第59回

月刊寺島実郎の世界 2010年9月18日OA分

~2010年夏の総括―円高に対する戦略的対応―~

木村>  今年の夏はとてつもない暑さで、たまりませんでした。この酷暑ということになると、もうひとつの暑い夏であったといえます。それは急激な円高で、9月に入ってつい先ごろ、15年ぶりの円高水準となりました。この円高水準とは一体何が起こっているのでしょうか。

寺島>  私は9月上旬にずっと欧州を動いていました。木村さんのお話の「円高」が凄まじくて、実感として2年前と比べると、日本円のほうが対ユーロで4割強くなってしまって、イメージとしてはお店ではバーゲンセールを行なっていて、5割引きになっている商品は、5割引きから更に6掛けで買う事ができる感じなので、実感としては7割引きのような物もあります。日本円がそれくらい極端に強くなっているということです。

木村>  そこで、今回は、「2010年夏の総括―円高に対する戦略的対応」というテーマでお話を伺いたいと思います。

寺島>  何故、こんなに円高になってしまったのかというと、「避難通貨」という言葉が当てはまると思います。これは、日本経済がもの凄く評価されていて、日本円に対する評価が高まったために円高が進んでいるということでは必ずしもなくて、「ドルやユーロよりはましだ」ということで資金が円に向かっているという緊急避難の場として、円に短期的な資金が流入してきているということです。
 したがって、実力以上の円の評価であるということは間違いありません。それは何故かというと、相対的に日本はまだ国内に貯蓄があるからです。つまり、なんだかんだ言いながらも、国債を日本国内で消化できるだけの国民の貯蓄があるということで、「1,500兆円の個人金融資産」という話題をこれまでにもあげてきましたが、リーマンショック以降、目減りしていて現在は、1,400兆円くらいといわれています。100兆円減ったとはいえ、それでも「日本は国内に貯蓄がある国」という評価が比較的安定している日本の経済という意味においては、つまり、いまは欧州やアメリカが非常に苦しんでいるためにその避難通貨として短期的な資金が一斉に円に向かっているという現下の状況においては、円高をどのように考えるのかについて、そろそろ日本人はある固定観念から脱却しなければならないというところに至っている、という気持ちを私はもっています。

木村>  ある固定観念とは何でしょうか。

寺島>  日本は輸出志向の通商国家なので、「輸出にとっては円安のほうが有利である」という固定観念が日本人の中にあって、輸出産業によって支えられている国のために、輸出産業にマイナスのインパクトがある円高は、日本産業にとってマイナスだという前提があります。しかし、現実問題として、日本のものづくり産業の製造業が10年前、20年前と比べて何が一番違うのかというと、海外生産立地です。それは個々の企業の戦略によって差はありますが、ざっくりと言うと、特に大企業等は海外に生産の比重を移して、海外生産比率5割を超すという企業が当り前のように存在しています。海外に生産工場をもっている企業からしてみると、今度は海外で生産したものを日本に輸入してくる時には円高環境がもの凄く有利になるということです。
 実は、戦略的に前向きに対応した企業ほど、世論的に「大変だ」と言っている割には落ち着いているのです。それは何故かというと、日本の生産構造が変化してきて、例えば自動車産業においても日本メーカーが日本国内で生産している車の台数よりも、日本メーカーが海外で、例えば欧米等で生産している車の台数のほうが圧倒的に多いからなのです。
 そのような状況を前提にすると、「日本は輸出志向の産業だから円高は好ましくない」という前提自体が少し揺らいできます。そこで、円高の戦略的活用の話をしたいと思います。もしも本気で円高はまずいということで、これを止めようとするのであれば、例えば菅首相までが重大な決意をもって言及しましたが、かつて日本が盛んに行なった為替市場に介入することが考えられます。しかし、「市場介入することによって円安に反転させられますか?」ということをしっかりと問いかけたとしても、やれることはもの凄く限られていて、仮に5,000億円、1兆円の国費を投入して為替市場に介入しても、その効果は極めて薄いだろうと言わざるを得ません。それは何故かというと、協調介入といって、日本が介入することに合わせて欧米が一緒に動いてくれるという状況ではなくて、日本だけが単独で介入したとしても、これは表現が悪いのですが、「太平洋に目薬をうつようなものだ」と言うように、その程度の効果しかないということです。
 国内の景気活性化のために内需拡大の必要があるということで盛んに日銀に圧力が向かっています。日銀がもっと金融緩和をすればいいではないかと言う人がいます。事実、つい先日、日銀が新しい方針を発表した「量的緩和」、つまり市場に投入するお金の額を10兆円くらい増やす政策をとりました。しかし、量的緩和といっても、あるいは、金利を引き下げて金融を緩和するといっても、実は、日本経済はここ13、4年に亘って異常な低金利で、公定歩合が1%を割るという状態が延々と続いています。欧米もリーマンショック後、金利を下げたり金融緩和に転じて金融政策によって刺激をするという方法をとりましたが、日本の場合には既に13、4年も内需拡大ということで懸命に超低金利政策をとって、量的にもジャブジャブになるくらいまで金融を緩和してきて、これ以上一体何を追加するのだという状況なのです。
そのような状況下で、日銀に期待しても限度があります。そうなると、日本を円安にもっていくことができる政策は非常に限られているということになります。そこで、奇妙なことを言うと思われるかもしれませんが、私は魔法のように円高を反転させられる政策があると思っています。ある意味では簡単なことなのですが、ただし微妙な問題があって国際社会の常識では禁じ手とされてきましたが、絶対的に効果があります。どうすればよいのかというと、短期資金のホットマネー、つまり、短期資金が円へ、円へと向かってくるわけですから、日本に対する短期資金の流入に対して日本政府が税金をかけるのです。「それはなしだろう」という手です。つまり、日本が単独で日本への資金流入に介入するという、しかも税金をかけてそれを財源にするなどということを始めたら、各国からとんでもない話だとブーイングが起こるに決まっています。ただし、アメリカも自国への資金還流を促すために、つい3、4年前まで、米系多国籍企業という海外で活動している企業が上げた利益を本国に送金してくれたのであれば、その利益に対する税金を割り引くとか、インセンティブを付けるという政策を行なっていました。このように税を調整弁にするということは、極端に珍しいことではありません。
したがって、日本が短期資金の流入を浴びせかけられて、極端な円高で、実力以上の円高になっていることを絶対に避けるというのであれば、自分の資金を使って為替に介入するよりも、流入してくる資金に税金をかけて、特にマネーゲーム的なホットマネーを許さないというスタンスで日本が自己主張するという手もないわけではありません。しかし、そんな禁じ手までを打って円高を回避することがよいのか、それとももう一度先ほどの話に戻って、円高を戦略的に活用して日本が強い意志をもって動き始めることによって、欧米をして「日本を円高にしておくとまずい」という気持ちにさせるような、戦略的意識を持った行動をしたほうがよいのか。私は、後者のほうがもの凄くインパクトがあって重要だと思います。
例えば、私がパリでOECDの人たちに会ったときに、「日本人は利口な人たちだから、これだけ円高になってしまうとそれなりのお考えがあるのでしょう? 一体どのような戦略をお持ちですか?」という質問を必ず受けていました。いま企業でしたたかなところは、大型のM&A等を海外に仕掛けています。強くなった円、つまり1ドル360円していた円が90円を割るというというところまできていて円の価値は4倍になったということですが、この4倍になった円の価値を利用して大型のM&Aを仕掛けている企業等は現実にどんどん出てきているのです。しかし、国家としてどのような戦略意志を持って円高を梃子にして行動をとろうとしているのかということは見えない状況です。
そこで、例えば政府が5,000億円のお金を準備して為替に介入するよりも、政府が準備した5,000億円をさらに民間資金の5,000億円とマッチングして1兆円のファンドを作って、これをベースに大いにしたかかに、戦略的に、日本経済の最大の弱点である資源やエネルギー等の海外依存度が高い分野に対して、長期的な戦略意志をもって大型プロジェクトを買ったり、先端的なエネルギー関連の技術を買うことが効果的であるし、長期的展望のある戦術だと言えます。先日、私が驚いたことは、UAEアラブ首長国連邦がドイツの環境技術を物凄い勢いでオイルマネーによって抑えていっていることです。このように、現在、政府系ファンド=SWF(=Sovereign Wealth Fund)というものがあります。韓国や中国も行なっていて、政府のファンドを海外で展開していくという手に出ています。
日本が政府のお金を雪だるまの芯のようなものを中心として、民間企業と一緒にパッケージにして戦略的に動き始めて、海外の資源やエネルギー、技術等に対して動き始めたほうが欧米の視点からすると、「これはまずい。あまり円高にしておくのはよくない」ということで、円安にもっていかなければならないという意志を持ち始める要因となるのです。むしろ、日本に問われているのは、それくらいの戦略意志で、ダラダラと一体この国は何をしようとしているのかわからないところが非常に問題なのです。先ほど申し上げたような短期的に極端に効く薬のように税金をかけて円高を止めるという手もなくはありません。しかし、これは禁じ手であって国際社会においてはブーイングを受ける。しかし、もし日本が強い意志をもってこのような形で動き始めれば物凄い迫力があって、そのほうが「やはり」ということで、日本の力を際立たせる重要なきっかけにもなります。
そのような全体的文脈によって円高を考えるべきで、円高を逆に利用するのです。「海外に買い物に行きましょう」という話だけではなくて、戦略的な発想で活用するということが日本人の知恵として重要な局面になってきているのだということを私は言いたいのです。

木村>  中国は国家ファンドとして、ある時には世界的に摩擦を起こすこともあるくらいの展開を始めています。これは中国に対する「元」の切り上げ圧力との関係によってある種、世界の目を集める戦いになっているケースが既に出てきていますね。

寺島>  日本の産業が成熟していくプロセスであると腹を括るくらいの発想が必要になります。以前、この番組でも申し上げたことがありますが、そもそも日本円がスタートした明治3年の時には1ドル1円だったのです。戦争が始まる直前の昭和15年の段階で、公定レートでは1ドル2円、それが、敗戦を迎えて360円になり、戦争によって180分の1に価値が落ちました。そこから、日本円はいかにも安過ぎるという話になって1971年にニクソンショックがありました。そして、1985年のプラザ合意があって、段階的に匍匐前進のように円を強くしていきました。自分の国の通貨の価値が失われていくという悲しみよりも、自分の国の通貨の価値が高まっていくということのほうがよっぽど大事なのです。
私は国際社会を、1970年代のロンドンから80年代のニューヨークを動いてきました。1970年の大阪万博から5年経った1975年にロンドンにいた時分に、日本円は市中の銀行では受け取ってもらえませんでした。私はよく冗談半分に言うのですが、当時、富士銀行のトラベラーズチェックをもってホテルで出してみると、「フィジー島の銀行か」と言われて受け取ってもらえないという思い出があります。自分の国の通貨が国際社会において評価を高めていて、しかもいま、実力以上に評価されているという状況をどのように考えているのか、ということが非常に大事なのです。

木村>  そこに戦略的活用、あるいは、戦略的対応に意味があるということがわかりました。そこで、それをどのように実行するのかというお話を後半にお伺いします。

<後半>

木村>  寺島さんに伺った前半のお話で、禁じ手というものもあるけれども、これはまず、おいておく。そして、戦略的な円高の活用となると、これを実行する力は経済界だけではなくて、日本の政治の力に重要な課題が出てくる。さて、できるのかどうなのか、いかがでしょうか。

寺島>  まったくそのとおりです。これは決して楽観的な議論はできません。まず、企業ベースで申し上げると、マクロの数字で考えて頂きたいのですが、日本の個人金融資産は現在約1,400兆円であると先ほど申し上げました。この数字は、いま世界の株式の時価総額の3分の1に当ります。つまり、理論的な仮説の話になりますが、あらゆる企業の株式の3分の1は押さえられるというくらいの資金規模なのです。したがって、海外にこれから活動を展開して広げようとしている企業ほど思いきったM&Aに出てきていて、M&Aの案件が今年に入ってどんどん増えている理由がよくわかります。
さらに、海外生産立地はここへきて、円高を梃子にASEAN等に生産拠点を求めて一生懸命動き始めている企業が日本の中にも多くなっているのですが、これは逆の意味でいうと、日本産業の空洞化を招きかねないのです。何故ならば、ものづくりの基盤が海外へとどんどん出ていってしまって、残された日本列島はどのような産業で飯を食っていくのかという問題が出てきます。そのような問題意識も含めて、日本における望ましい産業構造はどのようなものかということです。
こうした議論でほとんど欠けているのは、例えば日本に向かってきている海外からの資金を還流させて、やがて日本に潤いをもたらすであろう様々なプロジェクトをアジアにしっかりとつくっていくという国家の意志です。例えばまた、ロンドンの金融市場のもつ力は、中東のオイルマネーをロンドンの金融市場にバーンと引きつけて、そこで再投資の仕組みをつくって、私がよく申し上げる「ユニオンジャックの矢」のように、かつて大英帝国が支配していた中東地域のプロジェクトやインドのIT関係のプロジェクト、シンガポールのプロジェクト、オーストラリアの資源関係のプロジェクトに、その資金を還流させて回していくのです。そのような企業なり、プロジェクトが成功して、それがまたイギリスを潤していくというような流れをつくっていくということです。
 日本は「円高をどうする」とばかり言って、分かりやすく言うと自分のことばかりを考えていましたが、ようやく「産業構造ビジョン2010」というものが発表されました。この番組でも話題にしましたが、日本の産業政策の骨格が薄ぼんやりと見え始めています。しかし、日本自身の産業構造をどこにもっていくのか、アジアに対してどのように踏み込んでいくのか、あらゆる意味においての戦略意志が問われているのです。特に、韓国と比較して感じることは、ヒュンダイ、LG、サムスンはなんだかんだ言いながらも、韓国の産業政策や国家戦略とリンクしながら動いていて、企業の利益なり、プロジェクトなりをそのようなものと結びつけていく視点があるのです。日本はある意味においては成熟してしまったと言ってもよいのですが、各企業がそれぞれ国家意志とは別のところでプロジェクトを組んでいます。先ほど敢えて私が政府のお金を雪だるまの芯のようなファンドにし民間企業の資金をマッチングして…と申し上げた意味は、そこのプロセスの中で国家と企業が問題意識を共有していかなければ実行できないということです。したがって、そのような共有のプロセスをつくって日本国が持っているポテンシャルを集約し、海外に一定の戦略的な手を打っていくということを実行しなければなりません。「政府が行なったらよいではないか」という話し方をしていない理由はそこにあります。政府をコアにしながら、民間の力を合わせて行なっていくのです。
 昔はよく、「日本株式会社」だと言われてきました。しかし、私は現場に立ってきたのでよくわかるのですが、それは誤りで、各国は国家の意志とその国から生まれた企業の戦略的な意志をうまく統合しながら海外でプロジェクトを打っていくのです。例えば、世界銀行の案件等を追いかけている人たちの話を聞いていると、フランスはもの凄くて、海外プロジェクトを行なう際に、軍事援助さえパッケージにして攻め込んでいくというくらいなのです。日本にはそのような手は使えません。そうすると、ますます意志をしっかりともって、もたれ合いではなくてよい意味での官・民の連携が、これからの日本の将来を切り開いていく大きな鍵なのだと思います。