2009年10月10・11日 「記者クラブ問題」

暁 > 「オンザウェイ・ジャーナル~高野孟のラジオ万華鏡~」、「座・対談」のコーナーです。本日の御客様にはジャーナリストの上杉隆さんをお迎えしました。宜しくお願いします。

高野> 上杉さんは鳩山邦夫さんの元秘書から転じてジャーナリストになられました。

上杉> アルカイダの友人の友人の元秘書です(笑)。

高野> 上杉さんは最近、記者クラブ開放問題で急先鋒になってどこに行っても注目をされていて、その話ばかりになっていますね。

上杉> 最初に鳩山政権ができる時に、「上杉は官邸入りするのではないか」という報道もあったのですが、官邸入りどころか官邸に行ったら門前払いをくらいました。

高野> そんなことをされるのであれば官邸に入っていればずっと官邸にいられますね。
 今日は9月29日なのですが、先程伺ったお話だと亀井大臣から「今から記者会見をやる」という御声がかかったようですが。

上杉> 正確には昨日の夜中に亀井さんから電話がかかってきて、「明日、記者会見を開くから来てくれ」と言われました。これは記者会見がオープンになるのだと思いました。おそらく、国の機関ではまだ一度も開いていなかったので今日の亀井さんの記者会見が第1号だと思ったのです。実際に行ってみると私だけを呼んでいたので正式なオープンではなくて、亀井さんは記者会見というものは記者クラブが主催である事を恥ずかしながら知らなかったのだそうです。つまり、間違えて私を呼んでしまったのだけれども、「とりあえず今日はいてくれ」と言われました。私は特例なのですが、亀井さんの記者会見に出席して軽く質問をしてきました。
また今日、9月29日は記念すべき日で、夕方5時半から岡田外務大臣が記者会見を初めてフルオープンで行なうという日です。

高野> これは正式にという意味ですか?

上杉> はい。これは登録制ということで先週からインターネットを通じて登録を始めていて、アメリカのホワイトハウスと同じ形式によって正式に記者証を出していました。

高野> 私が昔フリーでワシントンに行った時、国務省のパスをそのまま発行してもらいました。9・11よりも遥か昔の話ですが、そんなのんきな時代もあったのです。

上杉> アメリカが日本と違うのは、審査は3カ月とか半年くらいかかりますが、申請をすれば必ず良いか悪いか、良ければOKの返事が来てジャーナリストであるならば多くのインターネット、雑誌等も含めて海外メディアが入る事ができます。
暁 > やはり当然許可が必要なのですね。

高野> セキュリティーの問題があるので全員が入る事はできないでしょう。
暁 > 上杉さんにこのように説明していただけると今日の岡田さんの件も理解ができますね。

上杉> 日本は戦後ずっと新聞、テレビ、ラジオ、通信社だけに限られていたので、私や高野さん等は基本的には入れないのです。記者会見には入れないのに報じていて、むしろ入らないほうが高野さんのように鋭い記事が書けるのではないでしょうか。

高野> なるほど。入らないほうがよいという考え方もあるわけですね。私はテロリズム等を個人ルートで直接電話をかけて潜り込んで行ったりします。

上杉> 私は昔、民主党の秘書に就いていたのであまり細かい事は申し上げられませんが、おそらく民主党ができたいきさつを高野さんが一番御存知だと思います。私は当時秘書をしておりましたが、何故かそこに高野さんがいたのです。

高野> 1996年の旧民主党結成前夜ですね。あの時、鳩山邦夫さんも参加していて、私は政策論議に参加をしていました、

上杉> 記者クラブの記者が入る事ができない場所に高野さんがいました。したがって、最近の新聞に「民主党のブレーン」、「鳩山ブレーン」というと、高野さんの顔写真が出ていたりするわけです。高野さんは13年前の旧民主党時代からいらっしゃって、しかも政策決定や党の重要決定の場にいらっしゃるので、民主党の本を書く時には高野さんにお聞きしたほうがよいと思います。

高野> 亀井さんの記者会見は少しフライングした形でしたが、岡田さんはこの番組の収録後に始まるということで一定の団体の枠組みはあるのでしょうか。

上杉> 記者会見に入るためには条件があるのですが、そもそも「記者クラブとは何だろう?」という疑問があって、何故こんなに大騒ぎをしているのかと言うと、実際は非常に重要な問題だからなのです。日本の記者クラブは総理官邸、外務省、自民党……、他にも色々な官公省庁があり、その他には都道府県、市町村、JR等の色々な民間企業があります。これまでその企業の中の情報を記者クラブの記者に出してそのまま載せるという事で報道されてきました。これは普通だと思うのですが、実は海外ではそのような事は一切なくて、権力側が出した情報は「もしかしたら嘘をついているのではないか?」と疑ってかかる事が性格の悪いジャーナリストで、それによって初めて出るのです。
 したがって、例えば「埋蔵金の問題」や「年金問題」等はずっと昔から知られていましたが、フリーのジャーナリストはそれらの事を追及していたにもかかわらず何故出なかったかと言うと、記者クラブの記者に対して霞が関は「そのような事はない」と言って、別のデータを出すからなのです。そうすると、そのまま報道をしてしまって「なんだ、嘘じゃないか」という結果になります。

高野> 記者クラブが情報コントロールの道具になっていたわけですね。

上杉> 「記者クラブ問題はメディアの問題である」と皆さんは言いますが、実は「霞が関」=「官僚制の問題」だからこそ重要だという事です。

高野> 元々の事を言うと、記者クラブは120年前(1890年)に設立されました。明治憲法によって、第1回目(1889年)の衆議院議員選挙が行なわれました。薩長側が想定したものと全く違って民権派がどんどん当選してしまい、慌ててしまいました。民権派の論客等の人たちは自分たちで新聞社を経営していて民権運動そのものが背景にあったのですが、帝国議会の取材、傍聴が禁止になりました。それに対して民権側、つまり新聞側が「ふざけるな、入れろ」という事になったのが始まりだったと言えます。そこだけは記者クラブは健全だったと思います。しかし、それは初めだけで、できてしまったらだんだんと取り込まれて行き、権力側からのアナウンスの道具になっていたわけです。120年間の堕落の歴史とも言えます。
暁 > 120年前といまでは全く違う時代であるにもかかわらず、全く変えなかったというのは凄いですね。

上杉> むしろ、だんだんひどくなっていっています。
実はフランスも1780年代、18世紀に既に記者クラブがあったのです。その後のナポレオン時代にも記者クラブがあって、それに対してジャーナリズムから非常に批判がでて、1830年のナポレオン3世の時代に記者クラブの解放運動がありました。その時代にフランスでは記者クラブの問題は解決をしました。しかし、日本はいまでもまだやっている最中です。そのような意味では非常に記者クラブは古い制度なのですが、世界のジャーナリズムはこのような形の記者クラブをとっくに乗り越えています。この制度は日本にしかないのです。
10月に発売される「エコノミスト」という雑誌には「記者クラブ」という特集が組まれていて、「Kishakurabu」とそのまま英語で表記されています。日本語がそのまま通じる言葉となっているのです。こんな珍しい言葉なのだからここまで残っているし、これは冗談ですが、是非とも世界文化遺産に登録申請したほうがよいのではないかと思います。
暁 > 記者クラブは今日、もしかすると少し変わるかもしれないところでしょうか。

上杉> ただ、外務省だけなのです。外務省は比較的これまで記者クラブに対して、ややオープン気味のところがありました。

高野> 海外メディアのプレッシャーを一番受けてきたためですね。

上杉> 私もかつてはアメリカの新聞社「ニューヨーク・タイムズ」にいましたが、その時は外務省には記者会見にパスで入る事ができました。しかし、そこから先の官邸や他の省庁となると基本的には入れませんでした。仮に入れたとしても、特例で質問権のないオブザーバーで、「入ってもよいが、お前は何も言うなよ。見ているだけならばよい」という事を権力が決めるのではなくて、同業者が決めるのです。この点が一番変なところなのです。

高野> つまり、役所の記者会見なのだけれども、それは記者クラブ主催で、先程申し上げた120年前のいきさつになるわけですが、記者クラブが設立された時には積極的な意義があって、民の側が権力に割り込むという主旨がありました。しかし、いまはその残骸だけが残っているのです。それならば、記者クラブを構成している人たちがいかなるメディアにもどんどんオープンにして力を増していけばよいものを裏がえってしまって、一部大メディアの特権擁護になってしまいました。

上杉> 大メディアが雑誌やフリー等のお行儀の悪いメディアからの攻撃に対して政治家を守る形になったというわけです。具体的に言うと、私がニューヨーク・タイムズにいた時に当時の小渕総理にインタビューを申し込みました。小渕事務所のほうはOKの返事をくれて、総理も承諾してくれました。まず首相動静を出さなければならないので、小渕事務所の方から「内閣記者会の方に知らせておいて欲しい」と言われ、教えました。すると、即日、内閣記者会の代表者会議が開かれて、「ニューヨーク・タイムズのインタビューは認めない」という命令がきたのです。小渕総理が承諾していても同業者が駄目だと言う事に対して外国の人には意味が分からないですし、こんな事はありえないのです。例えば、オバマ大統領が承諾しているのにニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが認めないと言っているからインタビューをする事が出来ないという国は一切ないわけです。
 この事を聞いた当時のニューヨーク・タイムズの支局長が、「そんな話があるか。世界中どこでも権力者がインタビューに答える事はいくらでもある。反論権を放棄したとみなして書けばいい」と言っていました。更に、「小渕総理は是非ともインタビューに答えると言っているのに同業者が駄目だと言うからインタビュー出来なかった。ノーコメントと書いてニューヨークの読者が納得すると思うのか?」と言って怒っていました。
 結局、その後小渕さんが亡くなられてインタビューをする機会はありませんでした。万事が実はこのような形で記者クラブが政治側の権力監視ではなくて、そのようなチェックをする機関から守るというものになってしまったのです。

高野> このような事になってくると今度は国民の知る権利がどうだとか言い始めます。国民の知る権利を妨害しているのはお前たちではないかと言いたいですね。

上杉> いまはもうなくなりましたが、民主党が打ち出した「事務次官会見の禁止」がありました。その時に、高野さんがおっしゃったように「知る権利を阻害するものだ。報道を通せ」と言ってかなり激しくやり合いましたが実はこれには裏があって、基本的にこれまで政治側から情報を得られないところを霞が関からもらっていました。その時には、事務次官会見の前に事務次官会議というものがあったのです。その会議の中身は閣議で決定する事を決めるというものです。閣議決定をする政治家よりも先に知るためには事務次官に聞けばよいので、事務次官との接触を断たれる事は困るわけです。このような意味で官僚とのパイプを切ってはならないという事を言い続けました。しかしおかしい話で、それ自体は時代遅れと言いますか時代錯誤だったのですが、結局は戻ってしまった状態です。
そのような意味で海外の人はみんな怒っています。しかし、日本はそれを伝えないので日本人はみんな知らないでいるのです。

高野> このような問題があること自体を知らないわけですね。

上杉> ここに新聞のコピーがあるのですが、9月25日付けの東京新聞の記事で「首相就任会見で蚊帳の外。フリー記者ら公約違反。外務省は週明けに解禁」というものがあります。これはおそらく日本の新聞で初めて記者クラブの問題について取り上げたものだと思います。これはブロック誌なのですが、他の新聞はどんな問題が起こっても一切報じる事はありません。何故かと言うと、3月に小沢さんの代表会見があって、その後5月には鳩山さんの就任会見があり、両方とも私は出席して「政権をとった時に官邸の記者クラブ、記者会見をオープンにしますか?」と尋ねたところ小沢さんは、「必ず開けます」と答え、鳩山さんも「必ずそれは御約束しますので、どうぞ上杉さんもおいで下さい」と答えてくれましたので招待されたら行かなければならないと思って就任会見に行ったわけです。しかし先程申し上げたように、いざ行ってみると門前払いをくらって外に出されてしまったので、東京新聞に「公約違反をされて外に追放された」という記事が掲載されたのです。
暁 > 政権が発足されたばかりだったのでこのような事になったのでしょうか。民主党はこれから必ず開けるのですね?

上杉> これが新聞メディアの言い方で、実は民主党は開けていたのです。2002年に岡田克也さんが幹事長の時にオープンにして、その後、民主党は管代表、前原代表、岡田代表、小沢代表、鳩山代表と全て政党としてフルオープンにしていました。両議院総会においても、そして明日いよいよ政権獲得だという時にもオープンにして、インターネットの記者も含めてみんな入っていました。中には、ずっとビデオを撮ってアーカイヴでおこしていた人たちもいました。そして、いざ当日となって、最終の集大成だという時に追放されたので「それはないだろう」という気持ちになりました。
暁 > 鳩山さんはその事実をわかっていてやったという事でしょうか。

上杉> わざとやったわけではないと思いますが、どうも微妙なのです。その辺のところは総理ですから誰が来るとかいちいち構っていられません。記者クラブ側はオープンにしていると言っていて、「海外メディアの人たちを15人くらい、雑誌の記者を5人入れました。段階的にオープンで画期的だ」と新聞に小さく載っていました。

高野> それもどのような基準で選んだのかわからないのですよね。

上杉> 私はその事について取材をしましたが、海外メディアは登録をすれば入る事が出来ます。ブルームバーグやロイター等のような通信社も入れます。雑誌記者に関して言うと国会記者証を持っていて雑誌協会に登録している記者が対象になります。という事は、つまり、カメラマンしか入れないというわけです。
暁 > それは記者クラブに邪魔をされたという事なのでしょうか。

上杉> 記者クラブと官僚側と官房長官が基本的に入れたくないのです。今回、内閣記者は「あれだけ民主党が公約していて開けているのだから、民主党が政権をとったのであれば準備をしなくてはならない」という事で実はオープンにしようと準備をしていたのです。これも直接取材をしましたが、官邸の報道室は「今回は開けるしかない」と言っていました。あとは平野官房長官が「お願いします」と言えばそれで終わりだったのですが、平野さんが「ネットとフリーは入れなくてよい」と言ったのです。
暁 > 何故そのように言ったのですか?

上杉> それはわかりません。

高野> 簡単に言えば「よくわかっていなかった」のでしょう。平野さんの勘違いだったのかもしれません。

上杉> 民主党としてはいままで取材をしていなかった記者が入る事ができるので、あまりにも差が激しすぎるのではないのかと思ったのかもしれません。

高野> 周辺も含めてそのような懸念を言う人はいたのかもしれないですね。

上杉> そのような意味においては、岡田さんがやっている事は画期的ではあるのだけれども、本来ならばもっと早く総理官邸を普通に開けているべきだったと思います。

高野> 長年この問題に関心を持ってアピールをしてきた上杉さんにとっては平野官房長官等の態度がけしからんと思う気持ちがとてもよくわかります。これも、小沢さんが政権交代の目的として「明治以来100年余りの官僚主導体制を打破する革命的改革」と言っていますから、その革命的改革が始まったという事だと思います。120年間の利権構造をぶっ壊すという話ですね。

上杉> いろいろな反論があると思いますが、これに関しては逐一論駁できます。

高野> 要するに、何の反論もできない状態なのに最後の最後までしがみついているような状態です。私も何年も待てとは言いませんが、半年か1年の間に相当変わっていくのではないのかと思います。

上杉> ドミノ倒しではありませんが、岡田さんが門戸を開いた今日の事は相当大きいと思います。

高野> 是非、これから上杉さんに岡田さん会見に行ってもらってまた報告をして下さい。

上杉> この放送が流れる頃には既に記者クラブ制度自体が変わっているかもしれませんね。