2009年01月 アーカイブ

2009年01月18日

第13回目

2009年1月17日OA分寺島実郎の世界

木村>   昨年は「世界の動き、時代がどこへ向かっているのか?」という寺島さんのお話を伺いました。色々と気持ちも沈む世界状況の中で、日本はとても広い海の面積を持っている海洋国家であり、そこに眠る海洋資源というものを開発する事によって日本の新たな産業の方向性が見えるというお話で元気を出して新年を迎えました。
 今朝のテーマは「2008年で学んだ事~2009年への展望~」となっています。つまり、世界と日本は大きく変わるけれども、この「変わる」という事をどう捉えるかが重要だと思います。

<冷戦後の世界構造の終焉>


寺島>   私は新年を迎えて考えてみましたが、結局、去年は世界がマネーゲーム経済の結末を迎えたのだと言えると思います。
2002年頃に世界の金融資産の総額は123兆ドルと言われていましたが、それがどんどん膨らんで行き、金融資産が過剰流動性で風船がどんどん膨らむように2007年の段階では194兆ドルまで膨らんでいました。したがって、70兆ドルも世界中の金融資産が膨らんだ事になります。それが、サブプライム問題をきっかけにして、「リーマン・ショック」等があり、弾けてそれが148兆ドルにまで縮んだと言う数字が出て来ています。要するに、世界の金融資産が70兆ドル一気に増えていたものが50兆ドル近くまでボーンと弾けて縮んだという事になります。つまり、マネーゲームが破綻して、パンパンに膨れ上がった金融資産が炸裂して、その風船が縮んでいる状態にいまはあるのですが、その傷口に絆創膏を貼るように塞いで、世界が金融恐慌に陥らないように必死になってまた新たに風船に空気を入れているような状態にあるというのが現下の状況だと思います。
特に、昨年末の12月にアメリカはついにゼロ金利というところまで金融を緩和して、金融の流動性不安を起こしてはならないという事で量的にも緩和して新たな金融を突っ込んで行っています。そして、世界各国は財政出動です。
そこで、深く考えてしまうのは、今年金融資産が縮んだ状態に象徴されるように、過剰流動性がエネルギーや食糧等の価格を昨年半ばまで引き上げていたのがズドーンと落ちてしまいました。また新たな過剰流動性がどこに向かうかによって、私が注目したい事は「反動高」です。要するに、再び膨らんできた過剰流動性が向かう場所によってはエネルギー価格がドーンと跳ね上がって行くとか、再び食糧の価格が上がって行くような「乱高下」=「シーソーの様な状況」になるのではないかという注目点が一つあります。
ここでポイントとして押さえておきたい事は、「変わったと言われるけれどもまた元の木阿弥」で、つまり、またぞろ新たな資源高、エネルギー高という方向に向かうような流れに再び流動性が膨らんで行くかもしれない転換点にあるのだという認識が非常に大事だと思います。
もう一つは、本質的に変わって来ていると思う事を触れていきたいと思います。やはり、昨年一年経ってみて、アメリカという国の存在感が急速に萎えたと言いますか、存在感を低下させた一年間だったと思います。この番組で何回も触れて来たように、我々は冷戦後の時代、1989年にベルリンの壁が崩れ、91年にソ連が崩壊して以降の時代を生きて来ています。89年に生まれた人たちが今年、成人を迎えるという20年を過ごしてきたわけです。その冷戦後の時代を一言で言うと、「東側に対して西側が勝って、つまり社会主義圏に対して資本主義圏が勝って、アメリカが資本主義国家のチャンピオンとして世界の中核となって世界秩序をリードして行く時代であろう」という認識です。アメリカを中心とした世界秩序が21世紀の世界秩序だと思い込んで、ひたすらこの20年を生きて来て、要するに「アメリカのような国づくりをして行く事」。例えば、競争主義、市場主義に徹した国、規制緩和というような方向を目指そうという事が多くの人たちのそこはかとないヴィジョンと言いますか、方向感覚だったと思います。
しかし、そのアメリカ自身が大きく行き詰って、自ら蒔いた種とも言えますが、サブプライムのような問題を引き起こして世界の金融不安の震源地になってしまったのです。そして、「アメリカを中心とした世界秩序が急速な勢いで崩れて来ている」という事が昨年の私の総括で、特に、2008年の集約した数字として、これは少しややこしい話に聞こえるかもしれませんが、アメリカの経常収支の赤字が6979億ドルで、資本収支の黒字が6832億ドルでした。これはどういう意味かと言うと、経常収支の赤字を続けてもアメリカは成り立っていたのです。つまり、国際収支の巨大な赤字をつくり出しながらもアメリカが成り立っていた理由は、資本収支の黒字は世界からアメリカにお金がまわる度合いのほうが大きいからです。この番組でも言った事がありますが、下血が続いているけれども、輸血量のほうがもっと多いから血液がうまく回っている状態だったのです。したがって、アメリカが本来持っている経済の実力以上の消費や軍事力を維持していられる理由も分かり易く言えば、アメリカに世界のお金が流れ込むというメカニズムに支えられていたという事です。しかし、数字で検証しても、「ついに流れ込むお金のほうが少なくなってしまった」という事が先程の数字の意味なのです。

木村>   先程の数字をもう一度繰り返すと、経常収支の赤字が6979億ドル。

寺島>   赤字の垂れ流しですね。

木村>   そして、資本収支の黒字が6832億ドル。

寺島>   ついに入って来る血液のほうが47億ドル少なくなり、要するに血液が足りなくなる、身体を回すだけのエネルギーが生まれなくてアメリカという国を支えていた世界のお金がアメリカに向かわなくなったというわけです。何故ならば、ゼロ金利状態ではアメリカにお金を持って行っても金利の差を得られなくてお金を運用する旨みがないのです。更には、アメリカにお金を持って行っても、投資をした対象がサブプライム入りの金融商品だったという事に凍りついてしまって世界の信用がアメリカに向かわなくなってしまいました。その事が盛んに言われていましたが、数字で明らかにアメリカにお金が回らなくなっているのだという事がはっきりして来たのです。したがって、そこから「アメリカは世界の一極支配だ」、「唯一の超大国としてのアメリカ」と言われてきましたが、「アメリカが世界の唯一の超大国」という時代が終わったという意味において、世界が構造的に大きな転換期にさしかかっているという事を我々は確認せざるを得ないのです。何故、このような話にこだわるのかと言うと、例えば日本もアメリカが唯一の超大国であり、世界の中心であり、そのアメリカとの連携で日本も生きて行くのが良いという判断のもとにこの国の舵取りをして来たわけですが、その前提が大きく変わって来ているという事に対する認識が物凄く大切なわけです。

<2009年以降の座標>


寺島>   そして、その事を象徴するような数字がついに出て来ました。まだ1月から11月までの数字でしかありませんけれども、昨年の日本の貿易相手の比重で、米国との貿易比重はついに13. 9%に下りました。要するに、日本の輸出と輸入を合算した貿易総額に占めるアメリカと貿易をしている割合が13.9%です。前年は16.1%でしたが、16.1%でもみんなびっくりしていました。かつてアメリカと貿易する事が日本の貿易の柱だったのですが、そういう時代を生きて来た人は、「アメリカとの貿易がわずか16.1%になってしまったのだ」と昨年はびっくりして話をしていました。それが、更に加速度的に落ちて来て、13.9%になっています。12月までの数字が出て来ても多分同じでしょう。日本の対米貿易が占める割合は14%を割ったという事になると思います。
そうすると、「日本は今一体どの国と貿易をして飯を食べているのか?」。これは、この国の生業にかかわる事です。それが、アジアとの貿易が日本の貿易の45%で、とりわけ中国なのですが17.3%で対米貿易を超えて中国との貿易が米国との貿易よりも大きくなっています。更に、アジアとの貿易が日本の貿易の半分を占めるように迫って来ているのです。ユーラシア大陸との貿易にいたっては、7割になります。つまり、我々の世界観と言うか、日本の国際関係を議論する上で絶えず認識しておかなければならない大きなポイントは、「日本という国はどういう国との経済関係によって経済を成り立たせている国なのか?」という事です。戦後の日本はアメリカとの貿易でこの国を成り立たせて来たようなものなので、それが固定観念のようにこびり付いていて、いつの間にか我々は「アメリカを通じてしか世界を見ない」という傾向を身につけてしまいました。そして、昨年の数字が出て来て実は私自身も「ああ、ここまで落ちたのか」というように思いましたが、日本の対米貿易はわずか13.9%で、高校生でさえ刷り込まれているように「日本は通商国家で貿易によって飯を食べている国で、しかもアメリカとの貿易でこの国は飯を食べている」という認識を変えざるを得なくなっているのです。
要するに、いま世界は変わったと言う一般論ではなく、日本にとって世界のパラダイムがどう変わっているのかと言うと、つまり、頼みの綱だったアメリカという国の世界における比重や影響力や求心力が急速に衰えて行って、しかもそれに過剰なまでに依存し、期待して来た戦後の日本が大きく変わらざるを得ないところにさしかかっているのだという事を我々がいま、2009年から更に次の時代を睨む時に基本的な認識として見据えておかなければならないポイントだと思います。

木村>   そうすると我々が考えなければならないのは、通り一遍のと言うか、いま小手先で少し変わるという事ではなくて、もしかすると将来、歴史に書かれる時に昨年から今年にかけてが、ある大きな転換点だったと記されるくらいの「変革である」という認識が必要なのですね。

寺島>   それをさかのぼって言えば、2001年9月11日の同時多発テロの出来事が主要な変化だったと思います。もっと言えば、木村さんが以前、NHKにおられて21世紀を迎える節目の時に、NHKの代々木で放送した際にお話した思い出がありますが、「1901年に夏目漱石がロンドンでヴィクトリア女王の葬式を群集の中で目撃した」という事を書いていて、その中で「これでヴィクトリア黄金時代が終わって大英帝国の栄光がいよいよ衰えて行くきっかけになる事を予感しながらヴィクトリア女王の葬式を見送った」というのがありましたが、あれから100年が経って、2001年の9月11日の出来事でニューヨークのビルが崩れて行く姿はアメリカの世紀が大きく変わって行くきっかけとして歴史的な記憶がとなるでしょう。それから8年が経って、つまり「ブッシュ政権の8年」が終わろうとしている時点に我々は立ち会っています。そのブッシュ政権の8年間で結局アメリカはイラク戦争でヘトヘトに疲れて、5000人に迫る人数のアメリカの兵士が死んだという事になりました。更に、サブプライム問題でアメリカの資本主義の弱点、つまり、余りにも行き過ぎたマネーゲームを露呈してしまいアメリカという国が、20世紀の中心に立ち、冷戦の勝利者としていよいよ21世紀は更なるアメリカの世紀になるだろうとみんなが息をのんでいたら、9・11からの8年間をまるで転がり落ちるように「アメリカの世紀」=「20世紀」が終わったのだと誰もが思わざるを得ないような年越しになってしまったという事が新年の一つの視点として大切なのではないでしょうか。

木村>   なるほど。いま、人の命が奪われたり、産業経済の中で苦しんでいる方も大勢いらっしゃる……。その苦しみも含めて言うと、世界史的な、21世紀の本来的な21世紀世界に向かって行くその産みの苦しみに私たちがいま、もしかしたら立ちあっているという事も言えるかもしれません。

<全員参加型秩序へ>


木村>  さて、寺島さんのお話にあった「アメリカというものが世界の中心に存在していて、すべてはそこを軸にしながら動いて行くという世界は変わっていく。そこに私たちは立ち会っているのだ」という認識で、この大切さが分かりました。そうすると、今度新しくスタートするアメリカのオバマ政権ですが、つまり、「アメリカというものが世界にとってどんなものになって行くのか?」そして、言葉を変えると「だから世界はどうなるのだ?」という事になると思うのですが……。

寺島>  「いま世界は多極化している」という言い方をする人が非常に多いのですが、多極化というものは、例えば中国、ロシア、インド、ブラジル等のようないわゆる「BRICs」と言われている新興国の発言力が高まって、複数の国が世界をリードして行くような仕組みに世界は変わって行くのではないかという事です。
しかし、これから世界が多極化して行くという捉え方だけでは充分ではありません。何故かと言うと、いま私は「無極化」という言葉を「全員参加型秩序に向かうのだ」という意味で盛んに使っています。つまり、世界を決めて行く主体や要素が必ずしも国家だけではなくて、次元の違う存在、例えば国境を越えた経済活動を行っている多国籍企業やどの国にも一切税金を納めない「タックス・ヘイブン」(註.1)と呼ばれる国を使って活動するヘッジ・ファンドのような存在等、それ自体が世界の資源価格やエネルギー価格を乱高下させる大きな要素になってしまうのです。そして、ある面ではもっと複雑な存在だけれども「多国籍ゲリラ」とか「多国籍テロリスト」という集団までもが物凄くネガティブな意味で世界を揺さぶる大きな要素になっています。更に言えば、国家ではないのだけれどもNGOと言う、ガバメントではない団体の環境問題に対する役割や、NPOのような存在で企業でも何でもなく、非営利団体として発言権を高めている存在等、次元の違う主体が様々な形で世界に関与して行く状態を私は、「全員参加型秩序」と言っています。
ある面ではカオスと言いますか、混沌とした無秩序さえイメージしなければならないような複雑なゲームです。そのような中で世界の新しいルール、例えば環境に関するルールやマネーゲームを制御して行くルール等、非常にややこしい話に聞こえるかもしれませんが、粘り強く「新しい世界秩序とはどういうものなのか?」。超大国という国が力の論理で自分に逆らってくる奴を叩き潰してでも自分の価値観を押し付けるという時代は去って、複雑で忍耐の必要なゲームでもあるけれども様々な主体に多くの人が多くの立場で発言しながら、流れとして世界の新しいルールを全員でつくって行くという事を構想出来ないと21世紀の世界秩序は構想出来ません。途上国と呼ばれる段階の国々の人たちのみならず、国家主体ではない人たちにさえ目配りをするようにして世界秩序を構想しなければいけない時代であり、それに立ち向かって行かなければならない時代なのです。したがって、一極支配型のように単純な構想力、或いは一つの国にだけ自分の運命を託して過剰に期待したり依存したりしていればこの国は安心であり、安定して行くという時代ではなくて、大きくてダイナミックな構想力を持っていないと新しい世界秩序の中で生きてはいけないのです。
どういう事が重要になって来るかと言うと、「この人の言っている事は正しい」とか、「理念的に尊敬出来る」とか、「新しい世界はそうあるべきだ」という構想力であって、今までは処世論で「そういう事は理想主義者が言う事だ」と言っていたものが、むしろ、逆に世界を束ねるためには物凄く重要になって来ます。このような全員参加型秩序の中では、理念や理想やヴィジョン等が凄く意味を持って来ますから、これからの日本のあり方を構想する時には、考えておくべき事だと思います。

木村>   いま寺島さんがおっしゃった、アメリカが世界でどのような位置を占めて行くのかというお話を伺いながら、オバマ政権に世界の期待も集まるけれどもその期待の分だけいかに重いものを背負ってスタートするのかという事も感じます。

(註1、 タックス・ヘイブン(英:tax haven) とは、税金が免除される、もしくは著しく軽減される国・地域を指す。和訳から「租税回避地」とも呼ばれる)

2009年01月25日

第14回目

2009年1月24日OA分寺島実郎の世界

木村>   先週から「2008年で学んだ事~2009への展望~」という大きなテーマ設定でお話を伺っています。先週のお話の最後に、「全員参加型秩序」に触れました。そこで、そうした世界の中で日本がどのように生きて行くのかという事に関わると思うメールがラジオネーム、オバマニアさんから届いています。「毎週楽しみに聴かせて頂いています。1年前に最高益を出したメーカーが赤字に転落するなど、日本もあちこちで悲鳴が聞こえてきます。信用不安のせいもありますが、為替レートや原油相場の変動でこんなに経営が左右されるビジネスはつらいですね。オバマ政権はグリーン・ニューディールという産業政策を立ち上げて、新しいマーケットをつくろうとしています。軌道に乗るまでには税金を相当突っ込んで政府もしばらく財政的にコミットし続けなければなりませんね。300万人近くの『JOB=ジョッブ』の創出の世話をしながらGMなどの面倒を見るのは大変難しいですね。アメリカで立ち上げた分野でも日本も追従、いや日本の先端技術がむしろ世界をリードするという感じで推移してもらいたいですね」という内容です。つまり、日本のこれからのありかたにも期待をしているということですね。
そこで、もう一度、「世界が変わる」という中で「全員参加型秩序」、或いは「無極」という言葉も寺島さんから語られました。そういう世界は、一体どのような事を我々に求めて来るのか? 逆に、我々にその世界に立ち向かう時にどんな事が必要なのか? そして、その中で日本はどう生きて行くべきなのか? というところにお話を深めたいと思います。

<全員参加型秩序の中の世界経済>


寺島>   全員参加型秩序を一言で言うのならば、「様々な立場や様々な背景を背負った人たち全員が発言し始める状況」です。まさに、ネット世界での「WEB2.0」ではないですが、今まで受け身で、例えば、番組や放送を聴いていた人たちが自らの新しいIT技術を使って発信し始めるような状況と全員参加型秩序がちょうどかぶって来るのです。
そこで問題は、全員参加型秩序にも大きなルールをつくって行く必要があるという事です。また、制御して行く必要があるとこの間から繰り返して言っていますが、筋道の通った理念性が全員参加型秩序においては重要であり、力で押しつけて「俺の言う事をきけ」という形では、ルールや秩序を保ち得ないのです。「非核平和主義」という日本のスタンスを例にとって話せば、一部の人たちは非核平和主義は力と力がぶつかり合う国際社会の中で綺麗事の話に過ぎず、世界はそんなわけには行かないだろうから結局、軍事力無き大国はないと言うか、「軍事力が無い国は世界において発言力が限られているのだ」という自虐的な議論をする人もいたくらいでした。しかし、これからの全員参加型秩序の時代は理念性が重要になって来ます。例えば、イスラエルの混乱や中東の秩序の液状化という事態に力を持ってこの問題を解決しようとする人たちが味わう事は、アメリカがイラクで味わっているような徒労です。やはり筋道の通った理念性という事が重要になって来ます。例えば日本の非核平和主義は、日本が国連の常任理事国になろうという気持ちをもし持っているとするならば、他の常任理事国は全部、核を持って核の恫喝で自分の国の存在感を高めようという方法の中にあるけれど、日本は「核を持たない国」を大きく代弁しながら、世界中のそのような姿勢を価値あると感じる人たちを背中につけながら世界に向けての発言力を高めて行く事が出来る大きな時代の転換点に来たとも言えるわけです。したがって、非核平和主義という何か絵に描いたような綺麗事に見えたものが、日本が世界に向けて発言力を高めて行くには、このような時代における大きな日本にとっての「ツール」=「武器」になります。
そのような時代の転換点に今、世界はあるのかもしれないという事が大変重要です。そのような世界状況にありながら日本全体に漂っている気分という意味で日本人がどんな事に対しても悲観的だという事が問題になります。例えば、昨年の初めに我々が心配していた事は、「ひょっとしたら原油価格が100ドルに上がってしまうかもしれない」でした。事実、100ドルどころか147ドルにまで一回行きました。それが年を明けてみたら今度は落ちている状態で、昨年は結局、年初に比べて58%、ニューヨークのWTIは落ちました。
つまり、原油価格が上がっても悲観、下がっても悲観。そして、為替が強くなっても悲観、弱くなっても悲観というのが日本人の一つの特色なのです。「冷静になりましょう」という事なのですが、まず、原油価格が下がっているという事は、これほどまでにエネルギーを外部依存している日本にとっては物凄くポジティブな要素です。そして、自分の国の通貨の国際的な交換価値が高まっているという事は、基本的には大変素晴らしい事なのです。例えば、韓国のように1年間でウォンの価値が半分になってしまったらそれこそパニックに陥ります。つまり、ウォンで買えるものが半分になったという事ですから・・・・・・。日本は逆に言えば、昨年1年間で25%円がドルに対して強くなりました。これは、つまり、25%安く世界から物が買えるという事でもあるわけです。
 日本でいま漂っている悲観論の要因というものは、企業の業績が物凄く悪くなったという風評です。しかし、これは「輸出依存している企業の業績が物凄く悪くなった」と言い替えるべきで、実は声を出さないけれども、電力会社やガス会社等の企業にとってみれば、現実の姿は物凄い追い風の中にあるのです。したがって、追い風の中にある企業もあるし、逆風の中にある企業もあるという事です。日本全体の経済が輸出に過剰依存している経済構造の時代において、円高は物凄い逆風だと捉えるべきですが、日本経済は必ずしもそうではなくて世界に大変な金融資産を持っていますから円の価値が高まっているのは決して悪い事ばかりではありません。私が海外を動いていて質問されるのは、「この先身震いするくらいに日本は戦略的に円高を活用して来るのだろう。次にどうしますか?」です。これだけ円が強くなって、欧州へ行ってもアメリカ人がやって来て、「日本は円高を戦略的に活用して次にどう動くのか?」と聞きます。自分の持っている資産の価値が海外に持ち出した時に25%も昨年と比べて高くなっているわけですから、25%ディスカウントした状態で企業も技術も買えるわけです。そのような状況で「何故日本が悲観しているのか?」という事が世界の疑問なのです。
要するに、冷静になって発想を変えてみれば、国際金融市場における日本の円の価値をいまこそ高めておくべきなのです。この間の金融サミットが行われた時に日本人がいかに固定観念に捉われているかという事を炙り出してしまいました。IMFを支えてドルを唯一の基軸通貨として持ちこたえて、IMFに10兆円の資金を供与してでもアメリカを中核とした一極体制を支えなければならないと思い込んでいる事が日本のいまおかれている悲しみだと思います。国際通貨の世界において、円だけが基軸通貨になるなんていう事はありえませんが、円もユーロもドルも、要するに多様な通貨がバランス良く世界を支えて行くという時代に向けて新しい構想を展開すべき時期に来ているわけです。つまり、一時代前の「日本は輸出立国だ」、「日本はアメリカに依存して生きている国だ」という固定観念から、更に「ドルが揺らげば日本が悲観する」というような「ヴィジョンと構想力の欠落」という言葉を使わざるを得ないような状況から脱出する必要があると思います。
私は日本のおかれている状況を全く悲観していません。何故かと言うと、オバマが「グリーン・レボリューション」を言い始めて「グリーン・ニューディール」を提唱していますが、日本は1973年の石油危機以降、二度の石油危機を越えて37%のエネルギーの利用効率を高めたのです。これは世界にも例を見ない事です。それは、エネルギーを外部に依存しているために利用効率をひたすら高めて来たからです。それを更に3割、2020年までに高めるという事が、いま国家エネルギー戦略の一つの柱にもなっています。要するに、省エネルギーと言う時代が来る時に一番先端的な技術基盤を蓄積した国は何処かと言うと、日本であり、再生可能エネルギーにおいてはドイツよりも前に太陽エネルギーを考察しています。ドイツが大本気になって再生可能の方にかけた事でドイツの技術基盤も大変尊敬すべきものになっていますが、日本の太陽光発電や太陽エネルギーの利用技術は大変高度なものですから「流れは日本に来ている」という一面もよく知らなければならないと私は思っています。

木村>   経済の力はとても大切な力なので、私たちはここのところを色々な変数と言うか方程式が多元方程式になったところでキチンと見る力が必要だという事がよく分かります。そのところを基礎にして「変わる世界」、「日米関係」となった時に経済だけではなくて、例えば駐日大使にジョセフ・ナイ(註.1)さんの名前もあがってきて、彼は日本の事をよくご存知です。そういう時に、日米関係のあらためて「変わる世界」の中で我々が問われるものは何なのでしょうか?

(註1、ジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye, Jr. 1937年 - )は、アメリカ合衆国を代表するリベラル派の国際政治学者で知日派として知られる。ハーバード大学特別功労教授。またアメリカ民主党政権でしばしば政府高官を務めている)

<オバマ政権のアメリカとの日米関係>


寺島>   私は今回のオバマ政権のいわゆる外交関連人事を見て、いま木村さんがおっしゃったジョセフ・ナイが日本の大使になるかもしれないという状況になって来たり・・・・・・。これはライシャワーが日本の大使をやった時以来、分かり易く言えば日本の事を物凄くよく知っている人を選ぼうとしているという気配を感じるわけです。そして、カート・キャンベルが国務次官補をやるという人事にもまた同様の感想があります。彼はヒラリー・クリントンが引っ張って来たと思いますが・・・・・・、私は彼が「CSIS」=「国際戦略研究所」にいた時から大変に親しくしていて、彼がとても日本の事をよく知っている人間の一人だという事を知っています。そのような人間が国務次官補に登場して来るということ自体が、この政権は中国にシフトして行くのではないのかという懸念が語られていましたが、意外とそうでもないところをまず見せて来ています。
更に、そのような事を踏まえて、「日米関係はどうなるのか?」という話をしましょう。日本人は被害妄想のようになって、「日本がバイパスされて、米中関係だけが強くなって行くのではないのか?」という考え方を取り上げがちですが、私が重要だと思うのは、「日米関係がどうなるのか?」という問題の立て方から脱却して、「日本がどのようにして行こうと思っているのか」という発想の転換なのです。私がワシントンに行くといつもからかわれるのは、日本人がやって来ると「オバマ政権になったら日本との関係はどうなりますか?」という取材を連日受けるのですが、「じゃあ、あなたはどうしたいと思っているのですか?」と言うと、回答が返って来ないと言われます。要するに、日米同盟の基軸と言われている安全保障条約をどのようにして行くのかとか・・・・・・。例えば、米軍の再編が行われている中で、将来のあるべき日米関係を考えて、在日米軍基地や地位協定等をどのように見直して行くのかという事について「日本が何を主張するのか」という事の方が物凄く重要なのです。私はよく、「愛されたいシンドローム」という言葉を使いますが、戦後60年の日米関係の中でいつもアメリカ頼りで生きて来たために、「僕って本当に愛されているのだろうか?」という事ばかり心配をして、自分自身がこの関係をどのようにして創造的により信頼の高いものにして行くのかという事について構想する力を持つ事が出来なくなっているのです。球は向こう側にあるのではなくて、日本側にあるのだから日本として日米関係をどのようにして行きたいと思っているのか・・・・・・。例えば、経済において自由貿易協定を日米関係で結ぶ事についてどう構想するのか。私はもう20年近く、日米の自由貿易協定をどこの国よりも早くやるべきだと言っていましたが、韓国とアメリカの自由貿易協定(註.2)の方が先だったとか、アジアの国々との方が先行してしまいました。日米関係とは実に不思議な関係で、60年以上もこれだけの同盟関係を持ちながら、軍事片肺同盟なのです。つまり、軍事については安保条約を持っているけれども、経済に関しては、ほとんど協定らしい協定は無いのです。したがって、もっともっと創造的な日米関係、更に言えば、私の意見は軍事的な協力関係においては、もっと相対化して適切な間合いを取って行き、日本における軍事基地を整理縮小して行く流れをつくりながら、一方では経済の関係は日米のより信頼関係を高める二国間の経済協力協定のようなものに踏み込んで行く・・・・・・。私はこの両建てのシナリオが正しいと思います。このような事にキチンと目を向けて議論出来るような関係をつくる事が出来るのかどうかが大事で、「アメリカは私を大事にしてくれるのだろうか?」と言う話を問いかけている限り、この国の幸福は来ないという事が私の言いたい事です。

木村>   アメリカの新しい政権がスタートする事によって、その顔ぶれからも一体、日本は何を考えて、どうアメリカとの関係を結びたいと思っているのかという事がいよいよ問われるという事を我々は知らなければならないのですね。

(註2、2007年6月30日、米国および韓国両政府は、自由貿易協定に署名をした。最終的に発効するには双方の議会による批准だが、発効すればほとんどの品目で相互に輸入節税を撤廃することになる)

<後半>

木村>  続いては「寺島実郎が語る歴史観」です。このコーナーでは寺島さんのお考えの基礎となっている歴史についての考察を深めて伺おうという事です。前回、昨年になりますが「日仏の交流150周年」という事でフランスが私たちにとってどんな存在であったのか非常に目を開かされました。今朝のテーマは「日本人で初めて世界一周をした人~日露関係の深さ~」です。なんだか少し、クイズのようなテーマですね。

寺島>   そうなのです。この間、私は長崎に行って、びっくりするものを見つけたのです。それは何かと言うと、最初に「気球」=「バルーン」を打ち上げた場所の記念碑が長崎にあったという事です。1805年、つまり、いまから204年も前の話になりますが、ロシアのレザーノフという使節の一行が長崎にやって来て、勿論、江戸時代ですが、それについて来た医者の人が日本の和紙でつくった気球をみんなが見ている前で空に打ち上げたと書いてあるのです。私はその時に思い出した事がありました。それは、ロシアの西の出口と言われているサンクトペテルブルグに行った時に調べた話の中で不思議な事があって、1803年、つまりレザーノフがやって来た、たった2年前にサンクトペテルブルグで日本人が気球を打ち上げるのを見たというという記録を読んだのです。これは何の事かと言うと、宮城県の仙台の漁師が太平洋で難破してカムチャツカに流れ着いて、その人たちがロシア、つまりユーラシア大陸を横断してサンクトペテルブルグに連れて行かれて、その時の国王、ロマノフ王朝の王様と一緒になってパリからやって来ていた気球師が気球を打ち上げるショーを見たという記録があるのです。そして、私はハッと気がついて調べ直してみました。すると、その4人の日本人がレザーノフの一行と共に長崎まで送り返されて来たという事実が明らかになったのです。つまり、この4人こそ「日本人として地球を一周して来た最初の人」という事になるのです。つまり、1805年に長崎で気球を打ち上げたレザーノフの一行と共に漁師4人が日本に送り届けられたという事です。
「この話は何だ?」という事なのですが、要するにロシアでは我々が思っているよりも遥か前から、ロマノフ王朝の頃から極東に関する関心が物凄く高まっていて、いま申し上げた話は1805年ですが、それよりも100年前の1705年に同じく、大阪の船乗り伝兵衛がカムチャツカ半島に流れ着いて、サンクトペテルブルグに連れて行かれてピョートル大帝に面談をしたという事実があります。そして、ピョートル大帝の命令によって1705年、いまから304年も前の話ですが、日本語学校をサンクトペテルブルグにつくっているのです(註.3)。
つまり、300年も前からロシアは極東に対して大きな関心を高めていたのに、我々の歴史観は常に「1853年のペリー浦賀来航から日本の近代史は始まった」なのです。ペリー来航は、レザーノフがやって来て長崎で気球を打ち上げてから半世紀も後の話です。後になってやって来たのがペリーなのですが、それよりも50年も前にレザーノフが来て、更にその100年前にサンクトペテルブルグに日本語学校が出来たわけです。つまり、「ユーラシア国家」=「ロシア」ではないですが、ロシアは帝政だった時代から極東に対する野心とも言えるべき関心をどんどん高めているわけです。そこでロシアとの関係を安定させて安全なものにして行く事が日本の戦略にとって凄く重要になって来ます。ロシアと正面から向き合いながら、どのような安定した成熟した関係をつくれるのかという事が、多分、21世紀の日本の外交の大きなテーマになって来るだろうと思います。この事を私はその歴史観の中でお話をしておきたい主旨です。

木村>   お話を伺いながら驚きもありました。それと共に我々が「国際感覚」という言葉で何かを語る時に、色濃くアメリカに向いてものを考えるという思考方向に陥っている・・・・・・。さて、それでいいのか? と非常に鋭い問題提起としてこのお話も伺いました。ありがとうございました。

(註3、現在のサンクトペテルブルグ大学日本語学科の前身)

2009年2月のスケジュール

■2009/02/01(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2009/02/07(土)08:00~
読売テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」

■2009/02/13(金)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」

■2009/02/14(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/02/15(日)07:30~
(首都圏のみ))FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/02/20(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー

■2009/02/21(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/02/22(日)06:00~
TBS系列「時事放談」

■2009/02/22(日)07:30~
(首都圏のみ))FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/02/22(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」