第32回目

木村>  今月は「月刊寺島実郎の世界特集」として先月22日に東京で開かれた第8回日総研フォーラム「世界をみる眼~21世紀初頭を超えて~」の模様を先週まで3週にわたってお送りしましたが、その様子についてリスナーの方からメールを頂きました。東京でお聴きのラジオネーム「とっちゃん」からです。
 「先日の放送で第8回日総研フォーラムの模様を聴きました。各先生方のお話を大変興味深く聴く事が出来ました。放送を聴いて多くの事を考えさせられました。次回の第9回のフォーラムには是非参加させて頂いて現場で生の話を聴きたく思います」というメールを頂きました。

寺島>  ありがたいですね。日本総合研究所のフォーラムは今回で8回目だったのですが、毎回、いま発言している人の中で「これは」という人をお呼びして議論をする事を積み上げてきています。この番組のリスナーの方にも次回、次次回と機会があれば是非参加をして頂けるようにしたいと思います。

木村>  ラジオ、そしてWebで聴く事も出来ますが現場で聴くと表情や話のやりとりの間合い等にも深いメッセージがあると思いますので是非生で聴いて頂きたいと思います。
 さて、今朝のテーマは「地域活性化と地方分権」です。近日中に、選挙という事もあって、地方分権がテーマとして取り沙汰されています。言葉では「地方分権」が随分語られますが、一体何を地方分権として考えるべきなのかという事も含めてあまり深まっていないような気がします。

<地方分権を考える>

寺島>  いま選挙に入っていて地方分権が一つの大きなテーマだと言われています。知事の中でも大変に目立った人たちが国から地方に財源と権限をよこせと主張していて、「全国知事会」が非常に目立っています。
いま霞が関批判が一方にあるので、なにやら国の権限を地方に移して行く事が日本を良くする事なのだという考え方がフワッとした形で、流行り言葉のようになっていると思います。
しかし、我々はここでじっくりと国と地方の在り方が一体どういうものであるべきなのか考える必要があります。
いま各政党も知事会等からの突き上げをくらって「国と地方の協議会をつくって、対等な関係で議論をする事が大事である」と言わば知事会に押されるような形でそのような流れが出来て来ているわけです。しかし、いま本当に考えなければならない事は日本という国の在り方としてどのような中央の政府と地方の政府の在り方が正しいのかという事なのです。
私は日本という国は本当に強い国家としてのガバナンス=統治能力をしっかりと持ったキリッとした力のある政府と、活力のある地方が車の両輪のようになっていなければならないと思うのです。例えば、中央が弱くなって地方に全部権限や財源等が移ると日本は良くなるのかと言うと、そんな単純ものではなくて、世界の大きな怒涛のような流れの中で国家としての日本もキリッとしっかりしていなければならないし、地方も活力がなければならないのです。
 そのような中で、振り返れば、戦後の日本における中央と地方の在り方が一体どのようなものだったのかという事を語って行きたいと思います。
この番組で何度も議論して来たように戦後の日本は経済力で敗戦したと総括しましたから、とにかく経済復興だ、成長だという事を図るために「東京に一極集中」という言葉が使われるくらい都市圏に人をどんどん引きつけて高度成長の時代を走ったわけです。その時の日本における中央と地方の分配構造はどのようなものだったかと言うと、産業も人口も東京に集積させて行き、どんどん成長を実現化し、その成長によって得た成果=果実を地方に、例えば、大型公共投資のような形で分配するのです。しかも、選挙制度の仕組みがそのようになっていた事もありますが、政治のメカニズムが皮肉な事にまさに一票の重みが都会における一票よりも地方における一票の方が重く、地方に多くの代議者=政治家がいたために、中央から地方に果実を引っ張って来る事が政治家の実力のようなものとして語られて、公共投資を出来るだけ地方に引っ張る政治家が力のある政治家であると評価された時代がついこの間まであったわけです。
そのような中で、1980年代末に竹下政権がふるさと創生型事業という全国の3千を超す自治体に1億円ずつ金をばらまいて、その1億円を好き勝手に使ってよいという大盤振る舞いをやりました。それは戦後型分配の究極の様相と言えます。
 その後、1990年代にバブルが弾けて以降、日本経済がずっと右肩上がりではなくなって来るにつれて、都会に吸い寄せられて来たサラリーマンの心理も大きく変わり始めたのです。しかも、世代が変わって田舎に分配が回ることに関して必ずしも共感しなくなってきました。それは何故かと言うと、サラリーマン第2世代、第3世代、つまり、故郷を捨てて東京に来て活躍している人たちの息子、孫という人たちが東京に定着して生活をしている時代になってしまったわけです。そのような人たちからすると、日本における田舎はディスカバー・ジャパンの観光地であり、自分のお爺さん、お婆さんや両親が住んでいるような場所でも何でもなくなってきて距離感がどんどん遠のいてきているのです。
 そして、公共投資を地方にばらまいたり、地方を活性化するという美名の下に分配するのは不公平な事だという感覚を都会のサラリーマンが持ち始めたのです。さらに小泉政権時代の言わば競争主義、市場主義によって、「市場に任せろ」という流れが起こっていく中で、ますます地方に分配する余裕がなくなり、地方に分配する事に対する理解者、共鳴する人たちが急速に細っていった事が背景にあると思います。
このような中で地方に公共投資等を分配する事はとんでもない話だというような事になり、話がひっくり返って、「三位一体の改革」という言葉の下に地方分権が進められました。結末としては、三位一体と称して国から地方に与える補助金を削減して、一部税源は移譲するけれども、実際に地方の行政を司っている機関は物凄く財源難に陥っていって急速に地方が追い詰められていったという構図があり、ここに地方がうめき声を激しく上げ始めた背景にあるのです。

木村>  地方の疲弊も語られます。そして、「シャッター通り商店街」と呼ばれるものも地方で問題となっています。

寺島>  公共投資に対して中央に住んでいる、つまり、大都会に住んでいる人たちが地方に金を回す事に共鳴しなくなり、むしろ公共投資等を地方に持って行く利権の構造に対する激しい反発を覚えるようになった事が背景にあって、ますます地方が疲弊して行くところに追い込まれていきました。そこで地方分権などというものが急速に危機感を持って語られるようになってきたわけです。最近の地方分権論の流れにはこのような背景がある事を知っておかなければならないと思います。
 そして、ここで少しお話ししておかなければならない事は、であるが故に地方分権が基本的にどのような方向に進むべきなのかと言う時のキーワードとして登場する「道州制」についてです。

木村>  大きな括りの地方自治体というものに変えて行こうという見方ですね。

<地方分権と道州制>

寺島>  我々は現実問題として日本の地方が平成の大合併で物凄い勢いで変わっている事に気がつかなくてはなりません。自治体の数が大幅に減り、かつて3,232もあった市町村の数が2006年3月迄に1,820になって、来年の3月迄には1,760になると言われています。いわゆる基礎的自治体と言うものです。つまり、市町村合併を繰り返す中で、最小単位の行政主体の数が少なくなってきているわけです。
付け加えて申し上げておくと、3段階にわたって日本は大合併を繰り返しています。明治の大合併の時には、基礎的自治体が7万1千あって、それを1888年=明治21年には1万6千にまで減らしました。昭和の大合併は1953年から8年間にわたって繰り広げられたのですが、1万6千を3,470にまで減らしました。我々が生きている時代は3千何百あったものを1,760にまで少なくしていくという事で基礎的自治体の面積が広がって来ているという事を頭に入れなければなりません。
一方、政令指定都市がどんどん増えてきています。いまは人口50万でも政令指定都市になる事が出来て、現在は全国で18あります。権限を大きく移譲する仕組みである政令指定都市がどんどん増えてきていて、一番大きな典型的な例は、福岡県ですが、北九州市と福岡市の2つの政令指定都市を県下に抱えていて、そこに大きな権限が移譲される仕組みになっているので県というものがどんどん空洞化してくるという状況になっています。最小単位の基礎的自治体の数は少なくなって広がり、政令指定都市はどんどん数を膨らまして行くのです。
そして、いよいよ極端な例が起ころうとしているのが神奈川県です。もし、来年、相模原市が政令指定都市になると、県下に横浜、川崎、相模原の3つの政令指定都市を持つ事になるのです。そうすると、神奈川県という仕組みの中で、この3つの大きな基幹になるような都市を除いた他のところの地域の面倒をみるのが県という事になり、県の空洞化がどんどん進んでしまうのです。
冒頭申し上げたように、いま地方分権と言うと、知事が目立っているために全国知事会に権限を移譲する事が地方分権であると誤解しがちなのですが、基礎的自治体や政令指定都市に権限をキチッと移譲行く事が本当の地方分権なのです。大げさに言うと全国知事会をなくすと言いますか道州という大きなブロックで括って行くとう事でもしなと何層にもわたって屋上屋を架して、その度に税金を支払わなければならず、代議者、つまり、県会議員や市会議員等の人たちを多く抱えていかなければならないという仕組みになってしまうのです。
現実問題としてこれだけ基礎的自治体が大きくなっているために全国で何万という数の都道府県の議会の議員だった人たちの数が減っています。この事が不便をもたらしている部分もあって批判が出ているのですが、代議制のコストを少なくする意味においては大変に重要なポイントで代議者の数を少なくしていく流れをつくっているという事にも我々は気がつかなくてはならないのです。

木村>  そこで、国の形としてどのように考えるのかという事を後半で伺おうと思います。

<後半>

木村>  地方自治体の数の変化という事から道州制というものが関わって、その中にこの変化を背景にどのように考えて行くのかという重要な論点が出て来ています。
 そこで、これからの日本の行方と道州制、或いは、地方分権というものをどのように位置づけていくのかという事ですね。

寺島>  驚くべき事実があるのですが、全国知事会の知事の中で道州制に賛成している人たちはわずか13人しかいないのです。と言うのは、本当は地方分権を進めるべきだと叫んでいるのだけれども、自分たちの権限を更に下の基礎的自治体に移譲したりする広域ブロックになってしまうような事は、知事の本音としては反対している人が多いという事なのです。だからこそ逆に言うと、日本の地方自治をよりシンプルで分かり易くするためにも県の単位を、例えば、東北なら東北、九州なら九州という形でブロックに括っていくという事が凄く大事なのです。
私は一番真剣に試みようとしている地域は九州だと思います。九州地域戦略会議というものをつくって九州広域を一元として観光等を統合して、例えば、中国等の近隣の国々から観光客を招く時に九州広域において上海でキャンペーンを行なう等、一体となって活動をする事に意味があるという事は常識で考えてもわかる事です。
 ここで、非常に面白い事は「9電力体制」と言って、全国9つの電力会社がありますが実体的には九州電力の経営のトップは現実に九州を広域で一元として見ています。皮肉な言い方をすると、既に道州制を実際にマネージメントしているようなものなのです。いわゆる電力会社が実は道州制を先行しているモデルだと考えると分かり易いのです。
ところが、いくつか不思議なところがあります。例えば、東北電力に新潟県が入っていますが、新潟県を広域で括った時にどこに置くのがよいのかという事は大変に悩ましくて、いまだに議論が続いています。関東甲信越という形で首都圏のブロックに括ったほうがよいのか、現実の経済の関係ではそちらが強いのだと主張する人もいるのですが、電力会社ブロックにおいて、東北のブロックに括られた方がよいという考えもあるのです。
 また、江戸時代の日本人は偉かったという話ではないですが、「越の国」という言い方がありますが、環日本海と呼ばれて日本海が連携してユーラシア大陸と向き合わなければならない時代に昔の越中と越前と越後が力を合わせて1つのブロックになったほうがよいのだという考え方も全くリアリティーのない話でもないわけです。

木村>  富山、石川、新潟あたりは環日本海の経済圏という事ですね。

寺島>  いずれにしても、広域ブロックという考え方によって日本がどのような輪郭の地域活性化をやって行くのかという事が非常に重要なのです。これをどのように切り分けるのか一つの思想が必要で、いままでの常識のような話で分ければよいというものでもないのです。
色々な考え方がありますが、日本を一度広域で括って、広域連携の中で活性化するという事を考えなければいけません。ただ「国から地方」という曖昧な言葉の下に権限と資金を移譲して行けば日本という国が良くなるという単純なイメージではなくて、どのようなブロックでシナジーを出していく事が日本として正しいのかという事です。
 いま、私は国交省で広域の地域のブロックごとの自立経済に関する委員会の委員長を務めています。ますます、今後、広域ブロックにおいての地域活性化のシナリオが非常に重要になってきます。広域ブロックでどのような産業を興し、どのような地域との連携で活力を持って行くのかという事が重要なわけです。
歴史を振り返ってみると、人間が足で歩ける範囲でつくっていた地域コミュニティーから活動の範囲も広域化し、アジア日帰りという時代が迫っているのです。そのような流れで新しい視点から日本の広域をどのように括って、どのような体制でいくのがよいのか、それを束ねる国家がどのような力を持っていく国に進んで行くべきなのかという事を問われているのが地方分権で、「知事対霞が関」などという構図で単純化して面白おかしく考えていけないのです。この事が、本日私が話したかったポイントです。つまり、参画という事です。どのように参画して地方の目鼻立ちをつけて行くのかという事について特に若い人たちが関心を持たないと議論は深まりません。