第27回目

<イタリア・サミットと米国出張報告>

木村>  前回の放送では「地球温暖化を防ぐために~CO2等の温室効果ガス排出削減の中期目標をめぐって~」というテーマでお話を伺いました。
 今週もこのテーマに関わりがあるのですが、「イタリア・サミットと世界~米国出張報告もふくめて~」というテーマでお話を伺います。
 サミットが始まって35回目になりますが、今回は拡大されたフォーラムに参加する事になっていた中国の胡錦濤主席が新疆ウイグル自治区の暴動問題によって急遽、帰国するという事もありました。
経済、気候変動、核廃絶等の大きなテーマがあったのですが、「さて、成果は?」となるとメディアの言葉にも出て来ますが、幾分、色褪せたという印象が拭えません。寺島さんはこの事についてどのようにご覧になっていたのでしょうか?

寺島>  昨年7月に日本で行なわれた洞爺湖サミットの際、環境という大きなテーマで我々が関わっていたのですが、私は今回のサミットとの違いを凄く感じます。と言うのは、洞爺湖サミットは「ブッシュ最後のサミット」と呼ばれていて、私が思い出すシーンは、やたらにブッシュが上機嫌だったという事で、世界が直面している問題についてアメリカは具体的に踏み込まなかったという印象が強く残っています。そして、7月直後の9月にリーマンショックが襲って、この1年間で世界経済が本当に奈落の底に落ちて行ったと実感しました。しかし、あの時に私は言っていましたが、サブプライム問題が前の年に噴出して、金融資本主義の挫折と言いますか、あまりにも行き過ぎたマネーゲームをどのように制御するのかというテーマが世界の問題として、目の前に横たわっていたのですが、サミットで一切そのような話には触れず、また、地球環境問題に関してもアメリカは「自分は例外であり国際ルールで縛るな」という姿勢で、京都議定書からもドロップアウトしたままブッシュは去って行ったわけです。
 つまり、昨年の洞爺湖サミットの虚しさと言いますか、私自身も洞爺湖に行っていて、欧州から来ていたメディア関係の人たちと会った時に、「ブッシュ大統領に今さら何を言っても始まらない」というお手上げの空気が漂っていて、ある種の虚しさを抱きました。しかし、今年はオバマ政権がアメリカで発足して、「オバマ最初のサミット」と言ってもよいサミットだったのです。アメリカの国際社会におけるリーダーシップの復活と言いますか、新しい指導者としてオバマが何を言って来るのかという事が大きなポイントでした。オバマ新政権の5カ月を踏まえて、オバマはロシアからイタリアに回り込んで来たわけです。「核兵器なき世界」というメッセージを政権の一つのキーワードとして発信し始めて、ロシアにおいては、核兵器の制限に関する米露間の新しい合意を形成して、その勢いで核兵器廃絶に向けて、世界の核不拡散に対して核兵器なき世界を嘔いあげて、来年の3月にワシントンで核サミットを行なうと言いました。その共同宣言の中で、「CTBT」=「包括的核実験禁止条約」(註.1)を早期に発効させる努力をするという事まで持ち出して来きました。1年前にはアメリカがまさか核廃絶という事を言い始めるとは予想もつかないところにドーンと球を投げて来たという感じです。そして、これからそれがどのように進むのか大変な壁があるだろうと思いますが、新しいアメリカのリーダーになった人物=オバマが、世界に向けて発信し始めた「核兵器なき世界」というメッセージが非常に心に残るという事が一つあります。
 そして、もう一つは環境に関して、少なくとも昨年のようにアメリカは世界の新しい環境のルールづくりから降ろさせてもらうという空気から一歩踏み込んで、京都議定書に参加するわけではないけれどもアメリカ自身の中長期のCO2排出に関する目標数値も「2009年比横ばい、2005年比14%削減」とオバマ自身が数値を語り、今回、少なくともG8の水準において、つまり、8カ国においては、長期目標で2050年には80%削減という数字を共同宣言に出しています。
この80%という数字ですが、昨年、G8が洞爺湖で出した数字は50%でした。この事から言うと、アメリカ自身も環境のルールづくりに大きく踏み込んで来た部分と、昨年よりもやけに意欲的な30%も上積みしたような数字で先進国は2050年までに中期目標は別にして、「80%なんて言い出した」というところに大きなポイントがあったわけです。
この80%論の不思議なところは一体いつの基準年から80%削減するつもりなのかという話になった時に、甚だ玉虫色と言いますか、びっくりするような事になっているところです。それは何かと言うと、「あなたの解釈次第でどちらを採用しても構わない」と言わんばかりの合意内容になっているということです。つまり、昨年までの50%削減というのは1990年比の話だったのですが、1990年比という事では面白くないと言いますか、自分たちにとってそれは不利益だと思っている国がいくつかあって、それはアメリカであり、日本でもあるわけですが……。
 日本は1990年比の削減を京都議定書によって、6%削減を2012年までに行なうという事をコミットしています。その1990年比の数字を基準にすると日本の場合は1973年の石油危機以降、この番組でも何回か議論してきましたが、既に雑巾を絞って空雑巾のようにCO2削減の努力し終わった状態からまた更にという気持ちが大きいために、1990年比ではなくて、日本は1990年から7%増やしてしまっているので、もう一度話を戻して2005年の増やしている状況からその先何%削減という数字にした方が日本にとっては有利であるという判断があるので、ここのところに来て日本は基準年について2005年にして欲しいという話を国際交渉において強く言っています。そして、同じようにアメリカも「せめて2005年にしよう」と言っていたわけです。
 つまり、分かり易く言うと、そのような要求がいろいろと出て来ている反面、欧州はいまだに1990年比にこだわっているので、合意が形成出来なかったという事です。基準年は全く曖昧にしたまま、文章をよく読むと「1990年比、もしくは最近の複数年と比べて80%削減」という言い方しています。これは訳のわからない話です。生真面目に考える人から言うと、「これは一体どういう事だ?」という話になり、一体いつから何%削減かわからない数字をぶち上げても意味がないという話であり、80%削減と言ってみても厳密な面で意味がないのです。
しかし、そのように言いながらも、まず、アメリカが環境問題のルールづくりに復帰して来て、今年の12月にCOP15がコペンハーゲンで開催される予定ですが、それに向けて少なとも世界でもっともCO2を排出している国であり、エネルギーを消費している国であるアメリカ自身が国際ルールづくりの中に参画して来たという事はポジティブなメッセージとして我々は受けとめた方がよいと思います。
残る問題は中国です。中国は世界第2位のCO2排出国であり、その他にも今回のサミットには中国にとって不都合なテーマが並んでいたわけです。一つは国内における民族問題で新彊ウイグル族を人権問題の視点から見ると弾圧しているのではないかという事がありました。チベット同様の扱いで、中国が糾弾される空気と言いますか、可能性を感じとっています。そして、環境問題においても中国をも巻き込んだルールづくりという局面で、中国は途上国と一緒になって「先進国がまず責任を負え」と盛んに言っている立場からすると、中国も削減義務にコミットするのは避けたいという空気があるはずです。
更に、北朝鮮問題における中国の責任と言いますか、役割を期待されたり、問いただされたりするような流れは中国にとって辛いものがあります。

木村>  6カ国協議の議長国ですね。

寺島>  そのような意味合いにおいて、難しい課題も横たわっているし、さっと現われた中国が消えた事によって中国のプレゼンスの大きさを印象づけるというように、中国なきサミットの意味のなさを世界中に印象づける事によって逆に中国の存在感を際立たせたとも言ってよいと思います。ある意味では強かでもあり、高等戦術でもあると思います。
いずれにせよ、ここで申し上げたい事は、オバマは統治能力と言いますか、リーダーとしての構想力を極めて強く印象づけたという事です。つまり、昨年アメリカが洞爺湖で見せていた、「この指導者ではどうにもならない」という空虚なまでの空気から、わずか1年で世界の真っただ中に、「アメリカのリーダーは大したものだ」という印象を鮮やかに残しました。その後の8カ国だけではなく、インドや新興国等を巻き込んで拡大したフォーラムにおいても一つの流れを仕切って行くという事を見せて、根気強く議論に参加するアメリカを印象づけたと思います。

(註1、Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty)

<アメリカ出張報告>

私は2週間ほど前に西海岸のサンフラシスコを中心として動いて来ました。その時の印象はと言うと、オバマの5カ月がうまく行っているように見えるけれど、現実はアメリカも大変苦しんでいるという事です。
私がサンフランシスコにいた時は、マイケル・ジャクソンの死の直後でアメリカのメディアはマイケル・ジャクソンの事ばかりを連日多くの時間を使って報道をしている印象だったのですが、別の言い方をすると、マイケルの死もさることながら、6月には、イラクとアフガニスタンにおいてアメリカ軍兵士の死者がついに5千人を超してしまったという事実があります。オバマは、イラクから段階的に撤兵する構想を示していますが、この先オバマ政権はアフガニスタンには1万7千人も増派して更に突っ込んで行くというある種の泥沼で底が見えないという状況の中でのた打ち回っています。しかも雇用情勢において失業率が9.5%というところまで来ていて苦しみ抜いているアメリカという意味合いにおいては、決してオバマ政権は外交においても、国内経済においてもアメリカを新たな軌道にのせているとはまだ言えません。
雑誌の「タイム」が「オバマはFDRになりうるのか?」というタイトルで特集をちょうどやっていましたが、これはどのような意味かと言いますと、大恐慌のアメリカを救ったフランクリン・ルーズベルトのようなアメリカを再生させて行くリーダーになりうるのか、それともジミー・カーターで終わるのかという事です。つまり、牧師のような空気の男と言われたカーターはベトナムで傷ついてささくれだったアメリカ人の心にニコニコ顔の爽やかなメッセージは提供したけれども結局はアメリカの衰亡に加担してしまった大統領であったという捉え方が多いのです。そのジミー・カーター的な方向に行ってしまうのか、甦るアメリカをつくり上げたフランクリン・ルーズベルトのような役割を果たす大統領になりうるのかという事です。この政権の評価が非常に難しいところに来ているので必ずしもポジティブな状況ではないのですが、それでもオバマ政権を取り巻いているブレインも含めて、世界に向けて必死に発信をして、ある種のリーダーシップを取り戻そうとするアメリカというものがいま見えて来ていて、その舞台としてイタリアで行なわれたサミットによって繰り広げられた物語を頭の中で整理をしてみると、別な興味も盛り上がって来るのだと思います。

木村>  みんなが集まって「何かをお話合いしましょう」というサミットは色褪せたかもしれないけれども「変わるアメリカ」、そして「世界が変わる」という事を我々はそこに見る事が出来るかどうかというメッセージを投げかけたサミットだったのですね。そこで、当然、日本が問題意識にのぼってくると思いますので後半に伺おうと思います。

<イタリア・サミットにおける日本>

<後半>

木村>  「サミットと日本」なのですが、日本は存在感が薄かったと言われていますし、例えば、日米首脳会談について言えば、食事の前と後で合わせて25分話しただけですが、日本はこの事を首脳会談と呼んでいます。しかし、アメリカは単なるディスカッションだと言っているようです。これは、我々にとって、「一体このサミットは何だったのだろうか」と思わざるを得ない事ですね。

寺島>  私は日本人のサミットに対する考え方を含めて話しておきたいのですが、例えば、外務省のサミットを担当している責任者、シェルパとも言いますが、このような人たちの目線では、「今回のサミットは日本も結構頑張りました」という総括が必ず出て来ると思います。

木村>  シェルパはサミットの内容を先に積み上げて行って決めていくのですね。

寺島>  シェルパというものはコーディネイターのような役割で、日本の主張等をサミットにおいてどのように展開して行くのかという責任を担ってアジェンダをセッティングして行く事務局の人です。
 このような立場からすると、或いはメディアに対してアピールするために日本の主張を共同宣言に盛り込ませたというところが非常に重要です。そういう意味では、北朝鮮問題が共同宣言に入っているという事で、日本もきちんと主張をしたという事にもなります。そして、堂々とそれが共同宣言に盛り込まれているという事で結構成果があったではないかという類の総括がなされがちなのです。
そこで、私が思い出す事は宮沢政権がサミットに向き合っていた頃に私はワシントンにいましたが、宮沢さんがドイツ・ミュンヘンのサミットに行く途中にワシントンに立ち寄ってから向かうという事がありました。その時の日本のメディアも含めて日本人の関心は北方四島問題に向かっていて、北方四島についての問題提起が日本を支持する形で共同宣言に盛り込まれるかどうかという事が大変な課題だったのです。そして、宮沢さんが滞在しているホテルから少し顔を出した時に、「いよいよ北方領土問題は共同宣言に入る事になりましたか?」と記者団が叫んでいるのを宮沢さんが当惑したような顔をして見ていた事を思い出します。日本は全力をあげて各国に根回しをして、へとへとになりながら北方四島問題を共同宣言に入れる事に成功をしました。しかし、そこからどうなったのかと言うと、今日に至るまで北方領土問題は片付いたのかと言うと全くそのような事とは関係のないのです。今回の共同宣言のように、北朝鮮問題を盛り込むのかどうかという面だけのとらえ方によってサミットに関わる事の限界を日本人はそろそろ考えなければならないと思います。
サミットの場は、国際的なリーダーとして自分の国を束ねる統治能力と世界秩序のあり方という大きな構想力を持って向き合っていかなければ存在感というものを発揮出来ません。例えば、オバマが「核兵器なき世界」と発信し始めている事に対して、日本は自分の利害に関わる事だけは興奮して一生懸命に発言するけれども世界のあり方についてはちっとも発言をしないという空気です。
日本の天野之弥大使が「IAEA」=「国際原子力機関」のトップについ先日、7月2日に選出されました。機関はウィーンにありますが、パリにある「IEA」=「国際エネルギー機関」の方は田中伸男さんという日本人が事務局長を務めています。私が言いたい事は、国際的なエネルギー機関や原子力機関のトップを日本人がやっている事を背景にしながら、エネルギー、環境、原子力の平和利用、核の廃絶等に関する「日本としての見識を込めたメッセージ」を世界に向けて発信して行くべきだろうという事です。日本がリーダーシップを持って、このような仕組みで世界は核の廃絶に向かうのだという道筋をつくるべきなのです。具体的なルールは例えば、IAEAで盛んに議論されているように核装備ではなくて原子力の平和利用によるエネルギーの利用で原子力に向き合おうという途上国が出て来たのであれば、核装備をするという野心をおこさせないために核燃料を平和的に国際機関が融通して、核装備の誘惑を断つという仕組みの中に招き込んで行くという包括的なルールがつくられつつあるのです。そのようなものに対して日本こそが核を廃絶するという問題よりも平和利用の新しいルールづくりのシナリオを提示する事が十分に出来るのです。
世界の中での日本の発言力をこのような方向に高めて行くという問題意識を取り戻す事が重要で、「サミットで日本の主張が通って北朝鮮問題が入ったではないか」という狭い視野から脱却し、我々はそろそろ高い次元に昇らなければならないのです。それが今回のサミットを見て私が痛感した事です。

木村>  寺島さんは「統治能力」、そして「構想力」とおっしゃったのですが、背後にある問題意識をどのようなところに我々は置いているのか、それらをどのように深めているのかという事が相当重く問われるサミットだったのだと思います。