第30回目

寺島>  21世紀初頭をしっかり再認識するための確認しておきたい数字を申し上げておきたいと思います。
 まず、世界が昨年9月のリーマンショックによって激震のような経済の低迷という状況に入っているわけですが、この混迷の中心にいるアメリカのリーダーシップと言いますか、束ねる力が今世紀に入って急速に萎えた事をしっかりと認識しておかなければならないと私は思っています。アメリカの求心力が今世紀に入って急速に衰えている理由の一つに「イラク戦争」と「サブプライム問題」という二つのキーワードがあると思います。
まず、イラク戦争ですが、イラク戦争の後遺症によってヘトヘトに疲れ、消耗したアメリカが見えて来ます。昨日現在(7月21日)、米軍兵士のアフガン、イラクでの戦死者は5,057人にでなっています。「これは犯罪ではなくて戦争だ」と叫んだブッシュ大統領がアフガン、イラクと突っ込んで行った事によって、アメリカの若者が5千人以上死んだのかという思いが込み上げて来ます。しかも、それどころではないという数字があります。それは、どんなに少ない推計でもイラク人の死者が10万人を超しただろうと言う数字です。
私は、背筋が寒くなるような血みどろの21世紀初頭と並走したのだという事を確認しておかなければなりません。アメリカは5千人の若者を死なせて、既に1兆ドルの金をかけて、そのコストがやがて3兆ドルになるだろうという状況になっています。その結果、どうなったかと言うと、「ペルシャ湾の北側に巨大なシーア派イスラムのゾーンを形成した」という事です。ブッシュ大統領の共和党政権が終り、イラク戦争に反対したオバマをリーダーに登場させて急速にパラダイムの転換を図りました。そして、アメリカは2011年までにイラクから去ります。「アメリカなき中東」という言葉が出て来ますが、要するに、イラクの民主化と言って選挙を行なった事によってシーア派のイラクにしてしまったわけです。隣のイランの1979年のホメイニ革命以降、シーア派イスラム、イスラム原理主義の総本山となって世界に色々なインパクトを与えているイランの影響力を最大化するイラクにしてしまった……。そして、間もなくアメリカはイラクから去ります。したがって、我々が目撃する事になるペルシャ湾の北側は、巨大なシーア派のゾーンとなって存在しているであろうと言う皮肉ともなんとも言えない状況になってしまったわけです。しかも、三軍のリーダーとしてアフガンには増派するという選択肢を取らざるを得ないというところに、オバマ自身さえ追い込まれています。目に見えない敵との戦いに消耗しているのです。
更に、サブプライム問題です。金融セクターを安定化するために突っ込まざるを得なくなった公的資金のリスクの総額が8兆ドルにのぼっています。それがAIGという保険会社やシティーグループ等への直接資本注入も含めて不良資産の買い取りスキーム等の様々なスキームで政府がコミットせざるを得なくなった総額8兆ドルなのです。加えて、金融だけではないという事で、御存知のようにGMさえ、6割政府出資で持ち堪えなければならないという状況になってしまいました。この深い深い虚しさというものは21世紀初頭のアメリカが行き着いたところを象徴しています。と言うよりも、世界が行き着いたところと言ってもよいと思います。と言うのは、アメリカが新自由主義なるものの総本山だったからです。
そのような中でいま申し上げたサブプライムの行き着いた8兆ドルの公的資金注入にせよ、イラク戦争でやがてのしかかって来だろうと言われている3兆ドルの負担にせよ、この二つを足して11兆ドルの金がアメリカの財政負担となってのしかかって来ます。加えて、オバマが登場して景気対策法案が成立しました。つまり、財政出動というものです。7,870億ドルの財政出動によって景気浮揚を図るという景気対策です。アメリカが日本に対して毎年毎年ぶつけて来ていたメッセージが「プライマリーバランス論」、つまり財政均衡論だったのです。そのピンを御本尊自身が外したから日本もドーンと15兆円の補正予算によって財政出動に踏み込んでいるのは、御存知な通りですが、約8千億ドルの金もやがてアメリカの財政赤字にしかかって行きます。2009年度は1兆7千5百億ドル、来年は予算の段階で1兆2千億ドルの財政赤字が予測されるという状況に追い込まれていますから、当然の事ながら巨大な赤字国債の発行を余儀なくされます。赤字国債の発行を誰が引き受けるのかと言うと、アメリカは国内で国債を捌けないので、どうしても海外に持ってもらわざるを得ないわけです。事実関係において、アメリカの国債を一番持っているのは中国で、8千億ドルを超しています。日本が第2位で6千億ドルです。
そこで、中国なのですが、本日の議論をこれから深めて行くためにどうしても頭の中に入れておかなければならない数字として、中国のGDPの世界ランクは、2007年についにドイツを抜いて世界3位になりました。国際機関が一斉に言い始めているのは、日本のGDPを来年中国は追い抜くだろうという事です。もたもたしていると今年追い抜くかもしれないという予測が一部出始めています。日本はどんなに楽観的に見ても、今年はマイナス5%以上のマイナス成長で、中国は7.5~8%台のプラス成長になるだろうと予測されています。その事によって一気に来年日本を追い抜いて行く……。「大した事はない。心配するに値しない」という考え方の人たちも多いと思いますが、私は日本人の深層心理の中に「日本は世界第2位のGDP大国だ」という誇りとも支えともつかない気持ちが存在していたように思うのですが、このピンが外れて日本はついに抜かれたのかという瞬間に、どのような心理になるのか、微妙な変化が起こるのではないのかと想像します。
事実、昨年、一昨年に指摘して来た「大中華圏」(Greater China)という言葉ですが、これは、中国を本土単体の中国だけとは考えないで連結の中国、つまり、中国と「華僑国家」と呼ばれているシンガポールと香港と台湾を政治体制の壁はあるけれども、産業的には一段と連携を深めているゾーンだという捉えかたがGreater Chinaという視点です。このGreater Chinaという連結の中国の枠組みの中で、中国の台頭が大きく目立ちます。そして、日本を取り巻いている状況が大きく変わって来ています。この事が我々の進路を考える時に大変重要な一つのファクトであるという事を私は冒頭に確認したいと思います。
いま、私がお話しした状況の中に私自身が考えているのは、9・11後の世界の構造の多極化と呼ぶ人もいますが、アメリカの一極支配型の世界観では通用しなくなって、G8でさえ、その存在感を希薄にし、G20という20カ国が世界秩序形成において揉み合うような状況が露呈されている事です。全員参加型という言葉さえ登場して来るような状況に向かって世の中が変わっているのです。そのような流れの中で、日本外交や日本の国際関係を選択したり、構想したりしなければならない局面に入って来ているところが、日本に問われている大変重要なポイントだと思います。
その際、もう一つ申し上げておきたかったのは、「G2論」というものです。「G20のように20カ国が世界秩序形成に参画して混迷しているように見えるけれども、実態は一段とG2化しつつある」という言い方をする人たちが最近は増えて来ています。何故かと言うと、アメリカと中国が実態的な世界秩序を仕切り始めているからです。アメリカがいかに中国を配慮しているのかという構造認識なのですが、御厨先生のほうからいまの話に若干コメントを加えて頂きたいと思います。

御厨>  いま、数字で示されたものを聞いて、これはなかなかなものだという感じが致します。イラクにおける状況というお話しがありましたが、このような事について、おそらく最近の日本は凄く鈍くなっているのだと思います。つまり、グローバリゼーションが進んでいると言いながら、多くの日本人はなんとなく嫌な数字、嫌なもの、嫌な光景は見たくないという事があって、あまりそれを受け入れようしない空気が第1番目にあります。
 そして、第2番目に、私などは歴史をやっていて「そうか」と思いますが、世界全体でいま米、中、G2化というものが最後にお話しがありましたが、とりわけ中国の存在が日本にとって凄く大きくなっているという事は、日本の近代史を考える時に凄く象徴的であるという事です。日本はいまから100年以上も前に日清戦争という戦争をしたわけです。あの時に、日本の中国に対する見方が、実は戦争を通じて100%変わったという事実があります。私は日清戦争の歴史を調べた時に中国人というものの存在について江戸時代はあれだけ憧憬の念を持っていた日本人が、どこでそれを変えたのか考えましたが、やはり、戦争のプロセスなのです。
 つまり、日清戦争が始まった当初、そしてある段階までは、当時の記録に残っていますが、中国人に対して侮蔑の気持ちは少しもありませんでした。日本にとって見ると、中国を目覚めさせなければならなくて、なんとか尊敬している中国に対してその遅れを目覚めさせるという事で戦争を起こしたというイデオロギーがあるわけです。しかし、それがある段階、つまり、戦争は怖いものですが、「勝った、勝った」という事になったところから中国に対する認識が逆転をし始めます。何故、向こうは負けているのかと言うと、それは、明らかに日本人よりも中国人の方が色々な意味において劣っているという認識の変化なのです。ここで初めて江戸時代以来の憧憬の念が全部ひっくり返って行くわけです。それは、その後20世紀の日中関係、日本と満州との関係、色々なものを見て行く上で重要であり、その事が戦後にもずっと続いて来ています。戦後において、中国が社会主義、共産主義になって以来、そこと言わば敵対する関係を長い間続けて来た事によって、今度は中国人を侮蔑して来た歴史というものを見ないで済んだのです。
 有名な話で佐藤栄作という総理大臣は、「日本は大陸を見ている時には不幸であった。だから大陸を見ないようにする」。これは彼が共産主義中国を国連に入れないという事に固執した理由であったのです(註.1)。そこから今度は新たに日中の色々な関係が始まってついにここまで来たかという事が私の印象でした。
この時に私たちが考えなければならない事は、ここで本当に中国に対する近代以来の日本の立ち位置を真剣に考え直さなければならない、つまり、繰り返しになりますが、日本はある時期、憧憬の念を持っていた。そこから侮蔑に変わった。物凄く血で血を洗った戦争を行なった。それから後は見ないようにして来た。見えるようにしても政治・経済の分離等、色々な事を言ってそれを限定化して来た、断片化して来たと言ってもよいと思います。しかし、もはや断片化して来た形で中国とはつき合えないとういう話なのです。どのようにしたら本気でつき合えるのか、そして、そこで目覚める事が逆に戦後一体化してやって来たアメリカとの関係をもう一度本当の意味で相対化して行く事なのだと思います。
 したがって、「米中関係が変わった。ああ、どうしよう!」というのではなくて、いよいよそこまで来たのであれば日本の近代以来の中国とのつき合い方、アメリカとのつき合い方をもう一度見直してみて、そこから未来についてどのような示唆を得る事が出来るのかという事です。私は原点回帰だと思います。それをやらなければならないと思っています。

寺島>  どうもありがとうございます。御厨先生のお話にもう一言付け加えさせて頂きます。日・米・中のトライアングルの関係が我々にとってブラインドがいまのお話と被るのですが、米中関係なのです。つまり、日米関係は戦後日本を支えてくれた関係だという事を真剣に評価する立場の人間だからこそ、米中関係の歴史というものをしっかりと視界に入れておく必要があると思います。

<後半>

寺島>  今回は慌ただしいシンポジウムだったのですが、まず、前半のパネルディスカッションを集約して行くにあたって、もう一度、「世界を見る目」と「21世紀初頭を超えて」という日本がおかれている状況に対する一言でも結構ですし、自分の関心の枠の中で結構なので最後に一言ずつ、お話しを頂いてパネルを終えたいと思います。

御厨>  日本の立ち位置は、本当に目を見開いてというところがあります。それと同時に私の立場から言うと、最近、私たちが研究をする時に随分変わったな、これは21世紀になって変わったのだと思う事を申し上げてまとめとしたいと思います。
 それは何かと言うと、私は歴史をやっていて、先程、寺島さんから明治国家をつくるというご紹介を頂いたのですが、あの本を書いた時には本当に元勲の書簡を生で見られたのです。国会図書館に行くとそれが置いてあって山県有朋の書簡や伊藤博文の書簡等、本当によく見て、まるで友人のように私は彼らと親しくなりました。しかし、今は駄目です。何故かと言うと、いまは全部コピーだったり、マイクロになっているからです。つまり、偽物なのです。私は本物とつき合えたので幸せだったと思います。いまの研究者の悲しいところは、全部マイクロで見るかコピーで見るか、偽物なのです。そのようなものを扱っていると、絶対にリアリティーの感覚は浮かんできません。私は伊藤博文が友人だと思っています。いま同じ事をやっている人は伊藤博文を友人とは思えないのです。これは本当に悲しい事です。そのかわり、いまの彼らにとって何が一番よいかと言うと、どこを見ても検索をかければありとあらゆる文献が集まって来るという点です。そして、アジア歴史資料センターがずっと行なっていますが、そこで見ると外交資料館と公文書館といういくつかの文書館が持っているものが一挙に出て来ます。ネットサーフィンのようなものです。それをやっていると、例えば「日中戦争の○○」と引くと、これまでだったら苦労して探さなければならなかった文献がドーンと出て来て資料が何処にあるのかが分かって、彼らは私よりも遥かに効率的に研究が出来るのです。
 しかし、何度も申し上げましたが、そこで見られる資料は全部偽物です。これがいまの私は現状だと思います。ありがとうございました。

伊東>  御厨先生のお話しを伺ってなるほどと思ったのは、リアリティーとバーチャリティーという二つの言葉です。私は、音楽の仕事をやって来ましたが、音楽は実空間で演奏するものであり、指揮もまた同じですから、私もリアルな側の人間です。そういう私からすると、いま見るべき事の一つは、リアリティーの復帰、リアリティーをいかに再度獲得して行くか、実態への回帰というものがポイントだと言うことになります。しかし、これは旧来へ帰るだけではなくて、せっかく今まで得たものをうまく活用しながらの回帰ではないかと思うわけです。つまり、高度な検索をもって、こんなものもあるという事までいまの研究者が見つけたら、その現場に行ってもう一度そこで実物と対面しながら、より先に行くというような事、つまり、バーチャリティーのより高度な活用です。ここに私が希望の芽を見るのは、日本はそのような時にとてもよいいくつかの鍵を持っているからです。それはあまり目立たない形でたくさんの特許やシードになる技術を持っているという事です。私はそのようなものを特に選んで使って、西洋芸術やキリスト教の根っこ等、一番向こうが嫌がりそうなとこに切り込んで、そこそこうまく行くという事をやっています。
 日本が見立てるという時にどのようなオーラがあり得るかと言うと、一つは日本の見立て、日本の技術的信頼水準、つまりクオリフィケーション(Qualification)が可能であれば、それによって東アジア全体、或いはグローバルな社会経済が活性して行くという安心・安全というものが、このところのキーワードになっていますが、日本というプリズムを通過しているのであれば、そこから先、これはうまく行くというような安心感を提供出来るのではないのか、少なくともそのような技術の根は持っている事は存じております。
 したがって、技術関係、イノベーションの人材育成や中長期的に見た、育てる方向で実態に回帰しつつ、ここ20年程で得た新たな知恵も活用して行くべきだと考えます。そのような時に寺島さんのようなリーダーに教えて頂いてこのような事を考えるようになったわけです。私の持ち分である音楽という狭い世界ですが、私はそこから考えて行きたいと思っています。

寺島>  見事に収斂したという感じですが、リアリティーへの回帰と言いますか、何か空虚な時代感覚からどのようにリアリティーに向かうかという意識が、おそらく我々3人が議論しようとした事の何か本質にかかわってくるのではないのかと思いながらお話を聞いていました。ありがとうございました。

(註1、1945年国際連合設立当初から中華民国は、加盟国であったが、内戦により中国共産党が1949年10月1日中華人民共和国の建国を宣言した。中華人民共和国は国連の代表権の獲得を図ったが、その後も中華民国が持ち続けた。
 1971年10月25日、国連総会において、中華人民共和国を中国の唯一正統な政府とし、中華民国を追放して、中華人民共和国が代表権を獲得した)