VOLUME No.41 (2005.2.1)

偉大なるミュージシャンについて敬意を表し、
ピックアップしていく「ロックの巨人」。
第2回目の今回は、ジェフ・ベックについて語って頂きました。

 音楽というのは年令と共に「渋み」を増していくものだよね。
例外として、ヴァン・モリソン、ボニー・レイット、トム・ウェイツなんて最初から「渋い」存在のアーティストもいるけど。
ミュージシャンというのは年を取っていけばいく程、音楽が伝えようとしている事を、言葉少なに伝えていこうとする。たった1つの言葉や音にたくさんのことを含められるようになるんだろう。
そういう音やミュージシャン達を、いい意味で「枯れていく」と呼んだりする。
でもそんな言葉とは無縁のミュージシャンもいる。それがジェフ・ベック。
彼は自分の中に、絶えず「革命性」を持たせ、新しいギターの奏法とか音とか、そういうものにいつも挑戦している気がするんだ。
CDを聴いてもライブを見ても、ジェフ・ベックにはいつでも新しい「凄さ」がある。
じゃぁ何が凄いのかって言うと、そのひとつは湧き出てくるアイデア。簡単にいってしまえば、絶えず新しい。
ギタリストとして、そしてミュージシャンとしての彼には毎回、ゾクゾクっとさせられてしまう。
そういう意味ではず〜っと追い続けていく価値のある人だね。

ギタリストして一番対比されるのがエリック・クラプトンだろう。かつては同じバンド、The Yardbirdsに在籍し、3大ギタリストと呼ばれた時代もあったわけだからね。
正直、今となってはギタリストとして比べることの意味も感じない。
というのもクラプトンは、ギターだけでなく唄も含めて、ある意味で彼の人間性そのものをアーティストとして評価している部分が多くなった気がする。
それを考えるとジェフ・ベックは、いつでもギターの権化というか、彼そのものがギターになってしまっているように感じるんだ。
これはギターを弾かない人には理解できないことだろうけど、何をどう聴いてきて、どういう発想で、そんなプレイが出てくるのか、ギターの音が出来上がっているのか、見当も付かない。
だから追い掛けたくなる、いや着いていくしかない。

番組では、よくそのミュージシャンのルーツを紹介する事も多いよね。
クラプトンなんかは、ブルーズ、特にロバート・ジョンソンといった原形が聞こえてくるし、すごく敬意を払っているのがよく分かるよね。
でもジェフ・ベックを聴いた時に、そのルーツが見えづらい。確かにルーツはブルーズだと思うんだ。
映画の「RED,WHITE & BLUES(マーティン・スコセッシ制作総指揮による「THE BLUES MOVIE PROJECT」全7部作の中の1本)」の中で、
ジェフ・ベックは、昔のブルーズ・マン/ギタリストについて「これが弾けなくて苦労した」とか語るんだけど、おそらく基本はクラプトンなどと同じ、ブルーズだったはずなんだよ。
だけど、その表現方法として、例えばクラプトンを含めて多くのギタリスト達が、自分なりのブルーズの模倣という形をとったのに対して、ジェフベックはそれを新しく、時にはそれを否定することで発展/進化へに向かっていったんじゃないかな。
だからといって、決して奇をてらったり、あるいは前衛的かというと、そうじゃなくて、とても観念的な表現になっちゃうけど、そのサウンド自体はいつもロックしているわけだ。

どんなところが新しいのか、簡単に説明しようか。例えば、湧き出てくるアイデアって言ったけど、ジミ・ヘンドリックスは歯でギターを弾いたよね。
確かに凄いアイデア/発想だけど、言ってしまえば「ピックのかわりに歯で弾いた」といってもいいかもしれない。
でもジェフ・ベックは「ギターではない音」を、ギターで出そうとしているんだよ。
(もちろんヘンドリックスはパフォーマーとしても優れていたから、そんなプレイも必要となったんでジェフ・ベックと比較しようって訳じゃないので理解してね。)
引っ掻いたり、叩いたり、トレモノ・アームを多用したり、ギターをアンプに近付けて、フィードバックさたり、トーキング・モジュレーターを使ったり(発明したり?)とかね。
これらはギターの限界を超えようと、いや超えさせようとしているんだよね。
でもそこで凄いのは、現代の機材の技術、例えばギター・シンセサイザーとかでフルートの音とか出せるんだけど、そういう発想には彼はいかなんだよ。
つまり彼にとってフルートの音が欲しいわけじゃなくて、あくまでも新しいギターの音を創りたいんだよ。

例えば、ブルガリアン・ヴォイスという独特の声というか、唄があるでしょ。これをジェフ・ベックはアーミングを微妙に駆使してギターの音で表現してしまったりするんだよ。
言い換えれば「微妙な音程」しか創れないアーミングで、音程を取ろうとは誰も思わないわけ。でもジェフ・ベックはできちゃうんだよな。
もう「参りました〜」としか言いようがないね。
(89年のアルバム「GUITAR SHOP」の中の「WHERE WERE YOU」や、番組でもかけた2003年のアルバム「JEFF」の中の「BULGARIA」という曲がまさにこれだよね)

キング・クリムゾンのギタリストで、エイドリアン・ブリューっていうプレイヤーがいて、「エレファント・トーク」っていう曲の中で(81年のアルバム「DISCIPLINE」に収録)、ブァ〜っていう象の鳴き声みたいな音を彼がギターで出しているんだ。正に「エレファント・トーク」。
これはアーミングとスライド奏法で作っているんだけど、最初にこれ聴いた時はぶっ飛んだ。
この音で彼の名前は世に広まったんだよ。もちろん彼自身も凄腕のギタリストなんだけど。
大げさに言ってしまえば、あの象の鳴き声みたいなアイディアが、ジェフ・ベックのアルバムにはそこら中にあるんだ。

それから不思議なのは、どんなフレーズも、一生懸命練習して会得したようなフレーズじゃないんだよ。
ギタリストにとって、いかに滑らかに/流暢に弾けるか、安定して弾けるかっていうのが主題だったりするんだ。
つまりどんなに早く弾けても、プレイが安定してなかったり、滑らかな音が出せなければ、ギタリストとしてのテクニックが高いとは評価されない。ところがジェフベックはそのへんがとっても曖昧なんだ。
スケール練習したり、同じフレーズを何回も弾くのが嫌いなんじゃないかな。
だから、1回目と2回目とかはちょっとづつ変わってくる。全てがトリッキーなんだよ。だから驚いちゃうんだよ。どれを聴いてもね。
しかもそんな音をどうやって出しているのか、さっぱり分からないし、
ましてや同じ音、同じフレーズにしてみようと思ったって、そうならないんだな。
つまり同じギタリストとして聴いても、同じように出せない、同じように弾けない、そもそもどうやったらそうなるのか分からない。
悔しいけどジェフ・ベックは、そういう領域のプレイヤーなんだよ。

ジェフ・ベック・グループ名義の「TRUTH」(68年作)や「COSA NOSTRA BECK-OLA」(69年作)っていうアルバムを聴くと、ギターが4、5回重ねて入っているのが分かる。
でもみ〜んな違うフレーズだったりとか、勝手な事やってるように聞こえるんだけど、どれもカッコイイ。
ちゃんと1つ1つを聴いてると、なんじゃいそれ?!てな事ばっかりでさ。
1本ずつ聴かせてくれよ〜、分析させてくれよ〜って、思うんだよ。でも他のギターの音が入ってるし、他の楽器の音だってあるからさ。
でもこっちも聴きたい、あっちも聴きたいってね。でも聴けば聴く程、その凄さが分かるし、フレーズが素晴らしいとかじゃなくて、「この音は何?」っていう凄さだね。

70年代の中頃から彼はピックをやめて指で弾き出したとき、もうギターと自分の間には何も入れたくないんだなって俺は勝手に思ったんだけど、
ホントどこの大学でもいいから、予算を組んで、彼の音楽をきちんと研究すべきだね。
そして今すぐ世界遺産として、今後もギターの進化型/未来型を提示してくれるように、手厚く保護するべきだよ。
ジェフ・ベックは、俺にとってはそれくらい思い入れのあるギタリストなんだ。
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