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VOLUME 01

元三重県知事の北川正恭は、2003年流行語大賞になった〈マニフェスト〉という言葉を普及させた先駆者である。現在は、21世紀臨調(新しい日本をつくる国民会議)代表、早稲田大学大学院公共経営研究科教授を務め、政治学者の立場からマニフェストを前提とした民主主義の実現をめざしている。北川はこう語る「指標を変えたいんです。GDP(国内総生産)から、GPI(Genuine Progress Indicator)に。これは生産をあげていくだけではなくて、家族の温かみや、地域の助け合いをどうみるかといった、つまり本当の進歩の指標です」

北川正恭が現職の改革派とよばれる知事たちと語り合った―

増田寛也×北川正恭
 
1977年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、建設省入省。1994年12月、同省建設経済局建設業課紛争調整官を退職。翌年岩手県知事に立候補し当選。三選を果たし現在に至る。好きな言葉は一期一会。江戸時代に米沢藩の財政難を立て直した上杉鷹山を尊敬。”がんばらない宣言いわて“を提唱し、新しい岩手県政を目指す革新知事として活躍中。

県民との契約を旗印に!―
北川 「実は、初めてマニフェスト(政権公約)選挙をやっていただいたのが増田知事だったんですよね」
増田 「北川さんにのせられましてね。マニフェスト選挙で、候補者を選ぶ判断基準が完全に変わりました。生活者基点というか、県民としっかり契約して、ダメなら4年後の選挙で落とすと。いままでだと、国民はあまりよく知らないんだ、自分たちが国を背負って立つんだ、という考えでしたが、今の国民、生活者は全体のことをよくご存知です。選ばれる候補者は早くそのことに気がつかなくてはいけないのではないかと思います」
北川 「苦い薬が入っているマニフェストでも、国民や県民はちゃんと理解して選択する能力があるんですよね」
改革の流れは地域から国へ―
北川 「地域が変わって国が変わった。地域から国が変えられるんじゃないか、というきっかけを知事のみなさんにつくっていただいて、非常に喜んでいます。昨年はマニフェストで流行語大賞をいただきました。増田知事にも少しお返ししなくてはいけないと思っているんですが、賞金は全く無いんです、茶碗ひとつだったんですよ(笑)」
増田 「マニフェスト運動の伝わり方の速さが、県は国政レベルよりも速くて、
それが政党を動かしたのは間違いないです。こういうマニフェスト運動を国民は欲していたということですよね」
いまこそ問われる、議会の存在意義! ―
北川 「議会の反応はいかがですか?」
増田 「議会というのはまだまだ改革が遅い、議会は改革に賛否両論です。国の内閣と違うのは、我々は県民と直接話が出来るということです。そして、議会は議会で、県民の代表としてそれをチェックするという役割があります。しかし、一方で知事が直接に県民と約束を交わしてしまっていることに対して、議会として、どうチェックすればいいのか? その見識と意見が問われていて、県民はそれを見ていますから議会が鍛えられます。それだけに、議会が誠実に行動すれば、議会のステイタスとか重みがさらに上がってくると思います」
北川 「がんばらない宣言いわて……を提案しておられますが、これは……」
増田 「岩手らしさを追求するということ。努力するときに、何に向かって頑張るのか、そのベクトルの方向を確かめておかなくてはいけない。今まではそれをしないで東京の真似をすればいいというようなことだった。これをもう一度見直すことが大切です。東京とは違う価値観で岩手を見直す、これから我々は東京とは正反対の方を向いて行政をし、県民の方にそういう価値観もあるということを提案していきたい。岩手らしさを追求するということ、それが〈がんばらない宣言いわて〉の背景です」 
 
 


浅野史郎×北川正恭
 
 
東京大学法学部卒業後、厚生省に入り厚生省生活衛生局企画課長に。1993年約24年間務めた厚生省を退職し、宮城県知事選挙に出馬し当選する。その後、三選を果たし、現在地方の革新知事として活躍中。スポーツが趣味でジョギング知事の愛称も。また、エルヴィス・プレスリーの大ファンとしても知られている。

ジョギングのファイティングポーズは闘いの象徴! ―
北川 「浅野知事といえばランニングですよね」
浅野 「17年目なんですね、走り始めて。39歳から走っていますから。年間1800キロくらいですから。延べで3万キロは走ってます」
北川 「それは朝ですか?」
浅野 「朝です、あさのしろうですから(笑)。走るのは、精神衛生上すごく大きい。知事になりたてのころ、走れなくなったら知事を辞めると言ったら、秘書課長がめっそうもないことを言わないでくれって。走るというのは、そんなに一生懸命走っていなくてもファイティングポーズなんです。走るというのは挑戦するという感じなんですよ。闘う姿勢が生まれてくるんですね」
県民の”怒り“が燃えた、宮城の乱―
北川 「中央官庁のお役人として堂々たる人生を歩まれていたのに、それを辞めて知事に出馬された動機は何でしょう?」
浅野 「最初の頃の動機は怒りです。私の故郷の前知事がゼネコン汚職で逮捕されたということは、県民まるごと恥辱を負っているようなものですよね。でもやっぱり、自分が本気で出馬するとなると、勝てるのだろうかとか、もし駄目だったらどうするかとか、家族が路頭に迷う情景が頭に浮かびました。思い悩んだんですが、結局そういうふうに悩んでいること自体が打算だと気がついたんです。そもそも出馬を考えたのは怒りだったわけです。その怒りというのは当時の宮城県民も共有していたんですね。その原点に戻ったら足の震えが止まりました」
組織の腐敗は隠すことから始まる―
浅野 「情報公開とは何かということを経験で学んできたときにわかったのは、隠そうとすると腐敗するんですね。悲しいことに、これは普遍的な事実です。だから必要以上に隠すというシステムは撤廃すべきです。〈隠さないこと〉実はそれが組織を守ることなんです。僕はよくケンカしていると言われるかもしれませんが、これは相手の組織のために言ってあげていることなんですよ」
北川 「よくわかる。実はそのほうが親切なんですよ。今までのように、隠して隠して、被害を最大限に大きくして、永遠に解決できないようなやり方はもう駄目なんですよね。」
浅野 「僕がよく使うたとえ話ですが、左手に腫瘍ができて、それをほおっておくとどんどん広がって心臓まできて組織全体がやられてしまうことがわかっているときに、自分の右手で自分の左手を切れますか? これは切れないんですよね。だからナイフやメスは違う客体に持たせなければいけない。そのときに知事とは何なのかと考えさせられました。知事がその組織のトップと位置づけるなら左手を切ろうとする右手の役割なんですね。でもそうではなくて、県民に選ばれて県庁という組織に送り込まれた存在とすると、別の客体がメスを持つことになるんです。そこで初めてスパッと切れるわけなんです」
最近の趣味はラジオ番組のDJ―
北川 「知事をやりながらラジオのディスクジョッキーをされているそうですが?」
浅野 「もう5年くらいになりますかね。毎週水曜日、ラジオ3というコミュニティFMです。これは世界でもまれな番組だと思いますよ。エルヴィス・プレスリーの曲しかかけないんですから。全くの趣味ですよね。中学、高校をかけてプレスリーのレコードを毎月一枚一枚買いそろえてきて、自分の部屋でディスクジョッキーごっこをやっていたんです。一人で、むなしいですね。誰も聴いてないんですよ”ごっこ“なんですから。はい、今週のヒットパレード、とか言いながら、自分で順位をつけてやってました。それが40年も経って、ちゃんと聴いてくれる人がいるんですから、こんなうれしいことはないですよ。現在、番組は県内6つの局でカバーしていますよ。エルヴィス・プレスリーとの出会いが人生を変えたんです。プレスリーに本当に心酔しましたからね。単にロック歌手が好きだというのではなくて、のめり込みました。愛していたんですよ全身全霊で。それで、プレスリーを生み育てたアメリカに行きたい、住みたいと思って、就職するときもアメリカに留学できるようなところ、そんな想いが常に頭にありました。国家公務員になって2年目で留学制度に手を挙げてアメリカ留学するようになったんです。勉強したいというのも半分はありましたが、プレスリーのアメリカへ行きたいというのが大きかったですね」
新しい県政を築くのは知事の個人技か!―
浅野 「北川さんが僕のところに近づいてきたことが、知事仲間のあいだで個人技が広がっていくストーリーの始まりだったんですよ」
北川 「各県のボーダーを越えて、皆で研究しあおうというムードができたのかな」
浅野 「いいことは真似しようと。別に特許料取らないんだから。北川さんが言いだした”カナリヤ理論“(※)ですよ。もし失敗したらそっちに行かなきゃいいんだから。一人の人の経験に止まらず、いい面ならタダで真似しよう、もし、失敗したらそっちの轍を踏まないようにしようと。美しく言えば連帯ですけど、連帯ともちょっと違うんですよね。それなりのライバル意識もあって、どうせ真似するにしても少しは付加価値を付けたり、乗り越えようと。それは本当にいいことだったんですよね」
北川 「知事になったときに、政治家の官僚不信、官僚の政治家不信があった
んです。これをどうこなしていくかというときに僕は職員と対話をして、何十時間も何百時間もかけてこなしてきた」
浅野 「僕はセンス・オブ・ワンダーという言葉をよく使います。つまり驚きの感覚ということです。それは非常に大事だと思います。なんか変だなあ、という感覚なんですよ。わかりやすく言えば、違和感ですね。北川さんが三重県庁に入った時は、私が宮城県庁に入ったときの違和感の何倍もあったと思うんです。だって初めてでしょう、官僚の親分になるなんて。入ってみたら言葉づかいから違うでしょう。思考形態、行動様式、おかしいなと思ったでしょう。僕は幸か不幸かあまり思わなかったわけです。なぜなら僕自身が役人やってきたわけですから。北川さんはセンス・オブ・ワンダーという部分において一日の長があったと思うんですよ」 TOP

(※)炭鉱のガス探知で用いられたカナリアにたとえ、人の失敗した方向へは向かわず、良い面は真似しようというもの。

 
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