第31回目

寺島>  冒頭の整理として申し上げておきたい事があります。私はいつもここにこだわっているのですが、1853年にペリーが浦賀にやって来てから、アメリカが実際にアジアに植民地帝国として登場するまでには45年間のギャップがあったのです。それは何故かと言うと南北戦争という国内戦争に手間取ってアジアに出る余裕がなかったからです。
1898年にスペインとの米西戦争で勝つ形でフィリピンを領有してアジアに出て来ました。1900年の義和団事件の時にアメリカも出兵していますが、アメリカが中国に本格的に登場したタイミングと日本が1894、5年の日清戦争に勝って中国に侵略の触手を伸ばし始めたタイミングが同時化したのです。
20世紀、今日まで引きずっている日・米・中の関係にこれから向き合って行かなければならないわけですが、20世紀の日米関係の悲劇は中国に登場して行くタイミングがシンクロナイズしたところから始まります。太平洋戦争と言われた戦争も突き詰めて言えば中国をめぐる日米の対立と言ってもよい構図だったのですが、常に日米関係の谷間に中国というファクターが絡みつきます。
日本人としてこれから日本の外交を再構築しなければならないという時に、「市場主義の徹底」と「アメリカ流デモクラシーの徹底」が世界で実現されるべき唯一の価値だと信じてやまない理念の共和国として、アメリカがドンと存在していました。60年以上の同盟関係を背負い、戦後の我々自身が「アメリカを通じてしか世界を見ない」という傾向を自ら身につけてしまったのです。アメリカとの関係をしっかり正視し、同時に中国といういわゆる中華思想と言われる自己中心的な価値観を持って発信して来る国とも向き合い、この二つの超大国に挟まれて、日本がしっかりとした存在感をもって行かなければならないという事が21世紀の日本の基本的な構図であるという事が、おそらくどなたもが瞬時におわかりなると思います。
このような流れの中で、日・米・中のトライアングルの関係というものに新たな方向づけをして行かなければならないわけです。日本の果たすべき役割はちょうど欧州においてイギリスが果たしている役割に近いイメージです。アメリカを大陸の欧州に繋ぎ、大陸の欧州にアメリカを理解させるブリッジの役目をイギリスが果たしているわけですが、日本がアメリカをアジアから孤立させずに、アメリカという国をアジアにそのような位置関係で置いておけるブリッジのような役割が果たせるのかどうかという事が一つの大きなポイントになると思います。
アメリカという国は実は潜在的には「モンロー主義」(註.1)と呼ばれる自国利害中心主義を抱えていて、不都合が起こるとサッと国際関係から解放されて自分の国に回帰すると言いますか、自己完結的に成り立ち得る国で、内向きのエネルギーを常に潜在させています。そして、そのようなアメリカを国際社会の建設的な参画者として、特に、アジアにおける力学に留めておくという役割が日本にとって重要です。そして、中国に対しては、国際社会のルール、例えば、知財権にしろ、環境問題にしろ、この国を世界のルールに参画せしむる方向に招き込んで行くと言いますか、エンゲージさせて行くという役割が日本にとって大きく問われて行く事になるだろうと思います。そのために必要な事は筋道の通った存在感なのです。
このような事を頭に入れながら総括させて頂くと、先程、「リアリティー」という一つのキーワードが出ていましたが、世界の金融不安、はたまた現在の混迷する状況等も睨んで、日本が学ぶべきキーワードと言ってもよいと思いますが、それは「実体性」と「自律性」なのです。実体性はリアリティーに近い言葉で、私がこの言葉をどのような意味で使っているのかと言うと、「マネー・ゲームの話は程々にして、技術と産業の話をしようではないか」という事なのです。私の中でのリアリティーとは技術と産業力です。マネー・ゲーム的な視界を脱して、実体のある技術と産業の話をしようという問題意識です。
さて、先程、中国のGDPが来年いよいよ日本を追い抜いて行くという話に触れましたが、中国のGDPの中身について少し申し上げておきたいと思います。現在中国のGDPが極端な勢いで拡大している理由は、世界中のメーカー企業が中国に生産立地して、そのアンダーテイカー(下請)となって付加価値を拡大させているからです。
日本と中国との違い、韓国との違いのアイデンティティーを確立するために敢えて、私は申し上げておきたいのは、「中国の企業でどこか知っていますか?」という逆質問なのです。
例えば、「ハイアール」(Haier)という家電の会社があるとか、最近の日本のパソコン市場に「レノボ」(Lenovo)というブランドで上陸して来ている、「聯想」というIBMのパソコン部門を買い取った会社が存在しているという事はよほどの事情通の人たちしか知っていません。中国の企業でこれから携帯電話やパソコン等で世界に冠たるブランドになって行く可能性があるという企業はなくはないのですが、現状はどうだと言うと、アンダーテイカー型のエコノミーなのです。
韓国は「ヒュンダイ」、「サムスン」、「LG」の国です。この3社の売上高の合計が昨年の韓国のGDPの35%を占めています。つまり、「三大噺経済」という言い方があるのですが、この3社に極端に依存している傾向があるのです。
「日本産業の強みは何か?」と言う時に、日本人が自覚しなければならない事は、戦後の日本を創り上げてきた先輩たちの偉大さです。各ブランドに象徴される技術力をもって世界に冠たる企業を創り出して来たという事が強みだと思います。つまり、技術性なのです。技術性の中にあらゆる思いを込めて今日の日本の基盤をつくって来たわけです。
日本は貿易立国で外部依存が高いというイメージがありますが、GDPに対する貿易比率は韓国が76%で、日本は28%です。日本は韓国ほど極端に外部経済に依存しているわけではないのです。この差が、韓国が世界同時不況の中で極端に落ち込んだ理由になっているのです。
技術という意味においての実体性や自律性という意味において自覚を高めたのであれば、日本という国が持っているポテンシャルは大変なものだという気持ちが強くあります。
日本に決定的に欠けているのはガバナンスなのです。これはどういう事かと言うと、全体最適化を図る力がないのでポテンシャルが活かしきれていないのです。日本が国家としてガバナンスをもって戦略性がある展開をしている国にはとても見えません。自分たちが持っているポテンシャルを活かし、それを総合力をもって束ねて問題を解決して行く力に欠けるのです。それが、おそらく政治状況の今後をも含めて日本に問われて来る大きな問題なのだという気がします。
昨年、このフォーラムを行なってから1年間、実際に自分が何をして来たのかという事をお話したほうがリアリティーに結び付けて問題意識を繋げる事が出来るので、サッと私自身の活動をお話しして、いまの話に繋げて行きたいと思います。
まず、昨年、このフォーラムで「日本にとってアジア太平洋研究所のようなシンクタンクがいかに大切であるか」という話をして、大阪駅の北ヤードにアジア太平洋研究所構想を推進しているという事を話題にしたと思います。あれから1年の間、私はタスクフォースのような形で推進協議会の議長として活動して来ました。このフォーラムを行なっている日総研のスタッフもアンダーテイカーとなって世界中のシンクタンクの現状や、どのような組織形態にして行ったらよいのかという類の事についてフィージビリティー・スタディ(実行可能性調査)の作業に参画しています。
そうした中で、リーマンショックが起こって、深刻な不況に入りました。一方では「シンクタンクどころじゃないだろう」という本音にも近いような声が聞こえます。各企業は業績が悪くなって、本格的な国際情報の回路をつくろうという話につき合っているだけの余裕はないという空気が一方ではある事も確かです。しかし、大事なのはここからなのです。
私は日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)の日本創生委員会の委員長を務めていますが、コロムビア大学のジェラルド・カーチスさんを招いて彼が日本の政治状況について話をしました。私がその話の中でドキッとしたのは、「日本は政権交代が迫っていると言われるけれども、官僚機能に頼らずに政治が主導して政策を企画し、立案して行く基盤としてのシンクタンクのようなものが全くありませんよね」という事でした。
ワシントンにおいてアメリカの政権が交代する時には、例えば、オバマ政権にはブルッキングス研究所にいたスタッフがドドドッとホワイトハウス等中枢に入っています。そして、そのようなスタッフが大統領を懸命に支えます。したがって、政策に断絶がないと言いますか、コントラストはあるけれども前の政権の政策をどのように変えて、それがどのようなインパクトをもたらして、どのような方向になって行くのかという事についての展望が見えて来るわけです。
しかし、日本においては政権交代が迫っていると言うけれどもその基盤になるような情報を解析して、政策論に高めて、政策の代替案を出して来る基盤が無いと言わざるを得ません。日本最大のシンクタンク機構と呼ばれている官僚機構に政策論を頼らざるを得ないという構造を延々と続けています。
したがって、いまこそその種の政策シンクタンクが問われて求められているのだという思いがあります。昨年から1年間のリーマンショックを受けて転がり落ちている構造の中で、世界が見えていないという部分についても気がつかなければならないのです。いつも割を食ってほぞを噛む思いに日本が向かうのは一体何故だろうという事を考えると情報の回路、情報の解析力というものに関して充分なものをもっていないと言いますか、とりわけ、震源地であるアメリカよりも過剰なまでの自信喪失と落ち込みになる理由は一体何なのかと言うと、「情報の回路」という要素が物凄くあると思っています。
世界中のシンクタンクとのネットワークを張りながらアジア太平洋研究所を立ち上げて行く構想に、一つの方向づけをする結論を出そうというタイミングが10月に迫っています。日本人が気がついていないのは、日本という国は特定の企業に依存したり、特定の官僚機構を補完したりするシンクタンクではない、いわゆる中立型のシンクタンクをいま一切持っていない国なのだという事です。したがって、ある事態が生じた時に、この国にはどのような選択肢があるのかという事について議論が立ちあがらないのです。官僚機構がつくり上げた政府のシナリオに対して、反対か賛成かという程度の議論しか出来ない。第三の道があるとか、ひょっとしたらこのようなアングルから考えなければならないのではないのかという視座が出て来ないのです。これがこの国の議論を物凄く制約していると思います。
先程、私がJAPICで日本創生委員会を率いている話をしましたが、日本が進んで行くべき方向性において、もっとも重要な事の一つに、21世紀の日本人が現在の生活レベルを落とさずにどのようにして飯を食うのか、若者がどのような希望をもって立ち向かって行くような仕事(JOB)をつくり出すのかという事があります。私はそのための様々なプロジェクト・エンジニアリングの基盤をつくるような仕事に参画し始めています。
 例えば、内閣官房の宇宙開発戦略本部の委員会の委員長をやっていますが、先日、宇宙基本計画を取りまとめたところです。
宇宙基本法と海洋基本法という二つの法律を過去2年間に日本は成立させていますが、この二つの法律は自民党も民主党も参画した議員立法で、要するに、超党派の議員立法によって決めた法律なのです。それに基づいて内閣官房に関連の本部が出来ているという事です。今後、政局が混迷して行きます。どちらが比較第一党になろうが、政治がガバナンス、リーダーシップを一段と失うのではないのかという可能性があります。そのような状況になろうと超党派の議員立法で決めて行ったものは大変に重要なのです。
日本は国土の狭い資源小国で、エネルギーと食糧と資源を海外に依存するという構造が当り前だと思って進んで来ているわけですが、そろそろ足元を見つめて、海外にエネルギーと食糧と資源を依存する構造から順次、脱却して行く方向に舵を切らなければならないと思っています。
 そこで、海洋資源開発というものがあります。日本創生委員会のタスクフォースで、海洋開発の専門家の人たちを束ねていますが、上がって来ている報告を見ても、海底熱水鉱床という海底火山の噴火口の出口のようなところに眠っている希少金属の潜在埋蔵量や、メタンハイドレートのようなエネルギー資源等が、日本の海洋水域に眠っているという事が次第に見えてきています。問題は探査技術と採鉱技術の高度化なのです。戦前、樺太と言われたサハリンであれだけのエネルギー資源が眠っている事に気づいていたら、戦争や南進というシナリオも変わっていたのではないかと言われます。足元を見つめるという事はそれくらい大事なのです。
 いま、エネルギー価格が一時よりは下がっているので、資源・エネルギーに関する日本人の危機感がスッと消えていますが、昨年の夏、ニューヨークの石油先物市場のWTI(West Texas Intermediate)は、ピーク時には1バーレル147ドルでした。12月には32ドルまで落ちました。そこから、いま75ドル位にまで上がっていて、60ドル台とその間をさまよっていますが、わずか半年で2倍になっていて、乱高下しているのです。これから間違いなくエネルギー・資源の反転高が来ます。それは何故かと言うと、いま過剰流動性の制御に成功しているとは思えないからです。物凄い勢いで過剰流動性をまた生み出しています。それは「財政出動」、「超金融緩和」というものです。この行き場を間違えたのならば、間違いなく資源反転高が来ます。事実、来ていると言ってもよいと思います。
日本はこのような時期にこそ、自分の足元を見つめてエネルギーと食糧と資源は海外から買う事は当り前だという構図から脱却して行くための手を打たなければならないのです。海洋資源探査等に今回の補正等も含めて、予算がつき始めています。ここのところを本気で突破して行かなければならないと思います。10年後、20年後の日本を資源大国化する事はハッタリでもなければ何でもないのです。真剣に取り組めば間違いなく日本を資源大国化する事は出来ると思っています。
海洋資源開発には誤差のない位置測定が必要になります。つまり、宇宙開発と海洋資源開発は相関しているのです。私はこのような形の総合戦略をしっかりと描いて行く必要があるという事を申し上げたいのです。
このような意味合いにおいて、私自身のささやかな役割でこの1年間に、私は宇宙開発本部の委員会の座長や、経産省の方では産業構造審議会の情報セキュリティーの基本問題の委員会の委員長等を務めました。多様な意見の人たちを束ねて、政策論として収斂させるという役割を自分自身が果たなければならないところに一歩ずつ動き始めているという事が、ここのところの自分の立ち位置、役割の変化なのだと思っています。
私は昨年から首相を取り巻く温暖化懇談会のメンバーに入っていました。これは麻生さんが6月に発表した15%CO2削減という中期目標の設定をした委員会です。経済団体がプラス4%論を言い、環境団体がマイナス25%論を言っている中で、日本として対応可能なギリギリの政策論はどのようなところにあるのかというところを議論してきました。足して2で割るという話ではなくて、ロジカルに世界に向けて語る事が出来るギリギリのポイントはどこかというシナリオを書く上で、一定の役割を果たさなければならないような立ち位置に私自身がいるのだと感ずる体験を今般もやって来たわけです。
いずれにしても、エンジニアリングは個別の要素を組み合わせて問題を解決して行くアプローチです。要するに、私達日本総研も含めて今後問われて来る事は、問題解決能力なのです。問題を提起して状況を分析して見せるだけではない役割と言いますか、どのようにしてその問題を解決して行くのかという事についての「構想力」と「全体知」が問われる役割です。そのようなところに我々自身の役割を発展させて行かなければならないと痛感しているという事を申し上げて私の話を終えておきたいと思います。
どうもありがとうございました。

(註1、Monroe Doctrine。第5代のアメリカ合衆国大統領=ジェームズ・モンローの年次教書演説で発表された外交姿勢。アメリカとヨーロッパの間の相互不干渉を提唱した)