第56回

寺島>  まず、私と西部先生との関係からお話をさせて頂きます。西部さんは私と同じ北海道の札幌の出身であり、私にとっては見上げるような存在で、学生時代に60年安保に生きてこられたかたです。そして、私は大学時代に70年の全共闘時代を送ってきました。西部さんは私の高校の隣の札幌南高校の先輩で、「西部邁」という名前は我々の心にその頃から響いていました。
 私があらためて西部さんと向き合う形になったのは、1975年に西部さんが出された『ソシオ・エコノミックス』という本で、我々の世代で社会科学を学んだ人間にとっては大変にインパクトを受けた本を出版されて、新古典派の経済学から一歩前に出て、社会経済学総体を睨むようなアングルから時代を議論し始めてきた人物が登場したということで、私は感激しました。
 更に、西部先生の奥さんは、札幌で小学校から高校まで通っていた私の同級生のお姉さんなのです。そのようなこともあって、初めて西部さんとお会いした時に、「僕は君の少年時代からの悪行を知っているよ」と言われてドキッとして、それ以来、私は毒気を抜かれたようになっています。そのような縁も引きずっています。
 西部さん自身が60年安保の中心人物の一人として戦後日本をいまの局面においてどのように考えているのかということと、現代日本がおかれている状況についてお話を始めて頂けたらと思います。宜しく御願い致します。

「世界を知る力―次の日本へと―」

西部>  当時は皆、あれやこれやと理屈っぽく、全学連がどうとか、60年がどうとか、色々なことを言うけれども、19、20歳のガキにとっては何か敗戦民族の悲しさ、情けなさによって、本当のことが言われていないという感じがありました。小さい声で言いますけれども、あれから65年が経って依然として私が思っていることは、「敗戦属国」、「隷従」、「服属民族」はやりきれない奴らだということです。何故日本人に生まれたのだろうということが私の根深い部分にあります。
 そもそも、私の場合は、「好きか嫌いか」といと考えるのははっきりしていて、小さな声で言いますが、好きな女性とか、嫌いな女性については、かなり敏感に考えますけれども、アメリカという太平洋の向こう側の国について、好きか嫌いかということをテーマにすること自体が、私にしてみれば敗戦民族のトラウマであると思います。
 しかしながら、私が安保条約の問題についてあれこれ東京の街を走り回ったり、たいしたことは行なっていないけれども、その手のことを行なっていた最大の理由は、反米ではなくて、更に申し上げると安保条約のことはどうでもよくて、日本人がこれを巡って何かしら嘘っぽいことを行なっているということをなんとなく感じていたからという程度のものだったのです。私はそのような気持ちはいまもなお、ずっと続いています。
 私はそのような人間なために、いまから理屈っぽく述べてみると、1950年代、1960年代、1970年代のいわゆる冷戦構造なるものについても、おそらく世間とはかなり違った感覚で受けとめていたと思います。つまり、アメリカにつくか、ソ連につくかなどというくだらない議論をなんでしているのかと私は子供の頃に思っていたのです。いまにして理屈をつけてみると、私はアメリカもソ連も一卵性双生児とまでは言わないけれども、二卵性双生児くらいに似通った国なのだと認識しています。
結論を申し上げると、フランス革命から近代社会が始まって、ジャコバン(註.1)が左側に座っていて、「自由、平等、博愛」と言っていて、左側に座ったために左翼になったらしいのです。日本において左翼というと社会主義と強い関係があると思いがちですが、マルクスとエンゲルスが「コミニスト・マニフェスト」=「共産党宣言」を出したのは1848年だったので、フランス革命から60年近く後なのです。つまり、左翼はその前に作られたフランス革命時の言葉なので、自由、平等、博愛、もっと広げて言うと、合理主義とか、科学主義、技術主義等を唱えた人たちが左翼のはしりだということになります。
 さて、そのように考えたのであれば、米ソについては両方とも同じで、アメリカは典型的でいまもなお自由だ、平等だ、博愛だと言って、本当にそのようであるかはともかくとして、それらを最高の理念、価値として掲げて世界中にふりまいているのです。そのような国は何処かと訊ねれば、いまどきは小学生ですらアメリカだと答えるのです。そうすると、歴史上の言葉の流れでは、アメリカは立派な左翼国家であるということになるのです。
 したがって、左翼主義は、「近代主義」=「モダニズム」なのです。自由、平等、博愛、合理、科学、技術等々を100%信じ込むかのような形によって、国家の運営なり、個人の生活なりを方向付けようとするのがモダニズムであると考えると、アメリカこそが立派な1つの「プロトタイプ」=「見本」なのです。それにかなり遅れて出てきたのがソビエト・ロシアなのです。勿論、アメリカが個人主義を原理として近代主義を実現しようとしたことに対してソビエト=ロシアは、かつての中国もそうですが、集団主義、計画主義、統制主義等という形によって近代主義を実現しようとした。方法は個人主義か集団主義かという大きな差はあるけれども、要するに、ほとんどソーセージのようなもので……、これは食べ物ですね。双生児のようなもので、とにかく、似た者同士だということです。
そうだとすると、戦後日本は厄介なものになります。左翼主義、別名で近代主義、この2つのタイプとしてのソ連とアメリカのどちらにつくかをもって保守と革新を区別するということは、私にしてみれば完全におかしな話なのです。しかも、学者やジャーナリストだと言われる人が、戦後一貫として、65年間も「保守だ」、「革新だ」と言い続けているのです。
 私は保守の端くれのはずなので、はっきり申し上げますが、保守、つまり、政治用語としてのコンサバティブとは、その国の歴史の流れ、或いは、その流れの中に保存されている国民の言わば歴史の知恵のようなものを保守=コンサーブして、それを現在という新しい状況の中にいかに活かすのかということです。こうしたことをコンサバティブだとするならば、アメリカはコンサバティブと全く正反対にある、両方の反対側にあるものであって、そのようなもののどちらにつくかで学会もジャーナリズムもビジネス界も、延々と半世紀を超えて行なっていること自体を、私は「お願いだから少しはわかってくれ」と言っていますが、のれんに腕押し、焼け石に水、ごまめの歯ぎしりのようなもので、もうどうにもならないのです。
日本人は近代、近代と言います。こればかりは明治このかた近代化、近代化で、現在もそのような御託を並べている人が存在すると思います。しかし、近代というのは、先程から申し上げているように、「モダン」です。これは面白い言葉なのです。これの類似語は模型、モデル(=model)です。もう1つはモード(=mode)で、流行や様式という意味です。あっさりと言うと、モダン=近代は何かというと、「モデル」。更に説明をすると、誰にでも簡単にわかるという意味において、単純である。つまり、単純なモデル=模型をモード、つまり、誰にでも広がるような、大量に流行するようなモードとして生きるような時代がモダンだということです。
 大の大人がそのような単純な模型の大量流行をもって、これをご立派なこととしている子供の文明に他ならぬ、モダン・エイジ近代というもの、その両極端であるアメリカ型でいくのか、それとも、ソ連型でいくのかによって、何十年間も喧嘩をしているのです。
そう言えば、先日、アメリカの新聞に、鳩山由紀夫さんのことを「ルーピー」(=loopy)だと書いてありました。私はこの言葉を知りませんでした。環状線でクルクル回っている状況をループ(=loop)と言いますが、それに「y」をつけて形容詞になり、loopyになります。この新聞は、鳩山さんが沖縄問題で行なっていたことに対して、「鳩山はルーピーではないか」と書いていたのです。別に鳩山さんに限らず、同国人として厭味を申し上げるのは私の好みではありません。しかし、最近は同国人が本当にいるのかどうかもおぼつかなくなってきていて、全国かき集めたのであれば、1万人くらいは同胞がいるのではないのかと思っています。残りの1億1千799万人は私の同胞ではないような気がしています。そう言えば、私は最近、日本列島の列島を使って「列島人」という原稿を書いています。これは小さい声で申し上げますが、括弧で括って説明をつけ加えると、「優等」、「劣等」の「れっとう」と言いたくなります。私は、この「れっとう」は普通の、物質的な意味ではなくて、日本民族がこれだけ豊かな技術なり、金銭なり、なんなりを持ちながらも、少なくとも戦後は眠りこけていて、ほとんど、夢幻の世界で私も同席しているのでないのかというくらいの気持ちでいます。だんだん年を取って、このような事を何回も思っているために、すっかり現実になってしまい、いま私がこの会場にいることすら夢、幻かというくらいの感じで話しています。
さて、結論を申し上げると、私はあの大東亜戦争は当然起こるべくして起こった戦争であり、佐高信さんが何を言おうが、私はそうであると考えています。しかし、日本のあの戦争に問題があったとしたら、寺島実郎先生からどんなお叱りを受けようとも、私は、あの当時のことをいうと、大東亜共栄圏、或いは、八紘一宇等に関して、「それはないだろう」ということなのです。つまり、色々な民族や国民がいて、宗教、言語、習慣の違い等が生じる中で、「一宇」とは、総てが一つの家で暮らすという意味なので、内輪揉めが起こるのは当り前で、共栄圏といっても、一緒に栄える時もあるとは思いますが、ともかく軋轢が高まって、喧嘩だの、殴り合いが始まるのです。
話が逸れましたが、アジアはそう簡単にはまとまりません。そうすると、大東亜戦争の大問題は、何故アメリカがフィリピンにいたのだ、何故オランダがインドネシアにいるのだ、何故フランスがインドシナにいるんだということによって、アジアを白人諸列強の植民地から解放することが、本気かどうかはともかくとして、日本人にとっては立派な大義名分であったけれども、解放した後に日本人はアジアに一体何をして貰いたかったのかということについては何ひとつ提示しなかったのです。そして、大東亜だの、八紘一宇だのを行ないました。
そのようなことをしていたので、アメリカが出した自由民主、リベラル、デモクラシーといわれたご立派な理想であると勝手に思い込んだ。私に言わせてみれば、結論は簡単で、何がリベラル、デモクラシーだということになります。それは何故かというと、自由といっても各国民の国柄なり、国民性なり、国家に限らず、地域でも家庭も含めて、自由を野放しにすれば、やりたい放題になるにきまっています。民主と言っていますが、民主は世論に、そして、世論においても、その国の国民の常識に基づいているのならば立派なデモクラシーであるけれども、その国の国柄も常識も何もかも半世紀をかけてぶっ壊して、蹴っ飛ばして、その国民が民主だ、世論だと言えば、当然、それは愚かな民人の多数決が始まるだけなのです。
このように考えると、自由民主を本当に内実あらしめるためにも、日本をはじめとするアジア各国が、自分の国の歴史なり、国柄なり、この場合の国は閉鎖的な意味ではなくて、外国との関わり方も含めて開かれた意味において、そのようなことをしっかりと押さえなければ、アジアもへったくれもないのです。日米同盟などというものも在りはしないのです。このようなことを日本人があの時に、あれだけ優秀な人たちがいたにもかかわらず、どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのか、驚き呆れ果てます。
そのようなことが戦後ますますわからなくなって、皆が「自由だ、民主だ」と言っているのは、言えば言うほど、空疎に、何もかもが蒸発して、ヒステリー現象を起こして、トタン屋根の上の猫のように、技術だ、金だ、世論だと煽りたてられて、熱いトタン屋根の上で1億2千800万人の可哀想な巨大な猫たちがぴょんぴょんと跳び跳ねているのです。私は犬よりも猫が好きなのですが、猫の喩を出したのは事の流れで、私の本意ではありません。いずれにしても、トタン屋根の上の無数の猫のように跳び跳ねているのです。
これ以上話すと二人から叱られますので、突然終わります。

<後半>

寺島>  私は最近、佐高さんとの対談集(『新しい世界観を求めて』)を毎日新聞社から出版して、彼の目を見ながら5回くらい話をしてみて、「佐高さんとは何者なのか」ということを自問自答しながら議論をして、大変に深いものを感じました。これから佐高さんにお話をして頂くのですが、いま日本がおかれている状況、及び健全な産業指導者を世の中に物凄く持ち出してきたのは佐高さんであると思います。このような視点からお話をして頂けたらと思います。
佐高>  寺島さんより過分なご紹介を頂きましたが、本日、3人共通で知っている、どうしてもご紹介したい人物が北海道の北洋銀行の頭取だった武井正直さんです。武井さんはバブルの真っ盛りの時に、当時、北洋銀行の頭取として、バブルに乗っかった融資を断固としてやらせなかった人です。当時のバブル真っ盛りの銀行の頭取としては、下からも突き上げられて、「黙っていても儲かる時代に、何故やらないのだ」と言われていたそうです。その時に、武井さんは「こんな馬鹿な時代が続くはずがない」と言いました。つまり、バブルの時に、銀行の経営者たちや、大蔵官僚のようなとんでもない人たちが誰もバブルが崩壊することが見抜けなかったのです。しかし、武井正直がひとりいるではないかという話です。つまり、経営論等も最後は哲学に行き着くのだということです。その経営者が哲学をもっているかどうかということになります。当時、大蔵省の役人は武井さんに、「もっと融資を増やせ」と言ったそうです。武井さんはそれを撥ね退けたために、大きな北海道拓殖銀行が崩壊した際にそれを引き受けるという奇跡的なことを行なうことができたのです。
 これから少しはまともな事を言わないとまずいと思うので申し上げます。先程、西部さんはアメリカとソ連は一緒だというお話をして下さいました。地雷廃絶運動というものがあって、クラスター爆弾廃絶の話も絡んでいます。こうした兵器廃絶運動からみると、アメリカ・ロシア・中国がならず者国家なのです。これはどのような意味なのかというと、この3ヶ国が地雷もクラスター爆弾も持っているにもかかわらず、その廃絶の条約に加わらなかったということです。現在もこれらの国々は加わっていなくて、日本はアメリカに遠慮をしながら、NGOの運動等でようやく加わりました。
 この運動の中心はノルウェイやカナダ等で、その国々からみると、繰り返しになりますが、アメリカ・ロシア・中国がならず者国家となります。そのような世界地図を日本人はもつことができなくて、アメリカ、ソ連で動いてしまっています。
もう1つは、寺島さんに教えられた「バンドン会議の精神」です。これはアメリカとロシアのどちらかにつくのではなくて、太平洋戦争まもなくの時に、中国の当時の周温来やインドのネルー等が中心となって、アメリカとソ連の両方に寄らない新たな平和を推進していくということです。
つまり、日本のある種のまともな保守の政治家は、アメリカと中国の両方にバランスを取りながら外交をやってきたのです。アメリカと中国の外交関係は八方美人どころか、十六方美人です。しかし、それを確実に壊したのは小泉さんです。小泉単純一郎はアメリカしか見ませんでした。小泉さんはアメリカと中国という二次方程式が解けなくて、安倍晋三さんは一次方程式も解けませんでした。更に、福田康雄さんは最初から解く気がなくて、麻生太郎さんは方程式の意味がわからなったという話になります。つまり、世界地図を様々な意味において、いろいろな形に変えていくことが必要だということです。

(註1、ジャコバン派。ジャコバン政治党派の経緯は複雑であるが、ここでは、マクリ・ミリアン・ロベスピエール、サン=ジュスト等が中心となった急進的共和派を指す。
1792年から始まった国民公会(communication national)=フランス立法機関。
ここで、ジャコバン派は左側に座ったことから「左翼」の語源となる)

西部邁 Susumu Nishibe (評論家)
1939年生まれ。東京大学経済学部卒業。東京大学教授を経て、評論家として活動。雑誌『表現者』顧問。政治・経済・社会・文化の全般にわたる思想評論を継続。著書に『福澤諭吉―その武士道と愛国心』(文藝春秋)、『国民の道徳』(新潮社)、『無念の戦後史』(講談社)ほか多数。

佐高信 Sataka Makoto (評論家)
1945年生まれ。慶応義塾大学法学部卒。郷里の高校教師、経済誌の編集長を経て、1982年に独立。 著書に『逆命利君』、『魯迅烈読』(ともに岩波現代文庫)、『石原莞爾 その虚飾』(講談社文庫)、『西郷隆盛 伝説』(角川学芸出版)、『失言恐慌-ドキュメント銀行崩壊』(角川文庫)ほか多数。『週刊金曜日』発行人。