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山本博(男子個人アーチェリー銀メダリスト)

 

静かなスポーツである。しかし1投1投射るたびに、高揚感がじわ〜っと伝播してくる。84年ロス・オリンピックで銅。そして今年銀。20年かけて1メダル昇進。最多5度目の出場ヴェテラン選手は、究極のスロー・ライフ主義者なのか?この息の長いリーチがいい。


井門 「20年で銅から銀ということで、感慨もひとしおですよね。」
山本 「早い人ですと4年で色(記録)を塗り替えるんですけれども。僕の場合はちょっとのらりくらり波乱万丈を過ごして、20年かかっちゃいましたね」
井門 「じゃあまた今後20年で金ということも考えたりは?」
山本 「『ちょっとスピードアップしろ』って、外国の友人たちが言っていたんでね、できる限りがんばってスピードアップします」
井門 「20年前パーマ・ヘアだった映像が、日本では流れているみたいですが」
山本 「あの当時はね、時代なんですよ(笑)。当時はねパンチパーマかおばさんパーマっていうのしかなかったんですよ(笑)。そんな中で、僕は剛毛なんで、遠征行く時にパーマかけていかないと、時間がせわしないじゃないですか。それでやったんですよね。今見ると時代を感じますね」
井門 「今は男らしい短髪ですけど。選手村にも理容室があるんですよね」
山本 「僕がお世話になっているトレーナー室でもね、アテネ・カットというのが流行ってますものね。みんな何か短く面白く、斬新に刈って帰っていきますよね」
井門 「実際に選手村は日本のメダル・ラッシュで沸いているかと思うんですが、何か山本選手には影響みたいなものはありましたか?」
山本 「今まで出場してきたオリンピックの中で、こんなにスタートから、金メダル金メダルっていうのは今までもなかったですよね。ロス・オリンピックの時も銀銅っていう方が目立ちましたからね。これまでにない雰囲気です」
井門 「その中でも銀メダルということで」
山本 「まあ私にとってすればですね、みんなががんばってくれているのが嬉しいから、そういう中でオリンピックに出会えてよかったなと。あとは自分の大会の時はね、メダルっていうことよりも、自分の納得のいくプレイにだけ集中できた結果が、最後メダルになったんだと思います」
井門 「実際2回戦で、昨年の世界選手権のチャンピオン、(ミッシェル=)フランジーリ選手を破りましたよね」
山本 「予選ラウンドが終わった段階で、トーナメントの枠組みが決まるんですね。そのときにフランジーリ(の結果)が悪かったもんですから、2回戦で当たる組み合わせを知ってね。世界大会のチャンピオンと戦える組み合わせになるっていうことは、トップ・フォーまで残らなくてはなかなかないことなんですよ。だから今回負けても世界チャンピオンと対決が出来るっていうことで、自分の気持ちをプラス方向に持っていって、それがすごく良い方向にでましたね」
井門 「それが何かひとつ、オリンピックの独特の緊張感を解きほぐしてくれたっていうのもありますか?」
山本 「やはり今回のオリンピックを楽しみたい。楽しむことが結果として、オリンピックに勝つことに非常に近いということは判っているんですけれども、競技者として(たとえばフランジーリ選手といった)最高峰と戦っていることの喜び、ここにもっと意識がいったというのが大きいですよね」
井門 「準決勝115対115の延長はすごかったですね」
山本 「みなさんに『あの時はどういう気持ちで』って言われたんですけれど、全然ティム(=カディヒー)のことっていうのは意識にないんですよ。もう自分のシューティングというか、自分の体に意識がずーっとあって、他人に意識がいかないんですよ。ですから最後まで展開というのが自分の中では判らないまま、ただブザーがなると撃ち始める。で最後のシュートの時もコーチに『先撃ちだぞ』って言われて、で先に撃って。ティムが撃ってですね、また次に私撃とうとしているんですよ。普通1本のシュート・オフなのに。それをテレビで見ていたうちの若手の選手に『山本さんシュート・オフなのに、また撃とうとしていたでしょう』と言われましてね。だから本当に撃つことだけに集中していましたね、あの試合は」
井門 「無心だったんでしょうね。でも決勝戦はとっても楽しそうでしたね」
山本 「生まれて初めて決勝に立てましたから、自分自身がその舞台にいられるということと、パナシナイコという歴史ある競技場で、決勝に残ったものだけが6回戦えるわけですよ。あの場でね6回アナウンスをもらえるという喜びがね。勝つ負けるということよりも、嬉しかったですよね」
井門 「表彰式の時。国歌が流れ、国旗が揚がった時は?」
山本 「正直20年前はねバタバタしていたっていうか、なんだか判らないうちに表彰式が終わっていたんで。まあ今回20年経って、年取りましたね、41歳になると。落ち着いて国旗も見れるし、自分の中に刻みながら、表彰式を経験することができましたね」
井門 「実際スコープに息子さんの写真を貼っていたそうですが、息子さんのヒーローにはなれたと思いますか?」
山本 「息子(純太郎)に電話したら、『お父さんがんばったね』と言ってくれたので、今まで『がんばったね』と言われるような結果がなかなか出せなかったものですから。バルセロナの時に生まれた子どもが、大きくなってお父さんがオリンピックに行く姿が判るところまでがんばろうと思ってやってきたわけですけれど。メダルが取れて、それを見せられたのは幸せですね」
井門 「ところで前々から伺いたかったのですが、座右の銘は何ですか?」
山本 「自分自身で思っているのは、1つのことを一生懸命続けようということで“一意専心”。あとは“一期一会”。今回もみなさんとこうやって接するんですけれど、1度の機会がものすごくそのあとの自分の財産になってきているんです。人との出会い、選手との出会い、選手とのマッチを大切にして生きていくっていうのが、僕の生き方です」
井門 「帰ったら本当に大騒ぎだと思うんですが、メダルを獲ってから生徒たちとは何か話されましたか?」
山本 「ほとんどこちらでの連絡はメールなんです。それはこの大会来る前もそうですし、私が遠征に行った時は、子供たちはみんな今は携帯持っていますから、そこから送信してね。私がパソコンで受けて返信するということを、ここ数年やってきています」
井門 「今山本選手から子どもたちっていう言葉がありましたが、生徒というよりは子供たちなんでしょうか?」
山本 「子供たちっていう方が、僕にとっては素直に言える言葉ですかね。あの子たちにはやはりメダルを触らせてあげたいっていうのが夢でね。聞いた話よりも見た話、やっぱりメダルを触らせて、オリンピックというものを身近に感じさせてあげたいんですよ」
井門 「今後の抱負は?」
山本 「毎日毎日を大事にして、まあこの年齢ですから体調を大事にして、次の北京に向けてがんばっていきたいと思っております」

 山本選手。メダルを獲得した後は、ホームページのアクセスができなくなるほどの反響がきて、ビックリしたそうである。
次は北京。再び静かに燃え上がる1投を射って欲しいと、願ってやまない。
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<山本 博>
1962年10月31日神奈川県生まれ。日本体育大学卒業。大宮開成高等学校勤務。趣味・特技はオートバイ、ゴルフ。好きなアーティストはフィル・コリンズ。縁起かつぎは、風水。
 
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