PROGRAM  No.2015-037  09/10〜09/14  ON AIR
写真:坂崎幸之助 ←クリック 『坂番洋楽データファイル
(略してSYDF)』第107回
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今回は「テ」で始まるアーティスト特集の10回目!
ラインナップは・・・

『デヴィッド・リー・ロス(David Lee Roth)』
★1954年10月10日、アメリカ・インディアナ州ブルーミントン生まれ。
1973年、同じ大学の人気バンド「マンモス」のアレックスとエディのヴァン・ヘイレン兄弟に誘われ参加。
それと同時にバンド名も「ヴァン・ヘイレン」に改名。
1978年、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」のカヴァーでデビュー。
次々にヒットを放ちます。
特に1984年リリースの6枚目のアルバム『1984』はシングル「ジャンプ」と共に大ヒット。
そして1985年1月、デヴィッド・リー・ロスはソロ名義で4曲入りEP『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』を発表。
ビーチ・ボーイズの曲をカヴァー、ソロデビューシングルとしてリリース。
当時の「ヴァン・ヘイレン」人気も相まって大ヒットしました。
 ♪カリフォルニア・ガールズ(California Girls)
  *全米3位まで上昇。
  *バックコーラスには本家「ビーチ・ボーイズ」のカール・ウィルソン
    とミスター・フラミンゴこと、クリストファー・クロスが参加。
★この後、デヴィッド・リー・ロスは1985年4月に「ヴァン・ヘイレン」を脱退。そして1986年、ギター:スティーヴ・ヴァイ、ベース:ビリー・シーン、
ドラム:グレッグ・ビソネットという、超バカテクミュージシャンを迎え、ソロ第1弾アルバム『イート・エム・アンド・スマイル』をリリース。
そして1988年、2枚目のアルバム『スカイスクレイパー』を発表。
ここからの1stシングルは「ヴァン・ヘイレン」時代のナンバーを彷彿させるキャッチーなもので見事にヒット!
 ♪まるっきりパラダイス(Just Like Paradise)
  *1988年、全米6位まで上昇。
★その後、次第に人気も下降線の一途をたどり低迷。
しかし「ヴァン・ヘイレン」2代目ボーカリスト:サミー・ヘイガーの脱退で、グループに復帰したり、また抜けたり…。
さらには、サミー・ヘイガーと一緒に「サム&デイヴツアー」を行なったり、またまた「ヴァン・ヘイレン」に戻ったりしています。

『デオダート(Deodato)』
★1942年6月22日、ブラジル・リオ・デ・ジャネイロ生まれ(73歳)
本名「エウミール・デオダート」。
1960年代中頃からアレンジャーとして「フランク・シナトラ」や「アレサ・フランクリン」「アントニオ・カルロス・ジョビン」や「ミルトン・ナシメント」などのアルバム制作に携わります。
そして1970年代に入り、まだクロスオーヴァー、フュージョンという言葉も無かった時代にクラシック作品をジャズテイストにアレンジした注目され、その記念すべき最初の作品は大ヒットを記録しています。
 ♪ツァラトゥストラはかく語りき(Also Sprach Zarathustra)
  *1973年、全米シングルチャート2位を記録。
  *リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲したもので、 映画
    『2001年宇宙の旅』で使われたことでもおなじみ。
  *1974年グラミー賞で最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞を
    受賞。

『テクノトロニック(Technotronic)』
★1988年、ベルギーのハウスミュージックを制作するスタジオで結成されたプロジェクト。
当時、大流行だったハウスミュージックを次々に発表。
1989年、その最初のヒット曲が本国ベルギーをはじめヨーロッパ全土で大ヒット。
その勢いで1989年暮れに全米でもリリースされ、翌1990年には全米2位を記録する大ヒットとなっています。
 ♪今夜はパンプアップ(Pump Up The Jam)

『デスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)』
★1990年、アメリカ・テキサス州ヒューストンで、ビヨンセを中心に結成されたガールズグループ。
最初は4人のメンバーで「ガールズ・タイム」として地元のライヴハウスなどを中心に活動をスタート。
そして1992年、CBSのスター発掘番組『スター・サーチ』にエントリー、見事優勝したものの、すぐに芽は出ず。
そこでビヨンセの父親マシュー・ノールズが娘たちの夢をかなえるため、それまで務めていた大企業を退職、マネージメントオフィスを設立。
グループ名もマシューの発案で、聖書から引用した「デスティニーズ・チャイルド」(Destiny's Child=運命の子)と改名。
1997年、映画『メン・イン・ブラック』の挿入歌で注目され、翌1998年、デビューシングル「ノー、ノー、ノー パート2」が大ヒット(全米3位)。
1999年、2ndアルバム『ライティング・オン・ザ・ウォール』からの第1弾シングルは彼女たちにとって、初の全米ナンバーワンをもたらしました。
 ♪ビルズ・ビルズ・ビルズ(Bills,Bills,Bills)
★グループが売れてくると出てくるのはギャラや待遇面でのメンバーの不満。表面的には人気絶頂でも、メンバー内の確執は大きくなるばかり。そこで、ビヨンセの実の父親で事務所の社長マシューは、不満をもらす2人を一刀両断、脱退させます。
そのタイミングでの新曲のビデオには、脱退させた2人や、ファンも知らない新メンバー2人も出演していました。
 ♪セイ・マイ・ネーム(Say My Name)
  *2000年、全米1位(2曲目のナンバーワン)。
★2000年に新メンバーになった2人。その内の1人は頻繁に遅刻したり無断欠勤を繰り返したため、すぐに解雇。メンバーは、オリジナルの「ビヨンセ」と「ケリー・ローランド」、そして、新メンバーの「ミシェル・ウィリアムズ」の3人組となります。
この3人組となって最初の全米1位となった曲がこちら。
 ♪インディペンデント・ウィメン パート1(Independent Women Part1)
  *2000年、全米1位。映画『チャーリーズ・エンジェル』の主題歌。
★2005年、人気絶頂の中グループは解散を発表。それぞれソロ活動に入ります。
その後、2006年&2013年のスポーツイベントで一日限定の再結成を果たしています。