30周年のお祝いは、確かに嬉しいし、大事だけれども、これが27年でも28年でもバンドをやる気持ちは変わらないと思うんだ。
それでも、30年経ってるわけだから、こういう時にはこうしたらいいとか、こうなったらこうだろうという経験値がある程度備わってきている。
偉そうだけど、大抵の事には、びくともしないぐらいのバンドの中の信頼感が、30年経って出来ちゃったと思うわけ。もちろんスタッフも含めてね。
今思うと、プロとしてやっていく、食べていく為には、10年目位って、とっても難しいんじゃないかな?って思う。
音楽的な相違とかだったら、まだましだけど、食べていけなくてとか仕事がなくて解散するとか、休止してしまうのは一番悔しいだろうね。
そういう部分で考えると、俺たちはラッキーだった。
もし今、仕事がなかったり食えなかったら、幾つかの方法を考えて、それでもやっていこうとすると思うんだ。
例えば、年間活動する中で、大幅に赤字が出ないようにするとか、この部分の経費を削ってやっていこうとか。
だってそれで好きな音楽ができるなら、バンド活動ができるなら、その方が嬉しいだろ。
でも5年目、10年目の時に、そんな事を考えられたかなぁとも思う。
その時期って、音楽で食べていく事と理想の音楽活動とのバランスが取れなくなってしまう時期なのかもしれないね。
なんで今、そういう事が明快に答えられるかというと、結局、俺達は音楽をやりたいわけだよ。
例えば、音楽をやりたいけど、制作費がないから、アルバムを作れませんという事だったら、
じゃぁ制作費を減らせばいいじゃんか、あるものでやればいいって考える。
例えばライブだったら、スターダスト・レビューをライブで呼びたいんだけど、経費がありませんって。じゃぁこっちの経費を減らせばいいじゃんかって思うわけ。
確かにそれじゃ、満足な音が出せないとか創れないという気持ちもある。だけど、それが現実だし、それが今の評価なんだから仕方ないよね。
それに、その街にライブに行かなかったらお客さんゼロだけど、行けば何人かは見てくれるって思えば、行かないより全然いいでしょ。
何故か、うちは年を取れば取るほど、フットワークが軽くなるし、やる気だけはどんどん増えてるから、不思議だよね。
音楽を楽しむ気持ちや音楽をやりたいという気持ちが減らなかったというのがやっぱり一番だと思うよ。
こんな風に考えたら、もっとわかりやすいかな。例えばCDを出すことを目標にしてたとしたら、CDが出ない(出せない)のは、大変な事かもしれないけど、
CDを出す事を目標にしていないバンドにとってはそんな大きな問題ではない。
同じように売れることを目標にしていたバンドが売れないことは大変なことかもしれないけど、売れることを目標にしてなかったら、売れないことなんてどうってことないことなんだ。
ツアーをやることを目標にしてきたバンドは、ツアーに出なきゃ意味がないけど、
純粋にスタジオで音楽だけを作りたいと思っているバンドだったら、ツアーが出来ないなんて事は、大きな問題にはならない。
つまり「音楽で何をやりたいか」が分かったら、活動や生活していく中で、工夫やら何やらで、音楽はできるんだよね。
俺がロックを聴き始めたころは、スタジアムクラスのミュージシャンは数えるほどしかいなかった。つまり、好きなやつだけが聴いていた。
Woodstockみたいなイベントもあったけど、単独でスタジアムをやれる人はそんなにいなかったと思う。だから大抵語られるのは音楽的な評価が多かった。
みんな本気で好きだったんだよね。それが70年代から80年代へと移り、社会現象になるほど知名度が上がれば、集客だって大きくなる。
そうすると音楽だけ語っているわけにはいかなくなっちゃう。余りにもビック・ビジネスになり過ぎて、意に反する事もやらなきゃいけない事もあるだろうし。
そういう人たちを目標にして音楽を始めると大変だよ。売れることを前提にされるからね。
本人たちも当然その気になる。で、そのまま売れればいいけど、なかなかそうはいかない。そりゃ落ち込むし、自分の音楽だって疑うだろう。
だけど、ほんとはね、音楽で何をやりたいとか、ちょっとでもいい部分があれば、がんばれるはずなんだ。そんな時に頼りになるのがスタッフだよ。
うちはいつもスタッフがいつも褒めてくれたわけ。それがスタレビの大きな部分を作ったと思うんだ。
もちろんいい所ばかりじゃない。自分達で悪い所っていうのは、当然、分かっている。
それはスタッフも分かっているはず。だけどそういう部分も認めて、色んなアドバイスをしてくれたらアイディアをもらえたら、まだ頑張れる余地が出てくるんだよね。
もちろん、あれこれやったからこそ、チャレンジしたからこそ、出来た事ってあるわけで、何もやらないで、褒められてだけいたら、高慢ちきな高飛車野郎で終わってたと思うけど。
誰だっていいところもあれば、足りない部分もある。音楽が不思議なのは、そのダメな部分が特徴となって売れちゃう時もあるけど、
やっぱミュージシャンとして一定レベルに達しようと頑張らないと、その先が見えてこないのも事実。
俺達は今も頑張って練習しているけど、もうちょっとうまくなれば、絶対創る音楽の幅が拡がるのも事実。そしてなかなかうまくならないのも、哀しいけど事実なんだよね。
俺に音楽的な才能があったかどうかは、今もよく分からないけれども、何かをやろうとした時のチームワークの作り方とか、育てていく部分、目標を掲げるという部分は、スタレビのリーダーは俺でよかったなぁと思うことだね。もっともこれは、音楽だけじゃなく、何にでもあてはまることだけど。
「スターダスト・レビュー」という複数で創っていくバンド、それは決して個人ではないから人格というはないんだ。だったら、そういう人格を創ってしまえばいい。
ある意味、理想的な人格を俺はスタレビに与えられたと思う。
もし俺個人だったら、恥ずかしくて言えないことも、あるいは個人だったら面倒くさくなってしまうことも、スタレビという人格があるから出来たんじゃないかな。一応俺がフロントに立って歌っているけど、俺であって俺じゃない。俺はそんな部分を楽しんでいるんだと思う。
だからメンバーに頼るし、スタッフに頼る。矢面に立つ人間だけがスーパースターのように言われるけど、たまたま前に、表に出てきてるだけで、
じゃぁ照明が無くても歌えるのか、俺のマイクをONにするスタッフがいなくて歌えるのか・・・例えば俺の唄というのは、俺の唄を支える人がいるから、お客さんに届けられるわけだよね。
そういう事に一番敏感に気づくのがフロントマンなんだ。誰かに教えてもらったとかではなくてね。
俺達はバンドだから、色んな思いが重なってる。一人が上がれば、他のヤツは追いつこうと頑張る。
そうこうしているうちに、スタッフだったりお客さんだったり、色んな「力」が加わってくる。完璧になるまで、まだまだ時間がかかる。
もしかしたら、完璧にはなれないのかもしれない。それでも、目指す音があるから、ゆっくり頑張れる。
まぁバンドの何がいいって、このぬるめのお湯的な感じが、すごく居心地がいいんだ。
とことん自分を追い詰めていって、凄い音楽とか、究極的な何かを求めていく人もいる。それも素晴らしい。だけど、それだと俺はきっとどこかで疲れてしまうのかもしれない。
好きな音をいつでも出せるバンド。こいつらがいれば、いつでも同じ音がだせるバンド。
根っからのバンド志向なんだなって自分でもほんとに思うね。
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