2010年05月 アーカイブ

2010年05月30日

2010年6月のスケジュール

■2010/6/11(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー
 
■2010/6/13(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」
 
□2010/6/19(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
■2010/6/19(土)08:00~
讀賣テレビ(日本テレビ系列)「ウェークアップ!ぷらす」
 
□2010/6/20(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
■2010/6/25(金)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」
 
□2010/6/26(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
□2010/6/27(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
■2010/6/27(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

第50回

―東アジア共同体への視界―

寺島>  演題は「東アジア共同体への視界」です。いま、日本を取り巻くアジア、そして、世界が一体どうなっているのかということから確認をしていくような議論に踏み込んでみたいと思います。
 まず、いま、日本くらい時代認識が非常にグルーミーと言いますか、悲観論が漂っている国は少ないということが私の印象です。ここのところが国の外と内との大きなギャップなのだというところから話をしていきたいと思います。
 2010年、今年の世界経済見通しについてですが、世界のエコノミストが出している平均的な予測値を毎月出している機関=「コンセンサス・エコノミックス」の予測なので若干の政治的な思惑が出ている数字ではなくて、エコノミストの平均的な予測値だというところに意味があるのです。
 まず、見ていただきたいことは、実質GDP世界全体という部分で、これは地球全体のGDPが昨年マイナス2.2%だったというところから少し考えて頂きたいと思います。
2009年、それまでは今世紀に入って世界経済は異様なほど順調に拡大して、「人類の歴史始まって以来の『高成長の同時化』なのではないのか」という表現がなされていましたが、サブプライム問題が2007年に露呈して、2008年秋にリーマン・ショックが起こって、ついに昨年、地球全体のGDPの実質成長率がマイナスに転ずることになってマイナス2.2%となりました。しかし、この段階で確認しておかなければならないことは2010年に3.1%成長という数字が地球全体のGDPに関する展望として出てきています。この数字は2月の予測値なのですが、1月の時には3.0%だったのです。更に、12月の時には2.9%、11月の時は2.8%でした。つまり、1ヵ月進むごとに0.1%ずつ上方修正されてきているというトレンドは、1年過ぎて振り返る時がきたら、まず間違いなく3%台の実質成長を世界経済は遂げるだろうと認識してよいと思います。
次に、見ておきたいことは2010年、上から下までマイナス成長ゾーンがないと異様な高成長の同時化サイクルに再び戻ったと気がつくはずです。つまり、日本も2年連続マイナス成長を続けていましたが、さすがに世界のエコノミストも今年の日本の経済は昨年のマイナス5.3%よりは、プラスの1.5%くらいの実質成長だろうとみているということです。EUが苦しみ抜いていますが、それでも水面上に出て1.1%です。
問題はアジアですが、昨年、BRICsが2つに割れました。世界の成長エンジンと言われている中国、インド、ブラジル、ロシアが2つに割れて中国8.7%、インド7.0%という数字で好調を持続したことに比べて、ブラジルはマイナス0.2%、ロシアはマイナス7.9%というようにマイナス成長に転じました。
そこで注目したいのはインドネシアで、いま物凄く好調です。昨年、世界経済がマイナスに落ち込んでいたにもかかわらずインドネシアは4.5%のプラス成長だったのです。インドネシアは日本の人口の倍で2億3千万人です。世界最大のイスラム国家という表現もありますが、大中華圏との相関が大きくてインドネシアは1千万人くらいの中華系の人をも抱え込んでいます。それらの人たちはビジネスの世界で大変な力をみせていて、イスラム系の人とのぎくしゃくが10数年前の虐殺暴動のような事件を起こしたりもしているわけです。いずれにせよ、インドネシアが今年は既に6%近い成長軌道を走るだろうと言われています。
OECD(経済協力開発機構)がここのところ言い始めている表現なのですが、「BRICs(ブリックス)という表現は捨てよう。BRIICS(ブリークス)と呼ぼう」というものがあります。これは、間に「I」が1つ入って、この「I」が「インドネシア」の「I」です。つまり、G20にも入ってきたインドネシアなのです。最後の「s」が複数の「s」ではなくて、サウスアフリカの「S」だと言われているくらいで、世界の成長エンジンが多角化してきていることを表現しているのです。
エマージング諸国(註.1)の経済見通しですが、まず、近隣の韓国、台湾についてお話しますと、韓国は凄まじいことになっています。昨年の年初に間違いなくマイナス成長であろうという予測値が出ていたのですが、後半にV字型に回復してきて、結果的にはプラス0.2%、わずかながらもプラス成長ゾーンに出たのです。今年は韓国は5%台の成長を実現するであろうという予測値が出てきています。
台湾も昨年のマイナス2.9%からプラス4.9%で、香港もマイナス3.0%から4.8%にプラス成長軌道になってくるであろうと予測されています。シンガポールも6%近い成長を実現するのではないかとエコノミストの平均的予測値が出てきています。
いま、日本の経済界、および、経産省の産業構造審議会の成長力に関する新しい委員会ができてきて、日本の成長戦略をまとめようという段階に入っています。私もそのメンバーに入っていますが、そこでの「日本は何故韓国に押し負けているのか」ということが議論の論点になってきています。これは韓国が何故V字型回復をしたのかということでもあり、これは本題にも関わることなので踏み込んでおこうと思います。
韓国経済はひっくり返して言うと「底が浅い」とも言えます。ジェットコースターのような軌道を辿ります。1997年にIMFクライシス、アジア通貨危機が起こった時に、韓国経済はドーンと落ちて、そこから半導体等の産業を基軸にしてめきめきと盛り返してきて、またリーマン・ショックによって谷底に落ちて、ジグザク行進のように動いていきました。そして、いま、V字型回復の局面にあると言ってよいと思います。
何故このようなことになるのかというと、まず、財閥経済で極端な構造になっていて、ヒュンダイ、LG、サムスンという3つの世界に冠たるブランドとして認知されている企業を育てています。しかし、この3つの企業の売上高を合計すると韓国GDPの35%になるという極端な構造になっているのです。要するに、3つの会社が浮上すれば韓国も浮上して、3つの会社が沈めば韓国も沈むということで、ある意味においては非常に危うい構造になっているということです。財閥経済は意思決定のスピードも早くて、ガバナンスが効いているために進む方向が定まって進み始めると大きな成果を上げるというものなのです。
いま、日本の産業界が物凄く話題にしていることは、UAEの原子力のプロジェクトで、韓国に敗れてしまったことです。それと、いま、日本の地上デジタル方式が南米の国々で続々と採用されるようになったことです。ブラジルもベネズエラも日本の地デジ方式を採用してくれました。これは日本にしてみれば珍しい話で、グローバル・スタンダードを握るとか、ディファクトスタンダード(註.2)を一歩前に出る等と言い続けている日本にとっては、滅多にないほどの成果だったわけです。しかし、先日、私はワシントンの米州会議に出席して議論をしていたのですが、なるほど、そのような力学なのだなあと思ったことがありました。それは、アメリカも切なくて、御膝元の中南米の反米感情が物凄く強くて、とにかくアメリカの技術だけは採用したくないというベネスエラのチャベスやブラジルのルーラによる漁夫の利が日本の地デジ方式の採用に向かわせているという力学を感じるのです。しかし、これは日本にとっては、めでたし、めでたし、では終わらないために話が複雑で、せっかく名誉としての日本方式を採用して頂いているのに肝心のテレビ受像機は南米で韓国企業に席捲されているのです。
したがって、技術では勝っているのにプロジェクトやビジネスでは後塵を拝す日本に対する焦燥感が、韓国に対する目線になって、いま問題意識を駆り立てています。韓国が財閥経済だということなのですが、何故、韓国がV字型回復をしたのかというところがポイントで、間違いなく言えることは「迷いがない」ということです。つまり、日本の経済人の議論の中で、一番愚かな議論は「内需が大事か、外需が大事か」というもので、韓国に迷いがない理由は、そもそも内需がないからです。人口は日本の半分ですから外需で生きるしかないと腹を括っていて徹底的な外需思考なのです。しかも、ターゲット・オリエンテッドでBRICsの南米ブラジルや中国等の市場に照準を合わせて勝負をかけてきます。
更に、もう一点とてつもなく重要なことは、非常に表現が悪いのですが、悪口を言う人は「コバンザメ経済」という言い方をします。これは、背中に張りついてくるということで、例えば、先端的な技術によって他の国をリードしようとか、グローバル・スタンダードを自らの国のスタンダードとしてリードして確立しようということを考えません。日本の先端的な技術や日本のスタンダード、アメリカのスタンダード等のうち、これだと思うものの背中に張りつくのです。そして、そのスタンダードと先端技術を受け入れて、二番手方式というもので、二番手で張りついてきて、ゴールが近づいた瞬間に刺し返すような、スケートでいうと最後の瞬間に足を出すということです。考えようによっては苛立つというのはわからなくもありませんが、要するに、そのようなことで韓国は思いもかけない勢いでV字型回復になってきているわけです。そのような東アジアの情勢を視界に入れながら、どうしても確認しておきたい話に結びつけていきたいと思います。
昨年、2009年の貿易統計が出てきました。日本の貿易構造に占める比重についてですが、日本がどのような生業の国になってきているのかということを示す重要な数字なので、私はたえずこの数字を確認しながら進んでいます。つまり、昨年の日本の輸出と輸入を足した貿易総額の相手先の比重という意味で、米国との貿易の比重が13.5%まで落ちました。日本経済に関わってきた人ならば、おそらく、「本当なのか」と言いたくなるくらい、この数字が小さくなっていることに驚くと思います。それに比べ中国との貿易比重は20.5%で、中国との貿易が日本の貿易の2割を超えるようになったということです。つまり、いかに、日本が中国との貿易に支えられて景気を回復しようとしているのかという数字があぶり出されてくるのです。大中華圏が30.7%という数字で、私がこれまで何度も触れてきたグレーター・チャイナ=大中華圏との貿易が3割を超しました。
そこで、少し踏み込んでおきたいのは、「グレーター・チャイナとは何か」ということです。私がこの1年間くらいの間に、自分の思考を深め、進化させ、悩みながら様々な人たちと議論をして手応えを感じている論点が大中華圏という切り口なのです。
大中華圏とは、中国を本土単体の中国とだけ考えないという考え方です。中華人民共和国という単体の中国として捉えずに、中国と香港と華僑国家といわれている人口の76%が中華系の人によって占められているシンガポールと台湾を包括する捉え方です。シンガポール、台湾は政治的イデオロギー体制の壁があるけれども、つまり、シンガポールも台湾も反共国家のために、政治的には大きな壁があるということですが、産業的には一段と連携を深めているゾーンだという捉え方がグレーター・チャイナという捉え方なのです。
私が言おうとしている「中国はネットワーク型によって発展を遂げている」という切り口は、誠に正鵠を得ているという反応が返ってきます。これは、どういうことかというと、私が約3ヶ月前に出した新書で、『世界を知る力』(PHP新書出版)が若い人から女性にまで読まれ始めている状況で感じることがあって、何がポイントかというと、それは、ネットワーク型によって世界の状況を考えるという見方に対する反応なのです。
そこで、このように考えて頂けたら段々とわかってくると思います。1989年にベルリンの壁が崩れました。そして、1991年にはソ連が崩壊しました。つまり、社会主義対資本主義の図式であらゆることが議論されていたものが大きく変わり始めたということです。冷戦が終わってから約20年経って、ソ連崩壊後のロシアは今日に至るまで、いろいろな意味において苦しみ抜いています。東欧圏といわれた国々も苦闘しています。しかし、中国だけが天安門事件から20数年、やけにコンスタントに成長軌道を走っていることに違和感を感じる人も多いと思います。何故、中国だけが成功しているのでしょうか。
それをどのように説明するのかというと、まず香港についてです。1997年に香港返還があり、昨年、2009年、中国からの海外渡航者は4,766万人になりました。それに対して、日本の海外渡航者数は1,545万人だったのです。つまり、日本の海外に出ていった人の数の3倍以上も上回るくらいで、中国人が海外に出ていく時代が来たということです。しかし、中身に一歩踏み込むと、その約半分は香港、マカオだと推定されていて、香港、マカオに行った人も海外渡航者に数えているということです。つまり、香港と本土の中国との関係がそのようなものになってきつつあるということなのです。
次に台湾についてです。陳水扁の政権ができて8年間続きました。そして、台湾独立かと言われた時期があって、台湾海峡にさざ波も立ちました。しかし、砲弾は飛び交わなかったのです。それどころか、台湾、香港の資本と技術を中国本土に取り込み始めたのです。台湾人が生産立地のために中国本土に100万人以上が移住して住み始めました。それくらい中国本土の生産力を支える形で台湾企業が動いているのです。要するに、台湾のエネルギーを本土に取り込み始めたということです。中国の大きな支えになっている力はその相関なのです。
加えて、シンガポールです。シンガポールは淡路島の面積もない小さな島です。この存在自体が謎めいています。それは何故かというと、工業生産力もない、人口もない、土地もないために資源産出力もないような国にもかかわらず、1人当たりGDP、購買力平価ベースにおいては、日本を1万ドルも凌駕するような繁栄する国になっているのです。シンガポールのほうが日本よりも上回っているという感覚は日本人にはわからないと思います。何故、どのようにして、シンガポールがこのような状況になったのかというと、まず、「シンガポールは大中華圏の南端として中国の10%成長力をASEAN諸国につなぐ基点になりつつある」という表現があります。つまり、シンガポールが華僑圏の国として、中国の発展エネルギーをASEAN=東南アジア諸国連合につなぐベースキャンプの役割を果たしているということです。更に、「シンガポールは大中華圏の研究開発センターだ」という表現があって、経産省で日本の成長戦略に関する議論が行なわれた際に、「医療ツーリズム」という言葉が重要だということで提起されているという報告が出ていましたが、これは、いわゆるメディカル・ツーリズムで、中国本土から昨年45万人の金持ちになった中国人がシンガポールに行って、検診を受けたり、病院に入院したりしています。何故かというと、シンガポールはバイオの研究に物凄くインセンティブをつけていて、バイオ研究を梃に、医薬品、つまり、薬剤の研究開発を進めているからです。そのために、シンガポールに入院しに行こうと中国から病気になった人を惹きつけているのです。そのことを医療ツーリズムという言い方をされて、医療を梃に人を惹きつける観光であると表現され始めています。

(註1、EMERING諸国。高度経済成長を見込める新興国家群の事)
(註2、De Facto Standard.国際機関が定めたものではなく、結果として「事実上標準化した基準」の事。⇔De Jure Standard)

第51回

―シンガポール・バーチャル国家論―

寺島>  シンガポール・バーチャル国家論についてですが、いま我々の国家観を立て直さなければならなくなってきています。つまり、かつて、豊かな国、強い国は植民地主義が吹き荒れた時代には「大英帝国は陽が沈む時がない」という表現があったくらいで、世界中に植民地をもって、植民地に於ける資源の産出力によって国家の格が決まるという時代がありました。しかし、産業革命がイギリスで起こり、世界に伝播して、工業生産力モデルという表現があって、工業生産力をもった国が豊かで強い国であるという時代を迎えたのです。日本の通商国家モデルも、工業生産力モデルの変形だと言われています。
 しかし、シンガポールはバーチャル国家モデルという新しい先端的な実験国家だと表現するアメリカの経済学者も出てきています。つまり、資源産出力もない、工業生産力もない、人口もない国で、何があるのかというと、目に見えない財の創出力です。例えば、技術、システム、ソフトウエア、サービス、ロジスティックス等の目に見えないバーチャルな価値に対して先頭を切って生み出す力によって、国家が国家として繁栄する仕組みをつくり上げたところに、シンガポールのシンガポールたる意味があるのです。
 私はグレーターチャイナをもっと柔らかく考えなければならないと考え始めています。つい最近、私はシンガポールを訪れましたが、今年の2月からカジノがオープンし始めていました。実際に私がカジノに行ってみますと、シンガポーリアンから入場料を100ドルとっていて、かなり高額なので、なかなか壁が厚くて、シンガポールの人には抵抗感があるだろうと思います。しかし、外国のパスポートを持っている人は無料で入場できるので、例えば、近隣のマレーシアやインドネシア等、インドネシアにはシンガポールの人口の倍に当る1,000万人の中華系の人がいるわけで、そのような人たちを惹き寄せるのです。
シンガポールのカジノは異様な熱気で、我々がアトランタシティーやラスベガス等で感じるような洗練されたカジノとは違って、少し粗野で引いてしまうような空気がなくもありません。そのような中で、更に、第2カジノが秋に向けてオープンされます。とにかく、シンガポール経済は人を惹きつけることによって活性化しようとしていることがよくわかります。
更に申し上げると、私は香港でANAのアジア戦略室の人たちと議論をして痛感した部分がありました。それは、日本の活性化にとって、「ここが来るな」と思っているところは、シンガポールの先行モデルなのですが、LCC(Low Cost Carrier)=ローコストキャリア、ジャカルタ―シンガポール、クアラルンプール―シンガポール等を繋いでいる安い航空運賃によって人を惹きつける方式のことです。シンガポールの第5ターミナルは、ライオンエアー等のローコストキャリア専門のターミナルとしてオープンしています。私が確認して驚いたことがあって、ジャカルタ―シンガポールが往復4,200円、マレーシア―シンガポールが往復3,000円台だということです。分かり易くいうと、東京―ソウルを往復7,000円~8,000円位で繋ぐフライトというイメージで捉えて頂きたいのですが、要するに、飲まず食わずで、水1杯のサービスもないということですが、現実に、それでも安いほうがよいという人がいるのです。しかも、オペレーションに対してもコストをかけないので支店もなければ営業所もなくて、ネットによって総ての航空券の販売を行なっているのです。日本も観光立国にしようという動きがあって、一生懸命議論されていますが、今後、日本の地方空港や関西国際空港等を考えた時に、このローコストキャリアをどのように持ち込んでくるのかということが凄く重要なキーワードになってくるのです。つまり、人を動かすということです。それでなくてもJALがあのような形になり、ANAも、そのとばっちりを受けて苦しみ抜いている時に、ローコストキャリアが入ってきたのであれば、日本の航空会社は吹っ飛んでしまうのではないのかという感覚があるはずです。そこで、知恵の出し所で、かつて、時計会社のセイコーが、安売り時計との攻勢で苦しみ抜いていた頃、企業が行なう戦略で第2ラインと呼ばれるもので、セイコーの場合は、「アルバ」というコストを下げた時計をつくって立ち向かう方式を採用しました。私は日本のANA、JALがローコストキャリアの航空会社とジョイント・ベンチャーをつくって、サービスを受けたり、飯を食べたい人やテレビを観たいという人は高いお金を払ってもJAL、ANAを使って動けばいいし、そのようなものが必要ない人たちは、数千円のコストで人を動かすというベースをつくっておく、つまり、第2ラインをつくっておくことによってローコストキャリアを上陸させていくような方式もあるだろうと思います。いずれにしても、アジアのダイナミズムを取り込んでいかなければならない状況になっているという意味なのです。
そこで、段々と大中華圏ということで何が言いたいのかという意味が伝わっていると思いますが、確認をして頂きたいことがあって、『世界を知る力』(PHP研究所出版)の81ページを開いていただくとユーラシア大陸の地図が出ています。本を持っていない方は頭の中でイマジネーションを働かせて頂けたら私の言っている意味がわかると思います。これはシンガポールとは何かということの理解を深める上で必要な図なのです。ユーラシア大陸の地図に頭の中でイマジネーションをしてプロットしていってもらいたいのですが、大英帝国イギリスのロンドン、中東の金融センターのドバイ、IT大国化するインドのバンガロール、シンガポール、資源大国として一段と力をつけてきているオーストラリアのシドニー、これらを点でプロットして、線で結ぶと一直線になるというくらい真っ直ぐなことに驚くはずです。これが世に言う「ユニオンジャックの矢」というもので、大英帝国の埋め絵が効いているということです。まず、英語圏であるということ、イギリスの法制度、リーガルを共有していること、更には、イギリスの文化、例えば、サッカー、ラクビー等を含めてスポーツから文化を共有しています。これは後の日本の東アジア共同体の議論にも関わりますが、イギリスは不思議な国でシンガポールから引き、結局、香港からも引いていきました。しかし、引きながら尊敬されています。イギリスの影響力をそのような形では充分に残して引いていって、ユニオンジャックの矢が絵空事ではなくて、いぜんとしてある種の機能を果たしています。ビジネスの世界にいる人なら、このラインが新しいビジネスモデルをエンジニアリングする上において、物凄い意味を持っているということがよくわかると思います。
シンガポールは、ユニオンジャックの矢の中におかれている点と、大中華圏の南端だという点において接点を持つことになるのです。この瞬間に頭の中でスパークして、シンガポールとは何かということがイメージできるはずです。
私はシンガポール観光局の回し者ではありませんが、度々、学生にも「いま、安いコストで海外に行けるのだから、とにかくシンガポールに行ってじっと考えてみなさい。何かが見えてくる」と言っています。この夏にでもシンガポールをご覧になれば、アジアがどのようになってきているのかということが100万回の話を聞くよりも、瞬時に納得ができると思います。
とにかく日本の生業が変わってきているということです。かつて、日本は主にアメリカとの貿易によって飯を食っている国だと言っていれば間違いありませんでした。しかし、それがあっと言う間に変わって、日本は今や、中国を中核とする大中華圏で3割、これは対米貿易の倍以上です。アジアとの貿易で5割、ユーラシア大陸との貿易で74%、つまり、4分の3はユーラシア大陸との貿易によって飯を食う国に変わってしまったということです。冷戦が終わってからの20年間で、大きな構造の転換が起こったということがすぐ分かるはずです。1990年には対米貿易の比重が27.4%で、中国との比重はわずかに3.5%だったのです。これがこの20年間の日本の国際関係を考える時の大きな変化のベースです。
昨年、米国に対する輸出超過は3兆2千億円で、韓国に対する輸出超過は2兆4千億円、台湾は1兆7千億円となっていますが、これは東アジアについて考える時に大変重要な数字なのです。段々と冷静になって考えてみると、「韓国は何故蘇ったのか」という話と、そこの結びつきなのですが、大中華圏で4兆8千億円の日本側の出超で、中国に対しては1兆2千億円の入超なのです。しかし、大中華圏全体で4兆8千億円の輸出超過で、韓国に対して2兆4千億円の輸出超過となり、つまり、ここで7兆2千億円輸出超過になって外貨を稼いで日本は産業を成り立たせていることがわかります。これは米国に対する輸出超過の倍以上となっているのです。
韓国、台湾を動くと、向こう側から見た苛立ちがわかります。例えば、韓国については、日本側からみれば、韓国にしてやられているという先程の認識が受け入れられがちですが、韓国にしてみると、ある種の苛立ち、「何故、韓国は日本に対して2兆4千億円も輸入超過になっているのだ」という構図があり、それは何かというと極めて明解で、中間財だということです。つまり、日本の部品を入れて、それを最終製品に埋め込んで世界に向けて輸出して韓国経済が成り立っている構図だからです。
したがって、別の言い方をすると、中間財の輸出超過によって韓国が活躍して世界に最終プロダクトで稼いでいる構図は、日本にとって大変な恩恵をもたらしているということなのです。
台湾も同様で、台湾に行くとフラストレーションが漂っていて、OEM(註.1)の島のようになっていて、日本のデジカメの大半は台湾でつくっていると考えるとわかります。要するに、日本の部材を入れて最終製品にして世界に輸出している構図になっているために、彼らはある種の苛立ちがあります。先程、中国を中核とする大中華圏という議論を組み立てましたが、日本を中核とする、日本のネットワークということでいうと、韓国、台湾もそのような文脈においては、日本のネットワークの中で動いている産業構造だともいえるのです。そこで、日本人の狭量さと言いますか、心の狭さなのですが、韓国が成功を収めると、嫉妬心や猜疑心の中でムラムラしたり、苛立ったりするという構図が働きがちで、あまり余計なことは申し上げるつもりはありませんが、引いて言うと、先程の大英帝国の話と結びつけながら考えて頂きたいのは、韓国、台湾は、かつて、日本のテリトリーの中にあったのです。これは歴史上の事実として、良い悪いは超えて、ファクトとしてということです。かつて、靖国神社には5万人以上の韓国、台湾籍の人たちも眠っています。変な言い方になりますが、日本の軍人として一緒の戦いの中で死んでいってくれた人たちです。日本人の感覚の中に、そのような感覚がないということが恐ろしいのです。要するに、共鳴心が働いていないということなのです。これから本当に日本の発展、東アジアとの連携等を考える時に、結局、東アジアの繁栄が日本に大きな恩恵をもたらしていて、その中で自分たちも進んでいくという構図が日本の針路として有り得るべき方向なのだという感覚が浮かんでこないとならないわけで、隣の人の成功を妬む構図の中でしかものを考えないような国が発展するわけがないのです。
日本を取り巻く人流の変化として、日本人の出国者、訪日外国人の2009年の数字をみると、日本がいま、いかに大中華圏と韓国からの来訪者によって支えられているのかということを最近、皆さんも実感していると思います。銀座や秋葉原等に殺到してきている近隣の国々の人たちの購買力に支えられている部分があります。これらの人たちの購買力を内需というのか外需というのかと議論することも意味がないというほど、アジアの連携は進化し、その関係も深まっています。やたらに、中華系の人と韓国人が温泉に行っていたり、銀座を動いていたりするのが目立つなあと感じるのが数字の意味なのです。昨年、アメリカから日本にやって来た人たちは7万人減って、ついに70万人になってしまいました。一方、大中華圏からやって来た人たちは263万人で全体が2割近く減っている中で、韓国159万人でした。韓国からの来訪者がウォン安によって前年と比べるとグッと減ったように感じますが、昨年11月から反転してきていて、いま、物凄い勢いで増え始めてきているのです。
したがって、日本にとって、これらの人たちが持つ意味がいかに重いのかということがわかるはずです。それについて、日本人出国者を見ながら触れていきたいと思いますが、月刊誌『世界』(岩波書店出版)の私が書いている連載の中で、日本人出国者1,545万人という構図の中身を分析しています。これは、御存知のようにこの数字はどんどん減ってきていて、その理由に新型インフルエンザの影響や、9・11以降、海外に出ることのストレス等、いろいろとあって、2000年という年に日本の海外出国者がピークで、1,782万人だったのです。しかし、そこからどんどん減って、1,545万人にまで減ってきているというのが現下の日本人出国者なのです。
ここで、少し確認しておきたいことは、アジア太平洋研究所構想に繋がっていく問題意識についてです。皆さんが、どれほどそれを感じておられるか、違和感を感じておられるかどうかわからずに私はお話をしていますが、日本という国は、いま物凄く内向きになっています。内向する日本になっているということです。この1,545万人の海外に出ていった人の内訳を見てみると、約2割が団塊世代よりも上で、定年退職を終えた60歳以上の占める比重が多いのです。次に、若い女性です。若い女性が元気で、中年も含めて、毎週末、韓国のアイドルグループの<東方神起>を追いかけてソウルに行く女性もいて、出国者の数を稼いでいるのは若い女性なのです。同じ若いジェネレーションの中でも、男性の比重が凄く小さく、数字でいうと65対35くらいで女性のほうがアクディヴです。ここで肝心なのは、壮年男性、つまり、働き盛りの男性が世界を見ていないということです。これは日本の特色なのです。見ていたとしても仕事のために出張で行っているのです。経済状態が悪くなると出張が減り、昨年も16%くらい減っています。要するに、会社がお金を出してくれる形での海外出国のチャンスは壮年男性にはあるのですが、経済状態が悪くなるとこの数字がグーンと圧縮します。いま、壮年男性で自分のお金で自分の趣味や目的意識のために海外に出るという人はほとんどいないと言ってもよいくらいなのです。何故なら、そんな暇もないし、お金の余裕もないということで、世界を見ていないのです。実は、このことが日本の空気を物凄く内向きにしている一因です。グローバル化だの、国際化だのと言葉は飛び交うけれども、実際は完全にグローバル化疲れ、国際化疲れに入っているというのが日本の現実だと言ってよいと思います。海外に出て行ってストレスを感じるくらいだったら、国内の温泉に行っていたほうがよいというくらいの空気が漂っているのです。
私が長い間、育てられてきた商社の世界でさえも、現実問題で海外赴任を好まずという人たちが出てきているのです。商社で海外に行かなかったらどうするのだと思います。このようにまるで世の中が変わってきているのです。

(註1、Original Equipment Manufacturer。他者ブランドの製品を製造すること)

第52回

寺島>  近隣の日・中・韓3ヶ国の連携あたりから、東アジア共同体の構想への段階的接近の議論が主流なのですが、ここで1つ、我々はASEAN動向に物凄く強い問題意識をもっておかなければならないという話をしておきたいと思います。
 ASEAN=東南アジア諸国連合は、今年1月にインドとの自由貿易協定を発効させました。中国との自由貿易協定も同じく今年の1月に発効させています。いま日本企業は、ASEANに対する関心を異様なほど高め始めているからです。何故かというと、これから日本企業における大きなターゲット・マーケットは、当然のことながら、インド、中国になっていくからです。日本の産業人は、インド、中国を狙った時に日本国内に生産立地していることに対する息苦しさを次第に感じ始めています。一時のドイツがそのような空気で、東ヨーロッパに進出していった時期がありますが、いまは特に素材型の産業を中心に、例えば、政権が変わって、CO2の25%削減という何やら合理性、科学性のないような目標に向かって立ち向かおうとしています。それは産業にとって物凄いプレッシャーだという判断があります。更には、やたらに法人税が高いだのなんだのと言い始めている理由は、日本に産業立地をしているよりも、インド、中国を狙った生産基点に移したほうがよいという問題意識が高まってきているからです。
そこで、私は、いまインドネシア再評価が非常に行なわれているのだなあと、つい先日の訪問で実感したことがありました。それは、ASEANに生産拠点をもつことによって、自由貿易協定があるのでインドと中国に対して関税上のメリットがある生産を展開できるということがとてつもなく大きいということで、しかも、2015年にASEANはASEAN共同体に踏み切ることに合意して、動き始めています。つまり、5年以内にASEAN共同体ができるということです。したがって、日本が東アジア共同体と言おうが言うまいが、先行してASEAN共同体が5年以内にできてくると思わなければならないのです。勿論、ASEANの中には色々な事情を抱えた、段差のある国々があるわけですから、単純にはいかないという話もありますが、いずれにしても、ASEAN共同体がリアリティーを帯びてきていることに変わりはありません。そうすると、「ASEANの中で」と考えた時、一時期日本企業がタイに物凄く肩入れをしていて、何千という物凄い数の日本企業がタイに進出しました。しかし、ここのところにきて、タクシンがどうしたこうしたという政治の混乱の中で、タイに対して「この先どうなるのかわからない」という失望感が漂っています。
ついこの間までベトナム・ブームだったのですが、ベトナム人は非常にクレバーで、オペレーションしてみると非常に信頼度が高いのですが、社会主義国であるという壁があったりして、ここのところにきてベトナムに対する熱が少し冷めています。
これからのASEANにとって、いまベトナムとシンガポールとの連携が物凄く重いのです。シンガポールは頭脳国家で、頭脳だけで生きているような国で身体がないのです。その身体を肩代わりするかのようにベトナムがシンガポールとの連携を深めていっているのです。この軸の動き方が非常に興味深いのですが、そのような中でフィリピンがまだまだだという状況を踏まえて、インドネシアは、世界最大のイスラム国家ですが、インドネシアの安定感がここにきて際立ってきています。そして、日本産業の問題意識の中で、インドネシアに生産立地をという1つの流れがスッと浮かびあがってきます。
ASEANと日本の自由貿易協定を順次、国別に発効していっている状況なのですが、これからの日本おいて、ASEANにどのように踏み込むのかということが凄く重要になってきます。日本の戦略としては珍しく戦略的だといわれているのは、「ERIA構想」で、要するに、経産省が年間10億円の予算をASEANに提供して、ASEANのシンクタンクをスタートさせたのです。これは既に動き始めてから1年半くらい経っています。経産省の西村さんが事務局長としてワークしています。ERIAではなく、ASEANの方の事務局の事務局長として動いているのはタイのスリンさんという人です。彼は先日、日本にやって来ていました。その前の週には中国に呼ばれて大歓待を受けていたようです。中国もASEANに物凄い秋波を送り始めています。
そのような流れの中で、日本は、ASEANの事務局のブレーンタンクとして、或いは、シンクタンクとして、ASEAN共同プロジェクト等を企画・推進していくということです。ASEAN共同プロジェクトは、例えば、メコン川のデルタ開発や、ベトナムからタイに繋がる回廊等の大型のインフラ・プロジェクトを中心に、ASEANバックアップで日本が展開しようとするようなものをERIAというシンクタンクで共同研究をしてASEANに力を貸そうということで、そのシンクタンクの設立を計ったのです。これは、ある意味においては、有効に機能し始めているとも言えます。事実、アジア総合開発計画が、つい数カ月前に、ERIAが提起する形によって動いて、日本の思惑の中でASEANをサポートしていくという狙いにおいて、ERIAは有効だという部分を見せてきています。
しかし、ERIAが、ASEANの事務局、そもそも、ERIAを何処につくるのかということで揉めました。マレーシアだ、タイだ、シンガポールだという綱引きの挙句に、ジャカルタに落ち着きました。何故、ジャカルタになったのかというと、ASEANの事務局がジャカルタにあるからなのです。ASEAN事務局と並走する形でERIAが動いています。そのERIAに役割期待が高まれば高まるほど、中国がERIAの役割に注目し始めて、中国も日本と同額くらいのお金を出してでもERIAを取り込もうという動きに出てきています。
したがって、何も中国と綱引きをしていけばよいというような話ではなくて、ERIAが次第に日本の思惑通りに動くようなシンクタンクとして有り続けるかどうかというと、むしろ、ASEANの戦略目的の中で、どんどん国際機関化して、中国のみならずオーストラリア等も出資しようとしているために、やがて、これがアジア開発銀行のような国際機関としての性格に近づいていくと思います。そうすると、日本のアジアとの接点において、例えば、力を合わせて研究開発すべき共同プロジェクト等が受け皿となって研究開発していく部隊が必要になってきます。そこが、これからお話をしようとしている大阪のアジア太平洋研究所構想の話に近づいていきます。
元々の話は、「大阪駅北地区先行開発区域プロジェクト」が始まりで、これは分かり易くいうと東京の汐留のようなものです。
いま、巨大な大阪駅で、かつて、JRがもっていた土地の再開発プロジェクトが進んでいます。問題は、最初に私自身がこの構想に巻き込まれたのは、「一体そこに何をつくるべきなのかという話について、知恵を貸して下さい」という話から始まったのです。私は、「大阪は、ひととおりの器物といいますか、ハードの物はありますよね。商業施設をどうするのか、ホテルをどうするのか、という発想ではダメでしょうね」と言いました。瞬時に言ったのは、フランスのパリにアラブ世界研究所という機関があって、これは1973年の石油危機の年に構想を発表して、20年かかりましたが、この研究所を設立しました。アラブ22ヶ国に根回しして、4割はアラブ22ヶ国が出資、6割はフランスが出資するという形になっています。アラブ世界研究所は9階建てで、凄く面白い形のビルなので御存知のかたもいると思います。
そのことによって、フランスのパリの情報力といいますか、分かり易くいうと、中東やアラブ、石油等に関心を持ち、利害を持つ関係者ならば、パリに行かざるを得ないという情報の磁場をつくってしまったのです。エッフェル塔の下にOECDの本部があって、そこにIEA=国際エネルギー機関が併設されています。私はパリに年に2、3回、足を運んでいますが、観光に行っているわけではなくて、やはり、行かざるを得ないという情報の磁場があるためなのです。それはIEAやアラブ世界研究所等があるためで、つまり、パリが人を惹きつける装置をもっているからなのです。勿論、OECDがあるように他の国際機関もあります。
しかし、大阪のみならず、日本、東京もそうですが、そこに行かなければしょうがないと思うような、情報の磁力線のようなものが何か1つでもあるのかという話になります。したがって、まず、パリのアラブ世界研究所にアナロジーを取って、更に、ジュネーブ・モデルという言い方がありますが、いま日本を観光立国化しようという話が進んでいて、中国人の海外出国者が5千万人に迫っている状況で、10年以内に1億人を超すと言われています。日本は、いまその1割を日本に惹きつけようという観光立国論を絵に描いた餅のように描いています。観光客を惹きつけることによって日本に活力を与えようということです。1割といっても1千万人で、それに、台湾、香港、シンガポール等の中華系の人たちの観光客の数を加えて、1千数百万人の人たちがやってくることをもって、観光立国、観光立国と言っているけれども、現実問題として、具体的に何処から来ているのかというと、大中華圏の1千数百万人と韓国の来訪者を当てにして、観光立国論を描いているのです。
先日、私が台湾で講演した時に、このような文脈で話をしていたら、新聞記者がバッと手をあげて「日本人に覚悟はおありですか?」と、質問をしてきました。私はそれを聞いてギョッとなりましたが、これは、どのような意味かというと、1千数百万人の中華系の人間を受けいれるだけ度量があるのかという問題意識のことなのです。たしかに、これは凄まじいことで、それだけのことを行なうとしたら、文化に対するインパクトまで出てくると思います。
もし、本気でそれらの人たちを惹きつけていくことになると、2泊3日で3万5千円等というツアーで客をかき集めても観光立国は成り立ちません。世界中の観光立国で成り立っている国々を調べるとわかりますが、お金をもって情報に対する強い欲求があって、質、量ともにそのような人たちをターゲットにして観光立国論を組み立てなければならず、安手の観光ツアー客をたくさん増やすことによって観光立国が成り立つというものではないのです。
そこで、先程申し上げたジュネーブ・モデルの話になりますが、ジュネーブは15の国連機関があります。かつて、国際連盟の時代の本部があったこともあります。結局、WTO=「世界貿易機関」もジュネーブにいきました。そして、ILO=「国際労働機関」もジュネーブにあります。私がワシントンにいた頃、GATT=「関税および貿易に関する一般協定」が進化して、いよいよWTOができるとなった頃、日本は通商国家なので、WTOの本部こそ日本に引っ張ってくるべきで、私は、ワシントンから出張して、「大阪か東京にWTOの本部を実現するべきだ」と、当時の日本の最高指導者にブリーフィングした思い出があります。しかし、「WTOって何の話ですか?」という反応が返ってきて、こちらのほうが驚いてしまいました。
つまり、あっという間にベルリンとジュネーブが綱引きを始めてジュネーブに落ち着いていったということです。ジュネーブに15の国連機関があるために、年間40万人の国連関係者がジュネーブを訪れます。その少なくとも数倍のジャーナリスト、大学の先生、専門家等の人たちが、例えば、ILOやWTOがあるために、また、国際会議やシンクタンクがあるために、しかたなしに、ジュネーブを訪れます。したがって、ジュネーブでは、1泊500ドル以上もするホテルがいつも満杯になっているという状況におかれています。つまり、それが観光立国である1つの基軸なのだということです。そのような惹きつける磁場がなければツアー客をかき集めて、その数を増やしても観光立国にはならないのです。
そこで、例えば、大阪の北ヤードで国際的な人たちを惹きつけるといっていますが、質、量ともに高いレベルを狙わないとダメなのです。何故ならば、情報の磁場が必要だからです。その1つの基本構想がアジア太平洋研究所なのです。
まず、アジア太平洋研究所が何を行なうところかというと、株式会社シンクタンクでもなくて、財団法人シンクタンクでもないタイプのシンクタンクで、日本では殆どないタイプのシンクタンクです。第3のシンクタンクと言ってよいと思います。要するに、中立系で、企業も、個人も、学会も、大学も、行政も、みんなで力を合わせて支えているというタイプのシンクタンクがないのです。つまり、私が「第3のシンクタンク」と申し上げた意味は、日本に中立系の国際情報を発信できる磁場をつくろうということが大きな狙いで、国際的な共同研究、リージョナル・スタディ(Regional Study)=地域研究を中軸にしながらも、共同研究、つまり、アジアの共同の利益になるようなプロジェクトを積み上げていくのです。これは、明らかに共通の利益になるようなプロジェクトを積み上げていくということです。例えば、エネルギーに関する共同備蓄構想や日本の環境技術をより広いアジアにおいて活用していくようなスキームをつくる共同研究等は日本の利害に関わるだけではなくて、アジアの共通利害にもなるために、段階的にそのようなものを積み上げていく流れをつくっていくことが大事なのです。明らかにプラスになるようなものを積み上げていくということにするのが、段階的接近法としては大事なのだということを共同プロジェクト研究においてのヘソです。私はアジア太平洋研究所構想のフィージビリティ・スタディ(Feasibility Study)(註.1)を行なってきて、ここに大きなニーズがあるのだと気がつき始めていることは、例えば、「留学生30万人計画」というものがあって、日本に30万人の留学生を惹きつけようとしていますが、惹きつけて量を増やせばよいというものではなくて、「出口プラン」、つまり、それらの人たちが卒業してその後どのようにするのかという話が重要なのです。
アメリカに何故、中国の留学生の一流の人間が行きたがるのかというと、アメリカという国はその点でとても優れていて、中国人の留学生を企業が雇って、シリンコンバレー等で育てて、自分たちが進出していく中国の先頭を切って走るポジションにつけていきます。日本企業は中国をはじめとするアジアからの留学生に対してそのような視点で向き合っているところは、ないとは言い切れませんが、まだまだ少ないのです。したがって、今後、本当にアジアからの留学生を育てる気持ちがあるならば、出口のところに工夫が必要なのです。
いま、アジア太平洋研所構想の大変な力になってくれているのは、立命館大学の坂本和一先生で、彼は別府につくった立命館アジア太平洋大学の学長を務めたかたです。2千数百人のアジアからの留学生が別府で勉強をしています。それらの人たちが、例えば、日本に残って研究を深めたいという場合に、止まり木として使えるような磁場が必要なのです。そのことを日本企業で働くためのチャンスを拡大する基点にしていくためにも大きく狙っていかなければならないと思います。そのような狙いが共同研究と共に大変に重いのです。それと同時に情報発信、できれば、かつての『論座』や『フォーサイト』、『世界週報』、かつての東洋経済が出版していた『オリエンタル・エコノミスト』等の類の情報発信を英文と日文によって行なっていくようなメディア、月刊誌にするのか、季刊誌にするのかは別にして、発信力があるメディアをこの研究所が握ることが日本にとっても世の中にとっても、大変に意味があることであると思います。
要するに、これから日本が東アジア共同体と言おうが、アジア太平洋に向けて、しかもダイナミズムを取り込んでいくためには、ベースになる情報の基盤がなければ発言などはできないのです。日本で、「堂々とものを申したらよい」という類のことをぶち上げる人がいますが、堂々ともの申そうにも発言する中身を支える情報もないような発言がどれほどのインパクトを与えるのかということをよく考えなければならないのです。
したがって、アジア太平洋研究所構想に総ての思いを込めるわけではないですが、日本の将来にとって非常に重要な装置なのだと思っています。日本の知的セクターの磁場を広げていかなければインテリジェントな職業がこの国からなくなってしまいます。
そのようなことをしっかりと考えていきたいという意味で、皆さんにお話を聞いて頂いたのです。ありがとうございました。

(註1、Feasibility Study。実現の可能性を検証するという意。費用対効果調査。費用便益調査)