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VOLUME 01

ノスタル爺さん やなせたかし(漫画家)
  84歳にして〈生姜がなくてはしょうがない、生姜ないからしょうがない〉、こんな駄洒落を歌にし、しかもCDを出してしまうとは……。CDのタイトルは『ノスタル爺さん』。なんとも罪なお人である。

「子供は相当難しい歌でも歌うんですよ。例えばアンパンマンのテーマ・ソングは、〈何のために生まれて、何をして生きるのか〉っていう歌なんだけれども、三歳くらいの子供が歌ってますよ。子供はね(難しいとか)無関係なんです。リズムが良くって、そしてちゃんとしたことを言っていれば、子供には面白いんですよ。(歌を作るときは)子供に受けようとか、あまりそういうことは考えない方が良い」。

歌い手としてはいやはや遅咲きであるが、作詞家としては、作曲家の故いずみたく氏とも長い付き合いがあった。

「『見上げてごらん夜の星を』というミュージカル、これは永六輔の原作だけれど、僕は偶然にもこの舞台装置をやったんですね。その時にいずみたくに会ったんですよ。彼はその時にはまだCMソングしか作ってなくて、普通の歌を書いても全然ヒットしなかったんですね。『手のひらを太陽に』という詩を作った時に、作曲を彼に頼んだんですよ。それがヒットして、今では学校でも歌われるようになりましたね」

この歌を聴いて元気になった、勇気をもらったという人は多いはずだ。しかしこの歌は、今からおよそ40年前、彼の漫画人生が厳しい転機を迎えていた時期にできあがった歌だという。

「掌をね。夜の仕事場で懐中電灯で照らして見てたのよ。そしたら何か血の色だけが元気そうなんだよね。だからもとは〈掌を懐中電灯に透かしてみれば〉だったんだけれどもね。懐中電灯じゃおかしいんで、太陽に変えたんですよ(笑)」

作詞家、舞台家、漫画家、そして歌手……。この人の手にかかると、何でも”やなせワールド“になっていくような気がしてしまう。

「漫画家でも、作家でも何でも良いんです。経験したことすべてが役立つんです。手塚治虫は医学博士だけれども、それは『鉄腕アトム』のなかで、十分生かされている。だから失恋しても、泥棒にあっても、戦争にあっても、病気しても、目の前に起こることすべてが役立つんですよ。僕にとって漫画っていうのは、それを集約して作品にしていくってことなんですね」

1919年生まれというから、当然のことながら戦争体験もしている。

「僕は軟弱なんですよ。ところがですね、戦争に行ったら軟弱もくそもなくてですね、朝から晩まで殴られているうちに、だんだんたくましくなってきちゃって、根性を完全に叩き直されました。でもそのとき知ったことは、やはり命の問題(大切さ)のこと、そして一番何が辛かったかというと、お腹が空く、ひもじいということだったんですよ。これは経験しないとわからないですよ。それから”正義“というものが、何なのかわからなくなってしまうんですよね、戦争では。それを痛感しました」

この苦悩が名作『アンパンマン』の原点だという。

「『スーパーマン』『仮面ライダー』とか『ウルトラマン』といったヒーローもの全盛の時代があったんですが……。しかし唯の一人のヒーローも、飢える人を助けるということをやらないですよね。これでは正義の味方とはいえないと思って、だから僕は飢えた子供を助けるヒーローと思って、それで思いついたのが『アンパンマン』。”あんパン“っていうのは保存食であると同時に、なかにあんが入ってますよね。お菓子でもあってファーストフードでもある。そしてとても日本的であると思います。外側はパンという洋服であって、なかにあんという和心を持っているんですよ(笑)」

ああ、なるほどそういうことだったのか、と目から鱗が落ちた。今でも『アンパンマン』の展覧会やコンサートをやると、赤ん坊からお年寄りまで老若男女ファンが絶えない。これだけ長い間人気を維持できるのは凄いと改めて思う。それにしてもアイディアが枯渇することはないのだろうか? 

「何か自然と出てくるんですよ。本人が描いてるんじゃなしにね、何かが来てね、話を教えるんですよ。だから僕はその通りに描けば良い(笑)。一種のアンテナですね、何かが来て、描かせるんですよ。僕らはお化けっていってるんですけどね」

奇々怪々である。最近は子供のみならず、ヤング向けの本からの仕事も多数依頼がある。80歳を過ぎて、なおも忙しい日々を過ごしている。

「まあ良いっていえば良いんだけど、好奇心が強くてね。それは俳句でも、詩吟でも、釣りでも良い。何か熱中するものがあれば、そのなかから何か出てくるものがあるんですよ。僕の場合は”三かく主義“っていっているんですけどね。詩を書く、絵を描く、恥をかくって(笑)」

歌を歌うことにはやはり恥じらいがあるという。それでもなおやってみるというチャレンジ精神には脱帽だ。最後に「今後挑戦してみたい分野は?」との問いに……。「恋愛!」と溌溂とした答えが返ってきた。”ノスタル爺さん!“まだまだバリバリの現役である。 TOP

やなせたかしプロフィール
1919年高知県香北町生まれ。東京高等工芸学校図案科(現千葉大)を卒業。
1947年三越百貨店宣伝部にグラフィックデザイナーとして勤務。
1953年退社。1973年に『アンパンマン』の最初の絵本を刊行。月刊『詩とメルヘン』を創刊し責任編集。1988年には『アンパンマン』がアニメ化に。
現在は、日本漫画家協会常任理事、日本青少年文化センター理事ほかを務める。
受賞歴は、勲四等瑞宝章受賞をはじめ、日本漫画家協会文部大臣賞、日本童謡協会特別賞ほか多数を受賞。
 
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