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7月15日(木)はアメリカ・ニューヨーク在住のフラワーレポータ、佐藤めぐみさんからの報告です!

ワールドカップもついに終わったと思ったら、

昨日はオールスターゲーム。。

イチロー10年連続出場、スゴイ!

でもニューヨーカーがそのオールスターの事を思わず忘れてしまうような事件が昨日起こりました。

ヤンキースのオーナー、ジョージ・スタインブレナーが亡くなったんです。
昨日火曜日の朝、訃報が届いた瞬間、NYのいや全米のメディアはこの情報一色になりました。
おかげでオールスターが完全に霞んでしまった、そのくらいの大事件だったんです。

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だいたい、
ヤンキースのオーナーが個人だったって、ちょっとびっくりしませんか?
(日本の球団はほとんどが企業、でもアメリカのスポーツチームは個人オーナーも多い)

この人はただの球団オーナーでも、ただのニューヨーカーもありません。
今のメジャーリーグをここまで大きくなって、
イチローやマツイがプレイするようなグローバルなものになったのも、
この人が40年前に見た、巨大な夢のおかげと言っていいかもしれません。

スタインブレナーさんっていったいどんな人だったのか、

今日はそれをレポートします。

NY時間7月13日(火)午前、ニューヨークヤンキースのカリスマ・オーナー
「ジョージ・スタインブレナー」が心臓発作のため80歳で亡くなりました。
オハイオ州クリーブランドの出身、彼のバースデーは7月4日のアメリカ独立記念日だから、
80歳を迎えたばかりでした。
このスタインブレナーの名前を知らないアメリカ人はまずいないでしょう。
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1973年にヤンキースを買収。
これが驚きなんですが、買った時の値段たったの900万ドル、9億円でした。
弱かったんです、その頃のヤンキース。
その頃NYも不景気で危険で汚い街でした。
スタインブレナーが買ったのも、
本当は買収したかったクリーブランド・インディアンズが
高くて買えなかったからだそうです。

とにかくヤンキースをワールドシリーズで優勝させるために、彼はあらゆる事をやりました。
その頃フリーエージェント制が始まったんですが、
いきなりそれまで考えられなかった巨額のサラリーで、大物選手をばんばん獲得。
フリーエージェント=巨額の契約という図式も、彼が作ったと言われるくらい。

また監督の首もほぼ1年ごとにすげ替えました。
とにかく激しやすい性格で、ビリー・マーチンという監督を5回もクビにした
エピソードは有名です。
そしてオーナー自ら選手も仕切る。
ヤンキースはヒゲと長髪禁止なのも、彼がそう決めたからです。
なんてイヤなワンマン上司!!
ニューヨーカーは怒りましたが、リーダーとして優れていたんですね。
ヤンキースは1977年、78年、81年とたて続けに優勝。
彼はザ・ボスと呼ばれる名物オーナーになりました。
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80年代後半のヤンキースはまた低迷してしまうんですが、
90年代になるとブライアン・キャッシュマンというGMと、
ジョー・トーリという名監督、
さらに、デレク・ジーターというスーパールーキーを得て、
96年、98年、99年、そして2000年にも優勝。

その勢いで彼は新たなビジネスもスタート。
放送権ビジネスです。
2002年、NYヤンキースのゲームを専門に放送するケーブル放送局
YES NETWORKをたちあげ。

毎日ヤンキースのゲームが見れるのはこのYES NETWORKだけ。
マンハッタンはタイムワーナーケーブルの53チャンネルです!

それ以降は2003年の松井秀喜はじめ、
大物選手を次々と驚きの金額で獲得。

さらに2009年には1400億円かけた新ヤンキースタジアムがオープン、
そこでヤンキースとして27回目、スタインブレナー自身は7回目の悲願の優勝!

気がついてみれば、買った時は9億円だったヤンキースの資産価値は、
今は2000億円と言われているほど。

旧ヤンキースタジアムは、「ベーブ・ルースが建てた家」と言われていました。
でも新スタジアムは「ジョージが建てた家」と言われているくらい。
これも嘘じゃありません。

ヤンキースをただ強いチームにするだけでなく、
誰ももらった事のないようなサラリーを選手に与え、
球団専用のテレビチャンネルも作り、
ありえない豪華ボールパークを建造。

お金もうけだけではありません、
チャリティーへもエネルギーとお金をつぎ込みました。
スポーツやスポーツ選手は社会に貢献すべき、というスタンダードができたのも、
彼の貢献が大きい。

彼は野球、そしてアメリカンスポーツをここまで巨大なビジネス、
そして文化にのしあげた、張本人と言っていいでしょう。

彼がいなかったら、
今日本人はメジャーのゲーム、衛星中継で見ていないかもしれません。

その彼がメジャーのオールスターの当日に亡くなったというのも、
何か象徴的なものを感じます。

後半は。。。

実はスタインブレナーが亡くなる前日、
やはりニューヨーカー、そしてヤンキースにとって大切な人の訃報が伝えられたんです。


7月13日火曜日、心臓発作で80歳でなくなった、ヤンキースの名物オーナー、
ジョージ・スタインブレナー。

激しやすいまるでガスバーナーのような性格と、熱いハート、
そして大胆なビジョンとビジネスセンスを併せ持ち、
ニューヨーカーには憎まれながらも愛される、という、
とにかく巨大な存在感でした。

実はその彼が亡くなる1日前、もうひとつの訃報がありました。

ヤンキースの場内アナウンサー、ボブ・シェパードさん、
ヤンキースタジアムで半世紀以上アナウンサーをつとめ、
ついこの間まで現役だったボブさんが、
NY時間7月11日(日)の朝、郊外の自宅で亡くなりました。なんと99才。
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ヤンキースタジアムで一度でもゲームを見た人は、
ヤンキースだから、なんかスゴクかっこいいお兄さんが選手を紹介するのかな?
と思っていると、
いきなりおじいちゃんの声でびっくり、しませんでした?
選手の名前を一語一語かみしめるように、ゆっくりと発音。
あの独特の声には何とも言えず暖かいレトロな響きがあって、
アメリカの歴史ある国技であるベースボールを、
これまた伝統のある球場で見ているんだな、という気分にさせてくれました。

ボブさんがヤンキースタジアムのアナウンサーになったのは、1951年の開幕戦。
ジョー・ディマジオの最後のシーズンで、ミッキー・マントルのメジャーデビューの年。以来2007年9月まで、4500回以上の試合に「出場」。
なんと96歳まで現役だったなんて、スゴイ!
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今やビジネスエンパイアのようになったヤンキースですが、
実はこのボブさんと、スタインブレナーのおかげで
妙に人間くさい部分が残っていた気がします。

ジョージ自身、うるさいボスキャラを自ら売り物にしていて、
そのままのキャラでテレビCMに登場したり、なんだか面白いおっさんでした。

ジョージが亡くなって後をついでいるのはハルとハンク二人の息子ですが、
お父さんほどのキャラはありません。

ボブさんとジョージがなくなって、ひとつの時代が終わりを告げてしまいました。

これからヤンキースがどうなっていくのかわかりませんが。。。
今はちょっと寂しいな、というのが私たちニューヨーカーの正直な気持ちではあります。


佐藤めぐみ   ジャーナリスト、プロデューサー ニューヨーク在住、J-POPからベースボールまで、 日本文化がアメリカでどう受けいられているかを中心にレポートするジャーナリスト、 アメリカのJ-POPファンのためのイベント 「SAMURAI BEAT RADIO(サムライビートレイディオ)」をプロデュース。 BLOG:http://ameblo.jp/meguminyFlowers