VOLUME No.59(2007.7.1)

偉大なるミュージシャンについて敬意を表し、ピックアップしていく「ロックの巨人」。
第7回目のテーマは「野外ライブ、その2」。


 夏の野外フェス特集、第2回は1974年の8月に、福島県郡山市の開成山公園の陸上競技場で開催された「ワン・ステップ・フェスティバル」を紹介したいと思います。
 当時のこのフェスティバルの 1番の話題は、初来日のオノ・ヨーコのプラスティック・オノ・バンドでした。
(8月の4・5日、8日〜10日の5日間行われ、プラスティック・オノ・バンドは最終日に出演)
日本のロックがメインだったんだけど、キャロル、沢田研二、シュガーベイブ、上田正樹&サウス・トゥ・サウス、かまやつひろしとか、
いわゆるメジャーなアーティストやバンドも、それぞれの日に出てたんだけど、何故か俺が観に行ったのは1番マニアックなロックの日(8月5日)でした。
 お目当ては、まだデビュー前の四人囃子。ちなみにこの日の出演者は、デビューしたてのダウン・タウン・ブギウギ・バンド、つのだひろとスペース・バンド 、あんぜんバンド、
フェリックス・パパラルディ(マウンテン)がプロデュースする前のクリエイション(当時は内田裕也さんプロデュースの1815Rockn'N' Roll Band としても活動) 、
それからジ・オールマン・ブラザーズ・バンドのカバーなんかを演ってたジュリエット。そして四人囃子。
四人囃子なんて、まだレコードも出していないのに、この日のトリだよ。いかに彼らが凄かったかが、分かるでしょ。
「一触即発」や「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」などのオリジナルに交じってピンク・フロイドの「Cymbaline/シンバライン」とか素晴らしいアレンジで聴かせてくれた。
むちゃくちゃうまかったし凄かった!
でね、なんで四人囃子の事を知ってたかというと、当時、俺は大学生で、バンド仲間の間で話題になってたんだよ。
日本最高峰のプログレバンド、ピンク・フロイドのカバーや、アンコールではベンチャーズの曲もやる…なんて得体の知れないバンドって事でね。
今思えば、もっと有名なバンドがいっぱい出てたのに、なんでそんなマニアックな日にわざわざ行ったのか?よっぽど四人囃子が観たかったんだろうな。
友達と2人で夜行列車に乗って(当時、新幹線は通ってなかった)、深夜1時位に郡山に着いて、そのまま朝まで過ごして、それから当日会場に入って。
でねマニアックな日だったから、広〜い会場にホントお客さん少なかった。沢田研二さんが出た日なんて何千人も入ってたらしいんだけど、
俺が観た日は、ほんとにまばらで、恐らく200人位しかいなかったと思うんだ。
 それでも四人囃子はもちろん、今思い出してもいいバンドが多かった。クリエィションは、当時流行りだした竹田和夫と飯島義昭とのツイン・ギターが特徴の1つでもあったんだけど、それを売りにした
当時プロレスの選手の入場テーマにもなってた「Spining Toe-Hold」なんてすっごい受けてた。しかもJeff Beckに影響を受けたという竹田和夫のギターは本当に上手かったし。
それから当時話題になってたダウン・タウン・ブギウギ・バンドも全員がつなぎ着ててさ、宇崎竜童さんはトランペットも吹いたりして、
言ってみれば演歌とジャズを掛け合わせたようなロックンロールっていうか、それまでのロック・バンドがやった事のないような音を出してた。
つのだひろのスペースバンドはステージ・パフォーマンスがうまくて、お客さんをひとつにまとめてた。スタレビのデビュー当時、そのパフォーマンスをよく真似してたもんな。
ジュリエットなんてバンドはジ・オールマン・ブラザーズ・バンドのカバーだよ。大体、当時、オールマンなんてマニアックにロック聴いてた人以外誰も知らないよ。
だけど、そんな日だからお客さんも十分マニアックで「おぃオールマンだぜぇ」なんて盛り上がってたのをよく覚えてる。
 真っ昼間から始まったステージを皆んな、芝生に寝っころがりながら観てたんだけど、いよいよ夕方から夜にかけて四人囃子の登場。
上半身は起こして、いわゆる体育座りみたいな感じで観てたんだ。それだけでも十分期待度高かった証拠だよ。
 当時のバンドやアーティストがライブをやる時ってPAや照明は、ほとんど主催サイドで用意されたもので、自分たちでスタッフとして雇っていることはホント少なかったんだ。
それでも古くはKing Crimsonがやり始めたと思うんだけど、四人囃子は日本では数少ない自分たちのスタッフでPAも照明もやるバンドで、だからそのステージングは際立ってた。
ホントに神憑かり的な演奏だったのをよく覚えている。
 何年か前に「ワン・ステップ・フェスティバル」のCDやDVDが発売されて、俺も買ってみたけど、その出演者インタビューの中でかまやつひろしさんが語ってた。
「こういうフェスティバルが日本で開催されるのはホント嬉しいし僕らも喜んで参加するけど、やっぱりギャラも出ないようなフェスティバルばっかりじゃ日本のロックは育たないよ」。
当時のチケット代は2千円か3千円くらいだと思うんだけど、ほとんどが会場費や運営費に使われて、こういうフェスで儲かるなんて絶対なかったみたい。
 それから30年以上経って、ロックは一般的になり、お客さんも随分集まるようになった。イベントもあちこちで行われている。
演奏する僕らにとってはそんないい時代だからこそ、やる側がチケット代に見合ういいコンサートってなんなのか、ちゃんと考えていかないとね。
要の小部屋BACKNUMBERへ


Copyright(C)2001 JAPAN FM NETWORK All rights reserved.