第7回目

木村>  寺島さん、今朝のテーマはなんでしょうか?

寺島>  やはり世界金融不安というかアメリカのサブプライム問題を基点として、いま世界経済が完全に凍りついて来ているのではないかという状況です。これに対する理解を深めたいと思います。

木村>  そこでリスナーの方から「75兆円に上るブッシュの緊急経済安定化法案が承認されました。しかし、株価は下落しています。75兆円の公的資金を投入したとして果たして世界的な金融不安はおさまるのでしょうか?」という声も届いています。いま考えるべきはこれがおさまるかどうかよりも、もう少し何か考えることがあるのではないか?という思いがしてならないのですがいかがでしょうか?

<歴史をふりかえる>

寺島>  私はまず、昔こういうことがありましたという歴史認識から確認していきたいと思います。1929年に大恐慌の時代に世界は入っていくわけです。

木村>  暗黒の木曜日ですね。(註.1)

寺島>  そうですね。79年前の10月24日のことでした。1933年までの間にいわゆる資本主義国の工業生産が44%落ちました。更には世界貿易が66%減少したという途方もない大恐慌の時代を世界は経験しています。(註.2)

木村>  世界の経済全体が収縮してしまったのですね。

寺島>  はい。あの時を思い出させるような恐慌が迫っているのではないのか、という見方が一つあるわけです。しかも経済的な恐慌という話だけではなくて、政治不安のような空気も漂って来ています。1929年というとドイツにナチス台頭といいますか、ニュールンベルグでヒットラーの率いるナチスが60万人を集めて全国大会をした年でもあって、ドイツにナチスが台頭する年でもあったわけです。その後、世界は「ファシズムの台頭」という時期を迎えたのですが、いままた世界経済は冷戦が終わった後にグローバリズムだとか新自由主義だとかいって改革開放とか市場化ということで一生懸命に旗を振ってきましたが、その行き詰まりというか、裏切られた気持ちというものが大きくなっています。混迷の中で必ず首をもたげてくるのは、「笑顔のファシズム」とあえて言っておきますが、混迷の中で国民が苛立って、もっと指導力はないのかとか統合力はないのかと言って政治不安みたいなものが沸き起こってくると、国民の苛立ちが力強い指導力とか力強い指導者を待望する方向へ向かうわけです。

木村>  たしかファシズムという言葉そのものが「何かを一つにまとめる」という意味の言葉ですね。

寺島>  そうです。苛立って来てバラバラだとかこの国は腐っている、という気持ちになって来ると「笑顔のファシズム」という誘惑がスッと頭をもたげてくるのです。そこで我々は1929年当時の状況というものをよく教訓にしながら いま進行しつつあることを少し整理してみましょうということなのです。

(註1、1992年10月24日木曜日、ニューヨーク株式市場でゼネラルモーターズの株価が80%下落した事により世界恐慌がはじまった日。この日だけで11人の投資家が飛び降り自殺をした)

(註2、1914年から1918年の第一次世界大戦後=1920年代のアメリカは、戦後のヨーロッパへの輸出を中心として、重工業への投資、モータリゼーションの始動による自動車工業の躍進、国内消費の拡大等によって経済的好況にあった。
  1920年代の前半頃から農産物を中心に余剰が起こっていたが、ヨーロッパへの輸出にふり向けられていた事で問題はなかったのだが、農業の機械化による過剰生産やヨーロッパの復興、ソビエトの世界市場からの離脱等の事情によって、アメリカでは次第に農産品だけでなく、工業製品等も過剰生産になっていった。1924頃から投機熱が高まり好況でだぶついた資金が株式市場に流入し5年間でダウ平均は5倍に高騰した。1929年9月3日にはダウ平均株価が381ドル17セントという最高価格をつけたが、この頃から市場は調整局面を迎えて株価は乱高下する状況となった。そのような背景の中で1929年10月24日ゼネラルモーターズの株価の大暴落が起こり、世界は大恐慌へと向かうことになった)

<サブプライム問題と米国の財政赤字>

寺島>  そこでいま我々が目撃していることはなんなのか? ということですがアメリカの上下両院が、リスナーのかたの質問にもあったように、公的資金を使っても金融機関が持っている不良債権を買い上げるという法案を可決したということで、世界は一安心というかホッとしているような空気もあるわけです。

木村>  一度は否決されてそしてすぐ上院で可決して、ニューヨークの株が777ドルも一挙に落ちて大変だということでしたね。(註.3)
寺島>  はい。それを世界金融不安の震源地であるアメリカが責任を感じて不良債権の公的資金による買い上げという仕組みを通過させたわけですが、「本当に大丈夫なのか?」という話なのです。
私企業の活動に公的機関が介入しないことを「アメリカ流資本主義」の一つの特色としている国なのに、結果的にはやはり公的資金で問題解決をしなければしようがないところに追い込まれてしまった。
整理してみると、今回の7000億ドルと住宅系の公社2社を救済するために既にコミットしている2000億ドルとAIGという保険会社につなぎ融資的に国が公的資金を入れる額が850億ドル。ここまでだけでほぼ1兆ドルです。財政に負担をかけてくるコミットメントです。しかも上院で可決される際に、国民の理解を得るために国民に対して1100億ドル減税という案を埋め込んでしまったのです。ですからもうアメリカは1兆ドルを越す財政負担を余儀なくされている法案を経済安定のために通過させたということです。
一方、イラク戦争での戦費がいま1兆ドルに迫って来ています。この数字は分かり易いので申し上げるのですが、サブプライム問題での財政負担でコミットしたのが1兆ドル、イラク戦争の戦費が積もりに積もって1兆ドルです。

寺島>  しかし、それで済むかというとそれはとんでもない話で、この番組でも話題にしたことがありましたが最近では「3兆ドルの戦争」と言います。イラク戦争は3兆ドルのコスト負担を余儀なくされるのではないかと予測で言っているのです。ということは3兆ドルは別にして、少なくとも2兆ドル=200兆円を越すお金を「イラク」と「サブプライム」のために財政が負担するという方向にいまアメリカが向かっているというわけです。200兆円ということは日本の年間国家予算の半分に相当する額です。あえて後ろ向きと言っておきますが、後ろ向きのことで財政が負担せざるを得ないということになります。

木村>  その日本の国家予算は特別会計とか色々なものを全部含めた額ですか?

寺島>  全くその通りです。そういうなかで間違いなく言えることは、アメリカの財政負担は物凄いことになって財政赤字が一段と深刻化するだろうなあということは容易に想像がつきます。アメリカの2007年の財政赤字は1615億ドルだったと言われています。今年の1月から7月までの数字が発表されていますが、既に2645億ドルの赤字になっています。これに後半にかかって来る、いまコミットした数字が出てきますから多分今年はどんなに少なく見積もっても5千億ドル以上の財政赤字です。(註.4)

寺島>  来年はやがてそれが1兆ドルを越すような財政赤字になっていくであろうと簡単に想像がつくわけです。その財政赤字ですが世に言う「双子の赤字」というものです。財政赤字と経常収支の赤字がアメリカの双子の赤字だと言われ、よく議論されて来ました。

木村>  貿易と国内の財政、二つの赤字ですね。

寺島>  そうですね。その経常収支の赤字もどんどん垂れ流しながらアメリカという国が今日まで繁栄を謳歌して来られた理由は、産業の実力以上の軍事力と産業の実力以上の消費社会を実現して、産業の実力以上にお金が外からアメリカに流れ込むという仕組みによって支えられていたからです。
人で例えるならば、下血がどんどん続いているような状態を輸血によって持ちこたえているという構造になっていたのがアメリカだと考えると分かり易いと思います。

木村>  出血するけれど、それ以上に輸血してどんどん血を補っていたと……。

寺島>  そうですね。何故アメリカにだけお金が回るのかということは、金融の世界で長い間議論している人間にとっても大変な疑問符が打たれていたポイントなのです。

木村>  何故ですか?

寺島>  それはアメリカの金利が相対的に高いからです。例えば日本にお金を置いておくよりもアメリカにお金を持っていったほうが金利の差を享受できるということなのです。事実、去年の秋まではアメリカの政策金利は5%台だったのですが、景気対策で政策金利を落としてきて、いま2%前後です。日本は0.5%ですから金利差が大分縮まって来たけれども、まだアメリカよりも日本のほうが低いという状況です。その金利差でアメリカに、アメリカに、とお金が向かっていたのですが金利の差が縮まってきているので最近は、為替のリスクを考えたのであれば必ずしもアメリカにお金を持っていったほうが有利だとも思えないという状況になって来ています。まず金利差を求めての動きにブレーキがかかり始めたのです。更に「アメリカの金融市場の多様性の魅力」といことを金融関係の人はよく言います。それはどういう事かと言うと、お金を日本に置いておくよりも有利に運用できる方法があります。選択肢がたくさんあるということです。実はその選択肢の一つにサブプライム・ローンが入ったような証券化商品があったわけですから腰が引けてしまったというか、凍りついてしまったというか、さすがに「アメリカの金融商品は信用できない」ということになって来て、ここのところのアメリカに対するお金の動きを見ると経常収支の赤字を遥かに上回る資本収支の黒字がアメリカを支えていたのが、資本収支の黒字が経常収支の赤字を上回らなくなって来ています。分かり易く言うと輸血の量のほうが下血量よりも減ってきてしまったということです。

(註3、9月29日、ブッシュ大統領の『緊急経済安定化法案』が下院で否決されたことによってニューヨーク株式市場では、ダウ平均株価の終値が777.68ドル安となった。その後、10月9日のニューヨーク株式市場では、ダウ平均678.91ドル安と900ドルを大幅に割り込み2003年5月以来、5年5ヶ月ぶりの安値で取引を終了。更に、10月13日にはダウ平均株価は、前週末終値比936.42ドル高という過去最高の上げ幅を記録して取引終了。更に、10月15日には、ダウ平均が733ドル暴落するなど株価の乱高下の状況を呈している)
(註、4 米政府発表によると、2007年10月から2008年9月までのアメリカの財政赤字は、過去最大の4550億ドルか=45兆9550億円となっている)

<無極化へのターニングポイント>

寺島>  そこで、今年は大変大きなターニングポイントになっていくだろうなあ、と私たちは見ています。それは何を意味しているかというと、財政も思いがけないほどの大きな負担を強いられて国民の税金にのしかかかるということです。外から引っ張って来ることが出来ていたお金も思うようにアメリカに集まって来ないという構造の大きな変化が起こり始めています。現在、我々が生きている時代で進行している事というのは、アメリカの求心力が急速に低下して来ているという事実が如実になって来ている状況です。それは多分、冷戦が終わって1991年にソ連が崩壊して東側に対して西側が勝ちました。西側の中心にいたアメリカ、東西冷戦の西側のチャンピオンだったアメリカが勝利しました。それによって、「アメリカのひとり勝ち」とか「一極支配」とか「ドルの一極支配」と言われて来ましたが、ここに至って、構図がガラッと変わって来て、以前番組でも申し上げましたが、一極支配どころではなくて多極化を通り越して無極化、「極なんてないのだ」というくらいに混沌とした状態に世界が向かっているということを我々はいま見せつけられています。このことに気づかなければいけないのです。
したがって、ただ単に世界の金融恐慌が来るかどうかということよりも曲がりなりにも世界のリーダー国として冷戦後の世界を束ねていたアメリカが一気にある種の求心力を失い、束ねていく力を失った事によって、世界がいわゆる「括弧つきの冷戦後の世界」という時代から大きく局面展開して、新しくどういう方向に向かうのかという局面にあることを認識しないといけません。要するに唯一の超大国なるものが消え去って、新しい時代の秩序をめぐって全員がガヤガヤと自己主張し始めているような空気の真っ只中に今世界はあるというか、つまり時代はそのような大きな構造転換期にさしかかっているということを我々はよく認識しなければいけないのです。
そして問題はそういう時代の大きな構造変化を日本の政、財、官を含めての指導的立場の人間、つまり分かり易く言うと日本の戦略シナリオを書いていかなければいけない立場の人間が、どこまで理解して、どこまで大きく問題意識の中に埋め込んで、その世界観のもとに日本の舵取りをしているか、ということが我々にとってはより重要です。
かつて1929年の世界恐慌のときも日本は明らかに道を間違えているのです。そして苛立ちのなかで例えばヒットラーやムッソリーニを称えて、日独軍事同盟とか日独伊の三国軍事同盟とかの大きな流れが出て来きました。つまり、たえず苛立ちのなかで選択が行われていくのです。この誘惑をよく考えていないと物凄く危ういことになりかねません。

木村>  たしかあの時代、「寡(すく)なきを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患(うれ)え」という言葉が論語にもあるのですが、それが逆に「等しからざるを憂えずして少なきを憂う」ということになってしまった、つまり「皆ができるだけ分かち合うのではなく、日本の国は資源も少ないし経済的にも貧しいのだから他国へ出て行こう」というような論理がパッとそのなかに入ってしまっていると……。

寺島>  そうですね。持てる国と持たざる国とかそういうことから世界観が急速に舵をきられてくるような可能性が大いにあるわけです。特に民主主義的なシステムは誰かが独裁してスパッと切り裂いていくようなものではないから、色々な意味でもたつくのです。時間もかかるし調整のコストもかかります。そういうことに苛立たずに時代をしっかり見据えていないと、つい、力の論理で現状を打破していこうということに誘惑を感じてしまうのです。その教訓をここでもう一度踏みこたえていないと金融恐慌は金融だけの話では終りません、ということをよく考えなければいけないのではないでしょうか。

木村>  まさしく最初に聞いたメール、「世界的な金融不安はおさまるのでしょうか?」というリスナーのかたの声ですね。つまり、勿論おさまるということも大事なのだけれどもいま考えなければいけないことはそういう歴史に根ざした「我々は一体何を体験して来たのか」ということをきちんともう一度思い出すことができる力、そこから「しっかりいまの世界がどう変わりつつあるのか」ということを見ることができる力、ということが問われていると……。

寺島>  そうですね。ポジティブなことをあえて一つ言っておくと、1929年といまの違いなのですが、1929年は資本主義といっても統計のカテゴリーに入ってくる国はアメリカと欧州と日本くらいなものだったのです。しかしいまは「BRICS」などと言われて、世界の裾野が非常に大きく広がっています。それからもう一つは、「国際協調連携なくしては、どんな国も孤立して生きてはいけない」ということを我々は学んでいると言えるのです。その一番分かりやすい例は北京オリンピックの開会式の日にグルジア問題がどーんと出て来て、ロシアがコーカサスの南に南進していったと……。ロシアは力の論理でアメリカがまさにイラクでやろうとしていたようなことをコーカサスでやるのか、と思うくらいにドキっとしました。そしてひょっとしたら「新冷戦の時代」という言葉までが登場して来て、またアメリカとロシアが頭の角を突き合わせて東西に割れてくるような時代が来るのかと思いました。しかしその後の経緯を見ていると、ロシアから西側の資本の400億ドル~500億ドルが1カ月半くらいの間に流れ出てしまいました。分かり易く言うとみんな凍りついて、「こういうちょっと危うい国に資本を投下しておくのは如何なものか?」と去ってしまうわけです。そうするとルーブルが下落して世界の中でロシアが生きていくのにはとても大変だというになり、またある種の協調路線のような形で妥協し始めています。それはロシアも中国も、勿論アメリカも世界のなかから孤立した政策は結局「自分の首を絞める」という、これが本当の意味でのグルーバル化の時代なのです。つまり私が言う「全員参加型秩序」「無極化の時代」というものが益々、木村さんが先程おっしゃった「分かち合い」という言葉、協調し分かち合って連携していかなければいけないのだということをこういうプロセスのなかからも学んでいるのかもしれないのです。

木村>  はい。それだけに日本は寺島さんがおっしゃるように「変わる世界」ということをしっかり認識して、その上で進路を組み立てていく力が問われる時代だということですね。

寺島>  まったくその通りです。

木村>  是非、それを日本の私たちは持ちたいと思います。そのために私たちは寺島さんのお話を伺っているのだと思います。