第25回目

<地球温暖化~CO2等の温室効果ガス排出削減の中期目標をめぐって~>


木村>  前回の放送では「ベルリンの壁崩壊から20年~欧州報告~」、サブタイトルが「ベルリンで考えた事」というテーマでお話を伺いました。俗に「OBサミット」と呼ばれるものに寺島さんが特別ゲストとして参加されて高度の専門家会合、そしてサミットでも講演をなさって、とりわけドイツのシュミット元首相と交わされた会話がとても示唆深く印象に残っています。
 今朝のテーマは、「地球温暖化~CO2等の温室効果ガス排出削減の中期目標をめぐって~」です。6月10日の夜、麻生総理が記者会見をして「2020年までの温室効果ガス削減の中期目標について2005年に比べて15%削減を目指す」という表明がありました。寺島さんご自身は地球温暖化に関する懇談会で、昨年の秋から、この目標をどのように設定していけばよいのかという事をめぐって議論にも参加されました。更に言うとこれをどうようにまとめるのかという立場でもあった、当事者だったと思います。

寺島>  昨年7月の洞爺湖サミットに向けて、当時の福田首相を取り巻く懇談会という形でスタートをして、世の中的に言う「福田ビジョン」の環境目標の設定において2050年までに60%から80%のCO2を削減する事を発表した流れの中で、今度は中期目標で2020年に向けて実行可能な削減目標の数字をどうするのかというテーマをめぐって一年間くらいかけて議論してきました。その集約点が6月10日に麻生首相が発表した「日本は2005年比で2020年までにCO2を15%削減する」という目標になったのです。

木村>  ここでお話を伺う前に基礎的な事を確認したいと思います。
 我々には「京都議定書」というものがあって、そこで定められているのは「2012年までに日本は1990年を基準にして6%の温室効果ガスを削減する」で、いまはその約束した期間に入っていてそれを実施しているわけですが、この実施に入る前に既に8%も増えていたという状況を前提にしながら、言ってみれば京都議定書の先をこれからどうするのかという事になります。

寺島>  京都議定書に関して我々は2012年までに責任をもって立ち向かっていかなければならないのですが、2012年を超えて2020年にどれくらいの目標を設定するのかという事について、「日本がどのようにするのか?」と世界は息を飲むように見ていたと思います。また、京都議定書に入って来なかった中国やインド等の新興国やアメリカも巻き込んでどのような形で今後の流れをつくるのかという事も重要な課題となっています。
そこで、熟慮一番、2005年比「15%」という数字を出して来たわけです。これは京都議定書で議論していた1990年比で言うと、2020年までに8%削減する事になります。つまり、京都議定書で6%コミットしていて2012年から2020年までの間にたった2%しか上積みしないのかというニュアンスで受け止める人もいると思います。
 ただ、この話が非常に難しいのは産業を背負っている経済界のほうは、2005年比の15%削減目標が甚だ面白くないと言いますか、納得ができないのだとと思います。要するに、1990年比の4%増を主張し、2005年比マイナス4%を主張していたのが経団連をはじめとする経済界だったのです。そのような立場の人たちからすると、11%とか12%とかいうような高い目標を設定してしまって、それを背負って立ち向かっていかなければならないというのは日本産業界においては大変な重荷になり、大変な数字にコミットしてしまったという失望感があるわけです。
 一方、環境派と言われている人たち、つまり、地球環境問題について一生懸命に旗を振っているようなNPOやNGOの人たち、或いは政党で言うと民主党等は1990年比25%削減と主張していました。これらの立場の人たちからすると2005年比で15%と言っても自分たちが主張していた目標よりも10%低い設定で甚だこちらも納得がいかないのです。
したがって、両極にいる立場の人たちからしてみれば大変に失望感のあるのが15%という数字なのです。
 私自身は温暖化懇談会のメンバーに入っていますが、15%という数字は、両者の真ん中をとっていきましょうと言うような安易な話ではなく、日本は実効性があって意味のある目標設定値に踏み込まなければならないという側面があるのです。実効性があるという事は実際に実現可能であり、しかも挑戦的で世界が納得いくような数字でなければなりません。その水準は一体どのようなところなのだろうかと真剣に考えてみると、今回の目標は大変に重要な第一歩だと言えます。
そして、私は次のように認識せざるを得ないと思っています。それはどういう意味かと言うと、まず「経済界の本音は何か」という事です。彼らの本音は率直な言い方をすると、京都議定書では騙されたという事です。そのため日本は、とてつもなく大きく、実行できないような目標を背負わされて、その上、肝心な中国やアメリカ等が入っていない。このようなものを日本だけが背負いこんでその目標を達成するためには大変なコストをかけて、例えば排出権を買って来てでも国際公約を果たさなければならないハメになったのです。要するに、背中に物凄い荷物を背負わされた気持ちをもっているのです。
そこで持ち出して来た根拠と言うか主張のロジックが「限界削減コスト均等の法則」です。これは難しい話に聞こえるかもしれませんが、そんなに難しくはありません。つまり、CO2を一単位減らすために必要なコストをアメリカも日本も欧州もフェアに同じく背負いましょうという事です。このような考え方に基づいて行ったのであれば、日本は2020年には1990年と比べると4%プラス、つまり京都議定書のマイナス6%は間違いだったと否定するような主張に行き着いたのです。これは聞き様によると限界削減費用を公正に負担すべきだという考え方は主張として一定の科学的合理性があるという認識が一方では確かにあります。
しかし、果たしてそのような目標で世界の大きな流れの中で大丈夫なのかという考え方もあります。私の最大の論点は2年半前に日本が発表した「新国家エネルギー戦略」(註.1)と関連します。この番組で何度も言っていますが、エネルギー問題と環境問題は裏表一体なので、日本のエネルギー戦略において一生懸命に頑張って省エネルギーや環境に配慮して行ったのであればこのようなシナリオなるというケースを設定したものがあります。その目標値が1990年に比べて7%削減論というものでした。それは今回の2005年比で言うと、14%くらいの削減に相当します。
日本の経済は昨年の秋から、それこそサブプライム以降、物凄いマイナス成長に入っていて、「マイナス成長」=「エネルギーの消費の減り」等がいろいろな意味でダウンブローに入っているわけですが、世界の環境問題の流れがぐっと盛り上がって来ているのを受けて、日本自身も例えば「エコ」という言葉が非常に定着して来て、エコカーにインセンティブをつけたり、太陽光等にも政策的にもインセンティブをつけて助成金や補助金等を出しています。このような状況下、2年半前に最大に努力してここまでやりましょうと言っていた目標よりも低い目標を設定する事は合理性がないという事が私の一番の論点なのです。したがって、少なくともそれ以上のところにはもっていかなければなりません。
また、「真水論」と言われるものがあって、これは何かと言うと、欧州やアメリカ等が出している目標値は日本よりも非常に積極的にアピールしているけれども、中身に踏み込んでみると、その半分以上は排出権を買って来るという形での削減なのです。

木村>  排出権を買って来るという事ですが、自分の国内で純粋に努力をして出来なければ、色々な方法がありますが、例えば、途上国等で削減する努力をしてその分を買い取る、或いは、排出する量をそのまま買い取るという事ですね。

寺島>  つまり、純粋に努力して減らすのではなく、このような形で数字を合わせるために外から買って来たり、欧州の場合は中核になっているドイツやフランスやイギリス等の削減が大きくなっているのではなく、周りの余力がある新たにEUに入って来たかつての中東欧地域での削減が数字に貢献しているのです。
 したがって、「真水」という意味においては、欧州やアメリカ等の数字を必ずしも鵜呑みにしてはならないわけです。日本が出している15%は、排出権を外から買って来た数字ではない真水の部分の数字なので、これに排出権を買って来る方法を加えるのであれば、プラスアルファ、例えば20%という方向に増やしていける余地もあります。このような事を考えるとギリギリのところで日本は相当踏み込んだとも言える数字だと私は認識していています。
 整理をして言うと、アメリカはオバマ政権になって、いままでは京都議定書からも逃げていたけれども1990年比で横ばいの0%、2005年比では14%減らすと言っています。そして欧州はいま申し上げたように2005年比は13%減らすと言っています。
したがって、アメリカ、欧州を睨んで日本の15%という数字はそれよりも微妙に高く、しかも真水だという意味において、ある意味では日本としてはギリギリのところで意欲的なところに踏み込んだわけです。これをもってこれから待ち構えている12月の「COP15」と言われているコペンハーゲンの会議等に臨んでいくのです。
そこで、我々の身近な意味においてこれが何を意味するのかと言うと、私は日本人としてある種の覚悟と希望を込めてこの数字をしっかりと認識しておかなければならないと申し上げます。例えば、国民にとって今回の15%削減論がある面ではドキっとする部分があって、一家庭あたり年間7万円のコスト負担がプラスされます。それは電気料金が上がったり、太陽光発電を20倍にしなければならなかったり、新たに売れる車の半分をエコカーに切り替えなければならないという事です。要するに、国民のコスト負担も増えるし、ひょっとしたら経済が停滞して失業率が高まってしまうかもしれない中、大きな目標に胸を叩くのは国民にとっても大変なシナリオだという部分があるのです。

木村>  そこの部分について、我々がどのように向き合うのか後半で伺いたいと思います。

(註1、日本はエネルギー資源の96%を海外に依存していて、エネルギー資源の逼迫や温室効果ガス問題という世界的な情勢を考えて、日本のエネルギーに関する課題を担当する経済産業省は平成18年5月当面のエネルギー戦略について取りまとめを行ない、様々な政策を実施している)


<後半>

<日本に求められるエネルギー政策の転換>

木村>  前半では「温室効果ガス排出削減の中期目標」において日本の我々に覚悟が求められるという事で、家計負担の例を出しながらお話がありました。その覚悟の部分には勿論、産業の構造等が大きく変わると考えなければならないのですね。

寺島>  若干、ネガティブな方の覚悟に焦点をあてがちで、「エコは金がかかり、ひょっとしたら産業の活力を蝕んで失業者さえも増やすかもしれない」という恫喝のシナリオがエコに関して登場して来ている空気もありますが、一方では、新しくグリーンニューディールをはじめとする産業を生み出して、新しい仕事を増やしていくというポジティブな部分もあるので、バランス感覚をしっかりと捉えなければならないのです。
 エネルギーと環境問題は裏表なので、例えば、再生可能エネルギーにおいて、日本の一次エネルギー供給の5%弱ですが、これを少なくとも2020年までに倍にしなければならないのです。分かり易く言うと、風力、太陽、バイオマス等、まさにオバマのグリーンニューディールと称する戦略に相当するようなものを日本も展開して、一次エネルギー供給が占める10%くらいを再生可能エネルギーで賄うという覚悟を決めて立ち向かわなければならないという事が一つです。
 もう一つは原子力で、原子力発電だけを物凄く鼓舞する気持ちは一切ありませんが、2年半前の新国家エネルギー戦略の中で、一次エネルギー供給の15%位は安定的に原子力発電で行うと日本が原子力立国という事で方針を決めました。それが、例えば新規の原子力発電所を9基増設するとか、原子力発電所の稼働率を現在の60%から80%位まで高める事を覚悟しようと2年半前に決めたわけです。この事についても粛々と技術を蓄積して、原子力の平和利用については日本でしっかりやって行くのだという覚悟もないと、先程言ったような15%削減は絵空事になってしまうのです。
 つまり、日本人として分かり易く言うと、原子力によって我々が使っているエネルギーの15%、再生可能エネルギーで10%を足して25%くらいをそのような方向に2020年までにしっかりと持って行って、「化石燃料」=「石油、石炭、ガス等」の部分を75%位に抑えて日本のエネルギー安全保障をしっかりと考えながら進み出して行くという戦略シナリオがしっかり実現出来ないと、2020年までに15%削減と言っているのは絵空事になってしまうわけです。どちらかと言うと、「家計で7万円負担増」という事に目がいってしまっているけれども、日本としては、そんな事よりもしっかりとエネルギー政策を組み立て、その方向に日本を引っ張って行き、しかも「家計」=「民生の分野」においても、エコカーの様なものの比率を高め、太陽エネルギーによる発電等を各家庭に増やして行く仕組みをじわりじわりとつくって行かなくてはならないわけです。このようにしていかないと「2020年15%削減論」というものは数字の遊びになってしまいます。
 ここで物凄く重要な事は、アメリカがルールづくりに戻ろうとしているので、中国、インドをしっかりと巻き込んで行く事です。更に、アメリカ等が主張して来ると予想されますが、「森林による吸収」という要素を加えてくれという事です。日本は海洋国家なので「海洋吸収」や「農地による食糧自給率を高める」という話をこの番組でも何度もお話をして来ていますが、農地によるCO2の吸収等に真剣に取り組む等、非常に総合的で大きな政策がしっかりフォローしていかなければならないのです。15%という数字が多いか少ないか等という事を議論している場合ではなく、内容を踏み固めていかなければとてもこの話には近づかないという事が今日私が話したい事です。

木村>  今年の12月に「COP15」=「国連の気候変動枠組み条約・第15回締約国会議」が開かれ、ここに至るまでに多分、内と外での課題、いま寺島さんがおっしゃった外では日本の努力をどのように位置付け、評価をされるのかという議論があり、国内では我々が対になる議論をキチンと自覚して深められるかどうかが試され、その意味では目標、つまり数字が提示されたという事は、いま始まったという事ですね。

寺島>  長期の目標については兎角、無責任に50%だ、60%だと言いがちですが、この中期目標は実行可能で約束をしっかりと守って行くという覚悟がなければ数字等は軽軽に口にしてはならないという世界だと思います。あまりにもそのような意味で無責任な数字が入り乱れて来た中で、日本もようやく数字の世界に議論、足固めが出来始めたという局面なのだと思います。