第28回目

木村>  先週の放送では「イタリア・サミットと世界」という事で、イタリア・サミットを振り返りながら、そのお話の中でアメリカが変わりつつある、世界がその中で大きく変わるというところに私たちは真っただ中に立っているという事が分かりました。そして、寺島さんが実際にアメリカにいらっしゃってみると、オバマ政権が非常に大事な分水嶺にあるということも分かりました。
 今週のテーマは「歴史時間の中での自分~体の中のユーラシア~―中国との2千年以上の関係」です。
 「ユーラシア」は寺島さんが非常に重要なポイントであると力説されて来ているので分かるのですが、「歴史時間の中での自分~体の中のユーラシア~」と言うと、一体どのようなお話なのでしょうか?

<体の中のユーラシア~中国との2千年以上の関係~>

寺島>  私は「世界を見渡す構え」を悩みながらもよく考えています。「世界を見渡す姿勢」と言ってもよいと思います。
歴史時間との向き合い方は私たちが意識しなくてもいつのまにか我々の体の中に、我々の祖先が蓄積して来た時間が共有されてきているという実感があります。
例えば、今年、NHKが大河ドラマで「天地人」を放送していますが、日本人は戦国時代が大好きで繰り返しあの時代のテーマが登場してきます。「天地人」は上杉謙信に連なっていた直江兼続が主人公の物語になっていて、この人たちの時代は歴史時間の中で言うと400数十年前の話で、凄く昔の話だと思いがちですが、もっと長い視点から言うと400数十年というのは、極端に言うとついこの間であるという位置感覚もあるわけです。
私は歴史時間というものは円形が圧縮されると言いますか、遠くなればなるほど円形が潰されて来るので、私たちから見るとどれもこれもが大昔の人だという感覚になります。
しかし、歴史時間の距離感を的確に意識しながら私たちは知識を身につけていかなければならないと思います。例えば、この大河ドラマの舞台とも関連する武田信玄が掲げていた風林火山の旗の意味は「疾きこと風の如く」で、これは「孫子の兵法」(註.1)から来ているという事は御存知かと思いますが、中国の大昔の軍事指南のような人が書いた書物から「風林火山」という言葉が来ていているのです。
孫子は2500~2600年前の人で、武田信玄にとっても2千年以上も前の人物ですから、その言葉を旗印にしていた彼にしてみても大昔の言葉だという感覚があったと思います。つまり、私たちから見ると、孫子の2500~2600年前も、武田信玄の400数十年前も圧縮されて同じ平板のように見えるけれども、武田信玄と孫子の間には2千年以上の時間が流れていたのだと気がつきます。
このような視点から更に話題に触れたいのが、私がよく話題にする弘法大師の空海です。弘法大師が中国に遣唐使の一人として長安を訪れたのは804年で、31歳の時でしたからいまから1200年前の話です。
武田信玄からすると「弘法大師は800年も前の人だ」という事になります。1200年前に空海が日本から中国に訪れた頃、日本の人口は約500万だったと推定されていて、500万人の農業を基盤としている国だったというわけです。そこから遣唐使という形で中国に渡りました。当時の中国の長安には4000人のペルシャ人が住んでいたという記録も残っていますから、長安は国際都市だったのです。ユーラシアの中核国際都市で、分かり易く言うと、おそらく彼は国際都市=長安で、私たちがニューヨークだ、やれ、ロンドンだと言う感覚よりも衝撃を受けて、国際人の先行モデルのような形で踏み込んで行ったようなもので、おのぼりさんのような気持ちで衝撃を受けたと思います。そして、その時に中国から持ち帰って来たものが、いつだったかお話をした事がありますが、土木工学の技術であったり、薬学の技術、冶金工学、つまり水銀で金を溶かす技術だったりします。
空海は真言宗の開祖で宗教的指導者というイメージがありますが、当時の日本にとっての朝鮮や清国だった中国から様々な技術を持ちかえって来た、「エンジニアとしての空海」が日本の歴史に残して行った足跡が凄いのです。
私は今年の春から私立大学の多摩大学の学長をやっていますが、日本の私立学校に通っている人たちはみんな空海を仰ぎ見なければならないのです。それは何故かと言うと、空海が京都の東寺に「綜芸種智院」(註.2)という日本で最初の私立大学ともいえる塾を設立しました。私は、空海が仏教の学校をつくったのではなくて、庶民が技術を身につけるための学校をつくったというところに凄さを感じます。
いずれにしても、空海なる人物が1200年前にいたという事で、段々とイマジネーションを働かせながら番組を聴いて頂くとよいと思います。先日、映画「レッドクリフⅡ」が公開されましたが、タイトルによく「レッドクリフ」と名前をつけたものだなあと私は思っています。これは三国志の「赤壁の戦い」の事で、まさに、赤壁=レッド・クリフなのです。
赤壁の戦いが行なわれたのは208年で、いまから1800年前です。先程話題にした空海から更に600年前、日本では大化の改新が645年ですから、それよりも400年も前に赤壁の乱が中国で繰り広げられていたわけです。
 歴史時間をどんどん置いて行ってみると、円形が圧縮されるという意味が段々分かってくると思います。「レッドクリフⅡ」を観た人に同じ思いをした人がいるかどうかは分かりませんが、「レッドクリフⅡ」の中に、先程私が話題にした武田信玄の掲げていた風林火山が出て来ます。それは、風林火山の言葉をベースにしながら舞い踊っているシーンです。
つまり、このレッドクリフ、赤壁の戦いの208年から見ても、孫子の兵法は位置感覚からするとそれよりも更に700年以上前の兵法から持って来ているので、赤壁の乱の物語に孫子の兵法が出て来る事はちっとも不思議ではないのです。
このように、イマジネーションの中に段々と湧いてくるのは、要するに、今日、私たちの頭の中にあるその種の話題と知識を総括してみると、いかに長く中国の文化や、中国というものにある種の接点を持って今日に至っているのかが分かります。つまり、様々な漢字文明や文献等の影響を受けながら意識しない間に私たちの中に埋め込まれている中国との接点が日本人の心の中に横たわっているわけです。
このような中で、先程木村さんが振ってくれた時に、「我々の体の中にあるユーラシア」という表現をしてくれましたが、私は興味がある事の一つに、七福神があります。全国至る所にどんな所にでも七福神があるのは御存知かもしれません。
七福神がある所に行くと、「三国伝来七福神」と書いてあります。この「三国伝来」の「三国」というのは、日本人の深層心理に埋め込まれていて、例えば、「三国一の花嫁」という言い方をします。三国一の三国とは一体どこの国の事なのだろうかと言うと、大和と唐と天竺の事なのです。つまり、日本と中国とインドの事です。これらが日本人にとっては世界だったとも言えます。「世界一の花嫁」という言い方をする時に、「三国一の花嫁」と言うように、日本人の意識の中には、常に「三国」=「日本」、「唐」=「中国」、「天竺」=「インド」というものが仏教伝来のプロセスと同じように、日本人の中に埋め込まれていたわけです。
三国伝来七福神の七福神(註.3)は、七つの神様で日本由来の神様もいますが、いかにも日本人らしいのですが、実はインドから伝来の神様もいれば、中国から来た神様もいて、そのような人たちがごちゃ混ぜになりながら日本の中で庶民信仰をとして根づいて行きました。
したがって、日本人の意識の中に本人が意識しているかどうかは別にして、七福神参りをして歩いている事そのものがユーラシアの風を心の中に引き寄せているとも言えるのです。いつの間にか日本人の生き方そのものに中に埋め込まれているユーラシアを意識せざるを得ないのです。我々は自分一人で努力して大人になったように思うけれども、実はお爺さん、お婆さんから親に、また、地域社会に伝わる様々な伝承の中に体を置いているうちに、いつの間にか心の中が三国伝来の人間になっているわけです。
近代の日本人と戦後の日本人が物凄く特異なのですが、150年くらい前にペリーが浦賀にやって来た事を発端に日本は開国し、西欧文化を積極的に取り入れ、近代化を計りました。そこから、日本人も西欧化されたわけです。更に、戦後の日本はアメリカに敗戦した総括から、アメリカにだけ向き合って来ました。つまり、西欧化されて150年、アメリカナイズされて約60年なのです。先程から私が話題にしているように、「孫子の兵法は2600年前の話だった」、「弘法大師が中国に行ったのは1200年前だった」という話からみると、60年という年はついこの間どころか昨日の出来事のような時間の尺度でしかありません。しかし、その中に人間というものは埋没するので60年が永遠であったかのような錯覚を起こしてしまい、いつの間にか私たちは、この番組で何回も触れて来ているように「アメリカを通じてしか世界を見ない」という人間になってしまったのです。
そして、いま、この視界の転回を日本人は求められています。「ユーラシアの風」をこと更に意識しなくても自分たちの体の中に風が吹いているのだという事が私の言いたい事で、思い越せば、自分自身がたっぷりと吸収してきているものの見方や考え方は、文化の中に吸収していて、その上に立って近代や西洋やアメリカ等を軽んずるのではなくて、その上にまるで重層的に土が層のように積み上がって行くバランス感覚の中で全体を見る事が出来るようになってくれば歴史時間の中で世界を見渡す視座と言いますか、スタンス、構えが段々見えて来ると思います。「何とかかぶれ」ではなくて、何かにかぶれてそれだけがすべてだと思いこむのではなくて、常に冷静に総体的にものを見るためにも歴史観、歴史軸をそのような視点で見直してみる事がとても大事だと思います。これが本日、私が話題にしたかった事です。

木村>  寺島さんのお話を伺いながら、「歴史意識」という言葉を我々もよく使うのですが、その実態、中身について本当に深められているのかどうかと言うと危ういところだと思うので、あらためて歴史意識について考えさせられました。そして、これから日本がおそらく今年から来年にかけて、戦後60年以上を経て初めて「本当に日本とは何であるのか?」という問題に我々が直面しなければならないと思います。寺島さんのお話によってその事を触発されるので、その時に我々が「体の中にあるユーラシア」というものをもう一度思い返す大切さをあらためて感じました。

<後半>

木村>  今週の後半は、リスナーの方からのメールを一つ御紹介して寺島さんにお話を伺いたいと思います。
 「おはようございます。寺島さんと木村さんのお話を伺っていると、いつももっと世界に目を向けないと、と思います」。まさに、今朝のお話ですね。東京でお聴きになっているラジオネーム、アップルさんからです。「特にいまの日本では政治に明るい兆しが見えません。経済危機での雇用問題、外交、勿論、国内政治等、先行きが不透明な部分が多すぎます。以前、寺島さんがお話しになっていた鈴木大拙さんの『外は広く、内は深い』という言葉のように日本国内の政治はもっと求心力のあるものにして欲しいし、諸外国のよいところはもっと取り入れて欲しいと思います。今度の衆議院選挙でどちらの党が政権をとろうと、少なくともいまより暮らしやすい国にして欲しいと思っています。勿論、私たちもよい国にする努力をしなければならないと思っていますが、近々行なわれる総選挙でどういった事に注目して行けばよいのでしょうか?」というメールです。

寺島>  ひょっとしたら政権が替わるかもれないという状況になった時に、日本人の心に突き上げて来るテーマは二つに絞られると思います。
一つは外交面。自民党、与党を中心にしてやって来た、米国を唯一の外交基軸として外交を展開していく事から脱却して行くのは結構だけれども、対米関係が悪化して日本は大丈夫なのだろうかという問題提起があります。もう一つは、政権が替わったら株が下がるとか景気が悪くなるとか、要するに、経済に断絶が生じて日本の経済がより不安定なものに向かうのではないのかという事です。この二つの論点は、政権が替わっても大丈夫なのかという時の議論として、私はこれから一段と議論に火が噴いて来ると思います。
 そこで、問題になるのは、どの党が言っている事が正しいという次元の話ではなく、また、日本人として政権が替わったらどうなるのかという発想ではなくて、どうして行くべきなのかという事も視界に入れながら、その種の不安を一掃して行くような政策論の軸を確立して行くという事が大切なのだと思います。
 我々がやるべき事は、戦後60年続けて来たアメリカとの関係を悪くして行こうという方向ではなく、アメリカとの関係を大事にしながらも、本日も話題にしてきたアジア、ユーラシアに視界を向け、日本の国際関係はどのようにあるべきなのかという事にキチンとした政策構想において、つまり、もっと言うと、外交の原則としてどのようにして行くのかという事を論争しなければならないのです。これをよく見つめる必要があります。いま日本がおかれている経済状況の中でどのようにしていくつもりなのか、現実に、日本の貿易の70数%がユーラシアとの貿易で、アメリカとの貿易はわずか13%の状況になっているけれども、経済の関係だけではなくてアメリカ、ユーラシアの関係を日本の役割を見ながら、どのような方向に持っていくべきなのかという論点に注目していかなければならないと思います。
そして、経済については、もっとも大事な日本人の生活の安定なわけで、極端に言うと、若い人が将来、夢を持てるような仕事を、そして働きがいのある産業、事業をどのようにつくって行くのか、歳をとった人にはより安心して暮らす事が出来る老後のために「日本の国の分配のあり方」をどのようにすべきなのかという視点からの経済政策をじっくりと見つめて問いただして行く必要があります。私は薄っぺらな意味での政策綱領やマニュアル、マニフェスト等ではなくて、本当の意味で外交的にはより安定感がある重層的な国際関係を築く国としてどのようにするのか、経済的にはよりこの国を豊かで安定したものにして、公正な分配が行なわれるような経済産業政策はどうあるべきなのかという事を問いただして行くという2点に選択の軸が尽きると思っています。

木村>  それを問うためにメディアにも哲学、思想が必要ですね。

寺島>  メディアは、「あなたは○か×か」「あなたはイエスかノーか」という形の選択肢を問うのではなくて、選ぶ側がじっくりと外交、内政を一体とした国家戦略がどのようにあるべきなのかという問題意識を高めて行くようにしなければならないのです。何度も言われるように、民主主義というものは選ぶ側のレベル以上の政治は絶対に実現出来ないので、選ぶ側のレベルを高めるためのリード役を、メディアが果たして行かなければならないわけです。私は我々がこの種の番組を時間をもらってやっている意味もその部分にあるのではないのかと思っています。

木村>  これはリスナーのアップルさんの問題であり、私の問題であり、そして、お聴きになっているみなさんの問題でもあるという事ですね。

(註1風林火山=その疾きこと風の如く、徐<しず>かなること林の如く、侵すこと火の如く、動かざること山の如し。春秋戦国時代の呉の将軍=孫武が著した兵法書の中に出て来る一説であり、武田信玄はこれを旗印として使用した)
(註2、828年に空海が設立した庶民に開放された私立学校。当時、大学、国学等の教育機関には貴族や郡司の子弟しか入学できないという身分制度があった。空海は、綜芸種智院を設立してこれを広く庶民に開放した)
(註3、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の七柱。インドのヒンドゥー教、中国の仏教や日本の土着信仰が入り混じった神仏混淆の信仰対象で、室町時代末期から民間信仰の対象となったとされる)