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8/4(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポータ、佐藤めぐみさんからの報告です!

この1週間もホントにいろいろありました。。。

が私たちニューヨークに住む日本人、
そしてヤンキースファンにとっての大事件は、
伊良部投手の訃報。。。。

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未だに信じられない気持ち。。。本当に悲しい。

ニューヨークでの伊良部投手は、私たち日本人ニューヨーカーにとって、
ヤンキースにやってきた最初の日本人でしたからね!

90年代半ば、まだ日本人メジャーリーガーが珍しかった頃にやってきた。
ヤンキースは強くなりはじめた頃で、今ほどのスーパースター軍団ではかった。

それだけに、ニューヨークの一般人、残念ながら
伊良部選手のこと覚えていない人の方が多いんです。
でも、ベースボールファンには強烈な印象を残したピッチャーでもありました。
西の野茂、東は伊良部だ! というノリだったんですよね。

そんなベースボールファンたちも、今回たくさんネットに書き込みしていました。
彼らがいったい何を思ったのかも含め、
今日はニューヨークの伊良部投手の追悼レポートをお届けしたいと思います。

伊良部投手。。。
今だからこそ、ニューヨークでは日本人メジャーリーガーといえば、
松井かイチローという認識があるけれど、
伊良部投手がヤンキースにいた90年代の半ばというのは、
今とはまったく違う時代だった、というところから、
始めなければいけないと思います。

西海岸ではトルネードの野茂さんが大きな注目を集めていて、
ニューヨークにも誰か日本人が来てくれたらいいな、とファンが思っていた頃に、
やってきたのが伊良部投手。

すごい豪速球を投げるというこことで、伊良部選手はたいへんな注目を集め、
実際スタートはアメリカのファンを「おっ!」と言わせて、
それを見ていて私も鼻が高かった?のを覚えています。

入団2年目の98年には13勝をあげて、チームはワールドシリーズに進出。
伊良部投手はプレイオフのロ-テーションには入っていなかったけれど、
ワールドチャンピオンになった瞬間、
チームメートといっしょにグラウンドに飛び出してきた伊良部選手の、
まるで子供みたいにうれしそうな笑顔は忘れられません。

けっこう活躍もしたけれど、なかなか安定せず、
当時の名物オーナー、ジョージ・スタインブレナーに、
「太ったヒキガエル」と言われたこともありました。
これはニューヨークはもちろん、ESPNなどの全国メディアで報道されて、
「あれはひどかったね」と今でも語りぐさになっています。

アメリカの記事には、「大きな期待とプレッシャーに応えられなかった。」
「見かけによらず優しく繊細な性格だった」
「常に苦しんでいて、見ていて痛々しかった」などと書かれていました。

また、ESPNのコラムでは1997年の目の覚めるような投球ゲームを振り返って、
「伊良部は忘れられない一夜を残してくれた」と書いています

それに対するファンの書き込みも感慨深いものがあります。
「彼は調子がいい時はホントによかった」「あの試合は本当によかった。。
思わず球場の外で売っていた彼のユニフォームを買ってしまったほどだ。
ブートレグ(偽物)だったけどね。」
「あんなにいじめられて気の毒だった。REST IN PEACE」
また、「一番攻撃してさわぎたてていたのはメディアなのに、
今度は手のひらを返したように彼をたたえているなんて偽善的だ」というのも。

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はっきり言って、ミスをしたり不調の選手ボロクソに攻撃し、
ファンも同調したり反論したりしていっしょに大騒ぎするのは
アメリカのスポーツ産業の一部。
ラジオのトークショー、スポーツバー含め、
アメリカのプロスポーツは「見る」だけではなく
「トークのネタ」と言ってもいいくらい。
“これだけの年俸をもらっているのだから活躍するのは当たり前。
ダメなら攻撃されるのは当たり前」というのは日本でも同じですよね。

でもNYのメディアやファンの厳しさは日本人の想像を絶するものが。。。
あのスーパースターのA-RODでさえ、
メディアの攻撃にたえられず、セラピストに通っていたほど。
地方のファンからは「ニューヨークの選手は気の毒だ」という声が
あがるほどなんです。

一方アメリカのファンの間には、日本人メジャーリーガーが
過大に評価されすぎている、その責任はメディアにある、という声もあります。
他のネットの書き込みにこんなのがありました。

「高額契約した日本人選手が来るたびに大げさに騒ぎ立てているが、
本当に期待に応えられたのはイチローだけ。
最初からみんながそれを分かっていれば、
伊良部もそれほど期待もされなかったし、こんなに非難もされなかっただろうに。」

そして私が一番気になったのはこれでした。

「外国人メジャーリーガーが直面する肉体的、精神的な試練について
もっと考えて欲しい。
伊良部の日本にいた頃の記録を見ると驚くはすだ。
彼はニューヨークのような世界で最も過酷なマーケットでは
本領を発揮できなかったのだ。」

これはポイントついているかもしれません。

90年代からアメリカにやってきた多くの日本人メジャーリーガー。
でもなぜイチロー以外の日本人選手は
どうして期待されたほどうまくいっていないのか?

アメリカのファンもその理由を考えるようになってきています。
そしてその理由に大きくこの二つがあげられています。

ひとつはほとんどの日本人メジャー選手は日本でのデビューから10年たっている、
つまりキャリアのプライムに達しているか、
それを過ぎてからメジャーにやってくるため。

もうひとつは、日本とは大きく違う環境への適応の難しさが、
本領発揮をさまたげているというもの。

日本に住む人には、1人でアメリカにやってきて体を張ってがんばっている日本人が、どれほど苦労しているものなのか、想像をするのは難しいと思いますが、
ホントにキツイ。特に「言葉の壁」は、思っているよりずっとキツイです。
そして食べ物やその他の環境の問題。
中でも大きいのはアメリカのメディアの厳しさとも言われています。

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しかし、こういった認識が一般的になったのはイチローや松井秀喜選手以降、
日本人がたくさんやって来るようになってからなんですよね。

アジア人はどちらかというと無口でおとなしく、
言葉の壁もあってなかなか他の選手とうちとけないで孤独になりがち、
という傾向も理解されるようになってきた。

でも、伊良部が在籍していた90年代はまだ日本人の数も少なく、
ファンの理解もなかったからもっと難しかったと思います。

ちなみにメディアの扱いの難しさをよーくわかっているアメリカのスポーツ界は、
高校、大学時代から選手たちへの教育を欠かしません。
有望選手はアマチュアの頃から記者会見で質問されるのに慣れているし、
メディアが書く事と真実が必ずしも一致しないことも教えられる。
選手の心の健康を守るのはもちろん、そうする事が選手のパフォーマンスに直結し、
高額の契約金に見合う活躍をしてくれるだろうというビジネス的な計算もあるんです。

実際、松井秀喜選手が比較的ニューヨークメディアにうまく対応していたのも、
高校時代からメディアの目にさらされ、
巨人という全国区の球団のスターだったからだろうとも言われています。
イチロー選手は、アメリカメディアにはほとんど対応しないそうですね。

岡島投手はレッドソックス移籍1年後のインタビューで確か、
「英語がうまくなろうとも思わないし、チームメートとつきあおうとも思わない。
自分は野球をしにきたのだから」と言いきっていましたが、
その強靭な精神にびっくりしました。

でも誰もが強い精神力を持っているわけではないし、
A-RODのようにメジャー始って以来の天才バッターと言われながらも、
セラピストに通った時期もあるのです。

こうした問題が認識されているのなら、
それに対する対策も必要なんじゃないでしょうか。
セラピストもいいかもしれないし、
ただアメリカの実態と日本人特有の傾向をわかった人が、
話を聞いてあげるだけでもずいぶん違うのではないでしょうか。
「心のケア」が必要なのはメジャーリーガーも同じだと思います。

伊良部選手がこうした問題にどう対応していたかは、
今となってはもうわかりませんが、パイオニアとして本当に大変だったと思います。

伊良部投手、最後は悲しい別れになってしまいましたが、
私たちに素晴らしい喜びを与えてくれたことに変わりはありません。
THANK YOU SO MUCH AND REST IN PEACE.

佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers