第58回

寺島>  今年の初めにまさに本日のフォーラムのタイトルにもなっている『世界を知る力』(PHP新書出版)という本を出しました。読者の皆さんから返ってくる反応をじっと見ていて「ああ、そうなのだなあ」と私なりに感じることがありました。それは、日本の若い人たちも含めて、冷戦型の世界から世界がどのような方向に向かっているのか、つまり、冷戦型のものの考え方や見方からどうにか抜け出さなければならないという問題意識を共有しているということです。多くの日本人は地政学的なものの見方が大好きで、地政学の本が極端に売れるような国なので、ゲオポリティカル(Geopolitical)にものを考えます。それは、西部さん的に言うと、「東と西が角を突き合わせていて対立しているようだけれども根っこは一つだった」という話にもなるのですが、要するに、「KGB対CIA」と言った戦いの構図のような、ユーラシア大陸を巡って東と西が陣取り合戦を繰り広げていているというものの見方が大好きで、地政学的にものを考える傾向が非常に強くなってしまったということです。
 『世界を知る力』は、「いま、ネットワーク型によってものを考えないと世界は捉えられない」というところに勘所があります。例えば、中国本土=中華人民共和国のGDPがいよいよ今年日本を追い抜くという単純な話ではなくて、中国が今、ネットワーク型発展の中にあって、中国本土と香港、シンガポール、台湾という中華系の人たちが活躍しているゾーン、つまり、華僑圏の中国の相関が深まっているために中国本土がより大きく見えるパラダイムの中にあるというロジックをもって、大中華圏論を切り開いていっており、そこが『世界を知る力』の一つのポイントになっています。実は日本自身もこのようなネットワーク型の中でかろうじて支えられているということに気がつかなければなりません。
 今年6月、経済産業省が「産業構造ビジョン2010」という新しい産業政策論のビジョンを発表しました。これは経産省が作ったものとしては官僚の作文を超えて、結構、思いがこもっている中身になっています。私もかなり本気でこの作業に参画していて、私の思いも入っています。このビジョンについて議論した産業構造審議会には日本の名だたる産業人が参加していましたが、いまの日本人の産業人の問題意識の中に、日本は韓国に押し負けているという、被害者意識のようなものが議論の中に滲みでてきています。例えば、いま中南米の国々が続々と地上デジタル方式において、日本方式を採用してくれていて、8カ国になっています。これは日本において、びっくりするくらいめでたい話でもあります。グローバルスタンダードを握りたいとか、先端技術によって前に出たいと言っていながら、NHKのハイビジョン方式で一敗地にまみれ、常にじっと手を見るという思いをしてきた国であるのに、中南米では珍しいくらい日本方式が採用されてきているという状況になっています。
私がワシントンに行って米州開発銀行だの、米州圏に関わる人たちと話をしていると、「アメリカも切ないなあ」と思える状況が見えてきます。要するに、御膝元の中南米の反米感情の裏返しで、「アメリカの方式だけは採用したくない」という空気が漂っていて、ベネズエラのチャベス大統領がアメリカに毒づいたり、ブラジルのルーラ大統領もアメリカに対して「なにするものぞ」と構えています。
このような状況下で、とにかくアメリカ方式は採用したくないということが強い理由で、まるで漁夫の利を得るように日本方式が採用されているという面もあるのだということがよくわかります。
しかし、ここからがポイントですが、肝心のテレビ受像機に関しては韓国に席捲されてしまっています。こうした状況のほか、アブダビの原子力プロジェクト受注で韓国に負けたということ、オリンピックのメダルの数等にまで言及しながら、なにやら韓国に押されているという空気が被害者意識になって、日本に苛立ちをもたらしています。「何故、韓国はV字型に経済回復をしているのに、日本はもたついているのだ」という類の話が今度の産業構造に関する議論の背後にも滲み出てきます。
韓国について少し踏み込んで話をさせて頂きますが、私は韓国を過大評価する必要はないと思います。経済構造的に申し上げると、薄っぺらな部分があります。「ヒュンダイ」、「LG」、「サムスン」の3つの世界に冠たるブランドになった企業を育てています。このような意味においては、中国経済の現状と照らし合わせると、まだ韓国のほうがましだとも言えます。中国も、「中国の台頭」と言いますが、先程の「ネットワーク型によって拡大している」という話に加えて、世界の全てのメーカー企業のアンダーテイカー(下請)となって、生産立地を引き受けて、工場を稼働させて付加価値を高めてGDPを増やしていく構図が見えてきます。中国発のブランドは極めて数えるほどしかありません。海外で、「あなたは中国の企業をどこか知っていますか」と質問をすると、まず知っている人はいません。これが中国の実態とも言えます。ただ、これから間違いなく研究開発力を高めていくでしょうから、中国発のブランドが我々の目の前に登場する時代も来ると思います。しかし、まだそのようなステージにはきていません。韓国は少なくとも3つの企業、ヒュンダイ、LG、サムスンを育てました。この3つの企業の売上高を足すと韓国GDPの35%に相当するという構図になっています。日本はトヨタが物凄い会社だといっても、GDPの5%も占めているという状況ではありません。要するに、日本産業の強みをキチンと意識しなければならないことは、エレクトロニクスから自動車等、あらゆる分野にブランドと呼ぶことができる企業を重層的に戦後育ててきたことということです。私は海外で、「香港の夜景を思い出してくれ」とよく言いますが、あのネオンサインは伊達ではなくて、日本企業が持っているポテンシャルを象徴しています。
ただ、韓国財閥経済の強みもあります。グリップが効くのです。財閥なのでターゲットを絞り込んで戦う時の効率が物凄く良いのです。例えば、日本の経済人の一番愚かな議論は、「内需が大事か、外需が大事か」というもので延々と続けています。しかし、内外需一体の総合戦略が必要だということは間違いありません。
韓国に迷いがない理由は「内需がない」と腹を括っているためで、外需一本にかけているからです。しかも、BRICs狙いで、ブラジル、ロシア、インド、中国にターゲットを絞って、そのマーケットで戦い抜くことを想定したフォーメーション・プレイに出ます。迷いがないために進撃する時には強くて、ジェットコースター経済のように1997年のアジア危機によって一旦、ズドンと落ち込みましたが、半導体を梃に甦りました。そして、リーマンショックで再び落ち込みました。これでとどめを刺されたかと思ったら、またV字型回復になりました。それもいま申し上げたような非常にグリップの効いた財閥経済であるということがポイントの1つです。
2番目に、言葉は悪いのですが、二番手経済をしっかりと守っていて、先頭に出てグローバルスタンダードを構築しようとか、先端的な技術によってグリップしようと始めから考えずに、二番手をエンジョイするのです。もっとも良いと思うスタンダードにパクっと喰いついて、技術においても見極めて「これだ」というものに絞り込んで戦ってきます。二番手で並走してきて、スケート競技のように、ゴールする寸前にパッと足を出すのです。差し込まれているほうは苛立つのですが、戦略としては見事だという部分もあるということです。
更に、3番目にガバナンスです。日本経済の弱点の1つがガバナンスで、例えば、何故、アブダビで原子力発電プロジェクトにおいて、韓国に負けたのかというと、色々な分析が出てきていますが、一言でいうとすれば、韓国の場合、韓国電力を窓口にしてパッケージ・ディールで分かり易い、統合力のあるプレゼンテーションをしていたということです。あの時、日本はフランスと戦っているつもりで、韓国のことはコンペティターとして想定していなかったのです。更に、技術的にも全然問題外だとみていました。しかし、韓国はフルターン・キー・ベースによって工期を完成させると胸を張り、しかも、オペレーションを60年間任せるという60年間のオペレーション保証までつけました。
アブダビのような産油国で原発というのは何故だというと、いわゆる油が枯渇した後のエネルギー政策を考えているということなのです。韓国は人材研修の一環として、アブダビの原子力の人材を育てるためにソウル大学原子力工学部までパッケージにして人材を引き受けて育てるということが提案の中に入っています。
日本のいまの弱点は何かというと、全体のバラバラ感です。競争主義、市場主義の徹底も結構なのですが、エンジニアリング会社、商社、メーカー企業、そして、最後のオペレーションに参画する電力会社のトップ、というように数珠繋ぎのように並べてプレゼンテーションを行なうことになります。日本人で一番嫌われるタイプというのは、はったりをかまして、実行出来ないことをぶち上げる人間で、逆に評価されるのは応分の責任で自分が果たすべき役割を誠実に実行してみせますというタイプです。アブダビの原発プロジェクトでは、日本人なりの誠実な姿勢で数珠繋ぎのようなプレゼンが延々と続きました。一方の韓国の場合は、韓国電力の一人の人間が最初から最後まで、「私に任せなさい」という形でぶち上げるために、とてもわかり易いのです。日本の場合は、無責任ではないけれども、「生真面目な愚かさ」というものでバラバラ感が漂います。さすがに、それでは戦えないということに気がつき始めたため、ここにきてシステム輸出等のパッケージによって戦うという方向をとり始めています。いよいよ、原子力も国際展開会社をつくってパッケージで行なう方向に進んでいます。これは非常に教訓を残したと言ってよいと思います。
いずれにしても、「韓国に負けている」という被害者意識が日本人に襲いかかるわけなのですが、昨年の日本の貿易収支は2兆8千億円の輸出超過となっています。日本経済が輸出超過によって外貨を稼いで成り立っていることは皆さんもご存知かと思います。分かり易くいうと、不況に喘ぐ日本で、輸出超過をすることによって外貨を稼いでしのいでいる状況が現下の日本経済であるということです。
そこで、韓国と台湾についてですが、彼らと向き合っていると彼らなりの日本に対するフラストレーションがあります。それは彼らにとっては日本に対する輸入超過を抱えていて、その大きな原因は何かというと、日本の中間財、つまり部品を買ってくれているということです。彼らの国々は日本の部品を買って、最終製品に埋め込んで、それを海外に輸出して外貨を稼いでいる構図になっています。彼らには日本に首根っこを掴まれているような感じがあるのです。台湾はOEMの島のようになっていて、日本から技術と部品を背負わされて、その中でオペレーションをする工場のような機能を果たしています。
このように、日本の部品を買ってくれて最終製品にして、海外に売って外貨を稼いで豊かになった人たちが大中華圏から日本に昨年、263万人やって来てくれて、韓国からは159万人やって来て、日本の銀座や秋葉原等で大変な購買力を支えくれています。何がポイントかというと、近隣を窮乏化させて日本だけが繁栄している構図をつくることを考えること自体がおかしな話で、近隣を豊かにしてそれが日本を支えてくれるという構図の中でシナリオを書いていかなければならないということです。
日本人の意識の中で遠ざかっていることなのが、かつて、韓国や台湾は、その地域にいる人たちにとっては甚だ不条理な時代だったと思いますが、一時期日本のフラッグの下にあった地域だったのです。いまから100年前の1910年日韓併合から35年、朝鮮半島が日本領土の時代がありました。彼らにとっては不条理な時代だったと思います。しかし、日本人としては、かつて日本のフラッグの下にいた地域が日本の中間財を買ってくれて豊かになっていって、それが日本を支えてくれている構図に対する理解と見識が必要です。つまり、そのようなネットワークに日本の繁栄、日本の経済がかろうじて支えられているという認識が物凄く重要であるということです。日本自身もネットワーク型の中におかれているのです。今後も日本のシナリオについて視界においていかなければならないことは共存共栄のネットワークの中で、アジアの国々とどのように向き合っていくことが出来るのかということです。これが物凄く重要なポイントです。被害者意識だけを高めて、何するものぞということだけではこの国の進路は描けないのだと思います。
 
<後半>
 
寺島>  先程、少し触れましたが、1910年日韓併合がありました。1905年の日露戦争の5年後のことです。これは本当に考えさせる出来事だったと思います。私は自虐史観でも何でもなくて、謝罪をするべきだという単純な文脈で答える気持ちはありません。ただ、閔妃暗殺から日韓併合に至るまでのプロセスをみると、まさに、明治近代史の二重性というもので、自分自身が開国迫られていつ植民地にされるかもしれないという恐怖心の中から、開国、近代化へ踏み込んでいって、富国強兵、殖産興業によって力をつけてきて、日清、日露と越えていくうちに、自信が奢りに繋がっていく瞬間を迎えたことに気付きます。「親亜」、親しむアジアによって、アジアに最も共鳴心をもって向き合わなければならなかったはずの国が、遅れてきた植民地帝国になり始めて、日本自身が新手の植民地帝国として「欧米がやっていることを日本がやって何が悪いのだ」という感覚を芽生えさせてきます。調べると、日韓併合は実はアメリカのハワイ併合がモデルとなっていることがわかります。1898年にスペインとの戦争に勝ったアメリカがフィリピンとグアム島とハワイに触手を伸ばしてハワイを併合します。そのプロセスが日韓併合のモデルになったのです。
 アメリカは100年目の謝罪ということで、100年経ったところで、上下両議院で「ハワイ併合は騙し討ちで汚いことをして申し訳なかった」と謝罪決議をしました。アメリカの謝罪は分かり易くいうと、ごめんなさいと謝っているけれども、カラカウア王朝を復権させるとか、ハワイを独立させるという話ではありません。あれはあれで悪かったというメッセージにしか過ぎません。しかし、日本もごまかしてはならない部分があって、日韓併合に至るプロセスを正当化できない部分があるということを腹に括っておかなければならなりません。
 それから50年経って、敗戦を経た1960年には安保改定が時代の大きなテーマでした。1951年のサンフランシスコ講和条約から約9年経って、日米安保10年目の見直しということで60年安保改定を迎え、戦後の日本の中で最も熱い政治の季節でした。
60年安保は今から50年前となりますが、当時の日本の輸出30.1%、輸入39.2%がアメリカとの貿易だったのです。日本が飯を食っている基盤構造がアメリカとの貿易で成り立っているという構造の上に安保が議論されていたのが50年前だったと言ってよいと思います。
冷戦が終わって、いまどうなっているのかを確認するためにこの数字に触れたいと思います。それは日本の貿易総額に占める比重の数字なのですが、対米貿易に関してはわずか13.5%に落ちました。中国との貿易は20.5%なので2割を超えました。そして、私が盛んに繰り返し申し上げている大中華圏、つまり、中国、香港、シンガポール、台湾という中華圏との貿易が30.7%で3割を超して、アジアとの貿易が49.5%になっています。今後の日本の貿易に関して間違いなく言えることは、アジアのダイナミズムとどのように向き合うのかということなのです。
もう既に、この国の経済がアジアのダイナミズムと相関して生きていかざるを得ない構造になっているにも関わらず、勿論、アメリカとの関係も今後大事なのですけれども、どのようにそこの折り合いをつけていくのかということが見えないために混迷しているのです。このアンバランス感が外から見た時に誠に滑稽に見えます。柔らかくアメリカとの関係も大事にしながらも重層的にアジアとの関係を果敢に主体的につくっていく方向に舵を切らざるを得ない状況にあるのです。つまり、戦後なる日本に生きてきた人間が、これから21世紀を生きていかなければならない世代の人たちにどのような日本を残す気持ちでいるのかという根性が問われているのだと思います。
そのような文脈で、外交安全保障はどのようにあるべきなのか、産業経済政策、つまり、いままで日本が豊かになることができたメカニズムが必ずしも機能しなくなってきた矢先に、どのような構想をもつのかということが間違いなく問われていて、そこから逃げてはならないということです。日本がいま、やらなければならないことは戦後なるものに折り合いをつけなければならないということです。