っている人たちこそ、今までのようにアメリカに対して過剰に期待をしたり、過剰に依存したりしているような日本でよいのだろうかという問題意識を強く持つ必要があるのです。
そのような視点から日本における米軍基地をしっかりと見直してみると、これは反基地というところに議論が飛ばないまでも、冷静に考えると、現在、東京23区の1.6倍の面積に相当する米軍基地が日本にあります。その基地を維持するためのコストの7割を日本側が負担しています。米国側の資料をじっと見ているとアメリカが海外に持っている大規模海外基地のトップ10ランキングを見てみるとトップ5の内の4つが日本にあるのです。北から申し上げると、三沢、横田、横須賀、沖縄の嘉手納です。そのような視点で考えると、「何故、日本にアメリカの超大型海外基地がトップ5の内の4つも入っているのか?」、「そのコストの7割を日本側が何故負担しているのだろうか?」という素朴な疑問がわくはずなのです。
これは、敢えて踏み込んで言うと、日本が7割も駐留コストの負担をしているために、アメリカ軍にしてみれば最も有利な海外基地という事だからです。色々な理由をつけてみても、日本、とりわけ沖縄に米軍基地を配置している事がアジアの不安定から日本を守るためには大切なのだという説明が返ってきます。それは、半分くらいは重要なポイントでもあるのですが、日本人としてそろそろ考え直さなければならない事は、「本当にそうなのか?」という問い直しです。これは冷静に時間をかけて一つ一つ基地の使用目的を点検して、日本側の主張を明確にし、段階的に基地を縮小して地位協定上の日本の主権をしっかりと確立していく方向に向かわなかったのならば、アメリカとの関係においてだけではなくて、日本と世界との位置関係おいて日本が大人の国だというように認識されると思わないほうがよいと言えます。敗戦後のある限られた期間に外国の基地が存在しているという事は占領軍という形で大いにあり得る事ですが、敗戦後65年経っても、更には、この先100年先まで米軍基地がいまのまま在ってくれてもちっとも構いませんという程の感覚になってしまっている国民が国際社会の中でしっかりとした自覚をもった国民であり、民族だというように見られるのかという事については甚だ疑問を持たざるを得ないわけです。とにかく、まず日本は戦後65年というけじめに向けて、更には日米安保50年というけじめに向けて、アメリカとの関係を大事にしながらも、経済におけるアメリカとの関係により踏み込むためにFTA(註.2)を同時に持ち出し、日米の産業協力の仕組みも勿論前向きに進めるために提案するのです。その一方では、基地安全保障の問題についてはしっかりとした自覚を持って向き合うべき局面にきているわけです。そこで、東アジア共同体の話と繋がります。
それは何故かと言うと、日本がどんなに時間をかけても自律という志向を強めていくという事をこちらサイドで考えるのであれば、もう一方のサイドに近隣のアジアとの信頼関係の問題が横たわっているのです。前回の放送でもその話に触れましたが、韓国の責任ある立場の人が私のオフィスに来て議論をしていったのですが、ここの部分について深くうなずく事は日本は東南アジアとの関係においては戦後、一定の信頼関係を確立していく上でうまくやってきた部分があるけれども、肝心要の中国と韓国との近隣の関係において、本当の意味の信頼関係を確立しているのかと言うと、そういうわけでもなくて未だに潜在的な意識の中における相互不信がくすぶっているという現実があります。
中国は米軍が日本に駐留していて東京のすぐ近くに米国の陸軍第一本部の指令部があるという構図こそ、不思議に思わなければならないのですが、それは中国側にかつての日本軍国主義の復活を押さえる瓶の蓋として機能しているのだという認識があるので、日本が自律志向を強めるとすると、それは中国にとって不安であると言いますか、むしろアメリカが日本に今まで通りに駐留してくれるほうが中国にとっても、日本にとっても利益になると考えている人たちもかなりいます。
韓国も日本という国の歴史問題を引きずり、日本に対して潜在的なある種の不信感を持っています。一方、日本側にも中国が軍事的に力を強めてくる事に不安を抱いている人たちは沢山いますし、経済的に力をつけてきている事に対する不安感を抱いている人たちも沢山います。問題はそれを否定したり、腹を立てたりするのではなくて、相互不信を率直に認め合って、相互不信を解消していく方向として東アジア共同体という事を言い続けなければならないのです。

木村>  そこで、それをどのように目指していくのかという事については後半にお伺いします。

<後半>

木村>  寺島さんの立場からおっしゃった、日米同盟を見直していく一方で東アジア、近隣諸国との信頼関係が欠かせない。そこで東アジア共同体に繋がって、その思想はどのようなものかという事にお話が広がりました。

寺島>  それは段階的接近という事を強く言わざるを得ないと思います。それは何かと言うと、ある日突然、合意が形成されてアジアにEUのような共同体の仕組みができるのではないかと期待をしている人たちがいたとしたら、それは相当的外れな人です。現実にこれだけの相互不信があるのですから、そのような表現にはリアリティーがありません。EUが今日まで歩んできたプロセスをよく考えてみると、そもそもEUはドイツとフランスの相互不信からスタートしているのです。フランスにしてみれば、20世紀に2回も血で血を洗う戦いを行なったドイツが常に北側に存在しています。この国が戦後に経済力をつけ、力をつけてきている事に対して、この国の脅威を削ぎ落さなければならないという発想から、ドイツを欧州という共通の家の中に収め込む事によって制御する事がEUの根源的なところに隠された思想なのです。ドイツも東側に力をつけて東欧圏に影響力を拡大していこうとすると、ドイツに対する根強い不信感は物凄いもので、ドイツによる被害、つまりナチス・ドイツによる膨大な被害を受けたポーランド等の地域があります。このような事になってくると、自ら欧州という共通の箱に収まる事によって、そのような脅威、不安等を削ぎ落としていかなければならないというドイツの意図も思惑同士がうまく噛み合って、そもそも石炭と鉄鋼の共同体構想から今日のEUにステップ・バイ・ステップで段階的に進んできています。
それと同じように、東アジアで共通の利益になる事を積み上げていこうという発想が必要です。教育の世界で言うと例えば、欧州がエラスムス構想(註.3)を進めているという事があります。これは単位の相互認定、例えば、日本に留学して取った単位も母国で認めるというもので、日本人が中国や韓国に短期留学をして取得した単位も日本の大学として認定するというような事が進んでくると、ますます人の交流、つまり、大学生の交換も非常に促進されるわけです。更に、これは既に動いてきている話ですが、東アジアでASEAN+3という形で進めてきた宮澤イニシアティブや、チェンマイ・イニシアティブと言われている通貨交換協定、つまり、アジアに通貨危機を起こさないために通貨を交換して、危機が起こった時にプールしておいて対応していくという構想が段々と充実してきています。このように金融における連携に加えて、今後物凄く大事になってくるのは、環境やエネルギーの分野における連携です。例えば、欧州においてはユーラトム(Euratom=欧州原子力共同体)という原子力の交流機構があります。今後、北朝鮮の核問題を制御していくためには東アジアで原子力の平和利用技術の交流のベースをつくって、お互いの意思疎通を行なって東アジアを核への誘惑から断って、平和利用についてはお互いに技術を交換して支え合うという仕組みができてくるならば大変に意味のある事になります。
このように、お互いのメリットになるようなプロジェクトなり構想なりを実現していき、段々と力を合わせればプラスになる事が起こるのだという事を積み上げていき、その向こう岸により踏み込んだ制度をつくったり、組織をつくったりという形になってくるのであればしめたもので、それが東アジア共同体という形をとってEUのようになっていく時代になると大変な前進になります。更に、それが通貨同盟のような事に繋がっていくかもしれません。
したがって、東アジア共同体というキーワードの下に、具体的にプラスになる構想を実現していく事が大事なのです。来年はいよいよAPECの総会が日本で行なわれますが、これから1年間をかけて日米同盟の見直しについての協議、そして、東アジア共同体に肉づけをしていくような構想の展開が車の両輪のように噛み合ってくるのならば、この話は必ずしも絵空事にはならないのです。私が「平成維新」と申し上げた意味は、これは鳩山さんが使った言葉ですが「明治維新のように日本を思い切り変えていく」という構想の一つの柱として、維新という名に相応しい大きなパラダイム転換をもたらす可能性があるのではないのかと思います。

木村>  我々の歴史認識として、それだけ大きな転換点に立っているのだと。つまり、ものの考え方、見方もそれだけ大きく新しくしなければならないという事が、しっかりした基盤となって、そこになければならないという事ですね。

(註1、1996年4月に行なわれた日米首脳会議で「日米安全保障共同宣言=21世紀目指す同盟」が発表された。その中で「協力指針=ガイドラインの改正、見直しを行ない、日本の周辺地域における有事に備える日米の協力関係を構築する」という内容が盛り込まれた)
(註2、Free Trade Agreement =自由貿易協定)
(註3、EU加盟国間の人物交流協力計画の一つ。国境を越えて教育範囲の連携と学生、或いは、学者の交流を促進するもの。異文化交流も促進するとしている)