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9/8(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポータ、佐藤めぐみさんからの報告です!

911から10周年。

もう10年たったなんて信じられない。。でも確実に10年たっているんですよね。

ワールドトレードセンターの跡地では、
今年ついにメモリアルミュージアムがオープン、
(これについては、また改めてレポートしたいと思っていますが)
まだまだ工事現場の状況ですが、
完成すれば104階、NYでもっとも高いビルになる、ONE WORLD TRADE CENTER
(通称フリーダムタワー)も80階まで完成して、夜はライトがまぶしいほどです。

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でもそんな世間の騒ぎに私たちニューヨーカー、
ちょっぴり置いていかれたような気分にもなっています。
もちろん遺族のみなさんにとっては、愛する人をなくした悲しい記念日。
犠牲になった方、直接知っている人にはいなくても、誰かの親戚、誰かの友達、
どこかでつながっている。
だからニューヨークにとってはとてもプライベートな記念日でもあるんです。

この日をいったいどう迎えればいいのか、ニューヨーカーは今すごく考えている。
何をするかより、どう考えるかの方が大事だったりします。
これからの10年に向けて、いったいどういう日にしたいのか?
そんなことを考えている時ある人に出会いました。

建築デザイナーのソノ・マサユキさん。
彼は実は7年前の2004年、もうすぐオープンする
メモリアルミュージアムよりずっと早くあるコミュニティのためのメモリアル、
慰霊碑をデザインしました。

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(C)Kirit Makita

そのコミュニティというのは、スタッテンアイランドという島、
マンハッタンから、ニューヨークハーバーをはさんだ反対側にあって、
多くの人が通勤フェリーでウォールストリートに通勤していて、
犠牲になりました。
またここは消防士も多く住む島として知られ、
トータルで263人もの人が亡くなっています。

今年の911を前に、ソノさんといっしょにスタッテンアイランドに行ってきました。

今日はソノさんに追悼碑を案内してもらいながら、
この10年、911と、そして遺族と常に向き合ってきたソノさんが、
いったいどういう気持ちで10周年を迎えているのかも、
教えてもらいたいと思います。

ウォールストリートの南の端のフェリーターミナルから、
NYハーバーを渡ること20分、

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途中、自由の女神の立つリバティアイランドのすぐ横を通って、
スタッテンアイランドに到着。
マンハッタンの摩天楼を見晴らす素晴らしいスポットに、
911の慰霊碑が建っています。

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すぐ後ろにはマイナーリーグのスタッテンアイランド・ヤンキースの球場があり、
夏の終わりの夜を楽しむ人の歓声にまじって、
港に打ち寄せる波の音や、秋の虫の声も聞こえてくる、
そんな場所で、ソノ・マサユキさんに追悼碑の事をお話してもらいました。

SONO
「メモリアルが建っている場所は、海辺でちょうど正面にかつて
ツインタワーが見えたところが選ばれています。
慰霊碑は基本的にはすごくシンプルにしようというのがありました。
犠牲になった方たちのために一番言いたかったこと、
メッセージは。。。彼らは朝仕事に出かけて
急に返って来れなくなったじゃないですか。
メモリアルというのは戦争の慰霊碑も含めていっぱいありますが、
それとは性質が違う。
日常の中でちゃんとお別れも言えなかった人たちが対象ですから。
僕が最初この敷地に来て思ったのは、当時ここから見えていた
グラウンドゼロのぽっかりあいた上空に、彼らがまだいるような気がしたんです。
だから何というか。。。繋ぎ戻すと言うか。
我々と彼らを繋ぎ戻すシンボルになるものができれば、というのがモチーフです。

Megumi
「こうやって見ていると、白い二つの翼が空に向かって
両手を広げてお迎えしているというか
“お帰り!”って言っているような気がするんですよね。
それって今ソノさんが言ったことなのかな、なんて思いました。」


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SONO
「そうですね、だから国家とか、政治とか、宗教とかという要素は
なくそうと思いました。完全に個人、そして人々の象徴にしたかったんです。
そして最初のコンセプトのスケッチ模型を作る時に、ハガキを2枚使って、
それを島から亡くなった人の人数分に拡大して、その大きさで犠牲の重さを表す。
かつ世界で一番大きなポストカードを作って、みんなあそこに送りまた受け取ろう、
ずっと覚えていよう。そこからデザインが始ったんですね。
で実際に形にする時に大事だったのは、色々な角度から見ると
いつも違うものが見えるようにしよう。角度によって印象が違って、
腕を広げているように見えたり、翼のように見えたり、
人によっては本や日記のページが開いているように見えたり。
船の帆先のように見えたり。。。ということです。

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(C)Masa Sono

で、内部に亡くなられた方々の名前、職業、生年月日と、
その方の横顔の一筆書きのスケッチのようなシンプルなアウトライン、
横顔のシルエットが石で切り抜かれています。
その名前と横顔の間に花を置いたり手紙を置いたりする場所があって、
またそこから太陽の光や夜のイルミネーションの光が入って、
横顔を浮かび上がらせるようになっています。

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(C)Suisho Mizoguchi

実際にデザインの作業に入った時には、
遺族の方々にアルバムを持って来ていただいて、
いっしょに横顔をスケッチしました。みなさんの許可が出るまで
何度も書き直したりしながらやっていたんですが、
こういう事は僕も経験がなかったので。。。
遺族の方々はとてもエモーショナルです。でもそれも人によって違う。
アルバムを開いたとたんに泣いてしまう人も大勢いましたし。。。
これまでアルバムも見る事ができなかったという人もいらっしゃいました。。。
かと言えば、“あいつはこんな奴だった”なんてジョークを飛ばす人も
いましたしね。」

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遺族たちの思いがこもったメモリアルをいっしょに作り上げてきた
ソノ マサユキさんにとって、
911の10周年に必要なものは「イマジネーション」だといいます。
いったいどんな想像力なのでしょうか。

SONO
「ここで毎年911に地域の人たちと市の人たちとの集会があるんですが、
その時に工事中にお会いした遺族のお子さんが、去年のセレモニーであったら
もう中学生でびっくり! でもそういうことなんですよね。
それだけの時間がたっていて、そうやって前に進んでいる、
そういう意味では10周年というのは意味があるんです。
ニューヨークの人は皆忙しくて、生活に追われて目の前しか見ていないで
走っている状態になってしまっている。そういう時にこういう節目があると、
一歩下がって立ち止まって考える。。。そういうことがないとだめなんです。
要するに集団の記憶ですからね。スタッテンのコミュニティ、ニューヨーク、
そしてアメリカ中の集合的な記憶として埋めて行けるとは思いますけどね。

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SONO
「フリーダムタワーが大分姿を現れて来て、どんどん高くなっていますよね。
また新しいシンボルになるわけです。あれが建っている理由は、復旧作業をして、
今は車椅子になっている人、癌になって亡くなってしまった人がいたから。
そんな人たちの上に立っているわけですよね。でもそれはもう見えないですよね。
今行ってもただの工事現場です。でもそういう目に見えない部分というのも
ちゃんと見えるような、考える、想像できるような余裕というか、
本当は当然の事なんですが。。。そういう状態に行くべきだとは思います。」

ソノさんと話しているうちに、私の中で少しずつ考えがまとまってきました。
決して忘れてはいけない日なのはもちろん、
911というのは私たちが一歩立ち止まって振り返り、
同時にここから未来を見つめて、
私たちがこの世界を、どんなふうに私たちの子供達に残したいのか、
それを考える日だということです。


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ニューヨークで、そして日本で
それをいっしょに考える日になれば、
ニューヨーカーとしてこんなにうれしいことはありません。

Photo by
Masayuki Sono, Kirit Makita, Suisho Moriguchi and Megumi Sato
(クレジット表記のあるもの以外)


佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers