第36回目

<政権交代の夏を振り返って>

木村> 前回は「ハンガリーという国に思う」という事で、原爆=核との関わりで私たちがハンガリーという国について随分考えさせられるお話を伺いました。
 今回は「政権交代の夏を振り返って~自民党は何故大敗したのか? 世界潮流の中での日本の選択~」というテーマです。政権交代があり、先月からリスナーの皆さんから沢山メールが届いています。
自民党大敗については様々な角度から、例えば、政治学者、エコノミスト、時には文化人と言われる人たちから分析はされていますが、この本質を今朝のテーマでもある「世界潮流の中で」という時に、なかなか分析しにくくて、完全には腑分けされていないという事を感じます。そこで、私は寺島さんにお話を伺うために一つの新聞を持って参りました。これは8月30日付けの朝刊で、投票日の当日です。全面広告で自民党と民主党の広告を出しました。自民党の広告では「日本を壊すな。日本を守る責任力、自民党」となっています。民主党は当然、「今日、政権交代」です。私は「日本を壊すな」という表記を見て、「しかし、ちょっと待って欲しい」と思いました。つまり、投票日の朝に私たちは「日本は既に色々なところで壊れてきているのではないか」と考えているわけです。そして、大きく問題意識がずれているというところで投票日を迎えたのです。

寺島>  私はハンガリーのブダペストにいたために、この新聞の記事を当日には読んでいませんでしたが、私もあらためて「何故、自民党は敗れたのか」という事について考えました。
私は大学、大学院に籍をおいていたときに政治社会学の勉強のために新聞社のアルバイトをやっていて、世論調査の動向分析や選挙分析等によって大げさに言うと飯を食っていた時代もありました。
あらためて今回の選挙をみてみる際、都市部のサラリーマン層、つまり、都市に住んでいる中間層がどのような意図で、どのような選択をしたのかについて前半で確認したいと思います。
前回の小泉選挙の時に、驚くほど都市部のサラリーマン層が小泉改革を支持し、自民党大勝をもたらしました。あの時に、東京、神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪、兵庫、という日本の三大都市圏の小選挙区で、自民党が89議席の差をつけて民主党に勝ちました。そして、今回の選挙は、同じところで民主党が92議席の差をつけて勝って、反転しました。
全体の選挙結果をみてみると、全国の比例区においての得票数は4年前の前回民主党がとった得票数が2,104万票で、今回は2,984万票なので民衆党は880万票増やした事になります。一方、自民党は全国の比例区において1,881万票で前回は2,589万票をとったので708万票を減らした事になります。この数字をみると極端に差がついたという事がわかりますが、別の言い方をすると、前回負けた時でさえも民主党は2,100万票をとっていたわけです。今回も自民党が大敗したと言っても1,881万票をとっているので、1,900万票くらいはとったという事が言えます。
つまり、どちらの党も大敗した時でも約2,000万票近くのベースとなる支持者と言いますか、どのような風が吹こうが、自民党に投票する人たちが約2,000万人いて、どのような風が吹こうが、リベラルというイメージの民主党に投票する人たちも約2,000万人いるという事です。そのような意味合いにおいては意外にベースのところは変わっていないとも言えるのです。問題はその700万~800万票のスウィング・ボーター=その時によって揺れる投票者がいるというところにあります。
これは小選挙区制の魔術になるのですが、前回、自民党に800万票入れた人たちの層が民主党へと大きく揺れた事によってどの選挙区でも民主党が勝ち、どの選挙区でも自民党が敗れるという事に一気になりました。その800万票の人たちが、何故そのような選択をしたのかという時に、選挙制度を考える必要があります。小選挙区制のもとでは基本的には競い合っている二つの党のどちらかという究極の選択というものになるわけです。前回の時は民主党と自民党との戦いというよりも、自民党の中の郵政改革反対派の人たちがドロップアウトして、その人たちに刺客と呼ばれた人たちを向けた刺客対守旧派の戦いというイメージの選挙だったのです。
そのようなところにメディアの照準が当たって、国民側もその話が非常にエキサイティングなために、そのような選択肢の中で究極の選択が行なわれました。あの時の自民党のキャッチコピーは「改革を止めるな」というもので、小泉さんの顔と当時の綿貫さんや亀井さん等の顔でどっちもどっちという選択を迫られた国民は、「改革」というイメージに近い小泉さんを究極の選択として選んでいったという流れの中で、「自民党大勝」が出来あがりました。
 今回は「官僚主導からの脱却」や、「中央集権からの脱却」という論点からみると、自民党に守旧派のイメージがこびり付いていて、民主党には改革のイメージが重くのしかかかっていました。そのような中で究極の選択となった時に、スウィング・ボーターの800万票が民主党側に動いた事によってこのような結果になるという事を我々は見せつけられました。
何故、スウィング・ボーターが動いたのかと言うと、私は都市中間層の生活がこの4年間の間に物凄く劣化したところにあると思います。昨年の雇用統計を見ると、日本にいるサラリーマン5,539万人の内、非正規雇用者が1,760万人います。実にサラリーマン層の3分の1、32%が非正規雇用者になっています。しかも、その内、年収が200万円以下の、世の中で言うワーキング・プアと呼ばれる人たちが1,305万人います。つまり、非正規雇用者の74%が200万円以下の収入で働いているのです。しかも、正規雇用者でごく普通の都市のサラリーマン層世帯の家計分析の数字を見ると、驚く事があります。「勤労者家計可処分所得」というものがあって、これはごく普通のサラリーマンが生活していて実際に使う事が出来るお金で、税金や公的負担等で差し引いた後の手元に実際に残るお金の事です。2000年の可処分所得の統計は月額47万3,000円でした。それが、2008年には44万3,000円に落ちました。今年の上半期、つまり、選挙の直前は40万3,000円にまで落ちて、2000年の時と比べると使えるお金が約7万円減ったという事になります。これが何を意味しているのかと言うと、雇用環境が物凄く劣化して、特に昨年のリーマンショック以降、会社の経営も厳しくなってサラリーマンが手元にするお金も非常に余裕がなくなっているという事です。そこに更に年金等の神経を逆なでするような問題が目白押しに起こりました。そのような苛立ちの中で、不満のマグマのようなものがどんどん溜まっていき、今回、まさに都市サラリーマン層の不満が臨界点に達したという中での選択となったのだと思います。
いままで、自民党をはじめとする日本の保守がある面ではしぶとくて、保守が追い詰められてきた事は戦後に何度もありました。
私はかつて、「保守バネの構造」という論文を中央公論で書いた事がありますが、保守の陣営の中でも比較的に開明派や改革派等という人たちは別動体として切り離すのです。例えば、新自由クラブができて、そこに保守に不満を持った人たちの票をぐっと集めて吸収して、やがて新自由クラブがまた自民党に戻るというプロセスによって保守のバネを働かせるというものです。
細川内閣の存在もある面では保守バネの発動だったと言えるのです。自民党の中にいた人たちが別動体をつくって、それが合従連衡の中で保守陣営=与党の中にやがて回帰して流れ込んでいくという手法です。今回もある面では新手の保守バネの動きがなくはなかったのです。例えば、渡辺喜美さんが中心となっている、みんなの党の動きや改革派知事という人たち等が新たな不満を吸収して、やがてそれが保守に回帰して支えていくというパターンで政治が動くのではないかとみた人たちも大分いたと思います。しかし、今回は保守バネが機能しなかった。都市中間層の問題意識が「政権を変えなければならない」と大きく変わったのです。更に、もう一つ指摘しなければならない事があります。自民党をはじめとする日本の保守層に「自分の足をピストルで打つ」という言い方がありますが、それは何かと言うと、1993年に宮澤内閣が自民党単独の最後の内閣として倒れた後に、細川内閣ができて以降、政権を取り戻す事と政権を守る事が自民党の究極のテーマになっていきました。そのような中で、自民党を長く支えてくれた層、つまり、安定的な固定客を大切にしてこの党を守り、育てていくという方法から、都市中間層を取り込まなければならないという戦いを意識するがあまりに、人気が湧く人、スウィング・ボーターの支持が取り込める人を顔に立てなければならないという思いにかられ始めたというわけです。そこで登場した究極のパターンが小泉純一郎なるリーダーでした。自民党を長く支えてきていた農業層や郵便局や医師会等の人たちの固定客をむしろ切り捨てて、一見の客に小泉劇場という形で面白おかしい劇場政治を展開する事によって関心を引きつけて勝負に出ました。かつてより私は「自民党金平糖論」という言い方をしてきました。お菓子の金平糖は角が沢山出っ張っています。自民党という党は色んな個性を持つ人が、沢山出っ張っているので、実際の真ん中の丸い中身よりも、より大きく見えたのです。自民党にも「ああ、このような人がいるのだ」というように個性的なタイプの人たちがいました。ところが、例えば田中真紀子さんに象徴されるような人や、自民党の中で突出している人たちのような金平糖の角を全部ポキンポキンと折っていき、瞬間風速で支持を取り込んで乗り切っていこうとしたのです。足元をみたら地方の自民党の後援会組織を支えてくれた層は摩耗し、自民党に大きな、ある種のユニークな個性をもたらしていた金平糖の出っ張っていた人たちはいなくなり、気がついてみると「そして誰もいなくなった」という状態になりました。実際に今回の選挙で思い知った事は、地方の自民党の組織の足腰の弱さです。更には、やがて自民党の看板になっていくだろうという個性的なリーダーの欠如です。幕を下ろす瞬間になってみると役者も観客もいない劇場になっていたという事だと思います。

木村>  前半は寺島さんに今回の選挙で「自民党大敗に何を見るのか」についてのお話を伺いました。後半は「世界潮流の中で」という部分のお話をお伺いしたいと思います。

<世界潮流の中での日本の選択>

<後半>

木村>  前半の寺島さんのお話によって、「自民党が何故大敗したのか」という事についてとても腑分けされていて私たちが何を見るべきなのかという事がよくわかりました。世界潮流の中でこの事をどのように位置づけをして捉えておくべきなのかという事ですね。

寺島>  1993年に宮澤内閣が倒れてから、日本は合従連衡の嵐の中で短命政権がどんどん交替する時を過ごしました。しかし、世界はまさにその時期こそ冷戦が終わって、新しい冷戦後の世界に向かって大きく舵を切り始めていました。本当ならば日本も冷戦後の日米関係をどのようにすべきか、冷戦後の世界潮流の中で日本はどのような役割を果たすべきなのかという事について真剣に対応をすべきであったのです。
 1994年からアメリカが日本に対して年次改革要望書を出し始めました。これは冷戦後に一極支配の主役となったアメリカが、アメリカ流の新自由主義と言われた経済の構造の方へ世界を引っ張っていこうと意図し、日本も改革が遅れているぞという事で毎年毎年、日本のこのようなところを改革して下さいという要望書を出したのです。

木村>  ワシントン・コンセンサスという言葉で呼ばれていますね。

寺島>  そこから日本は金融ビッグバン等を行い、安全保障の分野においてもアメリカとのガイドラインの見直しをしました。例えば、欧州でドイツが冷戦後のアメリカとの関係を総括的に見直していった動向とは全くコントラストで、一極支配の中心に立っているアメリカの要望に合わせていく事によって日本を変えていくという流れをつくっていった時代が1990年代から21世紀にかけてだったのです。
 このような状況の中で、21世紀を迎えた瞬間に9・11という衝撃的な事件が起こり、日本にはアメリカについて行くしか選択肢がないという認識の中でブッシュと並走する小泉政権と言いますか、日本という姿で今日に至る流れをつくってしまったのです。
 ブッシュが掲げた力の論理によってアフガン、イラクをねじ伏せて、アメリカの理想を実現しようとしたものの、挫折していくプロセスがどんどん見え始めていたにもかかわらず、更には、新自由主義の行き詰まりによってサブプライム問題や金融資本主義の歪み等が見えてきたにもかかわらず、それらを根底から問い返して世界潮流の中で日本の新しい役割を構築していこうとする思想的なベースキャンプをつくる努力を一切しないままにアメリカと並走する形で走ったのです。そして、気がついてみると期待のパートナーであったアメリカ自身が躓いてしまいました。アメリカ自身もそのような中から蘇らなければならないという事から、イラク戦争に反対し、金融資本主義の歪みに対して厳しい目線を持っているオバマという人物さえ大統領に就任させ、必死になってゲームを転換しようとしているわけです。
 世界が冷戦の時代には55年体制という社会主義対資本主義、社会党対自民党の戦いが行なわれたように、世界の構造転換に合わせて日本も政治の大きな転換を余儀なくされるという事は世界潮流の中で見てみると必然で、日本人もさすがに「これではまずいだろう」という事で、日本のいままでの在り方、特に冷戦後の20年間の日本の選択に対してこのままではいけないという焦燥感が生まれてきたと言ってよいと思います。一方では「このままでよいではないか。日本を壊すな」というメッセージが、ある人たちには訴えかけるのかもしれませんが、いかに虚ろかという事なのです。

木村>  冷戦後、或いは、戦後の日本の転換期として捉えるとどのような歴史的な文脈の中で見るべきなのかという事が寺島さんのお話によって伝わってきます。そうすると、それだけにこれからどのようにデザインをしていくのかという事がとても重い命題になりますね。

寺島>  特に、資本主義が抱えた貧困や格差等の問題にどのような解答を与えていこうとしているのかという事さえ、まだ見えていません。したがって、「選択はしたけれども」という事なのです。つまり、これから本当に責任のあるシナリオがどのような形で誰によってもたらす事ができるのかという事を我々はしっかりと見据える必要があり、我々自身もそのシナリオを創り出していく側に立っていかなければならないと思います。

木村>  今回の選択をした有権者にこの命題が突きつけられているという認識が非常に大事ですね。