第14回目

2009年1月24日OA分寺島実郎の世界

木村>   先週から「2008年で学んだ事~2009への展望~」という大きなテーマ設定でお話を伺っています。先週のお話の最後に、「全員参加型秩序」に触れました。そこで、そうした世界の中で日本がどのように生きて行くのかという事に関わると思うメールがラジオネーム、オバマニアさんから届いています。「毎週楽しみに聴かせて頂いています。1年前に最高益を出したメーカーが赤字に転落するなど、日本もあちこちで悲鳴が聞こえてきます。信用不安のせいもありますが、為替レートや原油相場の変動でこんなに経営が左右されるビジネスはつらいですね。オバマ政権はグリーン・ニューディールという産業政策を立ち上げて、新しいマーケットをつくろうとしています。軌道に乗るまでには税金を相当突っ込んで政府もしばらく財政的にコミットし続けなければなりませんね。300万人近くの『JOB=ジョッブ』の創出の世話をしながらGMなどの面倒を見るのは大変難しいですね。アメリカで立ち上げた分野でも日本も追従、いや日本の先端技術がむしろ世界をリードするという感じで推移してもらいたいですね」という内容です。つまり、日本のこれからのありかたにも期待をしているということですね。
そこで、もう一度、「世界が変わる」という中で「全員参加型秩序」、或いは「無極」という言葉も寺島さんから語られました。そういう世界は、一体どのような事を我々に求めて来るのか? 逆に、我々にその世界に立ち向かう時にどんな事が必要なのか? そして、その中で日本はどう生きて行くべきなのか? というところにお話を深めたいと思います。

<全員参加型秩序の中の世界経済>


寺島>   全員参加型秩序を一言で言うのならば、「様々な立場や様々な背景を背負った人たち全員が発言し始める状況」です。まさに、ネット世界での「WEB2.0」ではないですが、今まで受け身で、例えば、番組や放送を聴いていた人たちが自らの新しいIT技術を使って発信し始めるような状況と全員参加型秩序がちょうどかぶって来るのです。
そこで問題は、全員参加型秩序にも大きなルールをつくって行く必要があるという事です。また、制御して行く必要があるとこの間から繰り返して言っていますが、筋道の通った理念性が全員参加型秩序においては重要であり、力で押しつけて「俺の言う事をきけ」という形では、ルールや秩序を保ち得ないのです。「非核平和主義」という日本のスタンスを例にとって話せば、一部の人たちは非核平和主義は力と力がぶつかり合う国際社会の中で綺麗事の話に過ぎず、世界はそんなわけには行かないだろうから結局、軍事力無き大国はないと言うか、「軍事力が無い国は世界において発言力が限られているのだ」という自虐的な議論をする人もいたくらいでした。しかし、これからの全員参加型秩序の時代は理念性が重要になって来ます。例えば、イスラエルの混乱や中東の秩序の液状化という事態に力を持ってこの問題を解決しようとする人たちが味わう事は、アメリカがイラクで味わっているような徒労です。やはり筋道の通った理念性という事が重要になって来ます。例えば日本の非核平和主義は、日本が国連の常任理事国になろうという気持ちをもし持っているとするならば、他の常任理事国は全部、核を持って核の恫喝で自分の国の存在感を高めようという方法の中にあるけれど、日本は「核を持たない国」を大きく代弁しながら、世界中のそのような姿勢を価値あると感じる人たちを背中につけながら世界に向けての発言力を高めて行く事が出来る大きな時代の転換点に来たとも言えるわけです。したがって、非核平和主義という何か絵に描いたような綺麗事に見えたものが、日本が世界に向けて発言力を高めて行くには、このような時代における大きな日本にとっての「ツール」=「武器」になります。
そのような時代の転換点に今、世界はあるのかもしれないという事が大変重要です。そのような世界状況にありながら日本全体に漂っている気分という意味で日本人がどんな事に対しても悲観的だという事が問題になります。例えば、昨年の初めに我々が心配していた事は、「ひょっとしたら原油価格が100ドルに上がってしまうかもしれない」でした。事実、100ドルどころか147ドルにまで一回行きました。それが年を明けてみたら今度は落ちている状態で、昨年は結局、年初に比べて58%、ニューヨークのWTIは落ちました。
つまり、原油価格が上がっても悲観、下がっても悲観。そして、為替が強くなっても悲観、弱くなっても悲観というのが日本人の一つの特色なのです。「冷静になりましょう」という事なのですが、まず、原油価格が下がっているという事は、これほどまでにエネルギーを外部依存している日本にとっては物凄くポジティブな要素です。そして、自分の国の通貨の国際的な交換価値が高まっているという事は、基本的には大変素晴らしい事なのです。例えば、韓国のように1年間でウォンの価値が半分になってしまったらそれこそパニックに陥ります。つまり、ウォンで買えるものが半分になったという事ですから・・・・・・。日本は逆に言えば、昨年1年間で25%円がドルに対して強くなりました。これは、つまり、25%安く世界から物が買えるという事でもあるわけです。
 日本でいま漂っている悲観論の要因というものは、企業の業績が物凄く悪くなったという風評です。しかし、これは「輸出依存している企業の業績が物凄く悪くなった」と言い替えるべきで、実は声を出さないけれども、電力会社やガス会社等の企業にとってみれば、現実の姿は物凄い追い風の中にあるのです。したがって、追い風の中にある企業もあるし、逆風の中にある企業もあるという事です。日本全体の経済が輸出に過剰依存している経済構造の時代において、円高は物凄い逆風だと捉えるべきですが、日本経済は必ずしもそうではなくて世界に大変な金融資産を持っていますから円の価値が高まっているのは決して悪い事ばかりではありません。私が海外を動いていて質問されるのは、「この先身震いするくらいに日本は戦略的に円高を活用して来るのだろう。次にどうしますか?」です。これだけ円が強くなって、欧州へ行ってもアメリカ人がやって来て、「日本は円高を戦略的に活用して次にどう動くのか?」と聞きます。自分の持っている資産の価値が海外に持ち出した時に25%も昨年と比べて高くなっているわけですから、25%ディスカウントした状態で企業も技術も買えるわけです。そのような状況で「何故日本が悲観しているのか?」という事が世界の疑問なのです。
要するに、冷静になって発想を変えてみれば、国際金融市場における日本の円の価値をいまこそ高めておくべきなのです。この間の金融サミットが行われた時に日本人がいかに固定観念に捉われているかという事を炙り出してしまいました。IMFを支えてドルを唯一の基軸通貨として持ちこたえて、IMFに10兆円の資金を供与してでもアメリカを中核とした一極体制を支えなければならないと思い込んでいる事が日本のいまおかれている悲しみだと思います。国際通貨の世界において、円だけが基軸通貨になるなんていう事はありえませんが、円もユーロもドルも、要するに多様な通貨がバランス良く世界を支えて行くという時代に向けて新しい構想を展開すべき時期に来ているわけです。つまり、一時代前の「日本は輸出立国だ」、「日本はアメリカに依存して生きている国だ」という固定観念から、更に「ドルが揺らげば日本が悲観する」というような「ヴィジョンと構想力の欠落」という言葉を使わざるを得ないような状況から脱出する必要があると思います。
私は日本のおかれている状況を全く悲観していません。何故かと言うと、オバマが「グリーン・レボリューション」を言い始めて「グリーン・ニューディール」を提唱していますが、日本は1973年の石油危機以降、二度の石油危機を越えて37%のエネルギーの利用効率を高めたのです。これは世界にも例を見ない事です。それは、エネルギーを外部に依存しているために利用効率をひたすら高めて来たからです。それを更に3割、2020年までに高めるという事が、いま国家エネルギー戦略の一つの柱にもなっています。要するに、省エネルギーと言う時代が来る時に一番先端的な技術基盤を蓄積した国は何処かと言うと、日本であり、再生可能エネルギーにおいてはドイツよりも前に太陽エネルギーを考察しています。ドイツが大本気になって再生可能の方にかけた事でドイツの技術基盤も大変尊敬すべきものになっていますが、日本の太陽光発電や太陽エネルギーの利用技術は大変高度なものですから「流れは日本に来ている」という一面もよく知らなければならないと私は思っています。

木村>   経済の力はとても大切な力なので、私たちはここのところを色々な変数と言うか方程式が多元方程式になったところでキチンと見る力が必要だという事がよく分かります。そのところを基礎にして「変わる世界」、「日米関係」となった時に経済だけではなくて、例えば駐日大使にジョセフ・ナイ(註.1)さんの名前もあがってきて、彼は日本の事をよくご存知です。そういう時に、日米関係のあらためて「変わる世界」の中で我々が問われるものは何なのでしょうか?

(註1、ジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye, Jr. 1937年 - )は、アメリカ合衆国を代表するリベラル派の国際政治学者で知日派として知られる。ハーバード大学特別功労教授。またアメリカ民主党政権でしばしば政府高官を務めている)

<オバマ政権のアメリカとの日米関係>


寺島>   私は今回のオバマ政権のいわゆる外交関連人事を見て、いま木村さんがおっしゃったジョセフ・ナイが日本の大使になるかもしれないという状況になって来たり・・・・・・。これはライシャワーが日本の大使をやった時以来、分かり易く言えば日本の事を物凄くよく知っている人を選ぼうとしているという気配を感じるわけです。そして、カート・キャンベルが国務次官補をやるという人事にもまた同様の感想があります。彼はヒラリー・クリントンが引っ張って来たと思いますが・・・・・・、私は彼が「CSIS」=「国際戦略研究所」にいた時から大変に親しくしていて、彼がとても日本の事をよく知っている人間の一人だという事を知っています。そのような人間が国務次官補に登場して来るということ自体が、この政権は中国にシフトして行くのではないのかという懸念が語られていましたが、意外とそうでもないところをまず見せて来ています。
更に、そのような事を踏まえて、「日米関係はどうなるのか?」という話をしましょう。日本人は被害妄想のようになって、「日本がバイパスされて、米中関係だけが強くなって行くのではないのか?」という考え方を取り上げがちですが、私が重要だと思うのは、「日米関係がどうなるのか?」という問題の立て方から脱却して、「日本がどのようにして行こうと思っているのか」という発想の転換なのです。私がワシントンに行くといつもからかわれるのは、日本人がやって来ると「オバマ政権になったら日本との関係はどうなりますか?」という取材を連日受けるのですが、「じゃあ、あなたはどうしたいと思っているのですか?」と言うと、回答が返って来ないと言われます。要するに、日米同盟の基軸と言われている安全保障条約をどのようにして行くのかとか・・・・・・。例えば、米軍の再編が行われている中で、将来のあるべき日米関係を考えて、在日米軍基地や地位協定等をどのように見直して行くのかという事について「日本が何を主張するのか」という事の方が物凄く重要なのです。私はよく、「愛されたいシンドローム」という言葉を使いますが、戦後60年の日米関係の中でいつもアメリカ頼りで生きて来たために、「僕って本当に愛されているのだろうか?」という事ばかり心配をして、自分自身がこの関係をどのようにして創造的により信頼の高いものにして行くのかという事について構想する力を持つ事が出来なくなっているのです。球は向こう側にあるのではなくて、日本側にあるのだから日本として日米関係をどのようにして行きたいと思っているのか・・・・・・。例えば、経済において自由貿易協定を日米関係で結ぶ事についてどう構想するのか。私はもう20年近く、日米の自由貿易協定をどこの国よりも早くやるべきだと言っていましたが、韓国とアメリカの自由貿易協定(註.2)の方が先だったとか、アジアの国々との方が先行してしまいました。日米関係とは実に不思議な関係で、60年以上もこれだけの同盟関係を持ちながら、軍事片肺同盟なのです。つまり、軍事については安保条約を持っているけれども、経済に関しては、ほとんど協定らしい協定は無いのです。したがって、もっともっと創造的な日米関係、更に言えば、私の意見は軍事的な協力関係においては、もっと相対化して適切な間合いを取って行き、日本における軍事基地を整理縮小して行く流れをつくりながら、一方では経済の関係は日米のより信頼関係を高める二国間の経済協力協定のようなものに踏み込んで行く・・・・・・。私はこの両建てのシナリオが正しいと思います。このような事にキチンと目を向けて議論出来るような関係をつくる事が出来るのかどうかが大事で、「アメリカは私を大事にしてくれるのだろうか?」と言う話を問いかけている限り、この国の幸福は来ないという事が私の言いたい事です。

木村>   アメリカの新しい政権がスタートする事によって、その顔ぶれからも一体、日本は何を考えて、どうアメリカとの関係を結びたいと思っているのかという事がいよいよ問われるという事を我々は知らなければならないのですね。

(註2、2007年6月30日、米国および韓国両政府は、自由貿易協定に署名をした。最終的に発効するには双方の議会による批准だが、発効すればほとんどの品目で相互に輸入節税を撤廃することになる)

<後半>

木村>  続いては「寺島実郎が語る歴史観」です。このコーナーでは寺島さんのお考えの基礎となっている歴史についての考察を深めて伺おうという事です。前回、昨年になりますが「日仏の交流150周年」という事でフランスが私たちにとってどんな存在であったのか非常に目を開かされました。今朝のテーマは「日本人で初めて世界一周をした人~日露関係の深さ~」です。なんだか少し、クイズのようなテーマですね。

寺島>   そうなのです。この間、私は長崎に行って、びっくりするものを見つけたのです。それは何かと言うと、最初に「気球」=「バルーン」を打ち上げた場所の記念碑が長崎にあったという事です。1805年、つまり、いまから204年も前の話になりますが、ロシアのレザーノフという使節の一行が長崎にやって来て、勿論、江戸時代ですが、それについて来た医者の人が日本の和紙でつくった気球をみんなが見ている前で空に打ち上げたと書いてあるのです。私はその時に思い出した事がありました。それは、ロシアの西の出口と言われているサンクトペテルブルグに行った時に調べた話の中で不思議な事があって、1803年、つまりレザーノフがやって来た、たった2年前にサンクトペテルブルグで日本人が気球を打ち上げるのを見たというという記録を読んだのです。これは何の事かと言うと、宮城県の仙台の漁師が太平洋で難破してカムチャツカに流れ着いて、その人たちがロシア、つまりユーラシア大陸を横断してサンクトペテルブルグに連れて行かれて、その時の国王、ロマノフ王朝の王様と一緒になってパリからやって来ていた気球師が気球を打ち上げるショーを見たという記録があるのです。そして、私はハッと気がついて調べ直してみました。すると、その4人の日本人がレザーノフの一行と共に長崎まで送り返されて来たという事実が明らかになったのです。つまり、この4人こそ「日本人として地球を一周して来た最初の人」という事になるのです。つまり、1805年に長崎で気球を打ち上げたレザーノフの一行と共に漁師4人が日本に送り届けられたという事です。
「この話は何だ?」という事なのですが、要するにロシアでは我々が思っているよりも遥か前から、ロマノフ王朝の頃から極東に関する関心が物凄く高まっていて、いま申し上げた話は1805年ですが、それよりも100年前の1705年に同じく、大阪の船乗り伝兵衛がカムチャツカ半島に流れ着いて、サンクトペテルブルグに連れて行かれてピョートル大帝に面談をしたという事実があります。そして、ピョートル大帝の命令によって1705年、いまから304年も前の話ですが、日本語学校をサンクトペテルブルグにつくっているのです(註.3)。
つまり、300年も前からロシアは極東に対して大きな関心を高めていたのに、我々の歴史観は常に「1853年のペリー浦賀来航から日本の近代史は始まった」なのです。ペリー来航は、レザーノフがやって来て長崎で気球を打ち上げてから半世紀も後の話です。後になってやって来たのがペリーなのですが、それよりも50年も前にレザーノフが来て、更にその100年前にサンクトペテルブルグに日本語学校が出来たわけです。つまり、「ユーラシア国家」=「ロシア」ではないですが、ロシアは帝政だった時代から極東に対する野心とも言えるべき関心をどんどん高めているわけです。そこでロシアとの関係を安定させて安全なものにして行く事が日本の戦略にとって凄く重要になって来ます。ロシアと正面から向き合いながら、どのような安定した成熟した関係をつくれるのかという事が、多分、21世紀の日本の外交の大きなテーマになって来るだろうと思います。この事を私はその歴史観の中でお話をしておきたい主旨です。

木村>   お話を伺いながら驚きもありました。それと共に我々が「国際感覚」という言葉で何かを語る時に、色濃くアメリカに向いてものを考えるという思考方向に陥っている・・・・・・。さて、それでいいのか? と非常に鋭い問題提起としてこのお話も伺いました。ありがとうございました。

(註3、現在のサンクトペテルブルグ大学日本語学科の前身)