第11回目

12月21日OA分寺島実郎の世界

木村>寺島さん、今朝はお話を始めていただく前に、まずリスナーの方からのメールをご紹介したいと思います。ラジオネームがキンニクマンさんからです。「来年の日本の経済事情はどうなりそうですか?」。やはり、ここに皆さんの関心が集まりますね。「麻生さんは来年の通常国会に二次補正予算案を提出するそうですがまとまるのでしょうか? まとまったとして、景気は上向きになって行くのですか? 私たち庶民の暮らしは、いまよりも楽になるのですか? いかかでしょうか」。そして、もうひとかたはラジオネームがフルタタケシさんからです。「日本のガバナンスはどうなっているのでしょうか?」。これは寺島さんのお話を受けるかたちでこのようなメールが届いたようですね。「私たちは何に活路と言いますか、希望を持って生活していけばよいのでしょう。アメリカは先日の寺島さんのお話にあったように、オバマ大統領という一つの希望を持ちました。私たち日本人はこの先どんな希望を持って行くべきなのか伺いたいです」。このようなメールが届いています。つまり、今年は世界的な金融不安、或いは見る人によっては恐慌前夜という言葉も出てきますがここに不安を持っていて一体これからどうなって行くのだろうかという事が関心の的になっていますよね。

<マネーゲームの破綻と日本の実情>

寺島>はい。それは本当に仕方のない事で、皆さんはメールのように物凄く不安を感じながら生きているというのが一般的だと思います。そして、世界金融不安がどうなるのか、日本経済がそういう中でどのような方向に向かうのか? その際我々に問われるガバナンスと言いますか総合的な指導力、日本を束ねて行く力も含めて今日はもう一度よく考えながらお話をしたいと思っています。

木村>その「考えながら」なのですが、これまで寺島さんはこのテーマについて色々な角度から話して下さいました。そこで、感じるのは「一体何が問題なのか?」という事を的確に捉えることが出来ているのかどうかというところがまず、スタートだという気がします。

寺島>メールを頂いた問題の本質を考える時に、私は大変重要な数字を話のはじめに置いてみたいのです。それは何かと言うと、世界の株式市場の時価総額の数字についてです。要するに、東京株式市場とか大阪、上海、ニューヨーク、ロンドン等世界中の株式市場の時価総額は、去年の10月が実はピークだったのです。それから、なんと今年の10月末までの間に46.7%、約半分近くまで時価総額が落ちました。実額で言うと、29兆4千億ドル、つまり30兆ドルくらいの株価の時価総額がこの世から消えたという事になります。

木村>「兆ドル」ですか!

寺島>はい。木村さんが驚くように約30兆ドルの時価総額がバブルのように消えていっているという額は、ザックリ言って日本のGDPの6年分に相当します。つまり、6年分のGDPである時価総額がこの世から消えたのです。要するに、今世紀に入ってまさに過剰流動性と言われたマネーゲームがどんどん肥大化して行って、株式市場にお金が入って風船を膨らませるように膨らんで行き、33兆7千億ドルにまで増えていたものがドカーンと破裂して29兆4千億ドルになってしまったのです。つまり、30兆ドル膨らんでいた分がそっくり消えたと言ってもいいような状況に現在あるわけです。
過剰流動性が株価を押し上げていたのですが、今度は世界がどっと冷え込んで信用不安とか金融不安の名のもとに信用収縮を起こしてはいけないという事で、いま世界各国が協調して一生懸命になって金利を下げたり公的資金を投入したりして金融の超緩和政策をとっています。萎んでしまった風船をまた膨らまなければならないという事で金融市場にどんどん新しい流動性を投入して膨らませようとしているのです。

木村>要するにそこにジャブジャブお金を投入しているという事ですか?

寺島>言ってみれば、風船が大きくなり過ぎて破裂して、その破裂した割れ目のところに絆創膏を貼って、またもう一回風船に空気を吹き込んでいるようなものなのです。やがて、これは繰り返しになるであろう過剰流動性なるものをどう制御するのか、つまりマネーゲームをどう制御するのかが世界の経済の悩ましい課題であるという事を今回の出来事の教訓として我々は学んだと思います。
それは別の意味で言うと、実体のあるプロジェクトとか事業、技術の開発などにどうやってお金を回すのかという事をしっかり設計しないとお金がお金を呼ぶゲームの中にだけお金が流れ込んで行って、それが例えば、投機資金としてエネルギー価格を高騰させたりします。実際に、今年に入って147ドルにまで跳ね上がっていた原油の価格が逆に今は50ドル台になっています。いかに、マネーゲーム的な要素でエネルギー価格が乱高下したのかという事を如実に証明しているわけです。食糧価格も全く同じだったわけです。
したがって、我々が直面している金融不安に脅えて、とにかく信用共有すれば問題は解決するのではないかと思って一生懸命に風船を膨らませようとしているけれども、過剰流動性なるものを制御して行く・・・・・・。つまり別の言い方をすると「実体性」をいかに創造するかが重要課題なのです。経済の技術や産業にしっかり目を向け直して実体性というものがある経済構造をしっかり見つめなければならないという大変大きな教訓を受けているのだと言っていいと思います。しかも、「ガバナンス」という事を聴取者のかたが聞いて来ていますが、日本のおかれている状況をキチンと分析してみれば、ポテンシャルがあると言うか、現在の世界経済の状況は、日本にとって、「チャンスだ」という言葉を使ってもいいという事に気づきます。
 先月、私はソウルに行き、その事を強く感じました。ソウルでの国際シンポジウムに集まっていた一流のエコノミストと言われる人、例えばハーバード大学のマーティン・フェルドシュタイン教授(註.1)、そして、イ・ミョンパク大統領もそれに参加していました。私は議論していて、欧米から来ている人の日本に対する期待とか敬意が物凄く強いのだという事を本当に強く感じました。それは何故かと言うと、日本の持っている産業力、技術力は戦後日本が育てて来たブランドと呼ばれる企業、例えばエレクトロニクスから自動車産業に至るまで「ブランド=技術」ですから、その技術の蓄積を持つ日本の力に対する評価が非常に高いのだという事を知って日本人として逆に驚かされた気になりました。
いま、円が非常に強くなって来ている理由はお金の流れの問題もありますが、やはり日本の持っている基本的な技術基盤に対する評価とか期待感があるのだという部分を我々はよく理解しなければならないと思います。

木村>はい。ただ、寺島さんがおっしゃるように、少なくともこの10年くらいを見てみると、日本の風潮は具体的に何かものを作って、そしてその事によって適切な価値を得て行く、或いはそれによって儲けを得て行くというよりも、「金に金を生ませる」という事のほうがよっぽど大きな額を儲けられるし、そして、そのほうが経営者としても立派なものだとういうようにして進んできたところがありますよね。

寺島>このところが若い人たちの価値観にまで大きな影響を与えて、大学においても理系離れが起こっています。理系に行って技術者になっても仕方がないから、むしろ文系に行ってマネーゲームのようなところで大きく儲ける事が出来る仕事に就いたほうがよいという風潮なのです。
この間、私は東大の総長をされていた佐々木毅(註.2)さんと対談をしました。東大の法学部と言えば、ついこの間まで高級官僚の供給源のような大学であり学部だったのですが、そこの学生たちが今では官僚にさえならなくなりました。官僚になっても収入や人生の展望などを考えるとかなり限られているため、自分の能力を活かしてマネーゲームの場に参入して行ってMBA(註.3)だのなんだのというスキルを身につけて行けばそれだけ大きな収入を得られる仕事が目の前にあるという事で、そちらの方向へそちらの方向へと行ってしまった結果、理系離れが起こっているのです。要するに文系の中でもマネーゲーム志向が起こって若い人たちまでが、自分の人生を考える時に「実体性のある経済の分野」、つまり「産業とか技術の分野」=「もの作りの分野」よりも遥かにマネーゲームのところに惹かれて行ってしまうという状況を現実につくって来てしまったのだと言えます。
 しかし、やはり今我々が大きな教訓として学んでいる事は、先程私が言いたかった事ですが、日本の自画像をもう一回踏み固めてみたのならば、「自分の国を誇りに思う瞬間は何だ?」と言うところにたどり着きます。それは、やはり戦後の日本が生み出して来たカメラ、オートバイ、自動車、エレクトロニクスというところに日本人の「ものを作る」という事に対する異様な生真面目さがあって、その中からつくり上げて来た産業・技術というものが、日本に対して世界の人たちが物凄くポジティブなイメージを持つ所以なのです。突き詰めて言えば自分たちの足元なのだという事を思い知らされます。

(註1、米国を代表する経済学者の一人。ハーバード大学教授。全米経済研究所<NBER>議長等歴任)
(註2、日本の政治学者。学習院大学教授、前東京大学総長。専攻は政治学、西洋政治思想史。法学博士<東京大学、1973年>)
(註3、経営学修士。MBA<Master of Business Administration>)

<求められるガバナンス>

寺島>問題は「ガバナンス」なのですが、ポテンシャルとして技術の蓄積とか、それを支える生真面目で知的レベルの高い人材・・・・・・、例えば世界の感覚で言うと表現がなかなか難しいのですが、「読み・書き・そろばんの出来ない人などいない」というくらいの安定した知的レベルを持った人材をこれだけ蓄積している国は、世界を見まわしてもそうはないのだという事に気づきます。
そして、変な言い方になりますが、お金もあります。それはどういう意味かと言うと、日本は18年連続して「対外純資産」と言って、海外に持っている資産が世界一なのです。つまり、自分の国が戦後、額に汗して蓄積して来た「金融資産」=「お金」を自分の国の企業や技術に向けるよりも海外に持って行ったほうがよいという事で保有している資産です。そこには日本の低金利を嫌がってという理由もありますが、諸々の事情によって、海外へ海外へと吸い出されて行ったわけです。つまり、日本のお金は日本の技術や企業に向かわなかったのです。そればかりでなく、日本の株式市場・・・・・・、私は東京証券取引所のアドバイザーリーボードにも入っているのですが、東証での議論を聞いていると、ついに、東証での株取引の7割が外国人の取引になっている事が分かります。そして、東京証券取引所の上場企業の株式保有を見てみると外国人が持っているシェアが3割を越している事も分かります。要するに、外国人が日本の株を支えてくれていて、日本は海外へ海外へと自分のお金を持ち出すというなんとも奇妙なクロスになっているのです。
そして、そういう状況下で考えたのならば、「技術もあり人材もいる。お金も実は持っている」。しかし、実はうまく噛み合っていないのです。「ガバナンスとは何なのか?」と言うと、要するに「総合的に持っている要素を組み合わせて問題を解決して行ける力」なのです。世に言う、エンジニアリング力です。個別の要素を組み合わせて問題を解決して行くアプローチは最近のかっこいい言葉で言うと、「ソリューション・プロバイダー」=「解答を提供できる力」です。そして、それが人的指導力と組み合って、更に国家の指導力と組み合ってパシッと噛み合っている状況というものを「ガバナンスのある状態」と言うわけです。
しかし、残念ながら日本はガバナンスの部分が散らばっているという状況にあります。そこには、色々と理由があります。そして、声を聞かせてくれた視聴者のかたのポイントにもあるように、例えばアメリカというのは大統領制によってブッシュ政権が行き着くところまで行ってダメだなと思ったらパーンと方向性を変えて、全く世の中の空気を変えてみせるという方法論があります。つまり、大統領選挙を延々と予備選から入れたら2年近くも引っ張って来て、国民がそのプロセスに参加して次のリーダーを選び出して、そのリーダーの下にアメリカを結束させて行こうというモチベーションが物凄く高まって行くプロセスがあるという事です。来年の1月末にいよいよオバマ政権が登場して来たら「100日間で俺はこういう政策をやる」と力強くリーダーシップをアピールすると思います。そのように、アメリカは、リーダーが変わる事によってアメリカの空気を変えて行くでしょう。そういう方法論の象徴的な例が大統領制だと思います。
だからと言って日本が、簡単に大統領制に誘惑を感じるというのは危険な部分もあるのです。何故ならば、あまりにもポピユリズムに流れて、いわゆる人気投票的にリーダーが決められて行く危険性があるので、簡単に議会制民主主義を捨てて首相公選論とか日本も大統領選にしたほうがよいという議論は慎重にしなければいけない部分があります。しかし、それでも国民の誰もが麻生さんの名前を書いて「この人をトップにしたつもりはない」という仕組みの中でリーダーが決まって行くという弊害もあります。したがって、この種の議会制民主主義に基づいて議会がトップを決めるという仕組みをとっている国では、民の意識の変化をよく反映して、やはり「議会の選挙」=「総選挙」を適切なタイミングでやって、リーダーシップのありかたを絶えず考えて行かないと国民の意識とか期待と隔絶したところに国のリーダーシップが行ってしまう結果を招きます。国家としてのリーダーシップが混迷していたり、低迷していたりする状況になると苛立って他の国の事がやたら良く見えて来るという事も起こります。最近若い人たちと議論をしていると「アメリカが羨ましいなあ」と言う意見をよく聞きます。更には、例えば中国やロシアのように我々から見れば全体主義的な空気さえ漂っている統合のきいた国がうまくいっているように見えたりもします。
そこで、私は現在の状況では他の国が良く見えるという事よりも日本の仕組みの中でどうやってガバナンスを発揮していかなければならないのかという知恵が問われているという事に意識を向けるべきだと言っておきます。先程申し上げたように、日本は、潜在力が多いにある国なのです。その潜在力を組み合わせてどういう方向に持って行くのか? 私自身の立ち位置から言えば、私は政治セクターの中に足を踏み入れている人間ではないけれども、「産業」という現場で育てられて来て、シンクタンクのような日本全体を見回して政策科学を議論するような立場で発言をしたりしていますが、私の立場から見ても日本の産業人が自らをしっかり考え直して次の世代の日本にどういう経済基盤を残して、「一体、日本人は何で飯を食って行くのか?」という長期的な展望を考えなければならない事がよく見えます。
例えば、今日本の労働人口の三分の一以上が年収200万円以下で、その大部分が非正規雇用者という人たちが占めています。そういう状況下で「がんばりましょう」と言ってみても始まらないのです。ザックリ言えば年収500万くらいの収入を得る若い層が安定的に存在出来るような産業基盤、企業基盤をつくらないとならないわけで、年収200万円の人でははっきり言って国家は成り立ちません。結婚もできないでしょう。結婚も出来ないという事は少子高齢化社会が一段と深まり、要するに税金を負担する人も年金を負担する人もいなくなる国になるという事です。したがって、産業人がいま真剣に考えなければいけない事は、自分たちの後に来る人たちに一体どういう産業のプラットフォームをつくって行くのか、日本経済の抱えている弱点を補って、どうやって飯を食って行けるような仕事を創出するのかという事を真剣に構想、検討しなければならないという事です。我々の先輩たちは少なくとも自動車産業に象徴されるような飯が食って行けるプラットフォーム型の産業をつくったのです。その結果として、我々は世界の中でも豊かな国に暮らして行ける状況になっているわけです。そして、現在は、次にどのようなものをつくるのかという事について話を進めていかなければいけない状況だろうと思っています。
木村>だからこそ、いま、ある意味では何が問題なのかというところにどうしても戻らざるを得ない・・・・・・。つまり、このようにして寺島さんがおっしゃる「過剰流動性」=「金に金を生ませる」という事が最も手っ取り早いし「金に金を生ませていけば豊かになっていくのだ」という風に考えて来たこのやり方が間違っていたということ、ですから、的確な解答を得るためには、そういうものにきちんと決別をするという覚悟をしっかりしなければいけないのですね。

寺島>アメリカの政治のレベルの人たちが議論している「経済の活性化」に関する議論には必ずつきまとって来る「ジョッブ(JOB)」という言葉があります。つまり、オバマ大統領が掲げている経済政策の中でじわりと言い始めている「グリーン・ニューディール」(註.4)という表現のもとに、エネルギーと環境という産業の中で250万人くらいの「ジョッブ」=「仕事」をつくるという言葉が絶えず出て来きます。つまり、自分がやろうとしている政策を実現したならば、アメリカ人が250万なら250万、100万なら100万の「ジョッブ」をつくり出す事が出来て、その中で国民は飯が食えるという事です。景気浮揚のためにお金を配るという話ではなく、「ジョッブ」をどうつくるのかという事を全く言わないのが、日本の経済政策の悲観的特色なのです。したがって、私は「ジョッブ」の話をしなければいけないと思います。

木村>はい。では、どうすればよいか、何に我々が目を向けるべきか、来週お話を伺うことにします。

(註4、世界大恐慌後1933年にフランクリン・ルーズベルト大統領が実施した景気対策、ニューディール政策になぞらえ、クリーンエネルギーを中心として世界経済を再建しようとする試み)