第47回

<時代との対話~21世紀初頭を振り返って~>

木村>  先週の放送では「日本は何故、韓国に押し負けているのか~日本再生、ガバナンスの復権~」というテーマ設定でしたが、今後も引き続き深めていくお話だと思いました。我々が自己認識として日本、或いは、日本がアジアの中でどのような存在かということを深めることがとても大事なのだということがわかってきました。
 今週の前半のお話は「寺島実郎が語る歴史観」で、『時代との対話~21世紀初頭を振り返って~』というテーマでお伺いします。寺島さんが3月2日に出版会社のぎょうせいから出された対談集を元にお話をお聞きしたいと思います。
今回は、抽選でこの番組をお聴きになっているリスナーの20名の方々に、『時代との対話』をプレゼントして頂けるということになっておりますので、この後、是非、楽しみに最後までお聞き逃しなく。

寺島>  年末にPHP新書から『世界を知る力』という本を出して、この番組のリスナーの方々のお陰もあって、書いた本人がびっくりするくらい売れていまして、本が売れないこの時代に現在17万部売れています。しかも、今度、いま紹介をして頂いた『時代との対話』の出版会社の「ぎょうせい」は、日本版の「フォーブス」という雑誌を出していた出版社です。その「フォーブス」の中で、私が対談を続けてきたものを主として集めた対談集で、特に21世紀に入って9・11が起こってから時代に混迷が深まる中で、「これは」という人たちを相手に、私が対話をしたものをとりとめたものが『時代と対話』なのです。

木村>  「はじめに」の書き出しで、「時代を生きることは,時代を生きる人間と対話することでもある」という文章から始まります。

寺島>  私は本当にその思いを深めているのですが、まさに、時代を生きている生身の人間としての、しかも、私が心の中で関心を抱いたり、敬愛をできるような人と時代について語ってみるということがいかに刺激的なことかということを私自身も非常に強く感じました。それらの人たちが持っている自分自身、この時代の中で果たすべき役割についての自覚、つまり、自分は何をするためにこの時代を生きているのかということに対する強い問題意識を受けとめながら、私自身も大きな刺激を受けました。
そのような中で、対話の相手だった人たちから共通して感じとったことがあります。例えば、『時代との対話』の本の中に出てくるように、私は加藤周一さん、朝日新聞の船橋洋一さん、姜尚中さん等の対談や、藤原帰一さん、榊原英資さん、堺屋太一さん、国連の明石康さん、緒方貞子さんの対談を含めて、最後の方は建築家の安藤忠雄さん、宇宙飛行士の毛利衛さん、佐藤優さん等の方々との対談を続けました。私は「一点の素心」という言葉が大好きなのですが、これはお祭りの時の「ソイヤ」という掛け声と関係があります。何故、「ソイヤ、ソイヤ」と言って神輿を担いでいるのだろうかと疑問に思い、調べてみると、「そい」というのは「素意」なのです。これは私が先程申し上げた「素心」と同じで、素の心、軸のぶれない心の奥にある、筋道を立てて、心の底にある真心と言いますか、一点の素心なのだと思います。時代がどんなに揺れ動いても、崩れない問題意識や方向感があって、「素心をもっている人」という言い方があるくらいで、まさに、「ソイヤ」もそうなのだと思います。そのようなものを求めて、自分たちは神に対して「素意や」なのです。つまり、「素の心をもっている」ということを掛け声にしているのが、お祭の掛け声というわけです。いずれにしても、私はこれらの人たちとの対話に素心を感じました。
この対談集を読んで頂くとおわかりになると思いますが、この中に私がいまでも一番心に残っていることがあります。それはこの本の一番最初にもってきた加藤周一さんとの対談です。加藤さんは亡くなられてしまいましたが、「知の巨人」と盛んに言われていて、20世紀を代表する日本の知性であったと思います。9・11が起こって、日本がイラク戦争に引き込まれていった時、「日本の知識人や日本のメディア等に関わっていたインテリと呼ばれる人たちの言葉がどんどん軽くなっていき、時代の混迷の中で、まさに、日本が素心の欠けた国になっていっている」という類のことを私が話題にしました。その時に、加藤さんは、「知的活動を先に進める力は単なる知的能力ではない。一種の直感と結び付いた感情的なものだと思います」と語りました。そこで、加藤さんは「戦慄くような怒り」という言葉を使ったと記憶しているのですが、要するに、知識というようなものは時代を生き抜いていく上で、何の役にも立たなくて、時代が抱えている問題や納得がいかない不条理なことに対する感情的に戦慄くような怒りが、もしも失われてしまったのであれば、それはもはや知識人でもなければ、人間でもないという類の空気のことを彼は表現していたということです。

木村>  加藤さんとの対談の冒頭で、寺島さんが生まれた年に加藤さんが論文をお書きになったとありましたが、加藤さんが「あなたは生まれた時にすぐに読んだわけではないでしょ……」とジョークで返していましたね。

寺島>  80何歳の加藤周一さんが、ギョッと私を睨んで「人間には戦慄くような怒りがなかったら知的活動とは言えないのだ」という表現をしました。「いくら頭が良くてもダメなので、目の前で子供を殺されたら怒る能力がなければなりません」と。「或いは、一種の感情を生じないとダメです。もしも、それを平気で見ていられるのであれば、いくら頭が良くてもダメです。情報を集めただけではどうにもならない」という言葉を繰り返していたのですが、加藤周一をして加藤周一にせしめたというのは、この空気なのです。世の中に博識の人はいくらでもいるし、本当に森羅万象に通じたような人もいるかもしれませんが、やはり、我々は目の前にある出来事に対する問題意識を持たなければダメなのです。
私が言いたかったのは、綺麗事の言葉によっていまの日本を「ふるさとは地球村」的な、美しい言葉で納得してしまったり、核の問題に関心のある人が、広島の慰霊碑の話を引いて「二度と過ちは繰り返しません」という言葉に納得してしまったりするのですが、どのように繰り返さないのか、どのようにふるさを地球村にするのかというところの方法論に対する強い問題意識と方向感がなければダメだということです。
 したがって、私は彼が喋ったロジックよりも、彼の身体から溢れだしていたような時代に対する怒りようのような、情念のようなものが伝わってきて、この対談をした時には私は物凄く心に響きました。

木村>  これは寺島さんがお出しになった『世界を知る力』について、前にこの番組でお話を伺った際に「つまり、知識というものは一体何のためなのか」という質問をした時に、たしか寺島さんは「不条理に対する怒り」という言葉を使われたと思いますが、そこに通じるものがあるということですね。

寺島>  それは、ひょっとしたら、私が加藤周一さんからのり移ったように引き継いだものかもしれません。経済学者で『自動車の社会的費用』の筆者でもある宇沢弘文さんと対談をした時もそうですが、私は全ての人と対談をした時に常に心の中に問題意識がありました。それは何かというと、「目の前にいるこの人物は、何故この人物になったのか」、「どのような経験とどのような体験を後ろに背負いながら、このような人物になってきたのか」ということに踏み込みたかったのです。私は宇沢さんとの対談の中で、この世代の人たちが戦争をどのように受けとめたのか、敗戦をどのように受けとめたのかということを聞き出そうとして、宇沢さんに話題を向けた時に、彼が話した言葉を思い出します。「人は人によって育てられるのだ」と思ったことは、戦前の旧制第一高等学校の校長をやっていた安倍能成さんから与えられた影響が大きかったということです。戦争に負けた時に、一高の寮に進駐軍のジープでやって来た、将校たちに安倍さんが対応をしました。将校たちは一高の寮を進駐軍のために接収するというように言い渡しにいたのです。その時に、安倍さんが立ち向かって、「一高はリベラル・アーツのカレッジである。リベラル・アーツは人類がこれまで残してきた遺産を学問でも、芸術でも専門を問わず、ただ、ひたすら吸収して、ひとりの人間としての成長を遂げると同時に、その大切な遺産を次の世代の子供たちに伝えるのだ。聖なる営みをするところなのだ。ここは聖なる場所なのである。占領というような世俗的な目的には使わせない」と言ったのだそうです。彼はそれを見ていて、その瞬間に何かを感じ取ったのだということを私に話してくれたのです。これは凄い話です。そのような状況下になった時に、高校の校長が見せた知性の瞬間に、おそらく、それを見ていた学生たちが感じたものは大きいと思います。私はそのことが物凄く心に響いて、このことによって、安倍能成が宇沢弘文さんを生んだのだと思いました。
 「この人をして、このようにせしめたものがあるのだ」ということがこの対談集の中で、それがいくつもの場に表れ出ていると思います。

木村>  最後のところで、この方との対談だったかと、意表をつくような人で、元外務省で情報の専門家と言われた佐藤優さんでしたね。

寺島>  この人は、まさに、博覧強記な人で、ある意味においては大変に巨大な知性を持った人であるというのが私の印象です。一番共鳴心が働いた部分は、いまの時代に対する、本質的なところにおいての見抜き方です。ポイントは「ポピュリズムの先にはファシズムがある」という捉え方です。つまり、例えば、人気とり的な政策や、大衆受けするような政策、ともすると、拍手がおこりがちな方向に世の中が進んでいったのであれば、ワイマール共和国の中からヒットラーが出てきたように、フランス革命の混濁の中から、みんながポピュリズムに走って自己主張し、多くに期待だけが高まっていくだけの状況の中では、行き着いたところは結局、ナポレオンだったように、「ポピュリズムの先にファシズムが来る予感」が起こるのです。この言葉は対談の最後のところに出てきますが、これは凄く大事なポイントだということです。このあたりのことを抉り取ることができたというこことが佐藤さんとの対談における1つの成果だったのです。また、1人1人の人たちとの対談の中に、確認したこと、確認し得なかったことがあるけれども、やはり、対談というものは、ある緊張感の中で、大変に刺激を受けて時代を感じ取ることができる大きな機会だったと思います。私にしてみると、初めての対談集なのです。非常に意味のある対談集であったと自分でも思っています。

木村>  いまの寺島さんのお話を伺ってみて、「時代との対話」を読む時に、更に深まりというものがあるのではないかと思います。つまり、お二人が非常に和気あいあいのうちに問題を深めていたり、ということがあるけれども、実は、そこに良い意味での精神の緊張感があって、その中で問題が考えられて、深められていくのだと思いました。その緊張感を知ることも「時代との対話」を読む時に我々の大きな刺激となるのではないかと思います。
 
<後半>

木村>  後半ではリスナーの方からのメールを紹介してお話を伺おうと思います。
 先ず、東京でお聴きのラジオネーム「タバター」さんからです。
 「私はこの春、大学を卒業しますが、未だに就職先が決まっていません。世の中不景気というのはよくわかりますが、就職する段階になって初めて実感したというのが本音です。このまま就職できなければ、就職浪人ということになります」という内容のメールで、切実な思いが語られていて、「一体この就職難はいつまで続くのでしょうか?」という問いかけがあります。
 もう1人のリスナーの方のメールも御紹介します。大阪でお聴きのラジオネーム「かずま」さんからです。
 「小学校で教員をしております。寺島さんのお話を聴くにつけて、自分自身がもっと世界のことを知っていかねばならない。もっと視野を広げ、視点を増やしていかねばと感じています。学校教育でこれから何が大事なのか。また、今までやってきたことの中で何を捨て、何を続けていけばいいのか考え、実践する今日です」ということで、学校教育への示唆を頂ければというメールです。

寺島>  お二人の質問の根底にあるものについてお話しします。私は昨年の4月から多摩大学の学長をやっていて、実際に就職戦線に出ていっている学生の話を聞いたり、それをサポートしている職員の人たちの苦闘がよく分かっていて、大変な時代だということを実感しています。
そこで一緒に考えたいと思うことは、ただ会社に正社員として入ることができればそれでことなれりなのかというと、そのようなものではないのです。どんな仕事であれ、ある種の持続的な志をもって自分の人生を設計し、立ち向かっていってもらわなければならないということが強い問題意識としてあるのです。ただ会社に入れればよいというものではありません。会社に入ったとしても大きな流れとして、例えば、人生をかけて立ち向かうことができるような仕事に出くわせるかというと、必ずしもそんな容易な時代ではないわけです。
要するに、このような時代は仕事に対する考え方を考え直さなければならないのです。分かり易くいうと、時間を切り売りして、それでも飯を食わなければならないために、生計を成り立たせる仕事を探しているのか、それとも、人生をかけてその仕事を通じて自分を高めていく仕事を探しているのか、両方が一致しているものを見つけることができるのであればこんな素晴らしい話はないけれども、そう簡単にはいかないということです。
そのような時に、失ってはならないものは志です。本当に自分は何をしたい人間なのかということを分かっていない人のほうが結構多いのです。我々も若い頃に、本当に志をもって自分の職業を選択していったのかというと、そのようなものではなくて、日本人の傾向は就職よりも就社なのです。つまり、昔から自分のJOBを何にするのかというよりも、「○○会社」に入ることが人生の目的のようなことになりかねない状況があったわけです。
そこで、敢えて言うのであれば、私は盛んに「稼ぎと務め」と言い続けています。要するに、生計を成り立たせるために、人生においては、嫌な仕事かもしれないけれども働かなければならないということがあるのです。しかし、そのようなもので、ただ満足をしていてはならないし、納得していてはなりません。務めというものは社会的な貢献や自分を必要としていることや自分を高めることができるような仕事で、そこに立ち向かっていくという問題意識を失ってはならないのです。
したがって、生計を成り立たせながら、なんとか歯を食い縛って自分が本当にやりたいと思う仕事を見つけ出していくという気迫や問題意識を失ってはならないということで、志の部分が問われてくるわけです。
私は就職で苦しんでいる学生たちに申し上げたいことは、例えば、「景気が良くなったのであれば良い仕事がたくさんあるでしょう」などという話ではなくて、自分の人生、自分の能力、自分の気質をしっかりと見つめて、友達、社会の中で自分がどのように思われているのか、何に自分が向いているのか、何をするために生きているのか等ということを若いうちに悩みながら真剣に考えてみることが必要です。残念ながら、そのように時間を割り当てなければならない時期もあるかもしれないけれども、ただただ稼ぎのためだけの仕事に、やがて、この状況を乗り越えてやるぞという問題意識だけは若さを込めて立ち向かってもらわなければ困ります。私はそれが仕事というものだと思います。
とにかく、景気が早く回復してというような話ではないというとこをしっかりと考えて自分の仕事を通じて世の中を良くし、国を高め、そのような仕事に自分は立ち向かっていくのだという志を失ってはならないのです。私はここが重要なポイントだと思っています。