2009年11月7・8日 「官僚と戦う」

<座・対談〜前横浜市長の中田宏さんをお迎えして「辞めた理由」>

暁 >  「座・対談」のコーナーです。本日はお客様に前横浜市長の中田宏さんをお迎えしました。

高野>  私は中田さんが国会議員の時代からお付き合いさせてもらっています。お付き合いというほどお付き合いしていないかもしれませんが長い顔合わせをさせてもらっております。この番組に中田さんをお招きした理由は、これから地方政治を変えていこうという事で新しい動きを始めておられるので是非そちらのお話をお聞きしたいと思ったからなのですが、中田さんが出演されることを私の「ザ・ジャーナル」のWEBサイトで予告したところ、横浜市民の皆さんを中心に多くの方から「あの人は説明もしないで何故辞めたのだ」、「開国博Y150の赤字は一体何なのだ」という書き込みが怒涛のごとくきて、是非中田さんに質問をしてほしいという事でした。
 私も2年半前までは横浜市民でした。しがって、当然、私は中田さんに1票を投じた1人なのです。

中田> ありがとうございます。

高野> 投票した人間として、何故、中田さんは任期を残して辞めてしまったのだろうという疑問がありました。中田さんがお辞めになった直後に「サンデー・プロジェクト」でお話をしていただきましたが、あの話の内容の範囲ではなかなか腑におちませんでした。

中田> 衆議院選挙が終わりましたし、もう一つよい事例が出たので皆さんにお聞きいただいたり、関心をもっていただいたという事はとてもよいタイミングの時期だったと思っていて、皆さんにとても感謝をしています。私が辞めた理由は簡単で、社会の変革、改革を継続させるという事なのです。私はそれしか関心がありません。自分が批判されることはある程度覚悟の上で、社会を変えるためにどのような一手を、先を読んで打っていくかという事が大事で、表面だけではだめなのです。分かり易く言うと、来年3月に横浜市長選挙があり、3月という事は毎回同じなのですが、単独選挙で行います。皆さんは関心をもって、「中田は出ないのか?」と言って下さいますが、投票に行く人たちは3割に行くか行かないかなのです。したがって、ポスト中田によって改革を戻そうという人たちばかり、つまり、横浜市議会、政治勢力の人たちばかりになるわけです。それは何故かと言うと、私はこの7年半の間にひたすら財政改革を行ってきました。1兆円の借金を返済するという事は凄まじく様々な見直しをしなければならないのです。その度にいわゆる抵抗勢力で、批判どころではなくて、誹謗中傷、人格否定までされます。しかし、やらなければならないのです。私がやってきた結果、ポスト中田で、その後自分たちの思い通りになるような市長をつくりたくてウズウズしています。それが低投票率によって選ばれる事を避けなければならないわけです。衆議院議員選挙は投票率が6割を超えます。このタイミングで相乗り出来ない状態にするという事が私の目的でした。相乗りは最悪です。皆さんは、自、公、民が国会では喧嘩をしているのに地方では何故候補を担ぐのかと不思議に思っていらっしゃいます。

高野>  民主党はそれを止める方向に向かっていますが、まだそれに近い形はあります。

中田>  先日の神戸市長選挙においては、事実上そのような相乗りの形になりました。このようになってしまうと、これはいままで横浜市民が我慢をしながら、更に、色々な人たちが力を合わせて行ってきた改革が元に戻ってしまうのです。
 日本社会を見てみると、改革というものは大方、元に戻されていると思います。

高野>  郵政民営化はその典型ですね。

中田>  地方もそうなのです。三重県の北川正恭さんのところもそうです。

高野>  北川さんも辞めた途端に反動が始まりましたね。

中田>  他にも私が知っている範囲では、山形県前知事のさいとう弘さんが財政構造改革を行ったら選挙によって引きずり降ろされてしまいました。
 したがって、日本の改革は継続させる事が本当に難しいという事になるわけです。その人が頑張っている間はよいけれども、その後が続きません。私は続かせたいのです。続いていないと社会の成果はでません。

高野>  中田さんが任期を残して辞めるという奇策をとらずとも、例えば、任期いっぱい頑張って、後継指名はできないのですか?

中田>  言うのは簡単ですがまず無理です。例えば、高野さんには間違いなくいままで出馬の要請が何度もきたと思いますが、受けませんよね。有名人、経済界において頑張っている人等は大方、政治に入りません。やはり、政治は人材が率直に申し上げてなかなか来ない枯渇している部門だと思います。そのような中で、あちらの新人議員はポッとなってしまったとか、杉村太蔵議員が「両手で飯を食えて嬉しい」と言った事に対して飛びつく等という話題を皆さんは楽しんでいますが、政治に志をもって飛び込む人は、はっきり申し上げて本当に少ないのです。結果として、先程も申し上げましたが、相乗りによって担ぐ、つまり、相乗りによって担ぐ候補者は十中八九、官僚です。私が来年3月の市長選挙まで市長を続ける事は給料も貰えて楽ですが、それをやってしまうと3月の選挙は分かり切った選挙で、私は12月の議会によって不出馬を表明しますから、既にその瞬間からポスト中田の相乗り候補選びとなってしまうのです。しかし、衆議院選挙と同時ではどんなにひっくり返っても出来ません。それが一番のポイントでした。

高野>  逆に、同時に行なった市長選挙の結果は、3月に行なった場合と比べるとよりましな結果だったという事ですね。

中田>  率直に申し上げてそうなります。自民党も民主党も結局それぞれ分かれて戦ったのですが、驚く事に横浜市議会は衆議院選挙の時に、いまから選挙だという段階でも相乗りを模索しました。したがって、3月になれば火を見るよりも明らかなのです。結果として自民党は中西健治さんという金融のプロが出てきましたので候補者として充分だと思います。民主党はダイエーの再建を行なった林文子さんで、大組織を改革するという意味においては充分です。したがって、あのようなタイミングだと政党は仕方がないので民間人を推薦するわけです。中西さんに至っては、自民党の推薦を断っています。何故ならば、しがらみをつくりたくないからです。私はそれでよいのだと思っています。そのような人たちが出てくる環境を整えないと、政党が元に戻そうという勢力で寄ってたかってポスト中田を作ってしまいます。高野さんが先程、「誰か後継をつくればよい」とおっしゃいましたが、そこは今日的に無理です。この人が私の後継ですと言ってしまったら、選挙は落選確実です。このような事を考えて行動しなくてはダメで、そうしなければ元に戻って、一体何のためにやっていたのかという気持ちになります。横浜市は大阪市と比べると明らかに財政がよくなりました。1兆円の借金を返済して、大分身軽になりました。しかし、次の人が「それならばまだ使えるではないか」とやってしまったら意味がないのです。

高野>  その1兆円について、市会議員の方々からの御手紙が私のところに届きました。その人たちは中田さんが言われるところの反対勢力かもしれません。中田さんが1兆円の借金を減らしたと言うけれども、横浜市の建築助成公社や土地開発公社等、これらの公社から借金をして、土地購入代や住宅ローン等に貸し付けているわけです。いまはもうそれらの行為は止めていますが、これ自体、確かに借金はあるけれども貸し付けて返って来るお金なので、これを減らした分として1兆円削減の中に入れ込むのはおかしいのではないかという意見がありました。それによってむしろ、一般会計を見ると微増していて、何が1兆円だという批判があるわけです。

中田>  そのような債務全体をどのように減らすかという事がなによりも重要なところで、金融の世界で言うとしたら債務がどれだけあって、一方では毎年のフローでキャッシュがどれだけ入って来ているのかという事を見て、金融機関は格付けを行います。横浜市の場合、いまの格付けは、「AA−/ポジティブ(ダブルエー・マイナス・ポジティブ)」です。これは何かと言うと、日本の国の信用と同じという意味です。即ち、地方自治体としてはこれ以上高めようがないという程の格付けにきているわけです。つまり、このような情報を総て公開した事が債務を減らした結果として出てきます。したがって、当然ですが貸していたお金が返ってきたというものも入っているのです。債権を回収した結果によってそのようになりました。都合のいいところだけ批判するのではなくて、公務員の数を減らす事は忍びないですが、若い人の就業の門を閉ざしているわけですから、「生首」=「目の前の公民」は削る事はできません。したがって、新規採用を減らす事しかありません。つまり若い人たちの就業機会を奪う、しかし、横浜市を1回は適正なサイズの元に戻さなければならないのです。このように一つ一つ、実行する事によって、仕事がきつくなったという公務員の意見もあります。或いは、いままでのような手厚いサービスを受けられなくなったという市民の声があったり……、当然だけれどもその見方は裏と表と両方あるわけです。それでも、私は何度も言ってきましたが、教育を語るのも大事、福祉を語るのも大事、インフラを語るのも大事、しかし、財政が潰れたのならば元も子もないというところを見て物事を実行しなければならないという事です。どうしても反対する人たちは目の前のある一部分だけを見ます。そうなると、横浜市は持ち堪えられません。これは横浜市に限らず全部の行政が持たないという事になります。

<開国博Y150の赤字問題>

高野>  なるほど。それでは、もう一つの問題で、「開国博Y150」の赤字が残っているという件は、そもそも入場者数を最初は大きく見込んでいたという点にありますが、それほどの人気にはならなかった。また、最初に博報堂が出した華やかなプランも実現していないという批判がありました。

中田>  これはイベントなので成功、失敗があると思います。横浜市の開国博Y150は有料、無料開場合わせて8つの会場によって展開しています。更に言うと、開港150周年記念事業というものが横浜市全体で行なわれています。そのような意味では、これは当然な事になりますが、最初から金儲けのためにやっているわけではなく、テーマパークをつくって入場者だけを見込んで給料を支払っているというものとは違います。
 3つの有料会場については、このご時世、更にはインフルエンザの問題もあって、なかなか人が集まりませんでした。そのような意味では有料会場は思う通りにいかなかった事は事実です。しかし、横浜全体として今年はたくさん観光客が来ています。それはこの開国博Y150が開催されたためです。赤レンガ倉庫、みなとみらい、中華街、元町がとても賑わっていました。これも見方によるわけですが、いま、元町や中華街等は10月に入ってからガクッと人が減りました。結局、世の中全体が勿論不景気なのだけれども、その時に横浜の場合は前年度比において、まだプラスの状態で、減り方が少なかったという状況でした。それは何故かと言うと、開国博Y150が行なわれてきて、有料会場でお金を払う人が少なかったからなのです。しかし今年の無料開場も含めての人出は、おそらく5,000万人を超えると思います。私が市長に着任した時の横浜市の観光入れ込み客数は3,500万人くらいでした。それから少しずつ上げてきて、ようやく4,000万人台くらいの乗ったところです。そのような意味で、有料会場については思うようにいかなかったと思いますが、それも開国博全体という中において、横浜市民が横浜の歴史は港から始まったという事を知る機会をつくっていく事が重要だったという部分がありました。その上で多くの人たちが来て、賑わいをもたらして経済も明るくしてくれました。或いは、国の緊急雇用対策において、例えば、開国博で働く人を増やしたという事もありました。このような事をトータルに考えて頂きたいと思います。

高野>  それにしても赤字が残ってしまったという事で、計画からして適切であったのかどうかを調査するために「何だったのか開国博Y150市民の会」が発足されました。こちらの会の声明が出ています。見方は色々とあると思いますし、イベントなので失敗も成功もある。いずれにしてもその原因を解明し、同じ事を繰り返さない教訓をしっかりと、議会と市民が残す責任があるのではないのかと言われています。

中田>  私は開国博全体で言うと、述べ10万人ほどの市民の皆さんが参加してつくってきたわけです。例えば、動物園の「ズーラシア」がありますが、この近くに設けた会場等は数字が正確ではありませんけれど、たしか200団体くらいの色々なNPOやボランティア等の団体も含めて開国博に参加をしていました。この人たちは、一方で物凄い達成感と喜びを感じたのです。私はそのような人たちがある意味では凄くかわいそうだと思っています。つまり、全部が失敗したわけではないからです。間違っているのは何かと言うと、開国博Y150ではなくて、有料会場の話をしているのです。したがって、論議は必ずそのように逆立ちしてしまうということです。一方では、先程申し上げた10万人くらいの市民が本当に自分たちの手作りで色々なものを出していました。
愛知万博を思い出して頂くとよいと思いますが、あの時、各国や産業のパビリオンのエリアと市民がつくっているエリアがありました。この市民がやっていたエリアはズーラシアのほうだったのです。このような人たちはこの半年、特にズーラシアの方は3カ月でしたが、準備を含めるともっと長い間やってきて、物凄く感動しています。しかし、このような人たちからすると、本当にかわいそうで、何故このような言い方しかされないのであろうと思います。したがって、私は有料会場の事について言うとか、テーマを絞って話をしていく事はよいと思っていますが、「開国博Y150」と言っているところからして何を言いたいのか皆さんが知る必要があります。

高野>  お話を聞くとよくわかるのですが、いまおっしゃったような事を中田さんがキチンと横浜市民に伝えて、納得させて辞めればよかったのではないでしょうか。

中田>  先程申し上げたように、選挙のタイミングというものは、後継の人が指名はできないけれども、辞めるタイミングだけは選ぶ事ができます。しかも、これは高野さんも知っての通りで、政治家は直前まで辞めるとは言えません。言った瞬間からポスト中田の動きが一気に始まるからです。辞める前日でさえも言う事ができません。当日というタイミングで言わなければならないので、そのような意味においては難しいところです。しかし、総選挙がここまで延びたために、総選挙のタイミングを絶対に活かしたほうがよいと思いました。そうすると、相乗りはあり得ないわけです。このように先を読んで行動をしたので、ある意味では説明をしていきますし、これから先も時間と歴史の中で判断をしてもらえるようにしていきたいと思います。

高野>  市民ボランティアの動きも含めて、お金の使われ方もザックリとした項目だけで、これ以上の明細が出てこないので検討のしようがないと言っているわけです。

中田>  それは行政と民間がそれぞれやっている事を分けて議論しなければなりません。
ザックリもへったくれもないわけです。民間がやっている事を一つ一つ言い出したらきりがないと思います。

高野>  しかし、契約そのものが妥当だったかどうかという事は検証をやってみないと分からないですね。「民間が行なっている事なので、そこから先はわかりません」というと、どんぶり勘定の様な話になってしまいます。そのような事も含めて、中田さんはボランティアの人たちの動きの説明や、有料会場のよくなかった点等、原因をはっきりさせて教訓を残すという事については責任を持たれたほうがよいのではないでしょうか。

中田>  一言で言うと、開国博は大成功でした。

高野>  私はそのように言いきっていただきたいのです。言いきって、キチンとその事が何故なのか説明したほうがよいと思います。

中田>  必要だったコストもあり、一方では、うまくいった事、うまくいかなかった事があり、その全体像として開国博Y150は、150周年記念事業のメインにおいて非常に多くの人が集まった行事になりました。この事はこれから先も色々な機会で申し上げていきたいと思っています、