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VOLUME 02

『万葉集』を題材にした心の豊かさかを伝える授業が評判 中西 進(文学博士・京都市立芸術大学学長・奈良県立万葉文化館長) 聞き手 早見 優(2004.6.28収録)

 
今年、75歳の中西進。以前から氏の著作物を愛読していた早見優が是非お会いしたいとラブ・コールを送って対談が実現した。

万葉集を教えようなんて思っていない
早見 「先生は、全国の小学校や中学校に出向いて、万葉集を素材にした授業を行っているそうですが、生徒さんたちの反応が非常に良いそうですね」
中西 「皆さん、想像以上に興味を持ってくれて本当に嬉しくなってしまいます。多分それは、私が教えようとしていないからだと思うんですよ。教えるというのは、オトナの知識を伝達しているだけの一方通行ですから、彼らからは何も返ってこないのは当然。つまりね、物事の基本には、必ず心があって、気持ちがある、そして感情がある。それをお互いに共有しようとすれば子供たちはどんどん発言できるんですね。ですから私は、万葉集を教えようなんてこれっぽっちも思っていない。万葉集を媒体にして、みんなで感動しようとしているだけなんです」
早見 「素敵ですね! そういった子供たちの様子を伺うと私も本当に嬉しくなってしまいますが、その一方で、子供たちによる悲惨なニュースを目にすることも多くて……」
中西 「そうですね。でも、こういった事件を時代のせいにしてはいけないと思います。責任はまず、自らにあると思わなくてはならない。それなのにメディアは“社会が歪んでいるからだ”とか“教育が悪いからだ”などと叫んでいる。確かに私も教育の方法は間違っていると思いますが……」
早見 「教育の方法?」
中西 「今の教育は、プロセスで考えさせるのではなく、答えがはっきりしているものをただ伝えるだけなんです。これじゃあ、子供たちはついてくるはずがない。面白くないですからね」
早見 「本当にそうですね」
中西 「それと、現在コンピューター教育や情報教育が盛んですが、インターネットの一番の弊害は情報の洪水。その情報に私たちは右往左往してしまっている。ですから、自らが判断して選べる力、つまり選択能力を身に付けさせなければならないと私は思うんです」
   
母親と父親の役割
早見 「お話を伺っていると、私も子供を教育していかなければならない親としての責任を感じます」
中西 「その通りですよ。特にお母様というのは大変です。昔は<たらちねの母>と言いましてね、これはお乳がいっぱいある、愛情が豊かということ。<ね>というのは<動かない、デーンとしている>という意味なんです。つまり、悩んでいたりフラフラしていたら母親は失格。それとね、お乳の<ち>は<血>と同じ言葉でしょう。つまり、命を養う根源のものを昔は<ち>と呼んだんですよ。そして、<ち>そのものを<力>と呼んだ」
早見 「うわ〜!!  日本語って面白いですね」
中西 「そういう力を持っていて、胸を出しているのがお母さん。父親は“オレについて来い”と言って背中を見せる。ところが、近頃の父親は甘いことしか言わない」
早見 「それはなぜですか?」
中西 「自信がないからですよ」
早見 「あまり触れ合う時間もないし、だからつい優しい言葉になっちゃうのかしら」
中西 「それもありますね。本当は、優しい言葉を掛けてあげるのは母親の役目なんです。アジアの教えでは、母親は慈悲の<慈>というものを子供に教えなさい、そして父親は<義>。これは<モノの道理>という意味で、これをきちんと教えなくてはいけないと伝えられているんです。そのような分担がしっかりあって、それで始めて良い教育ができるわけです。それが今の日本はめちゃくちゃでしょう。一体この国はどうなってしまうんでしょう(苦笑)」
早見 「それにしても、日本語の意味をきちんと理解していくと、正しい教育の方法も見えてきますね」
中西 「その通りです」
   
言葉を愛すること!
早見 「ところで先ほど先生は、字画の多い漢字って素敵だよっておっしゃってましたけれど、これはどうしてですか?」
中西 「字画が多いと一生懸命書くでしょう。その分、魂が込められるんですね。そういえば、優さんも良いお名前ですね」
早見 「え〜! そうですか?」
中西 「優という字は、ニンベンに憂いと書くでしょう。憂いている人が一番優れているというアジアの哲学に基づいて、優・良・可という分類法もあるぐらいで」
早見 「そうだったんだ」
中西 「こんな風に日本語をひとつひとつ紐解いていくと、いろんなことが学べますよね」
早見 「その日本語が乱れていると言われて久しいですが、先生はどのように感じていらっしゃいますか?」
中西 「言葉というのは、常に変化しているんです。歴史を辿るとそれがよくわかります。新しい言葉が生まれ、その言葉の勢力が増して気が付けば正しい言葉として納まっている。例えば<滑稽>という言葉があるでしょう。これはもともと、<かっけい>と言っていたんです。ほら<滑走路>って言うじゃないですか。ところが、骨という字が付いているものだから、みんな<こっけい>と言い出した」
早見 「なるほど。変化して当たり前なんですね」
中西 「私はね、言葉というのは猫だと思うんです。飼い主の言うことは絶対にきかない。犬じゃないんです。ところが多くの人が犬だと思っているようですね」
早見 「そんな言葉と私たちはどのようにして付き合っていったらいいんでしょう?」
中西 「愛することです。口に出した言葉をきちんと自覚するだけで、重みが違ってきますからね」  TOP


<中西 進>
1929年、東京生まれ。東京大学文学部を卒業後、同大学院を修了。現在は、京都市立芸術大学学長、奈良県立万葉文化館長として多忙な日々を送る。『日本人のわすれもの』『日本人こころの風景』などの他、最新刊の『石川忠久、中西進の漢詩歓談』まで、多くの書物を世に送り出している。さらに『中西人間塾』と題した講座も開催したり、自ら、全国の小学校や中学校に出向いて、子供たちに万葉集を中心とした古代の心の豊かさかを伝える『中西進の万葉みらい塾』も評判。読売文学賞、日本学士院賞、大佛次郎賞、和辻哲郎文化賞ほか受賞多数。
 
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