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鳥越俊太郎・中田美香×森住卓(フォト・ジャーナリスト)

 
風景を撮る、人物を撮る、生き物を撮る…。カメラマンには様々なタイプがいる。
森住卓は自分の命ある限り、戦火に足を運び、戦場に生きる者の生死の境目にフォーカスを当てる、そんなカメラマンだ。
「もし収録日の3日前までにビザが取れなければ、スタジオに伺います」。そんな返答にやきもきさせられながら、無事、本収録への運びとなった。

イラクの地に立って、思うこと 〜 その現状
中田 「鳥越さんと森住さんがお会いになったのは?」
鳥越 「お会いしたのはついこの間。人質事件があったでしょう。あの時、郡山総一郎さんと…」
森住 「高遠菜穂子さんと今井紀明さん?」
鳥越 「高遠さんはいらっしゃらなかった。高遠さんの代理として森住さんがこられて、今井さんと郡山さんと森住さんが記者会見をしたんです。人質事件解放後初めて。僕はもちろん取材で行って、その場で森住さんにお会いしたんですよ」
中田 「それが初めてで…」
鳥越 「ええ。森住さんから声をかけていただいて、僕は、高遠さんにインタビューをしたいとずっと思っていたので、森住さんを通じて、手紙を書いたりメールをもらったりして、最終的に実現しました」
中田 「鳥越さんがイラクに行くとお決めになったときには、出会っていたのですか?」
鳥越 「いや、それは会うずっと前のこと」
森住 「鳥越さんがイラクにいってらっしゃることは僕も知らなかった」
鳥越 「同じ頃にいたんですよね?」
森住 「1月ですか?」
鳥越 「はい、1月終わりから2月ですから」
森住 「いや、僕は2月の中旬にはいりましたから」
鳥越 「じゃあ、僕はちょうどその直前だ。CNNクルーが直撃したあたりにイラクにいた。拉致の直前だったので、多少まだ良かったけど、それでもやっぱり怖かったよ。だって、アンマンからバグダッドまで行く11時間位、最後のラマディからパルージャで強盗が出るため、防弾チョッキもつけたし。後ろについていた、アルジャジーラの車はやられたしね」
森住 「あ、そうですか。僕は、そういう狙われそうなところにはついていかないから。防弾チョッキをつけてたら、相手からいいターゲットだなってみられるじゃないですか」
鳥越 「ただ、サダム・フセインが捕まった穴に行ったときは、ボロの車に乗っかて…。誰にも外国人とわからないように行ったんです」
中田 「なるほど。その頃は、まだまだジャーナリストが行けた状態だったんですね。実は、今回は森住さんはビザがとれたらまたイラクにいくとおっしゃっていて、このインタビューもギリギリまでできるかわからなかったのですが、でも、今日インタビューが実現しているということは、ビザがまだ下りていないということですよね?」
森住 「まだ、下りてない」
鳥越 「実は森住さんから僕のところにメールがきて、僕が8月にイラクへ行ったと思ってらっしゃったので、どうやってビザをとったのですかと聞かれたんだけど。僕が行ったのは1月だったからね…」
中田 「この9月からビザをとるのが難しくなったのですか?」
森住 「うん……。今年の8月の末から厳しくなりましたね」
鳥越 「つまり、7月からイラクには政府ができたということで、アメリカが世界中にアピールをしたいがために…。また、今アメリカはめちゃくちゃやっているからね、空爆やらなんやら、ジャーナリストの人達に全て撮られたくないという事もあって、ビザがおりなくなったんではないでしょうかね」
森住 「そういうこともありますね。バクダッドでは、アルジャジーラの支局が時々閉鎖されるんですよ。閉鎖されたあとに必ず大きな作戦が行われるんです。アメリカにとって不都合な局は、作戦前に閉鎖されるし」
中田 「じゃ、現実的にイラクに政府ができたといいつつも、ビザを申請されるジャーナリストは、アメリカ側についているということで、ビザが下りにくくなっているということですか?」
森住 「それは実際は分かりませんが、政府ができても、機能していないのが現状ですね。誰も、ビザの発行の仕方をわかっていない」
鳥越 「本当なら森住さんは、バクダッドに行っていたかもしれない。幸か不幸か…」
森住 「今は、状況が本当に悪くなってきていて、バグダッドでは、誘拐には3段階あって、最初はギャング(金目当て)、そして誘拐した人間を地元のパルージャという総勢力に渡し、そのあとアルカイダにわたる」
鳥越 「そうそう。高遠さんたちも強盗に捕まえられ、そのあと抵抗組織に保護され、ビデオの前で演技をさせられ、ナイフをつきつけられ、『泣け、NO小泉』と言えなどと言わされたみたいですね」
中田 「それだけが日本には伝わっていますからね、かなり日本ではバッシングされましたが…。でも一方でジャーナリストは伝えていかなければいけない使命というものがありますよね…」
森住 「そうですよね。日本のメディアなんかで気になるのは、よく“テロリスト”という言葉を使っていることですね。イラクの人はテロリストという言葉を使わない。“レジスタンス”といって、抵抗、侵略者に対する抵抗、独立をまもるために戦う。ただ、複雑なのは、外部から入ってきた、テロリストたちとまざっていて、ぐちゃぐちゃになっていて、アルカイダがやるテロもレジスタンスといわれてしまっていることです」
鳥越 「イラクの民衆はテロリストではないけれど、アメリカにイラクにはテロリストがいっぱいいる国だというイメージを作られてしまっているんですよね。ところで、森住さんはイラクは何回行っているんですか?」
森住 「湾岸戦争後、6回ですね…」
鳥越 「しかも、森住さんの場合組織のバックアップがない分、不安はないですか?何かあったときなど」
森住 「ま、自分の好きなことができるから良いですね。ただ問題は、何をするか。イラクに行ってなにをしたいか、イラクの人達の今、被害状況などを世界に伝えたいから、それがイラクの人達にとってどういう意味があるのか、イラクの人達が理解してくれれば、特別危険なことはないです」
   
カメラマンという仕事 〜 究極の選択
鳥越 「イラクではどんな写真を撮っているんですか?」
森住 「もともと、湾岸戦争がきっかけでイラクの取材を始めたので。それから、癌や白血病の子どもたちを撮るようになった。90年代の中ごろから、世界の核実験の写真を撮るようになった」
鳥越 「もともと、核などに興味があったのですか?」
森住 「そうですね、ちょうど長崎と広島の原爆が投下されて50年だったのでね…」
鳥越 「森住さんは昔からカメラマンだったんでしょうか?」
森住 「そうですね。ま、新聞(のカメラマン)から始まり30年ほど。写真はもともと好きで、自分の気持ちなどを表現できると思い続けましたね。小6のときにぜんまいのカメラで遊んだり、中学時代に写真部に入ったりしていましたね」
鳥越 「同じカメラマンでも花とか風景を撮る人がいる中で、なんで、核とかイラクとか撮ろうとおもったのですか?」
森住 「たんにきれいな風景を撮っているよりも、何か社会とのかかわりで表現したかった。最初は、米軍基地の問題をやったり、三宅島の基地と島ぐるみの戦い。83年以降取材に入って、毎日新聞の再建の取材などもしました」
鳥越 「私いましたよ。じゃあ、何か事件があったりしたら、すぐに現場に行ってしまったりしたのでは?」
森住 「そうですね、火事場大好き。自転車で火事の現場に行っていた」
鳥越 「私は写真ではないけれど、私も夜中でも子どもの時は見に行きましたね」
中田 「ところで、核に蝕まれている子どもたちを撮っていて、背けたくなる瞬間はありましたか?」
森住 「僕の写真は背けたくなるような写真が多いんですが、それが現実だから、僕が彼らに背けたら、世界にメッセージが伝わらない。真正面から取材をしないと、逃げてはいけないと思っていますね。核というものがいかに非人間的なものかを伝えるためには、背くことはできないんです」
鳥越 「究極の問題ですが、写真を撮っているモデルが命の危険にさらされているときに、森住さんは、カメラを捨てでも助けますか?」
森住 「あの…僕は、撮影します」
鳥越 「なるほど」
森住 「撮りたい。僕の場合は、助けられない。僕の被写体になる人達を助けることはできない。僕は写真を撮って、彼らを助けられるから。ただ僕は、目を背けたくなるような状況のときは、ためらいはないですね。逆に燃えて、撮り終えてからぐったりしますよね。なんて僕は卑しい人間だと思う」
中田 「森住さんの被写体になる人たちは、撮られたあとどういう反応を示しますか?」
森住 「僕は悲惨な状況で撮影しているので、表現よくないけど、死にかけてますからね。だから、あまり、表情はないですよね」
鳥越 「被写体とのコミュニケーションは大事ですか?」
森住 「大事ですね。コミュニケーションは必ず取る。1回だけではすまないですからね。ずっと取り続ける。戦争があっても。彼らを見失っても、探し当てますね」
中田 「こういった状況をみて戻ってくると、日本はどういうふうに見えますか?」
森住 「イラクの問題で言えば、戦争については、全然日本に伝わっていない。それがいやですよね…」
鳥越 「新聞やテレビは、自衛隊がどうしたこうしたとか、局部的なことしか伝えない、本当のイラクの姿を全然伝えていないんです。だからイラクの国民の思っていることが伝わっていない」
森住 「そうですね、この戦争は、道理もない、いかにフセインが凶悪であろうと、独裁だろうと、1つの国が武力でぶっつぶしてしまうことは、許されないことです。20世紀に国連ができて、国際紛争を話し合いで解決しましょうという原則があったわけで、これは人類の英知なわけで。それを破ったということは、許されないことですよ」

小さい頃は火事があるとやじ馬根性で、火事場に自転車を走らせたという。
何かが起こればそこに行って、何が起こったのかをフィルムに収めるという姿勢は、一貫して変わらない。そして…。森住はその“瞬間”を捉える。
われわれに真実を伝えるために。
彼は自分の感情をこらし、現実を見つめる。
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<森住卓>
1951年、神奈川県生まれ。
旧ソ連の核実験場を取材した『セミパラチンスク』で日本ジャーナリスト会議特別賞を受賞。
1998年からはイラクを中心に取材されています。著書に、『イラク−湾岸戦争の子どもたち』、『イラクからの報告』などがあります。
 
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